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【隨筆】哲学とーちゃんの子育て ─スマホ、テレビ、お小遣いの規則と考え方─


 「みんな、コインゲームをやりにいったよ。」
 「うん、そうだね。」
 「温泉にきて楽しそうでいいね。それより、ゲームしていいの? 」
 「ああ、いいよ。」
 「セフィー(甥っ子 中学一年生)なんかは、おじい(ちゃん)の家にきてゲームばっかりしてるんだよ。」
 「へーそうなんだ。」
 「困ったもんだよ。」
 「・・・」
 「・・・」

 「ああ、そういうことか」と判った。私の母(おばあちゃん)が、私の息子、娘達がゲームに溺(おぼ)れないかと心配してくれていると判った。心理学の大家、河合隼雄(はやお)先生が「溺れるとはまる」の違いをお書きくださっているので、その話をしようか、と思ったが、やめた。ここは温泉。温泉と食事をゆっくり楽しんだ後で、座敷にベタッとすわっている。小難しい話は耳にあわない。心にも合わない。

 「うちはね、」
 「うん(早く聞きたいらしい)。」
 「うちはね、子供のスマホ禁止なんだ。それに、テレビも親が許可しないと見れない。多分、平均一時間くらいで、普通のおうちよりも少ないと思う。」
 「確かにそうだねぇ・・・。」
 「あ、おばあちゃんといる時はおばあちゃんの判断で見せてもらっていいからね。」
 「はいはい。」
 「それにお小遣いも禁止。だから、うちはね、一般のご家庭よりも、ギュッと厳しいと思っているよ。」
 「へぇ~それが判っていたんだね~。」
 「判っているさ、だから、温泉に来た時くらい、息抜きのために、コインゲームをしていいよ~ってことにしている。やっぱり大変だもん、パーッと遊びたいときがあるよね。」
 「確かにね~。」
 「だから、子供たちは『大江戸温泉行きたい~』って言うんだよ。それでいいの、息抜きでいいの。」
 「そうなんだね、子供たちにとっては。」
 「親だって、お酒やウィンドウショッピングや甘いものなんかで息抜きするじゃない。」
 「おじーさんも、ビール大好きなのよ。」
 「うん、いいんじゃない、息抜きは人それぞれだから。」
 「そうなんだけど、飲みすぎじゃないかしら。」
 「でもさ、それって言っても変えられないでしょ?」
 「そうなのよね~。」

 コインゲームの話がおじいさんの話に替わっていった。静岡市の海岸線にある「大江戸温泉」は、我が家が月に一回程度行く温泉である。平日は大人七百円、小学生前は無料、と安く、ご飯もそこそこで、畳にねっころがったり、ぼ~っとできたりするのが魅力である。肩の荷が降りる感じがする。家から二、三十分、大人三人子供三人で二千六百円。帰宅後、「大満足」とおばあちゃんは言ってくれたし、親子は瞼(まぶた)の重さに耐え切れず、すぐに寝てしまった。

スマホ、テレビ、お小遣い 
 おばあちゃんからヒントをもらったので、ついでに書き残したいと思った。ここからは、うちのスマホ、テレビ、お小遣いを、どう考えているか、どうしてか、について書いていく。

スマホ:全く禁止
 時々、かみさんが写真を見せるくらいで、十分もしない内に見せなくなる。高校卒業時か、高校に入って自分でお金を稼いで持たせようかと考えている。
 「子供のスマホ」は現在の親を悩ませる問題、として新聞やテレビ、本などで取り上げられている。しかし悩みはしない。それは、東北大学川島隆太教授の研究成果が「スマホと成績の相関を示している」からである。スマホをすると成績がどうなるか、を仙台市の中学生二万二千人のデータで見てみたい。

 家の勉強時間三十分未満の平均点
 スマホを全くしない   六十三点
 スマホは一時間未満   六十三点
 スマホは一~二時間   六十点
 スマホは二~三時間   五十七点
 スマホは三~四時間   五十五点
 スマホは四時間以上   四十五点
 六十三点が四十五点に十八点減点

