スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

講義録15「倫理は統一かそれぞれか 工学的倫理の可能性と限界 個人主義と集団主義 法治主義と人治主義 原発と地球温暖化説の共通点 技術とは」

(文意不明、文末の言い回しミス、誤字脱字は沢山あると思います。ご了承下さいませ。また、講義内容に大分加筆しています。)

 最終日でしたが大雨でした。
 本年度は、例年になく雨の多い年でした。

 最終講義になり「こんにちは(おはよう御座います)」に続けて、「寂しくもあり、ほっとする気持ちも正直あります」と正直に気持ちを話しました。
 
 「寂しいのは、皆さんのコメントが大変嬉しかったからで、毎週見るのが楽しみだったし、色々と教えてもらいました。コメント返しも1クラス1人くらいにしようと思っていたのに沢山することになりました。またブログを始めた理由の1つは学生の皆さんのコメントを残しておきたかったから、というのがあります」

 と述べました。正直な気持ちになるくらい、「寂しくもあり、ほっとする気持ちがあった」と、翌日に書いていて感じています。このブログの1つ前に「15回全ての講義が終わって」を書きましたが、同様の気持ちから生まれたエッセイだと思います(関連エッセイに収容)。

 さて、それではチャートに行きましょう。

 「倫理は統一かそれぞれか」
  ↓
 「工学的倫理の可能性と限界」
  ↓
 「個人主義と集団主義」
  ↓
 「法治主義と人治主義」
  ↓
 「日本の倫理 「法治主義」と「人治主義」の中間」
  ↓ 
 「原発と地球温暖化説の共通点」
  ↓
 「技術とは」

 です。

回したプリント:「中国高速鉄道事故 時速100㌔で追突か 死者40人に 遺族、当局に講義」 静岡新聞 国際(4面) 平成23年7月26日朝刊(講義日当日です)

 先ほどの挨拶と言葉から入りました。
 昨年度は15回の講義で50冊前後の本を回しましたが、本年度は本と動画を自ら読んで見て調べてくる宿題がありましたので、分散させないために減らしてきました。ですので、「最後なのでこれも・・・」と思い当る本が何冊かありましたが止めておきました。今年度の学生の皆さんのコメントを見ると、自分で調べていくのではないか、という仄(ほの)かな希望が見えたのもあります。

 最初に新聞記事からです。コピーで字を大きめにして重要な箇所にカラーペンで色を付けて回しました。この中国高速鉄道事故のキーポイントは、「追突車両の一部を現場の地下に埋めた」ということです。これは工学倫理からすると

 「埋める→検証できず→事故原因特定できず→再発防止策できず」

となりますから、未熟な対応となります。しかし、先週やったJABEEの求める「地球的視野を持つ技術者の倫理」からすると違って見えてきます。この点に踏み込む為の事故がタイムリーに起こったと私は感じました。本年度は福島原発事故が残念ながらついに起こってしまいましたが、講義からすればタイムリーでした。中国高速鉄道事故も残念ではありますがタイムリーでした。ただし、講義の中で再三再四繰り返したのは

 「中国の対応は日本ではありえない」と非難することに私は賛同できない

 ことです。簡単に言うと、中国は中国、日本は日本、アメリカはアメリカなのです。工学的安全を考える場合、中国の対応は否定的に捉えられます。しかし、日本人の倫理を持ち出して否定的に語ることは賛同出来ないのです。もちろん、否定的に語る考え方もあります。以下に詳しく述べていきますが、先にこの点を挙げておきます。

 さて、この中国高速鉄道事故に触れておきましょう。新聞を引用すると「自動制御システムが作動せず、運転手が緊急ブレーキをかけたと見られるのに、時速100㌔で前方の列車に追突した(要約)」と書いてあります。この事故は再発防止策を考える際に、福島原発事故と非常に似通った側面があります。

 「事故原因不明→再発防止策が設定されない→いつの間にか再開」

 という点です。福島原発事故の事故原因は専門家の中では明確になっているようですが、公式にははっきしていしません。さらに、その再発防止策が未だにはっきりしていません。ストレステストをヨーロッパに真似るようですが、何故事故を起こしていないストレステストで事故を起こした原発に採用するかが明確に説明されていません。つまり、事故が起こる可能性が「最小」になっていないにも関わらず、いつの間にか再開するかもしれません。中国でも高速鉄道はいつの間にか再開すると言われています。これは、チャートにある「法治か人治」という問題に還元されます。先に述べますと、ドイツやイタリアは、国民投票と言う法律に基づいた行為で、原発を停止する、という法律、社会のルールとして成立させました。しかし、日本はどうでしょう? 原発事故後に出てきた私たち日本国民の声は

