哲学5-1 哲学とは

 皆様、こんにちは。

  講義連絡

配布プリント B4 3枚
:『語り継ぎたい 美しい日本人の物語』 占部賢志著 第八話 シベリアの凍土にさまよう孤児を救え 128-143頁

回覧本
:『語り継ぎたい 美しい日本人の物語』  占部賢志著 :宿題の内容
:『反哲学史』 木田元著 :講義の底本として

 
 --講義内容--

 前回は日本の真・善・美の最終回でした。「素晴らし日本女性を知ろう」という題でした。今回から哲学に入っていきます。前回の日本の思想は2600年以上の歴史があり、古代ギリシャの思想は3000年以上の歴史があります。この2つの思想は、地域や文化を超えて共通する主題(テーマ)があります。まずその点を取り上げていきます。そして今後、古代ギリシャ思想が哲学に深まっていく様、哲学の深さを説明していきます。わくわくするような、そんな体験を少しでも味わってほしい、と願っています。
 また、昨年度の講義では第6回に行った内容を今回の第5回に持ってきました。昨年度の第5回の内容は、哲学の理解が深まった後で行う予定です。また、哲学は数学を基礎としています。ですから、現在では理系に非常に近い学問という面がありました。その辺りも強調しました。

哲学の主題は、「民主主義で良いのだろうか?」という疑念から出発します。この疑念が21世紀の現在にも通じています。政治方面では国内政治や国際政治の本質は各自が学んでもらわなければなりません。哲学では、人間の愚かさの本質について追及します。それは政治の根底にあるものなのです。

 次に、哲学の主題は、「民主主義で良いのだろうか?」という疑念を行動にすることで発芽してきます。その発芽を行ったのがソクラテス、花を咲かせたのがプラトン、実を回収し、別の場所に植え替えたのがアリストテレスです。今回はまず、発芽を担当したソクラテスから哲学を見ていきます。

 哲学の概略を埋めてみましょう。

哲学とは ・・・ プラトン(に始まりニーチェに終わる)
哲学とは ・・・ ペロポンネーソス戦争に始まり第2次世界大戦に終わる
哲学とは ・・・ 特殊に始まり普遍に終わる
哲学とは ・・・ 頭の中に始まり行動で終わる

 ポイントは、私達日本人が持っている「哲学とは頭のいい人が何やら難しい本を読んでいる」というイメージは誤っていて、実際に行動することを目指していた、という点です。そして戦争に始まり戦争に終わる。より具体的な現実に結びついていて左右されるということ、現在は哲学が終わってしまい、哲学の解体の段階であることです。少し難しい説明になりました。より具体的に見ていきましょう。学問ですから、最初は語彙の定義から入っていきます。

-「哲学」の用語 

 「哲学」の用語についてです。「哲学」は明治初年、西周助(後の西周(あまね))が使いました。ちなみに学は「學」という字でした。それ以前に、ソフィスト(知識人)を「賢哲(けんてつ)」、ソクラテスを「賢哲を愛する人」と訳していました。「賢哲」は宋代の儒家周敦頤(とんい)が『通書』の中で「士希賢」とありました。そのため「賢」は儒家の用語として避け、「賢」とほぼ同じ「哲」を使いました。そこで「知を愛する」=「賢(哲)さを希(のぞ)む」」=「希哲」としました。その後、何故か『百学連環』で「哲学」となりました。
 この流れを観ますと、「哲学」は「ソフィスト」の「賢哲=哲」の意味になってしまいます。ソクラテスの「賢哲を愛する人=希哲」ではなくなってしまいます。ソクラテスはソフィストを否定しようとしたのですから、何とも皮肉な結果です。そして現在の日本の哲学のみならず、西欧の哲学が神学になり知識だけの学問になってしまった現状ともすっぽりと重なるかのようです。このように誤訳が判っていながら訂正されていない単語は、色々あると思いますが、「アメリカ合衆国」もその代表例です。USAは「United States of America」で「State」は州や国、政府の意味です。本来の訳語としては「アメリカ合州国」が正しいのです。つまり、

 哲学:本来の希哲学者の敵、ソフィストのこと :知識を利益のために使う人々
希哲学:本来の希哲学者のこと ソクラテス、プラトン、アリストテレスのこと :知識を祖国のために使う人々

 です。

 講義の科目も本来は「希哲学」とすべきです。しかし、誤訳がまかり通っている、という訳です。

ーー(本年度の講義)--

 福沢諭吉は、権利の訳語に反対します。それは本来、権利(Right)は義務が一体であるのです。これを別々の単語で訳してしまうと、必ずや「権利だけ主張して義務を放棄する人々が出てくる」と言ったのです。ですから、「権理」や「通義」と訳すべき、としました。福沢の予想通り、「権利だけ主張し、私は弱者だから義務を放棄する人々」が現れてしまいました。誤訳はこのように色々な所にありますし、誤訳による影響力もあるのです。

 --(昨年度の講義より抜粋)--

―「哲学(Philosophy)」の特殊な使われ方

 それでは、「哲学」が最初に特殊な使われ方をしていたので説明していきます。哲学=「Philosophia(フィロソフィア)」は、ソクラテスが特殊な意味を込めて使い出した言葉です。約2500年前の造語が現在まで残っているのですから、驚きます。

ギリシャ語で「Philosophia(フィロソフィア)」は
英語で「Philosophy(フィロソフィー)」、フランス語「Philosophie」、ドイツ語「Philosophie(eの上に(’)コンマ)」でほぼ同じです。

「Philo」=「Philein(フィレイン)」=愛する、欲する、希む
「Sophia」           =知識、智恵

の意味です。本来の意味では「愛知」になります。愛知県の愛知ではありません。後で述べます。名詞である「Philosophia」はソクラテスが使い出しました。また、お金を愛する、として「Philarguros(フィラルギュロス)」や、名誉欲の強い(軍の意味)、として「Philotimos(フィロテイモス)」がありました。また、「ho(ほ)」を付けると「人」の意味になるので、「Ho philarguros(ホ フィラルギュロス)」=お金に貪欲な人、「Ho philotimos(ホ フィロテイモス)」=名誉に貪欲な人=軍人の意味でした。ヘロトドスという歴史家はソクラテスより11歳若いのですが(紀元前485年頃-420年)、「Philosophein」と動詞で使っています。ソクラテスはこうした言語の使われ方の中で「Philosophia(フィロソフィア)」という言葉を使いだしました。
 動詞の名詞化の使用による特殊な使い方は、現在の日本でもあります。「いやし」です。「いやし」という名詞は元々、「いやす」という動詞でした。上田紀行氏が集団から孤立している人を迎え入れる儀式によって集団に戻る行為を「いやし」と呼びました。現代日本で言えば、ニートや貧困層で孤立している人々を盆踊りや廃品回収などの町内行事に参加してもらい、町内の人から声を掛けてもらって、再び社会に戻っていくことになるのでしょう。
しかし、現在では、自分1人で体をほぐす、心をリラックスさせるなどの行為にも「いやし」と使われています。人数を見れば全く反対の意味で使われています。ソクラテスの「希哲学」がキリスト教によって神学になり、「哲学」になってしまったのと全く同じ道を進んでいます。

―「愛知県」の「愛知」の由来
 ちょっと寄り道になりそうですが、「愛知県」の「愛知」の由来を述べておきましょう。愛知県の愛知の語源は「あゆち」と言われています。「あゆち」は「吾湯市」、「年魚市」と書きます。前にも述べたように日本語(大和言葉)は、音に意味があります。ですから、「あゆち」はどちらの漢字でも音を表現してくれれば良かったのでしょう。
「あ」とは、あふれでる、の意味です。「あ」を発音する時に一番口が大きくなることからも、何かが湧き出す、という意味です。
「ゆ」とは、水やお湯などの意味です。
ですから、「あゆ」とは、水やお湯のあふれ出る、の意味で「ち」とは「土地」の意味です。つまり、「あゆち」とは水が豊富にあふれ出る土地の意味です。そういえば、愛知は沢山の川の流れこむ水の豊かな土地です。「あゆち」は古代からの郡名に見られました。
 もう1説あります。「あゆ」=「あしをゆわえる」=「足を結ぶ」という意味で、東国(遠国)へ向かう土地という説です。こちらは有力とは見なされていないようです。

 上記のように「哲学」とは、誤訳であり、かつ本来の意味とは遠い意味で使われていることを指摘しておきたいと思います。

ー問1 哲学を漢字一字で書くと?

