哲学12-1 アリストテレスの真の目的とは

 皆様、こんにちは。

 新年、明けましておめでとう御座います。
 12月末に「良い御歳をお迎えください。」と「明けましておめでとう御座います。」の意味を学生の皆さんにお話ししました。12月31日の日没(旧暦の1月1日)から初詣、初日の出まで一旦死んでいる、という話です。「無事産まれて下さいね=良い御歳をお迎えください=」は、42歳の私が死に、43歳の私に生まれ変わる、という意味です。だから、全員が一緒に歳を取り、子供にはお年玉をあげるのです。さらには、43歳の新しい私が、初めて神社にお参りするので、初詣、初日の出、なのです。それまで神社に何度も行っているのだけれども、43歳は初めてである、だから初詣になります。日本は世界一古く、神話の時代から伝統的価値が続いている珍しい国家です。ですから、こうしたことは、意識するまでもなく自然に私達の生活に溶け込んでいるのです。哲学で言えば、ロゴスらしい、と言えるでしょう。対して、目標を設定してこの世を厳しく見るのは、イデア論です。キリスト教、イスラム教などがそれに当たるでしょう。これ以上踏み込むと、前置きではなく講義になります。この辺にしておきます。皆様、本年もよろしくお願い致します。

 それでは本文に入ります。

配布資料 B4 1枚
:河合隼雄著『こころの処方箋』 『5「理解ある親」をもつ子はたまらない』 26-29頁


 --講義内容--

 前回は、アリストテレスについて、簡単に述べました。今回はアリストテレスが、プラトンのイデア論を見て、修正した箇所を述べつつ、その真の目的について述べていきます。本年度、書き加えた個所から入ります。特に、20世紀の世界を念頭にしています。


 イデア論 → イデオロギー化する -なぜなら、①実験で確かめられない=この世にない →信仰(キリスト教、イスラム教)に利用される
                                ②正しいかどうか判別できない=説明が空虚になる →具体的発展がなく政治に活用できない
                                ③理解できない人間が一定数(大勢)いる= 信じるかどうかになる →信じろ、と押し付ける(マルクス・レーニン主義)
                                ④現世に対して自己否定的 =社会集団そのものを縛り付ける →西ローマ帝国の崩壊

 大勢の人間が理解できず、そして実験で試せないものを説得するにはどうしたら良いか?という問題は、古今東西を問いません。しかし、その問題設定そのものをアリストテレスは疑い解決しようとしたのです。例えば、キリスト教の言う、「だた1つの神」や「世界を無から創造した神」がそうですし、マルクス・レーニン主義の「歴史法則=人類の発展は最後には必ず共産主義国家になる」がそうです。これらを押し付けるために何をするか、と言えば、現実の政治体制への暴力や破壊になってしまうのです。プラトンの意図とは異なるこうした方向性は、世界の歴史の中で数々の運動に見られますし、現在でも見られます。これらをどのようにしたら良いのか?に対して、以下のようにアリストテレスはしました。

 ①-ア :実験で確かめられるようにする =イデアがこの世にない、から、多少の形相があるへ、と修正
 ②―ア :正しいかどうかを判別できるようにする =1つ1つの現実態として固定して判別可能とした
 ③―ア :理解ではなく実験で確かめられるようにする =目の前の具体的な存在者によって判別可能とした
 ④―ア :発展的とした =エラーを修正できる要素を取り入れた(現実態は他の可能態であるとした)

 アリストテレスが示したのを一文でまとめれば以下のようになります。

「目の前にある事実から出発しなければならない。そしてその事実を観測し操作し、できれば実験をして思考を積み重ねていく。さらにその積み重ねを、新しい事実で検証していかなければならない。」

 アリストテレスが学問の祖である、と言われる理由が判ると思います。

 これを具体的事例でみるために、『こころの処方箋』 『5「理解ある親」をもつ子はたまらない』 26-29頁を読み上げて問を出しました。

-問1 『こころの処方箋』 『5「理解ある親」をもつ子はたまらない』 26-29頁で、プラトン主義を批判している箇所を一文抜き出しなさい

-問2 アリストテレス主義と考えられる一文を抜き出しなさい

 です。初期の心理学はフロイド理論であり、これはプラトン主義でした。なんでも性衝動で説明しようとするのです。続く、ユングの集合的無意識(普遍的無意識)もプラトン主義的です。しかし、それを受け継いだ河合隼雄氏はアリストテレス主義の立場に立っています。学生の解答から引用してみましょう。

