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エッセイ「【論語】三つの翻訳を比べてみよう ‐公冶長第五‐ 」


 二十五度に迫る晩春と、十度を下回る冷たい雨が入り混じる気候となっております。三寒四温は満州の厳しい冬に世界一寒いシベリアの風が吹く日と吹かぬ日を指していましたが、日本に渡り、寒風と熱風の入り混じる日々を指すようになりました。
 同じ言葉でも、民族や地域によって意味が変っていくのは味わい深いものです。今回の翻訳も、『論語』の同じ言葉が、訳者によって意味が変ってくるものです。その奥深さへと迫りたいと思います。
 今回は、公冶長第五を前号に引き続き三者の訳で比べてみたいと思います。引用箇所は章の途中の場合もありますが、五十沢先生に従います。本文の単語、送り仮名などは『仮名論語』です。全章は二十六章、訳文は五章です。順番は五十沢先生の順番に従います。理由は「五十沢先生の訳文は前後関係を重視していると考えるからです。詳細は別記「五十沢二郎著『中国聖賢のことば』の新しい読み方」に記しました。次に訳文表記ですが、

 ㋑伊與田覺訳
 ㋛五十沢二郎訳
 ㋵吉田堅抗訳

 と簡易表記します。本文と訳文冒頭の「子曰わく」は略します。最後に高木の注釈をつけます。それでは参ります。

公冶長第五

十章前文途中
 「朽木(きゅうぼく)は雕(ほ)るべからず、糞土(ふんど)の牆(しょう)は杇(ぬ)るべからず。」

㋑腐った木に彫刻することはできない。ぼろ土の垣根にうわぬりをしても駄目である。

㋛むしばみ(虫によって食われた跡)のある木を彫ることはできない。くさった土を塗ることはできない。

㋵くちた木には彫刻のしようがないし、土がぼろぼろに腐った土塀(どべい:土で造った家の塀)には上塗りのしようもない。

○高木注:「朽木(きゅうぼく)」の訳語が、「腐った木」、「虫食いの木」、「形がくずれたぼろぼろの木」と別々です。
 伊與田先生の「腐った木」ならば、性根からもう駄目になっている、と考えられます。
 五十沢先生の「虫によって食われた」なら、まだ、その部分を手当てすれば何とかなる、と性根が助かる、と考えられなくはないです。
 吉田先生の「形がぼろぼろの木」ならば、やる気や活気が失われた、という心の高下、と考えられます。
 どれを採るべきでしょうか。全体の文意は「昼寝をしていた人に孔子が強い口調で皮肉を言う」です。「昼寝をしているくらいでそんなにも責められるものなのでしょうか?」という点に古来、着目されてきました。梁の武帝(名君、西暦六世紀)は「寝室に絵画を描いた非礼」と読みました。あるいは特別な事情があったのだろうという推察もされています。
 「朽木(きゅうぼく)」とされた、宰予(さいよ:孔子の十哲:弁舌)側の事情から、孔子の心の態度に視点を移します。「孔子は、優れた者からも劣った者からも学んだ」という態度です。とすると、孔子の強い口調で皮肉を述べるのは、孔子の十哲の宰予の成長を期待した言葉になります。つまり、突き放した言葉ではなく、どこまでも実利的な宰予を仁へと導こうとする言葉になります。さて、ここで疑念が出てきました。どれほど、突き放すべきであるか。
 本文の後ろの訳文を見てみましょう。三者共に「全くできない」という強さがあります。すると、性根からもう駄目になっているという「腐った」が適当かもしれません。一回二回の虫食いと捉えては、心の底からの目覚めさせるには弱いからです。また、活気ややる気の高下ではそれほど強い言葉を使う必要もなかったでしょう。
 この様に解釈すると、梁の武帝のような「その場の出来事」に対する言葉ではなく、昼寝の前に「かなりの回数で積み重なってきた出来事」が見えてきます。孔子が何度も丁寧に気付きを求めても、一向に気がつかない宰予へ、強い反語を込めて述べたのでしょう。これは、顔回や子路などでも当人の本性を見ている孔子の態度からも推察されます。
 珍しい強い口調の反語は、宰予への期待の表れだったのでしょう。『史記』によると宰予は斉(当時の大国)の長官に栄転し、反乱に加担して一族皆殺しにされました。

