原発事故と教育のつながり  

 「静岡 自然を学ぶ会 91号」2011.6.2 に掲載されたエッセイです。

 一般の人向けの会報で、お茶つみ報告やカワセミの観察紀などが載る幅広い誌面です。

 編集長さんが「原発について是非取り上げたい」と話され、講義「科学技術者の倫理」の内容を模索してる時期でした。渡りに船、と書くことでまとめることが出来ました。以下内容で掲載の許可を得ております。


原発事故と教育のつながり  
 高木 健治郎(静岡市) 


 今回の福島原発事故は、教育の中に科学的な態度がなかったからではないか、と考えています。科学的な態度を考える科学哲学を学ぶ者として、私自身の反省を込めて、この文章を書きます。
 大学で「科学技術者の倫理」を担当し、「技術者が作った物に責任を持つこと」について学生の皆さんと一緒に考えてきました。自動車や食品偽装問題、青色LEDなどと共に、原発も取り組んできました。今回の福島原発事故に大きなショックを受け、もう1回、最初から原発を学生と一緒に考えていこう、と出直しました。

1.福島原発事故を取り上げること

 「それって本当なの?」という疑問は自然科学の出発点ですし、大切な科学的な態度です。今回の原発事故で私たちがはっきりと判ったのは「『国や電力会社や大学の先生が絶対に安全だよ』と言っていたのが本当ではなかった」ことです。先生の権威や国の権力などに大切な科学的な態度が曲げられてしまったのです。曲げられてしまった原因は私たちの教育に、特に科学教育に原因があると考えたのです。ですから、私たちの身の回りにある些細な出来事から、電力という日本国全体の問題にも行き渡ったと思います。原発事故と教育のつながりだと感じました。
 福島原発事故は3月11日でしたから、4月から始まる新年度のシラバスや講義計画が定まっていました。しかし、「この問題は是非とも講義で学生の皆さんと一緒に考えたい」と各方面にお願いして、急いでシラバスを改訂しました。昨年までの内容を最初から8回の講義に凝縮させ、残りの6回を福島原発事故にあてました。最初から8回目まで学ぶ内容「倫理、法律、インフォームドコンセント、工学的安全、公衆の福利、製造物責任法、公益通報者保護法」にも、原発関係を関連付けました。例えば、「静岡県や神奈川県の『荒茶』の検査中止要望書」です。※
※ 5月17日毎日新聞によると、お茶の生葉と飲用茶から放射性セシウムが検出された。お茶は荒茶になると暫定基準値を上回る可能性が出てくるので中止を要請した。生葉の水分が5%になる荒茶は1kg当り放射性セシウムの割合が高くなる。
昨年度まで、原発を考える場合に基礎となる事実は教科書や本、教員の調べた内容を使っていましたが、今年度は全員に調べてもらうことにしました。もう1度、基礎となる事実の精査から科学的な態度を捉えなおしたいのです。A4で6枚の宿題を6週間の期間で出しましたが、とても熱心に調べてくれています。大学の図書館の原発関係が置いてある棚が空になり、講義で紹介した本が3人の予約待ちが出たと司書さんに教えて頂きました(執筆時5月31日)。6月7日にスタートする原発関係の講義では、学生の皆さんが調べてきてくれた多くの事実を基礎にして、8回の講義の内容を基礎にして、共に検討していくつもりです。

2.科学的な態度とは

 「科学的な態度」は、改めて考えると中々難しいものです。
「それって本当なの?」という疑問を重視した人がイギリスの科学哲学者カール・ポパーという人です。「科学とは常に間違う可能性を認めている学問である」と述べました。つまり、常に「それって本当なの?」という疑問を突き付けられているのが科学になります。「原発は安全なの?」とか「物っていつでも必ず落ちるの?」とか「電話って電気が必要なの?」という問いに、常に間違う可能性を認めているのです。それを科学的な態度の基準にしたのです。子供は「なぜ?なぜ?」が多いです。その心を大切にしたいです。それが科学的な態度の出発点だと考えます。出発点を大切にすると、科学は面白いし、科学は発展し、全世界の人間とつながれるのだと考えています。
 「それって本当なの?」の疑問に答えるためには、「はい本当です」と「いいえ間違いです」の両方から自分の頭で考えなければならないと私は思います。そして最も大切なのは

