哲学5-1 哲学とは

 皆様、こんにちは。

  講義連絡

配布プリント B4 3枚
:『語り継ぎたい 美しい日本人の物語』 占部賢志著 第八話 シベリアの凍土にさまよう孤児を救え 128-143頁

回覧本
:『語り継ぎたい 美しい日本人の物語』  占部賢志著 :宿題の内容
:『反哲学史』 木田元著 :講義の底本として

 
 --講義内容--

 前回は日本の真・善・美の最終回でした。「素晴らし日本女性を知ろう」という題でした。今回から哲学に入っていきます。前回の日本の思想は2600年以上の歴史があり、古代ギリシャの思想は3000年以上の歴史があります。この2つの思想は、地域や文化を超えて共通する主題(テーマ)があります。まずその点を取り上げていきます。そして今後、古代ギリシャ思想が哲学に深まっていく様、哲学の深さを説明していきます。わくわくするような、そんな体験を少しでも味わってほしい、と願っています。
 また、昨年度の講義では第6回に行った内容を今回の第5回に持ってきました。昨年度の第5回の内容は、哲学の理解が深まった後で行う予定です。また、哲学は数学を基礎としています。ですから、現在では理系に非常に近い学問という面がありました。その辺りも強調しました。

哲学の主題は、「民主主義で良いのだろうか?」という疑念から出発します。この疑念が21世紀の現在にも通じています。政治方面では国内政治や国際政治の本質は各自が学んでもらわなければなりません。哲学では、人間の愚かさの本質について追及します。それは政治の根底にあるものなのです。

 次に、哲学の主題は、「民主主義で良いのだろうか?」という疑念を行動にすることで発芽してきます。その発芽を行ったのがソクラテス、花を咲かせたのがプラトン、実を回収し、別の場所に植え替えたのがアリストテレスです。今回はまず、発芽を担当したソクラテスから哲学を見ていきます。

 哲学の概略を埋めてみましょう。

哲学とは ・・・ プラトン(に始まりニーチェに終わる)
哲学とは ・・・ ペロポンネーソス戦争に始まり第2次世界大戦に終わる
哲学とは ・・・ 特殊に始まり普遍に終わる
哲学とは ・・・ 頭の中に始まり行動で終わる

 ポイントは、私達日本人が持っている「哲学とは頭のいい人が何やら難しい本を読んでいる」というイメージは誤っていて、実際に行動することを目指していた、という点です。そして戦争に始まり戦争に終わる。より具体的な現実に結びついていて左右されるということ、現在は哲学が終わってしまい、哲学の解体の段階であることです。少し難しい説明になりました。より具体的に見ていきましょう。学問ですから、最初は語彙の定義から入っていきます。

-「哲学」の用語 

 「哲学」の用語についてです。「哲学」は明治初年、西周助(後の西周(あまね))が使いました。ちなみに学は「學」という字でした。それ以前に、ソフィスト(知識人)を「賢哲(けんてつ)」、ソクラテスを「賢哲を愛する人」と訳していました。「賢哲」は宋代の儒家周敦頤(とんい)が『通書』の中で「士希賢」とありました。そのため「賢」は儒家の用語として避け、「賢」とほぼ同じ「哲」を使いました。そこで「知を愛する」=「賢(哲)さを希(のぞ)む」」=「希哲」としました。その後、何故か『百学連環』で「哲学」となりました。
 この流れを観ますと、「哲学」は「ソフィスト」の「賢哲=哲」の意味になってしまいます。ソクラテスの「賢哲を愛する人=希哲」ではなくなってしまいます。ソクラテスはソフィストを否定しようとしたのですから、何とも皮肉な結果です。そして現在の日本の哲学のみならず、西欧の哲学が神学になり知識だけの学問になってしまった現状ともすっぽりと重なるかのようです。このように誤訳が判っていながら訂正されていない単語は、色々あると思いますが、「アメリカ合衆国」もその代表例です。USAは「United States of America」で「State」は州や国、政府の意味です。本来の訳語としては「アメリカ合州国」が正しいのです。つまり、

 哲学:本来の希哲学者の敵、ソフィストのこと :知識を利益のために使う人々
希哲学:本来の希哲学者のこと ソクラテス、プラトン、アリストテレスのこと :知識を祖国のために使う人々

