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【學問】仁は遠いのだろうか 新しい訳の試み

 孔子の目指した「仁(人を思いやる心)」はどうすれば近くなるのか? 

 「仁は人が生まれながらに与えられてくるもので、遠くに求めるものではない。従って仁を実践しようと思えば、仁は直ちに実現されるであろう。」 
 伊與田覺先生訳文 『仮名論語』 九十二頁

 「子曰わく、仁遠からんや。我仁を欲すれば、斯(ここ)に仁至る。」

 私淑する伊與田先生の訳文に挑戦しようというのが今回の試みです。

 そもそも、孔子が最終目標としたのは「仁」です。その「仁」が先ほどの一文で「直ちに実現される」とされています。力強く、明るく希望に満ちた一文です。それゆえ、この一文はたびたび取り上げられてきました。『仮名論語』でこの一文を見つけると、安岡定子著『親子で楽しむ こども論語塾』に出てきたので、子供と共に大声で読んだ記憶が蘇(よみがえ)りました。
 同時に、ささやかな疑問も浮かんできました。前文と後文のつながりがあるのではないか、という疑問です。この一文を読み前の数行を音読したからでした。この疑問を足がかりにして、挑戦していきます。

『論語』と現代の文章の二つの違い

 『仮名論語』を読み始めて、気がついたことがあります。現代の私達が書く文章の当たり前が通じない、という点です。具体例としては過去や未来などの時制がないことが挙げられます。もう一つが今回の足場です。

 「前の文章と後ろの文章の意味がつながっているのか判らない。」

 という点です。「もしかしたらつながっているかも・・・」とジワジワと効いてくる気づきでした。
 不思議なのは、「前の文と後ろの文の意味のつながっているのか判らない」『論語』なのに、「二千年を超える名著である」という評価が下されているのです。意地悪く逆から見れば、読者に全体の意味を判らせない、不明確にしておいて、一文一文の名文を詰め込む本が後世に残る、と見られます。

「前文と後文の意味がつながらない」という前提への疑問
 このような「前文と後文の文章の意味がつながっているのか判らない」場合に、取るべき態度が二つあります。

①前文と後文は意味がつながらないとする態度

 「ふじの友」で『論語』の解釈として、集注(朱子)と集解(何晏:かあん)を掲載して下さっていますが、両方とも前文と後文のつながらないという態度で訳され、解説が書かれています。該当の六つの文章を現代の解説書で読んでみました。加地伸行著(角川文庫)、藤堂明保著(学習研究社)、吉田賢抗著(明治学院)でも同じ態度が貫かれていました。

②前文と後文は意味がつながる場合があるとする態度

 『論語』は孔子の約四十歳も若い弟子曾子(そうし)の、弟子達によって書かれた、とされています。それゆえ、文章が寄せ集めである、とされています。しかしながら、私は口で伝えられてきた内容を書き記したのであるから、寄せ集めの文章の中にも、幾つかのまとまりがあって、意味が前文と後文で通じる箇所があると推察しました。今回の「仁遠からんや。」の箇所は特に強く感じました。

意味のまとまった箇所―述而第七 第二十四章から第二十九章―
 強く感じた「仁遠からんや。」の箇所を学問で考えてみました。すると、学術上の根拠が見えてきました。一つに「四つ」と数字を挙げている点です。「四つ」という数字が前後のつながりを示し、意味のまとまりを示している、と考えられるのです。
 さらに加えます。まず、数字そのものは『論語』に出てきます。しかし、「三人行えば、(述而第七第二十一章)」のように一文内で完結する数字の使い方です。さらに、「三」が全てを表す、など意味上から、前後文のまとまりと考えにくい数字の使用方法が多くあります。この場合の「四つ」は、一文内での完結する数字の使用法、「三つ」のように全体を表す数字の使用法のどちらにも当てはまりません。
 述而第七の第二十四章「子、四つを以て教う。」に続き「文、行、忠、信。」と同章が終わります。私はこの「四つ」に、続く第二十五章から第二十八章の文意が対応する、と考えました。そしてその「四つ」のまとめが、「仁遠からんや。」の一文だと解釈したのです。
 つまり、「文」が第二十五章に、「行」が第二十六章に、「忠」が第二十七章に、「信」が第二十八章に対応しているということです。そして最後の二十九章は、二十四章から二十八章までのまとめ、と閃(ひらめ)いたのです。富士駅に向かう夕暮れの電車内でした。

