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【随筆】私の食い道楽と『縁起のいい客』


 原稿の締め切りを過ぎて、藤田先生にご迷惑をかけていた。何を書こうか、なにも出てこない。書きたい、と思っていた内容はあるのだが、本を読み終えていないので、書けない。

 どうしよう、、どうしよう。

 ええい! と苦肉の策で、部屋の本棚を眺めた。すると吉村昭(よしむら あきら)氏の本の塊を見つけた。
 吉村氏の本は出版社ごとで黒や海松色(るみいろ:海の岩につく藻の色。茶みをおびた深い黄緑色)に統一されていて、目につきやすい。
 海松色の塊の中で、本のタイトルを見ていくと、思い出のつまったタイトルにあたった。

 『縁起のいい客』

 文春文庫から西暦二千六年に刷られている。吉村氏は大学時代に少し読み、大学院時代に殆どの本を読んだ。
 『熊撃ち』は東北の実際に猟師への丁寧な取材に基づいていた。厳しい現実が胸に突き刺さり、一時期は猟師になりたい、と想った。そこから『戦艦武蔵ノート』や『海軍乙事件』などの戦記もの、凄惨なボクサー生活を描いた『孤独な噴水』、東日本大震災で大変参考になった『三陸海岸大津波』、『関東大震災』などにのめりこんだ。
 変な空想だが、当時、宇宙船に乗って三十年以上、誰とも話せない環境に置かれるなら、吉村昭氏の本を持っていきたい、と思うほどだった。詩のような表現になるが、

 「行間に文字が落ちて消えていく。」

 ような感覚をもった。最後には本に文字が書かれていないのに、消えていく潔(いさぎよ)さだけが残る、そんな感覚を、吉村氏に感じた。その感覚にはまってしまい、当時住んでいた大阪駅付近の本屋を何軒も巡り、吉村氏の本を時折、何度も探したものだった。

 そんな風に吉村氏に親しみを感じていた。著者に近づきたい、という気持ちを含んでいる親しみである。エッセイ集は、その気持ちを満たしてくれて、良く読みなおした。その一冊が、『縁起のいい客』であり、タイトルを見て懐かしい思い出が出てきた。それが吉村氏が料理を褒めている一文である。
 朝の忙しい時間だったが本を手に取り、折り目だけをみると、その箇所があった。エッセイのタイトルは「禁をやぶる」で五頁と短い。少し解説したい。
 「禁をやぶる」とは、吉村氏が食べ物のエッセイで店名を書くと、お店が大忙しになってしまった経験があった。その老夫婦が、

 「だれが新聞に書いたのか、余計なことを書きやがって。こんなに忙しくちゃ命もちぢまる」と腹立たしげに語った、と百七十九頁に書いてある。

 「このような苦い経験があるので、たとえ食物のことを書いても、店名は決して出すまいと心にめていたのである。」同頁

 とある。これが吉村氏の言う「禁」であり、二十年以上守り続けてきたそうである。他方、七十代半ばに達したので、店名を出す、これが「禁をやぶる」のエッセイである。その後を引用をする。

 『それなら、どの店にするか、と考えた。
 十数年前、宇和島市からの帰途松山空港の食堂に入った。顔見知りの県内紙の記者が永六輔さんと共に入ってきて、初めて紹介された。
 私が宇和島からの帰途だと言うと、永さんは顔を輝かせ、鯛めしを召し上がりましたかと言い、もちろんと私が答えると、
 「宇和島へ行きたいなあ。」
 と、今からでも行きたいといった口調で言った。
 その店の名前は丸水(がんすい)。鯛めしと言うと、鯛の身を蒸したものと思うだろうが、そうではない。説明はしない。宇和島へ行った折にそれを食べる以外に絶妙のうまさはわからない。値段はたしか千五百円前後。」

 親しみを感じていた吉村氏が、禁をやぶって出した店名が「丸水」、しかも「説明はしない」とまで書いている。絶賛の言葉を殆ど用いない吉村氏が「絶妙のうまさはわからない」と書いている。

 当時の私は、とたんに行きたくなった。確か大阪駅の南にある大型本屋で購入して、周りに目もくれず、安い広い喫茶店に入って読んでいた。実に行きたくなって、たまらなくなって、立ち上がってしまった。
 立ち上がった恥ずかしさを感じるのは、普段の引っ込み思案の私。当時は、思い悩むことが多かった。けれども、その時の私の頭に浮かんだのは、