二十六章最後
 「老者(ろうしゃ)は之(これ)を安(やす)んじ、朋友は之を信じ、小者(しょうしゃ)は之を懐(なつ)けん。」

㋑年寄り達の心を安らかにし、友達とは信をもって交わり、若者には、親しみなつかれるような人間になりたいね。

㋛老人とは気楽に、ひとにはまじめで、子供たちともなかよくしたい。

㋵年寄った者は安心するようにしたい。友達とは信頼し合えるようにしたい。若い者はなつくようにしたいものだ。

○高木注:文意はほぼ同じです。ただし、五十沢先生訳は、「気楽にまじめでなかよく」と一文でまとめられるのに対して、吉田先生は「安心するように、信頼し合えるように、なつくように」と三つの態度をそれぞれ分けるような印象を持ちます。この意味での連続性を感じられる五十沢先生、別々の感があるのが吉田先生、どちらも内包する伊與田先生の訳文です。
 それにしても孔子の理想の社会は実に壮大です。社会の全員がこのような状態になることは決してないのですが、それでも目指す高潔さがあります。第二十六章前半で、自らの理想を自分の生活態度に求める子路、自らの生き方に求める顔淵(がんえん:顔回)です。子路も顔淵も立派ですが、自らから離れている孔子は実に大きいものです。それを分かりやすく喩(たと)えています。教育者たる孔子が見えてきます。

二十四章全文
 「孰(たれ)か微生高(びせいこう:人名)を直なりと謂(い)うや。或ひと醯(す)を乞(こ)う。諸を其の鄰(となり)に乞うて之を與(あた)う。」

㋑誰が微生高を正直者というのだ。彼はある人に酢を無心され、それを隣から貰(もら)って与えたというではないか」(これを虚栄の為と見られたからであろう。)

㋛「なんで高(こう)がほめられるのだ」と、孔子は言った。「ひとから貰ってひとに与えたとて、どうしてそれを施与(せよ)といえよう。」

㋵一体誰があの微生高を(馬鹿)正直というのか。ある人が酢(す)をもらいにいった時、自分のうちになかったので、隣家から貰ってきて与えた。(無いなら無いというのなら正直だが、なかなか融通のきくもので、(馬鹿)正直どころではないよ。)

○高木注:三者の訳の力点が異なります。伊與田先生は「虚栄の非難」として、五十沢先生は「施与の本質」として、吉田先生は「正直さの否定」としてです。伊與田先生は「虚栄をしてはならない」と言い、五十沢先生は「公益のために尽くしましょう」と言い、吉田先生は「正直さには融通さが必要ありません」と言うでしょう。三者の訳文の違いから何を学びとるか、読者の人柄が表れそうです。
 ちなみに、「微生高(びせいこう)」は、「尾生(びせい)」と唐の顔師固(西暦六世紀)はしました。「尾生の信」とは、女性と橋の下で待ち合わせをしていて、大雨が降ってきたのにその場を離れずに死んでしまった尾生の行動を指して、「融通が利かない馬鹿正直者」を意味します。尾生かどうかは判別しがたいのですが、文意は沿います。孔子の真意を推し量るには、「子路第十三 十八章」が参考になります。

㋑「葉公が先師に世間話をして「私の村に正直者と評判のある躬(きゅう:人名)という者がおります。彼の父が羊を盗んだのを訴え出て、証人となりました」と言った。
 先師が言われた。
 「私の方の村の正直者は、少し違います。父は子の為にかくし子は父の為にかくします。このように、父と子が互いにかくしあう中に、人情を偽らない本当の正直があると考えます。」

 微生高が求められて酢を借りてでも与えたのは、確かに誠実かもしれません。しかし、孔子は葉公への世間話のように、「人情を偽らない本当の誠実ではない」と言うことでしょう。このように捉えると、「施与の本質」と解釈する五十沢先生の訳文だけが突出している点が浮かび上がってきます。やはり、五十沢先生は全体の構成を踏まえた上で、訳文の言葉を選ばれているように感じられます。

十一章全文
 「吾(われ)未(いま)だ剛(ごう)なる者を見ず。或(ある)ひと對(こた)えて曰(い)わく、申棖(しんとう:孔子の門人)と。子曰(のたまわ)く、棖や慾(よく)あり。焉(いずく)んぞ剛なるを得(え)ん。」

㋑「私はまだ本当に剛(つよ)い人にあったことがない。」 ある人がこれに対して申棖(しんとう)がいるではありませんか」と言った。先師が言われた。「棖は慾が深い。どうして本当に剛い人と言えようか。

㋛「まだほんとうに強いと思う男にあったことがない」と、孔子がいった。「申棖(しんとう)はどうですか」と、あるひとがたずねた。「申棖(しんとう)には欲がある。どうして強いとなぞいえよう」 それが孔子の答だった。

㋵「自分はまだ真の剛者というべき人物を見たことがない」と。ある人が、「いや、申棖(しんとう)が居ります」と答えた。孔子の言うよう、「いや、申棖にはまだ慾が多い。慾がある限り、どうして剛者たり得ようぞ」と。

