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査読論文『「製造物責任法における『開発危険の抗弁』について―技術者倫理に戦略的視点の導入を―」 “development risks defense” in Product Liability Law To introduce strategic viewpoint to technician ethics』

 「科学技術者の倫理」に関する拙論です。

静岡産業大学情報学部研究紀要 (21)に掲載予定です。
査読済み初校校正済みの段階ですが、本年度の講義で取り上げましたので、掲載致します。


「製造物責任法における『開発危険の抗弁』について―技術者倫理に戦略的視点の導入を―」
“development risks defense” in Product Liability Law To introduce strategic viewpoint to technician ethics

高木 健治郎
Kenziro TAKAGI

 本論の主題は、製造物責任法の立法時に議論の的となった「開発危険の抗弁」に戦略的視点の導入を検討することにある。製造物責任法は民法709条を基に判例を積み重ねてきた製造物責任を、国際ビジネス環境の変化や技術の進歩による現代社会の様相に適合させうる法律である。製造物責任法の成立以前と以後を数々の判例などを通して検討する。消費者保護の重要性とその動機として技術者倫理を捉え、内部告発におけるディジョージ氏の順接解釈と逆接解釈のいずれの場合でも不整合が起こることを、ミートホープ事件の実例を挙げて指摘する。この二項区分、正反いずれかの要素だけを採るのは、技術者倫理の動機として適切でないとし、戦略的視点の重要さを検討する。戦略的視点から製造物責任法を省察すると、社会と技術が相互依存性を持つという理解が的確となり、製造物責任法が「開発危険の抗弁」において、民法709条の持っていた製造物責任を超える安定的なシステムと捉えられるであろう。そして技術者倫理において「社会システムの安定」が「公衆の福利」に寄与すると考察していきたい。

Keyword: 「技術者倫理(technician ethics)」 「製造物責任法(Product Liability Law)」「開発危険の抗弁(development risks defense)」 「戦略学(strategy)」

1.はじめに 

 製造物責任法の成立と背景事実を述べ、その後、「開発危険の抗弁」について技術者倫理から検討を加えたい。製造物責任法(Product Liability Law)はPL法と約される。先行するアメリカでは消費者保護の観点から製造物責任を認める判例が積み重ねられてきた。他方、1985年にECが理事会指令により加盟各国に制定をはかり、1988年3月から1994年まで11カ国が制定した。日本では政党間を含む激しい議論を経て1994年7月1日公布、1995年7月1日発効となった。
 PL法を制定させうる根本原因は、製造物の高度化や複雑化、加えて社会基盤への影響が極めて高い点が挙げられる。制定させうる背景事実は、日本企業の海外進出の、特にPL法の理念が社会に浸透しているアメリカにおいての、増加する訴訟事例である。1960年代後半から、主に小型車である日本車のアメリカ進出に対抗して作られたフォード社の車種ピントは、技術者倫理で格好の題材となる「フォード・ピント事件(1972年)」を引き起こした 。同種の訴訟は1971年にホンダ、1973年にトヨタに対して起こり、懲罰的賠償金としてそれぞれ300万ドル、500万ドルの高額となっていた。他業種においても同様の訴訟が続いていく。加えて、民事訴訟法を専門とする小林秀之氏は「製造者が負担した場合、結局製品価格に上乗せされ国民全体で少しずつ損害を負担することになる」 と受益者負担の視点から論じる。続けて同氏は諸外国との国際的調和の観点から、「わが国だけが製造物責任の法理を採用しないと、国際的調和を欠くだけでなく、わが国の消費者の犠牲のうえにわが国の企業は不当な国際的競争力を得ているという非難を諸外国から浴びる可能性も高いだろう」 と記す。消費者保護を重視し、国内外から幅広く考察し、損害保険の法理に基づいて判断する小林氏は、製造物責任法の立法過程に携わり、導入を促進した一人である。又、小林氏は同法の事前の調査研究に関与し、先行事例の多いアメリカで現地調査等も行っている第一人者である 。
 対して、アメリカ流の厳しい消費者保護を日本国内で適法とすることに製造側はなじまないと論陣を張った。それゆえ、立法化に向けて与野党を巻き込む議論が生じたのである。結果としてEC各国の穏やかな制度を取り入れつつ、消費者教育や製品の警告表示、安全関連法規の整備、紛争処置機関の強化などに繋がった。その後も変更を加えられ高い評価を受けることとなった 。PL法、そして「開発危険の抗弁」は以上のような文脈で解されうるものである。

