講義録8-1 濃度規制と総量規制 内部告発

 皆様、こんにちは。

 フランス、パリでのテロ、フランスの旧植民地のテロが起きてしまいました。改めてご冥福をお祈りいたします。今回のテロに関して、

「エッセイ「パリのテロと『寛容』 -私達はフランスに同情すべき?-」
http://takagikenziro.blog.fc2.com/blog-entry-519.html

を書きました。平成27年11月23日。また、今年の1月29日に

「ISIS(通称「イスラム国」)による日本人拉致事件について」
http://takagikenziro.blog.fc2.com/blog-entry-457.html

 を書きました。そこでの結論として、「今後、フランス本国を始め、旧植民地でテロの可能性が高まることでしょう。」と書いていましたが、現実になってしまい、残念でなりません。私の予想は警備体制の低下を指摘しましたが、それが新聞で報道されてきています。講義の冒頭でこの点について触れましたが、技術者が社会との関係が相補的であるので、その点において技術者倫理のこの講義とも、技術者とも関わってきます。今回の件について機会があれば、学生の皆さんと一緒に考えていきたいです。

 それでは本文に入ります。

講義連絡

配付したプリント B4 2枚
:藤本温(代表) 『技術者倫理の世界 第3版』 60-63,94-97頁

回覧した資料
:パナソニック株式会社 「引き続き探しています ナショナルFF式石油暖房機」 :教員の自宅に配布されたチラシ


 --講義内容--

 前回で3つの倫理をしました。今回の製造物責任法の過失主義(過失責任)と厳格責任(結果責任)の違いを明確にするためでした。今回は製造物責任法(PL法)について、内部告発の立ち位置をやります。また、マイナンバー制度とGoogleやツイッター、AmazonやFaceBookのビックデータの違いなどについても具体的に述べました。

 本年度は、回覧した資料:パナソニック株式会社 「引き続き探しています ナショナルFF式石油暖房機」 を見てもらえました。製造物責任法では、①知ってから3年以内、②引き渡しから10年以内、と規定されています。しかし、パナソニック株式会社は10年以上前の、例えば「1985-1991年」のFF式石油温風機を探しています。製造物責任法を超えて社会的責任(倫理的責任)を取ろうとする実例として取り上げました。高い倫理を実行する企業に頭の下がる想いです。

 それでは昨年度の講義録から引用します。

 --(昨年度の講義録より引用引用します)--

今回の講義の目的は、

①総量規制と濃度規制のそれぞれの特徴と欠点を知る
②内部告発の概要をつかむ 

 です。ギルベイン・ゴールドという架空の事件があり、技術者倫理でよく用いられる事例です。この事例を基に②内部告発の概要を説明し、日本のビジネス・マナーに当てはめて内部告発の位置を明確にします。同時に、ギルベイン・ゴールド事件には、総量規制と濃度規制という技術的案件が内包されています。そして総量規制と濃度規制は技術者倫理を具体化する際にどうしても外せない技術的案件だと思いますので、検討します。もう少しはっきり言えば、総量規制と濃度規制のそれぞれの特徴を踏まえなければ、技術者倫理は達成できない、とさえ考えています。例えば、島田市のがれき受け入れ問題、原発の出す廃棄物問題、放射能汚染、二酸化炭素による地球温暖化問題(偽科学と考えますが)、環境ホルモン問題などです。
 以上が概要です。では昨年度の講義録8を下地に述べていきます。

 -憲法(法律)と実際の道徳のズレ

 まず、前回出てきた製造物責任法に関して補足をします。それは現在の日本の法律の持つ問題です。日本の司法(裁判所、検察、弁護士等を含めた訴訟システム)は、2割司法、あるいは3割司法と言われます。これは実際の問題の2割、あるいは3割しか扱えていない、という意味です。この根本を少しだけ説明します。まず、法律と倫理の関係から観ていきます。

法律は文章であり言葉で書かれています。その文言の解釈は色々とありますが文言そのものから出ることはありません。一歩離れて法律を見てみましょう。その法律を妥当とするものがあるはずです。法律と現実社会を結び付けているもの、と言っても良いでしょう。法律は、そうした現実社会との結びつきがないと、単なる文言になってしまい、意味や価値、という社会内の存在ではなくなってしまうのです。
 具体的な例を挙げます。
2013年現在、日本国憲法の改正案が出ています。この改正案が出てくる経緯は色々とありますが、改正を考える人々の根底には、日本国憲法はアメリカが自国のアメリカの憲法の中から3つの要素を抜いて日本に押し付けた、という歴史的事実があります。繰り返しますが、これは大日本帝国が加入していたハーグ陸戦条約という国際法に明らかに違反しています。押し付けたアメリカも、その後「あれは間違いでした」と当時の大統領、占領司令部なども公式に発言しています。しかし、それを改定していないのです。どうしてそのようになったか、については皆さんが調べて頂きたいのですが、大切なのは、日本国憲法は原文が英語なのです。しかも、日本を武装解除させようという意図で書かれていることです。
 つまり、日本人の歴史や文化、国体とは全く関係がない法律なのです。
 日本国憲法の中に、摂関政治をした藤原道真や徳川家康の武家諸法度などとの共通点を見出すことが出来ません。対して日本人が創った大日本帝国憲法にははっきりと共通点があります。もちろん、本質では共通している点がある、という論説もありますが、文言の中に日本の伝統文化を読み取るのは極めて困難です(そもそも日本語が変です)。

