講義録4-2 「公衆の福利 幸福とは?」



(文意不明、文末の言い回しミス、誤字脱字は沢山あると思います。ご了承下さいませ。)

 大分長くなりました。残りは以下だけです。

 「公衆の福利」は数字だけでは表わせない
    ↓
 「公衆の福利」の安全や幸福の曖昧さ

 (以下は講義の補足です。口頭で1,2分で言葉を少なくサッと述べました。)
 前回で出てきたのは「公衆の福利」が曖昧です、でした。
 この「公衆の福利」は、工学的安全の「許容可能なリスク」を判断するものでしたから、「許容可能なリスク」も曖昧になります。原発に引き寄せてみましょう。

 「平成23年3月11日の福島原子力発電災害の後でも、原発は「許容可能なリスク」であるかどうか判断できない」

 ということです。例えば、今回の事故で0人の死亡であろうが、100人であろうが1万人であろうが、判断できないのです。出荷制限や風評被害による被害総額が幾ら、と数字で出てきても判断できないのです。今回、浜岡原子力発電所が運転停止になりましたが、それも最終的には「許容可能なリスク」ではない、とは言い切れないのです。今回の停止判断は、もちろん米国の圧力もあったでしょうか、

 「そうだよな、止めないとな」

 という感覚的なものなのです。
だからと言って感情や感覚で全てを判断する訳ではありません。出発点は感覚であっても、その後の対応は数字を使うべきですし、それは技術に裏打ちされたものであるべきです。
 現在、津波の被害が想定外であった。また、福島原発で甚大な災害が起こった。だから、安全基準を根本的に見直し、新しい数字の基準をもうけたり、これまでの基準の数値を上げる、という対応をするのです。それによって次の事故防止が見込まれます。
 これが技術者倫理から観た事故再発防止策の基本中の基本です。
 その際に数字をきちっと使うことは必須です。
 そして、この事故再発防止策を全国一律の原発に示すべきですし、それが満たされるまで一旦原子炉を停止させる、というのが大切なのです。

 (以下の補足は教員の個人的見解です)
 その事故再発防止策の全体像を示すのは、日本国の責任です。つまり、原子力委員会と原子力安全委員会を統括する内閣府の仕事です。しかし、今回の浜岡全面停止では、これまでの基準を一切見直さず、事故再発防止策の全体像を示さず、しかも数値目標も入れませんでした。これでは「どこの原発が安全で、どこが危険なのか判りません。そうすると風評被害を生み、国民の中に原発に対する疑心暗鬼が産まれる」ことになります。福島原発の事故対応も全く同じ構図でした。
 また、一時帰宅(日本国の法律違反行為)が始まりましたが、この方々全員、2週間避難地区にさらされていた数々の物品全てが、除染の必要がないほど低いのです。つまり、その地区は避難する必要がないのです。それが示されたのです。汚染がひどい地区の人々が、特に子供が避難せず、汚染が殆どない地区の人々が、2時間しかいられない。これも現地で汚染の実測した数値を使わないからなのです。
 (以上が個人的見解です。以下講義に戻ります。)

 「公衆の福利」で「数字で表せないもの」を考える時、2つの考え方があります。
1つは、筆者でもう1つは教員です。対決して学生の皆さんに考えを深めてもらうために敢えて対決させています。

 「数字で表せないもの」は、幸福です。幸福を生み出すために技術がある、という考え方があります。この幸福について、

筆者:ベンサムの「最大多数の最大幸福」を引用します。
    これは全ての関係者に及ぶ影響をすべて計算する、というものです。

   (筆者は「功利主義のように幸福を数量化できない」という批判を挙げています。答えは書いていません。対して教員はベンサムの文章を読むと数量化できないものも幸福に入れていると考えます。その上で)

   ベンサムの「最大多数の最大幸福」 幸福=快楽
     VS
   教員の「幸福」 幸福≒不快 「≒」はニヤイコールで「だいたい同じ」

 ベンサムのいう幸福は、多くの人々(全員は無理)に、なるべく気持ちよく楽しくなってもらう、という考え方です。携帯電話は、私たちが固定電話にわざわざ動かなければならない体の負担を和らげてくれます。さらに、電話の相手と楽しい会話をさせてくれます。椅子は座りやすくしてくれます。このように

 「幸福=心地よさ、気持ちよさ、便利さ」

 (ただし、ベンサムの言うこの考え方は国家を統治するエリートに向けられている点に留意しなければなりません。技術者の生み出す製造物が国家の存亡を左右する時代ですからもしかしたら大切かもしれませんが)

