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哲学10-1 イデア論とは

 皆様、こんにちは。

 冬は受験生の季節でもあります。私も少し受験生に関わっていますが、自分が受験する時とは異なる緊張感を持っています。過日、担当した学生が「先生、やるだけのことはやりきれました。結果に悔いはありません。」という言葉を発してくれました。何よりも嬉しいことです。それは当人が予想以上に成長した結果を感じているからでしょう。受験の厳しい緊張感の中で、大きく成長する人とそうでない人がいます。受験は所詮受験生自身のもの、幾らでもサボることが出来ます。けれども、そこに真剣に打ち込む時、ソッとお手伝いが出来る、のです。大学受験ではそれまでの蓄積が試されます。蓄積というのは知識量だけでなく、素直さなどの精神面も含まれます。こちらがこの学生は此処が足りない、とか、ここの長所を伸ばしたい、とプログラム(企画進行)を考えても、やってこない学生がいます。それでは何も出来ない、というのが実情です。素直に余分なことを考えずに打ち込む、そういう経験をしている人、そういう大切さが直感として分る人、そういう人は厳しい緊張感の中で、大きく成長できるのです。とはいえ、私はほとんどの場合そうではなかった、という点を付け加えておかなければなりません。

 それでは本文に入ります。

配布プリント 
:なし

宿題 前回提示
:哲学第2回宿題レポート 12月9日まで
http://takagikenziro.blog.fc2.com/blog-entry-528.html


 --講義内容--

 前回はプラトンの洞窟の例え話などをして、プラトンの真の目的を描き出しました。二千年を超えて洞窟の例え話は心を打ちました。今回は、イデア論の周辺の話をして、よりイデア論そのものを鮮明にしていきたいです。本年度は以下の点を付け加えました。

問1 洞窟の例え話で、縛られているのに気が付いてももう一度座る人の(学問上の)欠陥を説明して下さい。

 学生の皆さんの感想で、「私はもう一度座ってしまう」という内省が約1/3も見受けられました。個人の感想としては良いのですが、学問上の欠陥があります。それはプラトンの理解を狭めてしまう、という以上の意味です。以下のように書きました。

 もう一度座る人は、「自分が影を見ている=体験」と「他人が言う真実=伝聞」を同一化して考えている、という学問上の欠陥がある。

 哲学者が真実を見てくるのは体験です。哲学者は影と洞窟の外の両方を体験しているのです。その上での判断です。しかし、もう一度座る人は哲学者の伝聞と体験を同一視して比較して判断しているのです。判断するのならば、両方体験しなければなりません。

 例えば、ホームラン打者が、こんな風にバットスイングをすればホームランを打てますよ、とTVで言っていたとします。それは伝聞でしかありません。伝聞を受けたからと言って、それは実際に打席に立ってホームランを打つ、という体験とは全く異なることなのです。日本のマスコミも欧米のマスコミも偏っていますが、それ以上に、マスコミは所詮伝聞でしかないのです。その伝聞を自らの体験と同一化して考えてはならないのです。

問2 プラトンの考える哲学者の要件とは

 言い方1) 自分の良心を大切にできる人(世間体やお金儲けよりも)
 言い方2) 才能やひらめきのある天才ではない(誰でもなれる)
 言い方3) 知識は必要ない(教育も必要ない)

 哲学者、というと難解な本を読んでいる、というイメージがあります。これはキリスト教化したイデア論と西欧社会の屈折した歴史が原因です。多神教であったギリシャのプラトンは、あくまで実践のイデア論でした。つまり、アテナイの民衆全員が使いこなせるようにイデア論を用意したのです。誰でも、教育の有無も関係なく、自分の良心を信じて行動できこと、がその要件としたのです。

-哲学とは

 シラバスにもあるように「哲学=より善く生きること」です。そのために、

 ①この世よりもあの世を上位に置いた つまり目標設定を明確にした    →後にキリスト教に使用される 例、「人は神の似像である」

 ②この世の曖昧さを排除して、具体的に祖国復興を目指す=社会全体の利益を考える=公益 →後にローマ人に影響を与える 例、お金持ちは社会全体に図書館や道路など寄付する義務がある