2.欠陥認定について

 議題の一つとなった「開発危険の抗弁」を解するために、そもそもの欠陥認定について述べておきたい。PL法施行の1994年以前に製造物責任を問う法的根拠は民法709条であり、明治29年(1896年)公布、明治31年(1898年)発効と歴史がかっていた。原告は被告に「故意または過失があり、この故意または過失が原因で損害を被った」ことの立証責任があった。つまり、製造物に欠陥があっても、その欠陥が故意または過失であることを立証しなければ、賠償請求ができなかった。最新の化学知識や製造過程や複雑化する産業構造を消費者が立証しなければならず、製造物責任を問うことが困難になっていた。
製造物責任を巡る議論を呼び起こしたのは「森永砒素ミルク事件(1955年)」である。食の安全が初めて問われたと言われる「森永砒素ミルク事件」の事故原因は、第二リン酸ソーダ(Na2HPO4)を製造過程で純度の低い工業用に変更使用したことである 。立証責任を有する消費者が、こうした高度な化学知識と製造過程に対する見識を有し、加えて故意または過失を裁判で立証しなければならず、極めて困難さを露呈した事件である。他方、民法709条の法律の限界を露呈する事件とも解される。森永乳業株式会社が事件原因として砒素化合物を裁判において認知したのは1970年であった。ここで初めて「故意または過失」が一部認められた。事件発生から15年を要し、多くの犠牲者を生み出した後となってしまった。しかし、同年、工業用の変更使用に対しては法的責務を認めなかった。法廷闘争で消費者保護が置き去りにされる中で、社会的な不買運動が全国に拡大し、森永乳業は市場規模を落とした。事件は長引き製造物と被害者との因果関係の類推によって全国の不買運動に発展し、1973年に最終合意を得た。つまり、法的責任ではなく社会的責任によって事件が終息に向かう。民法709条の純法学上の限界が露呈した事件であった。
以上のように「森永砒素ミルク事件」は、製造物責任における欠陥認定において、民法709条の改正又は修正を社会認知させる発端となった事件である。
この事件の原因を技術倫理では、一企業体に求めることはない。消費者保護の観点から根本原因を探していく。高度化し産業化する製造物、そしてその社会的影響が拡大する現代に根本原因を求め、消費者が原告となって立証責任を果たすことが極めて困難になった現状を認識し立脚点とする。その具体性として法的責任の明確化が求められ、PL法へと大きく舵を切ることを求めた。PL法は、1) (加害者の)故意又は過失が「(製造物の)欠陥」に、2)立証責任要求が被害者(消費者)側から製造者(加害者)側となっている。
経済企画庁国民生活局消費者行政第一課編『逐条解説 製造物責任法』「一 初期の製造物責任をめぐる議論」で「欠陥製品による大規模事故として最初に世間の注目を集めたのは昭和30年に発生した砒素ミルク事件であった。」 と述べられている。対して通商産業省産業政策局消費経済課編『製造物責任法の解説』「(補論二)我が国の状況」では「この時期(昭和三十年代まで)においては、製造物の欠陥による深刻な被害である砒素ミルク事件やサリドマイド事件が発生したが、法的問題として製造物責任が本格的に論じられることはなかった」 と正反対の立場をとっている。正反対の立場、つまり消費者保護の観点から推進する経済企画庁国民生活局とやや産業保護の観点から消極的な通商産業省産業政策局の立場から記述の差異が生じている。これはPL法制定後の記述であるが、成立以前の行政においても示唆しうる記述である。先述した小林氏の国際ビジネス上の立場や国内の製造業者の立場、加えて行政の対立などが絡み合いながら、複雑な状況を呈して立法化へと歩みを進めたのである。それゆえ、アメリカやEU各国に比べて、歩みが遅い状況となった。その状況で係争となった点について中村収三氏は、

「ではなぜそのように長い間、対立が続いたのか? おもに三つの争点があった。消費者側は『推定規定』と『懲罰的賠償規定』の導入を主張した。一方、企業側はこれらに反対するとともに『開発危険の抗弁』の権利を主張した。」

と述べている。「推定規定」とは欠陥の証明が困難な場合でも、状況に応じて推定される場合に賠償責任を認めることを意味する。「懲罰的賠償規定」とは、重大な過失や欠陥によって損害を被った場合に、実際の損害額を上回る賠償を科すことを意味する。「開発危険の抗弁」とは製品が製造された時点での知識を基準にして欠陥認定を下すが、新しい技術の開発によって欠陥認定が拡大してしまうことに抗弁(対抗)することを意味する。ここで技術者の観点から特に重要な「開発危険の抗弁」を取り上げていきたい。

3.「開発危険の抗弁」とその意味

 「開発危険の抗弁」とは、「製造物責任法(平成六年法律第八十五号)」の第四条第一項に該当する。当の第四条を引用する。

「(免責事由)
第四条 前条の場合において、製造業者等は、次の各号に掲げる事項を証明したときは、同条に規定する賠償の責めに任じない。
一 当該製造物をその製造業者等が引き渡した時における科学又は技術に関する知見によっては、当該製造物にその欠陥があることを認識することができなかったこと。
二 当該製造物が他の製造物の部品又は原材料として使用された場合において、その欠陥が専ら当該他の製造物の製造業者が行った設計に関する指示に従ったことにより生じ、かつ、その欠陥が生じたことにつき過失がないこと。」

 第四条の趣旨は、第三条に基づき製造業者等が製造物責任を負うこととなるような場合に、当該製造業者が一定の事情を立証することによって、第三条に規定する賠償を免責する趣旨であり、民法その他の法律で生じた損害賠償責任についての効力は及ばない、ことである。
 第一項は「開発危険の抗弁」であり、第二項は「部品・原材料製造業者の抗弁」である。第一項が当該製造物の製造業者を対象とし、第二項が当該製造物に組み込んだ部品や原材料の製造業者を対象とする。先に第二項に触れておきたい。第二項では部品や原材料の製造業者と当該製造者の関係に着目して、欠陥の発生について過失がなかったことを証明した時は、免責することとしている。
 例えば、「森永砒素ミルク事件」において工業用の第二リン酸ソーダ(Na2HPO4)を提供した原材料提供業者である。当該原材料提供業者がミルク製造過程を認知していないと立証できれば、製造物責任法成立以後も、第四条第二項において免責を受ける可能性があることを示している。当該判決においても肯定されている。第二項は第一項の免責範囲や判断基準を受ける項目であるのは、製造業者と部品・原材料製造業者と関係から推察しうる。
 第一項成立時、製造業者の免責という製造物責任の根幹に関わる多くの議論が積み重ねられた。開発危険とは、製品の流通時点における科学・技術知識によっては、製品の内在する欠陥を発見することが不可能な危険を意味する。つまり、発見不可能であった危険が、その後の科学・技術知識の進展によって認知されうる場合に製造物責任を負うこととなると、製造業者の研究・技術開発が阻害されてしまう。その結果、消費者の実質的な利益を損なうことにつながりうる。なぜならば、現代社会において消費者が新商品の使用を継続することは、社会通念上妥当であり、技術者倫理の大義である「公衆の福利」に該当するからである。この様に、当該欠陥が開発危険に相当することを製造者が立証した時には、免責を受けることとしたのが「開発危険の抗弁」である。また、「開発危険の抗弁」が規定されない場合には、社会通念に基づく予見可能性が欠陥の判断となりうる。
 この「開発危険の抗弁」の採用について、日本弁護士連合会消費者問題対策委員会編『実践PL法(第2版)』では以下のように述べている。