 高木の解答は「天」です。
 哲学者は、「真・善・美を求めている人」という意味でした。人から見ていきましょう。漢字では「人」に関係する文字が多くあります。
「人が立っている姿」⇒「人」
「同じく大きく手を広げている姿」⇒「大」
「大きく広げていても余っているものがある」⇒「太」
「人が2人いて仲が良い姿」⇒「仁」
です。同じく天は

「人が頭を上げて空を見上げている姿」⇒「天」

となっています。つまり、天空を見上げて何かを求めている、考えている姿が「天」なのです。「大」の上に一本の棒「一」がついて「天」です。一本の棒「一」があたまを指しています。あたまは、天、つまり真・善・美という現実世界だけを見ていないで、変わらない天を探しているという意味に解されます。私達は現実世界で人の目を気にして、それだけで人生が終わってしまうのではなく、現実世界で人の目を気にしないで生きていける人になれるのかもしれません。それを指してわざわざ「人」と「天」を違う文字にし、真・善・美を強調するために一本の棒「一」を付けたのでしょう。この点で「哲学」=「真・善・美」=「天」となります。
 日本語から観てみます。「天」は「テン」と「あま」と読み、日本語では「あま」と読みます。「あ」とは広がることを指すのは「愛知県の愛知」でやりました。「ま」とは時間や空間のことを指します。つまり、「あま」とは時間空間が、ぷわーーーっという広がりをさします。『古事記』の冒頭に「あまのみなかぬしのかみ」が最初の神として出てきます。つまり、最初は時間空間が、ぷわーっと広がったんだよ、という意味です。次に生成の神である「たかみむすびのかみ」と「かみむすびのかみ」が出てきます。これは後に説明します。他に「アメ(雨)」は「あまからうごくもの(メ)」、「アイ(愛)」は「イノチがぷわーっと広がっていくもの」の意味でしょう。愛するもの、愛する人によって自分が、あるいは自分の感情が大きく広がっていく感覚をさしたものでしょう。講義は「アキ(秋)」に行っています。「キ(気)」は「水分や湿気や見えない力」などを指し、夏はそのキ(気)が充満していました。日本の夏の暑さは湿気や水分が充満した暑さです。この暑さ、つまり暑気(ショキ)が払われて広がっていく=「アキ」なのです。暑気払い、という言葉は「アキ(秋)」と全く同じ意味なのです。確かに秋になると空気から水分が消えて、穏やかになってきて広がりを感じさせてくれます。もちろん、この感覚は、フィリピンやインドやアフリカなどでは感じられない日本特有の感覚です。
 学生の皆さんの解答は素晴らしいものがいくつかありました。やはり、学生の皆さんと共に講義が出来て良かったです。
 
-ソクラテスの愛知

 ソクラテスは、知識を愛する=欲求の愛としました。後にキリスト教の愛=神の愛とは別に使いました。つまり、愛知は「この世の対象」なのです。お酒を愛する、や異性を愛する、と同じ意味でソクラテスは知識を愛する、としました。ちなみにプラトンでは「あの世の対象」となりました。現在、二次元(アニメのキャラや漫画の登場人物)への愛がありますが、これはどちらになるのでしょうか? 面白い問題です。仮想世界への愛はどちらかという問題です。
 ソフィストが知識人を指し、ソクラテスが「無知の知」で対抗しました。古代ギリシャでは高い舞台の上で2人が交互に話して、周りの人々が聴く、というスタイルでした。ソクラテスは相手に「はい」か「いいえ」で答えられるように聴きます。ソクラテスは相手に聞かれると「無知の知」で「私は無知ですから答えられません」と言い、相手にだけ話させて、最後には矛盾を突く、ということをやりました。これがソクラテスの愛知(哲学)だったのです。だから、嫌われていました。嫌味おじさん、と前回言った通りです。現在でも周りにいたら友達になりたくないタイプの人です。この立場を「アイロネイヤー(Irony:アイロニー 皮肉)」と言います。
 私達が持つ哲学のイメージと大分違うのではないでしょうか? 私の大学の時のイメージは「一人で難しいことを、うーん、うーん、と考えている人」でした。そもそも哲学は2人で行うスタイルでした。最初の哲学の本は殆どが会話(「対話編」)です。講義も本来は、1人でするのではなく2人で話しながら進めていくのです。私も何とかそうしたい、と考えて、学生の皆さんから質問を受け付けてブログで返信する方法をとっています。
 さて、以上の説明から他に何が判るか、を書き出してみます。

対象:ソフィスト
対象:聴いている人
目的:知ったかぶりを攻撃
方法:対話
(真の対象:世界観:後の講義で説明します)

 現在でいうと安倍総理を攻撃するために、「フィロソフィア」という言葉を作った、ということです。この言葉が2500年経っても使われているのです。
 対象に「聴いている人」が入っていますが、ソクラテスは聴いている人、つまり聴衆をも攻撃対象としたのです。攻撃対象というのは少し強い言い方かもしれませんが、聴衆に気が付いてほしいからこそ、嫌味を言ったのです。「良薬は口に苦し」の諺通り、「真実をついてためになる助言、というのは耳に痛い言葉」であり、「嫌われる言葉」であるのです。
 ソクラテスは、ソフィスト(知識人)が高度な知識を使って「こうすればアテナイは得をしますよ(周りは損をする)」や「こうやれば簡単になって便利ですよ(周りに迷惑をかける)」と言うのも攻撃しましたが、もう1つ、民主制の中で聴衆がそれを支持して実行するのも攻撃したのです。民衆が日常生活で自分が得をすることしか考えていない、というのは、いつの時代でも同じです。そうした人々がソフィストの政治を支えていたのです。何も自分で調べようともせず、ソフィストの宣伝に乗ってしまうのです。

―民主主義の欠点と「無知の知」

 つまり、民主主義は、宣伝によって、あるいはカリスマ性のある人物によって民衆がひっぱられてしまい、悪いことをしてしまう、という欠点があるのです。そして民衆は失敗しても反省せずに、誰かに責任を押し付けて、次もまた自分たちのことだけしか考えないのです。民主党が失敗したら、民主党が悪いんだ、鳩山元総理が悪いんだ、菅直人は最悪の首相だ、野田総理は売国奴だ、と批判して相手に責任を押し付けてお終いとします。しかし、民主党は民主主義によって私達国民が選んだ政党なのです。選んだ私達の責任はどこかに行ってしまったのでしょうか? ある講演で講演者が「民主党の3年間はひどかった」という話をしました。しかし、私達国民が悪かった、とか、講演者自身が反省して行動を改めなければならない、とか、講演者自身が何となしなくては、と民主党時代に新しい行動をした、という話は聞きませんでした。皆さんの周りの人にもいるのではないでしょうか。つまり、自らを省みないで他人ばかり批判する人々です。全て悪いのは政治家だ、政治家は汚い、犯罪があれば犯罪実行者が全て悪い、という人々です。さらに現在はインターネットでマスコミの嘘が判りますから、ちょっと調べない私達は古代ギリシャの民衆よりも悪いのかもしれません。
民衆は、平和が良い、と口で言いながら常に刺激を求めます。ソフィスト達の口車に乗せられて戦争へと向かったのです。そういう態度をソクラテスが攻撃しようとしたのです。
 第2次ペルシャ戦争が引き分けに終わったのに、アテナイの利益だけを考えた行動をして、同じ都市国家のスパルタとの戦争へと導く民主政治をしてしまったのです。
ソクラテスが以上の主張だけであれば単なる政治家の域を出ません。ソクラテスは民主主義に潜む、あるいは人間に潜む世界観までも攻撃したのです。この点でソクラテスが哲学者と呼ばれる理由ですが、この点は後の講義で説明します。今回はソクラテスが何を対象とし、「無知の知」はどういう風に使われていたかの説明をしました。

-哲学者と民衆の違い

 では民衆とソクラテスはどこが違うのでしょうか? 

民衆 :自分のことを反省しない 日常生活のことだけ考えている 
哲学者:自分のことを反省している=「無知の知」 真・善・美(普遍)を見ている 

 私の講義中に喋る人がいます。そういう時に「なんだ、俺の講義を聴かないで、あんな奴らは退席処分、あるいは成績を不可にすればいい」という自分のことを反省しない態度があります。他方、「そうか、喋るのは私の伝え方が、講義の方法が不十分だからじゃないのか?」という反省する態度もあります。私達は生きていく中でどちらの態度を大切にすべきでしょうか? 
 もう1点は、日常生活のことだけを考えているか、それともいつの時代でも変わらない普遍を考えているか、です。日常生活は欲や感情が中心です。あの人に良く想われたい、お金が欲しい、いい家に住みたい、人を私の考えるように動かしたい、と。しかし、それらは時代が、社会が変われば変化するものです。感情も常に揺れ動くものです。好きという感情は4年も経てば弱くなるものです。民衆が感情にまかせて政治をすることを何とかしたい、と考えて、ソクラテスは時代や社会に関係のない、真・善・美を求めました。
その意味ではソクラテスはあくまで目の前の、つまりこの世にあるアテナイを何とかしたい、と欲したのです。哲学を特殊な使い方をした、と前に説明しましたが、この点を強調したかったからでしょう。そして深めていきました。哲学者と民衆の違いは、自省と普遍です。私達は自分の成績や職の良し悪しだけを考えていないでしょうか?