 ですから私達の実際の生活の中で「嘘をついてはいけない」ということを教える時に、

 「憲法にこれこれと書いてあるでしょう。これは日本人がずーっと大切にしてきたことなんですよ。」

 ということはありません。皆さんはあるでしょうか? これが法律を支える倫理との関係を考える上で判りやすいかと思います。つまり、日本国憲法はそれを支える倫理=日本人の倫理と隔絶しているのです。現在の改正で特に問題になっているのは、アメリカの憲法から抜いた部分です。「自衛権を持つこと」や「国民を守ること」なのです。自衛権を持つことは憲法に書く必要のないくらい当たり前ですが、日本国憲法では武装解除を謳い、自衛権を放棄しています。その根拠は前文にある「諸国民の信義を信頼し」です。しかし、敗戦直後、ソ連に五十万人以上の日本人を拉致され広大な領土を現在も奪われています。北朝鮮には拉致され、ソ連の強制連行で弱った日本人が数万人連れていかれました。大韓民国には竹島が奪われ何十人も殺されましたが、放置してきました。中華人民共和国には石油が天然ガスがあるため尖閣諸島を奪われそうになりました。「諸国民の信義を信頼し」て武装放棄した結果です。私達の現在生きている生活実感と憲法が全くかけ離れているのです。

 現在の改憲運動は、法律を支える倫理をもう1度当たり前の関係に戻す運動と見ることができます。

 そしてここから出てくるのは、「法律を支えるのはその国の歴史、文化、国体などです」。これは法律が各国によって異なることからも読み取れるのです。法律がその国の歴史、文化、国体などと切り離され、時代を超越する真理であるのならば、どの国でもどの時代でも同じはずです。しかし、法律史はそのような回答をしません。

 この観点を哲学や倫理に適用するのならば、哲学や倫理の語る真理というのものが、法律よりも変化しませんが少しずつ進歩という名の変化をしているのに気がつくでしょう。すると、哲学や倫理の語る真理とは、社会の歴史や文化や国体によって左右される存在にすぎない、という見方が出来るのではないでしょうか。アリストテレスの哲学が現在に通じる部分もありますが、論理学は19世紀以降に構築されなおしました。この節の考えは高木自身の考えだけであることを述べておきます。

ーギルベイン・ゴールド架空事件

 藤本温(代表) 『技術者倫理の世界 第2版』には、内部告発の2例が書いてあります。
1例目は、チャレンジャー事故後、内部告発をしたボイジョリー氏、もう1例は、架空の事例で『ギルべイン・ゴールド』の技術者デイヴィッドです。

ちなみに、ギルべイン・ゴールドの事例は、技術者倫理でよくつかわれます。
公益社団法人 日本工学教育会の教材でも使われています。
:http://wwwsoc.nii.ac.jp/jsee/other/pdf/JSEE_ethics.pdf

元の資料によると製作者は、「National Institute for Engineering Ethics & National Society of Professional Engineers」です。

 教科書が改定され、登場人物が判りにくくなったので、補足します。

デイヴィッド:技術者 :コンピュータ会社環境営業部に勤務している
フィル   :上司  :デイヴィッドの上司で環境業務を管理している。功利的主張をする
ダイアン  :副工場長

 ギルべイン・ゴールドの事例は、技術者倫理で大切な点を幾つも教えてくれます。上記の資料によると、
①内部告発の肯定的な面と否定的な面
②前提の改善を考える(上司の考えが変わる可能性)
③具体的な落とし所を考える
 などです。