 以上を検証するために、まず『仮名論語』から書き下し文と伊與田覺先生訳を挙げます。

 「子、四を以(もっ)て教(おし)う。文、行、忠、信。」
 「子曰(のたま)わく、聖人は吾(われ)得て之を見ず。君子者(しゃ)を見るを得(え)ば、是れ可なり。子曰わく、善人は吾得て之を見ず。恒有(つねあ)る者を見るを得ば、是れ可なり。亡くして有りと爲(な)し、虚(むな)しくして盈(み)てりと爲し、約(まず)しくして泰(ゆた)かなりと爲す。難(かた)いかな、恒有ること。」
 「子、釣(つり)して網(こう)せず。弋(よく)して宿(しゅく)を射ず。」
 「子曰わく、蓋(けだ)し知らずして之を作る者有らん。我は是れ無きなり。多く聞きて、其の善き者を擇(えら)びて是に從(したが)い、多く見て之を識(しる)すは、知るの次なり。」
 「互郷(ごきょう)、與(とも)に言い難し。童子(どうし)見(まみ)ゆ。門人惑(まど)う。子曰わく、其の進むに與(くみ)するなり。其の退くには與せざるなり。唯何(ただなん)ぞ甚(はなはだ)しきや。人、己を潔(いさぎよ)くして以て進まば、其の潔きに與せん。其の往(おう)を保(ほ)せざるなり。」
 「子曰わく、仁遠からんや。我仁を欲すれば、斯(ここ)に仁至る。」

 伊與田覺先生訳文 『仮名論語』
○先師は、常に四つの教育目標を立てて弟子を指導された。典籍(てんせき)の研究、実践、誠実、信義がそれであった。

○先師が言われた。
 「今の世に聖人を見ることができなくても、君子を見ることができればよろしい。」
 又言われた。
 「善人を見ることができなくても、平常と変わらず努力する者を見ることができればよろしい。無いのに有るかのように見せかけ、内容が乏しいのに充実しているかのように見せかけ、貧しいのに豊かのように見せかける者が多いが、どんなときにも変わらないのは甚だむずかしいことだねえ。」

○先師は、魚釣りをしても、はえなわ(※高木)は使われなかった。鳥をいぐるみ(※高木)で射ても、木でやすからに眠っている寝鳥は射られなかった。
※(はえなわ=延縄:一本の幹縄に多数の枝縄(これを延縄 と呼ぶ)をつけ、枝縄の先端に釣り針をつけたもの。)
※(いぐるみ=「射(い)包(くる)み」の意》飛んでいる鳥を捕らえるための仕掛け。矢に網や長い糸をつけて、当たるとそれが絡みつくようにしたもの。

○先師が言われた。
 「充分知らないのに自分の意見として書物を作る者もあろうが、私はそういうことはしない。
 多くを聞き、よいものを選んでそれに従い、多くを見てそれを心にとめておくのは、本当に知ることの次だと思うよ。」

○(※高木:善くないことを行う)互郷(ごきょう:地名)の村の人とは共に話すことさけるのに、その村の子が、先師にお目にかかって入門を許された。門人たちは、先師の真意を疑った。
 先師は言われた。
 「私は進んで教を受けようとする純真な心に組みするのだが退く者は相手にしない。お前たちはどうしてそんなにひどくいうのかね。人がその心を清くしてやってくれば、その清さにくみしよう。然(しか)し先のことはわからないよ。」

