【随想】哲学とーちゃんの子育て 十四 ―お菓子と韓非子―


 三月十日(金曜日) 朝八時、自動車の中での会話。

 「とっくん、シートベルトしていない。」

 「ごめんなさい…(小さい声で)。」

 下唇をプーッと出して、ふてくされた。
 少し言わなければならない、と直感した。

 「とっくん、今日は普段より遅い時間だよね。」

 「…」

 「どうして遅れたかわかる?」

 「…ん…」

 「今日はとっくんとまなちゃんの最後の遠足の日でしょ。だから、おかーちゃんは一所懸命お弁当を作ってくれた。だから遅れたんだよ。」

 「…うん…」

 「それなのに、とっくんがいっつもやっているおとちゃんのシートベルトをしないで、とっくんも自分のシートベルトをしなかったら、遅れちゃうよ。」

 「うん。」

 「おかーちゃんが頑張ってくれたんだから、きちんと、とっくんも頑張ろう。」

 「うん、はい。」

 「おとーちゃんも、今日はお仕事あるんだよ。でも、遅いからお手伝いで自動車に乗っているでしょう。」

 「そうだね。お仕事大丈夫?」

 「大丈夫だよ、ありがとう。」

 「そっかよかった。」

 「とっくん、次はきちんとお手伝いできるようになろうね。朝、神社に行く換わりに、おかーちゃんのお手伝いできて偉かったよ。頑張ることを増やしていこうね。」

 「わかった。」

 今日は保育園最後の遠足です。三キロ弱を四歳から六歳が合同で歩いて、森下公園に行きます。森下公園は静岡駅南口から徒歩七分の巨大な遊具のある公園です。
 一週間前からワクワクしていました。説治郎(とくじろう:六歳七か月)とまない(:四歳九か月)が手をつなぐ二人組にしてもらいました。一昨日は、「お菓子二百円まで」で、問屋さんなら安くて沢山買いに行きました。
 とっくんは、十円のお菓子(二十円のも十円で売っていることもある)を大量に買い、金貨のようなチョコレートを幾つか買っていました。全体がバラバラでした。
 まないは、最初二十円のプリキュアのガムを十個買おうとしました。三個入っているので合計三十個ガムを買うことになります。「そんなに食べれないよ」というと、「そっか」と素直に聴いて、いちごのジュース(ビニール入り)や、ちっちゃな苺味風のソフトクリームコーンなどを買っていました。全体が桃色でした。
 昨日も寝る時に「明日は遠足楽しみだね~」と言って寝ていました。
 今朝は「おとーちゃんん、だっこ」と言って抱き着いてきて抱っこをして階段を下りていた時、

 「まなちゃん、今日は何の日だっけ?」

 とまだ寝息が聴こえそうな力が抜けていた体に、キュッと力が入った後、

 「遠足だー!!」

 と元気な声を出すほどでした。
 心底、楽しみにしていたのです。

 朝御飯の時、とっくんに聴いてみました。

 「とっくん、お菓子は先生とお友達とどっちにあげるの?今日は。」

 何故聞くんだろう、と不思議そうな表情をして、

 「お友達・・・○○くんと、○○くんに…。」

 「とっくん、先生だよ。」

 「…?」

 「先生にあげるんだよ。なぜかわかる?」

 「…わかんない。」

 「今日の遠足は最後の遠足でしょ。だから、Y先生とM先生と過ごす最後の遠足だよね。だからお礼をきちんとして下さいね。普段の遠足はお友達でいいんだよ。でも今日は最後だから、『ありがとう御座いました』ってね、お礼をしてくださいね。」

 表情が、パッパァーと明るくなって、

 「うん、そうだね、とーちゃん。」

 と答えました。

 子供は判断力があります。けれども、経験や知識がないので客観視が難しいのです。春秋戦国時代(支那)の諸子百家の一人、韓非子は以下のように述べています。

 「人主(じんしゅ:君主のこと)は、人々をして公(おおや)けのことに力を尽くさせることを楽しみとし、臣(しん、おみ)が私欲を以(もっ)て君の権威(刑と賞)を奪うことを苦しみとする。」
 『韓非子』 第八巻 用人 六章

 場合に合うように意訳します。

 「保育園の先生は、園児たちが公平さや健全さを身につける姿を楽しみにしています。園児たちが自分やその限られた友達だけで我儘になること、そして園児全員がルールを守らず、喧嘩ばかりして先生の言うことを聴かなくなるのを嫌だと思うのです。」

 韓非子は韓という国の王子の一人でしたが、生まれつき吃音障碍(きつおんしょうがい:口がきけないこと)で文章を書くのが上手でした。生まれ故郷の国が自分やその限られた仲間だけで利益を独占して、弱くなっていくことを嘆(なげ)いて本を書いたのです。

 韓非子は公平さのために、

①自分ではなく広い視点から見なさい。
②ルールを守ることが大切です。

 と言っています。幼児の時には①と②がなく、お菓子は自分や自分と仲の良い友達だけで食べようとします。もちろん、それはそれで大切です。けれども、今回は最後の遠足です。①の広い視点から見れば、「先生のお礼を申し上げる最後の機会」となるのです。

 同じ章で続けて以下のように書いています。

 「…つねづね人を侮(あなど)ってはひそかに痛快とし、しばしば盗人に追い銭のようなことをする。これはおのが手を切り落として玉(ぎょく:宝石のこと)を代わりに継ぐようなものである。…」

 場合に合うように意訳します。

 「毎日、保育園の先生の悪口を、裏で言っている。そうやって先生を軽蔑していると、お菓子を買っても保育園の先生に差し上げなさい、と言わなくなってしまう。
 子供が『○○くんにお菓子をあげるんだ』というと『そうか、ならもっとお菓子を買ってあげよう』と買ってあげてしまう。これは子供が自分の利益だけを考えても良いんだよ、と教育していることになる。そうすると、親子関係は体と手が切り落とされるように、血が同じでもバラバラになってしまう。何故なら、親子関係が宝石のように金銭の授受でしか成立していないからである(公平さがないからである)。」

 韓非子は二千二百年前の人ですが、見事に子育ての本質を描き出しています。結局韓非子の韓の国は、始皇帝の秦に滅ぼされてしまいます。韓非子の思想は法家としてその後、世界に絶大な影響力を与えました。

 私自身、息子が「お友達とお菓子を分けるんだ」と言った時に、それを聞き落さなくて良かった、と胸をなでおろしています。他方、百回の躾の機会があれば、二、三回言えれば伝わる内容だとも思います。

 朝食で会話をして、バタバタと朝の支度をして自動車に乗り込み、冒頭の会話がありました。会話の後にもう一度、聞きました。

 「とっくん、お菓子はどうするんだっけ?」

 「まず、Y先生とM先生にあげるよ、二個ずつね。」

 「そっか~えらいなぁ。でも一個でいいんじゃない?」

 「ううん、二個ずつにするよ。」

 まないやおとはにも、何時か伝えたいと思います。そしてその内容を私自身の道徳にしたいと思います。


引用書
 本田濟(わたる)著 『韓非子』 筑摩書房 千九百八十二年五月三十日 初版第十版
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