哲学9-1 プラトンの真なる目的とは

 皆様、こんにちは。

 一足飛びに冬が来たような北風が吹いて来ました。私も鼻風邪をひき、完治するまでに1週間近くかかりました。加齢を感じると共に、残りわずかな人生、という想いと、人間に生まれた奇跡を想わざるを得ません。学生の皆さんに伝えようか、どのように伝えようか、と布団の中で悩みました。1人1人の小ささと積み重ねの大切さを慮る処です。

 それでは第9回に入ります。

 講義連絡

配布プリント B4 4枚

:宿題用 3枚半
:クセノポン著 内山勝利訳 『ソクラテス言行録Ⅰ』 270-271頁
 ソクラテスが毒杯を飲む理由に老いがあること。最善を行うべきこと、クセノポンが伝聞に基づいていることなど

宿題あり


 --講義内容--

 前回はプラトンの概略とイデア論を数学との関係で特に述べました。宿題も数学との関係で出しました。今回は、イデア論をもう少し深めるために幾つかのポイントと、「洞窟の例え話」をします。特に今年度加えたのは以下の箇所です。

「哲学=より善くいきる」とシラバスに書きました。
そのためには以下の2つが必要である、とプラトンは考えました。

 プラトンのイデア論 ①天国をこの世よりも上位に置く → キリスト教に使用される 例えば、「人は神の似像である」
              ②この世の曖昧さを払拭して最善の国家を目指す →ローマに影響を与える 例えば、「人は公益に尽くすべきである」

 プラトンの意図は②が強かったが、①が後世に残ったのです。また、①と②の意図は、祖国アテナイを救いたい、という気持ちがあったからです。それゆえに、アテナイの市民たちの思考の根本を換えようとしました。その実例が、後半に述べる「洞窟の例え話」です。
 
 --(昨年度の講義録より抜粋)--

 今回はプラトンのイデア論を説明していきます。哲学とは、「この世界のこと(自然[フュシス])」と「あの世の世界」を分けたことに始まります。「あの世の世界」を現代の言葉で言いかえれば「頭の中の世界」と言えます。これは前回の完璧な正三角形(イデア)で説明しました。この内容を今回は2つの点で述べます。

①学問全体を支える哲学(諸学の王である理由)
②数学のみならず物理も根本を支える哲学

 この2点に絞ります。昨年度までの色々の付属の説明は省きました。もし、広がりを読みたい方は昨年のブログをどうぞ。そして最後に、プラトンの真なる目的を有名な「洞窟の例え話(『国家』第7巻)」で説明して終わります。

 -①学問全体を支える哲学(諸学の王である理由)

 黒板に全体図を描いて説明しました。全体図を右半分と左半分に分解します。

(右半分)

イスラム教 ← 正統なキリスト教(ギリシャ正教) ← 原始ユダヤ教  ⇔ 哲学
   ↓      異端なキリスト教(ローマ・カトリック)    ↓
  錬金術      ↓                     ユダヤ神秘主義
   ↓      反抗したキリスト教(プロテスタント)
 化学へ


(左半分)
                     錬金術
                      ↓
哲学 → 数学 → 物理   → 化学 → 生物学(分子生物学)
       ↓       ↓        
     微分積分など 電磁気学
       ↓       ↓
      現代数学  量子力学など

 右半分は宗教や倫理です。倫理とは宗教から出てきます。そしてその根本は哲学(思想)です。左半分は自然科学です。自然科学の根本的な基礎づけが哲学によっと行われています。その最初がイデア論であり、前回述べた幾何学です。この図に入らない政治学や社会学、心理学は何れも哲学や他の要素から派生していきます。日本では哲学、というと文系の学問のように錯覚されますが、全ての学問の基礎を提出する学問であり、それゆえ諸学の王と言われます。そして数学が諸学の女王と言われます。フランスでは最も優秀な人は哲学を、次に優秀な人は数学を学ぶ、と大学時代に教わりました。日本では最も優秀な人は法律と医者でしょう。ちなみに、技術はこの図の中に入りません。哲学が諸学の王であり、そこから最も遠い技術は、劣った存在(学問として認められるのは18世紀以降)として扱われています。逆に、日本では職人さん、と尊敬の対象でありました。
 全体図には、哲学から数学が分化していった大体の年代や各説明をしました。これは割愛します。

 -運動方程式というイデア

 哲学=イデア論を根本として数学が基礎づけは前回行いました。今回は、当の数学から物理への広がりです。ここにもイデア論があります。具体的に観ていきます。

 ー問1 運動方程式 はイデアですか? それとも目の前の現実ですか?

