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哲学4-1 日本女性の素晴らしさ

 皆様、こんにちは

『古今和歌集』に

秋の月山べさやかに照らせるは落つる紅葉の数を見よとか  

意味:秋の月が皓皓(こうこう)とてらすのは、落ちる紅葉の数を数えなさいといっているつもりでしょうか

 という歌があります(巻第五 秋歌下289)。それほどの明るく、そして白いぼかしは紅葉の赤や茶色を囃し立てていました。千年前のご先祖様が感動し、そして私が感動する。同じく千年後の子孫たちが感動するのでしょうか。そう考えるとさらに趣深く感じ入ります。今回の講義も千年以上前の女性のご先祖様の素晴らしさを知ってもらいます。哲学は二千年以上前の異国である古代ギリシャの賢人を知ってもらうものです。こうした視点を学生の皆さんに持ってもらいたいと願っています。

 それでは4回目の講義を始めます。

配布プリント 
:ミレーの「種を蒔く人」の画像

  --講義内容--

 前回は、「物語(神話)+努力や苦悩=来歴」を示しました。代表例が、神武天皇の日本建国の詔にある内容が、国旗と国歌の来歴として結びついている点でした。今回は、日本女性の素晴らしさを国史(日本の歴史)から取り上げます。それは、物語で男女の役割の違いが示されていたように、日本では男女で一組、という考え方があります。対して『聖書』では、人は男性を指し、女性はその付属物という物語があるからです。日本の善は男性だけではなく女性が別の側面から互いに支えて初めて成り立つのです。
 古代、中世、近世、近代に分けて幾つかの具体的な例を挙げて説明していきます。
 最後に、何度も繰り返しになりますが、日本人が日本の善をもって他国の善や体制を批判するのは、学問ではないことを付け加えておきます。以下の内容は、静岡県袋井市でのミニ講話で使用した資料となります。

「日本の女性の素晴らしさを知ろう」

 皆様、こんにちは。今回は「日本の女性」です。大和撫子として世界で有名ですが、その本当の意味に迫っていきたい、と思います。
まず、前回に述べた推古(すいこ)天皇から、最後に明治期の女性を述べていきます。現在、日本の歴史は敗戦による影響から書きかえられています。まず、日本の歴史(国史)の本質を述べ、古代、中世、近世、近代における女性の素晴らしさを取り上げていきます。

一.日本を創り出した女性 推古(すいこ)天皇 (古代)

世界一永い国家のわけ:皇室が権力を遠ざけて、優秀な人に預けてきたから。

 言い方を換えれば「権威と権力の分離」です。これは、

物語としては、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の天孫降臨時の「国譲り神話」(信仰の自由)
政策としては、仁徳天皇(第十六代)の「民のかまど」(最古の堤防など大規模灌漑と無税)
制度としては、推古天皇(第三十三代)の聖徳太子の摂政政治 

 で結実します。

 前回、「皇室は権力を放棄し、権威だけの存在になっていった歴史」を述べました。日本は皇室の下に皆一緒に暮らすのですが、皇室が権力を放棄する、という世界でも誠に珍しい制度を採っています。藤原の摂関政治から鎌倉、室町、江戸幕府の征夷大将軍の任命、明治政府、現在の日本政府でも天皇陛下の任命に基づいています。逆に、天皇陛下による任命がなく日本全体の権力を握った者は、日本の歴史上存在しません。これに反対しようとしたのが平将門で自ら「新しい天皇=新皇」を名乗ります(第六十二代村上天皇の御代)。僅か2年で打ち取られました。

 この「皇室が権力を放棄する制度」は、推古天皇が始められたのです。御存知、聖徳太子を初めての摂政に任ぜられました。これ以降、日本の歴史は権力者を天皇が命ぜられる制度が、現在まで続きます。ただ、第14代仲哀(ちゅうあい)天皇の摂政が神功(じんぐう)皇后であったとの説もあります。その後、摂政は制度として継続しませんでした。初の女性天皇であらせあれる推古天皇が、思い切った改革をされました。まず、歴史から見ていきましょう。

神武天皇即位紀元(皇紀):日本建国から始まる暦 敗戦前まで使用「紀元」
キリスト教暦      :キリスト誕生から始まる暦 敗戦後は「紀元」になる

第1代  神武天皇:皇紀元年  2674年前 キリスト教暦B.C660年 
第16代 仁徳天皇:皇紀973年 1701年前 キリスト教暦A.D313年
第33代 推古天皇:皇紀1252年 1422年前 キリスト教暦A.D592年

推古天皇の偉業を世界史の中で見ていきましょう。世界の歴史は戦争の歴史です。つまり、民族の生き残りを掛けた戦いの歴史であり、現在もそれが続いています。そのような多民族地域で民族を生き残らせるためには、3つの方法があります。

ア)上下の階層化 :力が強い場合は支配層に、弱い場合は被支配層に入る 
例) 地域で印度、支那、欧米、イスラムなど大多数
イ)専門への特化 :土地や軍隊を持たず教育や金融に特化して生き残る 
例)ギリシャ人、ユダヤ人など少数
ウ)権力の放棄 :権力と権威の分離で一体化、優秀な指導者の輩出 
例)日本のみ

 権力の放棄によって優秀な聖徳太子は、当時、ローマをも凌(しの)ぐ世界最強最大の帝国隋(ずい)から完全なる独立を世界で初めて勝ち取ります。鎌倉時代の元寇(げんこう)の際には、北条時宗という優秀な指導者が日本を守ります。皇室自体は血統で継承されますから、たまたま、凡庸な天皇陛下の時代に外敵の襲来があると日本が滅びてしまったでしょう。新羅(しらぎ)など支那や朝鮮の国家と争いながら国内では物部氏による権力闘争が行われていた時代です。聖徳太子はそういう危機感を乗り越えたのです。「外交関係の安定(遣隋使)」、「才能による人材採用(冠位十二階)」、「法治主義の導入(17条憲法)」などを成立させました。現代の日本を支える制度を導入しました。これが推古天皇の下に行われたのです。男系で女性天皇は西暦6世紀から8世紀に集中しますが、「皇室が権力を放棄する制度」に基づいて優秀な指導者に権力を渡していく時代でもあります。日本国の存続を守った時代であり、その根本制度を創造したのが推古天皇なのです。
 日本が現在のような「皇室は権力を放棄し、権威だけの存在になっていった歴史」を作り出す最初に、女性があったのです。女性の素晴らしさには感謝しきれません。

二.日本の教養の高さを示す女性 紫式部など (中世)

 江戸時代(18世紀末)の江戸の識字率は70%を超えている、という説があります。世界で最も反映していた国家であったフランスやイギリスを見て見ましょう。パリ10%、ロンドン20%でした。70%ですから、当然女性の識字率が高かったのです。証拠として江戸時代と現代日本は、世界で最も印刷物の多い国家が日本という客観的な事実があります。江戸時代、ヨーロッパ諸国は世界を支配しようと覇権を争っていました。その世界で覇権を争ったヨーロッパ諸国全てを合わせたよりも日本一国の方が出版物の量が多かったのです。また現在まで新聞の発行部数世界No1(読売),2(朝日),4(毎日)、6(日経)、9(中日)です。3位はインドの「The Times of India」で5位は中国の「参考消息」です。識字率の高さと共に読書の質の高さが判ります。
それを支えたのが寺子屋でした。寺子屋は男女関わりなく入れました。江戸では女性でも文字を読めないと結婚などに不利であったと言われています。西欧のように女性が文字を読めると結婚に不利ではなかったのです。女性の教養の高さは世界史の中で輝いています。日本は幼少の頃から礼儀正しく、清潔な国家であると戦国時代から現在まで評価されています。幼少時の教育は何と言っても母親の教育が大きいのです。日本女性は日本の美点を創り出してくれているのです。

その原点を探ってみましょう。まず、女性の教養の高さが世界で断トツでした。御存知、紫式部の『源氏物語』は約1000年前の文学です。ヨーロッパで女性が王位を継承できた数少ない英国とスペインです。他国は100年前まで女性が王位に就けませんでした。この英国で女性による長編小説で『源氏物語』に匹敵する作品は、約160年前(西暦1847年)まで待たなければなりません。エミリー・ブロンデ著『嵐が丘』です。他国はさらに遅くなります。

もう1人の中世の女性を取り上げましょう。

太田道灌(どうかん)と関東平野の農家の娘の話をご紹介します。
太田道灌(おおたどうかん)という室町時代(西暦1432~1486)の関東の武将は、江戸城の基礎を作った人です。太田道灌に山吹のお話があります。落語になっているので御存知の方も多いかもしれません。
鷹狩をしていてにわか雨に合い、道灌は農家にいって蓑(みの:カッパのような雨よけ)を借りようとします。すると少女が出てきて山吹の花を一輪出したのです。道灌は山吹の花ではなく蓑を借りたいのだ、と帰ってしまいます。道灌がこの話をすると近臣(部下)は『御拾遺和歌集』(第七十二代白河天皇の御代、西暦1089年完成)の歌を紹介しました。

「七重八重花は咲けども山吹の(実)みのひとつだになきぞかなしき」

意味:山吹の花は、沢山の花弁があるのに実をつけないのが悲しい
農家の小女の意味:蓑(みの)がないのが悲しい、ので申し訳ありません。

みのひとつだになきぞ ⇒実が1つもない ⇒蓑が1つもない と変換したのです。
この歌は太田道灌の四百年以上昔の本です。400年前の本をしっかり読んで変換したのです。

○おもてなしの心

その変換をする理由があります。それは「ありません」というのは相手に申し訳ない、恥ずかしい、から直接言葉にしないためです。このような奥床しさは、日本の心です。現在では東京オリンピックで「お・も・て・な・し」という言葉が少し前に流行りましたが、その根本になる日本の心です。道灌は己の不明を恥じて歌道に精進したそうです。日本女性の奥ゆかしさ、美しい心が1000年を超えて変わっていないのが判ります。
もう1点、同時の首都京都から遠い農家の娘が文字を読めた、ということです。しかも、農家の娘は本をきちんと読み、意味を正確に理解し、武士という支配階級と知識を共有していたのです。
当時、文化の中心は京都、権力も室町という京都でした。その中心から歩いて何日も掛る関東、支配層ではない農民、男性ではない女性が、これだけ立派に文字を読むことが出来たのです。識字率がどれ程に高かったか、が判るでしょう。私(高木)はヨーロッパ史やアジア史などに詳しくないですが、中世に当時の支配層の持つ知識水準を首都から数日離れた場所の、街ではない、女性が持っていて自在に使いこなしていた、という話を聞いたことがありません。日本女性の教養の高さ、同時に奥床(おくゆか)しさに、ただただ感動するだけです。
対して西欧の19世紀の農民を見てみましょう。「落ち穂拾い」や「晩鐘」などが有名なミレーが「種を蒔く人」を出展して賛否両論の渦を巻き起こしました。ミレーは農民の労働の尊さを絵にしただけでしたが、賛否両論から、19世紀の農民の扱われ方が見えてきます。農民は美の対象になることはけしからん、というのです。フランス革命(1789年)で民衆が主役になった150年後でも、農民は美の対象として扱われていなかったのです。日本では道灌のお話が残っているようい、1400年代から、農民も女性も美しい話の主役だったのです。

三.堂々と生きる見事な女性 :戦国時代の女性たち (中世から近世)

次は戦国時代に移ります。戦国時代、ヨーロッパからイエズス会の神父たちが来て、日本を記録しました。世界支配とキリスト教に基づく奴隷化を目指していましたが、日本は無理である、と結論付けています。道徳心が高く清潔で素早い技術習得や独自の文化があるためです。日本は世界の中で特別な国として記録されています。その中で見事に生きる女性について書き出してみます。

