原発事故と教育のつながり2

 前回に引き続き、「静岡 自然を学ぶ会 92号」2011.9.2 に掲載されたエッセイです。

 講義終了後、お礼と共に「福島原発事故について6コマ分の講義内容」を送りました。
 http://takagikenziro.blog.fc2.com/blog-entry-61.html

 編集長さんが「とても良いので、これを元に何か書いて下さい」と言って下さり、エッセイとしてまとめました。「学問の力」は書いていてまとまってきた内容です。これを書いて、福島原発事故を前向きに捉えられるようになりました。以下内容で掲載の許可を得ております。

原発事故と教育のつながり2
                          高木 健治郎(静岡市)

 福島原発事故での放射性物質排出は、大分落ち着いてきました。しかし、原発政策はいまだに混乱しており、現在も予断を許さない状況にあります。停止も再稼動も廃炉も原子炉1つ1つの個別の判断になっていて、統一的な評価基準がないためです。被爆限度についても法定基準の年間1ミリシーベルトと暫定基準の20ミリシーベルトで右往左往し、食品の暫定基準も自然科学に基づいた統一的な説明がありません。
一方、福島原発事故で安全が確認された箇所が見られたり、日本国民の「寄り添う」気持ちが義援金、救援物資、節電などに見られたりと、多くの希望も見えてきました。
 このような状況下で、原発について大学生と一緒に考えていくことを、本誌前号(91号)で宣言しましたが、その結果をご報告致します。

学生の気持ちに「寄り添う」

 「なんでだろう?」と対象に興味を持つのは、学問の出発点です。「なんで空は青いんだろう?」と言われ、興味をスッと持つ子と「どうでもいいじゃん」という子に分かれます。興味を持ってもらうようにするのは、大切ですし難しいものです。
学生の感想にも「最初は原発事故に興味が無かった」や「初めは福島原発事故はやりたくなかった」というものが2割ほどありました。私自身もそうでしたが、福島原発事故のニュースを見るのも聞くのも嫌になる時期がありました。直接被害を受けていなくとも、TVの映像や新聞などに触れ、その事故の甚大さと悲惨な現状に、気持ちが落ち込んだり目を背けたくなったりする心の動きは当然のことです。この状況を踏まえ、事故に「なんでだろう?」と興味を持ってもらうためには、まず学生の心理的な傷や思い込み、数々の感情を受け止めることが大切だと考えました。学生の気持ちに「寄り添う」ことが出来なければ、学生と一緒に作っていく講義そのものが危うくなるのです。
私はまず、学生と一緒に一分間の黙祷(もくとう)を捧げる機会を3回設けました。1回目は講義初日に、2回目は福島原発を取り扱う授業の前に、3回目は福島原発について学生自身がまとめる最後の授業の前にです。「もう1度、3月11日自分が何をしていたか、その時、感じていた気持ちを思い出してください。そしてあの時の映像、あの時家族を亡くされた方々を、たった今も家の戻れない方々の気持ちを思いながら黙祷してください」と伝えました。
同じく、3月11日の震災直後の自分の行動や気持ち、震災4か月後の自分の気持ちなどを振り返り、文章にする機会も設けました。
学生の気持ちに「寄り添う」というのは、教員である私と学生が「寄り添う」だけではなく、教員と学生が一緒に同じ方向を見つめていくという意味での「寄り添う」ことも大切だと考えました。東日本大震災で亡くなり被害を受けられた方々のお力を頂いて、教員と学生が一緒に「寄り添い」学問に向かっていくことを決意しました。3クラス全て、黙祷の間、物音一つせず窓の外の鳥のさえずりが聞こえてきました。私たちの心も静寂(せいじゃく)に包まれました。

「学問の力」-自分の感情や思い込みから離れる力

 落ち着いた心があって初めて、冷静に「なんでだろう?」という問題に興味が向かいます。講義の最初にA4で6枚の宿題プリントを出しました。福島原発について

・「事故前の事実(6個以上)」 
・「事故後の事実(6個以上)」
・「事故前の『推進派』の考え方(3個以上)」
・「事故後の『推進派』の考え方(3個以上)」
・「事故前の『停止派』の考え方(3個以上)」
・「事故後の『停止派』の考え方(3個以上)」