-真・善・美とは

 古代ギリシャで真・善・美とは当然、神のことです。神がいる世界が天空の世界です。天空までは一定の距離にあると考えられていましたから、あとは角度が判れば天空の世界の動きが判る、と考えられていました。古代ギリシャではsinθ cosθ tanθなどの考え方が出てきました。これは地上から天空まで一定の距離なので後は角度が大切である、という考え方です。他にも角速度などもあります。
 他には四季の移り変わり、太陽が昇り沈むなどもそうです。考えてみれば「毎日日が昇る」、「途中で停止しないで沈む」というのは不思議なことです。現在は中学校の理科できちんと天体の動きを習いますが、そうでなければ、あるいはそうであっても「太陽の運行」や「四季の移り変わり」は不思議なものです。そしてそれに合わせて花や木々、動物までもが活動できるのですから、不思議です。そういうものを決めている存在者があるに違いない、それが神様だ、というのです。キリスト教の神様とは全く異なる神です。古代ギリシャの星占いが人間の運命を決めている、というのも、神様が私達の世界の動きを決めているからだ、と考えられていたからです。神が世界全体、宇宙全体をコントロールしているのは何時までも変わらない、つまり普遍(どの場所、いつの時代でも同じ)性を持っていると考えたのです。
 人間の日常生活という変化するものに依存しない、普遍性を持った神様を意識したのです。そうやって、民主主義で悪くなったアテナイを立て直したかったのです。その意味で、真・善・美はこの世を何とかいい方向に導こうという関心に基づいたものでした。少し難しくいうと実践的関心です。この実践的関心はプラトンに引き継がれますが、プラトンの弟子たちは、抽象的関心へと移っていきます。晩年のプラトンはプラトン自身のイデアの考え方から、実践的関心を切り離して、抽象的関心へと向かうのを批判しています。そしてこの抽象的関心が、後年、キリスト教の神と結びつく一因になるのです。
 日本でも皇室の神様、日本人の皇祖皇宗(こうそこうそう)は天照大御神(アマテラスオオミカミ)です。先ほど述べたように最初に登場される神の名前は「アマノミナカヌシノカミ」です。両柱(神様は柱で数えます)とも「アマ」が入っているのです。アマとは時間空間の広がりを指します。つまり、世界全体、宇宙全体を指すのです。古代ギリシャの世界全体、宇宙全体を統べる神様達ととても似ています。そして「問「哲学者」を漢字一字で書くと?」の解答ともつながります。つまり、世界全体、宇宙全体を統べる存在者=神であり、四季の移り変わりや太陽の運行という普遍性を持つものを真・善・美と呼び大切にするのです。そしてそれによって人間世界を、日々の生活を何とか善くしよう、と考えるのです。それが哲学であり、日本の神道ということです。この点ではぴたりと一致します。一致しない点は今後述べていきます。

 真・善・美に触れている人=哲学者
 真・美・美に触れられる人=天子
 真・善・美に触れられる人=天皇

 真・善・美に触れていない人=民

 例えば小説家で、「登場人物が勝手に動いて話を作っていく」ということを言う人がいます。何やら天の方からアイディア(プラトンのイデア)が降りてきたという感覚だったのでしょう。私も少しだけ小説を書いていたのですが、突然書くようになりました。同じような感覚がありました。
 他の例として、講義中に眠たくなったとしましょう。その時、「先生が真・善・美の話をしていないから知識だけで退屈だなぁ」というとその学生さんは哲学者です。対して「私はさぼりたいなぁ」という自分の欲だけで判断しているのは民、になります。自分のことや周りの世界しか考えていない人が民です。ソクラテスの考え方は現在の日本でも通じているのです。

 --(以上昨年度の講義録より抜粋)--

 ソクラテスの意図をもう1度まとめておきましょう。

 ソクラテス、全ての政治家、民衆、政権を批判する → 民衆は、いずれかの政治家、民衆、政権を批判しない
  ↓                                  ↓
 だから、ソクラテスは自己肯定できない           だから、民衆は自己肯定する
  ↓                                  ↓
 言い逃れもできない。忘れることも出来ない。       言い逃れもできる。忘れることもできる。

 ソクラテスは、この言い逃れ、都合の良いことを忘れること、を民主主義の根源的欠点としました。

 東日本大震災で福島原子力災害が起きました。現在の福島県の人々は被災者、被害者としてだけ扱われています。しかし、福島原発の一号炉は災害前から日本で最も多くの放射線漏れを計測する原子炉でした。それでも福島県民の選挙によって原発推進派の知事を選択したのです。その知事が一号炉の継続運転を要請しました。敢えて書きますが、福島県民は自らの選挙の投票によって福島原発の継続を選択したのです。その責任をどうして誰も言わないのでしょうか。「日本国に裏切られた。だまされた。信頼してたのに」と言い逃れをします。もちろん、日本国の責任は重大です。しかし、福島県民に責任が全くないのでしょうか。私はそうは考えません。しかし、その言い逃れ、都合の悪いことを忘れるのは2400年前の古代ギリシャでもあった、ということです。これを告発しようとしたのがソクラテスなのです。
 
 以上は前述した内容と被ります。もう一度書いてみます。
 浜松市のある講演で、講演者が「民主党政権はひどかった。やっと安倍総理になってよかった。安心した。私はずっと自民党に入れているけれど。」と言いました。特定の政権を肯定し、自分の責任回避をしているのです。民主党政権を誕生させたのは日本国民です。私達です。誰に投票しようと投票結果に責任を持たなければなりません。自民党に投票しようと共産党に投票しようと民主党政権誕生の責任は全員にあるのです。それが現在の議会制民主主義です。しかし、言い逃れをする。

 さらに、民主主義の政治の欠陥もしてきします。これは次回以降に取り上げます。

 ナチス・ドイツは民主的な投票によって成立しました。そこから独裁を強めていったのです。民主主義がナチス・ドイツを誕生させたのです。つまり、第2次世界大戦は民主主義国と民主主義国との戦いであったのです。そしてより民主的なフランスやイギリスは負けたのです。現在、日本の側には独裁国家中華人民共和国があります。ですから、日本では「独裁国家だから悪いことをする」という事実に馴れ親しんでいます。

 「日本は民主主義だから戦争をしない」とか「日本は民主主義だから悪いことをしない」

 と思い込んでいるかもしれません。しかし、それは勘違いです。世界中に武器をばらまき、戦争を引き起こしているのはアメリカなのです。サッダーム・フセインを支援し、アルカイダを育て、武器を与えてきたのはアメリカです。そのアメリカは民主主義の国です。古代ギリシャでも民主主義のアテナイが、平気で全島民の虐殺をしたり、他国から金銭を恫喝して出させたりしました。無駄な戦争も起こしたのです。

 これらを告発したのがソクラテスです。

 ですから、ソクラテスは現在でもその輝きは色あせていないのです。

 今回は哲学の主題と出発点であるソクラテスを説明しました。次回は、今回の内容を肉付けしていきます。

 以上です。

講義録5-2 学生コメント集

 学生が書いた感想などと高木の返信をまとめたものです。

 学生の書いた本文はそのままで、誤字脱字等は直します。高木が補足する場合は()を付けます。○は学生のコメント、★:は高木のコメントです。△は補足です。

○今日の授業で、自分が日頃、食生活を気を付けていないと気づきました。人間が美味しいと思う食事は何なのかと思った。大衆受けの良く、安いマックか、金持ちが行くような高級料理は人間にとってどちらが美味しいのか疑問に思った。

★美味しい食事ですね。現在の私はかみさんの笑顔を見ながらの食事が最もおいしい食事です。人によって、年齢によって、状況によって違うと思います。○○くんの美味しい食事を追及して下さいね。

○先生はお酒を飲む話が多いので、好きなのかと思っていましたが、違うのですね。

★そうですね、お酒が弱い体質です。けれども、女性にもてたい、バスケ部で先輩達と仲良くしたい、という想いからお酒を頑張りました。苦しかったから良く覚えているし、お話しするのだと思います。勉強と同じです。苦しんだほど覚えているのです。

○あまり関係ない気がしますが原発の警備に軽機関銃はやり過ぎではないんですか? むしろ警察が軽機関銃を使っていいのですか? できても短機関銃くらいなのでは?