問1 真の理解などということは、ほとんど不可能に近いほど難しいという自覚が必要である。

問2 理解ある親が悪いのではなく、理解のあるふりをしている親が、子どもにとってはたまらない存在となるのである。
   そんな難しいことの真似ごとをやるよりは、まず自分がしっかり生きることを考える方が得策のように思われる。

 素晴しい解答でした。多くの学生が出来ていて、嬉しかったです。
 私は、「理解あるふりをする親」というのは、自分自身に不安を抱えているからこそ、その不安を共有してくれる存在者を求めるのです。ですから、これは子供以外でも起こりえると考えています。また、不安の先だからこそ不一致を許さないのです。もし、この親に対して子供が逆らおうものならば、逆上するでしょう。そんな話を付け加えました。

 さて、それでは以上のプラトンとアリストテレスをもう少し身近な例で考えるために、昨年度の講義録より抜粋します。

 --(昨年度の講義録より抜粋)--

―アリストテレスの真なる目的とは

 目的:学問の創立 事実からの出発

 ソクラテスやプラトンの目的は自分の国を立て直すことでした(愛国)。しかし、アリストテレスはマケドニア人であり祖国マケドニアは国力が充実し飛躍期にありました。愛国ではなく学問の純粋な探究心に燃えていました。生物学者あるは医学に慣れ親しんだアリストテレスは事実からの出発を大切にしました。他方、プラトンのイデアはこの世に存在しない完璧な形、という定義でしたから、この点を修正したのでした。その修正が「イデア-自然(物質、質料)」を「可能態―現実態」への置き換えでした。であるにも関わらずアリストテレスは目的論的変化を受け入れ、イデアと同じような「不動の動者」を設定したのでした。前回までの復習です。
 まず目の前の現実を見なければならない、というのは当たり前かもしれませんが、中々そうではありません。これだけ知識が増え、智慧が蓄積され、考える時間を与えられるようになった現代でさえ、難しいのです。「あの人は私のこと嫌っているんじゃないのか?」という憶測で人間関係を疎遠にするなど、私達の日常茶飯事です。そうするとあの人の関わるのが嫌になってきます。逆に「あの人は私のこと好きなんじゃないのか」という憶測で行動して、相手が嫌ですという行動を示している(事実)にも関わらず、それを無視する行動を取るのは良く聴くでしょう。さらに、社会関係の中では暴力や警察権などで抑制されていますが、心の動きとしてはさらに良くあるのです。
 他方、事実だけを見ていてもいけない、理想を持たないといけない、というのがプラトンとアリストテレスなのはこれまで述べてきた通りです。前回はプラトンとアリストテレスとの共通点を挙げて来ました。今回はプラトンとアリストテレスとの相違点を挙げていきます。相違点の中にアリストテレスの独自性が、真なる目的があるのです。

―プラトンとアリストテレスと日本(自然的存在論)の相違点

 プラトンとアリストテレスの違いに加えて自然的存在論(日本)を図式にして比較してみます。細かい点は割愛しています。また、自然的存在論の代表を古代ギリシャに求めれば、「万物は流転する」のヘラクレイトス、「真理は相対的だ」のプロタゴラスとなります。

       プラトン       アリストテレス     日本人(自然的存在論)

神とは  人に与えられるもの   能力を完成させたもの  人の能力を超えた存在者
神の具体化   イデア(形)      変化の最終形     存在者の優秀な者
神に人がなれるか  なれない     理屈の上ではなれる  なれる
真とは何か  この世にない理想    能力を広げていくこと  相対的なもの、ご縁
悪とは何か  この世の割合が多いもの 可能性を広げないもの 善と同じもの
基準(要素)     量           質         あいまい
世界       2つ          2つ         1つ
世界の関係    断絶          連続       (連続:天国と連続)
出発点     想うこと         事実         肉体(五感)
学問分野    哲学、数学       生物学など       技術、文学、美術
主義      合理主義        経験主義       (経験主義:有用主義)
知識      生得          獲得         獲得
重要なもの  イデア         純粋形相      眼前