 「どうやったら食べられるか!!」

 しかなかった。周りに何と想われるか、はどこかに消えていた。

 「どうするか。宇和島市。どこだっけ?」

 急いで本屋に戻って調べてみると四国。四国の九州側の愛媛県。愛媛県の瀬戸内海側が松山。ずーっと南に下って行った場所にあるのが宇和島市であった。うーん。遠い。当時は大阪に居た。静岡よりも近い。これはこれで幸運なのだが。さて、時刻表を見てみると、行くのに新幹線を使って七時間かかる。一万三、四千円だった。往復で三万円。新幹線をやめれば、七時間は十時間以上になる。一泊しないと厳しい。すると四万円。うーん、貧乏学生には厳しい。一か月の食費である。

 「うまいのか?」

 調べてみる。ガイドブックで宇和島市をみると「丸水」、載っていた。地元の郷土料理で確かに千円を超えるが、評価はまずまず。うまそうである。

 食べたい。

 じゃあ、食べるには・・・

 そこで思いついたのは、讃岐うどんツアーだった。数年前、大学の後輩が就職して大阪に来ていた。「何かおいしいものを食べたい」というので何軒か一緒にいった。うどんが美味しいと言っていた。自動車メーカーだったので車を持っていて、それならば、うどんの本場の讃岐(香川県)に行って、食べないか、という話をして盛り上がった。深夜十時に出て翌日の午後八時に帰ってきた。うどんは七、八店食べたを記憶している。このパターンを利用できないか、と思いついた。伝手(つて)を頼って、なんとか宇和島の丸水にたどり着いた。

 店内に石灯籠(いしどうろう)がある和風で落ち着いた雰囲気だった。木の扉が付いていて個室になる作りだった(十年以上経った現在でもはっきり覚えている)。
 メニューをみると「鯛めし」があった。

 はるばる、やってきた、という感動もある。

 同時に、吉村氏が絶賛していて「絶妙のうまさはわからない。」と書いた料理をやっと食べられる、という感動も押し寄せてきた。

 料理が出てくるまでの時間は長かった、と記憶している。鯛めしは、最高級の鯛茶漬けだった。美味しかった。ただただ、美味しかった。

 生まれてきて母親の料理の次に、感動した。私が人生で最も親しみを感じた吉村氏と同じ料理を食べられた、という感動が含まれていたからだろう。料理の味だけで旨いお店は幾らでもあったが、その旨さを飛び越えている旨さだった。お代わりをした。

 大阪に戻っても、ときどき、丸水の感動を思い出した。そして、それは私の人生に一つの変化をもたらした。強く行きたい、と想ったら、値段を考えず行く、という指針である。
 例えば、菱田春草(ひしだしゅんそう)の「落葉」シリーズの一枚の絵を美術の授業で見た。その後、図書館で勉強に疲れると、春草の画集を見ていた。
 数年後、名古屋でこの「落葉」が三枚展示されるというので、一泊して二日をかけて見に行った。引っ込み思案、外出が好きではないのは変わらないが、「強く行きたい」と想ったら、行くようになった。
 ふんぎりが良くなった、と言えるだろう。かみさんに出逢って五日で結婚を申し込んだのも、ふんぎりが良くなった、結果だろうな、と思い返す。

 吉村氏は丸水の後に、長崎チャンポンのお店で福寿という店名を出している。その後、この福寿へも食べにいった。長崎のハウステンボスも、出島も寄らず、福寿のちゃんぽんを食べた。味は上の下で値段が安かった。食べに来られるように自分が変わったことを実感しながら、吉村氏への想いが大きいのを知った。もちろん、旅行に持っていった本は、吉村昭氏であった。

 平成三十年五月十五日朝、手に取っているのは、

 『縁起のいい客』

 である。
 まさに、と深く思い知った。
 縁起のいい客とは、吉村昭氏その人である。私の人生に、自分の強い気持ちを肯定する大切さ、そのことによって新しいものに出逢えるという縁起のよさをもたらしてくれたのである。私の人生の旅路において、同席してくれるお客様なのである。
 逢ったことはない、けれども、そこに居てくれるお客、そんな想いにいたった。こういう本を味わうこと、まさに人生の食い道楽というであろう。
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