★安全保障からすれば、軽機関銃ではなく重機関銃も装備すべきだと私は考えています。相手は、核兵器を持つ中華人民共和国や世界最強の特殊部隊の一角を持つ北朝鮮人民共和国です。人を殺したこともない日本人の警察官が、せめて武器で優位に立っていないとテロ攻撃に耐えられないと考えます。○○くんもどうしてそのように考えたか教えて下さいね。

○「インサイダー」という映画もタバコの害についての映画で、とっても面白かったのでお奨めです。

★お奨め、有り難う御座います。映画「インサイダー」を見てみたいと思います。

○世の中が怖い。自分の無知が怖い。知らない内に自分は社会のワナにはまっているのではないか? 現代における強さの象徴はお金である。お金を得るためには、人間はどんな酷いこともするので、自分が被害者にならないよう(加害者にもならないよう)気を付けたい。

★誠実な意見、有り難う。今回の宿題、ひろさちやさんの幸せを考えてみて下さい。幾つも言いたいことがあるのですが、良ければ直接話をしに来て欲しいです。

○いまだに3段論法が上手く書けずにいます。上記の上の様にたくさん書くよりも、下の様にシンプルに書く方がいいのでしょうか。また、今回良い例として配られた松田さんの文は書いているのに事実から書かれていますが、これはまた正しい方法なのでしょうか。難しいのでまた練習したいです。

★はい、その通りです。三段論法は骨子を創るためのものです。短い文も長く書く文でも骨子がしっかりしている必要があるのです。骨子が出来たら短い文でも長い文でも字数に合わせて書いてください。復習は講義録でどうぞ。

○日本での車での死亡者数は交通事故などで1日以内に死亡した人だった気がします。アメリカではどのように数えているのでしょうか。

★日本では1日以内、1年以内(厚生労働省)などがあります。アメリカではどのようになっているか?は是非とも調べて見て下さい。是非とも本で。交通事故の死亡者数については、講義の13回目に詳しく取り上げます。



講義録5-1 費用便益分析 幸福とは何か

 皆様、こんにちは。

講義連絡

配布プリント B4 3枚
::藤本温(代表) 『技術者倫理の世界 第2版』 52-53,56-59頁
2枚分
:ひろさちや著『どの宗教が役に立つか』  76-85,98-101頁 :宿題
 
回覧本
:ひろさちや著 『どの宗教が役に立つか』


 --講義内容--

  前回は、技術にまつわる2つの矛盾を整理しました。技術内の矛盾と技術外の矛盾(社会と技術)です。今回は、社会と技術の矛盾を具体的に見ていきます。そこで出てくるのは、経済とは何か、幸福とは何か、です。言い方を換えれば、技術が社会の中で存在する理由、社会の判断基準である倫理の立ち位置、です。今回で理念として提示して、講義の後半で具体的な事例で考えていってもらいます。まとめると以下になります。

 社会が技術を考える基準としての「経済と幸福(と公平)」 = 「公衆の福利」

 経済:費用便益分析
 幸福:ベンサム「最大多数の最大幸福」と宗教の「幸福と快楽の違い」


 ー「公衆の福利」とは

 「許容可能なリスク」が存在するのが工学的安全。これを前回6つに分けて検討しました。今回は、

 「許容可能なリスク」が受け入れられるのはなぜか?
 「許容可能なリスク」が受け入れられる場合はどういう場合か?

から出発します。「許容可能なリスク」を判断するのが「公衆の福利」という考え方です。「公衆の福利」とは、技術者倫理で取り上げられる概念です。 その前提として、「公衆の福利」に反する費用便益分析から行ってみましょう。具体的には、1972年のフォード・ピント事件を見ていきます。また、フォルクスワーゲンの排気ガス偽装問題、三菱ふそう偽装問題なども口頭で説明しました。

 まず、「公衆の福利」が大切なのは、技術者学会の倫理規定で行われています。
 
配布プリント1枚目 (表):藤本温(代表) 『技術者倫理の世界 第2版』28,29P を引用します。

 化学工学会 倫理規定 憲章 :http://www.scej.org/content/view/8/9/

1. 会員は、専門家として、職務遂行において公衆の安全、健康および福祉を最優先する。

 日本技術士会技術士倫理要綱 :http://www.engineer.or.jp/  技術士の考え方やJABEEなど参考になる学会です。

技術士は、公衆の安全、健康及び福利の最優先を念頭におき、・・・

 日本原子力学会倫理規定 憲章 :http://wwwsoc.nii.ac.jp/aesj/rinri/committee/kensho.html

2. 会員は、公衆の安全を全てに優先させてその職務を遂行し、自らの行動を通じて社会の信頼を得るよう努力する。


 他にも色々な倫理規定で「最優先の1つ」とされています。高木仁三郎氏はそもそも「「技術とはパブリックなものである」と言っており、だからこそ「技術者は公衆(ザ・パブリック)の安全、健康、福利を最優先する」と言っています。(彼の人は、今はこの意識が技術者の中に無くなってきているとの指摘をしています。)

 以上のように、技術者、あるいはもう少し厳密に定義された「技術士:日本技術士会による」にとって最優先ナ判断基準は、「公衆の福利」であると書いてあります。

 では、「公衆の福利」の正体とは何でしょうか?

 それを考えるのに丁度いい事件があります。フォード・ピント事件で映画『訴訟』の基になりました。 『技術者倫理の世界 第2版』52,53Pを続いて引用します。

 フォードとは会社名で、ピントは車種名です。ですから、フォード・ピント事件とは、日本なら「トヨタ・カローラ事件」とでも呼べる事件です。トヨタの人すいません。判りやすくするために使わせて頂きました。きちんと講義中も声に出して失礼をお詫びしました。

 事件は1970年代です。アメリカの車は大きくて燃費が悪い。そこに日本車が小さくて燃費が良くて小回りがきくということで売れ出しました。これに対抗してアメリカの自動車会社フォードがピントというサブコンパクトカー(2番目の小さな車)を販売しました。この車、急いで作ったために構造的な欠陥がありました。後ろから追突されるとガソリンタンクが壊れて炎上してしまうのです。簡単に言うと「おかまを掘られると燃えちゃうぞ!」です。

 このことを会社が知ってリコールをした場合を試算しました。
 すると、リコールを実施した場合  軽トラックを含む 1250万台
                      1台当たり      11ドル
                      合計        1億3700万ドル

     修理しない場合   死亡者180人、熱重傷者180人、車両炎上2100台
                それぞれ、20万ドル、6万7千ドル、700ドル
                      合計         4953万ドル

 こうした実施した場合の費用を試算することを、「費用便益分析」と言います。
 この結果によると

 リコール実施    リコールしない
 1億3700万ドル > 4953万ドル

 となり、会社がリコールを遅らせた、と裁判になりました。会社は知っていたのにも関わらず、お金の計算をして補償を遅らせたのでした。

 問1 どう考えたら再発防止できますか?

 大切なのは「どこを改善したら」ではなく、「どう考えたら」です。そして出題者と回答者が共通して知っている情報は、「公衆の福利」です。また、結論から発想するのですから、

結論: だから、「公衆の福利を大切に考えたら」、再発防止できます。

となります。そしてこの「公衆の福利を大切に考えたら」を論拠に入れ、それにつながる言葉を探せばよいわけです。

論拠: 私は、人々の命を費用よりも優先することが「公衆の福利を大切に考えること」だと捉える。

となります。次は、「人の命を費用よりも優先すること」に事実に入れ、それにつながる言葉を探しましょう。

事実: フォード・ピント事件は人の命を費用よりも優先することに反している。

となります。これを並べ直してみましょう。

事実: フォード・ピント事件は人の命を費用よりも優先することに反している。
論拠: 私は、人々の命を費用よりも優先することが「公衆の福利を大切に考えること」だと捉える。
結論: だから、「公衆の福利を大切に考えたら」、再発防止できます。

 堅苦しい言い方になりますが、言葉によって内容がつながっていること、1つ1つを考えていくことで文章を速くかけることという利点があります。

 倫理を大切にする、というのは技術者倫理の原点ですから、これはさほど論争になりません。大切なのはどのように大切にするか、です。ではその対比をさせて見ていきましょう。
 
 次に本の筆者と教員の考え方を対比させて提示する。

筆者:倫理絶対主義
   倫理的に正しくないことをお金に優先させたことは良くない ⇒再発防止
   つまり、倫理的な判断が最優先されるべきだ⇒公衆の福利では倫理が最優先
VS
高木:倫理相対主義
   長期的な経営的判断ミス ⇒再発防止
   つまり、倫理的な判断も経営的判断も同レベルで優先されるべきだ⇒公衆の福利には経済的な要素も入る

 筆者の方は世間一般的なイメージに適っています。倫理をとにかく大切だから、最優先するという考え方です。これは日常生活や個人生活においては、高木も同意します。ポイントは、会社まで当てはまるのか? という点です。
 高木は、「会社は利益を追求するために設立する集団」なのだから、「倫理だけを優先するのは自己矛盾を起こす」と考えます。ですから、「会社は利益追求と同時に倫理も考えるべき」という倫理相対主義を採ります。そして倫理絶対主義は最終的に、「逸脱の日常化」や後に述べる「属人的組織風土」の温床になると考えています。

 最近の日本では三菱自動車のリコール隠し事件があった。この後、静岡では販売店が経営不振に陥った。私の顔見知りも非常につらいともらしていたのを聞いたことがある。三菱視自動車全体でも大きなダメージを受けた。だから、長期的なリスクを考えると、安全性を守り、一時的に評価が下がってもリコール隠しはすべきでないのである。そういう経営判断ミスがあると考える。ピントという車種は1000万台を超える大ヒットをしていたのに、その後は不振となった。他の例でいえば、松下電気の石油ファンヒータトラブルが挙げられる。パロマの例とは異なり、松下電器は全力で対応してきた。私も当時一人暮らしをしていて葉書を受け取った想い出がある。CMや新聞広告など全力で取り組んできた。その結果、その1年間だけであるが、株価の時価総額は上がり増収を得たのである。そしてその後、松下電器は社会的信用を得ていくことになる。

石油暖房機のトラブルを呼びかけるHP:http://panasonic.co.jp/ap/info/important/heating/index.htm
パナソニックの業界シェアは2012年度第2位:http://gyokai-search.com/3-kaden.htm