 家の勉強時間三十分~一時間の平均点
 スマホを全くしない   七十二点
 スマホは一時間未満   七十二点
 スマホは一~二時間   六十七点
 スマホは二~三時間   六十四点
 スマホは三~四時間   六十一点
 スマホは四時間以上   五十七点
 七十二点が五十七点に十五点減点

 家の勉強時間二時間以上の平均点
 スマホを全くしない   七十五点
 スマホは一時間未満   七十五点
 スマホは一~二時間   七十一点
 スマホは二~三時間   六十五点
 スマホは三~四時間   六十一点
 スマホは四時間以上   五十八点
 七十五点が五十八点に十七点減点

 グラフは左図の通り。(掲載省略します。リンクは一番下にあります。)


 この図からわかることは、以下の三点ある。

 一、「朝起きる時間」や「朝ご飯を食べる」に関係なくスマホをすると必ず成績が下がる。
 二、家で二時間以上勉強してもスマホを三時間以上すると勉強しないのと同じになってしまう。平均点が六十三点で同じ。=「図の赤線」
 三、スマホを四時間以上すると平均点が十五点以上減る。

 私は息子を特別に優秀な子供と思っていないので、このグラフが息子の参考になると考えた。だから、スマホは中学生までは禁止である。 
 ちなみに、川島教授のいうスマホの時間は、親や友達とのラインや電話、メールも含めての時間で、動画やゲームの時間も入っているそうである。
 教師として学生に接していると、授業中にスマホをしている学生は、案外といる。そしてそうした学生が「優秀な成績を修めた」という経験は、一度としてない。スマホ中毒に見えても、授業中だけは手放せる学生の成績が良かったことは多少あった。私の経験からしても、自分で自分の気持ちを制御する経験がまだまだ少ない小学生にスマホを与えないことにし、親としての方針とした。
 方針を決めても、迷いが生まれないこともない。小学校三年生に向けて、担任の先生たちの説明会でも、小学生のスマホの話題が出てきた。周りの父母と話しても、

 「そうなんだけどねぇ・・・。」

 と言って触らせている親もいる。他家は他家、うちはうち、と私の中で想い切る際に、以下の文章を思い出す。

 「子游(しゆう:弟子の名)、孝を問う。子曰(のたま)わく、今の孝は是れ能(よ)く養うを謂(い)う。犬馬に至るまで皆能く養うあり。敬せずんば何を以って別(わか)たんや。」
   為政第二 第七章 『仮名論語』十四頁

 伊與田覺先生訳
 「○子游が孝について尋ねた。
 先師が答えられた。
 「今では、親に衣食の不自由をさせないのを孝行というが、犬や馬に至るまで皆よく養っているではないか。敬わなければ、何によって犬や馬と区別しようか。」
 ※子游 姓は言(げん)、名は偃(えん)、字は子游。孔子より四十五歳若い。

 親子関係には、敬いが根本に必要である、と述べられている。
 私は自分の子供を犬や馬のように育てたいとは想わない。やはり、一人の個別性を持った人間として敬いたい。だから、息子、将来の娘たちにきちんと説明をしてスマホを禁止することにしている。子供に金銭を与えれば散財してしまい、その散財の快感で身を焦がしてしまう。敬うことは、相手の自由にさせることではなく、相手の状態を見て適切に接することだと想う。もちろん、その心根は、相手の成長を願うことがある。
 スマホを与えて良いかどうかに迷ったとき、統計データや自らの実体験に照らし合わせて方針を決める。それは、相手の状態を客観視するためである。親はどうしても我が子を特別扱いしてしまう。ペットを可愛がるように特別扱いをしてしまう。しかし、それは犬や馬を養うのと変わらない、そのことを『論語』は教えてくれる。
 こんな理由から、うちではスマホは中学生までは禁止にしている。有り難いことに、かみさんも賛同してくれている。