を事実確認として調べてもらいました。
 「事故前」と「事故後」、「推進派」と「停止派」という区別を意識しながら調べると、事実確認がより明確に出来ます。また、「推進派」と「停止派」の主張が自分の心の中で理解しやすくなります。私たちは、自分の感情や思い込みで動くことが多いですし、また動かなければならないことも沢山あります。それは日常生活では大切なことです。
 他方、区別を意識しながら両方の主張を理解することで「学問の力」が生まれます。この「学問の力」は、自分の感情や思い込みを一旦置いて、2つ以上の主張を自分の心の中で理解しやすくしてくれます。
学生は、「事故が起こったから反原発の事実しかみていなかったことに気がついた」や「原発は絶対に必要だという根拠が曖昧なことに気がついた」などのコメントをくれました。さらに、「原発だけでなく、色んな問題を賛成、反対の両方から考える必要があるのを自分で考えてみて分かった」というコメントもありました。
この両方の立場から見る具体的な方法は、前号の誌面をご覧ください。講義中、折に触れ、幾つもの事例で説明しました。
具体例を2つ挙げると
静岡県に大きな影響を与えた荒茶問題ですが、そもそも荒茶は生葉を技術で加工した段階であり、トマトやねぎのような農作物にはない段階です。そこで荒茶は加工品なのか農作物なのか解釈が分かれます。農作物と解釈すれば採取したままの生葉の段階と消費者の口に入る最終段階だけが検査の対象になります。法律は食品衛生法です。他方、加工品と解釈すれば製造物責任法です。この法律は結果責任が問われる厳しい法律です。大雑把に言いますと、「20年後ガンになった原因はお茶に入っていたセシウムにある」と訴えた場合、お茶の製造業者が「セシウムとあなたのガンは関係ありません」と証明しなければならない責任(立証責任)を負います。放射線の線量とガンの関係を証明するのは困難です。そのため、莫大な賠償責任がお茶の製造業者に出てくる可能性があります。農作物と解釈すればこのようなことは起こりません。ここに法律の盲点がありました。この点について静岡県と神奈川県の両知事は農林水産省に科学的根拠と説明をもとめました。注:静岡県は農作物と扱っています。

福島原発事故の事故経過を「否定」の立場からとらえると、人災の側面が浮かび上がってきます。そもそも原子炉の専門でない研究者を原子力安全委員長にし、その委員長が「原子炉は爆発しない」と言った数時間後に水素爆発しました。その他、事故対策の遅さ、不味さは数々挙げられています。他方「肯定」の立場から捉えると福島原発事故で、「免震重要棟(めんしんじゅうようとう)」が壊れなかったことは注目に値します。復旧作業に欠かせない現地指令機能、作業員の安全確保機能を担っています。これは2007年の新潟柏崎刈谷原発事故の反省から設置されました。また、原子炉そのものは緊急停止が行われ、この点については安全性が実証されました。両方の立場を区別して、さらに色々な事実が整理出来ます。

学生の感想で最も多かったのは、両方の立場から見る「公平さ」の大切さでした。
○今までやってきた中で、受ける前と受けた後では全く自分の中の知識が変わりました。基本的には原発のことでしたが、受けていなかったらテレビでしか知ることが出来ず、実際にどんなことが起こっていて、どういう状況なのか分かることはなかったと思われます。原発があった方がいいのか無い方が良いのか深く考えた時もありました。これが正解という事ではないので、自分がもし教える立場になったら1つの考えではなく、沢山の考えについて教えていきたいです。(長文のため内容は一部省略してあります)

「学問の力」-絶望の中に希望をみる力

 もう1つの「学問の力」を学生に伝えました。
「なんでだろう?」と興味ある対象を色々と調べていくと楽しさが出てきます。と同時に、絶望に近いものも浮かび上がってきます。事実確認の宿題を終えた後、「どうしてこんなに危険な原発をするのか不思議だ」や「国や専門家が責任逃れをずっと前からしていたのを知って驚いた」などのコメントが学生から出てきました。現実をずっと見つめていくと、そこにはある深い闇が待っています。私たちが毎日食べている野菜や肉もその裏には幾つもの闇が隠されています。科学史にも沢山の紆余曲折があり、深い闇があります。福島原発事故も同じです。
 1つの価値観に基づいた思い込みよりも、自分で事実確認していった後に現れる闇に心を取られてしまうことが多々あります。例えば、TVや新聞は当初、「原発はもう安全です。放射能は直ちに被害がありません」と述べました。この情報だけを信頼すれば福島原発事故に対して容易に判断が下せるでしょう。「原発は大丈夫だ」と。対して「それって本当?」とインターネットや本を読み自分で調べていった人は、強い怒り、絶望、断罪の気持ちを持ったのではないでしょうか。「どうして日本はこんなに酷いのか」と。それは正常な、あるいは健全な過程だと私は考えています。しかし、そこに留まっていては無気力、心の荒廃が待っています。
 闇に触れた後で出てくる、その強い怒り、絶望、断罪の気持ちの中から、希望へとつなげられる力を学問は持っていると思います。絶望の中から「希望」を選び出すこと、それが「学問の力」であると講義で伝え続けました。そのためには、事実確認の後、「推進派」を肯定する説明を自分で考え、次に「否定派」を肯定する説明を自分で考えた上で、色々なアイディアで整理していくことが必要です。

