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エッセイ「哲学とーさんの子育て ―優しさと朝食― 」

「富士論語を楽しむ会」の同人誌に投稿した原稿です。
 読みにくい箇所・誤字脱字あると思いますが、目を通して下されば幸いです。以下本文です。


神社にお参り
 いつものように、朝の神社から帰ると、一歳四カ月のおとはが、よちよち歩きで出迎えてくれる。

 「あーぁー。」

 とえがお。

 「ただいま~。」
 「ただぃま。」

 と五歳二カ月のとっくん、三歳四カ月のまなちゃん。私も「ただいま」と続く。

 かみさんが朝御飯の用意をしてくれる間に、おとちゃんをお膝に抱えて、ぬいぐるみで遊んでいた。とっくんはお絵かき、まなちゃんはジングルベルの音が出るおもちゃで遊んでいた。すると、まなちゃんが近づいてきた。

 「おとちゃん、どーぞぉー。」

 おとちゃんは、にこぉ~。

 「良かったね~おとちゃん、有り難うは?」

 と言うと、

 ぺこぺこと頭を上下させる。

 まなちゃんも、にこぉ~

 「まなちゃん、有り難うね~。」

 「いいよぉ~。」

 とスタコラ去ってった。

食卓で
 「準備はいいですか? 手を合わせて下さい。パッチンご一緒に、いただきまーす。」

 とっくんの挨拶で朝食が始まる。まなちゃんの先ほどの優しさをかみさんに報告する。

 「さっきね、まなちゃんが遊んでいた音の出るおもちゃを持て来てくれて、どうぞ~っておとちゃんにくれたんだよ。とっても嬉しかった~」

 まなちゃんは、嬉しそうだった。

 「とっくん。」

 横でご飯を食べながら聴いていたとっくんに話し掛けた。

 「なにー?」

 「まなちゃんは優しいね。」
 「そうだね。」
 「これって、昨日、とっくんがまなちゃんにしてあげた優しさが伝わったのかもしれないね~。」
 「・・・(少し間があり、突然、目を見開いて)そうかもね!!」

 昨晩、まなちゃんが自分のかぼちゃプリンを食べ終わった後、とっくんに「プリンをちょうだい」と言った。とっくんは美味しさを味わうようにゆっくりと大切に食べていた。まなちゃんは急いで食べた。しかし、とっくんは「いいよ」と言ってぷりんの全部を挙げたのである。半分以上残っていたのに。

 「とっくんが優しくしたから、まなちゃんもおとちゃんに優しくできたんだろうね」

 とっくんはもう五歳を過ぎている。社会性が出てきてもおかしくない。だから、もう一歩、躾を続けても善いかと、このやり取りで感じた。一言を添える。

 「じゃあ、とっくんが優しくできるのは、誰のお蔭かな?」

 「ん??」

 「まなちゃんが優しきできたのはとっくんのお蔭だね。」

 「うん。」

 「じゃあ、とっくんが優しくできたのは誰のお蔭かな?」

 「んーーーーーと・・・かーちゃんととーちゃんのお蔭。」

 「そう!! いつもおちゃーちゃんが優しくしてくれているからだね。」

 嬉しい一言であった。年齢相応に成長しているのを実感した。

 「じゃあ、かーちゃんととーちゃんが優しくできるのは誰のお蔭かな?」

 「んーと、おじーちゃん、おばーちゃんのお蔭!!」

 「大正解!!」

 かみさんも嬉しそうに声を出した。

 「すごいね~とっくん、その通りだよ。」

 調子に乗ってもう一声、添えた。

 「じゃあ、おじーちゃんとおばーちゃんが優しくできるのは誰のお蔭かな?」

 「さえこばーちゃん・・??」

 さえこばーちゃんとは、義理の祖母にあたる。唯一生存し、時々、ご機嫌伺いに逢いに行く。

 曾(ひい)御祖母ちゃん―祖父母―父母―自分

 がきちっと理解できているのだった。所々で時間が掛かったのは、自分の中で整理をしていたからであろう。その沈黙の時間に成長したのだろうし、待つことで成長を促せたと想う。
 嬉しい朝食となった。

ご先祖様へと
 曾祖父母からつながる優しさの連鎖に気が付けば、道徳を教えやすくなる。日本の道徳は、「人は先祖から生まれる」から発している。
 ちなみに、世界の七割の人々は、こうではなく「人は神が創造した」から発している。
 私達がどうして道徳を守らなければならないのか、という問いには先ほどの「ご先祖様に恥ずかしい」からである。
 息子には将来、「日本人が努力してきたから現在のような素晴らしい国になった」ことを伝えたい。

 「ご先祖さまから優しさを受け継いできた。」
 から
 「日本人から優しさを受け継いできた。」

 としたいものである。息子が周りの人々に感謝できるように、今後も躾けていきたい。そしてその姿を二人の娘にも見せ、時期が来たら同じように問いかけ、答えを待ちたい。

『禮記(らいき)』から
 朝ご飯を食べた後、自転車に乗り職場へと向かう。穏やかな秋の日差しの中、ふと思い立った。

 儒教で大切な四書五経の一書である『禮記(礼記)』の一編「大学」に

 「修身斉家治国平天下(しゅうしんせいかちこくへいてんか)」

 という一節がある。

 「まず自分自身の行いを正しくし(修身)、次に家庭内を穏和にし(斉家)、さらに、国家を治め(治国)、最後に天下に平和をもたらす(平天下)。」

 という意味である。
 天下の人々と私自身がつながっている、という感覚が、この一節を支えている。先ほど息子に教えたい、というのも、同じ感覚である。
 先人は偉大である。今後も学び続けていきたい、とお日様を見ようとした。
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