エッセイ「【石門心学】 石田梅岩の思い出話 -問題付記- 」

 
初めに

 ミニ講演を行うために「石田梅岩の思い出話」を作成しました。平成28年7月2日に講演し、文中の思い出話を読み上げ、参加者のご意見、ご感想を伺いますと、熱心なご発言、沢山のご感想を頂きました。その熱意に打たれ、学生の心を動かすものがあるのではないか、と感じました。そこで、専門学校と国語専門塾の学生に向けて、問題を付けました。
ミニ講演では、石田梅岩先生の人となりを知って頂くのを目的としまして、専門学校では文章の読解力や相手を思いやる力を目的としました。国語専門塾では読解力や思いやる力を受験生に伝えるため、高木が問題に解説を付けました。解説は受験生向けになっております。
そのため、当の文章は三段階で作成されており、統一が損なわれている箇所があります。以上の経緯を踏まえて、お読みいただければ幸いです。

―――――以下、本文です―――――――

1.石田梅岩先生とは

 石田梅岩:貞享(じょうきょう)二年誕生、延享(えんきょう)元年没す。西暦1685年~1744年です。
     五代将軍綱吉のバブルの元禄時代からデフレの享保(きょうほう)時代を生きる。
      京都府西側、亀岡市南部の山間地出身。林業農業の家に生まれ、分家、次男。
      現在の9歳で小さな商家に丁稚(でっち)奉公、14歳で郷里に帰り、再び23歳で豪商に奉公し42歳奉公停止、その頃、初講義、60歳死去。

○ 唯一、説いた徳目は「孝」です。
○ 「明治維新の時、なぜ日本が近代化できたか?」の理由として欧米人が梅岩先生を挙げている。
○ 「どの宗教でもいいよ。心が美しくなれば」と言い切ったのが素晴らしい。(渡部昇一先生談)


2.梅岩先生の思い出話


○8歳の頃のお話:子供時代1 (梅岩先生を梅岩さんとします)

現在の8歳の頃、梅岩さんは、山へ遊びにいきました。すると、隣の山と、自分の家の山の間に栗が落ちていました。梅岩さんは、5,6個拾って、お昼ご飯に出しました。父親に「この栗を山で拾ってきました」と何気なく言いました。すると、父の権右兵衛(ごんべえ)は、「栗はどこに落ちていたのだい?」と尋ねました。梅岩さんは、「隣の山と、うちの山のちょうど境に落ちていました」と答えたのです。父は、「うちの山の栗が生えている場所からは、境に落ちていかない。けれど、隣の家の山の栗林からは境に落ちる。その栗は、隣の家の栗である可能性が極めて高い。それなのにお前は何も考えずに拾ってきたのか!」と怒りました。そして、お昼ご飯を途中で止めさせて、「直ぐに山の境に栗を持って行きなさい」と言いました。梅岩さんは「申し訳ありませんでした。」と言って、すぐに山の境に栗を戻したのです。(梅岩先生の幼年期の唯一残っているお話です。そして梅岩先生の家庭環境が伝わってくるお話です。)

 どのように想われましたか?

――――――問1、問2、問3とその解答は後付けです――――――――――――

問1 最も強く心に残った印象を、単語一語で書いて下さい。「 愛情(印象なので各人自由)    」

 理由:梅岩さんは農家の次男である。梅岩さんが地元で生きていくためには、地元の規則を守らなければ生きていけない。ましてや次男だから結婚ができない。弱い立場ならば尚更、地元の規則を順守しなければならない。そのため、幼い頃から地元の規則だけは身にしみこませるように教えるのである。厳しさは梅岩さんの将来を想うがゆえの愛情である。

問2 梅岩さんのお父さんはどういう性格でしょうか。  「 愛情深く質実剛健  」な性格

 理由:愛情深い理由は問1に書いたとおりである。質実剛健とは「飾り気がなく中身が充実したさま」を言う。子供に理由を説明しない点は飾り気がない。また、厳しさを子供に言い聞かせる強さがある。それは農家の当主としての中身が充実したさまから生み出される。表の法律では「境のものはどちらがとっても良い」というであろう。これを清規(せいき)と云う。しかし、実態に即した現場現場で替わる規則を「陋規(ろうき)」と云う。「清規と陋記」を最初に取り上げたのは、孔子である。『論語』の一節に

「私の村にはとても正直な者がいます。彼の父親が羊を盗んだとき、自らの父親を訴えたのです。」
孔子はこれを聞いて答えます。
「私の村の正直者というのはそれとは違います。父は子のために罪を隠し、子は父のために罪を隠します。本当の正直とはその心の中にあるものです。」

がある。「清規と陋記」で「陋記」を優先することが正直の根本にある、と云っています。梅岩さんの父親は文字が読めたかは定かではないですが、それでも清規よりも陋記を優先することを梅岩さんに教えました。そしてそれが農村社会で生きていくための知恵であったのです。現在日本でも、同様の話はたくさんあります。法律通りに運用しないことは、銀行、原発、警察、教師など枚挙に暇がありません。