 日本の民主主義の欠点 = クラス皆で話し合ったなら結果は受け入れるべきものである → クラスの人々が愚かだと何もできなくなる。

 この日本の民主主義の欠点は、アメリカのラスやコールバーグなどの道徳論の欠点に類似している。多文化主義で話し合えば主体的な道徳を学習できるというラス。まるで、ISISと話し合えば日本人の人質を返してくれ、テロも治まると考える現代日本のある人々のようである。道徳は子供の発達段階に合わせて段階を踏んで上がっていくと主張したコールバーグ。しかし、実際に人間はそのように登っていかないことは数々の統計結果が示している。より善く生きるためには、人類数十億人が蓄積してきた結論をまず学習し、その上で自らが咀嚼しなければならないのである。この点はプラトンがイデア論を主張した根本動機である、と私は捉えている。

 以上が授業では述べなかったことも含めて、本年度付け加えた点です。

 --(昨年度の講義録より抜粋)--

―現代日本にある影

皆さんの身の回りにあるイメージ(影)の例を考えてみましょう。沢山あります。大衆消費社会が成熟してくると、商品が溢れ、商品そのものの差がなくなり、イメージ(影)で売ることが必要になってくるからです。ですから、影かどうかの判断基準は、「本当にないと困るかどうか」です。スマートフォンは購入代も含めて月に1万円前後掛ける価値があるのでしょうか? 常にメールや電話がつながる状態にある必要があるのでしょうか? この場合の「必要」とは「1万円以上の利益を出しているか」とすると判りやすいです。つまり、あなたがスマートフォンを持つことで1万円以上の利益を自分が得ているでしょうか。費用が1万円なら利益が1万円以上あれば必要、というのは経済の初歩です。費用対効果です。「今はスマホぐらいみんな持っているよ」という世間様、TVのCMなどで「スマホはいいぞぉぉぉ!!!」と言われて「ほしい」と思っていないでしょうか? (今まで高木は携帯電話を持ったことがありません)

 TVゲームを挙げましょう。先ほどの携帯とは異なり高木はTVゲームが大好きです。小学校2年生の時にファミコンが出て以来、ゲームと離れた生活をしたことがありません。
 TVゲームを一生懸命やってみても、この世界の真実は見えてきません。所詮、TV画面やパソコンの画面に映し出された影に過ぎません。影のルールを作っているのは、プログラマという人間です。ですから、この世界の真実は見えて来ないですし、それを見て「感動だ!」とか「楽しい!」とか言っても、寝言のようなものです。目を開かないでイメージで夢を見て寝言を言っているのです。この世界の真実を見るには起きて目を開かなければなりません。
 プラトンは、2400年後の未来を、現在の日本社会を予測したのでしょうか? 驚くばかりです。『国家』には面白い話は沢山ありますが、第10巻の以下のことで終わりにします。

―誰が哲学者になれるか?

 では、この世界の真実を見る哲学者になる人はどんな人でしょうか? プラトンは以下のように考えました。そのために、「魂の不滅」を使いましたが、西欧は「魂の不滅」を神学から信じてしまいました。 プラトンは、先ほど述べたように「哲学者になるには特別な地位、権力、文化、人種などは必要ない」と言っています。しかし、哲学者になれる人となれない人がいます。図で以下のように書きます。

 神の世界 :イデアだけの世界 =魂だけの世界、魂でないといけない世界
 ↓ ↑
裁判所(広場あり):忘却の川がある。水を飲むとイデアを忘れる。
:生まれ変わりを決める。
 ↓ ↑
 この世  :人間の世界 イデアと物質(質料)が結び付いた世界

 プラトンは、2つの世界を考えました(「2世界説」)。この世で死ぬとその行為に応じて10倍の罪や善行では10倍の報いが与えられます。そしてイデアの世界に行き、生活した後、また裁判所に戻り籤を引いて順番を決めて生まれ変わる先を選びます。次に忘却の川の水を飲まなければならず、「思慮によって自制することができない者たちは、決められた量よりもたくさん飲んだ。」とあります。この世に誕生した時にイデアを多く知っている者とそうでない者の差を説明したかったのでしょう。つまり、以下のことが言えます。

A) 魂は不滅である (肉体は死滅する)
B) 輪廻転生する (肉体は死滅する)
C) イデアは不滅である (この世の物は滅びる)
D) 想いだすことがイデアを知ることである (イデアは学べない。学ばない)

 それぞれの説明を簡単にします。A) 魂は不滅である、は特段プラトンに限ったことではありません。日本でも閻魔大王(えんまだいおう)という裁判官の1人が有名で、同じ構図の話があります。これは中央アジアに起源があると言われていますし、現在でもインド教(ヒンズー教)でも輪廻転生を基にしてカースト制度が現存しています。B)もA)と同じです。仏教はA)とB)を乗り越えようとして出来た宗教です。
 プラトンの特徴は、C) にあります。永遠不滅、時代や社会などに左右されない形(イデア)が存在すると考え、都市国家アテナイを改善しようとしました。自然的存在論では「成り行き任せ」だったからです。確固たる目標を目指したのです。そのような目標がつかめるかどうかは別にして、永遠不滅のイデアを求める志向は、近代哲学の基礎、近代科学を生み出す1つの原動力になりました。

