エッセイ「 【孝考】親孝行、東洋と西洋の違い 」


 親孝行、なかなか難しいことです。四十を超えて親の介護が見えてきました。親孝行とは何だろうか、親孝行はどうしたら良いのだろうか、と考えるようになりました。人生の課題として頂けるようになりました。今回は、身近な親孝行を、東洋と西洋という広い範囲で見てみたいと思います。遠くから眺めると、意外と発見があるかもしれないと思うからです。

きっかけ

 親孝行を考えるきっかけを頂きました。月刊誌『致知(ちち)』を勉強する「藤枝木鶏クラブ」で、ミニ講話のお時間を下さったのです。初回は『孝経』の内容、二回目に「東洋の親孝行と西洋の親孝行」の話を致しました。A4で五頁のレジメを発表し、クラブ員の皆さまが沢山の感想やご指摘、ご意見を頂戴しました。こうした経緯が今回のきっかけとなりました。また、レジメを文字起こしして書いていきます。

東洋の親孝行とは

 東洋と言いましても、実際には中央アジアは含まずに東南アジアや東アジアを差します。主に漢字文化圏と重なりますし、『孝経』の影響を受けた地域です。
 すると東洋の親孝行は以下の三つになります。

東洋の三つの親孝行の図

 ①親孝行 =実の親だけ :日常生活(この世)
 :「親から受けた恩を返すこと」 

 ↓ 時代が広がる

 ②親孝行 =先祖も大切に:お墓参り(あの世)
 :「先祖がいたから親がいる。その恩を返す」

 ↓ 社会に広がる

 ③親孝行 =社会の人も大切に:政治哲学
 :「親への恩義を社会の人々にも」


 それぞれについて説明を加えます。

具体例①庶民の孝「親から受けた恩を返すこと」

 洋の東西を問わず、子供は親から食糧、安全などを受けて成人します。その恩も当然、時代や地域を超越して見受けられます。『孝経』では第六章に記述があります。加持伸行著『孝経 全訳注』 講談社学術文庫を元にして意訳します。

 第六章 庶民の孝

「お天道様に感謝し、よく働き、分をわきまえて始末を忘れないようにして、良心を大切にするのが、一般庶民の親孝行です。」

 日々の生活の中で、太陽への感謝をし、謙虚さを忘れず、周りの人々と協調していくことが親孝行である、という意味で当たり前といえば当たり前です。
 インド北部で誕生した仏教が中国(China)に根を下ろす時、庶民の孝を取り入れました。というのも、仏教には庶民の孝がなかったからです。仏教と庶民の孝(儒教)を融合させる本が数々制作されました。その一冊が、
 『仏説父母恩重経(ぶっせつふぼおんじゅきょう)』です。釈迦が親子の恩(庶民の孝)を大切にするように弟子に説く場面などが書かれています。その根拠として「親から受ける十の恩」の説明があります。

 一、十か月身ごもって下さる恩
 二、出産の時に母親が苦しむ恩(死ぬ危険を引き受けて下さる恩)
 三、出産した直後に、母親が出産の苦しみを忘れて下さる恩
 四、美味しいものを子供に食べさせ、不味いものを親が食べて下さる恩
 五、子供が寝小便をした布団に親が寝て、綺麗な親の布団に子供を寝かして下さる恩
 六、母乳で育てて下さる恩
 七、大小便を洗って下さる恩
 八、子供のためには、悪いことを引き受けて下さる恩(地獄に落ちてもいいと覚悟して下さる恩)
 九、子供が遠出などの時、帰りを心配して下さる恩
 十、最後の最後まで子供を想って下さる恩

 以上の十の恩を親から受けるので、親孝行をしなさい、となるのです。ちなみに、インドで仏教が消えてしまった理由として数々の指摘がありますが、あまりにも親子関係からかけ離れて実感がなくなり、学問としてしか残らなかったから、という指摘があります。親子関係を悩みの元、苦しみの元で縁を切らなければならない、という仏教は、庶民の孝がないから衰退したのかもしれません。十の恩を親から受けると言われると、なるほどなぁ、と納得するのです。

