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【随筆】『中学生棋士』に学ぶ勉強の方法3


 「どうでしたか?」

 「おもしろかったです。」

 「そうですか、良かったです。面白かったのを伝えるいい方法は、最も心に残った一文を挙げることです。どこが心に残った一文ですか?」

 「あ、それは、
 『お母さんは翔さんに「どんな試験でも突破できる奥義」を伝授した。
 その奥義とは「うそを言うな、弱いものいじめをするな、五感を鍛えろ、そして早く寝ろ」だった。』
 です。」

 「どうして?」

 「ええと、どんな試験でも突破できるのは、勉強することだと思うので、これって本当ですか? 」

 「はい、だって、大川翔さんは中学校二年生の年齢で、つまり、あなたの年齢で東京大学と同じレベルの大学に合格しているので、本当です。」

 「・・・」

 「試験の突破する方法が、勉強方法でなくて、つながらないのでよく分からないのでしょうか?」

 「はい、そうです。」

 数学を中学生二人に教えている。昨日(平成三十年一月十日)、その二人に谷川浩司著『中学生棋士』の一節を読んでもらって、同じ反応だった。前々号(第五十七号)で「【随筆】『中学生棋士』に学ぶ子育て」を書き、当の一節を深めようと考えていた。今回、中学生に語りながら、形にできたので書き残しておきたい。加えて、努力を積み重ねる根本である、とも推察した。勉強のみならず、スポーツやあらゆる努力の根底に共通すると感じている。

前号での記述
 加えて、前々号では簡素な記述に留まったことも書き残したい理由の一つである。前々号での記述を振り返りたい。

 「お母さんの言葉が印象に残った。試験を突破する奥義が修身(道徳)なのである。目先の利益を求めやすくなる試験の心構えを一段上げる点に感服した。(中略)
 お母さんの言葉がご本人に沁(し)み込んだように感じられる。」(ふじの友 第五十七号 八頁三段十五から二十行目)

 「道徳がある学生がテストの成績が良くなる」

 というのは十年を超える教師生活で体感している。中学生から大学生、日本人から東アジア各国の学生の全てで、分け隔てない。道徳を奨める『論語』の偉大さを実感している。
 他方、この私自身の体感を、そのまま、社会経験や勉強の苦労が少ない中学生に語っても、言葉が空を飛ぶように、どこかに行ってしまうであろう。分解して説明する機会となった。

 「うそを言うな」が「どんな試験でも突破できる」勉強の方法である。

 前括弧と後ろ括弧をつなぐのは、「勉強の質と量の確保」にある。「弱いものいじめをするな」、「五感を鍛えろ」、「そして早く寝ろ」と「「どんな試験でも突破できる」をつなぐものも「勉強の質と量の確保」にある。

「うそを言うな」は「勉強の質と量の確保」につながる
 では、どうして「うそを言うな」と「勉強の質と量の確保」がつながるのであろうか。それを説明するために、まず、日本の小学校から大学までの一般の勉強の状況から述べていきたい。

 学校の勉強では授業とテストがある。授業の定着や理解を測るのがテストとされている。であるから、「テストが良くできる者が勉強ができる」となっている。

 もしテストの点が良かった場合はどうなるであろうか。
 普通の人(私も)は、テストの結果が良ければ嬉しくなって安心する。なぜなら、テスト勉強の方法が良かった、と判断するからである。
 さらに、テストの点が三回連続良い点数であったのなら、慢心してしまう。「この勉強方法でいいのだ」と思い込む。専門学校や大学の入学当初は、授業を一所懸命になっていた普通の学生が、テストや成績評価を得て、

 「な~んだ、この程度でいい成績ができるなら、あまり勉強しなくてもいいや。」

 と考えてしまうことも多い。テストの点数だけで自分の勉強方法を測っているとこのような結果になってしまうのが、普通の学生なのである。つまり、普通の学生はテストの結果が連続して良いと慢心して「勉強の質と量を確保すること」ができなくなる。