運動方程式とは、「力を加えない限り速度は変化しない」や「力を加えると質量に応じて加速する」です。数式で書くと 「F=ma」 Fは力、mは質量、aは加速度です。
中学校の理科で習います。

 重たいものを机の上で横から置くとします。すると、重たければ重いほど加速しない、のです。これが現実世界です。重さが3倍になると速さが3分の1になります。これがイデア的存在論です。上の2つの文には明確な差があります。中学校で習った時、皆さんは2文が同じである、と教えられ理解したのです。

問1の解答

①運動方程式「F=ma」は、イデア的存在論で見ると「イデア(完全なるもの、不滅の存在)」です。

②運動方程式「F=ma」は、自然的存在論で見ると「存在しないもの(不自然)」です。

 以上です。
自然的存在論から観ていきましょう。この世だけ観ていたら「F=ma」は絶対に出てこないものです。存在しないものです。前回のユークリッド幾何学と同じです。皆さんは運動方程式を中学校の時におかしい?と思いませんでしたか。

-不自然な運動方程式

 不自然な理由を挙げていきましょう。

○摩擦なし
○空気なし
○物体に幅がない

○摩擦なし
 中学校の理科の問題で「摩擦なしで考えなさい」と注意書きがなかったでしょうか。しかし、この世の中に「摩擦なし」は存在しません。不自然です。「摩擦なし」ならば、そもそも物を押すことが出来ません。足の裏と床に摩擦があるから、人は物を押せるのです。つまり、人が物を押す場合は「摩擦あり」だから出来るのに、物を押す場合だけ「摩擦なし」とするのです。

○空気なし
 この世に空気がない、のは存在しません。不自然です。しかし、F=maには空気抵抗を考える項目が入って来ていません。宇宙空間でさえも薄くですが、原子が拡散しています。空気抵抗を考えなくても良いほど少ないことと、空気抵抗がないことは一致しません。ですから、現実世界では空気抵抗が無視できるほど小さいか、無視することでしか「F=ma」は成り立たないのです。しかし、中学校の理科の問題では「空気抵抗は無視して良い」と書いてありませんでした。数年前、高木は中学校の理科を教える塾の講師をしていました。
 
○物体に幅がない
 「長さがない」と答えてくれた学生さんがいました。素晴らしいです。「物体に長さがない」のです。ユークリッド幾何学で説明と同じように、物体には長さがないのです。この世に「物体に長さがない」は存在しません。不自然です。
 ではもし「長さがあったら、F=ma」はどうなるでしょうか? F=maは成り立ちません。長さがあると「回転」が生じるからです。回転は物理学では「モーメント(回転偶力)」といいます。公式は「M=FL」です。M:モーメント、F:力、L:長さです。
 例えば皆さんが座る椅子、その椅子をおへそ(ほぼ重心)に寄せて軽く持ちあげて見て下さい。次に腕いっぱい伸ばして、おへそから椅子を話して持ちあげて見て下さい。質量(m)は変わらないのに、持ちあげるための力(F)は余分に掛かることでしょう。これは長さ(L)が増えることで、Mが増えるからです。モーメントの式もイデアですが、F=maは物体の幅を0(ゼロ)としているのです。
 長さがあると向きが出て来ます。ペットボトルを横向きに落とすのと、縦向きに落とすので(どちらを縦にしても)落ち方は変わるでしょう。落ちてから回転して方向が違うのです。しかし、幅がないので落ちてから回転しないのです。