 「東京電力の社長は謝罪しろ」 「謝罪が遅い」 「斑目委員長が原子力のことを知らな過ぎる」 「謝罪しろ」 「菅総理の対応が悪い」 「辞任しろ」・・・

 という言葉が出てきます。これは「人」が問題になっています。これではつまり、「人治」と考えているからであり、人の「責任追及」になっていきます。しかし、工学的安全を確保するためには事故原因の特定と再発防止策が大切です。繰り返してきましたが、「原因究明」がまず大切なのです。その「原因究明」を行き渡らせるために「法整備」が必要と私は考えます。もちろん、技術者倫理で行き渡らせる必要性を訴える専門家もいます。大切なのは原因究明なのです。もう1度中国高速鉄道に戻りましょう。「埋める」という行為は、実は、

 「責任追及>原因究明」
 
 だから起こる行為なのです。この行為に対して、色々な捉え方があります。
 前回述べたように教科書の筆者は「日本の共同体側面の良い面にも触れますが、悪い面に注目し、それが倫理を妨げる」と述べています。そして村社会からの解放などで語られています。原発事故につなげれば「原子力村」の閉鎖体質、集団倫理が悪者にされるでしょう。私は「政治的な理由で導入し、後で危険やリスクが分かってきたので隠さなければならなくなって「原子力村」体質が出来た」と考えていますから、一線を画しますが、さらに異なる点があります。それが教科書107Pのコラムです。

 「・・・ホフステード氏は広範な異文化間の研究のなかで、アメリカ人は(イギリス人やオーストラリア人と同じく)個人主義とグループ主義を両極にする座標上で一方の端に位置することを見出した。彼のデータでは、日本人は極端な位置にいるのではなく、むしろ平均に属する。これは他のヨーロッパ文化とあまり差がない位置である。そうなると、国際的な倫理規範に到達するためには、アメリカ人の方が日本人よりもっと変化しなければならないことになる」(スコット・クラーク「日本とアメリカにおける技術倫理のコントラスト 文化人類学の視点から」『みすず』476、2000年、34-35頁

 筆者は、この前文に「アメリカの教科書の記述(日本の真珠湾攻撃は日本人の集団志向によるという記述があります)に不満を感じた人のために、次の報告があることも紹介しておきましょう」と述べています。アメリカの教科書の記述も、ホフステード氏の記述も私には同じものに考えられます。それは

 「倫理には標準が1つある」

 という考え方です。つまり、ホフステード氏の考え方は、中心が日本やヨーロッパだからアメリカやイギリスが変わりなさい、という内容であり、「倫理の標準(中心)がある」と考えているのです。これは前回述べた

 「グローバリズム」が国際的な1つの標準に合わせていくこと

 と同じ考え方です。アメリカの記述も集団主義を排除して個人主義という標準に合わせていくこと、が正しい、という内容で書かれています。これはこれで1つの説得力のある考え方です。
 しかし、私はそのように考えません。私は、倫理は文化や歴史や宗教、思想に根付いたものであり、標準に合わせていくことが難しいもの、と考えます。つまり個人主義の国は個人主義から集団主義の倫理に変更が出来ないということです。アメリカで政治体制が変わったり、中国に支配されれば集団主義の倫理に従って生きるアメリカ人が出てくるでしょうか? 私は出てこないと思います。同じように日本は個人主義のアメリカに7年間支配されましたが、日本的倫理が変わりませんでした。それは福島原発事故で国民が行動で示しました。また、アメリカ人に支配されているネイティブ・アメリカン(黄色人種)達は自分たちの文化や倫理を200年以上支配されて捨てていません。私は

 「グローバリズム」とは各国の相互尊重の上に1つの平和を作ること

 と考えています(これは根源的には墨家の思想から来ています)。このように、倫理は統一していくものか、それともそれぞれの独立の上に成り立つものか、という捉え方が出来ます。カントを始めとする西欧の哲学は多くが宗教的要求から出てきたもので、当然、統一していくという方向性を持っています。その根源的方向性として(旧約)聖書に出てくる「言葉(ロゴス)」、あるいは神様と人間の共通点である「理性」があります。その方向性を色んな哲学者や思想家が語っています。この理性に「違うんじゃない?」と疑問を投げかけた、あるいは叩(たた)きつけ
たのがニーチェ、その後のバタイユという人々です。しかし、西欧に影響を与えたイスラム世界では、根源的方向性が重視されていませんでした。仏教などでも殆ど重要視されていません。しかしながら、それでは共通点として何があるか?と考えてみると、感覚や感情、という曖昧なものになってしまいます(朱子には西欧的な感情と理性の対立、そして理性による人間の共通点という思想が強く見られます)。私たちは、人間の共通点として「理性」なのか「感情」なのでしょうか? 結論は、歴史的に出ていて、「理性」を元にした個人レベル、国家レベルがあり、「感情」を元にした個人レベル、国家レベルがあります。
 私は、人間の共通点として「理性」を重視してきた歴史、文化、習俗としての積み重ねがあることを認めたいと考えます。それは