問3 感想を1,2行で書いて下さい。

 天才や偉人の話にありがちな、「小さい頃から優れていました」という話ではないことが心に残りました。梅岩先生は有名になった後も、小さい頃を美化しなかったのでしょう。

梅岩さんの思想の土台を父親が教えられたのが推察されます。


○9歳から14歳の丁稚奉公の頃のお話 子供時代2

 梅岩さんは次男でした。当時の次男の習慣通りに父親の友人の勧めで、京都の商家に丁稚奉公に出かけました。分家は十石からという決まり、農村では勝手に商売はできない決まり等がありました。当時の習慣では、奉公先から、盆暮れに着物や沢山のお土産を持たせて里帰りをさせていました。それが半年の給料だったのです。しかし、梅岩さんは何も持たされずに父母の元へ帰ってきていました。父母や友人に不平不満をこぼすことはなかったのですが、母親が近所の手前、「どうして新しい着物をもらえないの?」と問いました。梅岩さんは、むにゃむにゃと言ってはっきりと答えませんでした。そして里帰りが終わり、丁稚先に戻ったのでした。
その後、父の友人が訪ねてきた時に、梅岩さんの話が出ると、父の友人はびっくりして、驚きました。そして友人は父親に深くお詫びをしたと言います。そして友人は「そういう仕事先は直ぐに辞めて、もっと裕福な商家で仕事をするように」と勧めたのです。父親は友人のことばを聴いて、「それなら、家の帰ってきて手伝いをするのがいいだろう」と言いました。
 家に帰ってきた梅岩さんは、9歳で家を出た時に着ていた、垢まみれで汚れた着物で帰ってきました。母親はその姿をみて「かわいそうに」と思わずもらしてしまいました(高木注:小学校3年生の服を伸び盛りの中学校2年生が着ている姿を想像してください)。そして「どうして、そんなに不自由でひどい所なのに、何も言わないで我慢していたんだい?」と聞きました。すると、梅岩さんは、「丁稚奉公に出る時に、『(実の父母から)くれぐれも、商家の主人夫婦を、お前の父母と思って一生懸命がんばりなさい』と言われたので、守ったのです。実の父母と想えば、不満があっても他人に訴えることは善くないことだと思いました。」と答えました。

感想例(高木)
 梅岩さんの父親が梅岩さんを家に戻したこと、終始梅岩さんに何も言わなかったことに、感じ入るものがありました。お父さんは友人を責めなかったのは立派です。

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問1 最も強く心に残った印象を、単語一語で書いて下さい。「  奥深い   」
問2 梅岩さんのお母さんはどういう性格でしょうか。  「  愛情深い   」な性格
問3 梅岩さんのお父さんはどういう性格でしょうか。  「  賢明     」な性格
問4 感想を1,2行で書いて下さい。

 梅岩さんを深く愛する父親の姿に心打たれました。父親はへっぽこな奉公先を紹介してくれた友人を決して非難していません。もし、梅岩さんがへっぽこな奉公先でも商人の才能があれば、自分で奉公の傍(かたわ)ら稼ぎを考え出して自分で儲けて、服やお土産を買って帰ったでしょう。現在の中学校2年生ですが、当時は早熟で結婚してもおかしくない年齢でした。現在の20歳から25歳位でしょうか。社会的に才覚が出てくる年齢だったのです。その年齢になると梅岩さんの持っている性質、性格が表に出てきます。つまり、父親は、梅岩さんが持って帰ってくる珍しい服やお土産などが目的ではなく、梅岩さんの性質、性格が現れるのを目的にしていたのです。ですから賢明な父親だと考えます。小学生3年生の服を身長が伸びている中学校2年生の姿を見て、思わず「かわいそうに」ともらす母親は、愛情深いと考えます。
ですから、①父親は梅岩さんが何も持って帰らないことを知りながら文句を言いませんでした。ですから、②友人に勧められた次のお金持ちの奉公先を断ったのです。ですから、③父親は梅岩さんを農家に戻したのです。梅岩さんが商人の利発さよりも、父親の言う道徳を優先して生きる生き方しかできないことを、6年間の奉公で知ったからです。
「子供は親の道具ではない」とよく言いますが、子供が大学受験に向いているかどうかを親は考えて、試してあげているでしょうか。私は息子が成長していく時に、梅岩さんの父親のように試さなければならない、と教えていただきました。父親の愛情の示し方の手本として、この話を読みました。同時に、学生の皆さんに接する時、梅岩さんの父親の目を持って接したいと、この話を読みました。
普通ならば、子供がアルバイト先に言って、時給800円と云いながら6年間もタダ働きさせられていたら、父親として文句の一つも言いたくなるでしょう。


○豊かな時代の着物のお話:青年時代1

 23歳から再び奉公に出ましたが、裕福な商家でしたし、丁度バブルのような豊かな時代となっていました。重役(番頭)に出世していた梅岩さんは、ご主人のお母様に聞かれました。「お前は、番頭さんなのに、どうしてみすぼらしい縮緬(ちりめん)の羽織(上着)を着ているんだい? みんなは上等な絹の羽織を着ているというのに」と。すると梅岩さんは、「それについては気が付いているのですが、私には1枚しか上着が無いのです。買い替えると余分にお金もかかりますから、申し訳ないのですが、そのままで来てしまいました。」と答えたのです。ご主人のお母様は、「それなら、そのみずぼらしい羽織も、上等な絹の羽織と同じですね」と認めて下さったのです。