 それぞれの項目を説明していきます。

-神とは 神の具体化

 プラトンの神とはイデアの世界です。イデアの世界は魂の眼で見るものですから、私達がなることが出来ません。なぜなら肉体(質料)があるからです。プラトンでは肉体は魂を汚れさせるものでした。アリストテレスも理屈上は神になれる、としました。しかし、前回述べたように、「自分の可能性を全て現実化した存在者(不動の動者)」は現実世界には存在したことがありません。不動の動者は原理上、イデアと同じであり、不可能なのです。ですから、自然的存在論の神の皮を被ったイデアなのです。この点でアリストテレスはプラトンのイデアに自然的存在論の皮を被せて調停を図ったといえるのです。
 他方、日本の神様に私達日本人がなることができます。日本人だけでなく全ての人間が、あるいは動物植物、岩や木まで全ての存在者が神になることが出来ます。実際に神になっています。この話を学生の皆さんにすると「え?本当?」という表情が見えました。というのも、講義冒頭で話したように、日本では日本の真・善・美を学校で家庭できちっと教えていないからです。哲学の授業でさえ、日本の真・善・美を教えずに西欧の、あるいはローマ・カトリックの真・善・美だけを教えるのです。一瞬「え~っと・・・」という表情をしたのですが、「皆さん学問の神様って知っていますか?」というと数名が「ああ!」という表情になりました。学問の神様は菅原道真(すがわらのみちざね)という実際に存在した人物です。左遷されて恨みを持って死に祟(たた)りを起こしたので祭られたのです。それが学問の神様になっているのです。数年前に妹が大学受験をするというので東京の湯島天神に行ってお守りを買ってきたのを覚えています。その時「受験お守り」を売っていました。実際に存在した人間(存在者)が神になると西暦21世紀になっても日本人は認めているのです。最近の例で探して見ますと、同じく東京の真ん中辺りに乃木神社があります。乃木大将は日露戦争で旅順港を攻略した大英雄です(一部小説家の悪評がありますが)。世界初の近代要塞に挑み見事陥落させました。さらに補給系統で、脚気による死傷者を抱えるなどの悪条件(森鴎外など)があったのを乗り越えたのです。100年前でも人間が素晴らしい業績を残すことで神様になっているのです。もちろん、これまで述べてきたように人間は死ぬと神様になります。2年と1日以内はお盆にこの世に帰ってきます。それ以上はまとめて全員で歳神様となりお正月に帰ってきます。生きている人間はあの世に行けませんが(行くことを神隠しと言います)、死んだ人間はこの世に帰ってこられるのです。死んだ人間だけが生きた人間にない能力を獲得する、というのも日本の真・善・美の考え方の特徴です。つまり、人間は特に優れた能力や業績を持った人は個人で神様になり、そうでなくとも歳神様になる、と考えるのです。もちろん、これらはプラトン、アリストテレス、西欧キリスト教、イスラム教にはありません。
 「私達は神様になれるのです。」

―真とは何か

 プラトンの真とは悪とは何か、は、イデアが真であり、悪とはこの世の割合の多いものです。物質(質料)によって完全なる形がゆがんでしまうのですから。アリストテレスの真とは自らの可能性を現実化していくことです。「自分の能力を広げていく」ことですが、「自分の可能性を広げていく」という少し変な日本語表現があります。アリストテレスでは可能性の最大値は決まっているので、「可能性を広げる」という言い方は適しません。「可能性」と「可能」を誤用したのかもしれません。科学哲学の世界でもポパーの「反証可能性」と「反証」を誤解して論じられることがありました。私自身の反省も込めてこうした言葉を正確にするのは大切だと思います。日本では、宿題レポートの「驕れるものは久しからず」のように設定基準が曖昧な点があります。真は相対的であり、悪も善と同一の場合があります。具体的に説明していきましょう。

―友達論 プラトン風

 プラトン主義的な考え方の人がいます。
 「ぼく、友達がいなんです。悩んでいます。相手に合わせるだけで本心が話せる友達がいない。」
 という相談を学生時代にも働き出してからも受けて来ました。私から見れば、同じ学科でいつもご飯を食べたり話をしたりしているので友達に見えるのですが、本人は悩んでいるのです。この問題を青春時代には誰もが悩むのではないでしょうか。この考え方はプラトン主義風の友達論です。というのも、「友達ならば本心を話せるはずだ」という現実に存在しない理想を目指しているからです。そもそも本心とはどういうものでしょうか? 「自分のことは自分が一番良く判っている」ということはありません。赤ん坊が自分のことを良く分かっているでしょうか? 自分のことを、この場合は本心を理解するには多くの経験と苦労と広い視野などが必要です。ですから、赤ん坊のことは親の方が判っているのです。私の息子も機嫌が悪くなってギャーギャーと泣きます。「ああ、お腹が減っているんだ」とご飯を食べさせるとケロリとギャーギャー言っていた内容へのこだわりを失ってしまいます。そもそも当人が本心が判っているのでしょうか。しかし、それが完全に判っているという理想的な前提に基づいているのです。
 次に、他人が本心を理解してくれるでしょうか? 日本を代表する心理学者河合隼雄氏は前文の内容を「心理学者は「人の心など分からない」のが分かっている人である」と短く述べています。他人が本心を理解することについて「真実は劇薬、嘘は常備薬」と言っています。本心という真実は劇薬なのです。ですから、毎回毎回劇薬を与えていれば友達は「死ぬ、離れる、怒る」かのどれかでしょう。そうしなければ相手の生存が危ういからです。道行く人を見て友人に