○乗り物と服装
「ヨーロッパの女性は横鞍(よこぐら)または腰掛に騎(の)っていく。日本の女性は男性と同じ方法で馬に乗る。」(ルイス・フロイス『日欧文化比較』)

 江戸時代に女性は横鞍や腰掛の騎乗方法になりますが、男性と同じく正面を向いた騎り方でした。この時代の小袖(こそで:和服の元)は幅がゆったりとしていました。そのため馬乗りも可能でしたし、堂々と生きていました。同じくフロイスから引用します。

○歩き方
「ヨーロッパでは夫が前、妻が後になって歩く。日本では夫が後、妻が前を歩く。」
○外出
「ヨーロッパでは妻は夫の許可が無くては、家から外へ出ない。日本の女性は夫に知らせず、好きな所に行く自由をもっている。」
○財産
「ヨーロッパでは財産は夫婦の間で共有である。日本では各人が自分の分を所有している。時には妻が夫に高利で貸付ける。」(例えば、フランスでは1965年まで妻は共有財産の管理権は認められなかった。つまり、結婚すると全て夫の財産になる、の意味)
○離婚
「ヨーロッパでは、妻を離別することは、罪悪である上に、最大の不名誉である。日本では意のままに幾人でも離別する。妻はそのことによって、名誉も失わないし、また結婚もできる。汚れた天性に従って、夫が妻を離別するのがふつうである。日本では、しばしば妻が夫を離別する。」(注:妻の離婚権を認めていた、の意味です。イエズス会を含むカトリックでは死別以外の離婚を認めないので布教の大きな妨げとなりました)

ちなみに、日本における離婚の割合が最も高いのは統計を取り出した明治16年、明治39年~41年で4割前後に達します。その後、離婚率は低下しますが、離婚しても女性は家長制度によって経済レベルを落とさずに済みました。「働かない男、女と何時までも一緒にいるのは子供のためにならず、早く離婚しなさい」という道徳がありました。現在の日本では「離婚すると養ってくれる人がいないので子供のために我慢して離婚しない」という女性は多いのではないでしょうか。
戦国時代は、○乗り物と服装、○歩き方、○外出、○財産、○離婚、など現在の女性とほぼ同じ生き方が出来ていたことが判ります。また、結婚も女性から言い出すことが出来たという記録もあります。堂々と生きる見事な女性たちが日本に居たことが伝わってきます。(菅原正子『日本人の生活文化』参考)

四.世界の一等国を生み出した女性:明治時代の女性(近代)

 西欧列強がほぼ世界を支配する中で、独立した数少ない国であり、最も大きい国でした。そして世界史で始めて西欧列強の最強国ロシア帝国を打ち破り、西欧列強の世界支配を終わらせた国として世界史に記録されています。その原動力はどこにあったのでしょうか。日本人の言葉ではなく、西欧列強の人々の言葉に耳を傾けてみましょう。
スコット南極探検隊の映像記録を残した写真家ポンティングは、明治34年から35年に日本で写真撮影を行っています。その時の回顧録が『英国人写真家の見た明治日本 この世の楽園・日本』として出版されています。この本の「第八章 日本の婦人について」などから引用してみましょう。ちなみに彼の写真は西欧列強で大盛況でした。

「中国やインドを旅行すると、何か月も婦人と会話を交わす機会のないことがある。それは、これらの国では召し使いが全員男で、女性が外国人の生活に関与することは全くないからだ。しかし、日本ではそうではない。これははるかに楽しいことである。日本では婦人たちが大きな力を持っていて、彼女たちの世界は広い分野に及んでいる。家庭は婦人たちの領域であり、宿屋でも同様である。」

 戦国時代と同じく明治時代、女性の社会進出が進んでいたのが判ります。社会進出が世界一進んでいましたが、今後は家庭に目を向けてみましょう。ポンティングの「家庭は婦人たちの領域であり」の言葉を追ってみましょう。

「彼女(注:妻)は独裁者だが、大変利口な独裁者である。彼女は自分が実際に支配しているように見えないところまで支配しているが、それを極めて巧妙に行っているので、夫は自分が手綱を握っていると思っている。そして、可愛らしい妻が実際にはしっかり方向を定めていて、彼女が導くままに従っているのだけなのを知らないのだ。」

 お釈迦様と孫悟空のようです。もちろん、女性がお釈迦様です。現在でも日本では妻のことを「かみさん」と呼びます。では次に「彼女たちの世界」を追ってみましょう。

「過去の日本において、男子と婦人の相対的地位がどうであったにせよ、いろいろな職業で婦人たちが男子と完全に匹敵することが実証されているので、近い未来にはほとんど他の国と同じように、男子と婦人とは同等の立場に立つことになるだろう。」

 この文章を読むと、ポンティングは一見、「敗戦後のフェミニスト(男女同権主義者)」のように見えます。しかし、次の一文を見てみて下さい。女性の賢さが日本を一等国に押し上げた原因とします。

「(日露)戦争のとき日本の婦人たちが、国家のために男子に決してひけとらないほどの重要な奉仕をしたことを、全世界に示すことが出来た時代になったにもかかわらず、日本の婦人たちが選挙権を要求して騒ぐようになるのは、ずっと先のことではあるまいか。
 日本の少女が近代的な教育方法の下で、控え目な態度をいくらか失ったとはいえ、女性としての優雅さと愛嬌まで失うことは決してあり得ないだろう。」

 日本国の国運を掛けた日露戦争に勝ったのは男子の力だけでなく婦人の力が同じくらいであった、と述べ、その後に、女性に適した役目に徹することを述べています。日本が西欧列強の人種差別植民地主義の中で、人種差別放棄の法案を世界で初めて提出し、植民地を唯一持たなかった国であったのです。このように世界の例外中の例外なのに、世界史で習ったように世界の3大大国として認められた原因が、「婦人(女性)である」とポンティングは述べています。
さらに、ポンティングは、日本女性の優雅さや愛嬌が日本の魅力であり、素晴らしさであると述べています。

「日本の婦人は賢く、強く、自立心があり、しかも優しく、憐(あわ)れみ深く、親切で、言い換えれば、寛容と優しさと慈悲心を備えた救いの女神そのものである。」

 絶賛です。

 先ほどの日本の婦人は救いの女神だ、という一文に「憐み深く」が入っていたのが思い出されます。婦人の抑制した態度には賢さが見られます。女性の素晴らしさは英国人だけでなく日本の男性も褒め称えています。「母親の賢さが日本を強くした」という黒木陸軍大将(日露戦争の第一師団団長)はポンティングに述べています。ポンティングはこの言葉を聞いて「今まで見た日本を思い出した」と記します。黒木大将の言葉です。

「日本の兵隊の挙げた業績について話すときに忘れてはいけないのは、これらの行為を成し遂げたのは決して日本の男子だけではないということです。もし我が国の兵隊がその母親から、義務と名誉のためにはすべてを犠牲にしなければならないという武士道の教育を受けなかったら、今日の成果を挙げることはできなかったでしょう。日本の婦人は非常に優しく、おとなしく、そして謙虚で、これからもつねにそうであって欲しいものだと思います。また、それと同時に大変勇敢であり、我が国の兵隊の勇気は、大部分、小さいときにその母親から受けた教育の賜物(たまもの)です。一国の歴史の上で婦人の果たす役割は大きく、どこの国でも、もし婦人たちが、何にもまして勇敢で優しく謙虚でなければ、真に偉大な国民とは言えません。兵隊と同様に、日本の婦人は国に大きな貢献をしているのです。」
 この黒木大将の言葉のすぐ後にポンティングは言います。

「老将軍の静かな声で、婦人の雄々しさを讃(たた)える言葉を聞いていたとき、私の心の中には日本で見た色々な光景が甦(よみがえ)ってきた。・・・(中略)・・・『日本の婦人は世界一です。皆で乾杯しましょう』。私はラフカディオ・ハーンがこれと同じことを言っているのを再び思い出した。」

 帝国陸軍は世界一の軍隊でした。規律正しく勇猛で、世界を平等と平和に導く戦果を挙げました。そのため日本は世界の一等国になったのです。戦闘が強いだけで理想を持たない国家は一等国として認められません。その原動力に婦人の力が大きかった、とポンティングは述べています。現在まで続く日本の高い評価にも、婦人の力が大きいことが推測されます。英国の実施するホテル業界のアンケートでは「最も礼儀正しい国民No.1」や「最も来て欲しい国民No.1」などに選ばれ続けています。日本の女性は日本の善さの原動力だと思います。

 推古天皇の「権力を放棄する制度」の創造に始まり、教養の高さ、活き活きとした生き方、礼儀正しさや勇敢さなど日本の善さを作りだしてくれた大勢の女性がいたのです。そしてその素晴らしさを私達が受け継いでいるのです。御先祖様に感謝致します。
以上が「日本の女性の素晴らしさ」です。ご拝読有り難う御座いました。

更に詳しく知りたい方に

菅原正子 『日本人の生活文化』:活き活きと生きる女性の姿が見えて来ます
ハーバード・G・ポンティング 『英国人写真家の見た明治日本』:写真が美しいです

 をどうぞ。

 過去の講演録にはなかった、ミレーの「種を蒔く人」を入れるなどしました。
 日本の来歴に女性が大きな役割を果たしてくれていることを示せたと思います。

 最後に問ですが、

問1 江戸時代末期の江戸の識字率はどのくらい? →70%以上
問2 商家は5人の長男、長女、次男、次女、三男の誰に財産を譲る? → 長女
問3 感想 →各々で「哲学4-2 学生コメント集」に
 
 となりました。

 以上です。

講義録4-2 学生コメント集

 学生が書いた感想などと高木の返信をまとめたものです。

 学生の書いた本文はそのままで、誤字脱字等は直します。高木が補足する場合は()を付けます。○は学生のコメント、★:は高木のコメントです。△は補足です。

○=(イコール)が「は」のことだと言っていたけど、死ぬは人以外は死なないみたいだけど、B=Aは成立するから違うと思った。

★なるほど。事前に説明したように、論理学の三段論法を簡単に説明しているので、幾つかの条件を外しています。是非ともしっかりしたものを本で読んでみて下さい。

○だがしかしにツインテールは居なくないですか?

★えーと・・・サヤ師がいいですね~。遠藤ヤサ氏です。

○もう少し字を大きく書いてほしいです。

★次回から気を付けます。助言、有り難う御座います。

○メシマズなんですか?