具体例を1つ挙げると 
学生が1990年以降の事実を多く確認してきてくれたので、原発導入時の事実確認を提示しました。歴史的経緯を確認していくと米ソ冷戦が、日本に原発を導入した主な原因であることを確認できます。50年以上前の原発導入時には、原発を導入する政治的利益と政治的リスクを比較すると利益の方が大きかったのです。しかし、現在はその政治的利益(日本を反ソ親米にするなど)は達成され、そもそも米ソの対立がなくなりました。
ですから、現時点でもう1回、原発の利益とリスクを比較するトレードオフを行うことが重要である、という道筋が見えてきます。この道筋が未来へと目を向けてくれます。現在の絶望に留まるのではなく、未来へ意識が「学問の力」が生み出す希望なのです。
本当に恐ろしいのは「何も出来ない。どうでもいい、という諦(あきら)め」です。それは目の前の事実にだけ目を向け、現在の絶望に留まり、「それって本当なの?」や「なんでだろう?」を放棄した時に出てきます。
○今回の授業を通して主に原発のことをやってきました。一番自分の中で変わった事はニュースを見ることが多くなったこと、そして、さらにインターネットを使って深く調べるようになったことです。今も福島原発は危険な状態で、汚染牛肉等の食材(まだまだこれからいっぱい出てくると思う)も流通してしまっています。地震・津波の大震災が起きたという事実、これからどうするか、復興の課題を自分でも見つけ、何とか手助けしたいです。有り難う御座いました!!
私は、自然科学の態度が福島原発事故で問われている、と考え、講義を通してこのような結論に達しました。耳を目を手で隠したくなる福島原発事故の大変さや悲惨さに触れ、「何も出来ない。どうでもいい、という諦め」の気持ちが出てくるのは、当然だと思います。その上で、自然科学や学問の出発点である「それって本当なの?」や「なんでだろう?」を持ち続けることが大切である、と考え伝えました。そこから未来への道筋がしっかりと見えてくるのです。以下は学生からもらったコメメントの一つです。

講義の内容-福島原発事故について-(6コマ分)

①1954年の導入決定時に原発(原子力発電)は実用化されおらず、安全、経済的優位、他の発電に対する技術的優位は確立していなかった。原発の試験運転は導入決定の10年後、実用化は15年後である。

②しかし、安全、経済的優位、技術的優位はアメリカのデータを基にして主張された。

③技術確立していない原発が日本を含め世界に広がった理由は、米ソ冷戦という国際政治の構造にある。(ソ連の水爆優位を崩すためアメリカ主導のIAEA創設、ソ連は平和利用の名目で原発を世界各国へ、それをアメリカも見習う)

④太古から技術史を見渡すと、社会的理由(政治、軍事、文化、宗教、権力闘争など)で優れた技術が捨てられた事例が沢山ある。(例:最古の凸版技術、造船技術、鉄砲技術など)

⑤日本の原発導入の社会的理由は主に政治的理由であり、米国にとっては世界戦略の1つ、反米感情の鎮静化、日本にとっては冷戦構造の中で朝鮮半島やベトナムのような戦場化を避けること、核兵器を持てない立場での核技術の保持、自主エネルギー確保などである。

⑥原発導入時には利益とリスクの比較(トレードオフ)では利益が上回っていたが(認めない立場も説明)、ソ連崩壊など政治的理由が変化した現在はトレードオフが成立しない((核技術の保持はイデオロギーとして残っている)。

⑦政治的理由で導入されたことが、技術的観点=「許容可能なリスク」や「工学的安全」などが無視され続ける要因となる(属人的組織風土)。

⑧具体的例として、原子炉の圧力抑制プールの水蒸気菅の耐震設計(福島原発事故の原因と1つと考えられる)のデータと考察を、津波や地震の殆どないアメリカからそのまま取り入れ、原子力安全委員会や専門家や設計会社や電力会社が信用したこと、福島原発事故と同じ事故原因で起きた(と考えられる)以前の事故を再発防止対策にいかせなかったことなどがある。

⑨技術者倫理に立つと、50年前の政治的理由が属人的組織風土を生み出し、それにより優れた日本の原発技術の工学的安全が担保できてこなかった一例と考えられる。

⑩本質的に技術は自然科学と異なり、一元化、数値化は不可能である。それゆえ、「許容可能なリスク」に留めるために事故の原因究明と再発防止策は不可欠である。

⑪日本国政府が、総括原価方式で電力会社の利益を担保し、原賠法で補償を担保し、立地探し、研究開発、最終処分などの負担をする意味で経済的合理性のない原発を、電力会社に求めてきた。

