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【随筆】ぼんやりとした私と致道館(ちどうかん)


 「おれって何がしたいんだろう?」

 と自分探しをしていた時期がありました。二十歳のころです。なんとか、大学に入り、バスケと遊びに明け暮れながら、授業をさぼる日々を続けていました。

 「おれって何が向いているんだろう?」

 とぼんやりと思いながら過ごしていました。大学入学前にアメリカに十日間だけ遊びにいって、日本全国を旅する、と決めたのも、「何が向いているか」をつかもうとしていたからかもしれません。とは言いながら、東京都杉並区、神奈川県茅ケ崎市、静岡県静岡市と東京圏内に住んでいた私は、東京圏以外の場所へ行くのが楽しかったのです。最初に向かった北海道は、ただただ、ひろ~く。ひろ~くて、

 「あああーーーーー!!」

 と大声を出しても、誰も聞いていない土地に生まれて初めてきた気がしました。その解放感を味わうために、次の大旅行は、山形県鶴岡市に深夜バスで向かい、その後、日本海沿いに新潟県、石川県、福井県、滋賀県、妹の住む大阪府に向かう予定でした。服装は短髪金髪、黄緑の上着とズボンでした。確か靴は工事に使うような固いブーツでした。
 自分自身の思いつく限りの派手な格好をして、自分の住んできた東京圏を脱出する。そんな大旅行でした。つまり、ぼーっとして、何か行動をすれば、何かがつかめるのではないか?という単純な思考だったのです。

 「致道館(ちどうかん)」

 パンフレットを義理の父母にもらいました。今年の八月初旬のねぶた祭などを見て回ったお土産です。富士論語を楽しむ会に参加しているのを知っており、

 『親子で楽しむ庄内(しょうない)論語』

 を同じ論語なのでお土産にしてくれたのです。

 「致道館」の文字を見て、最初思い出せませんでした。けれども、沈んだ浮(うき)がジワジワと水面に上がってくるように、「ん?たしか・・・」と思い出が浮かんできたのです。
 「庄内論語」の「庄内」とは、山形県鶴岡市一帯を指す言葉です。その「庄内」が呼び水になりました。思いっきり派手な格好で東京圏を飛び出した私が、山形県鶴岡市で見たのが「致道館」だったのを思い出しました。二十三年ぶりの記憶がはっきりと思い出されてきました。それは恥ずかしさを伴(ともな)うモノでもありました。

 粋がって変な格好をしている若輩者が、「論語」を読んでも何も響かないのです。当時の私が致道館で感じたのは、

 「ふ~ん、勉強してたんだ、昔。でも、他にもありそうだな。」

 という感想、とも言えないものでした。一晩寝るとすぐに忘れてしまうようなぼんやりとした感覚だったのです。書かれていた論語の文章を読んでも、

 「ふ~ん、かたっくるしいなぁ・・・」

 ぐらいでした。あまり記憶にも残っていません。それよりも江戸時代のような古い建築様式が現代の東京にはなく、記憶に残っています。

 二十数年たって、私は国語教室で高校生に小論指導をしています。そこで私は、大学に提出する「志望理由書」や「本人の長所」などを本人に話を聞きながら一緒に書いていきます。つい先日、

 「高木先生、私は何が向いているか本当はわからないんです。どうしたらいいですか?」

 と聞かれ、ドキッとしました。その動揺を抑えながら、私が答えたのは、「致道館」のパンフレットを読む前からの答えです。

 「高校生で自分に向いていることなんてわからないよ。向いていることが解るのは、徹底的に努力した場合だけだよ。私はヘブライ語を三年半勉強したよ。毎日平均一時間くらいしたけれど、全然出来なかった。半年で止めたくなったけど続けてみた。それで語学には向いていないって解った。だから今後の人生の中で語学を専門にすることはない。そこでは勝負をしない、って解ったんだよ。徹底的に努力すれば向いているかどうかが解るよ。何かありますか?」

 けれども、心臓がつかまれるような衝撃がありました。この言葉は、山形県鶴岡市に、格好つけて飛び出した二十歳の自分自身への言葉になっていたからです。
 つまり、いくら旅行をしても、いくら東京圏を抜け出しても、いくら派手な格好をしても、

 「おれって何がしたいんだろう?」

 「おれって何が向いているんだろう?」

 の答えは出ない、ということだったのです。大いに遠回りをして、現在の私にたどり着きました。四十三歳の私から二十三年前の私を振り返ると、薄い時間を過ごしていたように感じます。ぼーっとして、時々本を読んで、文字を追っていても頭に意味が入ってこない、そのような薄い時間です。私が致道館で論語の文章に目を通しても、何も感じ取れなかったのは、文字を追っていたけれども、頭に入ってこなかったからなのでしょう。素晴らしい文章に出会っても気が付かない私自身に気が付いて、恥じ入る気持ちを持ちました。そして、目の前にいる高校生に、

 「ぼくは、高校生の時に気が付かなかったけれど、徹底的に努力することで向き不向きが解るよ。」

 と付け加えたのです。

 つまり、良かったことは、薄い時間について、少しだけ、人様に言えるようになったことでしょう。義理の父母からの致道館のパンフレットは、若輩の時の私を振り返るきっかけとなりました。感謝です。

 『論語』に出逢えて良かったです。生きる時間を濃くしていきたいと思うようになりました。
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