「肯定と否定の両方から考えて、初めて自分の意見が出てくる」

ことです。「肯定から考えただけでは自分の意見ではありません」し「否定から考えただけでも自分の意見ではない」という意味です。誰かの意見をいつの間にか自分の意見にしていることが多いという意味です。この内容を講義で話した時に、教室がビシッ!!と引き締まった感覚がありました。学生の皆さんが私の方に心を向けてくれている。一言一句聞き逃さないようにしてくれている。学生の方を見ると何人もの学生さんと目が合いました。集中した美しい瞳を見ることが出来ました。
 「なぜ皆さんは大学に進学しましたか?」と続けて問いました。親に「大学くらい出ておいてよ」と言われたからでしょうか? 高校の先生に「この大学なら入れるよ」と言われたからでしょうか? 自分自身で「大学に行ってみたい」と思ったからでしょうか? どの場合でも「行かなかった場合はどうなるんだろう」を自分の頭で考えましたか? と問いました。そうしないと、親に言われたから大学に来たことになります。それは自分の意見ではないのです。
 福島原子力発電事故の前、国や専門家が「原子力発電所は絶対に安全です」と言ってきました。それに対して「それって本当かな?」と自分の頭で考えてきたでしょうか。考えてきたのではない、としたらそれは自分の意見ではなく誰かの意見に従っただけなのです。「原発をやめれば電気が止まる」や「原発がないと日本が経済発展しない」という意見でも同じです。

3.科学的な態度と論理

 福島原子力発電事故の後、国や専門家は「まだまだ原子力発電は大丈夫だから推進する」と言っています。それに対して専門家の中でも多くの人々が「原発はもう止めた方がいい」と言っています。日本国民の意識としても「原発はもう止めた方がいい」が多くなってきているようです。しかし、「原発停止も、本当に自分の意見ですか?」と「原発停止も自分で事実を探して自分の頭で考えたのですか?」と私は疑問に思うのです。ですから学生の皆さんにも投げかけました。

「肯定と否定の両方から考えて、初めて自分の意見が出てくる」

というのは論理としても支持されます。講義では論理的な文章の書き方も身につけてもらおうとアリストテレスの三段論法を教えています。例に出したのは、医療分野のインフォームドコンセントでした。個人ブログに残した講義録を加筆修正して引用します。注記「インフォームドコンセント」とは手術や薬を配る時に、医者が一方的に決めるのではなく患者に情報を公開し説明し同意を得ることです。アメリカはインフォームドコンセントが進んだ国ですが、そのため医療ミスが明らかになり医療費の高騰、例えば日本で7万円の盲腸の手術がニューヨークでは240万円、を招きました。※ 人は1人1人違うのでミスが避けられないのです。
※ 『貧困大国アメリカ』岩波新書 堤 未果著より

問 日本ではインフォームドコンセントをさらに進めるべきですか?

という問いを学生の皆さんに出しました。
論理性=言葉のつながり、ですから、解答は2つだけになります。
      
「だから、~なのでインフォームドコンセントを進めるべきです」 か 
「だから、~なのでインフォームドコンセントを進めるべきではない」
 しかありません。
   
「インフォームドコンセントを進めるべきか?」に言葉のつながり、がないと論理的につながらないのです。他の答え方、例えば「インフォームドコンセントは効率的です」とか「日本の医療は素晴らしい」とか「アメリカは酷い国だ」は解答として論理的に間違いです。以下は教員(私)の考える解答例です。

     肯定
事実:「医療は人々のためにある」
論拠:「医療のインフォームドコンセントは人々を幸せにすると私は考える」
結論:「だから、人々を幸せにするので、インフォームドコンセントを進めるべき       
である」

   否定
事実:「医療は人々のためにある」
論拠:「医療のインフォームドコンセントは人々を不幸せにすると私は考える」
結論:「だから、人々を不幸せにするので、インフォームドコンセントを進めるべ
きではでない」

 どうでしょうか。
肯定の「幸せ」とは「知る権利が守られる」、「医療の発展」、「安心」などでしょう。
否定の「不幸せ」とは「医療費高騰」、「加入差別」、「質の低下」などでしょう。
「幸福とは何か?」の内容は聞かれていませんから、この解答になります。
 講義の中で最も大切なポイントとしているのは、

 「肯定も否定も同じ事実から出発している」

ことです。「同じ事実から出発して肯定も否定も出来る」 と言い直しても良いでしょう。つまり、「論理的には同じ事実から肯定も否定も引き出せる」ということです。これが最も大切なポイントです。

4.論理から観た福島原発事故

 福島原発事故がありました。この事実から「だから、原発は今度も推進すべきだ」も「だから、原発は今度も推進すべきでない」も論理的に成立します。ですから、原発推進派の人が「どうしてこの事実を見ないんだ!」と原発停止派の人を非難することは論理的ではありません。同時に「このような客観的事実があるのだから原発推進なんて信じられない!」というのも論理的ではありません。その段階で留まっていると、技術的な議論(「何が安全か」や「どうすれば安全になるか」)が出来ません。そもそも建設的な議論ができません。感情や政治性やある特定の価値判断に染まり、それ以外を認めないからです。
 ですから、肯定的立論も出来、否定的立論も出来た後に、初めて「自分の考えが持てる」のです。片方の立場しか認めない、というのは実はある特定の価値判断に支配されているのでしかないのです。そういう態度は学問と言えないのです。