★いや、めっちゃ旨いですよ~。幸せです。

○私は倫理的な恋がしたい。もう中身の無いやり取りはつかれました。

★深いですね。その経験から人生の味わいを感じ入って下さい。素敵な人を見つけて欲しいです。

講義録4-1 技術の基本要件の2つの矛盾 三段論法

 皆様、こんにちは。

 前回、道徳の根源についてお話をしたので、もう少し深めるためにクラス全員で3回声を出しました。

 「子曰く 性相近し、習相遠し」

「孔子先生が仰った。人は生まれた時は似たり寄ったりで近い。しかし、習慣によって性格が遠く離れるように違ってくる。」

 『論語』からのことばです。福沢諭吉が『学問のススメ』を書き、森信三が『修身教授録』を、古くは孔子が『論語』に掲載される言葉を残しています。学生の皆さんにかけらでもお伝えしたい、そんなことを考えて帰宅しました。

 それでは本文に入ります。

 講義連絡

配布プリント なし

 --講義内容--

 前回は、「冗長性」、「フール・プルーフ」、「フェイル・セイフ」と本質安全、制御安全、注意安全を説明しました。そこで出てきたのは、「フール・プルーフ」の本質安全と「フェイル・セイフ」の本質安全の矛盾でした。これは技術の基本要件の矛盾です。これにもう1つ矛盾があります。社会と技術との矛盾です。今回、丁寧に説明します。
 また、文章の書き方として、アリストテレスの三段論法を簡略化したものを提示します。単語のつながりと文章の広げ方などへと説明を広げていき、コミュニケーションの苦手な人の傾向も説明します。

 前回、意外にも高山正之著『変見自在 習近平よ、「反日」は朝日を見倣え』 「JR福知山線事故の真犯人は労組だ」 が好評価でしたので、今回の内容に沿うものを探しました。同著に「英語を話す人たちの程度を知ろう」があり、これを読み上げました。要点は以下の通りです。

1) 技術者が間違いのない製品を作っていても社会が罰金を科すことがある。トヨタへ1200億円
2) 技術者が欠陥品を作り死者が19人出ていても、社会が35億円で済ますことがある。GM社
3) 人の命の値段が国際政治によって7200億円にもなり、同時に99.5%も減って30億円に減額されることがある。TPPと武田薬品

 以上のように社会と技術の相克が現実世界なのです。事実を知ることが学問の第一歩ですから、出発点としておいて欲しいです。

 -技術の基本要件の2つの矛盾

①技術内の矛盾 : 「フール・プルーフ」の本質安全と「フェイル・セイフ」の本質安全 :効率上の矛盾 :如何に燃料が少ないか
②技術外の矛盾 : 社会と技術の矛盾                             :経済上の矛盾 :如何に安いか、如何に儲かるか
③思想上の矛盾 : 心理と技術の矛盾                                        :幸福とは何か

 と2つの矛盾があります。この場合、社会を排除することを想いつくかもしれませんが、社会を排除することは出来ません。なぜなら、「予見可能な事象」が社会によって決定されるからです。この場合の社会とは、地域、文化、歴史などであり、これらが変化することで「予見可能な事象」も引っ張られて変化するのです。

 --(昨年度の講義録より抜粋)--

-技術の基本要件の矛盾-

 私が3つではなく、6つに分けた理由があります。それは製造物の特性を安全対策に活かすためです。
例えば、回転ドアのドアですが、フール・プルーフの本質安全からすると、当然「軽い方が良い」ことになります。しかし、フェイル・セイフの本質からすると、「当然、強い方が良い」ことになります。
 結論として、軽いと強いは相矛盾します。軽い素材ならプラスティックを、しかし強度が弱くなります。他方、強い素材なら合金なら重くなります。このように、「フール・プルーフとフェイル・セイフは時として相矛盾します」。この材質選びの問題は、製造物を製造する場合に欠かせない問題であり、かつ、相矛盾する要素を取り込んで製造する製造物の相矛盾がぶつかり合う問題です。さらに、材料の価格などなど多くの要素が絡み合ってきます。つまり、技術の基本要件は、「フール・プルーフ」と「フェイル・セイフ」で根本的に矛盾しているのです。安全を6つに分け、それぞれ丁寧に要素を抜き出して検討する、というのが技術者倫理の価値ある議論ですし、最も重要な点の1つです。

-技術の基本要件と効率(経済)との相反

 もう1つ見逃せないのは、技術の目的「人類の繁栄への寄与(ベーコン)」があります。簡単に言うと、効率や経済のことです。電車の開閉ドアはアルミになりました。アルミは高い素材です。しかし、「フール・プルーフ」の軽い、と「フェイル・セイフ」の強いを多少兼ね備えている素材です。ですから、工学的安全を満たすためによく使われる材料です。しかし、高いので効率・経済とは相反します。この指摘は他の識者や議論に取り上げられます。ただし、技術者倫理からすればそれは本質の議論ではないこと、上の議論で述べました。
 
 -自然科学の基本要件は矛盾しない

 もう少し補足します。自然科学は基本要件が1つに絞られています。逆に言えば、基本要件が1つに絞られていないものは、自然科学の対象とはなりません。例えば心です。例えば1回性の事象です。しかし、事故予防を考える場合、事故は1回1回であり、さらに人間の心が大きな要素であるのは間違いありません。それは前の記事で述べたように、製造物には社会の関わりが不可欠だからです。そして社会の判断が人間の心に依存している以上、技術の基本要件に心が入りこむのです。ですから、自然科学とは異なり、基本要件に矛盾があるのです。もちろん、心理学や経済学などの方法論的要件が緩やかさよりは厳しいものですが(この点にはさらに説明が必要です)。

ー科学哲学における1回性の事象と理論

 科学哲学では、自然科学の扱う事実と普通に存在者としてある人とを分けます。というのも1回性の事象というのは、事実ですが、自然科学の対象ではないからです(認めない科学哲学者もいますが)。1回性の事象を理論的事実に置き換えて、その上で数学的関係を求め、法則化します。それを実験で確認するのです。これが自然科学です。別の言い方をすれば、1回性の事象から「時間」なり、「長さ」なり、「重さ」なりを切り取るのが理論的事実です。これを次元の限定と言います。これが方法的には近似値や誤差によって支えられています。高校以上の理科実験をやったことがある人なら理解できるでしょう。高校の物理では、物を押すときに長さを考えませんでした。しかし、実際のものには長さがあります。物から「長さ」ではなく「重さ(質量)」だけを切り取ったのです(次元の限定)。長さがあれば回転偶力(モーメント)が生まれます。これらを合わせなければ実際の動きを考えることは出来ません。さらに、材料の性質(弾性、展性など)も考えなければならないのです。それゆえに、自然科学の扱う理論的事実とは1回性の事象を理論化することで生まれる、実際には存在していない理想的事実を対象としているのです。それゆえに、自然科学の基本要件では矛盾がないのです。具体的に言えば、自然科学の実験は、まず実験の意図(理論)があって始めて成立するものです。めったやたらに実験することなど不可能です。というのも次元の限定が出来ないからです。
 速足の説明になりました。詳しく知りたい方は、科学哲学のサーチ理論とバケツ理論を調べてみて下さい。

 -マクドナルドのドライブスルー

 話しは元に戻ります。有名な話があってマクドナルドのドライブスルーでコーヒーを買った人が熱くてこぼして太ももにこぼれてしまった。それで熱さ対策をしていなかったとしてマックを訴えた。それで結局1億円(実際は64万㌦の判決後、60万ドル以下の和解金)を払うことになった。
 マックのホットコーヒーを紙コップにそのまま入れると、人は愚かな行為をする、つまり、自分で注文しておいて、さらに熱いと解っていてもこぼす。さらにそれは「予見可能」なのである。だから裁判でお金を払うことになった。アメリカの行きすぎた裁判の現状もあるが、判断基準は日本でも同じく「予見可能」である。そしてその中に「人は愚かなことをする」と「物は壊れる」は入れなければならない。これから、マックなどは熱い飲み物を入れる紙コップにプラスティックのコーティングをするようになった。また、アメリカの電子レンジには「猫を入れないでください」などの注意書きもある。説明書が異様に分厚くなり、むしろ消費者のためになっていない、と考えて、アメリカの行きすぎた裁判の現状と述べた。
 身の回りを見渡してみると、例えば、静岡県にあるハンバーグ屋チェーン店「さわやか」では、ハンバーグに紙が巻かれ出てきて「鉄板がお熱いのでお気をつけ下さい」と言ってくれる。あれは親切でいうのではなく、言わないと訴えられるなどの問題があった時に困るからである。同じようにペットボトルにも色々と注意書きが書いてある。それも、ここ10年前後のことで、「予見可能」という技術者倫理の考え方が社会の中に具体的に浸透していっている一例と考えられる。同じような例が身の回りに沢山あるので探してみて下さい。

 --(昨年度の講義録より抜粋終了)--

 以上から、技術の基本要件の2つの矛盾が示せたと思います。他の例として挙げたのは、洗濯機へ子供が指を突っ込んで怪我をした場合です。昔ならば、大人の不注意が原因とされましたが、子供が指を洗濯機に突っ込むのは「予見可能な事象」である、と社会が変化すると、製造者は対策を講じなければならなくなるのです。

 それでは次に、三段論法に行きましょう。

 --(昨年度の講義録より抜粋)--

  3段論法は、アリストテレスによって整備されました。これを高木が松本道弘先生のディベート教室で学んだ経験や本等を参考にして以下のようにしました。

① 3段  = 事実、論拠、結論の3つが論理的文章には必要であること

② 論理性 = 事実と論拠と結論をそれぞれ結ぶ単語が必要であること

③ 方法  = 結論は、問いに対する回答、と考えて、結論⇒論拠⇒事実という順で探していく

 アリストテレス等が示した細かい要件がありますが、例えば格や型、時間の関係上、また実用上から省略しました。詳しく知りたい方は是非とも調べてみて下さい。

 それでは具体的に行きましょう。

 就職活動で必ず聞かれるのは「なぜ、わが社に入りたいのですか?」という問いです。

 この問いに、「給料が高いから」と述べてしまっては、ミスです。何故なら、論理的な説明がされていないからです。まず、聞かれていることに答えていません。答えていると回答者は考えるかもしれませんが、私はコミュニケーションが苦手な人は、自分の考えや事実だけを述べて回答している気になっている人が少なからずいると考えています。
 聞かれたことは、「なぜ? 入りたいのですか?」ですから「~だから、入りたいのです」という文が必要です。
 
 そして私は①結論から逆に発想していきます。

結論 :だから、社員を大切にするので御社に入りたいのです

 次に、②論理性は、単語がつながっていることですから、

論拠 :私は、給料が高いのは「社員を大切にすること」だと考えます。

 次に、②論理性は、単語がつながっていることですから、

事実 :御社は「給料が高い」です。

 結論と事実をひっくり返して並べてみましょう。

事実:御社は給料が高いです。
論拠:私は給料が高いのは社員を大切にすることだと考えます。
結論:だから、社員を大切にする御社に入社したいです。

 日本語は省略の多い言語の1つですが、きちんと順を追って説明すると少々言葉が多いですがこのようになります。
 次に1つ1つ解説します。

 事実は、「客観的事実」や「万人共通」を探します。 新聞や官報や本を引用したり、実験系がデータを出すのは事実を探すためと考えます。

 論拠は、私の考えを持ってきます。私の考えですから特殊なものですし、他の意見も併存する可能性があります。理論系は実験系の出したデータを元にしてアイディア勝負をしますが、この論拠の争いになります。また理系の論文が多くの研究者が連名で提出しますが、実験系と理論系を大勢で担うからです。現在の論文提出はスピード勝負になっていて大勢で担うことで1秒でも早く出せるのです。

 結論は、聞かれたこと、を意識するのが良いのではないか、と最近考えるようになってきました。聞かれたことは、誰か、もありますが、現在の日本の状況や専門分野の現状などから、導き出される聞かれたことがあると思っています。現在、私はポパー哲学研究会という科学哲学者ポパーの日本の専門家たちの集まりに論文を提出して、審査を受けています。1人目の方には「現在の状況にあっている」とコメントを頂きました。それは福島原発の事故対策に何とかポパーの考え方を生かせないか、と考えたからでしょう。そうしたものが現在の日本の状況で聞かれていると考えています。

 少し踏み込みましょう。論拠は私個人の考え方になりますから、以下のようにもなります。

事実:御社は給料が高いです。
論拠:私は給料が高いと大変やる気が出ます。
結論:だから、やる気が持てる御社に入社したいです。

 「やる気」以外にも「両親を安心させたい」や「家族を養える」などでもOKです。事実は万人共通ですが、論拠は私個人の考えを書く。それによって自分の気持ちを表現できます。そこに主張者の個別性が出て来ます。また、就職の面接官なら、「じゃあ、他にやる気が持てるケース(事実)はありますか?」などと広げていくことが出来ます。