 以上の3点から、「F=ma」はこの世だけを観ていても決して出てこないのです。ですから、日本では運動方程式は結局出て来ませんでした。ニュートンの運動方程式に必要な微分積分を生み出したのは西欧と日本だけですが、西欧は神の世界を追い求めていたから、この世の世界だけを観ていては出てこない運動方程式という原理に行きつきました。対して日本は、世界最高の数学をクイズにして皆で楽しんだのです。神社に数学の問題が奉納されています。歴史の結果は1回の事象であり、プラトンが居たから西欧だけが運動方程式を生み出せた、というのは学術的に問題(因果か近接か)があると考えますが、社会科学の範囲では説得力のある説明です。つまり、

「プラトンの哲学があったから西欧では近代科学が出てきた」

というのです。図式化してみます。
                                     
○ 完全(イデア):魂で見る(=頭の中だけで考えられる)   → だから、不完全な現実を整理できる
× 不完全な現実を沢山観る                   →だから、完全(イデア)=原理が出てくる

 ということです。プラトンは私達の頭の中のイデアを想い出すこと(想起)によって、不完全な目の前の存在者を理解できる、というのです。

―完全なる運動方程式

 ですから、運動方程式はプラトンの言うイデアであり「完全なる存在」です。この世の存在社だけを観ていては決して出てこないのです。プラトンの考え方をすると「完全なる存在」=「F=ma」の不完全な形が、私達の目の前で起こる落下や物を押すことになります。
 私達は中学校の理科で運動方程式を習った時、実はイデア=この世に存在しないものを、「直観」したのです。プラトンはこの「直観」を、ユークリッド幾何学で学びました。そして「直観」を多くした人が哲学者である、と考えたのです。さらに、「直観」とは何か、と言えば、生まれる前にイデアの世界に魂があり、それを想い出すこと、という当時も、現在の日本でも突飛な、面白い考えを発表します。後で詳しく述べます。次に、本質と「2世界説」を図にしてみます。

―哲学の正体:本質と「2世界説」

 上に書いたことを図に書いてみます。

イデアの世界 実際に観えない原理が存在する 例:F=ma     =「本質存在」、「形相」、「原型」
(神の世界)  魂の目でみえる世界
       真・善・美・正義などが存在する:時代・社会・人間を超えるもの
 

この世の世界 実際に見えるものしか存在しない 例:空気抵抗   =「現実存在」、「質料」、「摸像」
       肉体の目でみえる世界
       フュシス、ロゴス、ノモス、正統性、利害調整

注目して欲しいのは、「本質存在」=イデア、と「現実存在」=この世の存在者の区別です。哲学は、「本質存在」が神や理性などに変化したり、「本質存在」が「現実存在」の上に来たり下に来たりしますが、根本は2つの世界がある、それぞれ別の本質がある、とする点を西欧哲学は受け継ぎました。これが哲学の正体なのです。

 -洞窟の例え話
 
 プラトンの真なる目的がはっきりと分かる、つまり、イデア論がどうして出て来たかが解る洞窟の例え話をしていきます。含蓄に富んだ話です。高木の解釈に基づいています。また板書は、絵で分りやすく説明しています。

『国家』 第7巻 

 洞窟(どうくつ)の例え話

 図(黒板には図を描きました。話は分かりやすくしてあります。)

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――|壁
        洞窟出口 ……    火     A-(模型)  壁   縛られた人々   影|壁
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――|壁

 図説明
・左手奥には洞窟出口がありますが、右手奥からは距離が離れて見えません。
・火は洞窟内を煌々(こうこう)と明るく照らします。
・Aは人か悪魔など諸説ありますが、模型を持っています。
・壁は普通の壁。模型などが置かれています。
・縛られた人々は、私達を指します。生まれながらに縛られていて、縛られていることさえ気がつきません。縛られて右の奥の影を見ています。
・影は、明るい火で照らされた模型の影です。私達はその影を見ています。