 「あの人って似合わない服を着ているよね」

と本心を言ったとしましょう。他にも「あなたっていつも人の目ばかり気にして気持ち悪い」とか「親との関係をきっちりした方がいいよ」とか「食べ方が汚い」とかとか、思った本心をそのまま話したらどうなるでしょうか。本心を話せば、良い感情も考えと同時に悪い感情も考えも相手にぶつけてしまうのです。これらを全て受け止めてくれる友人は理想であったとしても、現実にはいないのです。この意味でプラトン主義風、と言いました。「真実は劇薬」との意味です。次に「嘘は常備薬」に行きましょう。
 就職の際の履歴書には「良いことだけ」しか書きません。というのも労働者の全てを知る必要はないからです。労働時間だけ「良いことだけ」をしてくれるのならば、プライベートの時間(労働時間外)で何をしようと自由だからです。履歴書は「労働時間だけ良いことします」を書くのですし、相手に伝えれば良いのです。これと同じく職場では本心を話す必要はありません。ニートの人が職場での人間関係を悩む、と聞きますが職場での人間関係とは良いことだけで充分なのです。それは他人の悪口を言わない、とか仕事の支障にならないようにする、で充分という意味です。
 しかし、他人と人間関係で問題が発生します。その時はお薬をつければ良いのです、嘘という。ある人が仕事が全然出来なくとも「いつも良く頑張ってくれているよね。私は理解しているよ」と嘘をつきながら、関係を修復するというのは人間として当然のこと、と河合氏は言っているのです。こういう嘘は問題が起こった時のお薬として常備すべき、とうのです。同感です。未熟な子供を叱る時に、

「お前はこれが出来ない。あれが出来ない。前に言ったことをなぜしない!」

と言って子供が出来るようになるでしょうか。なる訳がありません。未熟な事実を述べても改善はしないのです。まず、子供に安心感を与えなければ子供は理由を理解できません。その時に子供が安心する一言を掛けてあげて心を落ち着かせるのが専決です。その上で理由をはっきりと説明するのです。心のコントロールが出来ないのは子供だから当たり前なのです。大人でも過剰な仕事や環境にある人に心のコントロールを求めるのは酷(こく)です。その際に嘘は常備薬として必要なのです。
 ただし、嘘ばかり言っていては「信用ならない」、「八方美人」という悪評が自らに帰ってきます。また、仕事を遂行する上で言わなければならないことがあります。ですから、劇薬は本当に悪化した時のみ使用すべき、と河合氏は述べています。短い言葉にこれだけの意味を込められるのですから、素晴らしい人です。
 河合隼雄著『こころの処方箋』

 プラトン主義が理想的すぎる、と同時に友達と真剣に向き合いたいという気持ちも伝わってきます。大人になると中々他人と喧嘩しないのは、プラトン主義の理想を隠してしまうからなのでしょうか。
 以上がプラトン主義風の友達論でしたが、アリストテレスならどう友達を論じるでしょうか。

―友達論 アリストテレス風

 アリストテレスから友達を考えて見ましょう。自分の能力を広げられることです。例えば自分とは違う思考や趣味の人が友達であれば、自分とは別の情報や視野をもらえます。あるいは、穏やかな性格であれば自分が苦しくなった時にほっと一息つけて、次に展開できます。結婚する相手に求めることでこうした考え方を聴くことが良くあります。自分の能力を広げてくれることが基準です。

―友達論 日本風

 日本では「成り行き任せ」です。学校に入ってきた時に、たまたま座った席が隣で話した、何かの縁で話すようになった、などの自分以外のものに任せて出来た友達です。今横にいるから友達だからです。「たまたまご縁があり結婚しました」という言葉も良く使われます。日本風からプラトン風を見るならば「考えすぎだよ」という台詞になります。「そんな風に友達に理想を求めないでいいんじゃない」、「肩肘張りすぎだよ」となります。「なんだか気が合ったのが友達なんだよ」。

