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エッセイ「【随筆】哲学とーちゃんの子育て 七 ー大小便と未来ー 」

 「・・・。」

 「・・・とーちゃん・・・。」

 「・・・ん・・・。」

 「・・・ぉとーちゃん、うんちでたー。」

 「・・・え?」

 「おとーちゃん、うんちでたー。」

 眠っていた体に電流が走ったように、思わず飛び起きた。

 まない(三歳十カ月)は、昨晩寝る前に吐いていた。パッと頭に浮かんだ。上から吐いたが、今後は下から吐いた、と。部屋中に汚物の匂いが漂っている。
 まなちゃんを一階に連れて行き、オムツを替えようとすると、

 「くちゃぃーーー。」

 「あ、本当だね、でも、悪いのが出たからいいんだよー。」

 「そうなんだ、でも、くちゃぃー。」

 「そうだね~そうだね~。」

 自分のうんちの匂いが臭い、と言っている。正直者である。明るい場所でオムツを替えようとすると、寝巻に漏れついていた。急遽、風呂場で脱がせて、石鹸を両手についてシャワーで落とした。

 「じゃあ、まなちゃん、タオルで体を拭いて、オムツをはけるかな?」

 「うん。」

 返事はしっかりしている。熱でボーっとしていないようで安心した。

 ドロドロのうんちのついた寝巻やら上着やらを石鹸で洗いながら、よく、人のこんなに汚い物を素手で洗えるようになったなぁ、と想った。

決心と一節
 想い出した本の一節があった。『仏説父母恩重経(ぶつせつぶぼおんじゅうきょう)』の父母の十の恩の

 「七 洗灌不浄(せんかんふじょう)
   :大小便を洗い清めて下さる恩。」

 であった。父母から受ける恩の一つとして、大小便を洗い清めてくれる恩がある、という意味である。

 私は子供に多少慣れていた。七歳下の弟、十一歳下の妹に恵まれていた。他方、子供が周りにいない環境や、不仲な経験を持っている人なら、子育てに恐怖や嫌悪感を持つのが自然の成り行きだと思う。多少慣れていた私でさえ、弟や妹の大小便を替えることはなかったし、出来なかった。母親がやってくれると逃げだしていた。
 親になってみると、「自分が替えなければ、誰も替えてくれない立場」に立たされていた。この汚いドロドロの服を替えるのは親しか、私しかいない。それが身につまされた。

 もし、私が、

 「まなちゃん、汚いからうんちを自分で替えなさい。汚いから寄らないで。」

 と言ったらどうであろうか。どれだけまないの心を踏みにじるであろうか。子供の心を慮(おもんぱか)れば、言うことはできない。私以外に替える人はいない、という決心がつく。

 子供に恵まれる前に、「大小便を洗い清めて下さる恩」を読んでも、「ああ、そうだよな、うんちを替えないといけないんだな」という他人行儀な立場であった。

 しかし、現在は、「この洗灌不浄に出てくる両親は一心不乱であって、自分が汚いとか綺麗とかは考えていなんじゃないか」と感じ入るようになった。

 無事にまないが新しい寝巻に着替えた。無事に洗い終った洗濯物を洗濯機に入れて回し始めた。二階への階段を上がっていくと、

 「おとーちゃん、うんち、ついている。」

 「え? まなちゃん、洗ったよ。」

 「ううん、布団にうんち、ついてる。」

 「あ、そうなんだ、見てみようね。」

 と布団を見てみる。昨晩ゲロを吐いたので、布団の上にバスタオルを引いていた。その上に湿ったうんちのしみが、こぶしの大きさでついていた。布団の下や掛布団を確認した。

 「あ、ほんとだね。でも、周りにはついていないね。」

 「うん・・・だいじょうぶ?」

 「だいじょうぶだよ。ちゃんとバスタオルの上だったよ。偉いよ。偉いよ。寝てるとき、動かなかったんだね。」

 「・・・うん。」

 「じゃあ、おとーちゃんは、バスタオル洗ってくるから、その間、寝てられるかな?」

 「うん、じゃあ、洗ったら、すぐに来てね。一緒に寝てね。」

 「うれしいなぁ。そうだね、洗ったらすぐに来るね。じゃあね。」

 「うん、ねるねー。」

 バスタオルを持って、階段から洗面所までの間に大小便がついていないかを見てまわりながら、洗面所に向かった。

子供と未来
 先ほどの経典には、

 「五 廻乾就湿(かいかんしゅうしつ)の
    恩
   :子は乾いたシーツに寝かせ、母は
    子が放尿した湿ったシーツに寝て
    下さる恩。」

 というのもある。現代は洗濯機があり、一晩中回すことが出来るので、さすがに寝ることはない。ただ、もしそういう立場だったら、と思うと、私も同じことをすると想った。つまり、このまないのうんちのついたシーツに私が寝て、まないを私の布団で寝かせるのである。

 周っている洗濯機を一旦止めて、素手で石鹸洗いしたバスタオル等を入れていると、かみさんが起きてきた。時間を見ると明け方の五時近かった。少し経過を報告して二階に向かった。

 『仏説父母恩重経』は、支那(China 中国とも)で仏教に儒教的側面=父母の恩を付け加えられた偽の経典である。日本では古くから読まれていたようで、正倉院に収蔵されている。父母の恩、という孔子の知識は古くから伝わっていたのが判る。

 知識は知識として素晴らしい。

 加えて、子育てによって立場が親となってみると、知識がより深みが増し、行動へとつながる。そして、私の両親が、私の寝小便と大小便を替えてくれたことへと想いが広がりもする。
 さらに、悠久の千年を超えてきた『仏説父母恩重経』の内容は、私の子孫達へと連なっていくことへと想いが広がりもする。

 子育ては、目の前にある子供だけを見ても楽しいし、千年を超える過去から未来への人のつながりを見ることも出来る。
 子育ては何とも奥深いものである。


 引用書:『仏説父母恩重経』については、以下の本の二百八十七頁から二百九十三頁を参考、引用致しました。名著に感謝致します。

 加地伸行著 『孝経』 講談社学術文庫  
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