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問1 最も強く心に残った印象を、単語一語で書いて下さい。「  充実   」
問2 主人のお母様はどういう性格でしょうか。     「 心豊かで寛容 」な性格
問3 感想を1,2行で書いて下さい。

 何とも心温まるお話です。偉大な石田梅岩先生が御独りで思想を打ち立てたのではなく、周りの方々からたくさんの恩恵を受けられたのを教えてくれるお話です。

以下は、学生の皆さんに向けての言葉です。
読み取るポイントは「1枚しか」です。
お母様は問われたのは「あなたの格好(羽織)は、ビジネスシーンに合っていませんよ」という意味です。現代で言えば、大学受験の面接で学生服を着なければならないのに、私服で受けるようなものでしょう。それを頭ごなしに全否定しないで、理由を尋ねる処にお母様の心の奥行きが読み取れます。これに対して、梅岩さんは、「ビジネスシーンに合っていないのは理解しているのですが、1枚しかないので申し訳ありません」と答えています。ここで読み取ってほしい2点があります。あるいはもう1点。

① もし2枚以上持っていれば、ビジネスシーンに合わない服を着ていることの言い訳ができない
私服も持っており学生服も持っているのに大学の面接に私服を着ていくことは避けなければなりません。しかし、学生服を破いてしまうなどで着られない状況なら、私服でも許されることになります。

② 次に梅岩さんが買う服装は必ずビジネスシーンに合う服であること(上等な絹の羽織を買うこと)
言葉として書かれていませんが、「買い替えると余分にお金もかかりますから」とあります。つまり、次は上等な絹の羽織を買うことを意味しているのです。お母様はこの言葉を聞いて、言葉として書かれてない内容を読み取って、安心され、「むしろ、その節約の心がけ」をほめて下さったのです。

③ もう1点付け加えれば、梅岩さんの出世の早さについて梅岩さんとお母様で共通の認識があった、という点も読み取れるようになると素晴らしいと思います。紹介文の「再び23歳で豪商に奉公し」と「五代将軍綱吉のバブルの元禄時代からデフレの享保(きょうほう)時代を生きる。」からの推測が必要です。その意味で難しさがあります。具体的に言えば、紹介文を読む時に「梅岩さんの若い頃はバブル、40歳ごろからデフレだったのだ」ぐらいの認識を持てたかどうかに掛っています。この点が頭に入っていると、梅岩さんが少なくとも30歳くらいまでには番頭(重役)に出世していたのが推測されます。その出世の早さによって、手代さんの時の縮緬の羽織が、番頭さんの時に合わなくなった、という現象が起こったのです。

 最後に、お母様は年をとっても頭ごなしに決めつけず、人を責めずに、ましてや奉公人を大切にした人だったのです。心掛けを大切にするお母様の姿勢に包まれて梅岩さんは、ご自身の思想を育てていくことができました。この話は、偉大な石田梅岩先生が御独りで思想を打ち立てたのではなく、周りの方々からたくさんの恩恵を受けられたのを教えてくれるお話です。お母様の心の豊かな寛容の精神が伝わってくるお話でした。


○豊かな時代の生き方のお話:青年時代2

 同じバブル時代でした。梅岩さんは、ゴミ箱に紙ごみは入っているのを見ると、黒ずんだりゴミのように汚れたりしていても紙ごみを取り出し、紙のリサイクル箱にいれました。
また、当時は野原などで大小便をするのも当たり前でした。しかし、梅岩さんは30年間、なるべく厠(かわや:トイレ)で用を足すようにしました。外出して厠がない場合は、田畠の中で用を足したのです。というのも、大小便を肥料にしたいと思っていたからです。梅岩さんはリサイクル箱に入れるのはお金を稼ぐためではなく、「利用できるものが捨てられることを何とも思わない心を身につけたくないから」と言っています。「身分相応の倹約です。」という言い方をしています。ちなみに、自分の才覚でお金を節約して大金持ちになろう、というのは井原西鶴です。

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問1 あなたはどういうお金の使い方をしていますか?

 私は結婚前には、ゲームセンター、カフェ巡り、一人旅、バスケなどにお金を使っていました。例えば、全都道府県に旅行した後も雑誌で見た京都のカフェに新幹線で行ったこともありました。しかし、結婚をしてゲームセンター、カフェ巡り、一人旅、バスケなどは全て止めました。ただ、本や漫画には依然お金をかけています。お金の使い方は、人生を決めます。大学に入り、「100万円の車を買っても大したことはないが、100万円分の本を読めば大したことはあるぞ」と父親に言われて、「その通りだ」と思いました。そこで「1年間に本を100冊読む」と決め、6年間実行しました。最初は苦しくで仕方がなかったのですが、なんとか完遂できました。また、受験の合否、恋愛、結婚、出産などは自分だけでは決められない、どうしようもない要素が入っています。その自分だけでは決められないものに取り組むのが人生なのです。しかし、お金の使い方は比較的自分だけで決められます。その意味でとても大切だと思います。
 さても、平成28年7月に、お金の使い方を少し変えました。結婚以来、7月12日、13日に一泊の一人旅を6年ぶりにしました。同じく6年ぶりにバスケを8月から再開します。
 大学入学も一つのお金の使い方です。そういう見方でも考えてみてください、「なぜ、勉強するのか」を。