「開発危険の抗弁の採用については、日弁連、消費者団体および学者グループから、激しい反対意見が出されていた。
 開発危険の抗弁が認められると、未知の危険が現実化し事故が生じた場合の損害を消費者に負担させることになり、消費者を新製品開発の実験台にすることになりかねないこと、現代の技術の限界がもたらした危害であっても消費者個人がリスクを引き受けるのではなく救済されるべきであること、さらに『科学又は技術の水準』についての論争に巻き込まれる紛争の長期化を招くことになりかねないこと等の問題が指摘された。」

 消費者保護の観点から消費者個人にリスクと損害を負担させぬようにすること、裁判等の長期化の負担をさせぬようにすることが意見されている。続けて引用する。

「『製造物責任の無過失責任化を否定し、過失責任を維持しようとするための概念として拡大解釈される』おそれがあり、『我が国の裁判例がこれまでに確立してきた被害者保護の程度を後退させる危険性が高く、この抗弁を導入することの弊害は大きい』との指摘もなされた(1990年私法学会報告者グループ編 『製造物責任の現状と課題』別冊NBL24号40頁など)。」

 製造物責任の無過失責任を民法709条の過失責任へと押し戻す免責事項となりうるのが「開発危険の抗弁」であるとの指摘である。ここで議論となったのは、「製品の流通時点における科学・技術知識」の程度である。例えば中小製造業者が持つ科学・技術知識が最新であるとは限らない。とするならば、製造業者は一般的な常識や知識によって予見可能でない事故では、免責事項を満たすことになりうるのである。これでは消費者保護の観点からは民法709条と何ら変更がなくなり、むしろ「開発危険の抗弁」によって裁判等の長期化が引き起こされるならば、消費者保護が後退する法律となりうるのである。こうした危惧は当然であった。なぜならば、製造物責任法成立以前の製造物責任訴訟は以下の通りであった。

「全ての分野での訴訟件数137件、内原告勝訴90件、勝訴率65.7%、平均訴訟期間5.2年 (中略) 分野にもよるが、原告が勝訴した割合は結構高い。しかし、日本の司法制度のもとでは、訴訟に長い年月を要した。このことも訴訟による損害賠償をためらわせていたと思われる。」

 民法709条において消費者保護を勘案した判例が積み重ねられていたのが実状であった。同時に、PL法成立以前の製造物責任を問う裁判では平均訴訟期間が5.2年と長期に及んでいた。さらなる長期化が危惧されうる状況で議論が沸騰する中、国会答弁が行われた。

「すなわち、他に影響を及ぼしうる程度に確立された知識であれば、初歩的な知識から最高水準までの全てが含まれることとなり、免責されるためには、入手可能な最高水準の知識に照らし、欠陥であることを認識しることが客観的にみてできなかったことを証明することが必要になる(同旨答弁:衆議院商工委員会議録 平成六年六月三日十一頁 経済企画庁坂本政府委員、参議院会議録平成六年六月十七日五頁寺澤国務大臣。) 」

 以上の議論によって第一項の「科学又は技術に関する知見」の「科学又は技術」の意味内容が「入手可能な最高水準」となった。これによって免責事由が法的に厳密化し、民法709条への後退が回避された。先ほどのPL法成立以後の訴訟件数を挙げて、実効性を観たい。

「146件のうち、PL法により結審したものが114件ある。そのうち75件で原告が勝訴し、残りの39件では敗訴している。勝率は65.8%となる。これは奇しくも、表2(前述)に示したPL法制定前の65.7%とまったく変わらない。決着した事件の、提訴から最終決着までの期間は平均2.7年となる。」

 訴訟件数自体はさほど増えている訳ではないが、前述した「(PL法導入が)消費者教育や製品の警告表示、安全関連法規の整備、紛争処置機関の強化などに繋がった」ことで、訴訟件数が抑えられていることが挙げられている。加えて裁判期間の大幅な短縮は、「開発危険の抗弁」の免責事由の厳密化によって結審の早期化(5.2年から2.7年)につながったと言える。
 小林秀之氏は「松下カラーテレビ火災事件(大阪地裁平成6年3月29日判タ842号69頁)のように欠陥や因果関係についての事実上の推定を駆使する裁判例が今後増えてくるだろう。」 と述べている。火災と事実上の推定を駆使された同例として、統計に含まれない喫緊の2例を取り上げる。建物に設置された電気式床暖房製品から出火した事件(東京地裁平成25年(ワ)第26250号)で製造者の製造物責任が認められた事例 、もう一例として、自動販売機内部から火災が生じた事件(東京地裁平成24年(ワ)第10344号)で販売者の製造物責任が認められなかった事例 である。後例は放火の疑いが排除できないことに拠る。同2例では製造物責任の有無に拘わらず、推定が認められることは指摘しておきたい。他方、小林氏が「開発危険の抗弁」の項で述べていることからも明らかなように、免責事由の厳密化によって導き出された結果とも見なしうるのである。
 以上のようにPL法第4条第一項「開発危険の抗弁」について述べてきた。導出されたのは、「科学又は技術に関する知見」の文言とその意味の厳密化によって、裁判期間の大幅な短縮という実効性である。また、実際上の効果に結びつく消費者保護の観点は、我が国のみならず製造物の歴史の流れから希求されていたことを挙げたい。こうした複雑な事由を鑑みつつ、次に「開発危険の抗弁」を技術者倫理から検討を加えたい。なぜならば、立法化に結び付くためには、倫理上の希求が前提としてなければならず、同時に立法を形骸化さえないためにも倫理上の希求が必須だからである。加えて小林氏の述べる推定の駆使という法令解釈の次元においても、倫理上の希求が関わってくるからである。

4.技術者倫理の観点から

科学の発展と技術向上が進展する現代社会の中で、PL法は、その目的として消費者保護を謳っている。特に「開発危険の抗弁」を取り上げ、技術者倫理から観る意義について論じていきたい。3点を挙げたい。