 です。

 講義の科目も本来は「希哲学」とすべきです。しかし、誤訳がまかり通っている、という訳です。

ーー(本年度の講義)--

 福沢諭吉は、権利の訳語に反対します。それは本来、権利(Right)は義務が一体であるのです。これを別々の単語で訳してしまうと、必ずや「権利だけ主張して義務を放棄する人々が出てくる」と言ったのです。ですから、「権理」や「通義」と訳すべき、としました。福沢の予想通り、「権利だけ主張し、私は弱者だから義務を放棄する人々」が現れてしまいました。誤訳はこのように色々な所にありますし、誤訳による影響力もあるのです。

 --(昨年度の講義より抜粋)--

―「哲学(Philosophy)」の特殊な使われ方

 それでは、「哲学」が最初に特殊な使われ方をしていたので説明していきます。哲学=「Philosophia(フィロソフィア)」は、ソクラテスが特殊な意味を込めて使い出した言葉です。約2500年前の造語が現在まで残っているのですから、驚きます。

ギリシャ語で「Philosophia(フィロソフィア)」は
英語で「Philosophy(フィロソフィー)」、フランス語「Philosophie」、ドイツ語「Philosophie(eの上に(’)コンマ)」でほぼ同じです。

「Philo」=「Philein(フィレイン)」=愛する、欲する、希む
「Sophia」           =知識、智恵

の意味です。本来の意味では「愛知」になります。愛知県の愛知ではありません。後で述べます。名詞である「Philosophia」はソクラテスが使い出しました。また、お金を愛する、として「Philarguros(フィラルギュロス)」や、名誉欲の強い(軍の意味)、として「Philotimos(フィロテイモス)」がありました。また、「ho(ほ)」を付けると「人」の意味になるので、「Ho philarguros(ホ フィラルギュロス)」=お金に貪欲な人、「Ho philotimos(ホ フィロテイモス)」=名誉に貪欲な人=軍人の意味でした。ヘロトドスという歴史家はソクラテスより11歳若いのですが(紀元前485年頃-420年)、「Philosophein」と動詞で使っています。ソクラテスはこうした言語の使われ方の中で「Philosophia(フィロソフィア)」という言葉を使いだしました。
 動詞の名詞化の使用による特殊な使い方は、現在の日本でもあります。「いやし」です。「いやし」という名詞は元々、「いやす」という動詞でした。上田紀行氏が集団から孤立している人を迎え入れる儀式によって集団に戻る行為を「いやし」と呼びました。現代日本で言えば、ニートや貧困層で孤立している人々を盆踊りや廃品回収などの町内行事に参加してもらい、町内の人から声を掛けてもらって、再び社会に戻っていくことになるのでしょう。
しかし、現在では、自分1人で体をほぐす、心をリラックスさせるなどの行為にも「いやし」と使われています。人数を見れば全く反対の意味で使われています。ソクラテスの「希哲学」がキリスト教によって神学になり、「哲学」になってしまったのと全く同じ道を進んでいます。

―「愛知県」の「愛知」の由来
 ちょっと寄り道になりそうですが、「愛知県」の「愛知」の由来を述べておきましょう。愛知県の愛知の語源は「あゆち」と言われています。「あゆち」は「吾湯市」、「年魚市」と書きます。前にも述べたように日本語(大和言葉)は、音に意味があります。ですから、「あゆち」はどちらの漢字でも音を表現してくれれば良かったのでしょう。
「あ」とは、あふれでる、の意味です。「あ」を発音する時に一番口が大きくなることからも、何かが湧き出す、という意味です。
「ゆ」とは、水やお湯などの意味です。
ですから、「あゆ」とは、水やお湯のあふれ出る、の意味で「ち」とは「土地」の意味です。つまり、「あゆち」とは水が豊富にあふれ出る土地の意味です。そういえば、愛知は沢山の川の流れこむ水の豊かな土地です。「あゆち」は古代からの郡名に見られました。
 もう1説あります。「あゆ」=「あしをゆわえる」=「足を結ぶ」という意味で、東国(遠国)へ向かう土地という説です。こちらは有力とは見なされていないようです。

 上記のように「哲学」とは、誤訳であり、かつ本来の意味とは遠い意味で使われていることを指摘しておきたいと思います。

ー問1 哲学を漢字一字で書くと?

