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【哲学】ニーチェと孔子の共通点 

 お昼休みだったでしょうか。ちょっとボーっとしていたのです。ああ、そうだっけ、赤ペンがなかったな、と思い出しました。大学の購買が、文具や本を売っています。胸ポケットに入れる細ペンと赤ペンを買うために入りました。
 冷やかしついでに、本でも見てみるとか、と本棚をさらっと目でなめました。ピリリとしたのは、「キリスト教は邪教です!」という本のタイトル。そういえば、ニーチェは・・・と想って著者を見ると、

 「ニーチェ」

 とあります。タイトルの後ろに、

 「現代語訳『アンチクリスト』」

 とありました。手に取ってパラリと開いてみると、読みやすい。これはいい本だ、と早速購入し、ちょいちょいと読み進めました。読みやすいのは良い本です。電車での行き帰りや、お昼ご飯を食べながら読めるのです。そして読み進めました。
 ピリリ、ではなく、ズキュン! とくる一節に出くわしました。ニーチェと孔子の共通点、と感じたからです。

 「健全な社会であれば、人間は自然と三つの異なるタイプに分かれます。
 精神がすぐれている人、筋肉や気性が強い人、そしてそれ以外の凡人。
 もっとも凡人が大多数ですね。それ以外の選ばれたエリートは、ごく少数だと思います。この少数者は、高貴な者の特権を持っています。その特権には、「幸福」や「美」「善意」などを地上に実現させることが含まれています。」
              百五十一頁

 いかがでしょうか、中学生で読める日本語で哲学が書かれています。孔子との共通点は、

 1) 少数者(君子、エリート)と大多数の凡人(小人)がいる
 2) 少数者は地上に善い状態(政治的善、幸福、美、善意)を実現させられる。

 この大きな人間観が一致しているのは驚きます。というのも、「人間は平等であり、差別をしてはならない、差別は不健全である」というキリスト教の人間観が広がっているからです。ニーチェが否定する「非健全な社会」とは、自然に三つに分かれない、つまり、全ての人が平等である、という社会なのです。西暦二十世紀の共産主義(全ての人の財産が平等である社会が理想)がこれに当たります。また、最近では「ベーシックインカム」と言って、国が全ての人に無条件で給料を配布する、という経済政策(という思想)が出てきています。計算すると全く破綻しているのですが、「全ての人は平等である、それが善である」というキリスト教の人間観から、これが出てきています。ですから、ニーチェの目指す人間観と孔子の人間観が一致するというのは、珍しいことなのです。
 続けて引用します。

 「(中略)
 もっとも精神的な人間は、強者の自覚を持っています。それなので、他人が「もうダメだ」と言いだすところに、迷路の中に、厳しい人間関係の中に、そしてものごとを試してみることの中に、自分の幸福を見つけます。
 彼らは自制を求めます。
 精神的な人間は、我慢することを自分の本能とする。そのような重い課題を彼らは特権とみなすのですね。そして弱い人間だったら圧(お)しつぶされてしまうと感じるような重荷を、もてあそぶのです。
 精神的な人間は敬われるべきですが、同時に彼らは快活で、愛すべき人間でもあります。
 彼らは支配を行いますが、彼らがそうしたいのではなくて、彼らの存在がそもそもそうなのです。」

 私には『論語』の中の孔子そのもののように読めました。孔子は自分の理想を通すために、祖国魯(ろ)を旅立ち、その後、広大な地域を放浪しながら、政治家を目指しました。一時、晋につかえましたが、実に三十六歳から五十二歳までの十六年間です。そしてわずか五年で政治家を辞めて魯から旅立ち、今度は十三年の放浪生活に入ります。十三年目、六十九歳になって魯に帰国し、古典研究に入るのです。ニーチェの一文をもう一度掲げてみます。

 「他人が「もうダメだ」と言いだすところに、迷路の中に、厳しい人間関係の中に、そしてものごとを試してみることの中に、自分の幸福を見つけます。」

 ニーチェが書いた一文が孔子の経歴と、ピタリと一致しているようです。次の文章は孔子の思想に沿っています。

 「彼らは自制を求めます。
 精神的な人間は、我慢することを自分の本能とする。そのような重い課題を彼らは特権とみなすのですね。そして弱い人間だったら圧(お)しつぶされてしまうと感じるような重荷を、もてあそぶのです。
 精神的な人間は敬われるべきですが、同時に彼らは快活で、愛すべき人間でもあります。」
              百五十二頁

 「もてあそぶのです」は悪意と楽しむの意味と両面ありますが、ここでは楽しむ、と採ります。すると、孔子が時間をかけて重い課題を楽しみ、そして続けていく姿勢と合致します。最近学んでいる「子罕第九」から抜き出してみます。

