【随想】哲学とーちゃんの子育て 十六 -自分で決めること-

 「とーちゃん、ぼくね、明日のバスケの練習いきたい。」

 「そっか、じゃあ、サッカーの強いチームの練習は、やめるんだね。」

 「うん、ぼく、バスケしたい。」

 「わかった。じゃあ、明日はバスケに行こう。」

 「よっし!!」

 「じゃあ、とっくん、質問です。」

 「はい、なんですか?」

 「とっくんは、習いごとはバスケにするね?」

 「うん。バスケにする。」

 「わかったよ。自分で決めたんだね?」

 「うん。」

 「じゃあ、とっくんは苦しくなっても頑張るね?」

 「うん、がんばるよ。」

 「わかった。じゃあ、おとーちゃんは全力で応援するよ。」

 平成二十九年四月、説治郎(とくじろう)は小学校に入りました。習いごとを小学校のミニ・バスケットに決めました。

 時代なのでしょうか、保育園の同窓生で二つも三つも習いごとをしている子供もちらほらいました。習いごとをしていない方が少数なほどでした。
 私は五歳から水泳を始め、小学校一年生で東京の総武線に乗り四つ目の駅のプールまで通っていました。その後、サッカーや野球、小学校五年生頃から書道と公文数学と英語、少年野球と四つに増えました。私の時代は二つの習いごとでも多い位でした。ですから、保育園の時代からの習いごと、しかも二つ、三つというのは驚きだったのです。
 また、私は習いごとについて苦い思い出があります。私は自分で習いごと決めた、という記憶がないのです。私自身がはっきりと意見を言う子供ではなかったからでしょう、公文は母親が英語の先生になったので、半強制でした。最初の水泳も父親の友人がしているから、という理由でほぼ強制でした。小学校は団地にチームが出来たから、など親の想いで始めさせられた、と感じていました。ですから、どこか他人事でしたし、活躍しても褒められても、どうにも満足できるものではありませんでした。失敗すれば親の言うことが満たせない、という感覚を持ったのです。

 ですから、説治郎には自分自身で決めて欲しい、習いごとをしないなら、しないでも良い、と考えました。そこで、保育園では習いごとをしないで、自分で決められる小学校に入ってから、としました。また、数々の習いごとを実際に体験させた上で決めさせたい、と考えたのです。

 最初は、小学校校庭で放課後に行っているサッカーチームでした。五十歳でも現役サッカー選手カズなどが出た名門チームです。
 参加してみると、ちょこちょことボールを取るのが上手で周りに褒められていました。自転車に乗せて帰る時に聴いてみました。

 「どうだった? サッカーは面白かった?」

 「面白かったよ。それに褒められたし。」

 「そっか、それは良かったね~。」

 「うん、ぼく、サッカーチームに入りたい!」

 「え?そっか。でも、とっくん、バスケや一輪車、ソフトボールも見学してみよう。ドッヂボールもあるし。」

 「そっか~そだね~でも、サッカー楽しかった。あ、コーチは怖かった。」

 「うんうん。」

 次に参加したのは、ミニ・バスケットでした。
 ミニ・バスは土曜日の朝八時半から三時間の練習でした。しかも、筋力トレーニング、ステップ(足を器用に動かす練習)、ドリブル練習を二時間します。少々機嫌が悪くなりましたが、最後までついていきました。私はこんなに体力があることに驚きました。翌日は、練習三十分前に行き、広い体育館の雑巾がけにも参加しました。朝八時から雑巾がけ、八時半から十二時半まで練習、コーチや当番さん(親)からのコメントを貰う、などで一時終了です。計五時間です。さぞや疲れただろう、と想い自転車で聴いてみました。

 「とっくん、バスケット疲れたでしょう。」

 「うん、でも楽しかったよ。すっごく楽しかったよ。」

 「そっか~五時間、良く頑張ったよ。」

 「うん、でね、ぼく、ミニバスにするよ。ミニバス入る。」

 「?!ん そっか~でもソフトボールの練習も申し込んでるから行ってみよう。」

 「うーん。でも、コーチは優しかったよ。」

 次に参加したのは、ソフトボールでした。体験希望の小学生が十人も来ていました。野球をやっていた上手な三、四年生から五歳位の保育園児までいました。ゆる~い感じで練習をしていました。父兄の方にお話を聞くと、「監督はあまり来ないので、親が一緒に練習に参加できるのがいい」とのことでした。親同士も仲が良く、新しい人にも受け入れてくれる雰囲気でした。