 高木の解答は「天」です。
 哲学者は、「真・善・美を求めている人」という意味でした。人から見ていきましょう。漢字では「人」に関係する文字が多くあります。
「人が立っている姿」⇒「人」
「同じく大きく手を広げている姿」⇒「大」
「大きく広げていても余っているものがある」⇒「太」
「人が2人いて仲が良い姿」⇒「仁」
です。同じく天は

「人が頭を上げて空を見上げている姿」⇒「天」

となっています。つまり、天空を見上げて何かを求めている、考えている姿が「天」なのです。「大」の上に一本の棒「一」がついて「天」です。一本の棒「一」があたまを指しています。あたまは、天、つまり真・善・美という現実世界だけを見ていないで、変わらない天を探しているという意味に解されます。私達は現実世界で人の目を気にして、それだけで人生が終わってしまうのではなく、現実世界で人の目を気にしないで生きていける人になれるのかもしれません。それを指してわざわざ「人」と「天」を違う文字にし、真・善・美を強調するために一本の棒「一」を付けたのでしょう。この点で「哲学」=「真・善・美」=「天」となります。
 日本語から観てみます。「天」は「テン」と「あま」と読み、日本語では「あま」と読みます。「あ」とは広がることを指すのは「愛知県の愛知」でやりました。「ま」とは時間や空間のことを指します。つまり、「あま」とは時間空間が、ぷわーーーっという広がりをさします。『古事記』の冒頭に「あまのみなかぬしのかみ」が最初の神として出てきます。つまり、最初は時間空間が、ぷわーっと広がったんだよ、という意味です。次に生成の神である「たかみむすびのかみ」と「かみむすびのかみ」が出てきます。これは後に説明します。他に「アメ(雨)」は「あまからうごくもの(メ)」、「アイ(愛)」は「イノチがぷわーっと広がっていくもの」の意味でしょう。愛するもの、愛する人によって自分が、あるいは自分の感情が大きく広がっていく感覚をさしたものでしょう。講義は「アキ(秋)」に行っています。「キ(気)」は「水分や湿気や見えない力」などを指し、夏はそのキ(気)が充満していました。日本の夏の暑さは湿気や水分が充満した暑さです。この暑さ、つまり暑気(ショキ)が払われて広がっていく=「アキ」なのです。暑気払い、という言葉は「アキ(秋)」と全く同じ意味なのです。確かに秋になると空気から水分が消えて、穏やかになってきて広がりを感じさせてくれます。もちろん、この感覚は、フィリピンやインドやアフリカなどでは感じられない日本特有の感覚です。
 学生の皆さんの解答は素晴らしいものがいくつかありました。やはり、学生の皆さんと共に講義が出来て良かったです。
 
-ソクラテスの愛知

 ソクラテスは、知識を愛する=欲求の愛としました。後にキリスト教の愛=神の愛とは別に使いました。つまり、愛知は「この世の対象」なのです。お酒を愛する、や異性を愛する、と同じ意味でソクラテスは知識を愛する、としました。ちなみにプラトンでは「あの世の対象」となりました。現在、二次元(アニメのキャラや漫画の登場人物)への愛がありますが、これはどちらになるのでしょうか? 面白い問題です。仮想世界への愛はどちらかという問題です。
 ソフィストが知識人を指し、ソクラテスが「無知の知」で対抗しました。古代ギリシャでは高い舞台の上で2人が交互に話して、周りの人々が聴く、というスタイルでした。ソクラテスは相手に「はい」か「いいえ」で答えられるように聴きます。ソクラテスは相手に聞かれると「無知の知」で「私は無知ですから答えられません」と言い、相手にだけ話させて、最後には矛盾を突く、ということをやりました。これがソクラテスの愛知(哲学)だったのです。だから、嫌われていました。嫌味おじさん、と前回言った通りです。現在でも周りにいたら友達になりたくないタイプの人です。この立場を「アイロネイヤー(Irony:アイロニー 皮肉)」と言います。
 私達が持つ哲学のイメージと大分違うのではないでしょうか? 私の大学の時のイメージは「一人で難しいことを、うーん、うーん、と考えている人」でした。そもそも哲学は2人で行うスタイルでした。最初の哲学の本は殆どが会話(「対話編」)です。講義も本来は、1人でするのではなく2人で話しながら進めていくのです。私も何とかそうしたい、と考えて、学生の皆さんから質問を受け付けてブログで返信する方法をとっています。
 さて、以上の説明から他に何が判るか、を書き出してみます。