①法律を包含する技術者倫理
②初期事故防止の鮮明化
③二項区分にない戦略性

「①法律を包含する技術者倫理」とは、倫理が法律を包含する関係にある、という意味である。これは法律を適時運用し、消費者保護の観点を保持する段階を指す。 
もちろん、法律(Law)と倫理(Ethics)は様々な違いがみられる。例えば、制裁の対象として法律は1回の行為、倫理は人格(責任)、法律は明文化された罰則有、倫理は明文化された罰則無などである。
他方、法の本質とその理解を示したPaul G. Vinogradoff(P.G.ヴィノグラドフ)は、『法における常識』において、相続法や嗜好品の国家専売などを取り上げて、道徳が必ずしも法に一致しない点を社会学上から指摘する。あるいは、ホセ・ヨンパルト氏と金沢 文雄氏は『法と道徳 ―リーガル・エシックス入門』「Ⅴ 法と道徳-相違点と共通点」で、章題の通り法律と倫理の関係を包含関係として捉えていない。しかし何れの関係性も、法律の適時運用や消費者保護の観点を保持し続ける段階ではなく、法理に基づく人権の公平性が社会上の道徳性と齟齬を起こすという実際上の問題、例えば相続法で二男よりも長男が多くの遺産を受け取ること、への指摘である。「開発危険の抗弁」における「科学又は技術に関する知見」の文言とその意味の厳密化を念頭にするならば、法律と技術者倫理の包含関係と観ることが適当となる。この点を踏まえると、「①法律を包含する技術者倫理」の意義とは、PL法を立法化しえた現代社会が製造物に根源として支えられているという技術者倫理の意義に通底している。
 「②初期事故防止の鮮明化」とは、法律(実定法)の明文化による判然な成立過程と倫理の判然とない成立過程に起因する。明治29年の民法709条以後PL法成立時までに、製造物責任訴訟が137件を数えたことを指摘した。森永砒素ミルク事件を取り上げたが、他にアスベスト訴訟、石油ファンヒータ不完全燃焼訴訟、カネミ油症訴訟なども代表例となる。PL法訴訟全体の8割を超えるアメリカにあっては1971年にホンダ、1973年にトヨタの例を挙げた。多くの実際の事件の積み重ねが製造物責任を製造物責任法の成立に結びついた。逆説するならば、実定法のPL法の実効性を検討する場合、積み重ねられた事実(事件)がなければ、立法化が行われなかったと論じてよい。言い換えれば、明文化による判然な成立過程は積み重ねられた事件が、第一過程と言ってよい。
 ここには消費者保護の観点から指摘しなければならない陥穽がある。判然な成立過程以前には消費者保護の手段の1つである事故防止における、初期事故防止が扱えない、という落とし穴である。消費者保護の手段の1つである事故防止には、初期事故防止と事故の再発防止の大きく二つに分けられる。先程、初期事故防止が扱えない、と述べた根拠は、「開発危険の抗弁」における「科学又は技術に関する知見」に立ち戻ると明瞭となる。事故の再発防止の場合、事件の発生が原因究明によって「科学又は技術に関する知見」が明らかとなる。他方、初期事故防止においては、どのような意味内容が「(先述の通り)入手可能な最高水準の知識」であるかは明らかではない。ゆえに、初期事故防止が積み重ねられた事実(事件)が存在しない段階では困難さを有するのである。
 小林秀之氏は、クロロキン事件第2次訴訟一審判決(東京地判昭和62年5月18日判時1231号3頁・判タ642号100頁)と福島大腿四頭筋短縮症事件(福島地白河支判昭和58年3月30日判時1075号28頁・判タ493号166頁)を挙げ、

「(開発危険の抗弁の)具体的な証明の仕方としては、製造物に関する科学技術情報・論文をわが国で入手可能なものをすべて収集し検討していたことを立証するのだから、そのような科学技術情報の検索システムを完備していたという証拠を提出することになろう。製造者が単独でそのような検索システムを持つことが困難な場合は、業界団体などで共通の検索システムを構築するといった動きも出てくるかもしれない。」

 と述べている。クロロキン事件第2次訴訟と福島大腿四頭筋短縮症事件は製薬会社に対して行われた。医薬品は常に最先端を競い合い、且、巨額の資金投入によって成立している製造物である。また、品質管理が厳格な製造物でもある。当該業界にあっては、「科学又は技術に関する知見」の意味内容が「入手可能な最高水準の知識」と推定可能であろう。小林氏は医薬品の2例を取り上げて一般化し「業界団体などで共通の検索システムを構築するといった動きも出てくるかもしれない。」と論じている。しかし、常に最先端を競い、且、巨額の資金投入によって成立する業界は一般化できるとは考えにくい。小林氏の著書と同じ平成6年に出版された国民生活センター著『製造物責任紛争事例 ―訴訟及び苦情処理から―』で「アクアラング事件(鹿児島地判平3・6・28判タ770号211頁)」に以下のように述べられている。

「裁判所が本件空気残量計を欠陥と認定したにつき、性状や水圧実験だけではなく、同種事故の発生を参考にしたのだろうと思われたが、この点についての原告の立証活動は、判決文を読む限りにおいて行っていないようだ。(中略) 同一スロットで製造した大量製品であっても、テストにおいて事故当時の複雑微妙な使用条件を再現設定することが困難であることなどにより、再現は容易ではない(花火などの手作り製品での再現は困難を極める)」

 判決は製造者の製造物責任を認める判決となった。アクアラング事件とは、米国製空気残量計の欠陥があり水深34メートルの海底で作業していた原告が、減圧症に罹患した際の損害賠償請求事件である。慰謝料に限り原告の過失を斟酌したのみで、原告の請求をすべて認められた。そして判決の考察として、

「繰り返すことになるが、本判決に関しては純法学視点に立てば、批判的な見解も少なくないであろう。しかし、被害者救済、消費者保護の立場からすると、大いに評価できる裁判所の判断である。」