 対して教員は、

 「幸福=心地悪さ、不快、不便さ」

 である、と主張します。私の個人的な体験から出発します。私は高校時代、お昼はお弁当でした。4人兄弟でしたし正直母親は料理が得意な方ではありませんでしたから、美味しさを考えるとお弁当よりもコンビニや学校の購買でパンを買った方が美味しかったです。また妹は幼かったのでお弁当を持っていく時にしばしば遅れました。不便だった訳です。しかし、私はコンビニや購買よりも母親のお弁当の方が良かったのです。なぜなら、不快や不便でも幸福だからです。
 アメリカでホームステイしている家に1週間行った時、朝ごはんは、箱に入ったコーンフレークにミルクをかけ、オレンジジュースとスクランブルエッグやレンジでチンしたポテトや人参でした。料理はありませんでした。私は「料理しないのですか?」と思わず聞いてしまいました。

 「だって栄養バランスも良くて、便利で簡単じゃない?」

 という答えが返ってきたと思います(私の英語のヒヤリングは壊滅的に悪いので)。お皿は紙皿で残したらそのままゴミ箱へぽい。洗う必要もありません。確かに便利で、簡単で、心地よく、しかも大量に造られる食べ物ばかりだから安いのです。でも、私は日本の母親の料理が食べられることに幸せを感じました。つまり、私がベンサムを批判するのは、「幸福と快楽」は違う、ということです。

 もう少し身近な例に行きましょう。友人の家に遊びに行った時、美味しいお寿司やピザをとってくれるのと、2,3時間もかけて作ってくれた料理(多少味は落ちる。お金は同額)なら、どちらが心を感じるでしょうか? 幸福だと思われますか? 
 私は2,3時間前から考えていてくれた気持ちに幸せを感じます(補足:茶道の一期一会や、お相手の合わせて料理や茶器を選ぶことと同じだと思います)。また、これは私だけの考えではなくイエスやブッダなども言っている幸福です。

 ここで問3 あなたの幸福の基準は何ですか?

 幸福ではなく、幸福の基準、です。ベンサムは「幸福とは快楽である」という基準、私は「幸福とはえてして不快である」という基準を示しました。

 問4 感想

 最後に、「幸福」とは曖昧なもの。1人1人違うしその場その場で違う。だから、それを集めた「公衆の福利」も当然曖昧なものになる、ということを知ってほしかった。今日は「公衆の福利」を深くやりました。

 と言って講義は終わりました。ほぼぴったり10分前。5分後に提出OKとしました。


 来週最初に述べるコメントを記して終わります。素晴らしい意見が沢山ありました。

・「幸福≒不快」なら「不幸=快楽」でしょうか?
 コメント(私がレポート用紙に書いた内容+α):快楽主義の逆接、という考え方があります。快楽を追求しすぎると逆に不快に感じてくる、というものです。ただ、特殊な場合でもあります。私は「不幸≒認識不足」だと思っています。

・先生の言う幸福は思い出系では?
 コメント:鋭い!! 素晴らしいです。有り難う御座います。確かにその通りです。

・幸福って何だっけ? 色んなことに疑問を持って行きたい
 コメント:その通りですね。疑問を持たなくなった所に事故は起こるのだと思います。

・幸福の基準は人それぞれだけど不幸に基準は皆似ている
 コメント:素晴らしい視点です。まさにその通りですね。赤貧は皆にとって不幸ですね。

・親の出してくれるお金で大学に来ている。感謝しこれは幸福なんだと最近気が付いた。
 コメント:素晴らしいです。では親はどうでしょう?きみに出逢えて幸福でしょうか?

・自分はニュースをチェックしていないなぁ
 コメント:良いことに気が付いてくれました。

・社会に出ると会社の幸福(お金儲け)に従うしかないので悲しいです。
 コメント:従わなくてもよい智慧(ちえ)を身につけて欲しいです。講義が役に立てば嬉しいです。

・「幸福になりたい」っていつも思っていたけれど、「幸福の基準」て考えたことなかった
 コメント:いい気づきですね。大切にして下さい。

・幸福とは分からないものだと分かった(十何人も)
 コメント:よいことに気づきましたね。「私は私が何も知らないことを知っている」という「無知の知」を言った人がいます。ソクラテス、という人です。学問の出発点ですよ。また、自分が大人になって立つときの出発点にもなりますよ。

 ここから「次回:幸福の曖昧さは学問の出発点」につながります。

 
 
 長かったです。あ~疲れました。でも、打って良かったです。
 来週も・・・打てるかなぁ。
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