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エッセイ「パリのテロと『普遍』-私達はフランスに同情すべき?2-」

 
 私達はフランスに対して同情すべきだろうか。

 パリのテロを受けて、フランスは大規模な空爆に踏み切った。軍事作戦に目を奪われることなく、大きな視点である「普遍」と「特殊」から、どのようにテロを考えていけば良いのかを探りたい。パリのテロが真に問うのは、フランスを支える「普遍」の価値、だからである。

 人類史を眺めると、シリアからエルサレムは巨大国家に対するテロが頻発する地域である。ゆえに、ISISのテロは、特異とは言えない。単語の「テロリズム(terrorism)」はフランス革命に始まる用語であり、巨大帝国に対抗するために恐怖を煽り、暴力に訴える実態は古代から続いている。その巨大帝国の1つであったローマ帝国にフランスは敬意を払い多くの面で手本としている。ローマ帝国の支配するシリアからエルサレムの地域でユダヤ過激派がテロを起こすのが、約2000年前の紀元66年である。彼らはローマ帝国側の失策もあり、一般の多くのユダヤ教徒の支持を得てしまった。その後、ローマ帝国第九代皇帝ウェスパシアヌスは、断固たる軍事作戦に基づき、一般の多くのユダヤ教徒を降伏させながら、ユダヤ過激派だけが支配する神都エルサレムを陥落させる。

前後のローマの政策は、フランスをローマとし、ISIS(イスラム過激派) をユダヤ過激派とすると、今回のテロ事件で参考となる。そこで、ローマの政策を以下の3つにまとめる。

①テロ撲滅後に、ローマ側の失敗の責任部門(近衛軍団)と他の部門(国境担当軍団)の人員を緩やかにだけれども、全員、入れ替えた。これはローマ側の間接的な責任を認めつつ、新たな気持ちで責任を果たすことを求めたからである。言い方を替えれば、挽回のチャンスを与えたことになる。事実、全ての部門で首になった人は出なかった。個人の責任ではなく組織全体の責任として受け止めたのである。
この政策を参考にすると、パリのテロを許してしまったパリの警察や国家憲兵隊などの全体的な改革は行われるのであろうか、という視点が出てくる。
 ②テロ組織の撲滅後、テロに協力した責任をローマ人にもユダヤ教徒にも求めず、「何もなかったことする」とした。ただし、ユダヤ教徒が毎年エルサレムの神殿に納めていた一種の税金を、ローマの神前に納めるように変えたのである。テロ組織が巨大化したのは、海外ユダヤ人の支払う一種の税金が原因であり、その根源を断った。
この政策を参考にすると、パリのテロに協力した資金源への対策は十全に行われるであろうか、という視点が出てくる。
 ③テロに加わらなかったユダヤ教徒の排除は一切行われず、皇帝の第一の補佐官でさえユダヤ教徒が居座り続けた。さらに、エルサレムに隣接する都市にユダヤ文化の研究所開設の許可を与えている。テロは宗教の正しくない「特殊」な理解から生じる。正しい宗教の理解を妨げることは、返って逆効果となる。
また、ローマ帝国は、以下のようにテロを捉えた。ユダヤ教という宗教を背景にしたテロであっても、その解釈は各宗派によって、個人によって数々ある。信仰の自由は何人にも認められなければならない。ただし、国家に暴力を行わない限りにおいて。ゆえに、テロ組織の撲滅を目指しても、宗教の排除とはならなかった。
この政策を参考にすると、パリのテロでは、テロ組織の撲滅とイスラム教の排除が繋がっているかどうかに注目すべき、という観点が出てくる。この点は盛んに報道されている。

 以上の政策の背景には、「普遍」と「特殊」という概念がある。
ローマ法は、全ての民族、文化、宗教と問わずに公平に人々を扱う、という「普遍」がある。さらに、異なる生活様式、異なる宗教、異なる人種であっても共に生きていかなければならないという人間世界の現実も、時代や社会に拠らず、「普遍」である。テロ実行側だけでなくテロを受ける側にも原因がなかったか、という視点も「普遍」である。こうした視点を重視したローマ人は、民族浄化など思いつきもしなかったであろう。
 ユダヤ過激派は「特殊」に走ることで成立していた。ユダヤ教以外を否定し、民族浄化へと至る「特殊」な思想である。人間世界の現実である「普遍」を無視している。「普遍」とは、同じユダヤ教徒でもローマ帝国内で職業につき、ユダヤ教の教会シナゴーグで祈りをささげ続けられる、ことを指す。他方、ローマ帝国の降伏勧告を無視して、テロ組織は立てこもったエルサレム陥落時に、玉砕した。ユダヤ過激派の正義のために死に絶えるという玉砕は、後世の数少ない人々を感動させることはあるかもしれないが、「普遍」から観れば自己満足に過ぎない。ローマ帝国で残ったユダヤ教徒は、玉砕に共感できなかったであろう。現代の私達日本人がISISの自爆テロに共感できないのも、「特殊」だからである。
この政策を参考にすると、ISISという「特殊」に対して、フランスという「普遍」がどのように振舞うべきか、に視点に、「普遍」と「特殊」という根源から考えられるようになる。

 フランスは、「自由・平等・博愛」という「普遍」思想を国是として打ち立てている。今回のテロ事件の実行組織は、明確に「特殊」な組織でしかない。その「特殊」性に引きずられて、「普遍」の思想を捨て、ローマ人の思想から最も遠い民族差別や民族浄化という「特殊」に落ちてしまわないようにしたい。ローマ帝国は、テロの後もユダヤ教徒を、軍役の免除などを認めて許容した。具体的な政策は「ケース・バイ・ケース」としながらも、法と信仰の自由という「普遍」を前提としたからである。
つまり、ローマ帝国のテロ撲滅後の政策は、相変わらず「普遍」であった。これはローマ人の思想の大勝利である。なぜなら、暴力的な「特殊」に「普遍」がビクともしなかったからである。実際に今回のテロ事件の十倍以上の数千人の犠牲者を出し、莫大な軍備を費やしても、法の精神などからユダヤ教徒を許容し続けた。ユダヤ人はギリシャ人と共にその後のローマ帝国を支え続け、1400年以上続くことになる。

 現在、フランスで議論されているのは、国境を閉ざす、移民受け入れの数を減らすなどである。テロ後、イスラム教徒であるだけで、フランス国内で出世できない、罵詈雑言を浴びせられる、暴行を受けるなどが新たに出てきてはならない。それは暴力的な「特殊」に「普遍」が壊されることを意味するからである。死者という目の前の現実に対する同情ではなく、フランスの「自由・平等・博愛」という「普遍」的な価値、つまり「寛容(Clemenntia:クレメンティア)」の思想的敗北なのである。

 紀元66年の過激派テロの前後から、キリスト教はユダヤ教から明確に分離し始める。キリスト教徒はローマ帝国内で「特殊」から「普遍」へと歩みを進める。その後数々の困難を経て「普遍」宗教へと変貌を遂げる。ローマン・カトリックがもう1つのフランスの「普遍」的価値であることは言葉を尽くすまでもない。

 私達は静かにフランスが「普遍」と「特殊」のどちらの道を進むのか、を観ていきたい。それは現在の私達日本人が、同じように「普遍」と「特殊」の問いを突き付けられているからである。「普遍」への探求が、フランスのテロ被害者への慰霊になることを願う。

   高木健治郎

付記:校正平成27年12月3日
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