以上が講義録からの引用です。今回の福島原発事故を大きく捉えると、「肯定と否定の両方から考えて、初めて自分の意見が出てくる」という見方が出来なかったと考えられます。カール・ポパーは科学の分野で言いましたが、山本七平は「空気」として日本全体について言いました。『空気の研究』(文春文庫)では日本人特有の「空気」がどこから来るかに触れています。国や専門家が安全!と言えば「空気」が出来て、心の中では「それって本当なの?」と思いながら口に出さないと言うのです。科学や技術の分野だけではなく、経済や政治や文化など多くの分野で見られます。
教育界では「大学さえ出ていれば就職は大丈夫」という思い込みがないでしょうか? 反対の企業側から考えてみると大学の学歴が一定の能力を保証してくれないという現状が見えてきます。けれども教育界では、「大学に入ることだけ」を考える勉強がいまだに多くて、「大学に入ってから役に立つ」のを考える勉強は少ないと思われます。
科学を学ぶ楽しさは、「大人になってから役に立つ」からだと私は個人的に感じています。「どうして空が青いのか」や「雲が西から流れてくるのはなぜか」や「どうしてパソコンが出来たのか」や「どうして遠くの人と一瞬で会話できるのか」が分かるからです。それには過去の多くの人々が「それって本当?」を口に出して検証してくれた結果です。
1つ例を挙げたいと思います。「水はどうして熱くなるのか?」という科学論争がありました。体温や気温という熱の正体が「『熱素』という物質か「原子の運動」か」とお互いに「それって本当?」を投げ合ったのです。論争は長く続きましたが、約150年前に決着がつきました。現在、中学や高校の教科書で「熱はエネルギーの一形態である」という言葉になりました。以上が科学者の態度です。

5.科学者の態度の大切さ

 この科学者の態度は、普段の生活の中でも意外に役に立つと思います。「嫌いな人の良い所を数えてみる」や「家族の欠点も紙に書いて整理してみる」ことです。逆に、「家族の長所を書き出してみる」こともお薦めです。遺言書は遺産相続を書く法的な書類になってしまいましたが、実は「これまで有り難う」と感謝を書くのが本来の意味だったのではないか、と私は考えます。「ターミナルケアにおける死」という講義を教えていて感じました。死ぬ間際にならないと立ち向かえない難しい問題が人生にはあるものですから。普段とは反対の立場に立つことが役に立つ例です。
 もう1つの例は、日本国民として、です。福島原発事故は、論理的には私たち全員に責任があります。どうしてか、と言えば日本国の最終責任者は日本国民だからです。原発を推進してきた政治家を選挙で選んできたのは日本国民ですから、論理的には責任があります。もちろん多くの複雑な事情がありますが、静岡の荒茶問題を引き起こしたのも、「原発を選挙の争点にしなかった責任」や「原発を停止から考えてみなかった責任」が私を含めた日本国民にあるのです。今後、私たちの国を安全で安心にするために、選挙の時に宣伝カーや選挙公報などで言う「良いこと」だけではなく「悪いこと」も合わせて考えてみたいものです。合わせて考えて初めて自分の意見が出てくるのです。一人一人が自分の頭で調べて考えて投票することが静岡を、日本国を良くしていくことにつながるでしょう。私たちは、この国の最終責任者です。日本国民として、「肯定と否定の両方から考えて、初めて自分の意見が出てくる」というのを役に立てて頂きたいです。

6.終わりに

 最後に、福島原発事故に触れて終わりたいと思います。
事故前までは「原発は安全だ」に偏っていました。「福島原発事故の後でも、原発を推進するのか停止するのか」が日本国政府や私たちの中でもはっきりしません。最も大きな原因の1つが福島原発事故で「安全が証明された」とも「危険が証明された」とも論理的に結論付けられるからです。「安全が証明された」というのは技術者からの観方です。今回の事故は大災害でしたが原子炉自体は破壊されませんでした。事故原因は電源の喪失であり原子炉の多重防御は守られたと観られるのです。肯定側は「原子炉が安全ならば、原発は安全だ」という論理でしたから、事故後も「安全が証明された」と言えるのです。肯定側は「安全」の中に住民の安全を入れてきませんでした。現在問題になっている福島原発事故は住民の安全なのです。肯定側からだけ物事を検証した結果が、「原発は安全だ」に偏った原因です。

肯定側から否定側から物事を論理的に検証する態度こそ、福島原発事故で問われた大きな問題だと考えます。この大きな問題をしっかり観られる科学的な態度が大切だと考えます。同時に、教育の中でも科学的な態度が大切だと考えます。この科学的な態度を私自身の反省を込めて、学生の皆さんにしっかりと提示して共に考えていきたいです。


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