【随想】物憂(ものう)いの弥生(やよい) 


 満ち満ちた桜が散り流れていく三月になりました。

 「は・・・ぁ。」

 と、私はため息にならない程小さいため息をつくようになります。

 花粉症になる前から大きな、小さなため息をつき、部屋から出たくなくなります。年中で最も部屋から出ない時期でした。

 「弥生(やよい)」は旧暦の三月のこと、「草や木の芽が、いよいよ(弥)出てくる」ので名付けられたそうです。桜の蕾(つぼみ)が膨らみ始め、満開となり散っていくこの時期は、卒業の季節でもあります。

物憂いの原因が分かる
 大学院を出てから高校講師になり、学生指導に熱心に取り組みました。自分でも不思議な程、学生から人の温かさを教えてもらい、また、教材づくりを率先し工夫を凝らしました。学生との濃い交流が深まれば深まるほど、その反動が物憂い、となって三月末に出てきたのでした。
 ただ、当初は原因が自覚できませんでした。

 「どうしてか分からないけれど、寂しい。」
 「なんでだろう、何を食べても美味しくない。」
 「気分転換に、古本屋に行っても、喫茶店に行っても楽しくない。」
 「思い切って東京に映画を見に行っても、手ごたえがなかった。内容は悪くないのに。」

 原因が分からずに、

 「どうしてか、この時期気分が落ち込んでしまって・・・部屋から出なくなるんだよね。下手すると一週間丸々でないこともあるんだよ。」

 友人は、

 「それって、学生がいなくなったからじゃない? 普通だよ。」

 と助言してくれました。私は個人と個人の関係ならあるけれど、顔の定まらない卒業生全員に対して物憂うことがあるのかな?と思っていました。けれども、どうもそうらしかったのです。
 部屋に帰り、本年度作ったテスト対策プリントや授業プリント数十枚の束と、本年度の予習用ノート(授業ごとのクラスの進度や質問等が細かく記してある)を、ひっそりと見直してみました。あろうことか、とても驚いたのですが、史上最高に感動した映画「王妃マルゴ」を見た時のような、心の疼(うず)きを感じたのでした。涙さえでそうになるほどでした。
 そのようなことがあるのか、と自分自身に驚きました。その前後から、お涙ちょうだい話を聴いて、お涙がでそうになってきました。

 「おれも年をとった。」
 「自分も人らしくなってきた。」

 と感じました。富士論語を楽しむ会のお一人お一人の皆様の笑顔とお人柄を決して忘れることはありません。ですから、お隠れになられても、思い出を何度も繰り返して思い出します。その点は変わらないと想います。
 対して、特定の顔や性格が思い出せない卒業生全員について想うとは・・・と感じたのです。結婚前で子供が生まれる前でした。
 卒業式のある三月初旬から約一カ月、家から出なくなってしまうようになりました。本や漫画さえ読まなくなり、旅行に行く気もなくなるのでした。何をしても楽しくないのです。バスケットの練習(当時はチームが大会に参加していました)や食料品の買い出しなど必要最低限の外出に止めてしまいました。

物憂いの理由を振り返る
 現在の私が思い返して、物憂いの原因を述べてみます。

①学生指導に集中していたこと

 研究者はゆるやかな義務として研究をしなければなりません。当時はそれを一時保留しても高校生指導に心血を注いでいました。私は本来、自分の存在意義を考えるのが好きです。ですから、自分の存在意義を学生指導にのみ見出すようになっていたのです。卒業とはその存在意義が失われてしまうことを意味していたのです。また、入試に関わっておらず、在校生も来年度担当するのか不透明だったのです。それゆえ、学生が見えなくなる唯一の時期だったのです。この点もあったでしょう。何よりも学生指導に集中し、熱心さのあまり己の存在意義を依存するようになっていたのでした。

②他の存在意義を持たなかったこと
 静岡産業大学に論文を提出しまして、掲載された論文集が先週送られてきました。現在はこのように存在意義を他にも見出せるようになりました。
 また、家族の夫としての役割、父親としての役割が私の存在意義となっています。体調が悪くなければ、毎週末、外出したいかみさんがいます。つい先週も、「哲学とーちゃんの子育て 六 ―親の楽しみと子育て― 」に書いた清水港と伊豆土肥(とい)港フェリーで往復しました。かみさんが「どこかにいきたい」というので幾つか提案をして、最終決定したのです。子供達も外出好きで、「公園行きたい」、「プール行きたい」などと言っていました。引きこもって物憂いになりがちな私には、多少抵抗を感じますが、外出はためになっています。特にこの三月はそうです。といいますのも、昨年の三月は、あまり物憂いではありませんでした。
 本日は平成二十九年の三月九日、国際ことば学院外国語専門学校の卒業式が終わったばかりです。本年度はどうなるでしょうか。
 
③物憂いが本来の私であること
 上記の二つは、気持の晴れやかな私が本来の私であり、三月だけの物憂いは本来の私ではない、という考え方でした。
 けれども、私の本質を見てみれば、物憂いの私が本来に見えるのです。理系を経て哲学や思想へと踏み込む私の根っこにあるのは、目の前の生活や現実や仕事を活き活きと生きたい、という願望ではありません。そうした生活や現実や仕事を遠くから離れて観てみたい、という願望が強いのです。離れて観るので、若い時は皮肉に染まったり、世間から見れば悪いことをしたり、一見自暴自棄と考えられることをしたりしました。そして、大阪時代から十五年以上、ひっそりと詩を書き続けています。流行り廃(すた)りや事件事故は対象にせず、時代を超越することを詩にしています。これも私の本質です。ですから、私は物憂いが本来の私である、と想うのです。
 時々、子育てをしていてもイライラします。それは日常生活を営むからこそ出てくる苛立(いらだ)ちと同時に、私自身の物憂いのが出てきている時、例えば詩を書いている時、本や漫画などで浸っている時だからこその、イライラもあります。

物憂いの弥生の意味
 『論語』を学ぶ意味は、大きくあります。日常生活に立脚して、より善い生活にしたい、より善い社会にするために政治をしたい、という意味が一つです。
 もう一つは先ほどの物憂いの私と、日常生活を営む私の二つを一つ上の段階で結合させる、という意味です。
 若い頃は、皮肉屋で世間を遠くから離れて観ているので、「どんな仕事をしても関係ない」、「仕事は一所懸命して恩返しをしたい」という二つの面がありました。そして、気分によってどちらか一方の面でしか考えられなかったのです。
 それが二つが同時にあるという想える手がかりを得ました。哲学でいえば、この思考方法を弁証法(べんしょうほう)と言います。有名なのはヘーゲルです。
 普段の生活が嘘、という訳ではなく、一つ上の段階で少しだけ結合できるようになり、

 「仕事は所詮人の作りだしたものに過ぎないし、しなくても善い。同時に、仕事によって私の生活は支えられ多くの人への恩返しができる手段でもある。」

 と想っています。
 物憂いの弥生は、学生指導で出てきた私の新しい一面かと思っていました。確かに全員を対象にするという新しい面がありました。けれども、本来の私に立ち返る行為でもありました。
 まとめてみますと、新しい対象(要素)を取り込み、自分を一つ上の段階へ進もうとしているのが、物憂いの弥生でした。その物憂いが軽くなってきた、ということは・・・次の新しい対象を取り込む時期に来ているのかもしれません。
 卒業式の翌々日、少し時間ができたので、じんわりと、考えをまとめてみました。
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