-結婚論 プラトン、アリストテレス、日本

 プラトンの理想は現代で言えば、二次元のアニメのキャラクターでしょう。銀髪でツインテールが好きだから理想。だけど、そんな人はいません。アニメのキャラクターはうんこもオナラモしません。垢も出ない。自分のことをズーっと好きでいてくれて尽くしてくれる。永遠にラブラブな関係が続くのです。だけど、そんな人は現実にはいません。それを目指して、どれだけ近いかを結婚の判断基準にするのです。
 アリストテレスでは、一緒にいてリラックスしたり、自分の足りないところを補ってくれたり、一緒に努力して成長できる人を結婚相手に選ぶでしょう。自分の能力の開花を判断基準にするのです。また、結婚当初は若くとも年老いていきます。子供が出来たり親が弱わったりすると2人だけの関係ではなくなっていきます。そうした変化に柔軟に対応できるというのもアリストテレスの判断基準に入ります。この点でアリストテレスは優れているのです。
 日本ではどうか、と言えば「たまたまご縁で結婚した」や「恩人に紹介してもらったから」などです。努力すれば他に出逢いが得られたのにも関わらず「この人しかなかった」と思い込むのも同じです。「この人しかいない」の判断基準が示されぬまま、曖昧なまま、その人を選ぶ、のが日本風です。理屈は語らないほうがよい、という風潮でもあります。付け足しますと、結婚すると平均寿命が10年以上伸びるそうです。これはノモスの視点です。こうした観方(効用主義)で見るのも目の前の現実しか見ていないからこそ出てくる考えです。「技術者倫理」の講義では費用便益分析として出てきます。興味のある人は、以下をどうぞ。

「講義録5-1 費用便益分析 幸福とは何か」
http://takagikenziro.blog.fc2.com/blog-entry-402.html

―悪とは何か

 プラトンの悪とはこの世の割合が多いもの、つまり質料が多くイデアの少ないものでしょう。プラトンはアテナイ人の利益誘導に走り成り行き任せを批判したかったのですから、利益誘導や成り行き任せ、つまりイデアなど理想のない形を悪としたかったのでしょう。時代は下りますが、肉欲、食欲、睡眠欲などの肉体に由来する欲求を悪とするのも、プラトンのイデアを理解する上で役に立つかもしれません。
 対してアリストテレスは変化を妨げるもの、能力を伸ばせないものを悪としました。肉体の感覚(事実)と理性に基づいて学問を構築したのですから、事実を見ない態度や理想や体系化されていない言葉などが悪でしょう。私達は幾つかの机を見て、机の形を理解することが出来ます。つまり、幾つかの机(事実)を見て、何が机かを理性で考えると、机の形が理解できる、というのです。プラトンのように理想的な机を決してみることが出来ない、とは考えなかったのです。前回まとめた表にある「質料(事実)の中にイデア(理想の形)がある」という意味です。この対立は、西欧哲学で合理主義と経験主義という対立に結びつきます。プラトンとアリストテレスを西欧人が内在化した、のが17世紀以降の哲学史です。次回デカルトで詳しく述べます。
 では最後に日本人の悪とは何か、です。日本における悪とは人間の能力を大きく超えるものです。言い換えれば「悪とは善と同じ要素」です。善と悪は相対的、立場によって変わる、と言ってもいいでしょう。この態度は17世紀以後の西欧哲学の中にも見られましたが、古代ギリシャのプロタゴラスにも見られました。映画が判りやすいでしょう。アメリカのハリウッド映画では善と悪がはっきりしています。最初に出てきて顔を見ると分ります。善で主人公はイケメン(ハンサム)で顔がスーッとしていますが、悪人は顔がひん曲がっていたり黒い感じの表情、メイクをしていたりします。最初に善悪が判り、入れ替わることはありません。キアヌ・リーブス主演の『コンスタンティン』などお奨めです。対して日本の映画はそうではありません。『もののけ姫』など誰が善で悪か判りません。立場によって変わります。そういう映画を好むのです。仮面ライダーなどもその典型です。仮面ライダーは悪の組織に所属していたのに、裏切って善の側に走ります。悪の組織から観れば仮面ライダーは「裏切り者(悪)」であり、私達の側から観ると守ってくれる人(善)になる訳です。同じ行為でも善と悪が入れ替わるのです。仮面ライダーシリーズは延べ20年を超え、映画のみならず漫画、小説、舞台などでも展開されています。これほど日本で好まれています。
 死者(神)も同じです。お正月やお盆にお逢いする尊いものでありつつ、祟(たた)りを起こす恐ろしい面も持っているのです。他方、キリスト教のイエスは善の代表です(善なる神が創造したこの世界に「なぜ悪があるか?」という問題は後の講義で述べます)。

