講義録2-1 はやぶさ式の成功思考 チャレンジャー事故

 皆様、こんにちは。

 第2回になります。
 
 さて、今回の講義は、3つあります。1つは、倫理をもう少し深く踏み込むために、法律など同じ「社会の決まり」と比較します。2つは、チャレンジャー事故、技術者倫理では最も有名な事故事例です。この事故事例一筋縄ではいきません。3つは、私の技術者倫理の立場、加点方式による評価基準です。人類史に燦然(さんぜん)と輝く「はやぶさ」の成功に学びます。

 それでは本文に入ります。

講義連絡

配布プリント・回覧本

配布プリント:B4 1枚
:藤本温編著『技術者倫理の世界 第2版』 2,3頁 :チャレンジャー事故
:川口淳一郎著『「はやぶさ」式思考法 日本を復活させる24の提言』12-15,42-43頁

回覧本
:藤本温編著『技術者倫理の世界 第2版』
:川口淳一郎著『「はやぶさ」式思考法 日本を復活させる24の提言』

宿題
:なし

 --講義内容--

 今回の講義に入っていきます。
 前回、用語の定義で「科学」、「技術」、「倫理」をやりました。この講義は「科学技術者の倫理」で、最も大切なのは「倫理」です。その特徴として、「正解が多数」を挙げました。これだけでは「倫理」が明確になっていませんので、もう少し踏み込みます。そこで、倫理と同じ「社会のきまり」である、法律、気づかい、マナーと比較してみます。このように同レベルの他の事象(概念)と比較して、より明確化する手法が学問にはあります。それでは昨年度の講義録から引用します。

ー問1 マナー、倫理、きづかい、道徳の4つを範囲の狭い順に書きなさい。
(学生さんに黒板に3人くらい書いてもらいました。その後で、同じ考えの人、と挙手してもらいました。)

 例として挙げたのは、私は毎朝電車に乗ってきます。優先席は体の不自由な方などに譲る、というのがマナーです。ただ、成人男性でも顔色が悪いのに気がつけば、席を譲ることもあります。この「気がつく」というのがポイントで、マナーでは譲る必要はありません。しかし、譲ることは、気づかい、です。ですから、マナーに当てはまらず、きづかいに当てはまる例がある。とすると、マナー<気づかい となります。
 こんな風に具体的な例で考えながらその理由を述べていってください。

 たくさんの回答があり、説得力もある説明が多かった。この問題は、いろいろな見方で回答の順番が変わってくる。それでよい。まず、似たような言葉と比較することで自分なりの言葉の定義を明確にしていく作業だからだ。その上で私の考えを。

 1法律 2倫理 3マナー 4気づかい

 法律は「罰あり」、倫理、マナー、気づかいは「罰なし」。
 倫理に「善悪あり」で、マナー、きづかい、に「善悪なし」。法律は「罰=悪」であり。
 マナーは「国ごとで違う」が、気づかいは「人で違う」。

 マナーの例は、スープのすくい方。イギリスのように手前から奥も正解、フランスのように奥から手前も正解と正解が国によって全く正反対になる。そのマナーが出来た上で、きづかい、が出てくる。それは個人個人である。
 
 4月に2つの飲み会があった。私が世代を超えた飲み会に行くとビールやお酒を注ぐのは、特に誰でもなかった。しかし、中学校の時の友人たちと飲むと、焼酎のお茶割を作るのが何と無く女性の役割になっている。大学時代、バスケットボール部に入っていたが、後輩である私は先輩のグラスが空いているとビールを注ぐ、というきづかいをした。そうしたきづかいが出来ないと「使えないやつだなぁ~」と人格否定になった。これは倫理の範疇である。つまり、日本では、全てではないが、きづかい→倫理、となることがよくある。静岡県でコンサルティング会社の社長さんのお話を聞いたら、
 「まず、外部の人間が来た時にしっかり挨拶してくれる会社は大丈夫ですよ。人が育っているということですし、業績もいい。」
 というのを言われた。日本では新人採用の時、「テストの点や大学名よりも人柄」という話をよく聞く。少しだけ就職活動に関わっている。それは気づかいを人柄として見る、ことを意味するし、日本社会のビジネスルールには能力主義よりもコミュニケーションで判断する、という風土があるということである。教えている留学生の何人もが日本に来て驚いたことの1つに、「働いている人とさぼっている人の給料が同じ」であった。一生懸命働いてもバイトで殆ど昇給せず、しても時給で500円も差がつかない、さぼりがちな人と同じ、というのはびっくりするそうである。さらに、さぼりがちな人を中々辞めさせないというのも驚きだそうである。そういえば、あの人は「空気読めないから(気がきかないから)、飲み会に呼ぶのやめようよ」というのもあ同じである。気づかいと倫理を混同するのである。気づかいが出来ない人はまるで悪人の如く排除されてしまことがある。