 「子曰(のたま)わく、之に語(つ)げて惰(おこた)らざる者は、それ回なるか。」
 子罕第九 第二十章 『仮名論語』 百二十頁         
 
 伊與田覺先生訳
 『○先師が言われた。
 「私が教えた言葉をおろそかにせず、実行して怠らなかったのは顔回だけかな」』

 顔回は孔子の最も優れた弟子です。その顔回でさえ、実行を続けなければならない課題を負うのです。コンビニでお金を払って直ぐに買えるようなものを特権とはしていません。弱い人間だったら圧しつぶされてしまうほどの重荷を背負い、孔子もまた放浪をつづけたのです。それは、理想の政治を実現する、という課題でした。現実がいくら苦しく、厳しいものであっても、それを楽しむように(もて遊ぶように)何度も挑戦し続けたのです。当時の五十二歳は現在の八十歳前後でしょうか。それでも放浪に弟子とともに旅立つ孔子は、走れメロスのような活き活きとした熱い情熱に包まれていたことでしょう。ニーチェの一文を読んでそのように読みました。

 孔子は多くの人に自然に敬われ、そして家庭ではのんびりとした快活な性格でした。まさに、「精神的な人間は敬われるべきですが、同時に彼らは快活で、愛すべき人間でもあります。」に該当します。続けて引用します。

 「(中略)
 このように人間が区別されるのは自然なことです。
 これは、人間が意識的に作った制度ではありません。
 もし例外があるとしたら、それは人間が自然をゆがめて作ったものです。
 身分階級の秩序というものは、人間が生きていくうえで、一番上にくる法則です。
 人間を三種類の階層に分けることは、社会を維持していくために、よりよい形に高めていくために必要なのです。」
              百五十三頁

 一見すると国家においての支配者(上流階級)と被支配者(下流階級)の区別は当然である、と読んでしまいそうです。注目したいのは、

 「これは、人間が意識的に作った制度ではありません。」

 という一文です。つまり、「身分階級」とは現実社会における財産や権力に基づくものではなく、精神において重荷を背負える人と、背負えない人の区別です。それは、心の態度における区別なのです。その区別に従って、支配者が自然に決まる、というのがニーチェの考え方です。これは、孔子の考える理想像と一致します。
 孔子もまた、財産や権力に基づく「身分階級」ではなく、礼節を守る心持つことが君子(支配者)にとって必須である、と考えていたからです。これを乱したので、祖国魯から孔子は旅立ったのです。

 続けて、ニーチェのいう重荷を背負えない凡人についての説明を引用します。

 「汚い手を使ったり、ものごとを悲観的に眺めたりする。ものごとを醜くとらえる眼。あるいは、ものごとの全体像に対して、むやみに腹を立てっる。そういうのは下層民の特権です。」
              百五十二頁

 どうでしょうか。貧しい人こそ天国に行ける。下層の人が主張するだけで権力をもつのは当然である、という共産主義やベーシックインカム、そしてキリスト教に通じる人間観ではないでしょうか。対して、ニーチェもプラトンも孔子も、

 「精神的な重荷を背負える人が尊敬されるのが自然であって、支配者になるのが当然である。」

 と考えたのです。この点が共通していると読みました。

 最後に
 分かりやすい日本語で書かれた『キリスト教は邪教です! 現代語訳「アンチクラリスト」』の学術上の評価を見てみましょう。
 東京大学松原隆一郎教授が解説を書かれています。意訳します。
 「ニーチェはナチスドイツや家族の編纂などによって二十世紀に誤解されてきた。しかし、二十世紀後半には既存の価値を破壊する点に価値があると解されるようになった。」

 本書の最後の一節を引用します。
 「(イエスその人ではなく)キリスト教に峻烈(しゅんれつ)な闘いを挑んだニーチェは、「高貴に生きる」生き方に関しては、意外に寛容なのである。その「寛容さ」を、この現代語訳はうまくすくい取っているように思われるのである。」

 ニーチェの最新の学術上の解釈を読み取れる、と評価されています。ニーチェはキリスト教に対して仏教を褒めあげています。反キリスト教のみならず、仏教を知る一歩としてもこの本をお勧めしたいと思います。

 私はこの本を読んでみて、若かりし頃、ニーチェに惹かれた要素がひとつ分かった気がしました。また、この本は現代の政治や組織の道徳を考える際にも一つの足場となると感じました。善い本に巡り合えました。なによりも、孔子とニーチェの共通点を見つけられたことに、ズキュン!と来ました。適菜収先生に感謝致します。

 フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ 適菜収・訳『キリスト教は邪教です! 現代語訳「アンチクラリスト」』  講談社 二千十七年 第二十六刷


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