 もしテストの点が悪かった場合はどうなるであろうか。
 普通の人は、テストの結果が悪ければ落ち込んだり焦ったりする。なぜなら、テスト勉強の方法が悪かった、と判断するからである。
 そもそも完璧なテスト勉強を、毎回行える学生は普通の学生ではない。反省材料を探そうを思えば幾らでも出てくる。

 「私はそもそも勉強に向いていないのかもしれない。」
 「勉強ってつまらない。なんでこんなことをしなければならないの。」
 「テストって無くなればいいのに。」

 という悩みを持つ人が多い。それが普通の人である。しかし、こうした悩みを持つことは無駄である。人生の進路を決める上では有意義かもしれないが、「勉強の質と量の確保」の上では無駄としか言いようがない。年末の押し迫った時期になると、毎年のように同じことを言う学生が出てくる。

 「先生、医者になりたいって言ってた気持が無くなってきました。」
 「勉強に集中できないんですけど、夜も良く寝れなくて・・・。」
 「親がテストの結果が悪いからって、進路を考えたらどうだって言ってくるんですけど、どうしたらいいですか?」

 全ての迷いが「勉強の質と量の確保」を奪っているのである。本人は真剣に勉強したい、という気持ちはある。けれども、その努力の方法が違うのである。全ての迷いはどれだけ迷っても「勉強の質と量の確保」にはつながらない。

 「迷いを断って机の前に座って手と頭を動かせ。」

 と強く言い切りたい。そのようなことは出来ずに言葉を柔らかくして、いくつもの言い方を考えながら、伝えている。苦しみ悩む普通の人に、真実が薬にもなる場合もわずかにあるが、多くの場合毒薬にしかならないからである。

 以上のように、テストが良い場合でも悪い場合でも、「勉強の質と量の確保」が出来なくなってしまうことは私の教師体験で、よくよく見られた。

 解決方法である。「テストの結果」と「勉強の質と量の確保」を切り離すことが大切である。それが道徳によって心構えを一つ上げる点につながる。

 「うそを言うな」は、「うそを言わないこと」によって自身の正しさを自分で肯定できることが大きい。「うそを言わないことで他人に認められるようになりなさい」ではない。「うそを言わないことで自分自身に自信を持ちなさい」ということである。つまり、揺らがない自分への信頼を獲得しうるのである。このことによってテストの点が悪い場合、迷いを直ぐに吹っ切ることができる。迷い迷うのは自分の自信がないからである。自分の行いを正しい、と自分が肯定できないからである。
 「うそを言う者は他人もうそを言うのではないか」と疑心暗鬼におちいる。そして他人の目や評価を気にするようになる。他人の目や評価を気にすることで「勉強の質と量の確保」が出来なくなるのである。テストの結果が良ければ、他人の評価も上がると考えるが、慢心につながりやすい。結果が悪ければ、他人からの評価が下がってしまう、と恐怖さえ感じてしまう。
 けれども、自分自身を肯定できる者は、テストの点が良かろうが悪かろうが、自分の価値とは関係ないと切り離すことができる。だからこそ、自分自身の正しいこと=「勉強の質と量の確保」に集中できる。
 以上のように書いてきたことを三、四歳の子供は理解できない。だから、「うそを言うな」と単純明快にする。
 補足すると、「うそを言うな」は、「言われたことはする」に通じる。私が教師をしていて実感するのは、普段から明るく話せる学生は、課題の提出率が良い。同時に成績の伸びが良いように感じている。「うそを言わない」人を「素直な心の持ち主」と言い、「言われたことをする人」を「素直な人」とも言う。「素直な人」はテストの結果が良い時、「慢心してはいけないよ」と言われて、素直に聞けるであろう。テストの点が悪い時、「悩まないでとにかく勉強に集中して」と言われて、素直に聞けるであろう。けれども、素直でない人は、慢心し続けるであろうし、悩みにとらわれ続けるのである。花咲か爺さんのような昔話で出てくる性悪じいさんは、この素直でない人そのものである。
 最後にまとめてみたい。学生の最大のうそとは何であろうか。学生の本分は勉強である。勉強しないことが嘘となる。
 「うそを言うな」が「勉強の質と量の確保」につながるというのは以上の意味である。

