エッセイ「【随筆】 久しぶりの一人旅、聖地めぐり 」


 「テストなので水曜日はお休みでお願いします。」

 「わかりました。」

 専門学校の先生から声を掛けられ、臨時のお休みを頂きました。そこで一人旅に行ってきました。七月十二日(火)と十三日(水)です。曇りと大雨の天気でした。
 一人旅は、結婚以来ですから、六年ぶりになります。以前なら、年に一度は一人旅に行っていました。というのも、大学生の目標として「日本全都道府県に行く」を決め、実行した後も、一人旅が癖のようになっていたからです。ですから、一人旅と想いついただけで、体がソワソワ、心がワクワクしました。早速かみさんに相談ともなしに、夕食の時に話をしました。

 「さて、どこに行こうか?」

 「せっかくだから、遠くに行って来たら?」

 とかみさんが言ってくれました。有り難いことです。
 家の役割分担をちょいと前に変えていました。週に一日、子育てをしなくて良い日を作ってくれました。二週分合わせて二日間の旅行にしました。
 さて、次です。行先に迷いました。死ぬまでに一度は行きたい、と言われる善光寺、先月講演でお話した仁徳天皇陵、京都で行われている石田梅岩を受け継ぐ学問所の勉強会、などなど。大相撲の名古屋場所、金沢の世界的に有名な図書館なども候補にあがりました。
 どれも、素晴らしいのですが、しっくりきません。長年の経験からすると、自分の心の声が聞けていない時なのが分ります。心を静かにしてみました。

 「灯台下暗し」

 の諺が、ポンと出てきました。ふむ~。灯台とは何でしょうか? 家族と一緒に行くことでしょうか? いえいえ、かみさんは応援してくれています。そうか!静岡のことだ、と思いました。しかも、いつも富士で「富士論語を楽しむ会」に参加しているのに、富士をよく知らない。時折車で会に参加しても、ギリギリに到着して帰るだけでした。それがモヤモヤしているのを思いだし、富士近辺で探すことにしました。  
 訪れる先を、日蓮聖人が修行された身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ)としました。宿泊先は富士市内で探し、平垣町(へいがきちょう)のビジネス旅館「ふるいや旅館」としました。また、富士市を全景で見たいと考えました。場所を探すと、産経新聞社のネットニュースで流れていた、大瀬崎(おせざき)の神池(かみいけ)を思い出しました。今回の旅行は、富士を、静岡を知ることを目的にしました。じっくりと計画を詰め込まない、計画の消化を目的としないようにしました。二か所が決定したので以下のように計画しました。

 十二日
 午前:自宅出発
 ↓
 午後:久遠寺と山頂の思親閣(ししんか
    く)
 ↓
 夕食:富士市の「らーめん大山(たいざ
    ん)」
 夜 :「ふるいや旅館」宿泊

 十三日
 午前:大瀬崎の神池
 ↓
 お昼:お蕎麦屋さん「おもだか」
 ↓
 午後:三島のスカイウォークか沼津深海
    魚博物館

十二日のこと
 朝、子供を保育園に送った後、本を読んでいたら楽しくなって気が付くとお昼前になっていました。「いかん、いかん」と読んだ本を返すのを忘れないようにしないと、と思っていると、キラリン!! と思いつきました。「そうだ、車の中で音楽を聴こう!!」、早速、昔のCDを取り出してきて、USBに編集しました。約一時間があっという間に過ぎてしまいました。家を出たのは一時十五分。出発は、少し焦りながらでした。
 早速ナビに久遠寺を入れると、到着予定時刻は四時!! 「やばい! ロープウェイは四時半で終わりだ」と気がソワソワしてきました。時間短縮のために第二東名に乗ったのですが、テレビ番組で「新清水パーキングのポンテゲージョ」というもちもちのパンを紹介していたのを想い出し、「あーかみさんに食べさせたい」という気持ちから寄りました。結果は・・・塩が強かったです。ちょっと多めに六個買ったのですが、「五個以上は一個サービスです」と七個食べました。そのせいかもしれません。
 新清水インターを降りると、山道の国道五十二号をひたすら北上しました。この河原なら家族で遊びにきたい、など考えるのが楽しかったです。

思親閣は霧で
 思いがけず早く到着し、三時には久遠寺の山頂の思親閣行きのロープウェイに乗っていました。客が私だけで「今日はやっているのかな?」と不安になるほど、空いていました。それもそのはず、ロープウェイを降りて山頂につくと山全体に霧がかかっています。明日からの大雨を前に、天候が悪い、平日、などの条件が重なり空いていたのでしょう。かすかに身延山の門前町や富士川が見えましたが、南の駿河湾は霧の中、東の富士山も見えませんでした。北も西も霧だらけ。
 久遠寺は入口の門の大きさに驚きましたが、思親閣の入口の門をくぐると、霧が心に染み入るようでした。霧の白い静寂さが全身を包み込みました。心が澄んでくるのを実感し、門の前で静かに一礼をしました。
 日蓮聖人お手植えの杉が七百年、命が研ぎ澄まされておりました。二本の杉の間をゆっくりと階段を登っていくと、静謐(せいひつ)な世界がありました。
 華やかさや偉容さはそぎ落とされ、杉の白い肌に霧のもやもやとした涼しさが入り込む世界でした。私は、普段、人の住む世界にいます。その世界は楽しく、苦しく、悩み多き世界です。その人の世界から一気にいろいろなものをそぎ落とし、霧の世界に来られた感じがしました。