問2 感想を1,2行で書いて下さい。

 生活習慣の心がけが、「心の美しさ」を大切にしていることが実感できる御話であった。リサイクルをする際も、「心の美しさ」を含む「もったいない」も大切にしていきたい。

 石田梅岩先生の偉大な処は、「お金になるかならないか、ではなく、心の美しさが大切である」と言い切った点にあります。毎朝、熊野神社に子供3人と参拝しますが、道路を掃いてくださっているご老人を見かけます。「お金になるから掃いているのではなく、家の前を通る人が気持ちいいと嬉しい」というお気持ちからだと推察します。これこそ「心の美しさが大切である」という意味だと思い、深く尊敬しております。あるご老人は、「毎日の習慣ですから」と少し恥じ入るように言われました。「自分が偉いことをしている。世の中に役に立っているぞ」という傲慢な気持ちがないのです。子供たちには必ず「おはようごさいます」と私と一緒に挨拶をさせます。挨拶をしないと注意をします。まだ、子供たちにはその意味が判らないでしょうが、大きくなったら話すつもりです。
また、「日本に来て驚いたのは老人が朝、家の周りを掃いていることだ。エジプトでは決してない。だからエジプトは日本に負けるのだ」という記事を読みました。ここ2,3年の「日本は凄いぞ!」というTVやマスコミの記事が出る前で、確か10年以上前に読んだ雑誌「ニューズウィーク」の記事です。石田梅岩先生の思想が日本人に行き渡ったのが判る記事でもありました。
以上の内容は、学生の皆さんにお伝えし、人生の中で考えてもらいたいことです。「なぜ勉強するのでしょうか?」その答えの1つがあるように考えます。

○ご自身の先生と対話のお話:中年時代1

 梅岩さんは35歳ごろ、初めて自分の先生に出逢います。小栗了雲(おぐりりょううん)先生です。了雲先生は気難(きむずか)しい面もありましたが、いよいよ死が近づいた時、御自身で註(ちゅう)を加えた全ての本を「梅岩に譲る」と言われました。しかしながら、梅岩さんは「辞退いたします。」と答えました。了雲先生が驚いて、「なぜか?」と問うと、「私は何か疑問に思うことや、大変なことに出会ったら、その都度、勉強を致します」と答えたのです。その答えに了雲先生は、にっこりとほほ笑まれました。
 
問1 了雲先生の「にっこりとほほ笑まれました。」の意味を説明して下さい。

「安心して死ねる」の意味で「にっこりとほほ笑まれました」のです。
 学生の皆さんの多くは「自分が死んでこの世から消え去ってしまうことに恐怖」を切実に感じていないでしょう。時々「あと3日の命と言われたら?」という問いが流行っては消え、流行っては消えるのも切実さがないからです。まったく何も見えなくなり何もできなくなる、そう考えた時、人は何を思うでしょうか。キューブラー・ロスは、人には死を受け止めるに過程があり、「否認→怒り→取引→抑鬱(よくうつ)→受容」という道程がある、と述べました。
 了雲先生は「俺の本を梅岩にやるから俺の魂は死なない」という取引の段階にあったのでしょう。
 しかし、梅岩さんは「本は要りません。しかし、先生の教えを受け継ぎます」と言い切りました。
 それを聞いて了雲先生は「にっこりとほほ笑まれました」で死を受容したことが判ります。
 取引→受容、がこの話なのです。

 少し補足が必要でしょう。
死を間際にして人間は何を伝えたいでしょうか。本が有名になることでしょうか? つまり知識でしょうか? いいえ違います。知識ではなく心の教えなのです。
 私が静岡学園高校で物理を教えている時に実感したのは「教科書の全ての知識は教えられない」ということです。授業準備で使用していた数冊の教科書と数冊の問題集の全てを、決められた時間で伝え、教えることができませんでした。知識を教え込むことの無理がよくわかりました。そこで力点を変えました。「物理の楽しさ、素晴らしさ」も教えるようにしたのです。「物理の楽しさ、素晴らしさ」を知ってくれれば自分で勉強していきます。そしてそれは彼の人生の中で大きな宝物となるでしょう。
その大きな宝物を受け取りましたよ、という梅岩先生の台詞が「私は何か疑問に思うことや、大変なことに出会ったら、その都度、勉強を致します」なのです。教師が子弟(学生)に教えられる最高のものは、この宝物なのです。この宝物を教えることを「徳育(とくいく)」と言います。知識を教えること、つまり、国語数学理化社会英語などは「知育」、体の動かし方を教えることを「体育」と言います。合わせて「三育」と言います。残念ながら現在の道徳の授業では「徳育」には程遠いですが、素晴らしい先生が個人として教えて下さっていると聴きます。聴くたびに嬉しくてたまらなくなっています。梅岩先生のお話もそのように読みました。