 先ほどコミュニケーションのことを素人考えで書きましたが、それは私自身のオタク仲間との会話を振り返った方です。

 「このアニメ、モー最高なんだよ!」
 「めっちゃ、このキャラ可愛いよなぁ~!!」

 という言葉は、私の感想であり論拠です。しかし、万人共通の事実がなければ説得性にかけますし、何より感情の投げかけで共感できない場合は、コミュニケーションが成立しません。「このアニメの、あのシーンのあのセリフは、例えば文学でいえば、誰誰の本と共通しているよね」という万人共通の事実を上げていくと会話も広がりやすいのではないでしょうか。
 また、結論が無いことも指摘できます。つまり、「聞かれたこと」になっていない。相手が聞いてもいないのに、聞かれたこと、を言ってしまうとコミュニケーションが成立しないのです。相手との会話の中で聞かれていることは変化しますが、大体の方向性は決まっています。その方向性から聞かれたことが出てくるのに、自分の思いつき(論拠)をバッ!!と出してしまう。結論を意識していないからこそ、起こってしまうコミュニケーションの不成立。流行っている音楽の話をしているのに、「アニメの音楽はすっごく良いのがあってみんな聞かない。どうしてなんだろう」という風に音楽の話から連想した、社会的問題=みんな聞かないという理由に置き換えてしまうのです。
 以上が素人考えですが、3段論法から考えてみました。

さて、3段論法②単語のつながりを記号にしてみましょう。
事実:論拠:結論:。


事実: A = B : 「御社(A)」は「給料が高い(B)」です。

論拠: B = C : 私は「給料が高い(B)」と大変「やる気(C)」が出ます。

結論: C = A : だから、「やる気(C)」が持てる「御社(A)」に入社したいです

 この説明をした後で問題を出しました。

 問3 結論を書きなさい。

事実: 人は死ぬ     
論拠: 私は人である  
結論: 

 回答:人は死ぬ

事実: A = B : 人は死ぬ     人(B)=死ぬ(A)

論拠: B = C : 私は人である   私(C)=人(B)である

結論: C = A : 私は死ぬ     私(C)=死ぬ(A)

 となります。次に何でも良いので3段論法で書いてもらいました。

 問4 3段論法で文章を書きなさい。

 ヒントとして出したのは、以下の文章です。

あなたは、ツインテールである。

私はツインテールが好きである。

だから、私はあなたが好きである。

 少し笑いが起きました。先ほども書きましたが私はアニメ「らきすた」では「かがみん(キャラ名)」が大好きなので、ツインテールの話をしました。自己紹介をしていないのですが、高木は漫画やアニメやゲームが大好きです。この点から強引に学問につなげてみましょう。


 -論理の問題と意味の問題-

 私が「らきすた」の「かがみん」が好き! 「ツインテールが好き!」

 と言うと教室がざわつきました。ざわつくのは当たり前だと思います。しかし、それは意味の観点から文章を読み、説明を聞いているからです。冒頭に述べたように論理=言葉のつながり、として観れば、「ツインテール」を「優しい」に置き替えても何ら問題はありません。論理とは文章同士の単語のつながりを意味します。ですから、単語の意味内容、単語の持つ社会的内容には関わりがないのです。

 現在の日本では、「ツインテールが好き」というとヲタクに分類されます。ヲタクとはサブカルチャーであり、あまり一般的ではなく社会にそのまま受け入れられていない文化、という社会的内容を含んでいます。また、社会現象になり神社の参拝客が増える、キャラグッズが神社で売られるなどを引き起こしたアニメである「らきすた」は社会の主流の文化とアニメ文化との懸け橋となる存在でもあるのです。
 いくら論理の問題を説明しているとはいえ、社会的内容を考慮してしまうのは社会に適応する上では重要なことです。しかし、だからこそ、誤解を生じやすいのです。それゆえ、敢えてヲタクのキーワードを出しました。講義に関係ないことである、と私の趣味を隠しても良いのですが、教育的効果があると考えたのです。
 もちろん、私はアニメや漫画が大好きで、個人ブログでそうした趣味について色々と書いています。今期は「波打際のむろみさん」というアニメが好きで、毎週土曜日深夜が待ち遠しいです。

 また、補足を2点入れました。

ーヲタクのコミュニケーションの不味さ

 ヲタク、と言われている人々は、私もそうでしたが、自分の考えだけを語る人が多い。3段論法の「論拠」だけを語るのです。「かがみんは可愛いよなぁ。最高だよね。あの性格が大好き」と。しかし、それを万人共通の事実を付け加えないのです。そもそもアニメを観ていない人には「らきすた」? 「かがみん」?と言われて、「可愛い」と言われても会話にならないでしょう。例えば、「源氏物語の紫の上とこの場面に現れる性格とよく似ていて可愛い」と言えば、「源氏物語」を知っている人と会話が広がるのです。私は「源氏物語」は後半の自立した女性が描かれているのが最も素晴らしいと思いますが、それを現在の男女対等(平等ではなく)に結び付ければ、面白い会話が出来るのではないか、と考えています。ヲタクの人のコミュニケーションの下手さの原因の1つは、論拠=私の考えだけを主張し、万人共通の事実で話の広がりを持たせない点にあるのではないか、と言いました。

ー人は外見を大いに気にするのでコミュニケーションを大切にするのなら、まず外見を

 私は髪の毛の色を赤、青、白、黄、緑、ピンク、紫としました。日本全都道府県を旅行していた時に、緑の髪の毛で緑っぽい全身の服のことがありましたが、驚かれて話しかけられたことがありました。静岡では真っ赤な頭でありました。東京では、スーッと流されるか写真を撮られるくらいです。地域性があるのですが、やっぱり外見が重要なことを体験を通して知りました。ちなみに、日本人に一番似合うのは緑色だと思います。色々な人に写真を見せて見比べてもらいましたが、同意してくれる人が多いです。
 心の中を他人は決して見えないものです。他人が見えるのは行動だけ。ですから、外見は大切な第一歩ということで、コミュニケーションを大切にするなた、外見もきちんと整えて、計算して言って欲しい、と言いました。

 三段論法は初回でした。学生に板書してもらったものを、直して説明しました。多くの学生が興味を持ってくれたことが、感想で判りました。今後も続けていきたいです。

 以上です。

哲学3-2 学生コメント集

 学生が書いた感想などと高木の返信をまとめたものです。

 学生の書いた本文はそのままで、誤字脱字等は直します。高木が補足する場合は()を付けます。○は学生のコメント、★:は高木のコメントです。△は補足です。

○先生はどのようにして本を選んでいますか? いつも紹介して下さる本がおもしろいので、教えて頂きたいです。

★有り難う御座います。大学時代はなるべく文字の少ない本を読んでいました。乱読は良いですよ。それと現在は3つの基準で選んでいます。①勧められた本は必ず読む。年を取ると自分が偉いと思ってしまいますから特に。また、乱読で幅広い視点が持てます。②信頼する識者の紹介している本を読む。故伊與田覺先生、中村勝範先生、占部賢志先生、青山繁晴先生などです。③気に入った人の本は全て読む。著者も人間ですから、素晴らしい本からちょっとこれは、という幅があります。全部読むと最もいい本が判ります。司馬遼太郎氏、海音寺潮五郎氏、米澤穂信氏、江藤淳氏、吉村昭氏、青山繁晴氏、塩野七生氏などです。多すぎるので半分くらいは河合隼雄氏、ひろさちや氏、銀色夏生氏などです。今、最も大切にしているのは、①の勧められた本は必ず読む、です。授業で勧めた本で1冊読んでもらえれば嬉しいです。

○自分の家の母は外でも内でも父より上です。先生も同じような感じになりそうな予感がする。

★(笑) そうですね、そうですよ。もーかみさんの頭あがりませんよw

○高校の頃から歴史が大の苦手ではありましたが、事実から述べていくこの授業において、どれだけ来歴が現在に影響しているかを知りました。改めて歴史を勉強したいと思います。

★嬉しいです。講義を聴いて新しい視点や疑問を持ってくれること、それが私の講義の最も良き理解者だと考えています。時には私に直接聞きに来てくださいね。

哲学3-1 日本の美と善 国旗と国歌 物語と来歴 

 皆様、こんにちは。

講義連絡

配布プリント B4 2枚
:『口語訳 古事記』 訳・注釈 三浦 佑之 神代篇 其の一 2 6-9, 其の五 9 0-3
:『世界の国歌』  国歌研究会編  頁と国名の抜粋。12(アメリカ合衆国),20(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国),100(フランス共和国),(中華人民共和国),朝鮮民主主義人民共和国,インド

回覧本
:『世界の国歌』  国歌研究会編 


 --講義内容--

 今回は特に講義内容が多いので、取り上げてない内容が多いです。また、クラスごとに内容が異なりました。
 前回、物語が私達の日常生活の基礎を支えていることを確認しました。今回は、物語が基礎となって、それに努力や苦悩が合わさって出来た「来歴」を説明していきます。「来歴」は文化や歴史な国の体質、民族の固有性などと言われます。日本の場合、それが最も現れているのが、国旗「日の丸」と国歌「君が代」です。両者に共通するもの、そしてその中にある物語の部分を読み取って欲しいです。さらに他国と比較してみて、日本の国旗と国歌の欠点や限界なども観えてくるでしょう。今回は国歌しか比較できませんが、国旗でもしてみると面白いと思います。

講演のレジュメがあり、国旗の比較があります。
「講演「日本について考える -国旗と国歌の素晴らしさ- 基本資料」
:http://takagikenziro.blog.fc2.com/blog-entry-327.html

 それではまず、物語と来歴の違いについて説明しましょう。 詳しく知りたい方は、坂本多加雄著『問われる日本人の歴史感覚』を参照ください。

 物語 + 努力や苦悩  = 来歴  

ポイント
 :同じ物語でも民族や時代によって来歴は異なる

例えば、『聖書』の中で禁止されている偶像崇拝
                                     偶像崇拝禁止
 『聖書』 +メソポタミア人の苦悩 =消滅           : OK
       +ユダヤ教の苦悩 =現在のユダヤ教      : △
       +西欧人の苦悩  =現在のローマ・カトリック : OK
       +アラビア人の苦悩=現在のイスラム教     : NO

 仏教  + 日本人       = 禅宗            : NO
      + 日本人       = 浄土宗           : OK

 となります。
 このように物語では禁止されていても、時代や地域や民族の苦悩や努力によって、正反対になることがあります。他には、預言者モーセが同じく神から「神の名を濫(みだ)りに唱えてはならない」とされているのに、ハリウッドの映画を始め、多くの西欧人、特にアメリカ人は「ジーザス!!(イエス!!)」や「ファーザー(父なる神)」を唱えています。物語に反するから、西欧人が悪い、のではない、という点に留意して下さい。物語とはそもそも、それだけでは美や善を生み出すものではないのです。苦悩や努力の結果によって染み出てくるものなのです。私達が哲学で、真・善・美を取り扱う時、それは物語ではなく来歴なのです。

 さて、それではまず、日本人の美と善について、季節を大切にする点について見ていきます。

 --(昨年度の講義録より抜粋)--

―台風と日本の季節感

皆さん、こんにちは、今日もやっていきましょう。今日は少ないですね、台風のせいで。静岡駅から電車でいつもの倍ぐらい掛かりました。昨日はですね、「今日は台風でお休みかなぁ」なんて思いながら、先週の講義を思い出していました。日本の料理は3大料理の1つです。それは食材のこだわりの点で、全ての食材に旬がある、という点です。ちなみに支那料理は料理の下準備の点で、トルコ料理は食材の多さの点で3大料理としました。それから俳句のように季語を入れなければならない。世界で唯一です。これから日本は季節に対して敏感である、というのが判ります。季節を大切にする、これが善いことなんだ、あるいは美である、美味しいとは美しい、味と書きますね。そういう考え方が日本にあることが判ります。これは何故こうなるか? 原因は台風です。
 皆さん分かりますか?
 