-基準(要素)

 イデアは数学が基本ですから、量の変化です。これは机のイデアで述べました。絵に描いた机のイデアは1つ、職人が作った机は色んな方向から観られるのでイデアは多数、多い方が上である、という数に注目していました。この点がデカルトに受け継がれるので、後の講義で述べます。
 アリストテレスの基本は質の変化です。前回述べたように、種が大木になる、という可能態が現実態になる変化は質の変化を指しています。
 日本は第2回レポートでも述べたように曖昧なのです。

―世界

 日本では『古事記』でイザナキとイザナミの国産み神話で黄泉の国から帰ってくる時に岩を置いただけになっています。つまり、あの世とこの世は連続しているのです。死者(神)だけがその岩を年に2回通ってきます。お正月とお盆です。映画「千と千尋の神隠し」で最初の街で「生あります」などの表記がありますが、それは死者が生者を食べるからです。「生ビールの生」ではないのです。驚くかもしれませんが、死者は生者を食べるのです。しかし、よくよく考えてみて下さい、生者は死者を食べるのです。お肉、お魚などは死んだ者の肉です。死肉です。生者は死者を食べるのですから、その反転として死者は生者を食べる、と考えるのです。
 対してユダヤ神話では、あの世はまだありません。この世である宇宙全体を唯一神が作りました。今度は神様が宇宙全体を滅ぼした時、初めて天国と地獄が誕生するのです。それはイエスが生まれてから1000年(ミレニアム)後と言われてきました。ですから、イエスが真で1000年後、「お前たち宇宙が滅びたら困るだろう。キリスト教に入らないと地獄行きだぞ!!」と脅したのです。しかし、宇宙は滅びなかったのです。そうするとキリスト教徒の数が大幅に減ったのです。「イエスのお蔭でもう1000年延びました」と補足されました。宇宙全体が崩壊した時、魂だけがイエスの前に行き名前を言います。
「お前、名前は?」
「高木健治郎です」
「じゃあ、地獄!!」
という訳です。なぜなら私はキリスト教徒ではないからです。その時に地獄が作られるのです。日本のようにこの世とあの世とが同時にないのです。ちなみに、ヨーロッパ人の名前は「ジョン」や「ヨハネ」など聖書や聖人の名前が多いですが、それは「魂の状態で名前を言う」のが当然だからなのです。子供に聖書などから名前を取るのは、子供が天国になるべく行って欲しい、という親心なのです。

―世界の関係と出発点

 前回の講義で十分述べたので割愛します。以下に応用例を出します。

―神様はいない、という場合の大きな誤解

 日本人は「神様なんていないじゃないか。信じる人は心が大変な人だ」と言う人が多いです。しかし、それは当たり前なのです。キリスト教を信じている人にとっても当たり前です。日本人が言う「神様なんていないじゃないか」というのは「肉体(五感)」に基づいています。つまり、「神様は見られない(物質ではない)」、「神の声は聴けない」、「神に触れない」、「神の匂いがしない」、「神の味がしない」などです。それは世界の7割以上の一神教を信じている人々にとっても当たり前です。「物質的に神がいないこと」は当たり前なのです。
 出発点は、プラトンのイデアの「想うこと」なのです。つまり、完全なる三角形や理想化された状態の運動方程式を人間は肉体で触れることが出来ません。「想うこと」、難しく言うと「精神の洞察」によって認識しているのです。これと同じように宇宙全体を創造したであろう神を「精神の洞察」によって認識できる、と考えているのです。これに対する反論を日本人から聴いたことは数人だけでした。逆に「物質的に神がいない」から「神を信じない」というのは、そもそもの問題そのものを正確に理解していないことになります。数学の問題に社会の答えを書くようなものです。私の妹がアメリカの大学でお昼を学食で食べている時に「ねえ、神っていると思う?」という話しが出てギョッとしたそうです。この大学なら「なんだ、新興宗教の勧誘か?」と想うでしょう。しかし、アメリカでは数学の問題に近い感覚なのかもしれません。
 しかしながら、日本人の多くの人々、自分は無宗教だと言う人々は、「肉体」を出発点にして神を考えているのです。さらに、日本人は世界で最も大きい宗教イベント(お正月)や世界で最も多くの寺院がある国に住んでいるのですから、不思議です。