 この発展として、マナーを法律とする問題もある。今はやりの「セクハラ」、「パワハラ」などは、被害を受けた当人の気持ちで決まるそうである。男性が女性の人格を否定するような行為は許されない。しかし、どこまでが許されるかは各国によるマナーの問題であった。会社の上司などに相談して(ほぼ)処理されてきた問題が、法律という一律の網に入った。しかもその基準が被害者の心だけである。ある大学の教員は、
 「高木くん、私はね、ゼミで女子学生1人の時は、必ずドアを開けることにしているんだよ。だってね、ドアが閉まっていて抑圧的な空間でした、と言われちゃかなわんからね」
 という話を聞いた。どこからセクハラなのか、明確な行為の基準がなく混乱していた初期にはこうした声が聞こえた。これは「マナー」であった男性による女性への関わりが、「法律」に置き換えられたことによる事例の1つである。これも戦後日本の大きな問題を含んでいるのではないか、と考えている。つまり、「弱者の心」が絶対正義で、社会的合意とルールを作らずに、強者を一方的に罰することができる、という問題点である。この形は色々な分野に広がっている。これ以上は述べないが、身の回りを見渡して欲しい。原発の被害者は絶対的正義であろうか?

 ここでのポイントは、法律、倫理、マナー、気づかい、というそれぞれの違いを明確にすると、セクハラやパワハラ、がどのように変化したかが明確になる点にある。整理できる、と言い換えても良い。50代60代ではセクハラは問題であった、しかし、それはマナーの問題であった。しかし現在は法律の問題になっている。配置換えなど個人関係を切断する対象から、処罰の対象になったのである。こういう考えが出来るようになると、事故予防の際も、法律、倫理、マナー、気づかい、どれで対応すれば良いか、という視点が育つのです。

 -チャレンジャー事故について

 技術者倫理の事故事例です。藤本温編著『技術者倫理の世界 第2版』 2,3Pを読んでもらい考えてもらいました。

ー問2 どうしたら再発防止できますか(事故は防げましたか)?
ー問3 技術者に責任はありますか?

問2 
A)教科書 : コミュニケーション不足 もっと技術者と経営者が話し合ってしっかり考えれば良かった
  VS
B)教員(高木):逸脱の日常化を無くす 法律違反や倫理違反を普段から取り締まる必要があった(つまり今回の事例だけでなく安全は常に対策を取らないといけない

この後、O-リングを3重にして再発防止が出来ました。材料を強化する、という技術者らしい発想を何人もの人が書いてくれました。

問3
A)教科書:コミュニケーション不足に原因があるのならば当然、怠った責任が生じます。「危険」と警告しているので法律的な責任は生じませんが、みんなのルールとして「コミュニケーション不足」を挙げるのなら、当然入ってきます。ただし、技術者個人が良心の呵責(かしゃく)として感じるものは、個人のものであり、倫理的責任ではありません。(ちなみに日本ではこの、個人の良心の呵責を倫理的責任と同一視する土壌があります。例えば、福島原発事故後、すぐに東電の社長はやめろ! なんで雲隠れしているんだ! 退職金をもらうな!悪いと思っていないのか(良心の呵責)?などの考え方です。ちなみにこの結論への導きは高木です)
 VS
B)教員 :責任はありません。逸脱の日常化を見逃した経営者に責任があります。マネジメント、つまり会社を監督し指導する責任があるのは経営者だけです。技術者は権限も対価としての給与も貰っていません。ですから権限も対価もない経営的な責任を負う必要はありません。個人の良心の呵責を感じるかもしれませんが、感じて欲しいですが、それは倫理的責任とは別問題だと考えます。技術者が倫理的責任を問われるのは、「危険」を知りながら「危険であると報告しなかった」時に生じると考えます。

さらに、Oリングは有機材料で人間が使用しだして100年、200年しか経っておらずデータ不足、さらに特性として生産段階で製品の出来が大きく左右されるなどの特徴を挙げる指摘もありました。つまり、この問題は技術者倫理の問題ではなく、材料の問題である、という指摘も添えました。

 このように1つの事故に対して専門家の間でも分析や判断は分かれています。どれか1つだけが正解、という訳ではありません。1つに決めることは「科学」ではありませんので出来ません。ですから、私は以下のように提案しました。