 Aにいるのが悪魔である、という説もありますが、悪魔の存在は西洋にしかないこと、古代ギリシャの神話には特段登場しないことから違うと考えます。また怪物の説もありますが、洞窟の例え話全体の意図からして違うと判断しました。Aにいるのはソフィストです。ソフィスト(知識人)と考えてお話を進めていきます。

―現代日本の洞窟

 ソフィストは、模型を動かして声を操りながら火を右手奥の壁に影を作り出します。その影を私達人間が見ているのです。
ソフィストは知識がありますが、自分のことや人間世界の利益しか考えていない人々です。ソクラテスは「自分のための知識は本当の知識(智慧)ではない」と言いました。ですから、影を動かして、縛られた私達を意のままに動かすのです。現代に置き換えてみましょう。
ソフィストは自動車の模型を持っています。TVや新聞などで「自動車を買えぇぇぇ~! 自動車を買えぇぇぇ~! 異性にもてないぞ! 家族で自動車で出かけるのがいいぞぉぉぉ!」と模型を動かします。縛られた私達は何も考えないので「自動車って格好いい!買わないといけないな。異性にもてないな。家族を大切にしていないな」と思い込みます。私達は影を見て「ああぁぁああああ」と自分自身を振り返らずに行動するのです。
同じことがタバコやダイヤモンドの例で後述しますが、自動車の例で進めましょう。

大学生の皆さんは時給800円くらいでしょう。ちょっと高めに時給1000円にしてみます。すると、100万円の自動車を買うと税金や駐車場代やガソリン代などを入れると1日平均2000円~2500円掛かります。つまり、自動車を買うと自動車のために1日2時間から2時間半のバイトをしなければならないのです。タクシーは贅沢ではなく、自動車を保有する方がよっぽどお金が掛かるのです。ソフィストは知識がありますから気がついてしまうのです。しかし、彼らはそのことを自分の利益(ノモス)だけにしか使いません。
しかし、イメージ(影)で判断します。私達は「異性にもてたい。家族を大切に」などの、原価計算などをせずに購入します。あるいは原価計算というお金だけで判断してしまいます。「私自身は本当に自動車がないと生活できないのだろうか?」と静かに考えないのです。現在は、携帯電話、スマートフォンなども同様ではないでしょうか。「自動車を買えぇぇぇ!」と知識のある人々に操られ、縛られているのではないでしょうか。2400年前にプラトンが現代の日本を風刺しているのです。面白い例え話です。大東亜戦争(太平洋戦争)の時、日本が悪いことをした、あるいは日本だけが悪いことをした、というイメージだけで事実をきちんと見ずに判断していないでしょうか? 「宣戦布告なしに真珠湾攻撃をしたから日本は悪い」という人は、その前にアメリカが宣戦布告なしに戦闘を仕掛けてきたこと、武器を敵国に提供したこと(これだけで当時はアメリカからの宣戦布告になります)、貿易の禁止、ハルノートなどを行っていました。少なくとも国際法上、アメリカから宣戦布告があったのです。それを受けての真珠湾攻撃です。もちろん、戦争に負けた日本ではこうした歴史的事実は教えられていません。ただ、この講義は政治学、国際政治学ではなく哲学の講義ですから、こうした事実の是非ではなく、プラトンの洞窟の例え話の真意を考えてもらいたいのです。つまり

「多くの人間は、イメージ(影)だけを見て、自分が縛られているのにさえ気がつかない」

のです。では、次に、イメージから抜けだす人を見ていきましょう。

―洞窟から抜け出す人

 たまに、イメージ(影)の可笑しさに気がつく人が出てきます。そうすると反対側を見てしまう人が出てきます。その原因を探りに行くと火が見えてきます。火はそれまで影しか見ていなかった人々には強烈で、再び火の反対側、つまり影の方を向く人が殆どです。影の方を向きながら模型を動かす人がソフィストです。ソフィストは火の眩(まぶ)しさには耐えられませんが、自分の利益だけを追求するのです。自分が縛られているのに気がついた人が全てソフィストになる訳ではありません。ここが人間の面白い、なんとも愛くるしい所なのですが、再び縛られていた席に座る人々が出てきます。それもしたり顔でこう言います。