 と事件を結んでいる。平成3年はPL法成立直前であり、製造物責任が社会的議論になっている時期であった。当該事件は純法学視点を超えて、民法709条を元にして製造物責任において消費者保護に立った判決であることが判る。ただしその際、原告の立証活動はPL法に近しい形で行われていない点には留意が必要である。後述するように民法709条をPL法へと移行することが「安定的な社会システム」と捉えるからである。
 先ほどの小林氏の考察に立ち返れば、事故の再現性が極めて困難なことを当該事件は指し示している。つまり、医薬品2例とは異なり、空気残量計の如き多くの工業上の製造物はその再現性を担保することが困難なのである。それゆえ、小林氏の指摘する医薬品に基づく一般化、社会の工業製品業界への一般化は考え難いと論じられうる。
加えて、別の視点から製品事故の再現性が問われた著名な事故として、スペースシャトルチャレンジャー号事故がある 。アクアラング事件と同様、チャレンジャー号発射当日の気温が低く、ロケット・ブースターのジョイントのOリングのシール機能の低下が危惧されていた。しかしながらシール機能低下の定量データがなく、危険を技術者が指摘しながらも事故が発生した。チャレンジャー号事故は技術者の立場と内部告発や設計上の欠陥などを考える上で重要な事故となった。
消費者保護を社会全体に広げるならば、医薬品等の限られた条件を持つ製造物だけではなく、再現性の求められない製造物や定量データ、例えば「アクアラング事件では水深、チャレンジャー号事故では有効な温度範囲」がない製造物においても、PL法が同等に運用されなければならない。この点で小林氏の主張は、製造物責任の一般化の例として国民生活センターの主張と対立しているのである。
以上に着目しつつ「開発危険の抗弁」の陥穽とした「②初期事故防止の鮮明化」に立ち返りたい。初期事故防止においては、どのような意味内容が「入手可能な最高水準の知識」であるかは明らかではないケースを挙げた。「アクアラング事件における水深やチャレンジャー号事故における有効な温度範囲」が該当する。当該のケースではPL法第四条第一項「開発危険の抗弁」における「入手可能な最高水準の知識」は拘わりなく、製造物責任が認められた。それは「①法律を包含する技術者倫理」で検討した「法律を適時運用し、消費者保護の観点を保持つづける段階」、言い換えれば消費者保護を社会全体に広げていくことであり、技術者倫理の意義に通底する倫理上の動機なのである。これは判例を積み重ねて「入手可能な最高水準の知識」の意味範囲の厳密化を図っていく司法の針路を採らない動機でもある。常時、製造者にPL法で争われうる判然としない領域(あるいは、明文化されていない領域)に消費者保護の視点を求め続けていく動機である。そしてこの技術者倫理としての動機こそが、判例を積み重ねて漸近的ににじり寄っていく司法とは異なる形で、製造物責任へと向かいうる原動力である。技術者倫理が司法の枠を超えて「公衆の福利」を目指す形とも言い直せる。それでは次にこの形の意味内容を論じていきたい。
 「③二項区分にない戦略性」とは、技術者倫理における著者の立場である。
技術者倫理の大義は「公衆の福利」の実現にあり、その判断基準に2つの主義が位置する。そもそも技術者倫理は、個別の技術分野を超え、研究、開発、実施、利用などに係る際、「公衆の福利」を最優先と捉えている。ここで公衆とは不特定多数の人々を指し、国民はもとより消費者、製造者に至るまでを指す。「公衆の福利」とは、数多くの倫理要綱に規定され、その代表は、「National Society of Professional Engineers (NSPE: 全米プロフェッショナルエンジニア協会)」で「公衆の安全、健康、および福利を最優先する(Hold paramount the safety, health, and welfare of public)」ことが明記されている 。技術者の国際的同等性を求める「日本技術者教育認定機構(JABEE)」は、技術者認定教育を行う課程に「技術者倫理」を必須科目としている。また、「公益財団法人 化学工学会」の倫理規定では、憲章「1.会員は、専門家として、職務遂行において公衆の安全、健康および福祉を最優先する。(行動の手引き)」 とある。その他数多くの工業系専門学会の倫理規定に「公衆の福利」と同類の規定が見られる。つまり、技術者が製造する物の民間利用では、「公衆の福利」を考慮している。現代では、以上のように製造物を社会基盤に位置付けるためには、「公衆」という概念を導入している現状がある。「公衆の福利」は、公衆に対する責任の要請であり、「初期事故防止」、「再発防止」が求められている。
技術者倫理では判然とない成立過程ゆえに、数多くの立場がある。全てを述べられないけれども、大雑把に分けると、倫理を判断基準の第一優先にするという意味での倫理絶対主義と、倫理が数ある判断基準の1つとする意味での倫理相対主義の二つの主義となる。倫理絶対主義の一例は、「②初期事故防止の鮮明化」のアクアラング事件において国民生活センターの考察で「繰り返すことになるが、本判決に関しては純法学視点に立てば、批判的な見解も少なくないであろう。しかし、被害者救済、消費者保護の立場からすると、大いに評価できる裁判所の判断である。」とする立場である。この立場は、純法学上の視点や製造者の負担等を超えて、消費者保護を判断の第一優先としている。ゆえに「大いに評価できる裁判所の判断である」という結論は、純法学上の視点よりも消費者保護の動機を認め、判断の第一優先としたからこそ導き出されたのである。
また、「開発危険の抗弁」の採用に反対した日本弁護士連合会消費者問題対策委員会の「消費者を新製品開発の実験台にすることになりかねないこと」等の主張も同主義である。その主張は、消費者保護にのみ視点が充てられている。弁護士の職能として妥当な意見は、「公衆の福利」という技術者倫理の視点に照らし合わせれば、倫理絶対主義と解される。その所以は、「公衆」が消費者のみならず、製造者を含む概念であるからであり、同時に、消費者が使用している製造物の何れもが、実験台とすることになりかねないリスクが存在するからである。技術者倫理の基本概念である「安全」とは、「許容されうる低い可能なリスク(許容可能なリスク[tolerable risk])が存在すること」 を意味する。リスクが存在しない、という一般用語としての「安全」ではないのである。現代社会は電気やガス、自動車等、製造物に基底層を依存する社会となっているが、それら全ての製造物は「許容可能なリスク」の判断に基づいている。日本弁護士連合会の主張は妥当であり、かつ、技術者倫理では倫理絶対主義と解される所以は、以上である。
加えて、小林氏も倫理絶対主義とみなせる。前述したように、小林氏は医薬品の2例を取り上げて一般化し「業界団体などで共通の検索システムを構築するといった動きも出てくるかもしれない。」と論じている。業界の規模や製造物の技術の取得や品質管理を含めた競争状況、資金投入など経済状況を勘案せずに、「入手可能な最高水準の知識」を求めている。「入手可能な最高水準の知識」を求めている倫理上の要求を第一優先として判断を下した結果である。しかしながら、倫理絶対主義は、その他の倫理絶対主義と相いれず、同時に技術者を取り巻く環境との不整合を生み出しやすい立場でもある。さらに、判断基準の対象範囲の不鮮明さを抱えつつも、制裁の対象として二項区分化する。つまり、善か悪か。倫理か非倫理か。という二項区分によって対象を制裁してしまうのである。この点が正に「開発危険の抗弁」で製造物の開発に如何に実効性を与えるかの分岐点である。なぜならば、製造者側と消費者側の二項区分、同時に二項区分のどちらか一方に是を、他方に非を付与することが「公衆の福利」にそぐわないと勘案するからである。言い換えれば、倫理絶対主義で対象を二項区分化し、その是非という価値を対立して付与することが、最終的に消費者と製造者の対立を生むからである。しかしながら、「公衆の福利」における「公衆」とは消費者と製造者(技術者)を共に含むからである。
以上の議論は小林氏に対した前述の著者の反論だけでは不十分であり、技術者倫理において賛否のぶつかり合う内部告発で、さらに深めていきたい。
内部告発について、R・T・ディジョージ氏は『ビジネス・エシックス―グローバル経済の倫理的要請』において、内部告発の倫理的正当化の5つの条件を挙げている 。