○先師が言われた。
 「仁は人が生まれながらに与えられてくるもので、遠くに求めるものではない。従って仁を実践しようと思えば、仁は直ちに実現されるであろう」

第二十五章と「文」
 それでは、第二十五章を「文」として解釈していきます。

○先師が言われた。
 「今の世に聖人を見ることができなくても、君子を見ることができればよろしい。」
 又言われた。
 「善人を見ることができなくても、平常と変わらず努力する者を見ることができればよろしい。無いのに有るかのように見せかけ、内容が乏しいのに充実しているかのように見せかけ、貧しいのに豊かのように見せかける者が多いが、どんなときにも変わらないのは甚だむずかしいことだねえ。」

 第二十五章の訳です。伊與田先生は、「文」を典籍の研究とされています。藤堂先生は「文芸」、吉田先生は「古典の講義」、加地先生は「学問(具体的には詩・書などの古典研究や礼楽の訓練)」とされています。
 私は、「文」を「古典に見る理想の人物に近づこうとする心」とします。理由は、同じ「述而第七 第一章と第十九章」です。伊與田先生訳文を引用します。

 第一章
○先師が言われた。
 「私は古聖の道を伝えるだけで、自らの新説は立てず、疑うことなく古聖の教えを好む。そうしてひそかに、私が尊敬する老彭(ろうほう:殷の賢大夫)になぞらえているのである。」

 第二十五章と第一章を合わせて読めば、孔子は、生きている時代に聖人が居なくても、古典の中にある聖人を心にとどめ置いて、周りの人の中に君子のような人を探し、同時に自分が君子になることを目指しているのが読みとれます。言い換えれば、「古典を勉強するのは(文)、聖人を心に留めて、君子になろうとする心を養うこと」になるのです。

 第十九章
○先師が言われた。
 「私は、生まれながらに道を知る者ではない。古聖の教えを好み進んで道を求めた者である。」

 文意は第一章と似通っていますが、「生まれながらに道を知る者ではない」が、当人の努力を強調します。つまり、自分自身だけではなく、古典の勉強を通して理想の人物(聖人)を心に留めて、好きになってきたという意味です。それゆえ、「心が好む」まで古典を勉強する、一心不乱に打ち込む面が強調されます。
 以上の第一章、第十九章と合わせて読むと、第二十五章は、単なる古典の勉強や講義ではなく、それを通して自らの心に聖人を受け入れて、ずっと心に留めるようする、と解釈できます。この解釈であれば、第二十五章と「文」の関連が示されます。

第二十六章と「行」

 続けて、第二十六章を「行」として解釈していきます

○先師は、魚釣りをしても、はえなわ(※高木)は使われなかった。鳥をいぐるみ(※高木)で射ても、木でやすからに眠っている寝鳥は射られなかった。
※(はえなわ=延縄:一本の幹縄に多数の枝縄(これを延縄 と呼ぶ)をつけ、枝縄の先端に釣り針をつけたもの)
※(いぐるみ=「射(い)包(くる)み」の意》飛んでいる鳥を捕らえるための仕掛け。矢に網や長い糸をつけて、当たるとそれが絡みつくようにしたもの。』

 この一文は一文だけでは意味が不明な文章になります。現代の思想を当てはめて、孔子は動物愛護者であった、という偏向した解釈に、苦し紛れに飛びつきそうです。「必要な動物しか採らなかったからはえなわを使わなかった」という解釈です。しかし、それでは「寝ている鳥は採らない」と整合性がないのです。そもそも狩猟とは野生動物と人間の騙し合い、化かし合いです。野生動物には人間の正々堂々や決闘などの考えはないのです。それゆえ、意味が不明瞭になってしまいます。