 まず、呼吸が落ちつきました。
 手を合わせてみると、全身に入っている力が感じられ、次に足から大地に抜けていく感じがしました。それでもきちんと立っていられるのは、余分な力だけが抜けていったからです。普段、どれだけ余分な力が入っているのか、に驚くほどでした。
 次に、視界が広がり、世界が明るくなりました。白い霧が私の体の中に入ってくれて、余分な力を大地に与えてくれ、光をもたらしてくれました。
 なんとも心地のよいものでした。

 二時間半もかかる山頂へ、五十を過ぎても日蓮聖人は、よく登られていたそうです。この静寂の中で親を思われたそうです。いろいろなものをそぎ落とした上で、ご両親様を想われたことでしょう。
 私はただただ、霧の音を聞いておりました。

 参詣がすむと、大きな柱に気が付きました。日蓮聖人の御母堂の生誕七百五十年記念の柱でした。インドの原始仏教では「孝」とは悩みの源であり、否定すべきものです。山頂の売店で買い求めた、鈴木修学著『無量義経(むりょうぎきょう)略義』の十九(二十五から二十八頁)に書かれています。けれども、それを日本に合うように「孝」をお入れなさったのが日蓮聖人の偉大さであると、柱をみて、つくづく感じ入りました。もし、日本人が古来より持っている「孝」の感覚を取り入れなければ、久遠寺は七百年もの長き間、保たれることはなかったでしょう。尊い聖地が続いていることに、頭が下がりました。

 山頂からロープウェイを降り、久遠寺の本堂にお参りしました。裏から無料のロープウェイがあり助かりました。修行僧が横のお堂で談笑しながら歩くなど賑(にぎ)やかに感じられました。帰りに門前町を通ると、久遠寺境内の賑やかさが、さらにごちゃごちゃして、耳が割れるほど煩(うるさ)く想われました。それは思親閣に入って体から抜けて行った苦しく、悩み多き世界に戻ったことを意味します。
 悩み多き世界からちょっとだけ遊ぶように離れて、研ぎ澄まされた感覚を持てるのが一人旅のよい所だと想い出しました。私はこの感覚を忘れていたのを思いだし、懐かしくなりました。

 来た道を戻りました。国道五十二号を南下して富士市の「らーめん大山」に向かいました。音楽を聴きながら、窓を全開にしていきました。ナビで住所を登録したのですが、どうにも到着しないこと三回、近くのラーメン屋にしようか、と何度も思いました。
 「いやいや、あのラーメン屋は静岡市にもある。富士市にしかないラーメン屋にしよう」と迷うこと三十分以上、やっと到着しました。美味しかったで~す。

旅館とはいえ
 平垣町の「ふるいや旅館」には迷いませんでした。「富士論語を楽しむ会」の会場から徒歩十分程度の場所です。なんとも嬉しかったです。しかし、フロントに行くと無口なおじいさんが座っているではありませんか。「いらっしゃいませ」も言わないのに驚きましたし、希望していた「和室ふかふか布団」のコースが「洋室が開いていますから」と勝手に変更されていました。びっくりしました。けれども、翌朝、その理由が察せられました。三十分の散歩を終えて七時ごろ、朝食を食べに食堂に入ると、二十代から五十代前後までの肉体労働者の方々が朝食を、がっつりと食べていました。部活の合宿に利用されるなど荒々しい客層のビジネス旅館だったのです。私が八時半ごろ出発しようとすると、優しい声で「昨晩は、大きなお風呂は入ったの?」と聞いてくれました。
 入口に、ところ狭しと並んでいた三十足以上の靴はすっかり無くなっていました。平日の朝、皆さん現場に向かわれた後で、おじいさんもホッとしたのでしょう。そういえば、部屋を替える理由として「隣がうるさいから」と言っていましたっけ。
 洋室は・・・でしたが、確かに静かでした。夜は、セブンイレブンの商品を外国人がランキングしていく、というテレビ番組を見ながらうつらうつら。九時か十時には寝てしまいました。
 長期滞在型の旅館で、ごはん、みそ汁お替り自由のビジネス旅館、面白い宿に泊まれました。

十三日のこと
 朝八時半に宿を出発し、富士市の海の反対側の大瀬崎へとナビを入力しました。予定時刻は十時五十分。実際の到着は、十時前でした。最初は海の香りに、おぉー、と声が出て、漁船が走っている姿に感動しましたが、一時間近く海沿いの山道を走っていると、慣れてしまいました。
 今日は午後から雨の予報で、海に靄(もや)が掛かっており、景色は期待できませんでしたが、産経新聞のネットニュースで、神池の空中からの動画が目に焼き付いていました。伊豆半島から、ポコンと米粒が飛び出したような大瀬崎は周りを海で囲まれています。その大瀬崎の真ん中に神池があり、なんと淡水だとニュースは伝えていました。どうしてそのようになったのかは、現在も不思議だそうです。伊豆の七不思議として、はたまた、大昔では土佐(高知県)で大地震があったときに、引っ張ってきたのだ、という伝説を現地で知りました。実際に、「大瀬神社」は「引手力命(ひくてぢからのみこと)神社」でした。遠くから島を手で引っ張ってきた力をお祭りする神社の意味です。