テレビ:親の許可による
 成績が高い人や偏差値の高い学校がテレビゲームをする時間が短い、というのは数々の統計データで出ている(文末にリンクを)。それゆえ、基本、テレビゲームはスマホと同じ扱いである。
 しかし、テレビはちょっと複雑である。文部科学省の統計データで、「テレビを全く見ない子供」は「テレビを長く見る子供」と同じで成績が低い、という結果が出ている(日本経済新聞西暦二千十三年十二月二十五日「テレビ、短時間なら有効」 文科省が学力テスト分析」)。
 二つが原因として指摘される。

 一、テレビから日常生活の知識を得られる。
 二、テレビを一時間で切れるので、元々、意志が強い子供。

 私は両方が正しいと考えている。だから、普段、子供がテレビを見るのは、朝起きての天気予報の時間帯と、午後四時過ぎに帰宅してご飯前の時間帯である。両方ともご飯の準備となれば強制でお終い。長男は炊飯器からご飯を分けるお手伝い、長女はお箸を配るお手伝い、二女は取り皿を分けるお手伝いが課されている。ちなみに、父はお茶を配るお手伝いである。ぼーっと見ていられるテレビを切ってお手伝いをするのは意志を鍛えられる、と考えている。また、朝のテレビはニュースや話題がぎゅっと詰まっている。日常生活の知識を得るのに丁度良い時間帯と考えている。
 ポイントは、「約束をしてきちんと守る」という行為を習慣にして、意志を強くする訓練である。
 うちの子供達はお腹が減ると機嫌が悪くなる。こういう生理現象を利用して意志を強くする訓練はしない。しかしながら、空腹に近い状態をテレビは作りだせると考える。テレビを視聴しているだらだらとした楽な状態は、意志の弱まっているマイナスな状態である。このマイナスな状態からお手伝いをするというプラスの状態にもっていきたい。なぜなら、「約束をきちんと守る」ことをの大切さを教えたいからである。
 もちろん、マイナスからプラスの状態にする際、親も多大なエネルギーを子供につぎ込まなければならない。それは親にとって心の負担である。

 「お手伝いしなさい!!」
 「ごはん食べないと、ずっと不機嫌なままだよ。」
 「みんなでご飯を食べよう!」
 「早くしなさい!!」
 「何回言わせるの!!」

 子供は親の心を見抜いている。親がこうした心の負担を嫌がっているとマイナスの心はマイナスの心のままである。

 「いっつも言わせる!!」
 「だから、とっくんはだめなの!!」
 「なんでしないの! 聞き分けの悪い子!!」

 と言ったことはない。しかし言いたくなるのも分かる。マイナスの心にとどまっているからである。
 親がしつけのための心の負担を子育ての喜び、つまり、プラスの心に親自身が染まっているかどうかを、子供は見抜くであろう。口には出さなくても、

 「お手伝いしなさい!!(一緒にご飯を食べられたら嬉しい。)」
 「何回言わせるの!!(言わなくてもできるように、成長して欲しいな。何時だろうな。)」

 子は親の鏡、子供が毎回グダグダと言うのならば、それは親の心がマイナスからプラスになっていないことを見抜いているのであろう。「吾日に吾が身を三省す」としたい。
 以上のような理由で、子育ての訓練のために、テレビは親の許可制としている。

お小遣い:なし
 「おこづかい、ないなんて、かわいそうよ。健治郎、子供におこづかい、あげて。子供はお金の扱いかたを知ったほうがいいにきまってる。おこづかい、あげたらどう? ね。だってね、みわ(私の妹)のところは、おこづかいあげているよ。それがまた、いいんだっていってたし。どう? おこづかい。」