 ここからは中学の理科の知識で解けます。シベリアは世界で最も寒い地方があります。朝鮮半島の北から寒気がやってきます。赤道付近からは暖気がやってきます。寒気と暖気がぶつかると雨が降ります。寒気が強いと寒くなり、これが冬です。暖気が強いと暖かく、暑くなります。これが夏です。日本はこの押し引きの中で2回の雨の季節が来ます。暖気が日本列島に迫ってくる時期が6月で、梅雨(つゆ)と呼ばれています。旧暦では5月。5月を皐月(さつき)と言い、「五月雨(さみだれ)」という言葉が残っています。反対に、寒気が日本列島に迫ってくる時期が9月から10月。「秋の長雨」などと言われます。この雨の時期に台風がやってきて激しく大量の雨を降らせます。これだけならば、南方のフィリピンなどと変わりありません。むしろフィリピンの方が台風が多くやってきますから、影響を受けています。
 ここで、日本の特徴が出てきます。4月から9月の旧暦の月名は、全て稲に関係するという説が有力です。稲の収穫時期が、丁度、寒気による雨の前線と台風が重なる時期なのです。稲は日本では年に1回しか収穫できません。南方のタイやバングラディッシュなどは年に2,3回収穫できるので、台風で1回収穫できなくとも、被害は軽くなります。しかし、日本では1年間の食料を確保する時期に、最も激しく強い雨が降り、川の氾濫などの2次災害も起きるのです。ですから、日本では生存のために、天気の移り変わり、を大切にしてきたのです。逆の言い方の方がより正確でしょう。
 「台風などの天気の移り変わりに敏感でなかった人々は、食料が収穫できず、生存を脅かされた」
 さらに、稲は南方と支那大陸からそれぞれ3,4種類の稲の原種が入ってきました。ですから、稲は南方の植物で、湖や沼地などに撒いておけば、後は実が生るまで手のかからない植物です。しかし、日本という別の気候と土壌に持ってきたので、田の整地などの灌漑設備が必要になりました。稲は種をそのまま田に植えると収穫量が減るので、種から苗を別の場所で育て、その後田に植えるという作業をします。種をそのまま撒くと寒いので収穫量が減るのです。稲の原種が南方からやってきたことに由来します。このように、稲は収穫時期のみならず、種まき時期、苗を植える田植えの時期などでも天候の変化を気にしなければなりません。それゆえ、日本人は季節の移り変わりに敏感になりました。
 これは、例えば、四季の始まる時期を見てみると良く理解できます。日本で最も気温が高いのは8月の第一週です。第一週か第二週に「秋」が始まります。立秋です。夏の最も暑い時期、つまりピークの時期に、秋が始まる、というのです。100の内、1,2だけでも秋が入り込んできたら「秋」というのです。あの、気が狂いそうになる暑さ、外を歩くと日陰でも汗が止まらない天気の中で、少しでも「秋」があるから、秋、というのです。東アジアからの留学生に聞いてみると驚いていました。日本人も季節以外は、割合が入れ替わった時を変化の時、とします。例えば、それまでの内閣不支持率0%で、内閣支持率が90%とします。内閣支持率が99%になって今後下がることが確実な時に、内閣不支持率が2%と増えてきたとします。この時、入れ替わりが起こった、とするのです。内閣支持率98%、不支持2%でも、今後不支持率が確実に増えるならば、この内閣は終わった、というのです。日本人が季節感についてどれほど、注目しているか、大切にしているか、重要視しているかが判るでしょう。
 文化で観てみましょう。茶道の茶菓子は、1年間に24パターンあります。それは季節によって変化します。ヨーロッパや支那のお菓子は、1年中ずーっと同じ。チョコレートも同じものを出します。しかし、和菓子は中身は一緒でも形を季節に合わせるのです。24パターン以上に変化させる場合もあります。また、その年の季節の変化、「今年は桜が遅い」とか「雪が早く降った」などに合わせることもあります。和服では、桜が満開の時期に、桜の着物を着るのは良いとされません。桜が1分咲き、2分咲きの時に、満開の桜の服を着るのが良しとされるのです。これも季節に敏感であることから来ています。
最初に述べた日本人は全ての食材に「旬」があると考える、というのも、食材の季節を大切にするのを意味しています。日本人は世界で最も、季節感を大切にするのです。私は日本の地理と台風の関係、さらに稲の由来から来ている、と推測しています。
台風で遅れる電車を待ちながら、こんなことを想いました。

これを哲学に置き換えてみましょう。
日本では、生存のための条件から、季節感を大事にしました。つまり、季節感を大切にするのが善である、という価値観に昇華したのです。これまでの、物語、行動、試練で置き換えましょう。この場合の物語は、地理的条件や稲の生育条件などです。こうしたものは、集団の生存の規定をするからです。その上の、人々の努力や苦悩や試練が重なり合っていき、来歴となったのです。つまり、季節感を大切にするのが善である、という日本の来歴は、古くからの日本人の苦悩や試練や努力によって造られたのです。その出発点が台風や日本の地理的環境や稲の生育条件、ということになります。

ー美とは

 つまり、美とは各地域の地理的条件によって形成されるのです。日本の場合は季節感です。そしてそれが、全ての食材に季節感がある、つまり旬がることになります。これは世界唯一です。俳句にも季語を入れないといけない。これも世界唯一でしょう。和菓子が最低24回季節によって変わる。これも世界最多ではないでしょうか。これらの繋がりをみてもらいたいです。同時に、人間が美を創り出すのですから、人間に共通の形式が美で概念化され、各地域を超えた共通点があるとも考えられます。共通点の割合を高く見積もる哲学者(カントなど)もいますし、全くない、という人もいます。以上述べたように私は両方、あると考えています。以上で、美は終了です。

ー日本の善とは

 では、次は善です。善はその社会が善いとしていることです。社会の目標と言ってもいいでしょう。それが込められるのが、国旗と国歌です。敗戦によって国旗と国家はその素晴らしい意味を教えられなくなりましたが、きちんと探れば出てきます。私は静岡市中央図書館に行き、開架の本25冊前後と閉架の本5冊に目を通しました。そこから善が浮かび上がってきました。まず、学生の皆さんに聴いてみました。


問3 国歌「君が代」の歌詞をなるべく漢字で書いてください。
問4 国歌に込められた意味を書いてください。
問5 国旗に込められた意味を書いてください。

 (問1と問2は、後に述べます。講義の順番と前後します。)

 国歌「君が代」の歌詞をきちんと漢字で書けた学生は200名強の中、2名のみでした。私の目が行き届かずきちんとかけていた学生が数名は居たかもしれませんが。書いてみます。

 「 君が代は 千代に八千代に  細石の巌となりて 苔のむすまで」

読み方補足 細石:さざれいし 巌:いわお

 国旗国歌に、私達の目標が込められている、のは言われれば気が付きますが、言われるまで気が付かない、というのが現状である、と学生の皆さんを見ていて感じました。これは毎年のことです。国旗は法律が1999年に成立し、国歌については既に教えなさい、と指導要領の中にありますが、実態は惨憺(さんたん)たる状況です。しかし、私は憂いてはいません。というのも、学生の皆さんに講義の後の感想を聞くと「国旗国歌の意味がきけて良かった。誇りに思う。」という言葉が沢山出てくるからです。言葉としては知らなくとも無意識の、あるいは魂の次元に善が入っているのです。ですから、これを言語化すればいいだけのことです。もちろん、早いことに越したことがないのは言うまでもありません。諸外国では長い国家を何度も歌わせる国もあります。東アジアの学生は国歌を良く歌うようです。私が接した学生の中で最も多いのはミャンマー(ビルマ)で大学では1日1回、小学校等では1日2回、しかも5分と長い歌を歌うのだそうです。日本の国歌を歌ってと言われ歌ったら、「短い!!短くて楽でいいな~」と言われました。実感の入った感想でした。さて、それでは国旗と国歌の意味についていきましょう。ここでは日本の目指すべき善に注目していってください。

―国旗と国歌に見る日本の素晴らしさ、の要点

○「君が代」に込められた意味 :民の代表が治める国で、1人1人の違いを認めながら仲良くしていきましょう。

○「日の丸」に込められた意味 :清い心で相手に本心で接して仲良くしましょう。

 これが日本の物語と苦悩や努力から生まれている、という社会背景は前回に述べました。「君が代」と「日の丸」とは日本における善を象徴しています。その善の意味は以上の通りであり、日本全体の善を捉えて、次に古代ギリシャの真・善・美について比較しながら学んで欲しいです。古代ギリシャと日本は同じく2千数百年前に誕生して、別々の民主主義を持った国です。諸要素はありますが、片方は特異化し、片方は権力と権威を分離することで生き残りました。
 また、今回は時代を千年以上下って、デンマークやイングランドなど1千年近い歴史を持つ国家の、国旗と国歌とも比較します。アメリカとも比較しながら、日本が「民を大切にする」や「話し合いを大切にする」という善を持っているのを知ってもらい、その上で、「こうした日本の善は、多民族社会で構成される現在、未来の国際社会の中で通用するのか?」を考えてもらいます。
私達日本人は、「日本人の善」を取り戻すだけで良いのでしょうか? 過去の来歴は物語に過ぎません。そこに現在生きている日本人の直面する苦悩や試練が入っておらず、努力によって新しい来歴を構築していないからです。同時に、「私はどう生きたら良いのだろうか?」や「私とは?」の問いの内在化、と内的確信が得られる、私は考えます。哲学を、あるいは思想を学ぶ意味は此処に尽きると考えます。
以下、出発点として、国旗国歌に見られる日本の善をお話していきます。

―国歌「君が代」の解説

 最初に「君が代」の意味をもう少し噛み砕いて書きます。

「君が代」の意味:
天皇個人を讃えるのではなく、天皇が何代にも渡って世の中を治めるのが素晴らしいです。なぜなら天皇が勅命で権力を貴族に任せるようになって安定してきたからです(君が代は)。そういう安定した世の中が末永く続きますように願います(千代に八千代に)。安定した世の中で、私達は1人1人違うことを認め合い、文化の違う人々とも仲良くするように努力していきましょう(さざれ石の巌となりて)。そうやって清い心を持ちながら新しいものを造って行きましょう(苔のむすまで)

―哲学上の価値
:美の前では権威も権力も関係ない
:話し合いによって合意を求める努力は善である
:人間には善と悪の両面がある

―詳しい解説
―「君が代」に見る皇室と政治権力
:『古今和歌集』では、「我君は、千代に八千代に・・・」でした。我君とは天皇個人のこと、「君が代は」は我君が続く代で、皇室の連続性を指す。『古今和歌集』作成を命じられた醍醐天皇は、「延喜の治」と言われるほど名君であった。醍醐天皇の時代は、天皇から権力が皇族に移った後、貴族に完全に移る時代である。皇室の権威と政治権力が切り離される時代であった。現在の日本も毎年首相が変わる点で政治権力は混乱しているが、皇室の正統性が日本国を混乱から救っている。イラク、エジプト、シリアなど権力と正統性が結びついた国々では、政治権力の混乱が国の混乱になる。フランスではルイ14世をギロチン台に掛けて権力と正統性の関係を変えた。日本では勅命で聖徳太子が初の摂政となり、天皇個人と権力を分離し、その後ゆれ戻しもありながら、藤原氏の摂関政治、平民の平氏政権と皇室と権力は分離していく。鎌倉政権では宮中と権力が分離、明治維新では御誓文(五箇条の御誓文)によって権力は民の代表へと移っていく。日本では全て勅命によって皇室の権威と政治権力が切り離されていくのである。この由来は諸説あるが最も古いものは、日本国を大国主から国譲りされたことによる、という説である。説は物語であり、その後、日本人が長々と努力を現在まで重ね続けた結果、皇室と権力は切り離されている。これは来歴である。以上の来歴からすると、「我君」から「君が代」に変わった理由は、政治権力を手放して安定した世の中を指すからである。