 それでは第二十八章を「行」で解釈します。
 「魚釣りをしても、はえなわは使われなかった。」とは、「魚一匹と向かい合っても、はえなわ(多数の釣り針)で多数の魚とは向かい合わなかった」となります。判りやすい例を出すと、家庭教師のように弟子一人ひとりとは向かい合うけれど、誰がいるか判らないような大教室で平均的な内容を教えなかった、となります。
 孔子は仁について、子貢(しこう)や子路など、弟子一人ひとりに別々のことばで説明しています。それはあたかも、魚釣りにおいて、釣り人と魚が一対一で向かい合って勝負しているようです。対して、はえなわは一人の釣り人が多数の魚を同時に相手にします。そして、一本の釣り針に魚がかからなくとも、他の釣り針にかかればよい、という風に考えやすい漁具です。「行」として解釈するならば、

 「あくまでも仁を伝えるためには、先生一人が弟子の一人を注視して伝える行いが適している。」

 という意味になります。伝統工芸の職人が技術を伝えていく方法のようです。『論語』本文で探せば、雍也第六 第二十六章「宰我(さいが)問うて曰く、仁者は・・・」と第三十章「子貢曰く・・・仁と謂(い)うべきか」の両章での弟子への「仁」の答え方の違いとなります。「仁者はすぐに人を助けるでしょうか?」という宰我の問いには、「仁者は騙せても判断力は奪えないよ」と答えます。「民衆を大切にして救うものは仁者でしょうか」という子貢の問いには、「仁者どころか聖人である。自分よりも人を伸ばすことが大切である」と答えます。同じ「人助けと仁者の関係」を問う二人に、全く別々の回答を与えています。弟子一人ひとりに合わせているのです。
 以上のように「仁」を伝える「行」として解釈すれば、次の一文において浮かび上がってくるのは一文しかありません。述而第七 第四章です。

 「子の燕居(えんきょ)するや、申申如(しんしんじょ)たり、夭夭如(ようようじょ)たり。」

 伊與田先生訳
○先師が、家にくつろいでおられるときは、のびのびとされ、にこやかなお顔をしておられた。
 ※孔子は、けっしてこちこちの堅苦しい家庭人ではなかった。」

 すると、

 「鳥をいぐるみで射ても、木でやすからに眠っている寝鳥は射られなかった。」

 は以下のように解釈されます。

 「孔子先生が弟子に仁を伝えようとする場合、いぐるみのように引き寄せようとすることはするけれども、仁を伝えるのに適切ではない場合、例えば家庭でゆったりとしている時、仲間で酒を酌み交わして楽しんでいる時、疲労して頭が回らない時などでは、仁を伝えるのを控えてられた。」

 第二十六章は「行」によって、孔子が弟子にどのように「仁」を伝えるかの行動を判り易く狩猟で教えていると解釈できるのです。ちなみに、狩猟は君子の嗜(たしな)みとされています。ですから、当時では判りやすい具体例を示したことになります。狩猟の一例として、八佾第三 第十六章の伊與田先生訳を挙げます(以下断りない場合は伊與田先生訳です)。

○先師が言われた。
 射の主目的は的にあてることで、的皮を射抜くことではない。人によって能力が違うからである。これが古の射の道である。

 この一文でも、人によって能力が違うのを受け止めて、一人ひとりに合わせることが書かれています。孔子は仁を伝える「行」として射を具体例に使ったと解釈できます。

第二十七章と「忠」

 続けて、第二十七章を「忠」で解釈していきます。

○先師が言われた。
 「充分知らないのに自分の意見として書物を作る者もあろうが、私はそういうことはしない。
 多くを聞き、よいものを選んでそれに従い、多くを見てそれを心にとめておくのは、本当に知ることの次だと思うよ。」

 この文は「知ること」ではなく、「何を知るとするか」ということを問題にしています。現代の言葉でいえば、学問への誠実な態度です。最初に読んだ時、耳が痛くなりました。同様の意味を曾子が、学而第一 第四章 で述べています。