対象:ソフィスト
対象:聴いている人
目的:知ったかぶりを攻撃
方法:対話
(真の対象:世界観:後の講義で説明します)

 現在でいうと安倍総理を攻撃するために、「フィロソフィア」という言葉を作った、ということです。この言葉が2500年経っても使われているのです。
 対象に「聴いている人」が入っていますが、ソクラテスは聴いている人、つまり聴衆をも攻撃対象としたのです。攻撃対象というのは少し強い言い方かもしれませんが、聴衆に気が付いてほしいからこそ、嫌味を言ったのです。「良薬は口に苦し」の諺通り、「真実をついてためになる助言、というのは耳に痛い言葉」であり、「嫌われる言葉」であるのです。
 ソクラテスは、ソフィスト(知識人)が高度な知識を使って「こうすればアテナイは得をしますよ(周りは損をする)」や「こうやれば簡単になって便利ですよ(周りに迷惑をかける)」と言うのも攻撃しましたが、もう1つ、民主制の中で聴衆がそれを支持して実行するのも攻撃したのです。民衆が日常生活で自分が得をすることしか考えていない、というのは、いつの時代でも同じです。そうした人々がソフィストの政治を支えていたのです。何も自分で調べようともせず、ソフィストの宣伝に乗ってしまうのです。

―民主主義の欠点と「無知の知」

 つまり、民主主義は、宣伝によって、あるいはカリスマ性のある人物によって民衆がひっぱられてしまい、悪いことをしてしまう、という欠点があるのです。そして民衆は失敗しても反省せずに、誰かに責任を押し付けて、次もまた自分たちのことだけしか考えないのです。民主党が失敗したら、民主党が悪いんだ、鳩山元総理が悪いんだ、菅直人は最悪の首相だ、野田総理は売国奴だ、と批判して相手に責任を押し付けてお終いとします。しかし、民主党は民主主義によって私達国民が選んだ政党なのです。選んだ私達の責任はどこかに行ってしまったのでしょうか? ある講演で講演者が「民主党の3年間はひどかった」という話をしました。しかし、私達国民が悪かった、とか、講演者自身が反省して行動を改めなければならない、とか、講演者自身が何となしなくては、と民主党時代に新しい行動をした、という話は聞きませんでした。皆さんの周りの人にもいるのではないでしょうか。つまり、自らを省みないで他人ばかり批判する人々です。全て悪いのは政治家だ、政治家は汚い、犯罪があれば犯罪実行者が全て悪い、という人々です。さらに現在はインターネットでマスコミの嘘が判りますから、ちょっと調べない私達は古代ギリシャの民衆よりも悪いのかもしれません。
民衆は、平和が良い、と口で言いながら常に刺激を求めます。ソフィスト達の口車に乗せられて戦争へと向かったのです。そういう態度をソクラテスが攻撃しようとしたのです。
 第2次ペルシャ戦争が引き分けに終わったのに、アテナイの利益だけを考えた行動をして、同じ都市国家のスパルタとの戦争へと導く民主政治をしてしまったのです。
ソクラテスが以上の主張だけであれば単なる政治家の域を出ません。ソクラテスは民主主義に潜む、あるいは人間に潜む世界観までも攻撃したのです。この点でソクラテスが哲学者と呼ばれる理由ですが、この点は後の講義で説明します。今回はソクラテスが何を対象とし、「無知の知」はどういう風に使われていたかの説明をしました。

-哲学者と民衆の違い

 では民衆とソクラテスはどこが違うのでしょうか? 