―千代に八千代に
 語彙の意味は「末永く」である。「八」は『古事記』などで良く見られる単語で「沢山の」などの意味がある。「千代に八千代に」は「永く、もっと永く」の意味である。先ほど述べた「皇室が政治権力とはなれて安定化した世の中」が「末永く」である。

―さざれ石の
 さざれ石(細石)とは、細かい無数の石が、川の中で石灰質によって結びついた石である。神宮(伊勢の神宮)を始め多くの神社で見られる。大理石のように変成岩は材質が一定の幅にそろっているが、さざれ石は細かい石が入っており、均一ではない。石灰質はチョークを考えてもらえば判り易いが、弱々しい結びつけである。大理石の耐久性や利便性はないのである。しかし、さざれ石が尊いと考える処に、思想がある。つまり、1つ1つの小さな石は変成石のように均一性を求められない。そのままで良いのである。前文の皇室の代を考えれば、民が皇室を見習って同じようにせずに、そのままで良い、という意味になる。世界の殆どの王政では、王の命令に民が従わなければならない。そこから外れるものは排除される。そうした均一性を尊いとするか、民が皇室と同じようにならなくても良いと尊いとするか、は思想なのである。日本は後者を取った。つまり、高木という教員の考えに学生の考えを似せる必要はないのである。男女があればどちらかを標準する必要がないのである(この事例はこれまでに述べてきた)。どちらも標準なのである。老いも若きも役目こそ違えど対等と考える。東南アジアに進出した日本のある会社の工場長が朝、工場の前を掃く、という話を聞いたことがある。東南アジアでは植民地の歴史が長く上下の観念が強く、工場長が掃除をすると工員に馬鹿にされる、と言う。しかし、日本では「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」の諺通り、工場長が率先して掃除をするのを善しとしている。この根底にあるのは、私達は役目こそ違えと対等と考えているからである。この考え方は、日本の歴史(国史)を眺めるとさらに明らかになるだろう。

―巌となりて
 巌は固くなる、という意味と、元気で、という意味がある。「我君」や「君が代」と同じく西暦800年以降、歌に良く歌われる言葉である。「巌」も同様で、よく使われる言い回しである。『万葉集』(西暦759年)に以下の歌があります。

「春草は 後はうつろふ 巌なす 常盤にいませ 貴き我が君」(市原主)

この場合の「巌なす」は元気に、という意味が強い。貴き我が君は、遠くに離れた父親で、父親の元気を歌っている。高木は「君が代」の「巌」を固くなる=仲良くする、で解釈しているが、元気で、と意味を強く解釈できるかもしれない。すると、「皇室の安定が末永く続きますように。1人1人違うけれどみんな元気で、新しいものを生み出しましょう。」という意味になる。この意味もまた味わい深い。

―苔のむすまで
 苔は生命の誕生を意味する、単語である。「むす」は創造を意味し、『古事記』の冒頭、ただ一柱(神様は柱が数詞)の神が現れ、次に「タカミムスビノカミ」と「カミムスビノカミ」が現れる。両方の神様とも「ムスヒ」の文字が入る。「ムスビ」は「結び」というように結びついて新しいものが誕生するという意味である。おむすび、はとても美味しい。「ヒ」とは霊であり、霊が止まるから「ヒ」「ト」という説がある。男は「ヒ」「コ」、女は「ヒ」「メ」という。この説はさておき、日本の思想では男女の原理が結びついて創造される。男女はそれぞれの原理を指し、男女の原理の結びつきで創造される、という意味である。聖書の思想では神はただ1人で創造される。
 苔に戻ろう。苔は綺麗な流れの中で生まれる。さざれ石が生み出されるのも川の中である。とすると、苔は清い流れが続く、と生命という2つの意味を持つことになる。つまり、苔のむすまで、は、

「清い中で新しいものを造って生きましょう」

という意味になる。

 『古今和歌集』は、醍醐天皇の勅命で撰(えら)ばれた歌集で、和歌文化の隆盛を作り、『源氏物語』に沢山引用されている。和歌文化は皇室によって隆盛を極めた。また、20巻の最初の巻は春の歌であり、夏秋冬が続く。最も多いのは恋の歌で5巻もある。戦争礼賛の歌は巻を持たないのである。日本最初の和歌と同じく、戦争礼賛ではなく四季に移り変わりや家族や恋人を想う歌が主流なのである。日本の平和を愛する心、みんなを大切に思いやる心が和歌文化を作ってきたのである。その最初のきっかけを作ったのが醍醐天皇である。

―芸術の前では権威も権力も関係ない
 『古今和歌集』には1111首ある。その内御製(天皇のお歌)は43首に過ぎない。長文の日記を書くなど文筆家であった醍醐天皇の御製はたった43首である。「君が代」は歌詠み知らずの歌である。本当に名前が判らない歌か名前のない庶民の歌かは判らないが、庶民の歌を国歌としたのである。醍醐天皇、あるいは撰者の紀貫之などの歌ではなく、優れた歌であるとして歌詠み知らずの「君が代」を明治時代に国歌とした。

―民を大切にすることを第一とする
 「君が代」は歌詠み知らずにも関わらず、広く民の間に浸透して歌い継がれた。神事でも仏事でも歌われて宗教を超えていた。結婚などの行事で歌われ、近松門左衛門など浄瑠璃などの文化に取り入れられた。このように民が歌い継いできた経緯を大切にして、国歌としたのである。正統性から考えれば、日本国(大和)を建国した神武天皇の御製、特に建都の御言葉が相応しい。仁徳天皇の大規模土木事業と民のかまどの精神、醍醐天皇の『古今和歌集』の和歌文化の隆盛や国家の再建、明治天皇の国威隆盛もまた、次に相応しい。しかし、民を大切にして「君が代」を国歌としたのである。
 さらに、天皇陛下の誕生日である天長節(現在の天皇誕生日)にも「君が代」を採用した。皇室は民を大切にする、皇室は皇室という態度ではないことが「君が代」の来歴なのである。まず、何よりも民を大切にし、先立って歩み寄るという姿勢を示されたのである。

以上が「君が代」の解説になる。さらに詳しい歴史的経緯や関係する事実は最後に基礎資料を添付する。

では次に英国と米国とフランスの国歌と比較したい。

―英国の国歌
歌詞は以下の通りである。配布プリントより抜粋

題名「神が私たちの女王を守らんことを」

神が私たちの慈悲深い女王を守らんことを
私達の高貴な女王が長く生きんことを
神が女王を守らんことを
彼女に勝利を送れ、
幸福で栄光ある、
長く私たちの上の統治へ、
神が女王を守らんことを!

おお主なる神よ、立ち上がれ、
私たちの敵を追い散らし、
彼らを倒せ!
彼らの悪辣な企みを失敗させ、
彼らの政治を混乱させよ、
あなたの上に私たちの希望を私たちは据える、
神が女王を守らんことを!

・・・後略・・・

○女王礼賛のみ 民は出てこない
○敵を倒すことを賛美している
○神の存在を前提としている

 英国は国旗で聖ジョージを象(かたど)っており、キリスト教を中心とした国であることが判る。そのキリスト教の神が女王を守るように、敵を倒すようにと歌っているのである。国旗はローマ法王が授けた十字の旗であり、倒すべき敵は異教徒を指している。イギリスは複雑な民族が入り乱れており、現在も日本の江戸時代と同じ封建制である。連合王国であるU.Kは、女王礼賛によって統治するという来歴を持っている。これが国歌に見事に現れている。
 英国ではパンクロックが70年前後に出てきた。その背景に女王礼賛の統治体制がある。「セックス・ピストルズ」の「ゴットセーブザクイーン」という有名な曲は、「神は女王を救うが俺たちは救われないんだ」という歌詞である。つまり、何かしら道徳や社会のルールを守ることは女王の利益になるのだ、という論理で無政府主義を主張するのである。ここには、女王が政治権力を握り、英国全体の礼賛を受ける存在者という社会背景があるのである。「君が代」が浄瑠璃等に取り入れられたように、国旗国歌は文化と深い関係がある。

― 米国の国歌

題「星条旗」

おお、あなたは見ることができるか、
夜明けの早い光によって、
あんなにも誇らしく、私たちが黄昏の最後の輝きで
歓呼して迎えたものを?
誰の広い縞と明るい星が(注:星条旗を指す)、危険な戦いを通して、
私たちが見た城壁の向うに、
あんなにも雄々しく翻っていたか?

・・・中略・・・

そしてあんなにも自慢げに誓ったあの一団はどこか
戦争の荒廃と戦闘の混乱が
故郷も国も私たちにはもはや残さないだろうと!
彼らの血は彼らの不潔な足跡の汚れを洗い流した。
避難所は彼らの雇われ人と奴隷を助けられなかった
敗走の恐怖と墓の暗闇から:
そして星条旗が勝利の中で翻る
自由の土地と勇者の故郷に。

○戦いの歌であり、勝利を礼賛する
○敵を殺害したことを誇る
○傭兵と奴隷が出てくる

 作曲は当時のヨーロッパの流行歌で、その替え歌である。替え歌は色々なバージョンがある。アメリカ合衆国(字義としては合州国)は、約300年前に成立して1度分裂、リンカーンによって再統一された。300年間休むことなく戦い続ける歴史を持つ。その歴史が見事に表現されているのが星条旗なのである。

-フランスの国歌

題:「マルセイユの歌」

立ち上がれ、祖国の子供よ、
栄光の日が来た。
私たちに対して、専制政治の
血染めの旗が掲げられる、
血染めの旗が掲げられる。
聴け、野原で、これらの獰猛な兵士が叫ぶのを。
彼らが私たちの腕の中にまでやってくる
あなたたちの息子たちと配偶者たちの
喉を切るために。

CHORUS:
部隊へ、市民たちよ!
あなたたちの大部隊を形づくれ!
行進しよう、行進しよう!
不潔な血が私たちの溝を潤さんことを。

○敵が出てきて、専制政治とする
○どこにも逃げられないと言う
○敵の血を流させるために軍隊を作ろうと言う

 フランスはルイ14世の打倒を国家の出発点としている。ルイ14世は専制政治であり、フランスの歴史に根ざしている。また、フランスは英国、ドイツ、イタリアなどに囲まれた国で、否応がなく戦争に巻き込まれる土地である。そのためか、防衛戦争という意識が強いのではないだろうか。島国である英国との比較をすると味わい深い。