 「工学的倫理で不都合だからといって変えられない」

 という前提に立っています。ですから、同じように「感情(人の心)」を重視してきた歴史、文化、習俗としての積み重ねがあることも認めたいと考えます。そして日本は「理性」と「感情」の中間を積み重ねてきたと考えます。私は倫理はそれぞれである、と考えるのです。これは先に述べた中国は中国、日本は日本、アメリカはアメリカ、という考え方です。もし、この積み重ねの倫理が変わるとしたら、工学倫理よりももっと大きな要因、敗戦による長期間の思想支配、民族減少による生存の危機などしかないと考えています。福島原発事故は大変大きな事故でしたが、日本国民が全滅の危機とはなりませんでした。対して当時極めてユニークな唯一神(排一神)信仰を作りだしたユダヤ教とはエジプト脱出で民族全滅の危機に瀕(ひん)しました。その後、何度も危機に瀕しました。それによって、洗練があり、神秘主義に特化したりと変遷を繰り返してきました。

 この点を考慮すると、「工学的倫理」の可能性と限界が見えてきます。
 「工学的倫理」の可能性は、福島原発後の節電等ではっきり示されたように工学による製造物と日常生活、経済全体、国家の威信や趨勢が切り離せないほど大きくなっている点にあります。古代のように強大な国家との関係が民族の全滅に関係したように、今後は工学による製造物が民族の生存に関わる割合が増えてくる、ということです。これは福島原発事故が収束した後でも続くでしょう。人類文明の発展が続くのであれば、この可能性は益々広がり、「工学倫理」の重要性はますます大きくなっていくでしょう。

 「工学的倫理」の限界は、「理性」か「感情(人の心)」を重視してきた歴史、文化、習俗としての積み重ねがあることに由来します。「工学」は、自然科学とは異なり数式化や一義化が極めて難しい学問です。それゆえ「工学倫理」で重視されるのは「「再発防止」です。「再発防止」は危険ゼロではありません。「許容可能なリスク」となっている点で「再発防止」と見なされますが、この「許容可能なリスク」を「許容可能」と判断するのが、倫理なのです。すると、「理性」か「感情」か、あるいは日本のように「中間」かが問題になります。具体的に考えると、

 「ストレステスト」を行えば「再発防止」となったのでしょうか?
 「ストレステスト」はどうして事故がなかったヨーロッパのものなのでしょうか?
 「ストレステスト」を行っていない原発は「許容不可能なリスク」と言えるのでしょうか?

 これについて「理性」で説明を求めるのが「工学倫理」のあり方でしょう。もちろん、この「理性」をさらに疑うのも大切ですが、此処では止めて起きます。 しかし、現在の日本の状況は、「責任者の総理大臣が言ったから」ということで「理性」による説明は行われていません。「総理大臣の個人が信じられないからストレステストも本当に大丈夫?」という「感情」による判断が行われています。ドイツやイタリアでは国民の選んだ議会や投票によって社会のルール=「理性」として選択しました。日本では原発事故後、「東京電力は謝罪していない」と「人」の責任、「斑目委員長という個人」の責任、菅首相の対応という「個人」の責任追及に走っています。この点については、個人レベルの個人主義と集団主義、国家レベルの法治国家と人治国家と比べながら、15-1で述べていきます。

 工学的倫理の可能性と限界は以上になります。人類文明が発展していくのならば、工学倫理の可能性は広がり、重要度が増してくる、ということです。多くの方々に「公平」に考えて頂きたいです。限界の点は非常に大きな問題ですが、近しい問題は数千年前からずっと続けられてきた議論でもあります。この点を深めることで、さらに工学的倫理の大切な性質が明らかになることを望んでいます。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

    名前:高木健治郎

書いたもの(平成29年度)
哲学(平成28年度)
科学技術者の倫理(平成28年度)
書いたもの(平成28年)
科学技術者の倫理(平成27年度)
哲学(平成27年度)
書いたもの(平成27年)
哲学(平成26年度)
「科学技術者の倫理(平成26年度)
講義録「哲学」
書いたもの(平成26年)
書いたもの(平成25年)
論文(高木健治郎の)
講義録「科学技術者の倫理」(平成25年度)
高木ゼミ『銃・病原菌・鉄』
高木ゼミ全6回『ぼくらの祖国』
教養講座6回分(平成24年度)   講義録21~
講義録「科学技術者の倫理」(平成24年度)     講義録1~15
最新記事
講義録「科学技術者の倫理」(平成23年度)
石上国語教室で行われた講演のレジュメです。哲学が足りなかったのが、福島原発事故の原因の1つではないか、と考えています。

「哲学のススメ2」レジュメ

最新コメント
カテゴリ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。