具体例② 諸侯の孝 「先祖から受けた恩を返すこと」

 親からの恩は実感を持つものです。この実感は親の親、祖父母にまで広げても実感は持ちやすいものです。この方向をさらに押し広げて、親の親の親の親の、と過去へと広げる孝があります。親孝行を基本とし、時代を遡(さかのぼ)るのです。さらに、時代を進めて、子孫のために、という考え方も出てきます。『孝経』に諸侯の孝があります。

 第三章 諸侯の孝

 「地位が上の人が下の人を人間として待遇すれば、高い地位でも安定します。礼儀も正しく行われるようになります。こうして政治や財政が安定することで、先祖のお墓(祖廟:そびょう)を続けることが出来るのです。これが大名や王様の親孝行です。」
 
 諸侯とは、周王室を支える大名のことです。江戸幕府は徳川家を中心にして三百を超える大名がいました。周王室は百以上の国の王様(諸侯)が支えていました。つまり、上に周王室があり、その下の大名のような地位だったのです。「御家が大事」と言いますが、同じだったようです。「御家を大事にするためには何が必要か?」と考え、「下の人々を人間として大切にする」という結論に至ったのです。興味深いのは、

 「先祖の墓を守るため」
  ↓
 「地位が下の人を大切にする」

 という方向です。目的はあくまで「先祖の墓を守ること」にあるのです。これが諸侯の孝の特徴です。

日本における諸侯の孝
 日本の民俗学を切り開いた柳田國男(やなぎだくにお:明治八年(西暦千八百七十五年)から昭和三十七年(千九百六十二年))先生は、「日本人とは何か」の答えを求めて、日本全国を調査されました。また、天皇陛下の諮問機関である枢密顧問官(すうみつこもんかん)の最後を務められました。柳田先生は、諸侯の孝にある先祖崇拝について以下の二つの発言をされています(意訳)。

 「あの世にいる先祖は山や海に住んで、お盆やお正月に帰ってくる、と古来の日本人は考えていた。」
 
 「『孝経』と日本人の先祖崇拝が結びついた。」

 つまり、先祖崇拝が日本に先にあり、後から来た『孝経』と結びつくことで、儒教も日本に定着していった、というのです。これは、先程の仏教が支那大陸で漢民族に定着する際に、『孝経』の要素を盛り込んで定着したのとは、異なる仕様です。

 定着の仕方は皇室から順に貴族、庶民へと下っていきます。

 ・皇室の児童教育必読書:平安時代から
 ・仏教説話(仏教を教える話):室町時代から
 ・連歌(即興の歌を繰り返す):室町時代から
 ・庶民教育(七・八歳の読み物):室町時代から
 ・川柳や狂歌(面白おかしい歌):江戸時代から
 ・落語(現在も残っています):江戸時代から
 ・子守唄(実は新しいのです):明治時代から
 ・演劇(西欧流の形にも):明治時代から

 以上のように『孝経』は数々の形で日本に広がって定着していくのです。
 もう一点だけ挙げますと、日本の道徳の根本は「恥」です。これは「ご先祖様に向けて恥ずかしいことをしない」です。ですから、諸侯の孝が庶民の道徳にまで広がった、と考えられるのでしょう。
 繰り返しになりますが、日本古来の先祖崇拝と諸侯の孝が自然と溶け合う形となっていったのです。
 しかし、諸侯の孝は、あくまでもご先祖様へ、という狭い範囲だけを目的としていました。時間の軸は過去、後に未来も加わって壮大に広がりますが、同時代では我が家中心という狭い範囲にとどまっていたのです。この狭い範囲を広げるのが、次の天子の孝になります。