「今までそうだったから、ここが居心地が良いよ。小難しいことは知らない。考えたくない。」

 皆さんの周りにもいないでしょうか? チャレンジする面白さ、命を燃えつくす感動や体験に触れながらも、「でも、もういいや。やるの大変だし、みんなと一緒でいい。」という人々です。みんなと一緒でいい、と目を閉ざす人々です。目覚めないのではなく、目覚めても再び眠る人々です。

 対して、火の眩しさに耐えながら奥底、洞窟の入口に向かう人もいるのです。彼らは、眩しさに耐え、火を通り過ぎて、出口(洞窟の入口)を目指します。すると、火とは比べ物にならないくらいの光が目に入ってきます。丁度、高速道路のトンネルを抜けて、真夏の快晴に目がチカチカくらむのと同じです。その光にも耐える人が洞窟の外の世界、つまりこの世界の本当の姿を見られる人です。洞窟の外の世界には、本物のお日様、本物の緑、本物の自動車があります。洞窟の中で模型を使って映し出された自動車の影ではなく、本物の自動車です。それを見た時の感動は言葉に表せないほど素晴らしいものでしょう。

―洞窟の外を見た人=哲学者

少しの知識があり、火やお日様の眩しさに耐えられた人が洞窟の外を見られる人です。少しの知識とは、前回説明したように中学校の図形程度です。後で中学校の理科の知識で説明します。後は、何もいらないのです。本物の世界の姿を見ている人が哲学者です。哲学者になるのに、特別な才能や地位や名誉、性別、文化などは必要ない、とプラトンは考えました。
 本物を見た人は哲学者ですが、「ああ、今まで見ていた現実は影でしかなかった」ことを完全に悟ります。ソフィストは模型を動かしていますが、模型の自動車も本物の自動車には及びません。「本物でないことに気が付いていない」点では、縛られた人とソフィストは同じなのです。
 本物を見た人は、ソフィストのように自分の利益の誘惑に負けなかった人ですから、「本物の素晴らしさ」をソフィストや縛られている大勢の人々に教えてあげたくなります。伝えようとする、とプラトンは書いています。そうしたら本物を見た人はどうなるでしょうか?

問2 哲学者が真・善・美を庶民にそのまま伝えたらどうなると思いますか?

 ダイヤモンドの例で具体的に説明してみましょう。
 日本でも世界でも敗戦前にはダイヤモンドよりも真珠が3倍から10倍も高かったのです。
「真珠」、「真」=「本当の」、「珠」=「宝石」、つまり「真珠」=「本当の宝石」という意味の名前なのです。その美しさや温かみ、優雅さなどによって、古来より真珠は本当の宝石の意味でした。しかし、敗戦後にTVのCMやハリウッド映画などを通して「ダイヤモンドは永遠の輝き」、「ダイヤモンドを結婚指輪に」というイメージ(影)が流され続けました。それによってダイヤモンドは、アメリカについで日本が大量購入するようになったのです。
 ソフィストのように知識で迫ってみましょう。物質には硬度がありますが、他にも壊れにくさ(靭性:じんせい)や、熱に対する強さ(熱的安定性)、引っ張られる強さ(引張(ひっぱり))などがあります。