○講演でのお話:中年時代2(講演をなさるので梅岩先生に戻します)

 梅岩先生が、講席(こうせき:講演)を42,3歳の頃、始められました。家の前に

「○月○日開講です。入場無料、紹介は必要ありません。誰でも自由にお聴きになれます。どうぞ御遠慮なくお聴きください。」

 と紙に書いて張り出しました。しかし、梅岩先生は誰かに学問を習った訳でもなく、支援してくれる人も全くいませんでした。初日は誰も来ませんでした。二日目は本を置く台に向かって話をしました。三日目になって、外からこっそりと覗いている、肥溜(こえだめ:大小便入れ)を棒で担いでいるお百姓さんを見つけたのです。梅岩さんは、強引に中に入れて講演をしました。その後も、聴く人は少ないままでした。その後、聴講する人が増えていきました。それでも、門人(もんじん:弟子)が一人しかいない時がありました。その門人が「今日は私しかいませんから、休講にしませんか?」と言うと、「いやいや、今日は本を置く台を相手に話をするつもりだったのです。だから、あなたが一人でも聴いてくれるのなら、嬉しくてしょうがない。」と答えて、講演を始められたそうです。

――――――――
問1 梅岩先生は講演の際に何を大切にしていましたか? 単語一語で書いて下さい。[  喜び  ]
問2 あなたが授業を聴く際に大切にしていることは何ですか? 1,2行で書いて下さい。

 私が授業を聴く際に大切にしているのは、ノートの取り方です。私は自分の考えを洗練したいので、ノートの取り方を判り易く、講義内容等は左に、論文のアイディア等を右に書いています。

もう少し具体的に言うと、ノートの左側に、板書のみならず先生の口頭のお話を全て書き留めるようにしています。そして右側に、書き取りながら疑問に思ったこと、調べなければならないこと、自分の知らなかったこと、などを書いていきます。右側を後から見返すと、自分の論文やレポートのアイディアが浮かんでくるのです。私は自分の考えを洗練したい。その目的に合うようにノートの取り方を工夫しています。

 次に、この話の解説に入ります。

 このお話を読み解く単語は「嬉しくてしょうがない」です。「嬉しくてしょうがない」から、誰も居なくても講演をされる。「嬉しくてしょうがない」から、肥溜めの臭さも気にならないのです。
 では、なぜ「嬉しくてしょうがない」のでしょうか? 
これまでの問題から梅岩先生の経歴、お考えが読み取れたことしょう。そして紹介文に「42歳奉公停止、その頃、初講義」とあります。江戸時代の42歳は現在の60歳位です。やっと引退をして自分のやりたかったことに熱中できる、その喜びに溢れていたのです。それが爆発しました。
 皆さんは、人生をかけてやりたいことはあるでしょうか? それは「やらなければ死んで後悔する」というものです。時々、そういうことがあります、という人に出会います。しかし、その人の生活態度を聴いてみると「全然それに向かっていないこと」もよくあります。
「海外にいきたいんです。広い世界を見たいんです」と放言しておきながら、本を読まない、言語を勉強しない、国際交流センターなどのイベントに参加しない。していることと言えば、「映画を見る。各国の料理店でご飯を食べる。バーや居酒屋などで外国人と会話する」などです。それでは広い世界を見ることなどできません。楽しいと感じることをやっているだけなのです。
「やらなければ死んで後悔する」と思い込んでいれば、暇な時間にはそれに打ち込んでなければ居られないものです。梅岩先生は商売人としてきちんと朝6時から夜8時まで勤務しました。夜8時から午前2時まで、朝も早く起きて5時から6時頃まで計7時間、勉強したと言います。
私は先生の立場として、学生の皆さんに同じように勉強をしなさい、と言わなければならないでしょう。そう言われると学生の皆さんは、「嫌だなぁ。無理だなぁ。また無茶苦茶いっているよ。」と思うでしょう。私も高校生の時、そう思っていました。
ただ、同じ勉強をするにしても、苦しく感じてない人がいることを知って欲しいのです。自分の将来への志(こころざし=心指し=心の指針を立てること)を定めると、苦しいだけの勉強も自然と体が動き出すようになる、ということです。そしてそれは、人間に生まれないと感じられない深い喜びなのも知って欲しいのです。
梅岩先生が誰にも認められなくても講演をしたのは、自分の志を成し遂げられる喜びからで、「嬉しくてしょうがない」からなのです。


○御自身の生き方のお話:中年時代3
(お話は晩年のお話ですが、お心掛けは中年期なのでそのようしました。)

 晩年の梅岩先生は、二冊の本を出され有名になりました。すると、梅岩先生の生きざまを直接見ていない人々、例えば熊本県などの人々が訪ねてくるまでになったのです。その一人、若い武士の行藤(ゆきふじ)さまは梅岩先生に問いに来ました。