「技術者倫理では、「公平な見方が大切である」と」

 公平な、には賛成反対の両方が必要ですし、出来れば中立などの見方もあるとさらに良いと考えます。なぜならば、そもそも人は偏った見方しかできないからです。ある1つのコップを観て、色を観る人、形を観る人、価値を測る人、コップを別の具象と見る人、コップと背景との調和を観る人、重さを観る人などなど様々です。目の前にある共通した物体でさえ、人によって見方が異なるのです。ですから、共通の物体のない、意見や知識などはさらに偏るのです。ですから、両方の見方が最低でも必要である、と述べました。

 具体的に行きましょう。
 東日本大震災では、自衛隊の方々は、亡くなったご遺体をなるべくそのままの姿でご家族の元にと考えて、大型の重機、ショベルカーやブルドーザーを使わずに、手袋や棒などで探してくださいました。自衛隊の方々の手はぼろぼろになり傷だらけになったのです。それでも探してくださった。なんという素晴らしい軍隊でしょう。このような行為を行える軍隊は日本だけなのです。世界中から賞賛されました。2万名のご遺体は行方不明者が1000名近くになるという、巨大災害では過去に例がないほど発見されました。
 東日本大震災を伝える英国BBC、アメリカCNNなどは自衛隊の姿であふれていました。他方、日本のマスコミには殆ど自衛隊の姿が映りませんでした。賞賛の声がかき消されているのです。兵員が半数近く減る中でロシアや中国は領空侵犯を行おうとしましたが、自衛隊は戦力を保持し続けました。このようにして軍事上も自衛隊は世界最高の軍隊であることを示しました。(追記、平成26年の御嶽山噴火では自衛隊の姿がTVに映し出されていたようです。)
 ここで皆さんは、どのように考えるでしょうか。それは先ほど述べたように「正解は多数ある」と考えています。

 私達が偏らないこと、「公平な見方をすることが技術者倫理の出発点である」と考えます。

 以上で終わります。

 本年度は、これに加えて「ゆとり世代」について話しました。「ゆとり世代」は勉強が出来ないかのようなイメージがありますが、国際数学コンクールなどでは上位入賞を連発する優秀な世代です。私達40代よりもです。犯罪率も低く、大学の出席率も高い、極めて優秀な世代です。事実を増やすことで、片寄ったイメージから脱出できる好例ではないでしょうか。相も変わらず大学の先生は「現在の若者は・・・」と言いますが、残っている最古の文章にも同じようなことが書いてあったそうですから、大学生の皆さんは気にしないで下さい。
 また、90分単位の講義の理由について、大学院時代の思い出などを話しました。

○学んでもらいたいのは、幾つもある正解を身につけて、公平な見方に近づけるようになることです。


ー最後の加点方式に基づく技術者倫理

 倫理の語彙の立ち位置を明確にし、最初の事故事例を学びました。最後に、では、技術者倫理をどのような基準で考えたら良いのか、を提示します。
 川口淳一郎著『「はやぶさ」式思考法 日本を復活させる24の提言』を音読しつつ、説明していきました。

ー(昨年度の講義録より抜粋)-

 「はやぶさ」の成功に再発防止策を学ぼう 最重要は④

①加点主義で評価していく
②過去の模倣をしない(縛られない)
③1回の事故で判断しない
④原則禁止から原則自由に

 ①~④を説明します。

 川口さん(敢えて「さん」付けて失礼いたします)は、世界初の事例を点数方式にし、しかも加点方式ににしました。

 大飯原発の再稼働の時、現在の原発安全を考える時、「福島原発事故の対策が済んでいれば、100点」と考えています。対策が済めば安全=安全に上限=100点という上限をつける、ということです。これは川口さんによれば小学校以来の日本人の習性であり、製造物の運用を考える際には問題がある、と述べています(引用文12-15P参照)。私は以下のように解釈します。

①原発の安全審査に加点方式を導入すべき。

:具体例として、
福島原発の沸騰水型原子炉の安全値を2.0、他方事故を起こしていない加圧水型原子炉の安全値を4.0とする。ベント弁がある場合はプラス1.0、インターナルポンプはプラス0.5、鉄筋コンクリート製原子炉は0.3、地震対策として800ガル以上があるならプラス1.0などとする。
 その上で、浜岡原発3号機は8.0、大飯原発3号機は7.5、柏崎刈谷原発7号機は12.0と表記する。

