スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

エッセイ 「 【随筆】哲学とーちゃんの子育て11 -「きびしい」子育てとパンセの名言- 」


二人一緒に
 朝六時半、日差しが熱い神社への道路で。

 「まなちゃん(四歳一か月)、明日は大浜プールいくよね。」

 「うん、ぃくー。」

 「おとーちゃんとまなちゃんと二人でいくかな?」

 「ううん、とっくん(六歳)も一緒にぃくー。だってね、ぐりんぱ(遊園地)にとっくんが連れてってくれたからぁー。」

 「そっかぁー。えらいなぁー、二人で助け合ってるね。」

 「うんー。」

「厳しい」子育て
 夏休みに入ってもお盆休み以外に保育園がある。しかし休ませてでも、長男とっくんと、長女まなちゃんの希望の場所へ連れて行こうとした。決意したのは、先月のある夜のことだった。

 「とっくーん。」

 「なーに。」

 「おとーちゃんは、きびしい?」

 「きびしい。とっても。」

 「そっかー。」

 「うん。」

 「じゃあ、なんできびしいか判る? なんできびしくするか判る?」

 「・・・わかんない。」

 「そうだったのか。まなちゃんは、おとーちゃん、きびしい?」

 「きびしいよ。でもいいよ。」

 「ありがと。でも、なんできびしいか判る?」

 「わかんなーぃ。」

 「そっかそっか。・・・じゃあ、説明するからちゃんと聴いてね。」

 「うん。」「うん。」

 「おばーちゃんのお家に行って皆でご飯を食べている時に、ご飯を投げて遊んだり、走り回ったらどうなる?」

 「だめだね。」「だめー。」

 「そうだね、そうしないようにきびしく怒らないといけないね。」

 「うん。」「うん。」

 「だから、きびしくするんだよ、わかった?」

 「うーん・・・」「わかんなーぃ。」

 「おばーちゃんのお家じゃなくて、お友達のお家だったらどうなるかな?」

 「うーん。」「・・・(首を横にする)」

 「お友達に嫌われちゃうね。」

 「うん。」「うん。」

 「だからね、お友達に嫌われないように、ちゃんと食べなさい、ってきびしく怒るんだよ。おとーちゃんは、とっくんやまなちゃんが、お友達に嫌われないように、きびしいんだよ。」

 「わかったー。」「わかったぁー。」

保育園の有り難さ
 私の子育ては「厳しい」と言われることがある。保育園に行くと自分でもよく解かる。私が保育園に子供三人を連れていくと、三人とも自分で支度をさせる。六歳のとっくんは当たり前、少し遊んでしまうけれど。四歳のまなちゃんは、全てしっかりできる。二歳のおとちゃんは、自分で荷物と靴を持つ。体半分以上のバッグを持ってよちよちと歩く。プールの用意などは出来ないが年齢で出来る最大限をさせている。
 しかし、他のお家では親が色々と世話を焼くことが多い。加えて私は、支度が遅れると「早くしなさい」と声を出す。私の子育てが「厳しい」と保育園で教えて下さる。保育園は子供を預かって下さると同時に、他の親御さんから子育てをこっそりお示し下さる場でもある。

 「きびしい」子育て、というのを心に留めた。もちろん、厳しくてよい。孔子は「性相近(せいあいちか)し、習い相遠し」と言う。

 「人は生まれた時は殆ど一緒ですよ。けれども、習慣で大きく変わりますよ。」

 との意味である。だから、厳しくてもよい。けれども、厳しくすればよい、という形だけの躾ではいけない、とも言う。最も大事なのは「仁」、つまり「子供への愛」だと言っているのである。
 厳しさは大事、でも、最も大事なのは「子供への愛」である。う~ん、どうしようか、と思い悩んだ。
 思い悩んだ結果が、