具体例③ 天子の孝 「親孝行を社会に広げていくこと」

 まず、本文を引用します。

 「親を愛せる者は、他人も愛せます。真に親を敬愛できますれば、その敬愛を国内の人々に広め、さらに国外の野蛮人にも教えられるのです。これが天子の孝です。」

 諸侯の孝で先祖と子孫という時間にとどまっていましたが、国内の同じ民族のみならず、国外の他の民族にまで広がっていっています。天子の孝は、親孝行を社会に広げていく方向で書かれています。
 二点興味深い点があります。
 一点目は、根拠づけが無い点です。
 諸侯の孝では「先祖のお墓を守るため」→「親孝行」という親孝行の根拠づけがありました。しかし、天子の孝ではそうした根拠づけがありません。無前提での親孝行、という高い境地からの親孝行になっています。
 人はとても弱い者です。ですから、何かやるための理由として、「金のため」や「得のため」、「楽になるから」、「罰せられるから」という大変わかりやすい根拠を必要とします。その根拠を必要ではなくなっていく、それを修身(自らの振る舞いを修める)と言います。まさに、天子は修身の完成した人として捉えて、『孝経』は親孝行を説いています。孔子が後継者に考えていた顔回(がんかい)に対する態度のようです。
 二点目は、根拠づけの内容の点です。よく読むと、自分の家の意識を広げていくことが判ります。出発点はあくまで親孝行ですが、その親孝行の範囲を、家臣から庶民、そして異邦人へと広げていきます。つまり、諸侯の孝では過去未来へと時間軸に広げていましたが、天子の孝では社会化していくという空間軸へと広げていっているのです。そしてその過程で、時間軸が消滅しているのです。
 単純な対比をすれば、諸侯の孝は時間軸だけ、天子の孝は空間軸だけ、となるのです。

空間軸だけの「大学」の一節

 「大学」は『禮記(らいき)』の一編で有名な一節があります。

 「修身(しゅうしん)斉家治国平天下(せいかちこくへいてんか」

 意味
 「まず、自分の身を正しくし、家庭円満にし、国家を安定させ、天下を平和にする。」

 この有名な一節を『孝経』の親孝行から考えると、空間軸の広がり、という点が現れてきます。この方向は儒学の中でも『孟子』と似通っています。また、同じ日本の思想で探ってみると、山本常朝著『葉隠』や新渡戸稲造著『武士道』と似通っています。例えば『葉隠』では、

 「君主(大名)に命がけで諫言(かんげん:目上の人の過ちを忠告すること)するのは、民を含めた皆のためである。」

 としています。親孝行を空間に広げて、近親者と民を同じように捉えているのが判ります。でなければ、権力者で日々日常接している主君を優先するのが当然なのです。民は武士にはなじみの薄い人々であり、しかも国内の数多くの民の顔なじみも少ないのです。この日常感覚を逆転させるために、親孝行を空間軸に広げた道徳が必要になってきます。その典型が『孝経』の天子の孝なのです。

東洋の親孝行は三つ全てある

 以上が東洋の親孝行です。出発点は万人共通の洋の東西を問わない実際の親の恩です。それを時間方向に広げた②、空間方向に広げた③があるのです。図にしてみます。

 イ)「実際の親への孝行」:通常(庶民) 
   具体例:「儒教+仏教」

 ロ)「先祖への親孝行」:王や貴族
   具体例:お墓参り

 ハ)「社会に広げる親孝行」:天皇や天子
   具体例:政治道徳 「武士道」

 イ)からハ)は、時代や地域によって濃淡がありますが、現在まで続いています。
 『孝経』を挙げてきたように、基本は実際の親孝行です。それを広げる義務が政治家や上流階級にある、というのが『孝経』の基本方向です。
 日本ではハ)天子の孝を武士という貴族などの上流階級に広げ、ロ)を庶民に適用してきた、と述べました。『孝経』を幅広くしてきたのが日本である、と捉えられます。このように時代や地域によって濃淡がありますが、親孝行が日常生活の道徳や政治道徳の基本に座っている、というのが東洋の特徴なのです。
 ただし、仏教のように親孝行を道徳の基本に据えていない教えもあります。先ほど少しふれたように、仏教では苦しみの元を執着(しゅじゃく)とします。執着の一つが愛です。親子の愛は苦しみの元である、と考えます。確かに、親は子供の思う通りに動いてくれませんし、子供も親の希望通りの人生を歩んでくれないのです。しかし、人は親子の愛ゆえに、互いが思い通りにならないことに、悩み、不満を抱えてしまうのです。
 冒頭に、漢字文化圏を対象とします、としたのは、以上の理由からです。