 一気呵成(いっきかせい:いっぺん)にまくしたてられた。ゲームの翌日、土曜日のお昼ご飯の時だった。午前中にバスケの練習が終わった後、おばあちゃんが居て、息子と一緒にご飯を食べている時だった。口に食べ物が入っているので、何か言葉を返せなかったのと、どうしたらお小遣いをあげない理由を理解してくれるか、と考えてた。お尻に火がついたように、言葉が続く。

 「そーだよー。おとーちゃん、おこづかい、ちょうだい。とっくんお金ないよ。神棚にお年玉あるけど、あとはないよー。」

 「あーやっぱり、とっくん、おこづかい欲しかったんだね。そうだよねー。もう二年生だし、三年生になるし、買いたいものもあるよね。おとーちゃん、お小遣いあげたら? どう?」

 「うん、とっくん、おこづかい欲しい。」

 「(無言で・・・何かに困っている訳でも、何かをしたい訳でもないのに子供にお金をあげることは返って害悪となる、というのを・・・。)」

 と考えたが、言うのは止めた。また、もう一つ、河合隼雄先生の言葉も思い出したけれども、止めた。ここでは、無言で過ごした内容を書いておきたい。

 『心の処方箋』「二十五 善は微に入り細にわたって行わねばならない」という章がある。この中に、ボランティアに行って施設に嫌われるボランティアがたとえ話で出てくる。

 「老人ホームにやってくるボランティアの人が居る。やってくると、老人にやたら親切にする。老人の方もやはり誰かに甘えてみたいものだから、何やかや要求する。それに応じていると、老人も嬉しくなって、平素は出来ないことまでする。これは確かに素晴らしいことである。しかも、このような行為を、この人は無償でやっているのだから、ますますそれは「善行」と言うべきである。
 しかし、こんな人が時たま来てくれると、施設の人たちが後で苦労することになる。甘えることの味を覚えた老人は、次の日になると、今まで自分でしてきたことまでしなくなって、他人に頼ろうとする。施設にいる人たち(働いている人)は、それにいちいち応じて居られないし、やはり老人と言っても出来る限りは自立的に生きて欲しいものだ。
 時には、この老人が、ボランティアの誰それさんは優しい人だけれど、ここの施設の人は冷たい人ばかりだ、などと言い出すかもしれない。こうなると施設の人は面白くない。」
百七頁

 本人が「善行」をしているからと周りの状況を見ずに迷惑をかけていることの自覚が薄い人が一番困る、と河合先生は結んでいる。また、そういう人は「傲慢(ごうまん)である」と前後に間接話法で述べている。
 おじいちゃんやおばあちゃんが、子育てで我が子である両親とぶつかる、という話はよく聞く。その原因の一つとして私は、『「善行だから」と周りに迷惑を掛けていることに無自覚で、その傲慢さにある』と思っている。その傲慢さが、我が子の自立を妨げる、のである。日本だけに寝たきり老人がいること、母子の関係が近すぎることなども視野に入ってくる。
 が、今はこの話をする時ではない。そして喧嘩になる。だから切り口を換えたのである。

 「とっくん、じゃあ、おこづかいあげるね。月に百円。来年は二百円ね。それでどう?」

 「え? くれるの?! やった~!!」

 「じゃあ、そういうことでおばあちゃんもいいの?」

 「もちろ~ん! いいよ。よかったね、とっくん。」

 「ただね、とっくん。」

 「うん?」

 「今着ているアンダーアーマー(スポーツブランド名)の上着は六千円だよ。月に百円とすると、一年で千二百円、六千円貯めるのに五年かかるよ。今のようにお手伝いをしたらなんでも好きなもの買ってあげるなら、一週間で買えるけど。次にアンダーアーマーの下のジャージ買うの五年後だよ? おこづかいだと。それでもいいの?」