―学ぶこと=想いだすこと=想起(そうき:アナムネーシス)

 プラトンはC) からD)想いだすことがイデアを学ぶことである、を引き出しました。つまり、プラトンでは学びとは想いだすこと=想起なのです。以下のようにまとめてみます。

「私達は生まれる前に神の国にいて、既に素晴らしいイデアを知っている。けれども、忘却の川で水を飲んだために忘れしまっているだけである。だから、ゆっくりと心を落ち着けて想いだせば、大切なことは判るのだ」

 ピュタゴラス学団は宗教集団の側面があり宗教儀式を行っていたようですが、この言葉も一見すると宗教の勧誘のセリフと近いものがあります。「あなたの中に全てありますよ」というのです。例えば仏教の「全ての存在者に仏の性質(仏性)がある」というセリフと通じるものがあります。ここで想いだして欲しいのは、プラトンは国家の再建のためのセリフだという点です。つまり、「学ぶこと=想いだすこと」とは手段に過ぎず、宗教の勧誘のように悟りの境地という目的ではなかったのです。

―哲学者とはイデアを想いだした人

 ユークリッド幾何学や運動方程式で述べたように、プラトンは「知っているが想いだしていないだけ」という例を多数出しています。『国家』以外にも『メノン』では4角形の面積の話を持ち出します。「知っているが想いだしただけ」という例を出すのは、つまり、哲学者=徳を備え、真・善・美を知る人=統治者=「自分の心を向かい合った人」を言いたかったからなのです。その意味で、哲学者には誰でもなれるのです。現代の日本の哲学者のイメージのように「小難しい顔をして、沢山の知識を知っている人、常に思考している人」が哲学者ではないのです。少なくともプラトンの言葉を大胆に置き換えるなら、

 「哲学者=自分の心の声に素直な人」

 なのです。ソクラテスを哲学者として念頭にしていたのですから、他に「正しいことを断固として行える勇気のある人」も付け加えられるのではないでしょうか。何やら特別な意味を込めていないのは明らかです。また、プラトンが「誰でも哲学者になれる」と言っていたのも伝わってくるのではないでしょうか。
 「魂の不滅」は一見聞くと、ぎょっとしますが、「哲学者=自分の心の声に素直な人」だから、皆さん自分の欲や利益に惑わされずに、自分の心と向かい合いましょう、という主張のための手段なのです。何度も述べてきたように西欧哲学は、「魂の不滅」をキリスト教の神と結び付けてきたのです。もちろん、それは来歴であり批判めいた意味を込めてはいません。他方、日本にはそのような来歴がないのです。

―プラトンのイデア論における存在性

 今から3つの机のイデア(形)を挙げていきます。「机であるか」が高いが=存在性が最も高いか、を考えて観て下さい。

問2 どの机が最も机であるか、プラトンになって、日本人の常識で順番を付けて下さい。それぞれの基準を挙げて下さい。

  机のイデア           プラトン       日本人

(4)  頭の中に想像としてある机
(5)  職人によって作られた机
(6)  画家によって描かれた机

 よく日本人は、キリスト教を理解せずにキリスト教風の日本人である(山本七平氏など)と言われますが、この辺のプラトンのイデアの理解を指しています。「頭の中にある机が最も机だ」というのならば、プラトンのイデアということになります。どれが最も机なのでしょうか? 

答え
  机のイデア           プラトン       日本人

(4)  頭の中に想像としてある机    No.1         No.3
(5)  職人によって作られた机     No.2         No.1
(6)  画家によって描かれた机     No.3         No.2
   基準              形          有用性