 「ハンマーでダイヤモンドを叩くと簡単に壊れます」
 「木造家屋の火事でダイヤモンドは黒くなります」

 ハンマーで瞬間的に強い力が掛かると、ダイヤモンドは壊れます。これは壊れにくさ=靭性が関係します。木造家屋の火事は1200度程度になりますが、ダイヤモンドは700度で酸化しだします。酸素がなければ1700度まで耐えます。700度は3m隣の家が燃えると840度になりますから、木造家屋が燃えなくともダイヤモンドは永遠の輝きは、消えうせるのです。つまり、ダイヤモンドは叩いたり、燃やしたりすると直ぐに壊れてしまう性質なのです。ダイヤモンドの硬度とは、変形しにくい性質(モース強度など)です。これが化学的な知識から観るダイヤモンドです。『理科年表』などで確認して見て下さい。
 しかし、現代の日本人の多くは、「ダイヤモンドは永遠の輝き」や「ダイヤモンドを結婚指輪に」というイメージ(影)を見て、購入します。どうでしょうか、現代の日本人は縛られているのにさえ気がつかない人々、知識を利用しないソフィストでもない人々ではないでしょうか。 
 ダイヤモンドは、ユダヤ系のデビアスが市場を牛耳っています。ダイヤモンドが注目された理由が資源地の偏りと硬度などです。旧ソ連や南アフリカなどでしか採掘できず、これらの国々は専制国家で供給のコントロールがしやすかったのです。さらに、「ダイヤモンドを結婚指輪に」とすれば、少々お金に困っても「結婚指輪」という感情から借金の方にしにくい、と考えたのです。ダイヤモンドよりも自動車、サファイア、家などを売ると考えたのです。そうやって需要と供給をコントロールしやすい商品がダイヤモンドでした。
 さらに、ダイヤモンドの鑑定をヨーロッパの小国で一括して行い(大国だと政治に影響を受けるので)、鑑定書を発行して権威付けをします。これでさらに供給と価格をコントロールしました。ダイヤモンド程、格付けが細かくしっかりしている宝石はありません。そしてイメージ(影)を通して、縛られたことに気がつかない人々にバンバン買わせるのです。
 この話を聞いて、「え!?」と驚く人もこのブログを見て出てくるでしょう。そして知識を得てソフィストの立場に立つ人も出てくるでしょう。つまり「そうか、ならダイヤモンドでなくてもいい。それはイメージ戦略に過ぎないんだ。」ということです。さらに一歩踏み込んでダイヤモンドの模型に替わる模型(売れる商品)を探す人も出てくるかもしれません。現在、TVショッピングやインターネット販売などイメージ戦略を上手にして売られている商品の多いこと、多いこと。その裏にはダイヤモンドと同じイメージ戦略で売りまくろうとする人々が沢山いるのです。ただし、全てが該当するという主張ではありません、念のため。

―縛られていた椅子に戻ろうとする人

 先ほど、気がついても、もう1度縛られた椅子に戻ろうとする人がいる、と述べました。ダイヤモンドの例で考えてみましょう。例えば、私がある人Bさんにこれと同じ話を、もう少し客観的事実を示した上で(皆さんはご自身で調べてみて下さい)、説明したとしましょう。そしてBさんは十分に理解したとしましょう。そのBさんが結婚する時、結婚指輪を買わない、でしょうか? 買うでしょう。人間社会(日本)には「周りに合わせる」というのがあります。「周りに合わせる」ことが良いんだ、客観的事実より世界の真実よりも「周りに合わせるのが良いのだ」という人々がいます。こうした人々は、Bさんと同じく十分に理解しても結婚指輪を買うのです。皆さんは同じような体験をしたことはないでしょうか?

 「十分に客観的事実もある。論理と合理性もきちんと通っている。しかし、その人は理解しているのに「世間体」を気にしてしない」

 それなのに「世の中色々な考えがあるんだよ」とか「世の中裏も表もあるんだよ」とか、反論にもならないことをいう人々さえいます。こういう人々は、本物を見た人が「本物の世界の感動や真実の姿を伝える」としたら、どう対応するでしょうか? これが問2が問うていることです。
 また、もし皆さんが、Bさんの態度に接した時どうしますか?

 これは講義中に問題にはしませんでしたが、生き方を考える際の重要な分岐点になります。「あきらめる」、「近い人だけには説得する」、「強引にやって後で感謝される」、「気持を十分に伝えて合理ではなく感情で動かす」、「陰で馬鹿にしながら利用する」、「他人に助けてもらい動かす」、「1度駄目だと思ったらもう言わない」、「最初から人間には期待しない」などがあるでしょう。哲学が「より善く生きること」と関わる、とシラバス(講義案内)に書きましたが、こういう点なのです。

 ーー(昨年度の講義録より抜粋終了)--

 以上です。
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