○曾先生が言われた。
 「私は毎日、自分をたびたびかえりみて、よくないことははぶいておる。人の為を思うて、真心からやったかどうか。友達と交ってうそいつわりはなかったか。まだ習得していないことを人に教えるようなことはなかったか。」

 最後の一文「まだ習得していないことを人に教えるようなことはなかったか」は、自らの学問への誠実な態度の反省です。
 そして「忠」とは、「私自身の身を貫く欠け目のない心=自分自身に誠実であること」を意味しています。自分の外に出す誠実な心は、次章の「信」の文字で表します。第二十七章の文意は「学問への誠実な態度」ですから、自らの心の態度を表す「忠」が自ら外への態度を表す「信」よりも文意に沿うと解釈できます。
 加地先生は前半の「知らずして作る」の解釈を四つ挙げています。包咸(ほうかん:前七年から六十五年)は歴史的事実と解釈します。他に党派性、認識論、老子風の解釈が挙げられています。
 しかし以上の解釈は、前述したように第二十四章から第二十九章まで意味の塊でない、という観点から書かれたものです。私は第二十七章と「忠」が関係していると解釈します。「多くを見てそれを心にとめておくのは、本当に知ることの次だと思うよ」の後半が、学而第一 第四章と学問への誠実な態度として共通していると考えます。
 妥当とするならば、「次だと思うよ」は、「続く道だと思うよ」の意味を含むと推量できます。つまり、学問を究めること=知ること、の前に、学問への誠実な態度が求められる、という推量です。もう少し判り易く言い換えれば、

 高木訳
 「充分知らないのに書物を作る人にはならない。多くを聞いて、的確なものを選んで素直な心で従うことが大切である。そのように多くを聞いて的確なものを選ぶという『学問への誠実な態度』を大切にするのは、知ることへと続く道だと思うよ。」

 となります。「次」が他の諸先生方の「二番目」の「次」なのか、「前の段階」であり「続く道」の次なのかです。「行」で解釈すると後者になります。大胆な訳で知られる五十沢二郎ならば、どのように訳されたのか気になりました。

第二十八章と「信」

 続けて第二十八章を「信」で解釈していきます。

○(※高木:善くないことを行う)互郷(ごきょう:地名)の村の人とは共に話すことさけるのに、その村の子が、先師にお目にかかって入門を許された。門人たちは、先師の真意を疑った。
 先師は言われた。
 「私は進んで教を受けようとする純真な心に組みするのだが退く者は相手にしない。お前たちはどうしてそんなにひどくいうのかね。人がその心を清くしてやってくれば、その清さにくみしよう。然(しか)し先のことはわからないよ。」

 不善の人々が集まる互郷という村の子供に入門を許すと、門人達が孔子に不信を抱いき、それに対する孔子の弁明が書かれています。
 ポイントは、孔子自身の心は揺れ動かない点です。ですから、前文の内省を意味する「忠」ではなく、他者との関係を示す、つまり外部への心を表す「信」が適しています。
 次のポイントは、門人が互郷という社会的地位で子供を捉えているのに対して、孔子が子供の純真な心で捉えている点です。孔子は純真な心を向けてくれた者に対しては、必ず孔子自身が純真な心を返すとしています。この意味を一言で返せば「信」になります。「信」とは社会の常識や利得で相手を推し量るのではなく、純真な心同士で推し量るものだからです。
 ですから、純真な心が子供から失われて孔子の下を去ったのなら、「信」が無くなったのであり、相手にしないとしているのです。
 そして私が感服したのは、「信」とは純真な心の「往」復であり、かつ、それが常に「保」たれているものではないと述べることです。