西洋の親孝行は二つしかない

 東洋の漢字文化圏に対して西洋は、そもそも三つ全てあったのですが、ロ) 「先祖への親孝行」を捨てて二つになりました。その分、ハ) 「社会に広げる親孝行」へと寄りかかるようになったのです。その主な原因は、西欧人が数千年の間に持っていた自然崇拝を捨て、ユダヤ教風の一神教を採用したことです。西欧各地には、いまだに自然崇拝の名残がありますが、表面は完全に一神教になっています。ロ) 「先祖への親孝行」を捨てて、ハ) 「社会に広げる親孝行」へ首を傾けていくことは、決して悪いことだけではありません。それぞれの善さがあります。まず、図式化して説明していきます。

 イ)「実際の親への孝行」:通常(庶民) 
  具体例:イエス・キリスト

 ロ)「先祖への親孝行」:自由民や騎馬民族
  具体例:神殿参りやギリシャ神話

 ハ)「社会に広げる親孝行」:ローマ・カトリックなど一神教信者
  具体例:宗教道徳

具体例①イエス・キリスト「親から受けた恩を返すこと」

 宗教の歴史に馴染みのない人は、イエス・キリストの教えとキリスト教、特にローマ・カトリックの教えが大分異なることを知って、大変驚かれます。イエスが説く親孝行は、実際に肉体を持って、食べ物や苦しみを助けてくれる親なのです。

 「(あなたの実の)父母を罵(ののし)る者は、必ず殺されるのが当然だ。」

 「父母を養い、お仕えしなさい。」

 と「マタイ伝五の十七」で述べております。イエスの言う親孝行は肉体を持った親孝行ですし、神を説明する際も、実際に食べるパンを与えてくれる神は父親と同じような存在だから、という説明をしています。イエスが政治犯として十字架に掛けられる時、彼は神に対して言葉を投げかけています。その言葉掛けは、実際の父親に投げかけるかのような言葉掛けなのです。
 イエスにとって親孝行とは重要であり、実際の肉体を持った父母を意味していました。ユダヤ人のイエス同様に、後のフランス人などの先祖であるガリア人やドイツ人の祖先のゲルマン人なども同様でした。西洋のみならず、実際の父母への親孝行は広く見られたのです。

具体例②古代ギリシャ人「先祖から受けた恩を返すこと」

 古代西洋の中心民族であった古代ギリシャ神は有名なギリシャ神話を持っています。一都市は一つの国家であり、一つの神を祭る都市でありました。例えば、哲学者プラトンは、祖国アテナイの先祖崇拝を守るために、苦悩し続けました。その苦悩から哲学が誕生したのです。
 その後アテナイは、マケドニア王国から古代ローマの支配下に入り、多神教政策の下、先祖崇拝を続けられました。しかしながら、帝国ローマが、都市ローマから首都をコンスタンティノプール、現在のイスタンブールに遷都(せんと)する際に、キリスト教を実質国教としてしまい、徐々に弾圧されていきました。そしてついには、ギリシャ神話に発する先祖崇拝は消滅してしまったのです。
 現在のギリシャ人は正統なキリスト教徒であり、古代ギリシャ人とは全く異なる文化や信仰を持っています。つまり、西洋では先祖崇拝は消滅してしまったのです。ですから、西洋社会でのお墓は、個人のお墓に過ぎません。日本のように「なになに家」の墓、という家ではないのです。家という先祖から連綿と続く流れはなく、偉大な個人の墓、あるいは個人の墓の群れがあるだけなのです。

具体例③ローマ・カトリック「社会(神)から受けた恩を返すこと」

 ギリシャ正教と呼ばれるキリスト教の正統なる宗教教団は、イスラム教国オスマン・トルコによって滅ぼされてしまいました。それゆえ、現在最も権威があるとされるのが、ローマ・カトリック教会です。二教団の違いを少し荒々しく無視しながら、述べていくことにします。そこで、イエスの「親子関係」とキリスト教の「親子関係」を図式化してみます。



 以上のようになります。
 キリスト教では、神を「ファーザー(father)=お父さん」と呼びますが、内容はイエスとキリスト教では全く異なるのです。

 もう少し具体的な例を挙げます。
 イエスは「親が間違えたら、言葉で忠告して行動を持って止めなさい」と教えています。これは『葉隠』や『武士道』と同じです。また、イエスと同じユダヤ教の預言者たちは、神と言い争ってもいます。つまり、