「弱いものいじめをするな」は「勉強の質と量の確保」につながる
 弱いものいじめをする者は、正常な人間関係を結べない者である。正常でない人間関係は、案外と手間と時間が掛ってしまう。学校生活は当然ながら正常な人間関係を前提にしている。だから、最も心安らかに送ることができる。しかし、弱いものいじめをする者は、「誰かをいじめたい」や「誰かにいじめられないだろうか」ということを常に気にしている。教室で授業を受けていても、いじめの対象となる相手を気にしている。あるいはいじめられている者でそれに囚われているものも同様である。周りから見れば「いじめられている」と思われる本人が、全く気にしていない場合がある。
 周りの人と人間関係をうまく結べない者は、学校が終わった後も同じように周りの人の関係を常に気にしているように思われる。

 「今度は、どうやってあいつをいじめてやろうか。」
 「明日は学校に行ったら、またいじめられるかな。」

 と。このように周りの人の関係を気にしている者は、授業に集中し、帰宅後、一所懸命勉強して、質と量を確保できる訳がない。周りの人の関係を気にする他の例としては、恋愛があるが、こちらは禁止しても禁止できるものではない。しかし、「弱いものいじめ」は禁止できるのである。勉強は、独りで行うものだ。周りの人の関係を気にして出来るものではない。
 これはスポーツでも同様である。あるサッカーチームの選手の関係が良くないとする。けれども、そうした選手全員を嫌ってチームを出てしまっては、集団競技であるサッカー選手として向上することではきない。他方、そのサッカーチームは年齢が上がれば必ず全員が卒業して、解散となる。そのチームの人間関係を良くしてもいつかは離れてしまうものなのである。自らのサッカー選手としての技能を高めるためには、正常な人間関係を結んで、自主トレーニングをしながらチーム練習に参加することに尽きる。そのトレーニングの質と量の確保が、優れた選手になるための唯一の道なのである。幾らチームの人間関係を良くしても、プロのサッカー選手にはなれない。

「五感を鍛えろ」は「勉強の質と量の確保」につながる
 「勉強の質と量の確保」に「うそを言うな」と「弱いものいじめをするな」は、直感しやすいのではないだろうか。「五感を鍛えろ」は少々難しく感じるかもしれない。しかしながら、私には「五感を鍛えろ」が重要である、と感じている。
 一人の中学生はゲームを将来作りたい、と数学を学んでいる。ゲームと数学は比較的つながりやすい。そこで、教室の外にある、静岡市の青葉通公園の夜のイルミネーション(LED照明による木々のライトアップ)を指差した。

 「木々の青や紫のライトアップを見てどう思う?」

 「きれいですね。ピンクや赤があればいいな、と思います。」

 「じゃあ、将来ゲームを作りたいんだよね。そういう人はどう考えると思う?」

 「・・・えっと・・・」

 「うんうん。ゲームを作る人ならね、この綺麗なライトアップを見て、こんな場面をゲームの中で表現したいな、と思うんじゃないかな。ゲームのプログラマなら、どういうプログラミング言語なら表現しやすいか、などを考えるんじゃないかな。」

 「あぁ・・・。」

 「つまりね、「五感を鍛えろ」というのは、目の前にある素敵なことや美しいことと、勉強とを結びつける力を持ちなさい、という意味だと思うんだよね。数学の勉強も、やらされている、ではなくて、数学が分かればゲームを書けるようになる。つまり、数学は自分の夢につながる大切なもの。だから頑張ろう、という気持ちが出てくる、ということ。「五感を鍛えろ」というのは、「感性を豊かにする」、「色んなことに興味を持つ」とも言われるけど、自分の夢を具体的な行動にする時に、どうしても必要なことなんですよ。」