 「其の往(おう)を保(ほ)せざるなり。」

 孔子は弟子に何度も裏切られた経験があり、人間不信になってもおかしくない程でした。純真の心の「往復」が「保たれない」経験をしてきたのです。それでも、孔子は弟子を信じました。社会的地位で純真な心が判ると錯覚しませんでした。私は学生に裏切られ、自分の教える学生の可能性を信じないで仕事を流してする教師を何人も見てきました。子供の純真な心を信じる孔子を偉大と感じます。
 孔子は門人にこうした心情を説明しますが、果たして理解されたでしょうか。どちらにせよ、孔子は門人にきちんと説明しました。これも「信」の一つの形です。最も大切なのは、孔子が子供の危うさや、裏切られもする可能性のある相手の純真な心と向かい合って「信」を結んだことです。

仁に至るにはどうしたらよいか

 以上のように第二十四章から第二十八章まで意味のまとまりがあるとして訳してきました。無理はなかったでしょうか。
 それでは、第二十九章の訳文を、二つの態度で書いてみます。

①前文と後文は意味がつながらないとする態度

○先師が言われた。
 「仁は人が生まれながらに与えられてくるもので、遠くに求めるものではない。従って仁を実践しようと思えば、仁は直ちに実現されるであろう。」

②前文と後文は意味がつながる場合があるとする態度

 高木訳
 先師が言われた。
 「仁は人が生まれながらに持っているものであり、遠くにあるものではない。そして仁に近づこうするなら、文、行、忠、信を心にすれば仁に至るであろう。」

 次に第二十四章から第二十九章を①と②で比べてみます。

①前文と後文は意味がつながらないとする態度

○先師は、常に四つの教育目標を立てて弟子を指導された。典籍(てんせき)の研究、実践、誠実、信義がそれであった。

○先師が言われた。
 「今の世に聖人を見ることができなくても、君子を見ることができればよろしい。」
 又言われた。
 「善人を見ることができなくても、平常と変わらず努力する者を見ることができればよろしい。無いのに有るかのように見せかけ、内容が乏しいのに充実しているかのように見せかけ、貧しいのに豊かのように見せかける者が多いが、どんなときにも変わらないのは甚だむずかしいことだねえ。」

○先師は、魚釣りをしても、はえなわ(※高木)は使われなかった。鳥をいぐるみ(※高木)で射ても、木でやすからに眠っている寝鳥は射られなかった。
※(はえなわ=延縄:一本の幹縄に多数の枝縄(これを延縄 と呼ぶ)をつけ、枝縄の先端に釣り針をつけたもの)
※(いぐるみ=「射(い)包(くる)み」の意》飛んでいる鳥を捕らえるための仕掛け。矢に網や長い糸をつけて、当たるとそれが絡みつくようにしたもの。

○先師が言われた。
 「充分知らないのに自分の意見として書物を作る者もあろうが、私はそういうことはしない。
 多くを聞き、よいものを選んでそれに従い、多くを見てそれを心にとめておくのは、本当に知ることの次だと思うよ。」

○(※高木:善くないことを行う)互郷(ごきょう:地名)の村の人とは共に話すことをさけるのに、その村の子が、先師にお目にかかって入門を許された。門人たちは、先師の真意を疑った。
 先師は言われた。
 「私は進んで教を受けようとする純真な心に組みするのだが退く者は相手にしない。お前たちはどうしてそんなにひどくいうのかね。人がその心を清くしてやってくれば、その清さにくみしよう。然(しか)し先のことはわからないよ。」

○先師が言われた。
 「仁は人が生まれながらに与えられてくるもので、遠くに求めるものではない。従って仁を実践しようと思えば、仁は直ちに実現されるであろう。」

②前文と後文は意味がつながる場合があるとする態度(要約)