 「え? 五年? えーぃやーー。」

 「いやなの? お小遣い。」

 「うんー。アンダーアーマー、欲しい。帽子も欲しい。」

 「じゃあ、今のままでいいの?」

 「いいよ~。」

 「おばあちゃんも、おこづかいじゃなくていい?」

 「とっくんがいいならいいよ。」

 具体的にお金の金額を挙げて考えさせることにした。漠然とした話では子供は「だれだれが勧めてくれることは良いことだ」と思って、それを選択してしまう。子供は周りの状況や実態を把握する経験が少ないからである。それを手助けして考えさせてあげるのが親の役割だと思った。
 おばあちゃんは大人である。だから説得する時間を持つ必要もないだろう。自然と気が付いてくれるかもしれないからである。または、親とぶつかるからこそ貴重なのである。大切なのは親が子育てでぶれずに「約束をしてきちんと守る」ことを習慣にして教え込むことである。お小遣い制でも、お手伝い制でも、制度はどのようでも良い。それは枝葉の問題で、根幹問題は「約束をしてきちんと守る」ことなのである。
 もちろん、親も子供との約束を守らなければならない。三回のお手伝いをしたら、なるべく早く、欲しいものを買い与えなければならない。だらだらと引き延ばしては、「約束しても引き延ばししてもよい」と子供は学習してしまう。時間に関してはこれまでは出来ていると記憶している。

 「約束をしてきちんと守る」ことのこぼれ話がある。

 平成三十一年一月二十九日(火)は丸々一日、何も予定がなかった。専門学校、大学、塾の講師、ミニバスの監督、評議委員、図書館関係の理事や運営委員、その他の打ち合わせ等で丸々一日予定が入らない日は月に一日あるかないか、である。
 こんな現状だったので、この日はボーっとしたり、ゲームをしたり、昼寝をしたり、夜更かしをしたりした。翌日の朝、少し体調が悪かった。かみさんが話しかけてくれた。

 「どうしたの? お腹の調子悪いの?」
 「うん、ちょっと食欲ないなぁ・・・。」
 「原因は判る?」
 「たぶん・・・カップラーメンの食べすぎ?」
 「ああー(笑)。」

 かみさんは笑いで流してくれたが、その会話を聞いていたとっくんがいきなり、

 「じゃーおとーちゃん、カップラーメン禁止ね。一週間たべちゃだめだよ!」
 「はーい! たべないね、一週間がんばるよ~。」

 とっくんと即時、約束をした。今日は二月一日(金)である。約束は約束。来週の火曜日までまだまだ長い(その後守れた)。

まとめ
 「スマホ、テレビ、お小遣い」という子育てで話題となる問題について書いてきた。それぞれの家の方法があるが、我が家は以上のような理由と意図をもって、スマホなし、テレビは親の許可、お小遣いなしとなっている。
 その精神的支柱は『論語』で子遊が孔子先生に「孝を問うたこと」の一章にある。これを現代の統計データに照らし合わせた。
 書きまとめて気がついたのは、「親がその子供に心を配っていることの重要性」である。親は犬や馬を育てるように、何やかにやとしてあげる。行動としてその子供に尽くす。
 けれども、それは「その」子供に心を配っている行為であろうか。河合隼雄先生が善人の傲慢さとして近所迷惑についての自覚がない、と指摘された。これは「その」相手に心を配っていない行為を意味している。
 私は、子供ではなく、「その」息子、「その」娘、「その」娘を向いて子育てをしているだろうか。傲慢になっていないだろうか、まとめてみて、最後まで心に残ったのは、このことである。

 「吾日に吾が身を三省す。人の為に謀りて忠ならざるか、」

 私は子供のために真心(まごころ:忠)で接しているであろうか。毎日反省しているであろうか。
 曽先生の残された言葉は偉大である。


 参照サイト:ベネッセ教育総合研究所「第二回子ども生活実態基本調査報告書」 ─テレビゲームの時間は成績・高校偏差値によって差がある─
https://berd.benesse.jp/berd/center/open/report/kodomoseikatu_data/2009/hon2_1_07c.html
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