○高木注:訳文の敬語が異なります。五十沢先生は孔子に「たずねた」とし、伊與田先生は「言った」とし、吉田先生は「答えた」としています。前の箇所で伊與田先生が「申棖はどうですか」と、対して吉田先生は「いや、申棖が居ります」です。「居ます」は「います」ですから、もっと丁寧な敬語が五十沢先生となり、孔子と他の人を同等とするのが吉田先生です。
 「剛」は、「焼き物の鋳型(いがた)=岡」と「りっとう=刀」の合せです。「非常に硬いものを刀でやぶる」ことを「つよさ(剛)」としました。人には欲があります。申棖の欲は「自分の強さを見てもらいたいという欲」です。申棖は人一倍強かったのでしょうが、誰にでもある欲であり、生きていくためには必要なものでもあります。それだけに、「非常に硬いもの」と言うのでしょう。それらを刀で一刀両断、「したい」という孔子の大望が浮かび上がってきます。ここで思い起こされるのは、「里仁第四 八章」です。

㋑朝に人としての真実の道を聞いて悟ることができれば、夕方に死んでも悔いはない

 同じく「仁のために一心不乱に邁進するという極めて困難な道を突き進みたい」という決意なのです。ここから私は、「里仁第四 八章」の解釈は、孔子の決意である説を採り、社会全体の人に道を求めるという説を採りません。
 同時に、当の「公冶長第五 十一章」は、孔子の決意であり、周りの人々への教育の言葉ではないと考えます。とするならば、十一章は孔子の心の中の言葉と考えられます。つまり、「申棖いるではないですか」というのは、孔子が相手と会話しているのではなく、独りでぶつぶつと独り言を「ああでもない、こうでもない」と言っているのです。それをたまたま聞いた弟子が覚えている、そんな光景さえ思い起こされます。そうなると、孔子に対して敬語を用いるのは少し不自然になってきます。

ニ十章全文
 「季文子(きぶんし:魯国の大臣)、三たび思いて而(しか)る後に行う。子、之(これ)を聞きて曰(のたまわ)く、再びせば斯(こ)れ可なり。」

㋑季文子(魯の大夫)は、三度慎重に考えて後に行った。先師がこれを聞いて言われた。「二回も考えれば充分だろう」

㋛季文子(きぶんし)というひとは、なにごとも三度考えてからではないと実行しないという話をきいて、孔子がいった。「二度も考えれば十分だ。二度考えてもわからない者は、三度考えたってわかりはしない。」

㋵魯の家老季文子は三回も考えを練りにねってから初めて実行にうつした。孔子がこれを聞いて、「二度考え直してやれば結構だろう。思慮も度が過ぎると、優柔不断となる」といった。

○高木注:吉田先生が「優柔不断となる」という一文を挿入しています。この一文が適当なのかどうか判らず調べてみました。
 『春秋左氏伝』では「贅沢をせず仕えた三人の君主に私心なく仕えた」と好評です。また、季文子の属する季孫氏は、魯国で特に権力を極めました。代々司徒(しと:内政を全て握る大臣)に着きました。特に季文子は、襄公の時代に丞相(じょうしょう:総理大臣)に就任しています。死後に贈られる名前として「文」が付いています。通例では初代につけられるのですが、季文子は三代目(ニ代目の説もあり)です。ここを踏まえて季孫氏が経歴詐称(けいれきさしょう)しているという説があります。真偽は別として、代々司徒を生み出す権勢を作り出したのは間違いないでしょう。
 以上の二点を踏まえると、「三度考えて実行した」という季文子は名臣となります。
 孔子の意図を考えてみます。まず、死後、十六年後に孔子が誕生しています。孔子の時代は季孫氏が特に権力を握り、魯国の君主を押さえつけていました。襄公を継いだ昭公は季孫氏を討とうとして敗れ、斉へ亡命。孔子も後を追います。
 季文子は葬式を簡素にし「文」を贈られる、という孔子の道義に沿うものでした。学識才能に恵まれ、国外からも抜群の信頼を得ました。他方、その築いた権勢で子孫たちが我が物顔をして、君主さえ追放してしまったのです。孔子は、季文子に対して複雑な、あるいは重層的な想いを持っていたことでしょう。
 一文が適当なのかを調べてみましたが、むしろ判らなくなってしまいました。孔子が己の身の至らなさから嫉妬心で「三回ではなく二回でいい」と回数という細かい点で難癖をつけた、とは考えにくいのです。『論語』全体から明らかです。他方、どうして回数という細かい点を指摘したのか、ここの箇所だけでは判りません。今後の課題にしていきたいです。楽しみながら、『仮名論語』を読み進めたいです。

まとめ
 訳文を比べるのも五回目になりました。今回は少しだけ、『論語』の世界に足を踏み込めたような感覚をもちました。
 特に、『仮名論語』の別の箇所や他の書などと照らし合わせて訳文を検討できたからです。これまでは、基礎を覚える時期でしたが少しだけ変化が感じられました。
 季節は三寒四温の春。白木蓮の穏やかさが、桜の芽吹きを誘うように、孔子の穏やかさが、私達の芽吹きを誘っているようです。
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