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【随筆】安岡先生の清々しい御心 

 初秋の穏やかな風で、ゆらゆらとしている草を見ていました。急な風のように光が射してきて、思わず目を細めました。

 「ジーーーー・・・」

 とコーヒーメーカーが蝉のように鳴りました。学校の教職員室から窓を見ています。

 「・・・ーージ、ジ」

 とコーヒーが入れ終わりました。漆の器はちょうどの熱さで、口に入れると、もう少し熱かったです。

 「・・あああ」

 おいしい。

 鮮やかな緑色の草が、ゆらゆらとしていました。

 授業の合間に、ホッと一息。一週間で、授業の合間があるのが、木曜日の四時間目だけなので、さらに、ホッとしました。普段は、授業が終わると次の授業がつぎつぎとせまってくるように感じています。こちらも、「やってやるぞ~!!」とエネルギーを全身から出しています。

 コーヒーを飲みながら、本をちらり、と開きました。

 今読んでいるのは、安岡正篤(まさひろ)先生の『いかに人物を練るか』です。安岡先生は『仮名論語』の著者伊與田覺先生の先生です。藤田先生から安岡先生の御本のお話をお伺いしましたが、見当たりませんで、それなら、と最新刊を購入したご縁です。今年(平成二十九年)五月発売、八月末に手に読みだしました。ページに折り目をつけ、書き込み、思い出しては何度か読み返しをしています。

 ふと、思い出して探し出したのは、安岡先生が古人の文章を目にできる感動した、という一文です。折り目だけを探しましたが、見当たりません。全文をざっと読み返そう、と本をちらり、と開きました。

 (二十分後)

 発見。

 『永遠の相において観れば、たとえば星夜の天を仰いでみずから、副島蒼海(そえじまそうかい)伯の歌の如く、

 「あやにあやに畏(かしこ)くもあるか、
 天地(あめつち)のみいづの中に立ちたるわれは」

 [高木意訳:何とも、何とも、畏れおおいことでしょうか。荘厳な天地の中に私が私自身を見いだせて、立っていられるのは。みいづ(見出づ):見つける。発見する。]

 という尊厳な感に打たれるであろう。相共(あいとも)に桑門[そうもん:僧侶のこと]に入れば、

 「つまはしばらく賓主[ひんしゅ:賓は問いを発する人のこと、主は問いに答える人のこと]なりとも、のちにはながく仏祖となるべし。」

 [高木意訳:少しの間は、仏門で問答を繰り返すでしょうが、少し経てば天地と一体である仏となることでしょう。]

 という敬重(けいちょう)の情が湧くであろう。
 私などが静かな夜、経書を繙(ひもと)いたり、古人の語録に対すると、時々茫々(ぼうぼう〔:広大ではるかなさま〕)たる宇宙の不可思議な生を享(う)けて、幸いにも文字を知ることができて、古教に接することができる。実に難値難遇(なんちなんぐう)の縁であるというような想いが迫って、粛然(しゅくぜん)として襟(えり)を正すことがある。』

 以上が引用です。( )は御本、[ ]は高木の注です。御本の百二十五から百二十六頁にありました。章の題は「入道の心得とは」で、僧侶になるために大切なことを意味しています。前後の文には永平寺などの実際の入道の規則が挙げられています。補足しますと、副島蒼海とは、副島種臣の号です。彼は文政十一年から明治三十八年、西暦千八二十八年から千九百五年で、勲一等、外務大臣や内務大臣を歴任しました。

 私は安岡先生の清らかな心に惹(ひ)かれました。深夜に本を読んでいて、文字を知り、本を読めることに感動されるのです。星が輝く夜空はどこまで続くかわからないほど広大で、密度のうすい世界です。その中で生温かい肉体を持ち、そして肉体が滅んでしまった昔の人の気持ちが文字を通して知れる、という事実に、心がシャキッとされているのです。安岡先生は、この時、御自身の右腕を左の手で握りながら、生温かい肉体を感じられた、と私は想像しました。握った手には、密度のうすい広大な星空には決してない、生温かさが感じられたことでしょう。
 さらに、死体になって冷たくなっている故人の生温かな感情が、文字を通して、胸を温かくしてくれるのです。わたくしも、安岡先生の胸に去来(きょらい)するものを想う時、揺さぶられました。

 文字を通して故人の魂に触れて心温かくなる奇跡を、「難値難遇の縁」と書かれています。「難値難遇」とは仏教で、めったにない幸運に出逢うことを意味しています。仏にお逢いする幸運は、三千年に一度だけ咲く木を優曇(うどん)と言い、その花が咲く優曇華(うどんげ)にたとえられています(『大般若経』)。また、『法華経』では、百年に一度だけ海の上に頭を出す一つ目の亀が、風にただよう木に一つだけ空いた穴に頭が、たまたま、はまってしまう幸運(?)にたとえられています。
 安岡先生の学識の高さに驚くと共に、清々しい風に全身をつつみこまれるような心が伝わってきます。
 私も、安岡先生への崇敬の念を忘れずに、茫茫とした宇宙の中で生き、そして死んでいきたいと思いました。

 さて、そろそろ次の授業開始を告げるチャイムがなりそうです。


引用書: 安岡正篤著 『いかに人物を練るか』 致知出版 平成二十九年五月二十五日第一刷
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