行藤さま「梅岩先生が妻を迎えることがないのは何故でしょうか?」
梅岩先生「私は道を広めようとしています。妻子に心ひかれて不十分になるのを恐れたのです。」
行藤さま「妻子と共にあるのは確かに大変ですが、その大変さを引き受けてこそ道なのではないですか?」
    「先生は正しい道を説きながら、御自身では道に反する人生なのではないでしょうか」
梅岩先生「妻子と共に正しい道を行えるのは、孔子の最高の弟子である
顔回(がんかい:顔淵[がんえん]とも言う)くらい優れた人でしょう。私にはとてもとても・・・」
    「また、私には兄がいて、甥もいます。ですから、先祖のお祭りを絶やすことはありません。」
    「加えて言えば、道を広めることに加えて、子孫に祭ってもらうのを願うのは贅沢なことだと思うのです。」

行藤さまは感服されたそうです。

――――――――
問1 なぜ、梅岩先生に結婚のことをお聴きになられたのでしょうか。行藤さまの内面を説明して下さい。

 行藤さまは、ご自身の結婚で悩まれていたので、梅岩先生のお聴きになられたのでしょう。

 この話を読み解く単語は「熊本県」です。震災に見舞われた熊本県ですが、梅岩先生の住む大坂(現在は大阪)までは船で30日から40日は掛りました。船なので風の向きでかかる時間が変わります。その日程を掛けてわざわざやってきて質問を投げつける、いわんや、梅岩先生の生き方を否定する意見をぶつける、これは失礼なことです。しかも、先生に対して、しかも、年長者に対して、しかも、初対面で、です。しかも、結婚という個人的な問題にまで踏み込んだのです。大変失礼です。すぐに追い返してもおかしくはない態度です。まず、そこに気がついてください。気がつくためには自分自身として考える想像力が必要です。梅岩先生は、その大変失礼な問いを払いのけずに、誠実に答えられています。なぜなら、梅岩先生は行藤さまの問いの真剣さを感じ取ったからでしょう。そこに梅岩先生の教育者としての偉大さがあります。

 もし、高校生の皆さんが、バイト先で初対面のお客さんに
「お前は高校生なんだから何でバイトをしているんだ。勉強しろ!!勉強を!!」
と失礼な意見をされたらどうしますか?

「ああ、このお客さんは無礼だなぁ。無視しよう。早く帰ってもらおう」と思うでしょうか。梅岩先生は「どうしてこのお客さんはこんなに無礼なことを言うのだろう」と考えました。そしてきちんと自分の考えを伝えられたのです。

 「私はまだ未熟ですから社会経験を積みたいと思いました。また、大学に行きたいので学費を稼ぎ親を助けたいと思ったのです。」

 高校生(あるいは卒業した)の皆さんは、「あなたは○○高校だからダメなのよ」と言われたことはありませんか? 同じく失礼な問いですが、同じようなことは社会に出れば沢山でてきます。「なんで結婚しないの?」、「子供はまだ?」、「どうして就職しないの?」、「お前はこれに向いているんだから」などなど。実際に私に投げかけられてきたことばです。
 では、その失礼さに怒りを感じていいのでしょうか? 無視していいのでしょうか?
 梅岩先生は、「どうしてそのようなことを言うのか相手を知りなさい」と教えてくれます。

 ここからは私の推測になります。
 行藤さまは、熊本県で結婚話が出ているのでしょう。多分、自分の家よりも大きな婿養子の話でしょう。道徳心の強い行藤さまは「財産のために結婚していいのだろうか?」と悩んで悩んで答えが出ずに、梅岩先生の本を読み、その疑問をぶつけにきたのでしょう。梅岩先生は「自分の家の先祖の祭り(お墓参り)のこと、大きな財産を得ること、を気にしないで、道を広めること=武士では民のためになる仕事をしなさい」と答えられたのです。つまり、梅岩先生が「自分が結婚しない理由」を語っていますが、本当は行藤さまに「結婚しなさいという理由」を教えているのです。
表面上、行藤さまは大変失礼な発言をなさいました。しかしながら皆さんの周りでも同じように無礼なことないでしょうか? 武士という偉い立場にあると、「教えて下さい」となかなか言えないのです。行藤さまはまだ若いのです。でも、聴きたい。聴きたくて30日も40日も胸に秘めて梅岩先生に逢いにきたのです。しかし、梅岩先生を問い詰めるように聴く形になってしまったのです。男性ならそういうやせ我慢な態度をとることはよくあります。父と息子の対立として文学作品でよく取り上げられています。また、恋人や妻にも同様のことをしてしまいがちです。「恋人なんだから「好きだよ」と言わなくても良いだろう。付き合っているだけで伝わるだろう。察してくれよ。そのくらい」という台詞、「結婚して生活費を渡しているんだから、どんなに愛しているか解るだろう? 「愛してる」なんて恥ずかしくて言えないよ」という台詞などです。男性の皆さんは、察してくれよ、判るだろう、では女性に伝わりにくいので要注意です。女性には、男性にお情けを頂きたいものです。
余談はさておき、梅岩先生が結婚しない理由を、私が意訳してみましょう。

「『一を聴いて十を知る』という優(すぐ)れた顔回ならば、財産のこと、結婚のこと、仕事のことなど全てできるでしょう。しかし、わたくし、梅岩にはできなかった。だから、あなたも自分のできること=仕事だけに打ち込みなさい。財産や結婚のことなどは、一人で悩まずに周りの人にお任せしなさい。」
 