 もう少し具体的な例を挙げてみたい。昨年、卒業生である介護の現場で働く人とご飯を食べた。
その人が言うのには、介護の現場で利用者さん(老人)から介護者(若い男性)が暴行を受けた、という。顔面を殴られ、労災の認定になるケースなのに施設は労災認定しない、と決定したのだという。なぜなら、
 
 「労災認定をすると必ず警察が来て事件になる。そうするとたたかれるから嫌だ」

という理由だそうである。その後、介護者は暴行をした利用者さんと関わる時に大変緊張するし関わりたくない、と気分がよくない、と言っていた。また、介護者全員のやる気もなくなってくる、と教えてくれた。そしてその人は「他の職業に転職してみたい」という話であった。暴行事件だけが原因ではなかったが、1つの原因となったようである。
 こういうことは、自動車製造という技術に関わらず、社会に出れば殆どの組織であるのではないだろうか。

 その時にどう止めてもらうかが、筆者と教員で変わってくる。

筆者:暴行事件はよくないことですし、労災は法律で認められていることです。ですからそれを行わないのは「悪いこと」ですから、止めて下さい。
   (前回のことを加えれば、「だから普段から上司とコミュニケーションを取ろう」になる)

教員:暴行事件や労災認定をしないと、長期的にみんなやる気がなくなります。優秀な人もいなくなります。そうするとこの施設はつぶれます。だから、きちんとした方がいいですよ。

 どちらが良いだろうか? 考えてもらった。

論理的解答の例を

問2 どうしたら再発防止できますか? 他のクラス 問2 学校での暴行はどう注意したら防止できますか?
     ↓
結論「だから、~したら、再発防止できます」

~には「筆者の考えなら」を入れてみる。すると

結論「だから、筆者の考えなら、再発防止できます」
論拠「私は、筆者の考えが、「*」と考えます」

「*」は色々悩むが、「人間的」としてみたい。一気に解答まで書く。

事実:人の命を大切にすることは人間的である。 (A=Cを大切にするならば、「再発防止は人間である」が最適)
論拠:私は筆者の考えが人間的であると考えます。
結論:だから、筆者の考えなら再発防止ができます

 ここで「人間的とは何を意味するか?」とか「人の命とはどこまでなのだろうか?」と疑問を抱かないことがポイントである。同様に「筆者の考え方は正しいのだろうか?教員より良いのだろうか?」とは考えないことが大切だ。それは聞かれていないのだ。それと考えだしたら永遠に問題は解けない。何も書けない。今は聞かれたら答えれば良い。今聞かれているのは「どうしたら再発防止できますか?」だけなのである。そして今のステップを経て時間がある時に考えれば良いのである。

 もちろん、「教員の考え」でもすぐに出来る。

事実:人の命を大切にすることは人間的である。
論拠:私は教員(←筆者を置き換え)の考えが人間的であると考えます。
結論:だから、筆者の考えなら再発防止ができます

 どちらでも良いのだ。
今は「教員の考えと筆者の考え方、どちらが適当ですか?」とは聞かれていない。
また、「人の命」の意味が、筆者と教員では違う。筆者は物質的な肉体のことを言っていて、一般的な意味である。対して教員である高木は、現代日本の人間は「安全を優先させて病気でもないのに手術をする出産」や「老いて自分では生きていきえなくなったのに管をつけて生きさせている」ことが含まれている、と考えている。それはコンビニやスーパーで売られる食べ物に色々な添加物が入ることにもつながってくる。現代日本では「人の命」は単に物質的な肉体のことだけを見ることは出来ない、という解釈がある。しかし、この場合は聞かれていないので、ここで留めておく。
 例えば、就職の面接試験では、次に「ではあなたの考える人の命とは何ですか?」と続いていく。事実や論拠に対して質問が投げかけられるのだ。それによって、面接官と受験者の相互コミュニケーションが生まれる。生まれると、きちっと相手の言ったこと=事実や論拠を受け止めているか、や自分の事実や論拠を人に教わったのではなく、自分の頭で考えているか、がはっきりするのである。
 対して、ヲタクと言われる人々、多分高木も、自分の好みだけを言う。それは結論(論拠)でしかなく、会話が続かない。「ツインテールって可愛いから良いよね」で終わりなのだ。「では、あなたのいう可愛いってなんですか?」と聴かれても、「ツインテールです」と結論をもう1度言うだけに終わってしまうのだ。これでは、相互のコミュニケーションにつながっていかない。三段論法の結論だけでは、相互のコミュニケーションは出来ないのである。

 さて、補足がながくなったが、では、筆者と教員の、どちらが適当だろうか?
 
 どちらも適当なのである。

 私は講義の最初に「倫理には沢山の正解が同時に存在する」と述べた。
だから、「どちらも適当」と言えるのである。先ほどの介護施設の話へのコメントもどちらもありえるでしょう。上司の性格やいろんな要素が加味されるでしょうし。そして、フォード・ピント事件で判るのは「公衆の福利」はお金だけ(数字だけ)の計算では表わせないし、

 「どちらも適当なのである」から、「公衆の福利」は曖昧なのである

 という結論になります。

 今回の福島原発事故が起こりました。
 けれども、「原発は公衆の福利に反する」とは明確に言えないのです。曖昧なのです。
 数字を幾ら示しても言えないのです。

 ー幸福とは何か

 人間は物質として独り、ということはありえません。現代の人間は、全ての食べ物を自分で作り出しておらす、服、家、金等は他人に依存するのです。しかし、人は孤独を感じますし、寂しさや苦しさも感じます。それは精神の問題であり、1人1人異なる結果になります。それは社会によって変わる倫理と同じ面があります。今回は少し踏み込んでみます。

 幸福というのは考えれば考えるだけ答えが広がる問ではないでしょうか。
平成25年の答えの1つとして、「哲学から元気がでてくる。不安の受け止め方」として講演しました。詳しくは、以下をご覧下さい。
http://takagikenziro.blog.fc2.com/blog-entry-257.html

 また、お薬が人間の幸福を広げた、という意味から「お薬と人間観」として講演しました。詳しくは以下をご覧ください。
http://takagikenziro.blog.fc2.com/blog-entry-265.html

 昨年の講義録には見つけられなかった答えです。来年度はさらに広げられれば嬉しいと考えています。

 さて、技術者倫理から「幸福とは何か」を見ていきましょう。

 「公衆の福利」は、①数値化できない、②統一的説明が出来ない、という特徴があります。

 この「数字で表せないもの」を考える時、2つの考え方があります。
1つは、筆者でもう1つは教員です。対決して学生の皆さんに考えを深めてもらうために敢えて対決させています。

 「数字で表せないもの」は、幸福です。幸福を生み出すために技術がある、という考え方があります。この幸福について、

筆者:ベンサムの「最大多数の最大幸福」を引用します。
   これは全ての関係者に及ぶ影響をすべて計算する、というものです。

   (筆者は「功利主義のように幸福を数量化できない」という批判を挙げています。答えは書いていません。対して教員はベンサムの文章を読むと数量化できないものも幸福に入れていると考えます。その上で)

   ベンサムの「最大多数の最大幸福」 幸福=快楽
     VS
   教員の「幸福」 幸福≒不快 「≒」はニヤイコールで「だいたい同じ」

 ベンサムのいう幸福は、多くの人々(全員は無理)に、なるべく気持ちよく楽しくなってもらう、という考え方です。携帯電話は、私たちが固定電話にわざわざ動かなければならない体の負担を和らげてくれます。さらに、電話の相手と楽しい会話をさせてくれます。椅子は座りやすくしてくれます。このように

 「幸福=心地よさ、気持ちよさ、便利さ」

 (ただし、ベンサムの言うこの考え方は国家を統治するエリートに向けられている点に留意しなければなりません。技術者の生み出す製造物が国家の存亡を左右する時代ですからもしかしたら大切かもしれませんが)

 対して教員は、あるいは殆どの宗教に共通する真理として、

 「幸福=心地悪さ、不快、不便さ」

 である、と主張します。私の個人的な体験から出発します。私は高校時代、お昼はお弁当でした。4人兄弟でしたし正直母親は料理が得意な方ではありませんでしたから、美味しさを考えるとお弁当よりもコンビニや学校の購買でパンを買った方が美味しかったです。また妹は幼かったのでお弁当を持っていく時にしばしば遅れました。不便だった訳です。しかし、私はコンビニや購買よりも母親のお弁当の方が良かったのです。なぜなら、不快や不便でも幸福だからです。
 アメリカでホームステイしている家に1週間行った時、朝ごはんは、箱に入ったコーンフレークにミルクをかけ、オレンジジュースとスクランブルエッグやレンジでチンしたポテトや人参でした。料理はありませんでした。私は「料理しないのですか?」と思わず聞いてしまいました。

 「だって栄養バランスも良くて、便利で簡単じゃない?」

 という答えが返ってきたと思います(私の英語のヒヤリングは壊滅的に悪いので)。お皿は紙皿で残したらそのままゴミ箱へぽい。洗う必要もありません。確かに便利で、簡単で、心地よく、しかも大量に造られる食べ物ばかりだから安いのです。でも、私は日本の母親の料理が食べられることに幸せを感じました。つまり、私がベンサムを批判するのは、「幸福と快楽」は違う、ということです。

 もう少し身近な例に行きましょう。友人の家に遊びに行った時、美味しいお寿司やピザをとってくれるのと、2,3時間もかけて作ってくれた料理(多少味は落ちる。お金は同額)なら、どちらが心を感じるでしょうか? 幸福だと思われますか? 
 私は2,3時間前から考えていてくれた気持ちに幸せを感じます(補足:茶道の一期一会や、お相手の合わせて料理や茶器を選ぶことと同じだと思います)。また、これは私だけの考えではなくイエスやブッダなども言っている幸福です。

 問3 あなたの幸福の基準は何ですか?  他のクラス あなたの幸福はどちらに近いですか?(ベンサムと教員)

 幸福ではなく、幸福の基準、です。ベンサムは「幸福とは快楽である」という基準、私は「幸福とはえてして不快である」という基準を示しました。

 就職を目指す時、将来を考える時、幸福になりたい、というのは1つの基準になります。では、幸福とは何でしょうか? 敢えて対比させて考えてみるのはどうでしょうか?