―日本の来歴と「君が代」

 それでは次に日本の国歌「君が代」に移ります。歴史に注目しながら見ていきましょう。
 聖徳太子から始まり皇室から権力が離れていくという来歴、言い換えると正統性と政治権力を切り離してきた来歴が日本にはあります。それを「我が君」から「君が代」に置き換える処、全ての歌詞の意味、歌い継がれてきた処に見事に表現されています。「君が代」は日本の来歴を見事に現しているのです。
 このような来歴があるので、日本は古代ギリシャ型の民主主義が来た時に直ぐに受け入れ新しい民主主義を創りだせたのです。ヨーロッパ以外のアメリカ大陸、アフリカ大陸、ユーラシア大陸の中で直ぐに民主主義を受け入れて、新しく民主主義を発展させた国は日本だけです。日本人の中で、支那を支配していた清や朝鮮半島の李氏朝鮮などが民主主義にならないから、と言って怒ったり絶望したりした人々がいましたが、それは来歴が違うからである、という認識が欠如していたからです。現在でも、日本の来歴を見て、世界の中心となるべきである、と主張する西欧人、東洋人、日本人がいますが、それは同じ認識の欠如の反動に過ぎません。もう少し具体的に言いましょう。
 民主主義という物語(善なる価値観)は、ヨーロッパが世界にばら撒きました。しかし、物語は来歴ではないのです。その民族が試練や苦悩や努力を繰り返して初めて内在化するのです。朝鮮民主主義人民共和国という国があります。「民主主義」という物語が国名に歌ってあり、選挙も行われています。しかし、その民族が試練や苦悩や努力の末に獲得していないのですから、実態は民主主義ではないのです。日本では「君が代」の来歴によって明示政府の議会制民主主義は有効に作用したのです。ここを分けるものは物語か来歴かの違いです。中華人民共和国も「人民」のための共和国という意味でしょうが、実際は共産党の一党独裁なのです。試練や苦悩や努力の結果、民主主義や共和国になる未来は開かれています。未来永劫変わらない、という前提を持つと日本の来歴は素晴らしく世界の中心となるべきだ、という主張が出てきてしまうのです。これは来歴が未来に獲得できるという前提を見落としているのです。逆に日本も常に来歴を刷新する努力をしていかないと「日の丸」に込められた精神を失っていってしまうでしょう。「常に新しいということは、常に変化しているということである」という諺通りです。

―「君が代」の意味が問うもの

 朝鮮民主主義や中華人民共和国は特別なのではなく、世界の半分以上の国家では民主主義が有効に機能しているとは言えないのが実情でしょう。アフリカやアジアの国々では専制主義が民主主義を上回っています。「君が代」で歌われる民主主義は1人1人違っていいんです、という民主主義です。みんなで話し合って仲良くしましょうね、という民主主義です。「あいつ俺の言うこと聞かないからむかつく。言うこと聞けよ」という考え方ではありません。しかし人間の性(本能、本性)としては、俺に合わせろよ!というのはあります。相手が私の言うことを聞かないと怒る、というのがあります。この辺りは仏教が明確に指摘しています。専制主義は王様の言うことを聞け、聞かないやつは殺すぞ、という考え方です。人間の性に基づく考え方(主義)と言えるでしょう。しかし、皇室はここから離れようとしてきました。敗戦後の日本で「天皇は要らない」とか「皇室はあるだけよかった」などの発言や実際の物理的行動として現れたことがありました。にも関わらず皇室はこれらの人々を非難しようとしません。排除しようとせず、東日本大震災の時に、「この人は皇室に賛成か反対か」で区別しませんでした。皇室から表彰する時でさえ、皇室への賛成反対に関わらず公正に表彰されます。ここには先ほど述べた専制主義が見られません。東日本大震災の時、どのような国籍であれ、文化の背景を持っていても被災者への心を配られました。関東大震災の時に一部の朝鮮籍の日本人が皇太子殿下(昭和天皇)の暗殺計画を立て、関東大震災の混乱に乗じて帝都東京に乗りこんできました。そういう過去の歴史があるのにも関わらず、昭和天皇は大東亜戦争に敗れた後、「罪なき8000万人の民を守れるならば、私は絞首刑になっても構わない」と言われたのです。自分の暗殺計画をした人々でさえ、お心を配られたのです。ここに皇室が2673年以上受け継いできた民主主義(民本主義とも)があります。
 さて、果たしてこの民主主義を中心にして、これからの日本は国際関係の中でやっていけるのでしょうか? 世界の平和に貢献できるのでしょうか? 国歌「君が代」の意味を知ると同時に皆さんに考えてもらいたいのは、まさにこの1点なのです。つまり、私達の現在と未来を考えて欲しいのです。東京オリンピックで国旗と国歌を胸にする時、私達はその答えを持っていたいものです。

―国旗「日の丸」の意味

 「日の丸」は明治時代に国旗に確定し、皆で仲良く、という意味など「君が代」と共通する点が多くあります。「日の丸」には3つの要素があります。3つそれぞれ分けて説明していきましょう。最後につける「基礎資料」から引用し加筆します。

―赤色の意味

・赤:真心(まごころ:心の底からの善意)。正々堂々とした想い
赤=天照大御神と素戔嗚尊(すさのおのみこと)の受日(うけひ:受霊)の時、「心の底からの真剣な想い」を「清明心(きよきあかきこころ)」と表現している。受日では、「素戔嗚尊が心の底から善意であるかどうか」を試す。つまり、「清明心(きよきあかきこころ)」=「真心(まごころ)」を意味する。前に述べたように、漢字は日本語(やまとことば)が出来て数千年後にやってくる。音を表現するために漢字を最初は利用したのである。であるから「赤(あか)い」と「明(あか)い」は、『古事記』の時代には共通している。心の底からの善意を「赤(あか)い」、「明(あか)い」とするのは、「赤裸々(せきらら)」や「赤子(あかご)」が挙げられる。裸と心の底から、というのが共通していて「本心を」という「赤裸々」を使う。「赤子」は泣くと赤いから、という説もあるが、『古事記』の世界観に照らし合わせてみれば、死者の国(神の国)から産まれてきたばかりの存在者が赤子なのである。死者の国で亡くなると聖者の国に産まれるのである。京都の祇園祭で神の代理を幼児(御稚児)がするのは、より神に近いと考えるためである。対してローマ・カトリックでは幼児は神の理性から遠い存在で神の代理である神父(教皇なども)は男性の成人しかなれない。幼児の扱いが世界観によって異なるのである。神に近い、つまり汚れなき心を持った存在者であるから、赤子、というのである。
他にも、ありのままの心を「赤心(せきしん)」と言う。諸外国の太陽は「白」や「黄色」が多い。太陽を赤と表現するのは、実はこうした世界観が背景にある。朝日と夕日だけが赤く、残りの殆どの時間、太陽は、白、あるいは黄色なのである。むしろ、日本人が朝日と夕日を拝むのは太陽が赤いから、かもしれない。

・白:清潔な心。はっきりとした想い。
 白は穢(けが)れなきを意味する。穢れは邪(よこしま)な心と汚れた状態を指す。これも伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉の国=「穢れ繁(しげ)き国」から帰って後で、禊(みそぎ)をしたことに由来する。神社の入口にある水で手と口を清めること、葬式の前後に玄関で塩をまくことなどに残っている。また、お正月や結婚式などのお祝いの席で、白を使用するのも同じ意味である。ここから、神聖や純潔になる。「し」には指示性のある単語が多く、「しるし」「しるす」「しる」「しらす(治らす:後で出てきます)」など明確さを表す語である。単語では皮を削っただけの無垢(むく)な木を「白木(しらき)」という。
 
・○(まる)の形:みんな仲良く。「和を以て貴しと為す」の心
 次に、○の形の意味も。○には「角がない」。つまり丸は「角が立たない」=「みんなが仲良くする」という意味が込められている。これは次に述べる他の国旗を比べてみるとよく分かる。例えば、ネパールでは太陽は○ではなく、とげとげが出ている形である。確かに目で見ると太陽から光のとげとげが出ている。日本人は太陽を○と書くが、それは文化による思い込みである。ちなみに、太陽の色は「黄色や白」が多い。考えてみれば、太陽は朝日と夕日以外は白や黄色である。なぜ、日本人は「赤い太陽」を描いたのか。ここには思想的な意味が込められている。
日本の影響を強く受け親日的な台湾の国旗も12本のとげとげが○の外にある。「角が立たない」とは聖徳太子の「和(やわらぎ)を以て貴しと為す」の思想そのものである。「人はそれぞれ違いが当然であるが、その上で理屈に拘りすぎずに柔軟に対応することを大切にする」という思想である。「話せば分かる」というのは日本人らしい発想である。国歌にも共通する日本の心である。世界では「真心を尽くして話せば分かる」では利用されるだけで大失敗してしまう。特に日露戦争以後の日本の失敗の本質がここにある。日本人は○に「和」の精神を込めたのである。

 以上の点をまとめと、「日の丸」は以下の意味になる。

○「日の丸」に込められた意味 :清い心で相手に本心で接して仲良くしましょう。

―国旗「日の丸」が問うもの

 以上の意味を今後も日本人は持ち続けていくのが良いのでしょうか? 伝え続けていくのが良いのでしょうか? また、日本国内では良くとも、国際連合(UN:連合国)が中央集権と警察能力と司法能力をほぼ持たない国際関係の中では有効に作用するのでしょうか? 平成25年現在の日本の大きな問題の根本がここにあります。国家犯罪である北朝鮮による拉致事件、ロシア(旧ソ連)による北方領土の不法占拠と当時の日本人虐殺、拉致などの行為、大韓民国による竹島の不法占拠と当時の日本人虐殺などの行為、中華人民共和国による尖閣諸島への不法侵入やサイバー攻撃や宣伝工作などの行為です。これらの諸問題は「清い心で相手に本心で接して仲良くしましょう」の態度で取り組む問題なのでしょうか。駆け引きや手段を選びながら、根本の所ではどうするのが良いのでしょうか。現在の日本国の外交はこの根本の点が定まっていないのではないでしょうか。国旗とはそもそも対外的に自国を表すために作られたものです。ですから、対外的にどのように自国を考えるか、の良いきっかけとなります。
 国旗「日の丸」意味を知ると同時に皆さんに考えてもらいたいのは、この1点なのです。

 以上が、「日の丸」と「君が代」から観る「日本の善とは何か」です。単に「そういう意味があったのか」という知識習得で終わるのではなく、現在どう生きていくのか、未来に何をしたいのか、まで繋げてもらいたいものです。


ー神話と国

 長いですが、国旗国歌の善が終わりました。次に、では、こうした神話の基づく善を持つ国と持たない国があります。その違いを見ていきましょう。

問1 信仰の自由は何時から日本にありますか?
問2 アメリカ、中華人民共和国、フランス、ブラジル、イギリス、印度(インド)は、以下のどこに分類されますか?

A) 神話と現在の日常がつながっている国 :日本
B) 神話を自主的に捨てた国
C) 神話を新しいものに取り換えた国
D) 神話を捨てさせられたままの国

 正解から行きます。

問1 2674年以前
問2 A) 印度
   B) 中華人民共和国
   C) アメリカ、フランス、イギリス
   D)  ブラジル

ー日本における信仰の自由

 日本における信仰の自由は『古事記』に書いてあります。神話時代からです。先に補足しておきます。神話だから事実ではない、そして価値はない、という論を述べる人が敗戦後出てきました。アメリカによって日本の美徳を破壊するための論です。その人々を責める気はありません。強いものに巻かれる、それはありえることです。しかし、学問はそうした時代性に限らないのが魅力です。神話が価値がない、というのならば神が出てくる神話に基づいてイスラムがあり、キリスト教圏があるのです。アメリカ大統領は聖書に手を置いて宣誓します。価値がない、と言えるでしょうか? 見てきたようにイギリスなどの多くの国歌で神を歌っています。価値はないでしょうか? 日本にだけ通じる理屈は、イデオロギーとして政治利用としての意味はありますが、学問としての意味は十分ではありません。カントの道徳律をお読み頂きたいです。
 さて、そこで信仰の自由ですが、配布したプリントを読みました。講義では冒頭に行いました。

 大国主(オホクニヌシ)の国譲り神話です。

 簡単に説明します。イザナキとイザナミが創り出した地上世界を力によって統一したのが大国主です。イザナキとイザナミの正統な後継者である天照大御神は、地上の支配権を譲りなさい、と大国主に使者を送ります。2度の失敗の後、さらに使者を送り、きちっとした手順を踏んで国を譲らせます。いきなり、大国主を殺さず、さらに失敗させられてもさらに使者を送るところが、現在の日本の外交にも通じるものを感じさせます。さて、国を譲った大国主は、「譲ったのだから大きな社を建てて下さい」と取引をします。この建物が近年発掘され、高さ24㍍という想像を絶するものでした。古代には96メートルもあった、というのですから、驚きです。

