【随筆】哲学とーちゃんの子育て 十七 -問題を自分で探せるように-

 朝七時半に家をでて小学校へ向かいます。大人の足で五分、子供で約十分です。高校生の自転車、通勤者でにぎわいます。四車線の込み合う道路も越えていき、校門前に立つ校長先生に挨拶を致します。

 「おはようございます。今日もお願いします。」

 「ぉはよぉーございます!」

 校長先生が返して下さいます。

 「おはようございます。」

 けれども、今日は家を出てから不機嫌です。

 「とっくん。」

 「・・・ぁに?」

 「どうしたの? とっくんは疲れているの?」

 「・・・うん。なんかいや。」

 「とっくん、呼ばれたら『はい』でしょ?」

 「・・・・・・・はぃ・・・・」

 (少し間をおいて)

 「とっくん、今日楽しみなことはなに?」

 「ない。ふつー。」

 「考えてごらん。今日は学童でサッカーする? 給食食べる? お友達を遊ぶ?」

 「・・・さっかー。」

 「サッカー楽しみか~。」

 「うん、でも遊びは学童の二年生が決めるから、サッカーないかもしれない。」

 「そっかそっか。じゃあできるといいね。」

 「うん。」

 機嫌の悪い日、体調の悪い日もあります。約一か月毎朝送って来て二日ありました。二日以外は続けて聞くことがあります。平成二十九年五月十六日火曜日の朝も聞きました。

 「じゃあ、今日の目標はなに?」

 「目標ってなに?」

 「目標は、がんばること、だよ。」

 「がんばること?」

 「サッカー好きでしょ?」

 「うん。」

 「がんばらなくても好きでしょ? 出来るようになるでしょ?」

 「うん。」

 「頑張らないとできないことは何かな?」

 「べんきょう?」

 「そうだね、勉強を頑張ろうっか。」

 「うん。」

 「じゃあ、とっくん、今日は科目は何かあった?」

 「えっと・・・こくご・・・かな?」

 「今日はね、一時間目がさんすう。」

 「そうだった、二時間目がずこう、三時間目も・・ずこう、四時間目が国語で、五時間目が生活だった。」

 「そうだーよく覚えているね。じゃあ、頑張るのはなに?」

 「うーんと・・・算数!」

 「うん、じゃあ頑張ってね。」

 「はーい。」

 こうやって会話を交わすと、活力が出てきました。前に書いたように、「心の中のことば」をコントロールするのはかなり難しいものです。感覚的な反応(あの人は嫌い、あの人は好き等)は不可能です。ですから、「口に出すことば」を善い言葉にして、活力を得るのです。スポーツではラグビーや野球、サッカーなど幅広く取り入れられていますし、メンタルトレーニングとしても採用されています。そして、そうして「口に出すことば」が大きく飛躍へと繋がることは、『論語』でも述べられています。

 「子曰(のたまわ)く、之を如何(いかん)、之を如何と、曰(い)わざる者は、吾(われ)之を如何ともする末(な)きのみ。」
 衛靈公第十五 第十六章
 『仮名論語』 二百三十四から三十五頁

 伊與田覺先生訳

 「先師が言われた。
 これはどうしよう、どうしようと常に自分に問いかけないような者は、私にはどうしようもない。」

 『論語』は、「自分自身で問題を探し出す気持ちが大切である」と述べています。まさしくその通りだと実感します。
 対して子供は、この大切さを実感していません。それは大きな失敗や悔しくてたまらない後悔をしていないからです。「獅子はわが子を谷に落とす」という『太平記』(鎌倉幕府滅亡から室町幕府初期までの歴史文学作品)の格言があります。この本意は「自分自身で生きていく力をつけさせるために試練を与える」です。
 私は、試練を先に与えるのではなく、「口から出ることば」を使って問題を探し出す気持ちを教えたいと考えました。そこで毎朝、

 「今日、楽しみなことは何?」
 「今日、頑張ることは何?」

 を本人の「口から出ることば」で言ってもらうことにしています。よくあるのは、

 「とっくん、今日は数学頑張ってね。わかった?」

 「はい。」

 です。数学を頑張る、という意味内容は同じですが、本人が「自分自身で問題を探し出す気持ち」を育てることが出来ません。親からの指示を待つだけの人になります。
 本人の特別意志が強い、あるいは、ずば抜けて賢いなら、親の育て方から殻を壊して出ていくこともできるでしょう。そういう人は確かにいますし、偉人伝を読んでいると散見します。
 けれども、私は自分の子供を特別意志が強い、賢いとは考えていません。ですから、本人が「自分自身で問題を探し出す気持ち」を育てたいと思っています。
 小学校の通学路には上級生も数多く歩いています。親と一緒に通学しているのは、一年生が殆どです。説治郎は数か月すれば、親とは一緒に通学しなくなるでしょう。まさに、今、会話をする機会だと感じているのです。

 「頑張ることは何?」

 「給食。」

 「え? 給食がんばるの?」

 「うん、昨日食べるの大変だったんだ。」

 「そっか、わかった。頑張ってね。」

 「うん。」

 私は「給食」と聞いて驚きました。けれども、本人が自分で考えたのですから、良しとしました。親として色々と指示したい処ですが、グッと我慢我慢です。その我慢が私を親らしくしてくれることと願いながら。

 それにしても、『論語』は子育てとして読んでも宝があふれています。先人の学恩に感謝致します。
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