 補足になりますが、

 「幸福≒不快」

 とするのは殆どの宗教が言っています。むしろ、「幸福≒不快」と言っていない宗教がインチキ宗教という人もいます。ひろさちや、さんは分かりやすく解説してくれる人なので、是非とも読んで欲しいです。

 『どの宗教が役に立つか 』 ひろさちや 新潮選書 1050円

 「幸福≒不快」で有名な話は、旧約聖書のヨブでしょうし、イエスの言葉なら、新約聖書(マタイ19章16-26節)にある、

 「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」

 という言葉でしょう。
 同じく仏教では、釈迦(しゃか)が、王の地位、溢れる財産、美しい妻、可愛い子供を捨てました。快楽が保証されていた地位を捨てた訳です。数々の宗教が、「金の醜さ」、正確に言えば「金に執着する人間の心の醜さ」を述べています。金が無ければ快適な生活は保障されません。貧しい生活は、日常生活の1つ1つが大変になります。つまり不快になります。毎日風呂にも入れず、美味しいもの、安心な場所が得られず、安全なものを食べれず、自己を慰めてくれる物も無くなります。そしてそれを勧めるのです。何故ならそこに心の真の安寧(あんねい)があると、全ての人間が地域や時代を超えて体験してきたからでしょう。

 ドイツの自動車会社フォルクス・ワーゲン(VW)の不正操作でしょう。意図的な不正は、長期的経営リスクを考慮していないのです。現在資料を集めていますが、独占的な経営一家(実際には2つの家系)などの組織的不正があるようです。一刻も早く、「公衆の福利」に適うようになって欲しいものです。

 以上です。
 

哲学4-2 学生コメント集

 学生が書いた感想などと高木の返信をまとめたものです。

 学生の書いた本文はそのままで、誤字脱字等は直します。高木が補足する場合は()を付けます。○は学生のコメント、★:は高木のコメントです。△は補足です。

○いろいろと日本人の女性の綺麗な話が聴けたのは良かった。ただ、ホテルへのアンケート結果を聞いた時に、「日本人はそんなに称賛される程のものなのか」と疑問に思えた。それが「当たり前」だからそうではない「欠点」に目がいってしまっているのだろうか。

★アンケート結果に疑問を持ったのはいいですね。是非とも調べて見て下さい。講義に限らず疑問に思ったことを直ぐに調べて見る癖をつけて下さい。また、今後海外に行く機会があれば、その疑問を現地の人に聞いてみて下さい。

○先生の家庭での女性優位の例え話が妙にリアリティがあって実話ではないかと感じた。

★(笑) 実話にも基づきますよ。ただ、物語と来歴です。かみさんにイラついた時に日本人の知恵(物語)を基準にして家族の基準(来歴)にして行くのが大切だと思うのです。そういう面からも観て下さい。

○日本語では、父なる~と比べて、母なる~の方が多いように思います(あくまで主観)。もしかしたら母の影響が大きいというのもあるのでしょうか。

★あると思います。「母なる~」の方が言われてみれば確かにそうですね。素晴らしい点に気が付きますね。長所です。

○日本古代、歴史上の男女の地位についていろいろ勉強しました。中国では昔からずっと男性の地位は女よりずっと高いから、日本の歴史を勉強して、ショックしました。

★そうでしたか。講義をして良かったです。「ショック」を是非とも大学で沢山受けて下さい。それが人生の糧になってくでしょうから。また、講義でしつこく話しましたが、「自国が素晴らしい。他国はダメだ」というのは学問の公平さを欠いていることを知っておいて下さいね。

○今まであまり母親に感謝する事はなかったのですが、改めて大切だと思いました。昔も今も差別は無くならないので無くすためにはどうしていけばこれから考えていきたいです。

★これからどうすべきか、ということを考えてくれて嬉しいです。何よりです。「哲学は日常生活が別の視点から観える」と言いました。お母様もこれまでと別の観点から観られるようになったのは嬉しいです。

○男女平等になったら男女対等にならなくなりますか?

★ならなくなります。男女平等とは、男も女も同じになる、という意味です。つまり、1つになるのです。対して対等は、男と女がそれぞれ別で良い、という意味です。つまり、2つで良いのです。

○良いということだけではなくそれを悪いと思う方も知りたかった。最近は日本を素晴らしい国という番組が多くあるが、反対の悪い面も知りたく思う。

★健常な精神だと感じました。私もTV番組の転換には同感です。講義は4回目ですが、これまで2つ、根本的に日本を批判してきました。今回は素晴らしい面を挙げましたが、講義は15回ですので、15回で見てみて下さい。また、「知りたい」という単語が出ました。是非とも自分で調べてみて下さい。『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』 (中公文庫)がお奨めです。

△「母親に感謝したい」というコメントを多くの学生が書いてくれました。感謝します。

哲学4-1 日本女性の素晴らしさ

 皆様、こんにちは

『古今和歌集』に

秋の月山べさやかに照らせるは落つる紅葉の数を見よとか  

意味:秋の月が皓皓(こうこう)とてらすのは、落ちる紅葉の数を数えなさいといっているつもりでしょうか

 という歌があります(巻第五 秋歌下289)。それほどの明るく、そして白いぼかしは紅葉の赤や茶色を囃し立てていました。千年前のご先祖様が感動し、そして私が感動する。同じく千年後の子孫たちが感動するのでしょうか。そう考えるとさらに趣深く感じ入ります。今回の講義も千年以上前の女性のご先祖様の素晴らしさを知ってもらいます。哲学は二千年以上前の異国である古代ギリシャの賢人を知ってもらうものです。こうした視点を学生の皆さんに持ってもらいたいと願っています。

 それでは4回目の講義を始めます。

配布プリント 
:ミレーの「種を蒔く人」の画像

  --講義内容--

 前回は、「物語(神話)+努力や苦悩=来歴」を示しました。代表例が、神武天皇の日本建国の詔にある内容が、国旗と国歌の来歴として結びついている点でした。今回は、日本女性の素晴らしさを国史(日本の歴史)から取り上げます。それは、物語で男女の役割の違いが示されていたように、日本では男女で一組、という考え方があります。対して『聖書』では、人は男性を指し、女性はその付属物という物語があるからです。日本の善は男性だけではなく女性が別の側面から互いに支えて初めて成り立つのです。
 古代、中世、近世、近代に分けて幾つかの具体的な例を挙げて説明していきます。
 最後に、何度も繰り返しになりますが、日本人が日本の善をもって他国の善や体制を批判するのは、学問ではないことを付け加えておきます。以下の内容は、静岡県袋井市でのミニ講話で使用した資料となります。

「日本の女性の素晴らしさを知ろう」

 皆様、こんにちは。今回は「日本の女性」です。大和撫子として世界で有名ですが、その本当の意味に迫っていきたい、と思います。
まず、前回に述べた推古(すいこ)天皇から、最後に明治期の女性を述べていきます。現在、日本の歴史は敗戦による影響から書きかえられています。まず、日本の歴史(国史)の本質を述べ、古代、中世、近世、近代における女性の素晴らしさを取り上げていきます。

一.日本を創り出した女性 推古(すいこ)天皇 (古代)

世界一永い国家のわけ:皇室が権力を遠ざけて、優秀な人に預けてきたから。

 言い方を換えれば「権威と権力の分離」です。これは、

物語としては、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の天孫降臨時の「国譲り神話」(信仰の自由)
政策としては、仁徳天皇(第十六代)の「民のかまど」(最古の堤防など大規模灌漑と無税)
制度としては、推古天皇(第三十三代)の聖徳太子の摂政政治 

 で結実します。

 前回、「皇室は権力を放棄し、権威だけの存在になっていった歴史」を述べました。日本は皇室の下に皆一緒に暮らすのですが、皇室が権力を放棄する、という世界でも誠に珍しい制度を採っています。藤原の摂関政治から鎌倉、室町、江戸幕府の征夷大将軍の任命、明治政府、現在の日本政府でも天皇陛下の任命に基づいています。逆に、天皇陛下による任命がなく日本全体の権力を握った者は、日本の歴史上存在しません。これに反対しようとしたのが平将門で自ら「新しい天皇=新皇」を名乗ります(第六十二代村上天皇の御代)。僅か2年で打ち取られました。