―学問として

 イデアの「精神の洞察」を使う学問は、哲学や数学です。事実に基づくのは生物学などです。肉体の五感を使うのは、文学でしょうか。この辺りは曖昧ですが、技術も入るでしょう。ヨーロッパ人は数学がイデアに通じる最高の学問の1つと考えます。近代に入り数学の進歩がヨーロッパ人の優位性の1つの証拠とされてきた時期もありました。しかし、日本では全く別系統で同じ時期に導関数が確立されたのです。これに見られるようにプラトン主義からすると数学や哲学が上なのです。技術や文学などは下になるのです。日本では自分の好きな学問をすれば良い、と考えられていますが、西欧では技術系の大学が19世紀まで出来ませんでした。学問として下に見られていたからです。

問1 どの大学が良いか、をプラトン、アリストテレス、日本の基準で書いてください。

 補足:自動車で述べましょう。プラトン主義ならば理想を考えてからですから、理想の自動車を想い浮かべます。それになるべく近い車を創ろうとし、手に入れようとします。前回の美女コンテストと同じです。
 アリストテレスは可能性ですから、「この車に乗ったら自分の可能性がどのくらい広がるのか?」で考えます。軽自動車に乗ったらガソリン代が安いので遠くに行ける可能性が広がる、あるいは4人家族ならばゆったりした車の方が落ちついて遠くに行ける、などと考えて車を選びます。大学1年生の最初の夏休みで北海道に旅行した時、自動車の中で寝るつもりでしたから、「寝られる車がいいなぁ」と思ったのです。金がなかったので寝られる自動車なら長い旅の可能性が広がるからです。
 日本ですが、私の中学校の時の同級生が静岡市で自動車販売会社に勤めています。御縁があるから、自動車を彼から購入することになります。要望は幾つか言うかもしれませんが、御縁を出発点にするのです。ちなみに私は車の免許を持っていませんから、彼に「免許取ったら購入お願いね」と言われています。同級会で逢うと「まだ免許持ってないの?」なんて聴かれます。「ごめんね」と返事をします。

-問1 解答例

プラトン:理想の大学を設定して、その大学にどれだけ近いか、で良さを決めます。
アリストテレス:自分の可能性を広げてくれる大学か、で良さを決めます。
日本:たまたま自分の偏差値に近い大学か、で良さを決めます。

 もう少し具体的に説明します。プラトンなら理想の大学を設定します。先生と学生の関係、教育内容、施設などなどです。理想の80%を達成されているのがケンブリッジ大学とします。この大学は50%としましょう。そして近くの国公立大学Aを40%とします。というのもこの大学は学生の出席率が極めて高くレポートを出してもきちんと提出されています。対して国公立大学Aは出来る学生は出来るけれど、出席率もレポート提出率も低いと聞いているからです。人間の設定した全国大学偏差値ではなく、あくまでもこの世界に存在しない理想の大学にどれだけ近いか、で判断するのです。人間の設定した偏差値は、所詮、フュシス(自然)のノモスの基準に過ぎないのです。
 アリストテレスならば、自分のやりたいことや可能性を広げてくれる大学が良いのです。だから偏差値がいくら低くても、良い大学ならば良いのです。
 日本ならば、高校の先生が進めてくれたから、とか、幾つか落ちてここしかなかったから、とか家に近いから、とかそういう「たまたま」や「御縁」のある大学が良い大学なのです。
 皆さんは、どういう風に良い大学を考えているでしょうか。
 私はこの3つの全てを身につけて欲しいと思っています。この世界は矛盾しているからです。それが「より善く生きること」に通じると考えています。シラバスに書いた「より善く生きること」なのです。

―アリストテレスの欠点 自分のやりたいことは認識できない

 教育においてアリストテレスの欠点が浮き彫りになります。それは「自分の可能性を広げてくれる」という考え方が破綻するからです。「可能態」を認識する際に「何が可能であるか?」の考え方が破綻すると言いなおしても良いでしょう。そもそも「可能」であるためにはその基本要素を知らなければなりません。しかし、人間は何が基本要素であるか?が分からないのです。大学進学や就職活動で「あなたの好きなこと、得意なことを教えて下さい」とか、