 感性のない人はロボットのようなものです。言われたことをただただこなすだけです。けれども、人間はロボットのように一度覚えたことは忘れない訳ではありません。集中して覚えたことは定着しますが、やる気のない、やらされているだけで覚えたことは、直ぐに忘れてしまいます。イチローの高校時代の監督が、

 「やらされている百本より本気の一本」

 と言ってしました。やる気が質を高めるという意味です。このやる気を起こさせるのが「五感」なのです。イチローは小学校の作文で、

 「将来プロになってお世話になった監督や先生や仲間、や親を球場に呼んで感謝したい。」

 と書いています。まだ見ぬ未来を思い描いて具体的な行動=一本の素振りを大切にする、が出来たのです。そしてそういう未来は、イチローが一年間三百六十日以上の練習をすることを可能にしたのです。
 以上ように「五感を鍛えろ」とは「勉強の質と量の確保」に大いに関係があるのです。また、このまだ見ぬ未来を思い描く、というのは、修身(道徳)では古来より言われてきたことです。
 富士論語を楽しむ会で最初に読み上げる「聞学起請文(もんがくきしょうもん)」から引用します。

 「(佐藤)一齋(いっさい)先生曰(のたまわ)く、
 少(わか)くして学べば壮(そう)にして為(な)すあり。
 壮(そう)にして学べば老(お)いて衰へず。老いて学べば死して朽(く)ちず。」

 若輩の時に壮年を想い、壮年には老年を想い、老年は死後というまだ見ぬ未来を思い描いてやる気をだしましょう、というのが佐藤一齊先生の文意です。この文意を「五感を鍛えろ」に凝縮した点は、見事という他ありません。

「そして早く寝ろ」は「勉強の質と量の確保」につながる
 前文の「五感を鍛えろ」が精神上のやる気向上策だとすれば、「そして早く寝ろ」は肉体上のやる気向上です。色々な言われ方はしますが、朝の一時間の勉強は夜の二時間の勉強時間に匹敵する、と言われたりします。実例は、ふじの友 第五十号「【随想】勉強するために朝を活用」をご覧ください。そこで述べたのは、

 「夜は日中の色々な雑事、雑念、疲労が入って集中しにくいが、朝はそれらが一切ない。だから朝学習が効率が良い。」

 ということです。

まとめ
 以上のように、「うそを言うな、弱いものいじめをするな、五感を鍛えろ、そして早く寝ろ」とは、「勉強の質と量の確保」が本意である、と解釈しました。それゆえ、「うそを言うな」が「どんな試験でも突破できる」勉強の方法である、と考えます。

 カナダのトップ大学に合格した大川翔さんが十八歳で出版した著書の中に、

 「GIFTED(天才)という言葉の語源にあるGIFTについて、贈り物なのだから、開花した才能を「社会のために還元しなさい」という含意がある。」

 と書いてあるそうです。この言葉は、先ほどのお母様の言葉が凝縮しているように感じられました。つまり、うそを言わないことで、行いの正しさを自分で確信し、弱いものをいじめをせずに周りとの正常な人間関係を結んできて、五感を鍛えて感性が豊かになって広い視野と感謝を持ち、早く寝て穏やかな気持ちを持っている、という意味です。自分に不安があるものは社会への還元まで想いが及びません。私の人生において、特にそうでした。
 同じ章の中にあるこの文章を一番印象に残った一文として、二人の中学生は挙げませんでした。私が彼らに教えたいことがあると感じました。以上が、『中学生棋士』に学ぶ努力の方法です。


付記
 私が今、ミニバスケットのコーチ代行を引き受けたのは、「社会のために還元したい」と感じているからです。十七年間バスケットを続けられたことを少しでも還元したいと思うのです。
 そのために、「うそを言うな、弱いものいじめをするな、五感を鍛えろ、そして早く寝ろ」を実行したいです。
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