スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

エッセイ「【随筆】哲学とーちゃんの子育て 八 ‐地球で目を回す?‐」

 大雨の音がする夕食の時だった。

 「おとーちゃん、太陽って回ってる?」

 (なにを言い出したのだろうか。五歳らしく、世界のことに興味が出て来たのだろか?)

 「(私)うん、回っているよ。」

 「(かみさん)へー、おもしろいね、とっくん。」

 「太陽ってどうして回っているの?」

 「(私)ほぉーおもしろいね、とっくん。」

 「(私)そうだね・・・独楽(こま)ってわかるかな?覚えているかな?」

 「あーうん。くるくるまわすやつね。」

 「そうそう、独楽はくるくる回るよね。回っていると動かなくなるよね。そして回るのが少なくなると、ゴロゴロとどっかに飛んでいっちゃうよね」

 「あー。」

 「独楽は回っていると止まる。回らなくなると止まらないで、転がっていく。わかるかな?」

 「うーんー。」

 「わからない時はわからない。わかったらわかった、って言いなさいね。」

 「・・・。」

 「(私は放っておいてご飯をつづける。娘達にご飯を食べさせている。)」

 「おとーちゃん、わからなぃ・・・。」

 「はい。じゃあ、お箸で実際やってみてみよう。お箸を独楽のようにくるくる回すと止まっているよね(実際にお箸を目の前で回してみせる)。」

 「おー。」

 「どう?わかった?」

 「うん、くるくるしてると止まってるね。」

 「じゃあ、ごはん食べよっか。」

回ることと目を回すこと

 「(もぐもぐ)」

 「(もぐもぐ)」

 「じゃあ、とーちゃん、太陽は回ってるでしょ。太陽の上に乗っている人は目を回さないの? 地球は回っているでしょ? 地球に乗っている人は目を回さないの?」

 「(かみさん)へーおもしろいー。」

 「(私)なるほど、いい質問だね。とっくんはかしこいね。」

 「とっくんね、わからないんだ。」

 「(私)さっきとは違う問題だね。そうだなぁ、車で考えてみようか。とっくん、車に乗っている時、外を見ると外の景色が動く?それともとっくんが動く?」

 「えーとー、外の景色が動く。」

 「じゃあ、とっくんが車に乗っていないで、車に乗っている人を見ると、車に乗っている人が動く? それともとっくんが動く?」

 「えっとね、車に乗っている人が動く。」

 「そうそう、車に乗ると周りが動くようにみえる。車に乗っていないと車が動くようにみえる。ね?」

 「うん。」

 「自分が乗っているなら目を回さないよ。でも、自分が乗っていないなら目を回すよ。」

 「乗っているか・・・。」

 「とっくんは地球に乗ってる?乗っていない?」

 「乗ってる・・・かな?」

 「そうそう、乗ってるね。とっくんも、おとーちゃんもおかーちゃんも皆、地球に乗っているよね。だから目を回さないんだよ。もし、地球の外から見たら回転しているから、目を回しちゃうんだよ。」

 「ほぉーわかったー。」

 「(かみさん)とっくんすごいねーそんなこと分かるんだねー。」

子供の子供らしさ
 この内容は、中学理科で習う内容で、息子が十分に分かった、とは思えない。不十分な理解であろう。けれども、それで良いと思っている。
 子供の子供らしさは、自分で疑問や課題を見つけることだからである。その土台として、共感と対話がある。
 だから、今は「太陽や地球のこと、目を回すこと」に自分で疑問を持ち、「独楽や箸のこと、それらがつながること」に共感と対話があった経験を、胸一杯に吸い込むことでよいと考える。
 
 先日、直径七㍍程度の砂場で山を作っていた。そこに水を流すと、キャイキャイ、と楽しんでいた。何度か流すと、

 「とーちゃん、どーして水がたまらないの? 砂の中になくなっちゃうの?」

 と問うてきた。これも自分で疑問や課題を見つけることである。だから、理解できないだろうから、と対話を切ることはしないように気をつけている。

 「まだ、とっくんには分子が分からないよ。もう少し大きくなったらね。」
 「自分で調べなさい。おとーちゃんは分からないよ。」
 「汚いから、もうやめなさい。」

 ではなく、

 「どうしてだろうね、調べてみようか?」
 「それはね、氷の上に水をかけると、氷の下に水が行くでしょ? それと同じだよ。」

 を心がけている。

 中国の最も古き書物『詩編』は、二千七百年前の内容とされています。『詩編』に以下の言葉があります。

 「道こそ、それぞれ違うけれど、ゆくては、誰も同じである。」  (大雅 〈板〉)

 どんな道でも、自分で疑問や課題を見つけて、初めて進んでいくことが出来るのです。それは、剣道、茶道、香道など全ての道で、誰でも同じなのです。そして、子供たちのみならず、私達全員の人生の道も同じなのではないでしょうか。

子供の無限さ
 翌朝、神社にお参りするために、玄関を出ると、不意に、

 「とっくんね、夜ね、夢をみたんだ。」

 「へーどんな夢?」

 「えーとね、昨日とーちゃんが、箸の話してたでしょ。夢でね箸の上にのってた。それで目を回していなかった。」

 「おー面白い夢だね。」

 「うん、だからね、分かったよ。目を回さない話。とーちゃん、教えてくれてありがとね。」

 「そっか~夢に出てきたか、楽しかった?」

 「うん、楽しかったよ。」

 「また、何かあったら聞いてね。」

 「うん。」

 もう一度、『詩編』の言葉を引いてみます。

 「誰も、かよわい人間でしかない。
 が、その生命は無限である。」 (大雅 〈民労〉)

 子供が夢で昨晩の内容を理解する、というのは予想外でした。かよわい五歳の幼児が、世界のことを理解しようとしたのです。『詩編』の「その命は無限である」をしみじみと感じ入りました。
 二千数百年前の誰かが残した言葉が、こうして子育てで結びつくことも、考えてみれば驚くべきことです。これも、「その生命は無限である。」に通じているでしょう。このように考えれば、人の言葉は、無限に続いていくものになります。子育ては、どんな人生でも、自分で疑問や課題を見つけていく大切さを教えてくれます。無限の生命の前では、人は誰でも、かよわさを実感できることでしょう。

 引用書
 五十沢二郎著 『中国聖賢のことば』より『詩編』を引用しました。学恩に感謝致します。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール
哲学(平成28年度)
科学技術者の倫理(平成28年度)
書いたもの(平成28年)
科学技術者の倫理(平成27年度)
哲学(平成27年度)
書いたもの(平成27年)
哲学(平成26年度)
「科学技術者の倫理(平成26年度)
講義録「哲学」
書いたもの(平成26年)
書いたもの(平成25年)
論文(高木健治郎の)
講義録「科学技術者の倫理」(平成25年度)
高木ゼミ『銃・病原菌・鉄』
高木ゼミ全6回『ぼくらの祖国』
教養講座6回分(平成24年度)   講義録21~
講義録「科学技術者の倫理」(平成24年度)     講義録1~15
最新記事
講義録「科学技術者の倫理」(平成23年度)
石上国語教室で行われた講演のレジュメです。哲学が足りなかったのが、福島原発事故の原因の1つではないか、と考えています。

「哲学のススメ2」レジュメ

最新コメント
カテゴリ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。