 隣の小学校からの帰り道に聴いてみました。

 「とっくん、ソフトボールはどうだった? 上手に打っていたね。それに走るのも速かったよ。」

 「うん、楽しかった。」

 「何が楽しかった?」

 「ボールを打つのが楽しかった。」

 「そっかそっか~。」

 次に一輪車に申込み、その後テニスも体験しようと考えていました。すると、

 「おとーちゃん、次のバスケの練習はいつ?」

 「えーとね、土、日、月だから、後三日後だよ。」

 「バスケの練習行きたい。」

 「お~そうか、ソフトボールやサッカーよりもバスケ?」

 「うん、バスケ。だって楽しいんだもん。それに『とっくん入って~』って言われたし。コーチも優しいし。」

 「へ~そうか~良かったね『入って~』って言われて。幸せもんだよ。」

 「うん。」

 ここで最初の会話になります。説治郎は自分で決めました。ですから約束通り全力で応援するつもりでいます。五月十三日(土)には、他の小学校のチームと合同練習をしました。明日は吉田町立住吉小学校体育館に九チームが集まります。練習試合を四試合行います。説治郎はルールも判っていないので正式な試合には出られませんが、参加するのを楽しみにしています。

 『仮名論語』には以下のことばがあります。

 「曽子曰く、吾(われ)日に吾が身を三省す。
 人の為(ため)に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを傳(つた)うるか」
 學而第一 第四章 二頁

 伊與田覺先生訳

 「私は毎日、自分をたびたびかえりみて、よくないことははぶいている。人の為を思うて、真心からやったかどうか。友達と交わってうそいつわりはなかったか。また習得していないことを人に教えるようなことはなかったか。」

 子育てに意訳してみます。

 「私は毎日、親らしくあったかと反省をする。子供のためと言って、自分のエゴや欲を押し付けていないかどうか。子供と会話をしていて、都合よく逃げたり嘘をついたりしなかったかどうか。また、調べてもいないことを知ったかぶりをしたり、昔の自慢話をして話を大きくしたりがなかったかどうか。」

 バスケットは私が長く続けてきた習いごとです。ですから、親のエゴで子供を入れてしまったのではないか、と反省をしました。そこで説治郎に入る理由を聞きました。

 ①「入って」と言ってもらったこと。
 ②コーチが優しいこと。
 ③ドリブルが楽しいこと。
 ④シュートが入ると嬉しいこと。

 を聴きだしました。ですからミニ・バスに入ることを承諾しました。一輪車やテニスは本人に聴いて体験に行かないことにしました。
 加えて、私がミニ・バスの良さを挙げてみます。

 ⑤コーチに対する挨拶など礼儀が一番しっかりしていたこと。
 ⑥親同士の雰囲気が良かったこと。
 ⑦練習の理由と目的を唯一はっきりとコーチが語ったこと。

 つまり、説治郎は「バスケットがしたい」のではなく、「この小学校のバスケットのチームでバスケットがしたい」のでしょう。私はサッカー、野球、バスケットで三十を超えるチームに参加してきました。その中で実感しているのは、同じスポーツでも、コーチやチームメイトによって、「ただ苦しいだけ」にもなり、「いるだけで楽しい」にもなる、ということです。
 自分で選び取ったことで、「いるだけで楽しい」に近づいたと思うのです。

 今日はお昼ご飯を作って食べさせた後、兄弟三人で午後一時から午後四時まで昼寝をさせました。寝る前に、背中の後と腰回りをもみほぐしました。すると、ぐっすりと寝たのです。

 「こんなに小さな体で・・・」

 と想いながら。同じ一年生もいましたが、断トツに小さかったのです。それでも全力ダッシュをしていました。
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