 プラトンは日本人、あるいは古代のギリシャ人と全く違うことを言いました。ですから、プラトンがアテナイの人々に全く相手にされなかったのも理解できるでしょう。私達日本人からすれば、目の前にある木で作られた机こそが「机である」のです。なぜならば、机は物を置くために作られた道具だからです。物が置けなければ机の役割を果たしていないのです。ですから、作られた机こそが机である、のです。常識です。そこをプラトンは、いやいや頭の中にあるアイディア(想像)の机こそが机なんだよ、というのです。現在の私達に言っても「え?何言ってんの?」と思われるのではないでしょうか。しかし、プラトンは想像の机が最も机なのだ、と主張します。プラトンからすれば、机の形(イデア)が大切なのであって、完璧な形は魂のある世界にしかない、というのです。死後の世界について考えないようになっている現在の日本人にはさらに、「え?もっと何言ってんの?」でしょう。
 日本人は次に絵の机を選ぶでしょう。それは観ることが出来るからです。相手に机の形をきちんと伝える役割を果たせるからです。いくら頭の中に想像していてもそれを他人に伝えること、役に立てること、金を稼ぐことは出来ません。ですから、上のような順番になります。
 対してプラトンは、そのような順番は、有用性が基準だとして批判します。有用性とはこの世だけの基準でしかない。さらに、有用性とは人によって変わる曖昧な成り行き任せのものだ、というのです。プラトンの基準は「形」であり、完璧な形は天国にしかない、というのです。
 実は学生の皆さんに板書してもらったのですが、ここまでは半分近くの人が正解でした。驚きであると共にイデアと日本人の常識を理解していてくれていて嬉しかったです。では最後です。職人が作った机と絵に描かれた机です。プラトンは職人が作った机は、前から観ると1つの形が見える、右横から観ると1つの形が見える、後ろから見えも1つの形が見える、という形に注目しました。しかし、絵画には机の形が1つしかありません。

「この世の形が不完全ならば、形が多い方がよい」

というのです。そこで、No.2が(2)職人の作った机、No.3が(3)絵に描いた机となります。
これらが意味するのは、イデアの言う存在性は、イデア界が最も高く、材料と結び付いた存在者が次に高い、ということです。さらにアリストテレスと比較すると以下のようなことが出てきます。それぞれ言い方を変えただけです。

 イデア  +   質料    ⇒   自然界の存在者
完全な形 +   材料    ⇒   机、人間、動植物 
本質存在 +   形相    ⇒   現実存在(事実存在)

質料とは哲学の用語です。原子や材料と考えて良いと思います(現代の科学哲学からすれば)。こうした考え方は、現実離れしていると思われるかもしれません。具体的な例を挙げてみます。教室の外を見てみましょう。駐車場に自動車が止まっています。自動車は毎年のように新しい形が出てきています。それらは、「どういう自動車が良いのか?」と考えた結果です。「どういう自動車が良いのか?」を考える時に、「究極の形」を目指している、と考えるのが、プラトンのイデア論です。「どういう自動車が良いのか?」を最初にしっかり形として考えるのが大切だよ、と言い換えても良いでしょう。
対してプラトンからすれば日本人の有用性の考え方は、成り行き任せです。「どういう自動車が良いのか?」を考える時に、「売れる自動車がよい自動車だ」となるのです。「売れればよい」のでしょうが、それは移り気な消費者の心理に依存することになり、結局は成り行き任せに過ぎなくなるのです。また、自動車が新しい形が出るにしても、何も基準がなくなってしまうのです。「売れる」が「使える」になっても同じです。「何が使えるのか?」では結局、消費者の心理に依存することになる、基準の設定がないのと同じなのです。

―技術と自然科学の差がイデア

 自然科学とはこの世の世界に依存しない原理を設定する学問です。物が落ちる時は「V=aT」:「速さ=定数×時間」という原理がある、と設定する学問です。この原理の設定が、イデア論でいうイデア=完璧な形なのです。現実世界に「V=aT」が成り立つことは決してありません。空気抵抗があるからです。現実世界だけを見つめるだけでは出てこないイデアを設定しているのが自然科学なのです。対して技術とは現実世界の中の有用性を判断基準としています。トラックと乗用車はどちらが優れているでしょうか?という時、「どういう用途に使うかによる」という有用性の基準を出したとしても、その有用性は地域性や文化などのよって、曖昧になっていきます。何かしらの範囲を限定して、有用性だけで判断するのが技術なのです。まとめてみます。

自然科学:完全な形(原理)の設定=イデアの設定
技術  :この世の有用性が基準。しかし曖昧。

 日本では「科学技術」と呼び、同一のものとして扱うことが多いですが、根本が異なります。科学哲学からすれば科学と技術は全く別なのです。この混同は、福島原子力災害への国民や専門家の過剰反応でも観られました。混同によって技術への反発が科学へと結びつけられたのです。イデア論は福島原子力災害を考える場合にも大きなヒントを与えてくれることでしょう(出来れば論文なり本にしたいと思っています)。

 --(以上昨年度の講義録より抜粋終了)--

 以上です。


 
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