民衆 :自分のことを反省しない 日常生活のことだけ考えている 
哲学者:自分のことを反省している=「無知の知」 真・善・美(普遍)を見ている 

 私の講義中に喋る人がいます。そういう時に「なんだ、俺の講義を聴かないで、あんな奴らは退席処分、あるいは成績を不可にすればいい」という自分のことを反省しない態度があります。他方、「そうか、喋るのは私の伝え方が、講義の方法が不十分だからじゃないのか?」という反省する態度もあります。私達は生きていく中でどちらの態度を大切にすべきでしょうか? 
 もう1点は、日常生活のことだけを考えているか、それともいつの時代でも変わらない普遍を考えているか、です。日常生活は欲や感情が中心です。あの人に良く想われたい、お金が欲しい、いい家に住みたい、人を私の考えるように動かしたい、と。しかし、それらは時代が、社会が変われば変化するものです。感情も常に揺れ動くものです。好きという感情は4年も経てば弱くなるものです。民衆が感情にまかせて政治をすることを何とかしたい、と考えて、ソクラテスは時代や社会に関係のない、真・善・美を求めました。
その意味ではソクラテスはあくまで目の前の、つまりこの世にあるアテナイを何とかしたい、と欲したのです。哲学を特殊な使い方をした、と前に説明しましたが、この点を強調したかったからでしょう。そして深めていきました。哲学者と民衆の違いは、自省と普遍です。私達は自分の成績や職の良し悪しだけを考えていないでしょうか?

-真・善・美とは

 古代ギリシャで真・善・美とは当然、神のことです。神がいる世界が天空の世界です。天空までは一定の距離にあると考えられていましたから、あとは角度が判れば天空の世界の動きが判る、と考えられていました。古代ギリシャではsinθ cosθ tanθなどの考え方が出てきました。これは地上から天空まで一定の距離なので後は角度が大切である、という考え方です。他にも角速度などもあります。
 他には四季の移り変わり、太陽が昇り沈むなどもそうです。考えてみれば「毎日日が昇る」、「途中で停止しないで沈む」というのは不思議なことです。現在は中学校の理科できちんと天体の動きを習いますが、そうでなければ、あるいはそうであっても「太陽の運行」や「四季の移り変わり」は不思議なものです。そしてそれに合わせて花や木々、動物までもが活動できるのですから、不思議です。そういうものを決めている存在者があるに違いない、それが神様だ、というのです。キリスト教の神様とは全く異なる神です。古代ギリシャの星占いが人間の運命を決めている、というのも、神様が私達の世界の動きを決めているからだ、と考えられていたからです。神が世界全体、宇宙全体をコントロールしているのは何時までも変わらない、つまり普遍(どの場所、いつの時代でも同じ)性を持っていると考えたのです。
 人間の日常生活という変化するものに依存しない、普遍性を持った神様を意識したのです。そうやって、民主主義で悪くなったアテナイを立て直したかったのです。その意味で、真・善・美はこの世を何とかいい方向に導こうという関心に基づいたものでした。少し難しくいうと実践的関心です。この実践的関心はプラトンに引き継がれますが、プラトンの弟子たちは、抽象的関心へと移っていきます。晩年のプラトンはプラトン自身のイデアの考え方から、実践的関心を切り離して、抽象的関心へと向かうのを批判しています。そしてこの抽象的関心が、後年、キリスト教の神と結びつく一因になるのです。
 日本でも皇室の神様、日本人の皇祖皇宗(こうそこうそう)は天照大御神(アマテラスオオミカミ)です。先ほど述べたように最初に登場される神の名前は「アマノミナカヌシノカミ」です。両柱(神様は柱で数えます)とも「アマ」が入っているのです。アマとは時間空間の広がりを指します。つまり、世界全体、宇宙全体を指すのです。古代ギリシャの世界全体、宇宙全体を統べる神様達ととても似ています。そして「問「哲学者」を漢字一字で書くと?」の解答ともつながります。つまり、世界全体、宇宙全体を統べる存在者=神であり、四季の移り変わりや太陽の運行という普遍性を持つものを真・善・美と呼び大切にするのです。そしてそれによって人間世界を、日々の生活を何とか善くしよう、と考えるのです。それが哲学であり、日本の神道ということです。この点ではぴたりと一致します。一致しない点は今後述べていきます。