 これに、高木は「濃度規制と総量規制の問題」を加えます。

 というのも、「濃度規制と総量規制の問題」は、震災がれきを始めとする放射性物質の汚染、水俣病等の公害病問題、アスベストの問題などで基本的な視点の1つだからです。また、ギルベイン・ゴールドの事例はあくまで「架空」の事例に過ぎず、現実社会が持つ複雑さがさっぱりと抜け落ちているからです。現実社会の持つ複雑さ、恐ろしさなどと共に考えていかないと、根源的な倫理感覚が身につかない、と考えます。ですから、この講義では「ミート・ホープ事件」を取り上げます。この事件が巻き起こした食品製造における偽造、虚偽問題は現在も続いています。
 2013年現在、中華人民共和国や大韓民国の食品製造における、偽造、虚偽問題は国民の大きな関心です。さらには、人工肉(植物から肉そっくりの肉)や、成形肉(カット屑肉などで作る肉)などの問題につながって行きます。この分野での技術は日本は世界トップクラスです。
 私達が現在、毎日のように口に入れて血肉にしているものを出発点にしないと、こうした倫理的問題は、どこか他人事の、絵空事になってしまうと考えます。それでは事件に戻ります。

 事実をかいつまみますと、コンピュータの部品を作っている会社が、鉛と砒素(ヒ素)を下水に流していた。その下水から肥料ができ野菜が作られ人が食べている。市の規制は、濃度規制であり、総量規制ではないので、流量(水の量)を加えれば、幾らでも鉛と砒素の総「量」は流せるのである。主人公のデイビッドは、会社に高額の汚染対策を取るべきであると上司に進言するが受け入れられず、妻に内部告発するように勧められる。

 濃度規制と総量規制の問題を具体的にしてみましょう。

鉛が10kg流す場合、水を990Kg(1リットル=1kgとして)とまぜると、1%(10kg/1000kg×100=1% :重量パーセント濃度)になります。「/」は割る、の意味です。
市の規制が「0.1%以下」とすると不合格で、法に触れます。
しかし、鉛10kgに、水を99990Kgとまぜると、0.01%となりOKです。

同じ鉛10kgでも、加える水の量を100倍にすると、濃度は1%から0.01%となり、濃度規制をしている法律でOKになります。

鉛を5倍の50Kgにすると、流量を100倍にすれば、0.05%となりますから、OKです。濃度規制を0.1%以下、総量規制を30kg以下に設定してみましょう。

 濃度規制をまとめてみましょう。
                                  濃度規制(0.1%以下) 総量規制(30kg以下)
鉛10Kgで水990Kgの場合、1%でダメ  10kg÷1000kg×100=1%        ×        ○

鉛10kgで水99990kgなら、0.01%でOK 10kg÷100000kg×100=0.01%      ○        ○

鉛50kgで水99990kgなら、0.05%でOK 10kg÷100000kg×100=0.05%      ○        ×

鉛の総「量」を5倍にしても、水の量を増やせば、OK!ということです。

 ギルべイン・ゴールドの中で上司の言うセリフの意味です。

「排水に容認されている濃度を超えないように流量を増やすと、必要な濾過(ろか)がどれほど増えるか、計算したまえ」

 必要な濾過、とは現在ある廃液を奇麗にする装置での濾過を指します。この上司の指摘は、以下のように翻訳されます(高木が)。

「濃度規制なのだから、水の量を増やせば、どれだけ沢山の「量」の鉛や砒素を流してもOKなんだよ」

 これが、濃度規制の法律的な問題点です。これは、抜け穴とは言えませんが、人体に影響を与える「毒」の量を減らすことが出来ない、という点で考えると欠点です。これに対して、デイヴィッドの妻ダイアンは、「間違っている!」と言う訳です。これは『沈黙の春』という環境ホルモンや環境物質などを警告した本がありますが、生物濃縮等を基本として、人体への影響を考えた本です。
 1962年に紙上に登場し、賛否両論を巻き起こしながら、環境教育を広めていった本です。現在では、DDTのように間違いがはっきりしているものもありますが、科学技術万能主義に反省を促した功績の大きい本です。これらの環境思想には、幾つかポイントがありますが、