 この「皇室が権力を放棄する制度」は、推古天皇が始められたのです。御存知、聖徳太子を初めての摂政に任ぜられました。これ以降、日本の歴史は権力者を天皇が命ぜられる制度が、現在まで続きます。ただ、第14代仲哀(ちゅうあい)天皇の摂政が神功(じんぐう)皇后であったとの説もあります。その後、摂政は制度として継続しませんでした。初の女性天皇であらせあれる推古天皇が、思い切った改革をされました。まず、歴史から見ていきましょう。

神武天皇即位紀元(皇紀):日本建国から始まる暦 敗戦前まで使用「紀元」
キリスト教暦      :キリスト誕生から始まる暦 敗戦後は「紀元」になる

第1代  神武天皇:皇紀元年  2674年前 キリスト教暦B.C660年 
第16代 仁徳天皇:皇紀973年 1701年前 キリスト教暦A.D313年
第33代 推古天皇:皇紀1252年 1422年前 キリスト教暦A.D592年

推古天皇の偉業を世界史の中で見ていきましょう。世界の歴史は戦争の歴史です。つまり、民族の生き残りを掛けた戦いの歴史であり、現在もそれが続いています。そのような多民族地域で民族を生き残らせるためには、3つの方法があります。

ア)上下の階層化 :力が強い場合は支配層に、弱い場合は被支配層に入る 
例) 地域で印度、支那、欧米、イスラムなど大多数
イ)専門への特化 :土地や軍隊を持たず教育や金融に特化して生き残る 
例)ギリシャ人、ユダヤ人など少数
ウ)権力の放棄 :権力と権威の分離で一体化、優秀な指導者の輩出 
例)日本のみ

 権力の放棄によって優秀な聖徳太子は、当時、ローマをも凌(しの)ぐ世界最強最大の帝国隋(ずい)から完全なる独立を世界で初めて勝ち取ります。鎌倉時代の元寇(げんこう)の際には、北条時宗という優秀な指導者が日本を守ります。皇室自体は血統で継承されますから、たまたま、凡庸な天皇陛下の時代に外敵の襲来があると日本が滅びてしまったでしょう。新羅(しらぎ)など支那や朝鮮の国家と争いながら国内では物部氏による権力闘争が行われていた時代です。聖徳太子はそういう危機感を乗り越えたのです。「外交関係の安定(遣隋使)」、「才能による人材採用(冠位十二階)」、「法治主義の導入(17条憲法)」などを成立させました。現代の日本を支える制度を導入しました。これが推古天皇の下に行われたのです。男系で女性天皇は西暦6世紀から8世紀に集中しますが、「皇室が権力を放棄する制度」に基づいて優秀な指導者に権力を渡していく時代でもあります。日本国の存続を守った時代であり、その根本制度を創造したのが推古天皇なのです。
 日本が現在のような「皇室は権力を放棄し、権威だけの存在になっていった歴史」を作り出す最初に、女性があったのです。女性の素晴らしさには感謝しきれません。

二.日本の教養の高さを示す女性 紫式部など (中世)

 江戸時代(18世紀末)の江戸の識字率は70%を超えている、という説があります。世界で最も反映していた国家であったフランスやイギリスを見て見ましょう。パリ10%、ロンドン20%でした。70%ですから、当然女性の識字率が高かったのです。証拠として江戸時代と現代日本は、世界で最も印刷物の多い国家が日本という客観的な事実があります。江戸時代、ヨーロッパ諸国は世界を支配しようと覇権を争っていました。その世界で覇権を争ったヨーロッパ諸国全てを合わせたよりも日本一国の方が出版物の量が多かったのです。また現在まで新聞の発行部数世界No1(読売),2(朝日),4(毎日)、6(日経)、9(中日)です。3位はインドの「The Times of India」で5位は中国の「参考消息」です。識字率の高さと共に読書の質の高さが判ります。
それを支えたのが寺子屋でした。寺子屋は男女関わりなく入れました。江戸では女性でも文字を読めないと結婚などに不利であったと言われています。西欧のように女性が文字を読めると結婚に不利ではなかったのです。女性の教養の高さは世界史の中で輝いています。日本は幼少の頃から礼儀正しく、清潔な国家であると戦国時代から現在まで評価されています。幼少時の教育は何と言っても母親の教育が大きいのです。日本女性は日本の美点を創り出してくれているのです。

その原点を探ってみましょう。まず、女性の教養の高さが世界で断トツでした。御存知、紫式部の『源氏物語』は約1000年前の文学です。ヨーロッパで女性が王位を継承できた数少ない英国とスペインです。他国は100年前まで女性が王位に就けませんでした。この英国で女性による長編小説で『源氏物語』に匹敵する作品は、約160年前(西暦1847年)まで待たなければなりません。エミリー・ブロンデ著『嵐が丘』です。他国はさらに遅くなります。

もう1人の中世の女性を取り上げましょう。

太田道灌(どうかん)と関東平野の農家の娘の話をご紹介します。
太田道灌(おおたどうかん)という室町時代(西暦1432~1486)の関東の武将は、江戸城の基礎を作った人です。太田道灌に山吹のお話があります。落語になっているので御存知の方も多いかもしれません。
鷹狩をしていてにわか雨に合い、道灌は農家にいって蓑(みの:カッパのような雨よけ)を借りようとします。すると少女が出てきて山吹の花を一輪出したのです。道灌は山吹の花ではなく蓑を借りたいのだ、と帰ってしまいます。道灌がこの話をすると近臣(部下)は『御拾遺和歌集』(第七十二代白河天皇の御代、西暦1089年完成)の歌を紹介しました。

「七重八重花は咲けども山吹の(実)みのひとつだになきぞかなしき」

意味:山吹の花は、沢山の花弁があるのに実をつけないのが悲しい
農家の小女の意味:蓑(みの)がないのが悲しい、ので申し訳ありません。

みのひとつだになきぞ ⇒実が1つもない ⇒蓑が1つもない と変換したのです。
この歌は太田道灌の四百年以上昔の本です。400年前の本をしっかり読んで変換したのです。

○おもてなしの心

その変換をする理由があります。それは「ありません」というのは相手に申し訳ない、恥ずかしい、から直接言葉にしないためです。このような奥床しさは、日本の心です。現在では東京オリンピックで「お・も・て・な・し」という言葉が少し前に流行りましたが、その根本になる日本の心です。道灌は己の不明を恥じて歌道に精進したそうです。日本女性の奥ゆかしさ、美しい心が1000年を超えて変わっていないのが判ります。
もう1点、同時の首都京都から遠い農家の娘が文字を読めた、ということです。しかも、農家の娘は本をきちんと読み、意味を正確に理解し、武士という支配階級と知識を共有していたのです。
当時、文化の中心は京都、権力も室町という京都でした。その中心から歩いて何日も掛る関東、支配層ではない農民、男性ではない女性が、これだけ立派に文字を読むことが出来たのです。識字率がどれ程に高かったか、が判るでしょう。私(高木)はヨーロッパ史やアジア史などに詳しくないですが、中世に当時の支配層の持つ知識水準を首都から数日離れた場所の、街ではない、女性が持っていて自在に使いこなしていた、という話を聞いたことがありません。日本女性の教養の高さ、同時に奥床(おくゆか)しさに、ただただ感動するだけです。
対して西欧の19世紀の農民を見てみましょう。「落ち穂拾い」や「晩鐘」などが有名なミレーが「種を蒔く人」を出展して賛否両論の渦を巻き起こしました。ミレーは農民の労働の尊さを絵にしただけでしたが、賛否両論から、19世紀の農民の扱われ方が見えてきます。農民は美の対象になることはけしからん、というのです。フランス革命(1789年)で民衆が主役になった150年後でも、農民は美の対象として扱われていなかったのです。日本では道灌のお話が残っているようい、1400年代から、農民も女性も美しい話の主役だったのです。

三.堂々と生きる見事な女性 :戦国時代の女性たち (中世から近世)

次は戦国時代に移ります。戦国時代、ヨーロッパからイエズス会の神父たちが来て、日本を記録しました。世界支配とキリスト教に基づく奴隷化を目指していましたが、日本は無理である、と結論付けています。道徳心が高く清潔で素早い技術習得や独自の文化があるためです。日本は世界の中で特別な国として記録されています。その中で見事に生きる女性について書き出してみます。

○乗り物と服装
「ヨーロッパの女性は横鞍(よこぐら)または腰掛に騎(の)っていく。日本の女性は男性と同じ方法で馬に乗る。」(ルイス・フロイス『日欧文化比較』)

 江戸時代に女性は横鞍や腰掛の騎乗方法になりますが、男性と同じく正面を向いた騎り方でした。この時代の小袖(こそで:和服の元)は幅がゆったりとしていました。そのため馬乗りも可能でしたし、堂々と生きていました。同じくフロイスから引用します。