⑫原発導入時に正力松太郎(読売新聞の拡大、日本テレビ創設など)氏が、国会議員、国務大臣になり中心的な役割を果たす。同時にマスコミが反原発から原発推進へと世論を動かす大きな役割を果たした。

⑬原発に限らず、米ソ冷戦構造の残り物が憲法、軍事、教育、経済など多くの分野にある。

⑭原発事故の具体例として、静岡県と神奈川県の荒茶の出荷停止問題を取り上げ、基準値を国際基準と比較検討した後、製造物責任法と食品衛生法、原子力安全委員会の安全指針の点から検討した。

《出典》)
ご興味をもたれた方は以下を御参照して下さい。関連する番号が後ろにあります。
・動画「NHK 原発導入の歴史」http://www.youtube.com/watch?v=EbK_OlzTaWU
原発が米ソ冷戦による政治的理由で導入され、技術に基づいていない点。日本の原発全体を考える出発点になります。アメリカ側の公文書公開に基づいていて説得力があります。 
:①、③、⑤、⑫

・「毎日新聞平成23年6月9日 <米原子力規制委>耐震不安「無視」…福島と同型のマーク1」
福島原発事故の事故原因についてです。原子炉、その安全を示すデータと基準をアメリカからそのまま輸入していた点。地震がない前提で設計された福島原発。:②、⑧

・『銃・病原菌・鉄』(下) ジャレド・ダイアモンド著 草思社 第12章
社会と技術の関係を考える上で大切な本。1000年以上進んだ技術も当時の社会的理由で放棄された例、劣った技術でも変わらない例など。世界史を技術史から見た本。:④
 
・『原子力発電の諸問題』 日本物理学界編 東海大学出版会
日本政府が電力会社に原発を推進させた法律の内容がコンパクトにまとめられた本。また、損害保険料が極めて高いなど数字を使った議論がまとまっています。:⑪

・『原発大崩壊! 第2のフクシマは日本中にある』 武田邦彦著 ベスト新書
福島原発について専門家としていち早く分析し、分かりやすく解説した本。小学校の表土を削るなどの具体的な提言もある。講義でも「事故後」を知る上で紹介。

・「茶の環境放射能調査結果」静岡県経済産業部 農林業局茶業農産課 
http://www.pref.shizuoka.jp/sangyou/sa-340/cha-housyanoukekka_h23.html
情報公開と説明責任を果たした実例として紹介。注で生葉と荒茶の違いを書くなど丁寧な説明も素晴らしい。:⑭

学生と共に作り上げた講義 

 講義を学生と共に考えて作り上げました。最初に私自身が考えて予定した6コマ分の講義の内容が、30%ほど変りました。その30%は学生が一生懸命調べてきてくれ、教員に教えてくれた内容です。ですから、私としても勉強をさせてもらい、同時に他の学生と教えあった内容でもあります。学問という大きなものの前に、教員も学生も同じラインに立っているイメージを私は持っています。それを実感した30%でした。教員から一方的に事実を提示するのではなく、先に学生同士の事実確認を行いました。学生が自分の意見を作る際も、先に学生同士のグループワークを行って意見交換を行いました。その上で教員の意見の提示をしました。このような方法で講義を学生と共に作り上げていきました。

最後に

前回、「静岡自然を学ぶ会 91号」で書かせて頂いたことを心に留めながら、講義をしてきました。終わっての実感は、「やってよかった」こと、「希望が見えてきた」ことの2つです。また、講義「科学技術者の倫理」として、必要な専門用語や観点、法律と道徳の関係などについて正確に伝える内容は去年と変わりませんでした。
ただ、今年度の講義で福島原発事故を取り上げ、私が根本的に伝えたいことを自覚しました。それは、「公平さ」と「寄り添う」ことと2つの「学問の力」です。
 科学的な態度を考える科学哲学を学ぶ者として、私自身の反省踏まえて誌面に投稿してから、3ヶ月が経ちました。今後とも、科学的態度を考えながら「学問の力」を大切にしていきたいです。

追記:講義の詳しい内容、さらなる出典をご覧になりたい方は、「高木健治郎のブログ」にて全て公開しております。ご参照くださいませ。http://takagikenziro.blog.fc2.com/


追記:前号も意外にも好評を頂きましたが、今号は退官された技術系の諸先生方、現役の技術系の先生方からもお手紙やメールを頂きました。私が書き溜めてきたことを、公のために出していく時期に来たのではなかろうか、と感じました。色々な場で社会に還元していきたいと思います。
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