 「神は実際の両親と同じく間違う」

 のです。しかし、キリスト教の唯一神は、この世界を創造した絶対神です。ですから、神は間違えないのです。もし、この世の正しいことをしている人間が苦しみ、もがき、大病を患って悲惨に死んでいったとしても、神は間違っていないのです。そういう苦境に立たされると、人は絶対神の存在を疑います。その時に言うのは、

 「神は絶対に間違えない。人間とは違うのだから」

 言い換えれば、

 「神が誤っているように想われるのは、人間の智慧で神を理解できていないからである。」

 という風に説明されるのです。ユダヤ教では神は身近な肉体を持った両親に近い神を想定していました。その具体性を捨て去って、神の絶対性を主張したのがキリスト教なのです。それゆえ、キリスト教は、「社会(神)から受けた恩を返すこと」をより抽象的に主張した、とも考えられるのです。つまり、

 「朝目が覚めて一日が与えられているのは両親のお蔭ではなく、神様が全宇宙を創造して下さったからである。神様有り難う御座います。」

 というのです。

西洋の親孝行は二つしかない

 以上のように見てきますと、西洋の特徴は「先祖への恩返し」を捨て、「社会への恩」をより抽象化した、と言えるでしょう。「先祖への恩返し」が染みついている日本人には、中々捨てることが出来ませんでした。
 十六世紀末、ローマ・カトリックの宣教師が日本にやってきて、庶民からの質問に驚いています。まず、ローマ・カトリックの神という複雑な神を庶民が理解したことです。さらに、根本を問うて来て、宣教師が答えられない事態にも陥ったのです。その内の一つが、具体例② 諸侯の孝「先祖から受けた恩を返えすこと」に関することでした。

 「キリスト教の神の教えは全て判りました。そして完全に正しいとしましょう。そうすると、私がここでキリスト教徒になり、死後に天国に行くことになります。しかしながら、私は親から産まれてきました。おじさんやおばさん、おじいさんやおばあさんのお蔭で元気に暮らしてこられました。しかし、キリスト教に入信していない、こうした身内は全員地獄に行くのです。そして永遠に苦しむのです。私は天国に行って楽しい想いをしているでしょうが、身内が永遠に地獄で苦しむならば、それは楽しくないのです。天国も地獄になってしまうのです。どうしたらいいのでしょうか?」

 現在、日本ではキリスト教団の幼稚園、小学校、中高大学と数えきれない程ありますが、人口の一パーセント以下に留まっています。その理由の一つが、具体例② 諸侯の孝「先祖から受けた恩を返えすこと」にあるように想われてなりません。

 日本では入信率の低いキリスト教ですが、世界では三割以上、二十億人前後の信者を獲得しています。様々な要因がありますが、この点も見逃せない事実です。
 最後に、具体例③「社会(神)から受けた恩を返すこと」の優れた点を述べて終わりにします。
 「社会(神)」への関心が強くなり、地上のみならず全宇宙への関心が広がりました。そのため、地球全体や宇宙空間やその原理への関心が高まったのです。具体的には、自然科学の根本学問である数学、さらに、物理学、音楽、天文学などです。天文学で有名なコペルニクスは、「神は単純さを好むはずだ」という信仰に基づいて天文学を展開しました。XY平面をデカルト空間と言いますが、デカルトもまた、神の存在証明を大きな哲学テーマの一つとしており、その流れから出てきたのです。デカルトは、宇宙全体の原理は数学である、という信念を持っていました。それが西洋の「社会(神)から受けた恩を返すこと」から出てきたものなのです。
 日本では微分積分と、当時、世界最高峰の数学がありながら、クイズにしてしまったのです。信仰によって現代の文明の一翼を担ったのが西洋なのは、当然であったのです。

 まとめ

 『孝経』の親孝行から発して、大分大風呂敷を広げてしまいました。言葉足らずで説明が早くなってしまいました。そこで最後に箇条書きでまとめておきます。

 ・実際の父母に対する親孝行はどこでもある
 ・親孝行は時間を広げて先祖崇拝
 ・親孝行は社会に広げると道徳
 ・東洋は三つ全て、西洋は二つ
 ・西洋の二つには優れた点もある

 以上です。まとめてみて、感じ入る箇所がありました。有り難う御座いました。





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