 真・善・美に触れている人=哲学者
 真・美・美に触れられる人=天子
 真・善・美に触れられる人=天皇

 真・善・美に触れていない人=民

 例えば小説家で、「登場人物が勝手に動いて話を作っていく」ということを言う人がいます。何やら天の方からアイディア(プラトンのイデア)が降りてきたという感覚だったのでしょう。私も少しだけ小説を書いていたのですが、突然書くようになりました。同じような感覚がありました。
 他の例として、講義中に眠たくなったとしましょう。その時、「先生が真・善・美の話をしていないから知識だけで退屈だなぁ」というとその学生さんは哲学者です。対して「私はさぼりたいなぁ」という自分の欲だけで判断しているのは民、になります。自分のことや周りの世界しか考えていない人が民です。ソクラテスの考え方は現在の日本でも通じているのです。

 --(以上昨年度の講義録より抜粋)--

 ソクラテスの意図をもう1度まとめておきましょう。

 ソクラテス、全ての政治家、民衆、政権を批判する → 民衆は、いずれかの政治家、民衆、政権を批判しない
  ↓                                  ↓
 だから、ソクラテスは自己肯定できない           だから、民衆は自己肯定する
  ↓                                  ↓
 言い逃れもできない。忘れることも出来ない。       言い逃れもできる。忘れることもできる。

 ソクラテスは、この言い逃れ、都合の良いことを忘れること、を民主主義の根源的欠点としました。

 東日本大震災で福島原子力災害が起きました。現在の福島県の人々は被災者、被害者としてだけ扱われています。しかし、福島原発の一号炉は災害前から日本で最も多くの放射線漏れを計測する原子炉でした。それでも福島県民の選挙によって原発推進派の知事を選択したのです。その知事が一号炉の継続運転を要請しました。敢えて書きますが、福島県民は自らの選挙の投票によって福島原発の継続を選択したのです。その責任をどうして誰も言わないのでしょうか。「日本国に裏切られた。だまされた。信頼してたのに」と言い逃れをします。もちろん、日本国の責任は重大です。しかし、福島県民に責任が全くないのでしょうか。私はそうは考えません。しかし、その言い逃れ、都合の悪いことを忘れるのは2400年前の古代ギリシャでもあった、ということです。これを告発しようとしたのがソクラテスなのです。
 
 以上は前述した内容と被ります。もう一度書いてみます。
 浜松市のある講演で、講演者が「民主党政権はひどかった。やっと安倍総理になってよかった。安心した。私はずっと自民党に入れているけれど。」と言いました。特定の政権を肯定し、自分の責任回避をしているのです。民主党政権を誕生させたのは日本国民です。私達です。誰に投票しようと投票結果に責任を持たなければなりません。自民党に投票しようと共産党に投票しようと民主党政権誕生の責任は全員にあるのです。それが現在の議会制民主主義です。しかし、言い逃れをする。

 さらに、民主主義の政治の欠陥もしてきします。これは次回以降に取り上げます。

 ナチス・ドイツは民主的な投票によって成立しました。そこから独裁を強めていったのです。民主主義がナチス・ドイツを誕生させたのです。つまり、第2次世界大戦は民主主義国と民主主義国との戦いであったのです。そしてより民主的なフランスやイギリスは負けたのです。現在、日本の側には独裁国家中華人民共和国があります。ですから、日本では「独裁国家だから悪いことをする」という事実に馴れ親しんでいます。

 「日本は民主主義だから戦争をしない」とか「日本は民主主義だから悪いことをしない」

 と思い込んでいるかもしれません。しかし、それは勘違いです。世界中に武器をばらまき、戦争を引き起こしているのはアメリカなのです。サッダーム・フセインを支援し、アルカイダを育て、武器を与えてきたのはアメリカです。そのアメリカは民主主義の国です。古代ギリシャでも民主主義のアテナイが、平気で全島民の虐殺をしたり、他国から金銭を恫喝して出させたりしました。無駄な戦争も起こしたのです。

 これらを告発したのがソクラテスです。

 ですから、ソクラテスは現在でもその輝きは色あせていないのです。

 今回は哲学の主題と出発点であるソクラテスを説明しました。次回は、今回の内容を肉付けしていきます。

 以上です。
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