 大瀬崎に着くと、少し困りました。車で神社まで行けるのかどうか、不安になったからです。坂を下りていくと、右手に大きな駐車場があるのですが、細い道が直進できそうなのです。ただ、看板に「進入禁止、ただし業者は通行可能」と書いてありました。一旦、大きな駐車場に止めたのですが、神池までは一キロ程度歩きそうです。ここで良いのだろうか?と不安になりました。そしてまたまた、誰もいないのです。聴くことができずに、しかたなく歩くことにしました。
 進入禁止の看板を徒歩で通り過ぎると、穏やかで美しい砂浜が見えてきました。海水浴場のようですが、泳いでいる人はおらず、皆さんスキューバーダイビングの準備をしているようです。幅一メートルほどのコンクリートの道を見ると、大瀬崎の先まで続いており、鳥居が見えました。
 大瀬崎とは反対の右手側、海岸の後ろには高い山があり緑が深いです。眼前には海、そしてその先には靄が掛かっています。左川は大瀬崎の一面の緑です。靄に閉ざされた小さな山と海だけの世界に来たようでした。
 ただ、晴れたらまた、全く違う世界なのだろう、と想いましたし、家族で来るには楽しそうな所だとも想いました。

大瀬崎の神池にて
 大瀬神社の鳥居へと、トボトボと歩き出しました。右に湾曲しながら鳥居に着くと、みっちりとした森林にたどり着きました。とても海の先とは思えませんでした。鳥居の前で一礼をし、引手力命神社に参詣しました。少し高台で右手に駿河湾が見え、確かに大瀬崎が米粒の先なのを実感しました。
 階段を下り、そのまま神池の方に向かおうとすると、無人だと思っていた社務所に、なんとおばあさんが座っていたのです?! 
 声は出ませんでしたが、心の中では大声を出してしまいました。
 神池に入る料金百円、鯉の餌の料金百円を木枠の穴の中に入れました。無人ではありませんでした。
 神池には、数百匹のインド鯉(一般的な鯉)がいました。人を見ると口をパクパクさせていました。インド鯉は淡水ですから、確かに淡水なのでしょうが、念のため、池の水をなめようとしてみました。
 
 泥水の淡水でした。
 続けて十メートルぐらいのちょっとした森を抜け、外側の海の水をなめてみました。
 
 海水でした。
 しょっぱかったです。たった数十歩なのに、二つの水の違いがなんとも面白かったです。大瀬崎の先っぽに立つと見渡す限りの靄で、富士市は見えませんでした。神池を一周して、おばあさんに「ありがとうございました」とお礼を言いました。鳥居で一礼をして戻っていくと、スキューバーの練習を終えた三名が上がってきていました。浜辺にある何軒かの旅館を見て、家族と天候に恵まれた日に一緒に富士市を見たい、という気持ちになりました。
 駐車場の出口で料金を払おうと窓を開けると、ポツポツ、と雨が降り出しました。
 
 帰りの車の中でも音楽を聴きましたが、どうにも気持ちが入りませんでした。久遠寺からの帰り道では、聞き込んだ音楽が体全体に沁み込んでいくようで、大声で歌ったのです。

 大瀬崎は自然が作りし、聖地です。これ程の聖地は思い当たりません。他方、身延山久遠寺は人が作りし、聖地です。その尊さも比類なきものです。
 とはいえ、私の心の何かは、久遠寺の後で音楽を聴くことを許し、大瀬崎の後には音楽を求めませんでした。それは何であったのか、少し考えてみたいと思いました。一人旅ならではの発見と新しい課題を頂きました。

 昼食は、沼津市岡宮の「おもだか」という蕎麦屋さんでした。品の良い、見目麗(みめうるわ)しいお蕎麦で美味しく満足でした。それにしても、新興住宅地の奥まった場所にあって、ナビを使っても、また三十分くらい迷いました。どうも美味しいものを食べようとすると、迷わせらるる一人旅となりました。

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Re: 楽しく読ませて頂きました

ご指摘有り難う御座いました。
訂正致しました。

また、トランプ大統領について、丁度、同人誌に書いていたので、原稿をUP致しました。
いつも有り難う御座います。
プロフィール

    名前:高木健治郎

書いたもの(平成29年度)
哲学(平成28年度)
科学技術者の倫理(平成28年度)
書いたもの(平成28年)
科学技術者の倫理(平成27年度)
哲学(平成27年度)
書いたもの(平成27年)
哲学(平成26年度)
「科学技術者の倫理(平成26年度)
講義録「哲学」
書いたもの(平成26年)
書いたもの(平成25年)
論文(高木健治郎の)
講義録「科学技術者の倫理」(平成25年度)
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