「あなたのやりたい仕事はなんですか?」

と聴かれて誠実に答えられる人がいるでしょうか? 残念ながら誠実には誰一人答えられません。なぜなら全ての仕事を一生懸命やった上で「ああ、やっぱりこの仕事が好きでやり続けたい」と言う人はいないからです。勉強でも「たまたま、馬が合う先生がいたから数学が好きになった」や「担任の先生が英語の先生で強制されたから出来るようになった」なのでしょう。全ての教科を平等に頑張って自分が得意不得意を知るというのは中々難しいものです。つまり、自分の個性の基本要素を知ること、向き不向きを知ることは、ほぼ不可能なのです。少し難しく言うと、アリストテレスの可能態は、現実態になる前から可能態を設定しているのです。基本要素を設定している、と言いなおしても良いでしょう。

-自分を知るためには強制が必要である

 自分の向いていること、自分のやりたいことを知るためには、血のにじむような努力が必要なのです。昨今の大学入試ではAO入試や自己推薦入試などが増えていますが、学校の先生や塾の先生の手が入っていることが多いのです。その際に「自分のやりたいことは?」という質問が良く出ますが、それは本当に受験生が努力の結果獲得したものでしょうか。一般入試では長い努力が要求され、強い緊張感などを与えられて結果が出てきます。その時に「ここまで頑張ったから、この大学で良いんだ」と言い切ることが出来ます。このような強制によって自分をある程度知ることが出来るのです。スポーツでも基礎訓練を続けて習得して初めて向き不向きが判ってきます。最初の段階で不器用さが目立つ人も、かえってその不器用さが武器になることが往々にしてありえます。基礎訓練の強制によって初めて向き不向きが判るのです。
 そうすると、例えば小学校6年生より前に「子供の好きなことをさせる」というのは危険性が潜むことが判ります。同様に「より善く生きること」にも同様の危険性が潜むことが判ります。

 -ノモスとして観ると

 この大学よりも理想に近い(と設定する)東京大学に入ったとしましょう。そうするとさらに理想に近い(と設定する)ケンブリッジ大学に入りたくなります。その次はハーバード大学でしょうか。ハーバード大学ならA先生の研究室よりもB先生の方が理想に近い、となっていきます。他方、プラトンの言うイデアは完全な理想ですからこの世界には存在しません。その理想と現状を比較してしまうと、どうしても不満、不安、自己否定の感情が出てきます。同じように「親友が欲しい」というのもあります。「本音が言い合える親友が欲しい」というのを良く聴きますが、「本音が言い合える親友」を持っている人が何%いるでしょうか? 理想の親友などは存在しないのです。ニートでも「職場での人間関係が怖い」と聴きますが、「職場に人間関係は必要ない」のです。仕事とは「時間分働いて給料をもらうだけ」なのです。「人間関係の良好さ」は仕事に入っていないのです。
  「人と話すときに笑顔ができない」と聴きますが、それは必要ないのです。ニートの人は「いい給料が欲しい」、「笑顔が出来ないといけない」などなど理想を追い求め過ぎなのです。理想を設定して不満、不安、自己否定の感情が出てきているのでしょう。もちろん、これは私達日本人には誰でも当てはまる部分があると思われます。アニメ「僕は友達が少ない」とか太宰治『斜陽』なども参考になるかと思います。
 
-どうして日本は常に儲かり続けているか。

 日本は世界中にお金を貸している国として20年以上第1位です。奇跡の経済復興は技術だけではありません。お金を儲けるシステムがあるのです。もう少し身近な問題にしてみます。

問2 どうすれば必ず儲かりますか?

問2解答例 ただのものを売る

 ただのものはリスクがゼロだからです。説明は割愛します。

問3 あなたの考えはプラトン、ソクラテス、日本のどれに最も近いですか

 --(昨年度の講義録より抜粋終了)--

 本年度は、どうすれば必ず儲かるか、という解答=ただのものを売る、はイデア論である、と言いました。イデア論ですが、現在のビジネスは、このイデア論で動いています。

 服は必ず売れます。その服屋のリスクは、販売店の建物であり、従業員の給料であり、電気ガス等の費用です。この費用をネットならば、リスクをかなり低く抑えられます。楽天などのネット業者はこれで成功しているのです。新しいビジネスをグーグルのように作り出したのではなく、現実に存在している商売のリスクを下げることで大企業にのし上がったのです。そして、現在、安倍政権が大企業の法人税を下げるのも、企業が法人税の安い国家に本社だけ移す、というリスクを下げる行為が行えるようになり、その点で競っているからなのです。現在の世界的な経済の流れが、イデア論という視点で綺麗に整理できるのです。

 では、どのようにするか? 

 それはアリストテレスがイデア論を克服した視点を取り入れてみるのが参考になることでしょう。

 以上です。
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