 こうした技術的な構成要素に基づいて評点をし、その上で政治(経営)判断をすべきと考える。つまり「関西電力管内で最も安全点の高い原発が大飯原発7.5であり、他の地域の原発より低いですが、電力供給のため稼働します。」という政治(経営)判断である。

 しかし、現在、日本国民の中で不安がぬぐい去れないのは、「福島の安全対策が終わればどの原発も同じである」という、技術的な構成要素を無視している点である。福島原発は沸騰水型でありそもそも災害等に弱いのである。30年以上前から米国を始め指摘され続けてきたのに、無視して今回の事故の一因となった。

 つまり、「技術的知見に基づかない事故対策が信じられない」という国民の不安をぬぐい、再発防止を目指すためにも加点方式で技術的な構成要素を示す必要がある、と考える。

 これが「はやぶさ」を「福島原発事故に使おう」の最も主張したい点の1つである。


②現在の減点方式では再発防止策が十分に取れない可能性がある。

:福島原子力災害はこれまでにない事故ですし、どこまで対策をすれば良いのか?という上限がありません。ですから、福島原子力災害だけを考えれば事故対策が完全である、十分である、とは言えない。そのようは判断方法は再発防止を途中でやめさせることになる。製造物である以上「リスクがない」ことはありえない。しかし、そのリスクがどこまで許容されるのか、あるいは公開されているのか、は事故対策を考える上で欠かせない。それゆえ、安全対策は積み上げられなければならない。しかし、現在の減点方式では、ある一定の上限が設けられてしまう可能性がある。

③過去の模倣をしない(縛られない)事故対策

 既に「福島原発事故」は過去の事例である。「福島原発事故」の対策だけで今後の事故対策を決めてはならない。過去の模倣なのである。全ての自然災害やテロに備えることはできないが、なるべくリスクを少なくするようにあらゆる可能性を検討する必要がある。それゆえ、原子炉の型の選び方から根本的に考えていくべきなのである。実際に実行するとするならば極めて困難な原理原則であるが、だからこそ大切にしなければ原理原則である。

ー安全対策の最重要な点

④原則禁止から原則自由には、技術倫理で最重要かもしれません。というのも、現在の原発の事故対策は減点方式であり、原子力規制委員会の決めた対策がとれていれば100点、とれていなければ減点していくからです。しかし、安全対策に100点はありません。工学的安全とは危険ゼロではなく、危険があり事故の可能性があるが許容可能である、という意味だからです。人類の作ったものに危険ゼロなどありえません。ですから、対策は幾らでも出来るのですし、常に更新し続けなければなりません。しかし減点方式では対策の上限をつまり100点を決めてしまっているのです。ですから、私は②で安全対策の加点方式を提言し、上限をさらに突破する基準にすべきだと考えています。原子炉の専門家、常に原子炉の事後対策に関わっている人々が、「こうしたらもっと安全になるぞ!」や「これはさらに安全にするために導入したい」と積極的にアイディアを出せる環境にするためです。そうやって、安全対策を積み上げていくことが出来れば、原子炉の安全対策は常に更新し続けられるのです。そのために安全対策は自主的な原則禁止から原則自由にすべきなのです。「はやぶさ」の川口氏の経験に基づく深い洞察は、日本組織の本質を見抜いていると感じます。

 他に述べたことして、福島原発1号機はアメリカの原子力潜水艦に利用するための原子炉であり、当初から、また70年代後半から欠陥が指摘されてきた。それでも40年前後の間、たった1回の過酷な事故を起こしたに過ぎない。40年以上前の自動車が過酷な事故を起こしたからといって、全ての自動車を廃止しなければならない、という考え方は極端すぎるし、採用できるものではない。他方、原発には安全神話なるものがあり、リスクがないという考え方が社会通念として形成されていた。たった1回の事故で、安全対策を見直しながらも、運用の可否の全てを判断してはならないのではないか、と述べた。また、川口さんが述べているように宇宙開発はハイリスクな事業であり、1回の失敗で判断していては進まないのである。1回の失敗で運用を停止していては「はやぶさ」の大成功はなかったのである。注目すべきは現在の事故対策と事故情報の開示や技術者による検討などである。

 各クラスで多少、異なる内容になりました。大切なのは、

○技術的知見に基づく加点方式で安全を積み上げていくこと

 です。減点方式ですと、100点以上の安全を積み上げることが難しくなります。女川原発が福島原発にならなかったのは、まさにこの加点方式で100点以上の安全を積み上げたからです。ある技術者の良心が積み上げたのですが、これを組織化して基準とすることが、福島原子力災害を後世に残すことになると考えます。

 以上で終わります。
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