 梅岩先生の答えから、行藤さまの悩みを推測してみました。

 相手がどうして失礼な行動をするのか?というのを考えるのは、人間関係を作る上で大切です。現代の言葉でいえば、コミュニケーション能力がある人になってください、になるでしょうか。それにしても私はかみさんならば、二時間の話に「うんうん」と聴くことができます。けれど、突然やってきた見ず知らずの人に、このように丁寧にお話を聞くことなど出来ないでしょう。まだまだです。

○御自身の日常生活のお話、老年期の話1

 梅岩先生は、終生独身でおられたので、薪(たきぎ)を割り、水をくむ下男を1人召しておりました。というのも、晩年になって足腰が弱くなっても、ただお一人で全ての家事をなされていたからです。弟子達が気の毒に思い、お世話をしました。しかし、この伝助、ふらりと外へ遊びに行く癖があり、留守番さえ十分にできません。梅岩先生は不満をこぼされませんでしたが、弟子たちは気がついて、もう少し真面目な下男をお勧めしました。次の下男は、人柄は柔和でしたが、少し知能が弱く、ひとりで帯を結ぶことができませんでした。梅岩先生は毎朝、下男の帯を結んでやりました。冬になると足には沢山の皸(あかぎれ)が切れました。梅岩先生は心を痛めて、薬(や薬の代わりに飯)などを塗ってやりました。下男として召したのに、返って梅岩先生の手をわずらわせたと弟子たちは暇を出しました(辞めさせました)。その後は、梅岩先生の希望通りに、下男を召すことはなかったということです。

 付記:梅岩先生の日常生活は質素すぎる程で、弟子たちがあれこれと気を使ったそうです。現在残っている手紙の多くは、弟子たちからの食べ物や贈り物に対するお礼状だそうです。

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問1 梅岩先生はどういう性格でしょうか?「 一意攻苦(いちいこうく)    」な性格

 「一意攻苦」:四字熟語。心を打ち込んで、苦しみながら1つを考えること

問2 梅岩先生にとって家事はどういう意味があるでしょうか。一語で書いて下さい。[修身(しゅうしん)]

 「修身」:自分の行為を正しくし,身を修め整えること。現在の「道徳」の科目。
旧制の学校の道徳に関する教科の名称。国民道徳の実践,徳性の涵養を目的とした。

問3 感想を1,2行で書いて下さい。

 禅僧が「働かざるもの食うべからず」の精神で働きます。幾ら年老いようとも玄関掃除や食事作りなど日常の家事を、仏に至るための修行としており、梅岩先生はその御心で家事に取り組まれた。

 この話を読み解くポイントは「不満をこぼされませんでした」です。梅岩先生ではなく、「弟子たちは暇を出しました」も同じです。梅岩先生にとって、家事は禅宗の僧侶と同じく、正しい道を広めるために必要なことなのです。ですから、伝助が居なくとも不満に思わず、知能の弱い下男が家事を増やしても不平をこぼされなかったのです。この境地に至るのは中々難しいことです。境地に至るのは難しくとも、そのように考えている人がいるのを知ること、そのような考え方があるのを知ること、がまずもって大切です。インドのマザー・テレサなども同じ境地に至った人です。「もっと貧しい人々の側にいる」という決意を持って、ホスピスや孤児院などを設立し身を捧げました。
 梅岩先生は、独身で通されました。しかし、弟子たちの助言を善意として受け取り、自分の生き方を変えました。よく年老いると頑固になる、と言います。現在では若い頃からの性格が現れるだけであると解釈されていますが、自慢話をする老人、説教老人などがいます。梅岩先生は晩年、ご自身の御志を遂げて本を出版され、学習塾も開講されました。有名な弟子もあり、弟子も何十人何百人もいました。しかし、驕ることなく弟子の善意を信じ受け入れたのです。

 梅岩先生にとって家事が修行と言いました。それは自らの驕りを捨てる手段であり、心が美しくあるために必要なものでした。弟子たちへの膨大な手紙でも裏付けられます。私も先生の立場にあり、学生さんからお菓子をいただくことがあります。「ありがとうございます」の一言で済ましてしまいます。
 しかし、梅岩先生は、いちいち御礼状を書いたのです。日常の食べ物であっても疎(おろそ)かにせずきちんと手紙を書いたのです。そういう心境を持っている人がいたのです。現代では鍵山秀三郎先生がそうです。タイヤやカーナビなどの自動車部品がいい加減に売られていた時代に、イエローハットを起業されました。「理想の会社像を追求し凡事を徹底せよ」の合言葉に、社長自ら草むしりをし、沖縄をはじめ全国の小学校などのトイレ掃除をされています。素手でされます。私はある勉強会で鍵山先生が沖縄について書かれている記事を読み、「いつでも資料を差し上げます」とあり、お手紙をしたためました。するとすぐに、二十頁以上の新聞記事を含む資料と御著書2冊が贈られてきました。私は大変驚き、返信をどうしたらよいか悩み、資料と御著書の1.5倍程度の図書券数千円分を入れて返信しました。後で知ったことですが、鍵山先生は年間三万近い手紙を書かれているそうです。また、鍵山先生は、