1.一般大衆に被害が及ぶか?
2.上司へ報告したか?
3.内部で可能な手段を尽くしたか?
4.自己正当化できる証拠があるか?
5.リスクを考慮し、成功する可能性があるか?

 1~3を充足すると内部告発は倫理上許され(permitted)、1~5を充足すると倫理上の義務(obliged)となるとディジョージ氏は主張する。これに対して、藤本温氏は『技術者倫理の世界 第2版』で、

「しかし、告発者にとってデメリットだらけというのが実状ではないでしょうか。「成功」とはいっても、たとえば、内部告発によって会社が廃業に追い込まれると、それが成功でしょうか? 自分が職を失うことのほかに、社員が皆、職を失うのです。それを成功というでしょうか? (中略)このように考えると、5番目の条件が満たすことは非常に難しいことがわかります。あるいは、義務になるような内部告発はほとんどないのだ、ということをディジョージは言いたいのかもしれません。」

と文の内容を逆接に解釈する 。ここで留意すべきは、ディジョージ氏の主張に対する順接解釈と、逆接解釈の結論のいずれもが二項区分となっている点である。文言を倫理絶対主義で解することで内部告発は是(義務)か非(非義務)かという二項区分で峻別されている。順接解釈がなされた場合でも、逆接解釈がなされた場合でも、同時に技術者を取り巻く環境との不整合を生み出しやすいのである 。藤本氏の指摘するように内部告発者の現状は悲惨の一言に尽きる。具体例としてミートホープ社の内部告発者赤羽喜六氏に耳を傾けたい。
ミートホープ株式会社の食品偽装事件は、JAS法の改正など社会全体に大きな影響を与えた。該当会社の内部告発者赤羽氏の証言をディジョージ氏の5つの条件に照らし合わせると、不整合が起こる。

1.一般大衆に被害が及ぶか?   →× 被害者0名 
2.上司へ報告したか?      →× 上司である社長に忠告できず
3.内部で可能な手段を尽くしたか? →不明 何を「可能」とするか明確でない
4.自己正当化できる証拠があるか? →× 当人が否定
5.リスクを考慮し、成功する可能性があるか? →× リスクを考慮せず実行し、倒産、家族と別居し遠方(北海道から長野)

以上のようにディジョージ氏の5つの条件を満たしていない 。されども、赤羽氏の内部告発によってわが国の食品衛生は消費者保護へと大きく前進した。逆接として解釈した藤本氏の立場に立つと、ミートホープ事件では赤羽氏が、倒産の憂き目にあい、親類から罵倒され伴侶との別居、地元北海道から遠く長野県に転居するなど内部告発を否定する結論となる。しかしながら、技術者倫理の大義である「公衆の福利」、そして消費者保護の観点からはミートホープ事件は評価されうる事件である。
ここから導き出されるのは、二項区分の不整合さであって、それゆえ、定立・反定立・総合、という正反合(These-Antithese-Synthese)の必要性を示している。つまり、二項区分を超越する立場へと議論を格上げして捉えなければならないのである。この場合は技術者倫理の大義である「公衆の福利」への議論の格上げを意味する。また、これは「②初期事故防止の鮮明化」で述べた「法律を適時運用し、消費者保護の観点を保持つづける段階」、言い換えれば消費者保護を社会全体に広げていくことであり、技術者倫理の意義に通底する倫理上の動機の段階である。この段階にあって始めて、技術者倫理の大義に沿う戦略性が検討可能となる。

5.技術者倫理を成し遂げる戦略性と社会システム

 製造物責任法、特に「開発危険の抗弁」を取り上げて議論を進めてきたが、現れてきたのは、技術者倫理の目的である消費者保護と現実をすり合わせるやっかいさである。ディジョージ氏を例に挙げ、二項区分のすり合わせは現実世界が困難さを示していた。これは人間が矛盾や多様性を内包し、社会や環境が物質の分子運動のように、不規則で混乱に近い運動を行っているからである。それでありながら、温度の上昇によって分子運動が全体としては激しさを増すように、規則性があるかのように見受けられるからでもある。
 こうした人間や社会の分子運動に取り組んできた学問がある。それは兵法(strategy)と呼ばれており、現代では戦略学(strategy)として呼ばれる。戦略学から技術者倫理を捉える理由は、トーマス・クリアリー氏の主張する「見かけは矛盾する態度によって引き起こされるようなパラドックスを克服して、さらにはそのような矛盾やパラドックスを解決する可能性」 を探るためである。
 加えて、「開発危険の抗弁」における開発危険の議論で明らかになった、技術の進歩が社会全体の根幹を支える割合の増加によって製造物責任が民法709条から製造物責任法へと移行したことにある。具体的には、クロロキン事件第2次訴訟一審判決と福島大腿四頭筋短縮症事件判決で示された、社会や業界全体の根幹が製造物の取捨選択を行いうるという「製造物と社会の相補性(あるいは相互依存性)」を考えに含めなければならないことを指す。この点についてはフランソワ・ジュリアン氏が孫子の兵法について述べている文を引用する。