○歩き方
「ヨーロッパでは夫が前、妻が後になって歩く。日本では夫が後、妻が前を歩く。」
○外出
「ヨーロッパでは妻は夫の許可が無くては、家から外へ出ない。日本の女性は夫に知らせず、好きな所に行く自由をもっている。」
○財産
「ヨーロッパでは財産は夫婦の間で共有である。日本では各人が自分の分を所有している。時には妻が夫に高利で貸付ける。」(例えば、フランスでは1965年まで妻は共有財産の管理権は認められなかった。つまり、結婚すると全て夫の財産になる、の意味)
○離婚
「ヨーロッパでは、妻を離別することは、罪悪である上に、最大の不名誉である。日本では意のままに幾人でも離別する。妻はそのことによって、名誉も失わないし、また結婚もできる。汚れた天性に従って、夫が妻を離別するのがふつうである。日本では、しばしば妻が夫を離別する。」(注:妻の離婚権を認めていた、の意味です。イエズス会を含むカトリックでは死別以外の離婚を認めないので布教の大きな妨げとなりました)

ちなみに、日本における離婚の割合が最も高いのは統計を取り出した明治16年、明治39年~41年で4割前後に達します。その後、離婚率は低下しますが、離婚しても女性は家長制度によって経済レベルを落とさずに済みました。「働かない男、女と何時までも一緒にいるのは子供のためにならず、早く離婚しなさい」という道徳がありました。現在の日本では「離婚すると養ってくれる人がいないので子供のために我慢して離婚しない」という女性は多いのではないでしょうか。
戦国時代は、○乗り物と服装、○歩き方、○外出、○財産、○離婚、など現在の女性とほぼ同じ生き方が出来ていたことが判ります。また、結婚も女性から言い出すことが出来たという記録もあります。堂々と生きる見事な女性たちが日本に居たことが伝わってきます。(菅原正子『日本人の生活文化』参考)

四.世界の一等国を生み出した女性:明治時代の女性(近代)

 西欧列強がほぼ世界を支配する中で、独立した数少ない国であり、最も大きい国でした。そして世界史で始めて西欧列強の最強国ロシア帝国を打ち破り、西欧列強の世界支配を終わらせた国として世界史に記録されています。その原動力はどこにあったのでしょうか。日本人の言葉ではなく、西欧列強の人々の言葉に耳を傾けてみましょう。
スコット南極探検隊の映像記録を残した写真家ポンティングは、明治34年から35年に日本で写真撮影を行っています。その時の回顧録が『英国人写真家の見た明治日本 この世の楽園・日本』として出版されています。この本の「第八章 日本の婦人について」などから引用してみましょう。ちなみに彼の写真は西欧列強で大盛況でした。

「中国やインドを旅行すると、何か月も婦人と会話を交わす機会のないことがある。それは、これらの国では召し使いが全員男で、女性が外国人の生活に関与することは全くないからだ。しかし、日本ではそうではない。これははるかに楽しいことである。日本では婦人たちが大きな力を持っていて、彼女たちの世界は広い分野に及んでいる。家庭は婦人たちの領域であり、宿屋でも同様である。」

 戦国時代と同じく明治時代、女性の社会進出が進んでいたのが判ります。社会進出が世界一進んでいましたが、今後は家庭に目を向けてみましょう。ポンティングの「家庭は婦人たちの領域であり」の言葉を追ってみましょう。

「彼女(注:妻)は独裁者だが、大変利口な独裁者である。彼女は自分が実際に支配しているように見えないところまで支配しているが、それを極めて巧妙に行っているので、夫は自分が手綱を握っていると思っている。そして、可愛らしい妻が実際にはしっかり方向を定めていて、彼女が導くままに従っているのだけなのを知らないのだ。」

 お釈迦様と孫悟空のようです。もちろん、女性がお釈迦様です。現在でも日本では妻のことを「かみさん」と呼びます。では次に「彼女たちの世界」を追ってみましょう。

「過去の日本において、男子と婦人の相対的地位がどうであったにせよ、いろいろな職業で婦人たちが男子と完全に匹敵することが実証されているので、近い未来にはほとんど他の国と同じように、男子と婦人とは同等の立場に立つことになるだろう。」

 この文章を読むと、ポンティングは一見、「敗戦後のフェミニスト(男女同権主義者)」のように見えます。しかし、次の一文を見てみて下さい。女性の賢さが日本を一等国に押し上げた原因とします。

「(日露)戦争のとき日本の婦人たちが、国家のために男子に決してひけとらないほどの重要な奉仕をしたことを、全世界に示すことが出来た時代になったにもかかわらず、日本の婦人たちが選挙権を要求して騒ぐようになるのは、ずっと先のことではあるまいか。
 日本の少女が近代的な教育方法の下で、控え目な態度をいくらか失ったとはいえ、女性としての優雅さと愛嬌まで失うことは決してあり得ないだろう。」

 日本国の国運を掛けた日露戦争に勝ったのは男子の力だけでなく婦人の力が同じくらいであった、と述べ、その後に、女性に適した役目に徹することを述べています。日本が西欧列強の人種差別植民地主義の中で、人種差別放棄の法案を世界で初めて提出し、植民地を唯一持たなかった国であったのです。このように世界の例外中の例外なのに、世界史で習ったように世界の3大大国として認められた原因が、「婦人(女性)である」とポンティングは述べています。
さらに、ポンティングは、日本女性の優雅さや愛嬌が日本の魅力であり、素晴らしさであると述べています。

「日本の婦人は賢く、強く、自立心があり、しかも優しく、憐(あわ)れみ深く、親切で、言い換えれば、寛容と優しさと慈悲心を備えた救いの女神そのものである。」

 絶賛です。

 先ほどの日本の婦人は救いの女神だ、という一文に「憐み深く」が入っていたのが思い出されます。婦人の抑制した態度には賢さが見られます。女性の素晴らしさは英国人だけでなく日本の男性も褒め称えています。「母親の賢さが日本を強くした」という黒木陸軍大将(日露戦争の第一師団団長)はポンティングに述べています。ポンティングはこの言葉を聞いて「今まで見た日本を思い出した」と記します。黒木大将の言葉です。

「日本の兵隊の挙げた業績について話すときに忘れてはいけないのは、これらの行為を成し遂げたのは決して日本の男子だけではないということです。もし我が国の兵隊がその母親から、義務と名誉のためにはすべてを犠牲にしなければならないという武士道の教育を受けなかったら、今日の成果を挙げることはできなかったでしょう。日本の婦人は非常に優しく、おとなしく、そして謙虚で、これからもつねにそうであって欲しいものだと思います。また、それと同時に大変勇敢であり、我が国の兵隊の勇気は、大部分、小さいときにその母親から受けた教育の賜物(たまもの)です。一国の歴史の上で婦人の果たす役割は大きく、どこの国でも、もし婦人たちが、何にもまして勇敢で優しく謙虚でなければ、真に偉大な国民とは言えません。兵隊と同様に、日本の婦人は国に大きな貢献をしているのです。」
 この黒木大将の言葉のすぐ後にポンティングは言います。

「老将軍の静かな声で、婦人の雄々しさを讃(たた)える言葉を聞いていたとき、私の心の中には日本で見た色々な光景が甦(よみがえ)ってきた。・・・(中略)・・・『日本の婦人は世界一です。皆で乾杯しましょう』。私はラフカディオ・ハーンがこれと同じことを言っているのを再び思い出した。」

 帝国陸軍は世界一の軍隊でした。規律正しく勇猛で、世界を平等と平和に導く戦果を挙げました。そのため日本は世界の一等国になったのです。戦闘が強いだけで理想を持たない国家は一等国として認められません。その原動力に婦人の力が大きかった、とポンティングは述べています。現在まで続く日本の高い評価にも、婦人の力が大きいことが推測されます。英国の実施するホテル業界のアンケートでは「最も礼儀正しい国民No.1」や「最も来て欲しい国民No.1」などに選ばれ続けています。日本の女性は日本の善さの原動力だと思います。

 推古天皇の「権力を放棄する制度」の創造に始まり、教養の高さ、活き活きとした生き方、礼儀正しさや勇敢さなど日本の善さを作りだしてくれた大勢の女性がいたのです。そしてその素晴らしさを私達が受け継いでいるのです。御先祖様に感謝致します。
以上が「日本の女性の素晴らしさ」です。ご拝読有り難う御座いました。

更に詳しく知りたい方に

菅原正子 『日本人の生活文化』:活き活きと生きる女性の姿が見えて来ます
ハーバード・G・ポンティング 『英国人写真家の見た明治日本』:写真が美しいです

 をどうぞ。

 過去の講演録にはなかった、ミレーの「種を蒔く人」を入れるなどしました。
 日本の来歴に女性が大きな役割を果たしてくれていることを示せたと思います。

 最後に問ですが、

問1 江戸時代末期の江戸の識字率はどのくらい? →70%以上
問2 商家は5人の長男、長女、次男、次女、三男の誰に財産を譲る? → 長女
問3 感想 →各々で「哲学4-2 学生コメント集」に
 
 となりました。

 以上です。
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