古代出雲歴史博物館HP  中段から下あたりです。
http://admin.blog.fc2.com/control.php?mode=editor&process=load&eno=395
 
 神話上の話が実際に建築されていたのですから、びっくりです。

 国譲りをした後、出雲大社では大国主を祭っています。正統な支配者である天照大御神を祭っている訳ではないです。つまり、この国譲り神話は、皇室の神である天照大御神以外の神を祭って善い、という話として捉えることが出来るのです。それは言うまでもなく、信仰の自由を認める神話と言えます。この後、八幡神社では外国から来た渡来系の神を祭っていますし、そもそも、1つの神社の幾つもの神様を祭っても良いのです。日本人が「この神社の祭る神様を気にしない、のはどの神様を祭って善い」という信仰の自由があるからなのです。

 さて、ここで善を抜き出してみましょう。

○信仰の自由は善いこと
○衝突が起こった場合はまず話し合いで

ー『聖書』の善

 日本だけの善ではなく、『聖書』の善を見ていきまそう。アダムとエバの創世記の次に出エジプト記があります。ここではモーゼ(モーセ)が神の命令によって、奴隷であったエジプトからカナンの地(現在のイスラエル)に行こうとします。すると、エジプトは奴隷が逃げ出したので追ってきます。その時に神は奇跡を起こされ、海を開き、民を渡らせ、海を閉じて追うエジプト兵を殺しました。カナンの地についたモーゼ、はそこにいる民を虐殺しました。というのも、そこに居た民はユダヤの神を信じていなかったからです。異教徒は殺して善いのです。

ー日本の善で『聖書』の善を判断してはならない

 ここで補足を入れます。実際講義中3回は述べたことです。日本の善から見て、この『聖書』の善=異教徒は殺す、を裁いてはなりません。同時に日本の善が尊いと考えるのは自由ですが、それを全ての人で尊いと強要してもならないのです。それは1つには民主主義の原則(相手の主張する権利を自分の主張する権利と同等に認める)であり、もう1つは信仰の自由を認める日本の善に反するからです。学生皆さんの感想で、私の講義への違和感をとなえる意見が2名しかいませんでした。3回述べたことが功を奏したのか、学生の皆さんが賢明であったからでしょう。元に戻ります。

 モーゼの異教徒虐殺の行為は、その後も続きます。そもそも一神教は「他の神を認めない」ということで成り立っている宗教です。世界最古の一神教はエジプトの太陽神信仰です。その太陽神信仰に影響を受けてユダヤ教が出来たと言われていますが、キリスト教イスラム教へと伝搬し、現在では世界の約7割の人が一神教です。この人々の持っている善を知ることが、何よりも平和への第一歩です。もちろんその平和とは常に弱肉強食のヒリヒリとした緊張感に溢れているのは言うまでもありません。敗戦後の「平和と言えば平和になる」という平和ではありません。
 
ーイギリスなどの国歌と『聖書』

 イギリスの国歌を想いだしてみて下さい。一神教の神が出てきていました。キリスト教の神話が国歌に現れているのです。そして敵を殺せ、支配せよ、という言葉が出てきました。これは『聖書』のモーゼの行いそのままです。モーゼの位置にイギリス女王がついて欲しい、という願いなのです。この意味で、『聖書』はイギリスに定着しています。次にそれぞれの国と神話の関係に行きましょう。

ー神話と国

 簡単に解説していきましょう。

A) 神話と現在の日常がつながっている国 :日本と印度
B) 神話を自主的に捨てた国         :中華人民共和国
C) 神話を新しいものに取り換えた国    :アメリカ、イギリス、フランス
D) 神話を捨てさせられたままの国     :ブラジル

ーA)神話と現在の日常がつながっている国 :日本と印度の印度です。
 印度には有名なのはカースト制度があります。この制度は現在法律で禁止されていますが、実態は現存します。このカースト制度の根本に神話があります。それは「善い行いをすればお金持ちの家に生まれるし、悪い行いをすれば貧乏な家に生まれる」というものです。つまり、お金持ちの家に生まれたのは、生まれる前に善いことを積み重ねた結果である、というのです。これも自然科学的根拠の一切ない神話です。あるいは前に説明した「六道(りくどう)」の場合もあります。いずれにせよ、神話によってカースト制度という現在の日常につながっている国が印度です。これが仏教以前から続いているのですから、日本と同等程度の古さがあります。どちらが古いかは判別できないのは言うまでもありません。

-B)の中華人民共和国ですが、これは漢民族という方が正確かもしれません。古代支那にも神話がありました。

白川静著 『中国の神話』 中央公論社

 という本があり失われた神話の復興をしようとしています。しかし、長い歴史を経て神話を捨ててきました。詳しくは拙論をお読みください。

エッセイ「【學問】『論語』の人々の住む場所とは ―はたして日本は人の住む場所なのか― 」
http://takagikenziro.blog.fc2.com/blog-entry-381.html

 孔子や司馬遷の影響で、支那は人間を世界の中心としました。人間がいない場所を野蛮と言い、その外を四海(しかい)と言ったのです。詳しくは拙論に譲りますが、人間が中心になると、人間は暴力や利益だけが強くなってきます。人間の基準は義と利です。義の根拠となるものは神話ですから、神話が無くなれば義が弱くなります。残るのは利だけです。例えば子供が「お菓子買って―」と騒いでいる、とします。

 「お菓子をいっつも買ってあげると我儘になるから駄目よ」というのが義
 「お菓子を我慢出来たらもっと大きいお菓子買ってあげる」というのが利

です。子供なら良いですか、大人になればどうでしょう。相手に自分の言うことを聴かせる際に、義(社会の善いことやルール)を守らないといけないよ、と言った場合「どうしてだよ!」と言われれば言葉に詰まります。この際に神話を持ち出すのです。つまり、「そんなこと言ってご先祖様に恥ずかしいよ」(日本)、「そんなことを言うと神がお許しにならない」(欧米)です。これがないのです。現在の中国人が偉い人に弱い、金持ちに弱いというのはこういう人間中心だからでしょう。古くなりますが上海万博でパビリオンに1時間も並ぶ列に偉そうな人が一番前に横入りをしても中国人が文句を言わないのに驚いた、という声を聴いたことがあります。これも1つの典型例ではないでしょうか。繰り返しますが、これに日本人の善を押し付けてはなりません。

ーC) 神話を新しいものに取り換えた国    :アメリカ、イギリス、フランス です。

 ストーンヘッジはご存知でしょうか。ロンドンから西に約200キロにある巨石遺跡です。こうした遺跡はヨーロッパ中にあります。キリスト教は実は10世紀頃からヨーロッパの主要な宗教になっていきます。民衆にも浸透していくのです。そのことによって石や森などを崇拝していた宗教を完全に棄て去ってしまいました。そもそもゲルマン人やフランク人などドイツやフランスなどの祖先は石や森を神として崇拝していたのです。日本人が富士山を信仰の対象としたり、お地蔵さんを拝んだりしていたのと同じです。しかし、それを全て棄て去ろうとしました。そうした神話を持っていたのですが、完全にキリスト教の神話に置き換えてしまいました。これには印刷技術の発展によって聖書の普及が欠かせませんから、さらに神話の交代は近代に近くなります。興味深いことに現在に至ってもキリスト教に基づかないお祭りがヨーロッパ中に見られます。まだまだ、完全に交代していないのかもしれません。

ー神話を新しいものに取り換えた国の特徴

 完全に交代したと思っても神話の力は強く、無意識にあります。ですから、常に「新しい神話が正しいのだ!」と言い聞かせなければなりません。アメリカの大統領は『聖書』に手を置いて宣誓します。議会や選挙の際には神父や牧師が出てきて最初に一言述べます。「神に愛されますように」と確認作業をする、と私は解釈しています。他にもいろいろな場面で確認作業があります。ハリウッドの映画もその1つではないか、と思えるほど、『聖書』に基づく話、設定、悪魔、天使などが出てきます。日本では『古事記』や『日本書紀』に手を置いて宣誓するでしょうか。ずっと神話が続いているのですから、わざわざ確認する必要がないのです。確認すれば違和感を感じます。それは慇懃無礼(いんぎんぶれい)という行為に当たるからでしょう。

-D) 神話を捨てさせられたままの国     :ブラジルです。

 日本は敗戦によって漢字を捨てられそうになり、最終的に日本語を英語にしようという政策を取られました。神話は戦争につながると排除されました。しかし、国語(日本語)は変わらず、神話も魂の次元で生きています。しかし、言葉を変えられ神話を捨てさせられた国がブラジルです。ブラジルは公用語はポルトガル語です。現在のブラジル人はポルトガルが来る前の言葉を話すことが出来ません。そして理解できません。ですから、口伝いで人から人へと語り継がれてきた神話を完全に失ってしまいました。文字で残っていないというのもあります。日本は口伝いで伝えられてきた古い神話を、漢字を使って1300年前に編纂しました。これで神話は何時でも読むことが出来るのです。ブラジルのみならず南米やアフリカの多くの国々は欧米の言葉を共通語としており、自分たちの神話と断絶しています。そこに『聖書』の神話を入れようとするのが欧米のやり方です。しかし、そこに入っていけない面もあります。この点は理由をもっと考えてみたいと思っていますが。
 では、神話を捨てさせられたままの国の特徴は何でしょうか。記憶に新しいワールドカップサッカーがブラジルで開催されました。日韓のワールドカップでも驚いた人がいるのですが、ブラジル人のサッカーにかける熱い思いです。宿泊先がなくチケットが無くても日本に来る、という無謀さを覚えている人もいるでしょう。彼らにとって神話に替わるものがサッカーなのではないか、と考えています。ブラジルのサッカーでは、ペレを、アルゼンチンはマラドーナを個人崇拝しています。ペレは複雑な家庭を作り、子供に冷たい面もありますが、人気は衰えません。マラドーナも麻薬や問題発言などありますが、個人崇拝は止みません。政治家よりも若いサッカー選手の方が影響力が大きいというのです。これらは神話の持つ国民の統合としての役割をサッカーが担っている証左と私は考えます。ブラジルワールドカップの時、金持ちだけが儲ける、もっと社会の福利厚生や貧困に対策を、というデモが続きました。しかし、ブラジルが勝ち続けるとそれも収束しました。そこに国民の統合としての役割が発揮されたからでしょう。福利厚生や貧困の現状は何も変わらないのですから、心理面の変化があったことが判ります。そしてブラジルのエースが怪我をさせられると「当該選手は暗殺され、ブラジルから出れない」などとニースが報じるほどでした。これは単にサッカー選手が人気があるだけではなく、もっと高位の存在者として扱われていることの証です。日本では本田や香川が怪我をさせられた場合、ニース番組などで「相手選手は暗殺され、日本から出れない」と報じれば、違和感を感じるはずです。それは日本では高位の存在者が他にいるからです。言うまでもなく神話から脈々と続く皇室です。これ以上は畏れ多くて書くことが出来ません。

 さて、以上が神話から各国を眺めてみた結果です。それぞれの国で善の在り方が異なるのが示せたのではないでしょうか。そして善の在り方を神話が規定しているのが理解できたのではないでしょうか。

 本年度特に力を入れて説明したのは、日本人が日本人の物語や来歴を見て「日本は凄い」と考えているのは、学問ではない、という点です。それは公平さに欠ける態度です。その点を留意してほしいものです。

 また、『古事記』を引用した配布プリントでは、日本人がお土産に食べ物を買ってくる理由、男が左で女が右、外では男が上で内では女が上の理由、信仰の自由が出来た理由、奴隷制度がない理由などの根拠となる文章を読み上げながら説明しました。

 以上です。
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