「互いを排除するわけではなく、正反対のものが互いを条件づけるのであり、賢者(すなわち戦略家)はこの論理から自身の戦略を練るのだ。常識的にものごとの単なる相反した状態を見て個別に扱うのではなく、賢者はその相互依存性に気づき、そこから利益を得るのだ。」

ジュリアン氏の言う「正反対のものが互いを条件づける」ことは、社会の諸要素間や技術同士の関係や自然科学等と技術の全体性や、技術と社会との相互依存性を指し示し、「常識的にものごとの単なる相反した状態を見て個別に扱うのではなく」とは、個別の事件やその判決によって左右されるのではなく、「開発危険の抗弁」において消費者保護という目的だけで扱うべきではないという主張に合致する。言い換えれば、倫理絶対主義の相克を超えうる立脚点なのである。それゆえ、二項区分の不整合さから、定立・反定立・総合、という正反合という超越論的議論の視点への道なのである。
正反合という超越論的議論は新展開を迎えている。1972年に中華人民共和国山東省の銀雀山(Yin-ch’uehshan)で竹簡の孫子の文献が発見されたことで、欧米世界で研究が加速している 。数々の研究が進む中で、新進気鋭のデレク・ユアン氏は『真説 孫子』「中国の戦略思想におけるパラドックス・矛盾の使用」で超越論的議論を詳解する。先程のジュリアン氏を引用しながら、

「中国の弁証法体系の核心は陰陽論にある。陰陽同士が邪魔されない形で結びつき、互いに浸透し、相互依存すれば、状況の両極性はその中(もしくは陰陽の連続体)に存在することになる。同じような形で、戦いでは状況の両極性というものが争い合う力の敵対関係に由来する。これによって、なぜ現実を両極性の中で捉えようとする中国の思想が、戦略レベルに傾きやすいのかも明確になる。」

 と述べている。正反合が陰陽同士の結びつき方やその捉え方として述べられている。繰り返すが、「開発危険の抗弁」における「科学又は技術に関する知見」と制定する際の製造者側と消費者側が相対するのは正反の議論である。同時にその議論が互いに浸透しあっているという点を適正に理解する上で、デレク氏の戦略学は実用性を持つ。さらに視座を広げて技術と社会の相補性においても効果的であるのは詳しく述べるまでもない。技術はそれを生み出し必要とする社会と孤立して成立する芸術ではないからであり、現代社会にあっては技術無くして成立しえないからである。社会と技術は対立した二項区分という次元で捉えるべきないのである。その状況の両極性を的確に捉えるのが、デレク氏の「中国の戦略思想におけるパラドックス・矛盾の使用」なのである。
 もう1点、戦略性を用いて技術者倫理を捉えるべき理由がある。それはシステムにおける安定状態を目指すことである。デレク氏は、戦略の究極の目的について以下のように記す。

「戦略の究極のゴールは、システムを比較的安定的な状態に修復することにあり、これによって勝利の結果を享受するところにあるのだ。われわれが戦闘や勝利や戦争の勝利に執着するあまりに、われわれのシステム修復に必要な戦略的な能力を越えた、意図せず望ましくない結果を生じさせてしまうことは多い。孫子が、物理的なレベルでの戦争をなるべく避けつつも、道徳面や精神のレベルで戦争に勝つ必要性を常に主張する理由はまさにここにある。」

製造物責任の勝訴率は民法709条で認められていた期間と、製造物責任法成立後以後とは変化がなかった。しかしながら、社会システム全体からすると立法による根拠が明確となり、例えばアクアラング事件における純法学視点の根拠の乏しさ、また、「消費者教育や製品の警告表示、安全関連法規の整備、紛争処置機関の強化など」のようにサブシステムの構築がなされたことが重要視されうる。歴史がかった民法709条を判例の積み重ねで製造物責任をなし遂げるシステムが、国際ビジネス環境の変化や製造物の技術上の高度化などで不安定化した実状を、製造物責任法の立法化とサブシステムの導入によってより強固で比較的安定的な状態に修復した、と解釈しえる。つまり、戦略的視点から眺めれば、製造物責任法成立は、社会システムの修復と捉えられることとなる。

6.まとめ

以上のように、製造物責任法の「開発危険の抗弁」における議論を検討してきた。「森永砒素ミルク事件」に始まり、「松下カラーテレビ火災事件」と2つの火災事件の判例等を取り上げた。技術者倫理の重要な点として初期事故防止の鮮明化を挙げるなどを通して、現代社会の製造業者、製造業界の個別性を指摘した。アクアラング事件とチャレンジャー号事故の共通点から消費者保護の重要性とその観点を保持つづける動機として技術者倫理を考察した。動機として判断する際の二項区分の陥穽と、内部告発におけるディジョージ氏の順接解釈と逆接解釈のいずれの場合でも不整合が起こることを、ミートホープ事件の実例を挙げて指摘した。この二項区分、正反いずれかの要素だけを採るのは、「公衆の福利」として適切でなく、それゆえ戦略的視点の重要さを論じた。「孫子」の新資料を基にした戦略的視点から製造物責任法を省察すると、社会と技術が相互依存性を持つという理解が的確となり、製造物責任法の成立が民法709条の持っていた製造物責任のより安定的なシステムと捉えられることとなった。
ゆえに、技術者倫理の大義である「公衆の福利」においては、社会と技術が互いを排除する形ではなく、両極の性質を取り込む形での社会システムの安定化が重要な要素であると結論づけられた。
加えて、戦略的視点の導入は、消費者側と製造者側が倫理絶対主義という判断基準で互いを非難する可能性を含む二項区分の回避につながる。技術者倫理の大義「公衆の福利」の「公衆」が消費者と製造者を共に含むという概念定義を考慮すれば、現代社会において二者の二項対立は、結果として「公衆の福利」に反することとなるのである。以上の点において、技術者倫理に戦略的視点を導入する意義がある。