 「夏休みに、子供の希望する場所にどこでも連れて行く。」

 であった。もちろん、とっくん、まなちゃん、それぞれ、である。

 とっくんは、最初、映画「シン・ゴジラ」、プールなどを挙げていたが、「ぐりんぱ」に行きたい、ということになった。すると、まなちゃんも行きたい、という。私はとっくんに聴いた。なぜなら、とっくんの選択で行くのだから。言い換えれば、場所を選ぶ権利があるものが、人数を選ぶ権利もあり、同時にそこに生じる義務も負うことになる。その権利と義務を負えるようになるのが大人である。とっくんはあっさりと、

 「いいよ、まなちゃんも一緒にいこう」

 と言った。この時、一切とっくんの決断に口を挟(はさ)まなかった。大人扱いしたかったからである。
 「きびしい」子育ては、子供を子供として扱う。その厳しさは、権利と義務を負う大人へと徐々に置き換わっていく。親から強制される「きびしい」から、自分自身で責任を取らなければならない、別の権利と義務へと置き換わっていくのである。親(私)はいつの日にか死ぬ。せめて、大人への道筋が楽しめるように示してあげたいと想った。

 「ぐりんぱ」へ保育園を休み三人で行った。大いに楽しんだので、帰りの車を走らせると、二、三分で二人とも寝てしまった。

 そして、数日後、まなちゃんの希望した大浜プールへと三人で向かった。大浜プールは市営の無料プールで、長い円周の流れるプールなど五つ以上のプールがある。私も私の兄妹も小学校時代から遊んだ場所で、静岡市の子供たちの夏の定番の場所なのである。たっぷりと二時間遊び、まなちゃんが「さむいから、もう上がる」と炎天下で言う程、プールに浸かった。とっくんの唇はとっくに紫だった。帰るのを決める責任を負うのは、大浜プールを選んだまなちゃんだった。

パスカルの名言
 大学時代によく解からないうちに読み終わった本を読み返している。するとある文章が心に留まった。パスカル著『パンセ』の四百八十番目の断片は以下のように書かれている。

 「手足が幸福になるためには、それらが意志を持つこと、そうしてその意志を身体に適(かな)わしめることが必要である。」

 手足とは私達人間で、身体とは神(真理)をさしている。意訳してみたい。

 「人間が本当に幸福になるためには、まず、自分の意志をきちんと持つこと、次にその意志が真理に適うようにする努力が必要である。」

 子育ての最終目標として読むことが出来る。

 「子供が本当に幸福になるためには、まず、自分の意志をきちんと持つように育てること、次にその意志が真理に適うようにする努力させる必要がある。」


 とっくんとまなちゃんは、前半の、

 「子供が本当に幸福になるためには、まず自分の意志をきちんと持つように育てること。」

 を教えていく段階にある。その具体例が、夏休みに遊び場を子供自身に決めさせることと考えた。
 それにしても、洋の東西の知の巨人が、同じような意味を述べており、驚くばかりである。有り難い気づきだった。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール
哲学(平成28年度)
科学技術者の倫理(平成28年度)
書いたもの(平成28年)
科学技術者の倫理(平成27年度)
哲学(平成27年度)
書いたもの(平成27年)
哲学(平成26年度)
「科学技術者の倫理(平成26年度)
講義録「哲学」
書いたもの(平成26年)
書いたもの(平成25年)
論文(高木健治郎の)
講義録「科学技術者の倫理」(平成25年度)
高木ゼミ『銃・病原菌・鉄』
高木ゼミ全6回『ぼくらの祖国』
教養講座6回分(平成24年度)   講義録21~
講義録「科学技術者の倫理」(平成24年度)     講義録1~15
最新記事
講義録「科学技術者の倫理」(平成23年度)
石上国語教室で行われた講演のレジュメです。哲学が足りなかったのが、福島原発事故の原因の1つではないか、と考えています。

「哲学のススメ2」レジュメ

最新コメント
カテゴリ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。