「草を抜くときも、草一本一本が違います。その違いに心を動かして抜くと、抜けた跡が全然違うんですよ」

と書かれていました。梅岩先生も家事をする時に、このお皿はどうやったらきれいに洗えるか、を1つ1つ考えてなさったことでしょう。それが「心を美しくすること」であり、家事を修行と言う意味内容だと思います。そういう心の動かし方があることを知ってもらえれば幸いです。


○貧しい人に対してのお話:老年期の話2

 56歳の頃、お住まいの京都は不作になり、米の値段が高騰しました。貧しい人々の中に飢え死にする人々も出てきました。その様子を見聞きして、梅岩先生はお米やお金を集められ、12月28日から毎日場所を変えながら、食べものを与えだしました。年が明けてから、梅岩先生たちを見習って、食べ物を与える人が出てきました。梅岩先生の死後、弟子たちが飢饉のたびに、お粥などを与え続けたのです。その後京都では、被災者を救済する「民間救恤(きゅうじゅつ)事業」が根付いていきました。また、京都で大火事が出た時も、罹災者のために急いで、おにぎりを先生ご自身で握って与えられたそうです。

―――――――
問1 感想を1,2行で書いて下さい。

 梅岩先生の握ったおにぎりを食べてみたいです。よっぽど美味しいのだろうと思うのです。

 このお話は読み解く必要はありません。梅岩先生が現代で言う「災害ボランティア」をなされたのが判るお話です。おにぎりを食べてみたい、と思うのは、青森県弘前市の麓(ふもと)に「森のイスキア」という安らぎの家があります。心を病んだ人、体を病んだ人がやってきて、佐藤初女(はつめ)さんのおにぎりを食べるという家です。
 佐藤さんが静岡県ボランティア協会主催の「ケアする人のケア」というテーマで講演されました。「おにぎりを作る時、その材料はどのタイミングで料理すれば最も美味しいかを考えて作るんです。その瞬間は食べ物が光り輝いているんです」と仰られていました。
 私は佐藤さんのおにぎりを食べてみたい、と思ったのです。そして今回のお話を聞いて、佐藤さんと梅岩先生の心の動きは同じだと感じました。ですから、梅岩先生のおにぎりはさぞかし美味しいのだろう、と感じたのです。鍵山先生が「草一本一本違うのです。」と仰られるように佐藤さんは「御米1粒1粒が違うのです」と仰られ、その一粒一粒の最も美味しい時を「光り輝く」と表現されたのです。
 また、佐藤初女さんは、夜中に電話があると、飛び起きる。寒い夜に扉をたたく音がすると、どきっとする。「最初は戸惑ったけれど、「イエスさまがいらっしゃるのだ」と思うようになりました。」と仰られた。この話を聞いて、先ほどの下男の話を思い出しました。梅岩先生は二人の下男を、お仏様と思って接したのではないでしょうか。ならば、不平不満が出るはずがありません。

○普段の何気ない暮らしぶりのお話

 梅岩先生は、普段の生活をとても大事にしておられました。以下のようなことを言われていました。

イ)外出や旅行では行き先を教えておけば家族が安心する、から仁(じん)です。さらに帰り道も伝えておけば、何か心配ごとがあった時に迎えに行く人と行き違えない、から仁です。仁は大変難しいので、普段から心がけて何気ない行動を大切にしましょう。

ロ)傘には印をつけておくのもよいですが、きちんと名前を書く方がよいのです。名前なら100人中100人が判ります。けれど、印やマークでは100人中90人は判らないでしょう。誰のだろう?と発見した人の心を煩(わずら)わせて(使わせて)しまうのは、仁ではないのです。

ハ)街中で道を歩くには、誰でも日陰を歩きたいものです。だから、夏に私は、人の歩きたがらない日向(ひなた)を歩くようにしています。同じく、冬に日陰を歩くようにしています。

 なかなか堅苦しい、窮屈なお話です。しかし、梅岩先生は、40歳を過ぎる頃に、あまり気にならなくなったそうです。

――――――――
問1 感想を1,2行で書いて下さい。

 「おもてなし」という言葉を思い起こしました。実際に実行するには大変な苦労を伴いますが、20年以上続けられた40歳すぎにはあまり気にならなくなったそうです。「一意攻苦」を思い出しました。

問2 全ての思い出話を読んで最も心に残ったことは何ですか? 1,2行で書いて下さい。

 鍵山先生の「凡事徹底」と梅岩先生の「心を美しくする」が共通していることが最も心に残りました。日々毎日、家事、勉強、全てのことで「心を美しくする」ようにしていきたいです。

問3 全ての思い出話の感想を書いて下さい。

 梅岩先生の思い出話ですが、梅岩先生の心の動きが読み取れました。先生ご自身の主張や思想にはまだまだ踏み込めていませんが、お心持には少しだけ近づけた気がしました。

 如何でしたでしょうか。以上が、石田梅岩先生の思い出話です。
 次回は梅岩先生と門人たちが実際に話し合われた内容を取り上げたいと思っております。
(最終校正 平成28年7月6日)
(解答例(高木)記入 平成28年7月25日)

―――――――以上が、思い出話、問題、解答を付けた内容です―――――――
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