文末脚注(後注:リンク先が切れています。HPの形式が原因ですのでご容赦ください。)
『科学技術者の倫理―その考え方と事例』 208-209頁
『新製造物責任法体系Ⅱ[日本篇]』 2頁
同上 4頁
『日米製造物責任訴訟対策』 はじめに1-2頁
『技術者による実践的工学倫理 第3版 先人の知恵と戦いから学ぶ』 第6章
『新製造物責任法体系Ⅱ[日本篇]』 117頁
『逐条解説 製造物責任法』 11頁
『製造物責任法の解説』 42頁 又、この場合の「法的問題」とは民法709条の問題を指す。
『技術者による実践的工学倫理 第3版 先人の知恵と戦いから学ぶ』 58頁
『六法全書』 民事法 〔民法編〕 製造物責任法 
日本弁護士連合会消費者問題対策委員会編『実践PL法(第2版)』 67頁
『技術者による実践的工学倫理 第3版 先人の知恵と戦いから学ぶ』 56頁
『製造物責任法の解説』 142,143頁 
『技術者による実践的工学倫理 第3版 先人の知恵と戦いから学ぶ』 63頁
『新製造物責任法体系Ⅱ[日本篇]』 19頁
判例時報 2269号 54-58頁
判例タイムズ No.1446 237-249頁
『日米製造物責任訴訟対策』 36頁
国民生活センター著『製造物責任紛争事例 ―訴訟及び苦情処理から―』 5,6頁
同上 7頁
『科学技術者の倫理―その考え方と事例』 1-2頁
NSPE Code of Ethics for Engineers 
「公益社団法人化学工学会」 倫理規定
日本規格協会 第1章 国際安全規格
『ビジネス・エシックス―グローバル経済の倫理的要請』第10章 加えて『技術者倫理の世界 第2版』 第8章
『技術者倫理の世界 第2版』 95頁
筆者は「oblige」の原義が「誓いによって縛る」であり、ob(方向)とligare(結ぶ)に由来することを考慮すると、宗教上の義務(神からの命令)を受諾することを含意していると解釈する。すると、ディジョージ氏の成功とは宗教上の成功、つまり神への接近と認められる。とするならば、藤本氏の現世での会社の倒産や離職はディジョージ氏の成功の意味とずれると考える。
加えて、20世紀前半の思想運動である論理実証主義が、「統一科学」への系統として全ての文言の共通言語を提起することで妥当性を見出そうとする試みが失敗したことを鑑みるとより一層の重要さを持つことになる。言い換えれば、ディジョージ氏の5つの条件の文言内容を共通化していこうとすることが、循環を犯して失敗に陥ることである。例えば、Karl Popper, The Logic Of Scientific Discovery, London: Hutchinson & Co. 1975 や 野毛啓一著 『クーン -パラダイム』を参照のこと
『告発は終わらない―ミートホープ事件の真相』
Sun Tzu, The Art of War, trans. Cleary, p. 13. 又、デレク・ユアン著 『真説 孫子』 40頁を参照
Jullien, A Treatise on Efficacy, p. 114
Sun Tzu, The Art of War, trans. 又、デレク・ユアン著 『真説 孫子』 59頁を参照
デレク・ユアン著 奥山真司訳 『真説 孫子』 26-27頁
同上 54頁


参考文献・引用文献

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大羽宏一・林田学著 『PLと改正民事訴訟法』 日本経済新聞社 1997年
経済企画庁国民生活局消費者行政第一課編者 『逐条解説 製造物責任法』 商事法務研究会 平成7年4月14日 初版第3刷
国民生活センター著『製造物責任紛争事例 ―訴訟及び苦情処理から―』 大蔵省印刷局 平成6年4月28日発行 
小林秀之責任編集者 『新製造物責任法体系Ⅰ〔海外篇〕』 弘文堂 平成10年4月15日 新刷第1刷
小林秀之責任編集者 『新製造物責任法体系Ⅱ〔日本篇〕』 弘文堂 平成10年4月15日 新刷第1刷 
小林秀之編著者 『日米造物責任訴訟対策』 中央経済社 平成8年9月20日 初版
通商産業省産業政策局消費経済課編集 『製造物責任法の解説』 財団法人通商産業調査会 平成6年9月20日 
中村収三 一般社団法人 近畿化学協会 工学倫理研究会 編著者 『技術者による実践的工学倫理 第3版 先人の知恵と戦いから学ぶ』 (株) 化学同人 2016年3月1日 第3版第4刷
日本弁護士連合会消費者問題対策委員会編 『実践PL法(第2版)』 有斐閣 2015年9月30日 第2版第1刷
野毛啓一著 『クーン -パラダイム』 講談社 1998年01月
畑村洋太郎編著 『続々・実際の設計 失敗に学ぶ』 日刊工業新聞社 1996年
判例時報 2269号 判例時報社 平成二十七年11月11日
判例タイムズ No.1446 判例タイムズ社 平成30年5月1日
山下友信 山口厚編集代表 『六法全書〈平成29年度版〉』 有斐閣 2017年3月17日
ホセ・ヨンパルト, 金沢 文雄 『法と道徳―リーガル・エシックス入門』 成文堂 1983年9月 
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De George, R.T.“Ethical Responsibility of Engineers in Large Organizations: The Pinto Case”, in Ethical Issues in Engineering, ed. Johnson, D.G., Prentice Hall
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R.P.マーロィ著 馬場孝一他訳 『法に潜む経済イデオロギー -理論と実践のための比較論的アプローチ』 木鐸社 1994年
R・T・ディジョージ著 麗沢大学ビジネス・エシックス研究会訳 『ビジネス・エシックス―グローバル経済の倫理的要請』 明石書店 1995年10月
Sun Tzu, Thomas Cleary trans, The Art of War, Shambhala Abridged 2005
1990年私法学会報告者グループ編 『製造物責任の現状と課題』 商事法務研究会 別冊NBL24号 1992年
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http://www.scej.org/general/ethics.html
NSPE Code of Ethics for Engineers
https://www.nspe.org/resources/ethics/code-ethics
日本規格協会 第1章 国際安全規格
https://www.jsa.or.jp/datas/media/10000/md_793.pdf
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