 先師は、仁を伝えるのに常に四つの教育目標を立てられた。

 一つは文であり、「古典を勉強するのは、聖人を心に留めて、君子になろうとする心を養うこと」を目標とされた。

 一つは行であり、「弟子と一対一で向き合い、弟子にあった導きを真剣に探すこと、そして教えるのに適した場所や時間を選ぶこと」を目標とされた。

 一つは忠であり、「多くを聞いて、的確なもの選ぶという『学問への誠実な態度』を大切にすること」を目標とされた。

 一つは信であり、「社会常識にとらわれず、相手の純真な心を信じること」を目標とされた。

 仁は人が生まれながらに持っているものであり、遠くにあるものではない。四つの目標である文、行、忠、信を心にすれば仁に至るであろう。

②における述而第七(第二十四章から第二十九章 高木訳文)

 先師は、仁を伝えようと文、行、忠、信の四つの教育目標を立てられた

 一つは文であり、「古典を勉強するのは、聖人を心に留めて、君子になろうとする心を養うこと」を目標された。
 聖人は自分の心にあっても実際に逢うのは難しい。ならば実際にいる君子と逢うようにしなさい。善人は自分の心にあっても実際に逢うのは難しい。ならば常に努力する人と逢うようにしなさい。努力しない者は、無いものを有ると考えたり、虚しさで満たそうと考えたり、小さいのに広く見せようとしたりするものです。聖人を心に留めて、常に努力するのは難しいことなのです。

 一つは行であり、「弟子と一対一で向き合い、弟子にあった導きを真剣に探すこと、そして教えるのに適した場所や時間を選ぶこと」を目標とされた。
 一本の釣り竿で行う釣りのように弟子に一対一で常に向かい合われ、多数の針で魚を釣るように多数の弟子を一度に引き上げようとはされなかった。また、弟子を色々な工夫で引き込むように導かれたが、仁を伝える場所や時間を考えられた。

 一つは忠であり、「多くを聞いて、的確なもの選ぶという学問への誠実な態度」を目標とされた。
 充分知らないのに書物を作る人にはならない。多くを聞いて、的確なものを選んで素直な心で従うことが大切である。そのように多くを聞いて的確なものを選ぶ態度を大切にするのは、知ることへと続く道だ、と考えられた。

 一つは信であり、「社会常識にとらわれず、相手の純真な心を信じること」を目標とされた。
 善くないと評判の村からやってきた子を弟子とされた。門人は戸惑った。先師は学習したいという子と共にありたい、学びたくない子とは共にありたくない。弟子とするのは評判ではない。私は人が学びたいという純真な心を信じる。そして純真な心の往復を続けたい、と仰られた。

 仁は人が生まれながらに持っているものであり、遠くにあるものではない。四つの目標である文、行、忠、信を心にすれば仁に至るであろう。

まとめ
 藤堂明保先生は、述而第七 を以下のように書きだされています。

 「『論語』の前半十篇のうち、この篇はなかなか重要である。ここには、孔子の志すところの教育の態度が説かれている。(中略)不義にして得る富貴は、「我において浮雲のごとし」と言って、貧窮(ひんきゅう)をいとわず教学に熱中する教師の姿を示している。(後略)」

 述而第七は前半の山場であり、教師の理想像を示していると書かれています。仰られる通りで、述而第七は、教えについて多く書かれています。第二十四章は「子、四を以(もっ)て教(おし)う。」と始まります。ここから、第二十九章までを、四つの教育目標として解釈して訳しました。私淑する伊與田先生の訳文に挑戦してみました。これまでの積み重ねが現れていましたでしょうか。皆様の『論語』の理解のお手伝いになったのなら幸いです。

参考図書
 :『現代訳 仮名論語 拡大版』 伊與田覺著 論語普及会 平成二十四年 第三十八刷
 :『新釈漢文大系〈一〉 論語』 吉田賢抗著 明治書院 昭和六十三年 改訂二十五版
 :『論語』 加地伸行著 角川文庫 昭和六十二年初版
 :『中国の古典一 論語』 藤堂明保著 学習研究社 昭和五十九年 第二版
 :『親子で楽しむ こども論語塾』 安岡定子著 明治書院 平成二十年 初版
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