 大きなポイントは、

○生物濃縮は自然科学的データを得にくく、不安を掻き立てる

 という点です。生物濃縮は生物によって濃縮の度合いが違います。物質によって濃縮の度合いが違います。福島原子力災害で有名になりましたが、放射性物質も骨や血液や臓器など溜まる場所が違うのです。これは、「人体実験が出来ない」という技術的限界から出てきています。どのように溜まるのかを、放射性物質のように毒性が強い物質を投与することは倫理的に出来ません。これを可能にするには、倫理規定が出来ていない時代か、無視する法律を含めた社会システムが必要です。例えば、敗戦後、広島で放射線治療を受けさせずにアメリカと日本の医療関係者に見捨てられ死亡した少女がいます。赤子もサンプルとしてアメリカに持っていかれました。ナチスドイツもアメリカと同じく人体実験を広範囲で行いました。
 また、現在アメリカでは「グアンタナモ収容所」という悪名高い収容所があります。違法な監禁や取り調べ、拷問などが行われていますが、「アメリカ国内ではないから違法でもOK」という社会システムが出来上がっているのです。アメリカは「テロとの戦い」という名目を持ってきて、人種差別行為を広範囲に行っているのです。オバマ大統領は「グアンタナモ収容所を廃止する」と現在活動していますが、議会の反対で停滞しています。
 日本では倫理が非常に強い社会で、かつ振れが大きいですから、このような収容所があれば議会も首相も直ぐに廃止するでしょう。それは倫理として当然なのですが、軍事作戦からすると情報収集や占領地の威圧などが出来なくなるという欠点も兼ね備えているのです。全ての事象は観点によって是非が入れ替わります。どちらが良い、という偏り、ではなく、どちらも観て考える必要がある、と倫理相対主義者の高木は考えています。少し寄り道をしました。
 
 では、ここで反対側から観て見ましょう。つまり、現在まではダイアンの立場「総量規制が良い」に沿って見て来ました。「濃度規制から観ていきましょう」という意味です。

 あくまで一般論ですが、毒性のある物質は、極微量だけ接種すると健康になる、というデータがあります。その極微量を超えると人体への被害が増していきます。人体への影響は、その極微量(域値)がどこであるか、が問題です。逆に、毒性のある物質を限りなく零(ぜろ)に近づけると肉体が弱くなる、というのです。ゆえに、

 「どの濃度からが人体にとって最も有益か。あるいはどの濃度からが害悪があるか」

 という濃度規制の考え方は自然科学的根拠がある、ということになるのです。私達は総量を気にしますが、人体に影響が出るのは濃度なのです。

 -毒ガスが日本の長寿を創り出した。

 毒ガスとは液体塩素のことです。これは毒ガスとして開発されました。これを水道水に混ぜて、水道内の殺菌を行い日本の長寿を創り出した、という本を読みました。

竹村公太郎著 『日本史の謎は「地形」で解ける 【文明・文化編】』

 統計データを自作しており、非常に知的刺激に満ちた本です。似た本としてジャレド・ダイアモンド著『銃・病原菌・鉄』があるでしょう。
 本の主張を講義録で読み替えれば「毒ガスも濃度によって人間に有用なものになる」、「濃度の管理が人体にとっては重要」ということです。裏を返せば、総量規制よりも濃度規制が重要である、という自然科学的根拠になります。

 ーギルベイン・ゴールド事件に観る4つの責務

さらに、ギルべイン・ゴールドから学ぶべき点があります。それが内部告発の考え方です。

 まず、ビジネス上、デイビッドには4つの責務があります。

A)会社の利益促進する責務 
B)自分の経歴を守る責務(日本では中々表に出てきませんがきちっと認められる責務です) 
C)国民としての責務 
D)技術者として公衆の福利を優先する責務

 です。ここから「内部告発」の考え方が出て来ます。私はA)~D)の何れも同じ割合である、と考える倫理相対主義を取ります。しかし、技術者集団の学会など、例えば、日本原子力学会倫理規定では、D)が最優先である、と言っています(講義録4-1)。ですから、D)を最優先すると内部告発に結び付きやすくなります。他の手段もありますが、後に述べます。

 -ビジネス倫理の複雑な要素

 問1 A)~D)でどれを優先して考えるべきですか
 問2 あなたはギルベイン・ゴールド事件で内部告発しますか

 以上のように倫理を詳しく見ていくと、4つに分けることが出来ます。単純に倫理は1つの基準ではないのです。その点をまず知ってほしいと思います。そうした状況を踏まえて内部告発を考えてもらいたいと思います。

まず、チャレンジャー事故のボイジョリー氏を観ていきましょう。

 ボイジョリー氏は、会社のチェックを受けないで事故調査委員会に資料を提出し、内部告発者になりました。この行為は「A)会社の利益促進する責務」よりも「D)技術者として公衆の福利を優先する責務」を優先したことになります。そして会社を首になり、町長までした村から追い出されました。アメリカでは日本とは違い、内部告発者をモラルヒーローとして迎える風土がありますが、その風土であっても、職を止めさせられ、住む場所も奪われました。
 きちんとしたデータは、ばらつきがありますが、内部告発者の50%~90%は仕事を奪われます。日本ではさらに高い確率になるでしょう。
 
 内部告発の現状をボイジョリー氏とミート・ホープ事件の赤羽(あかはね)氏と比較してみましょう。

      アメリカ    日本
仕事    5~9割で首  アメリカ以上の割合で首?
住む所   転居     転居
顕彰    あり     なし
社会受容  あり     なし
ヒーロか? ヒーロー   ではない

 日本ではアメリカ以上に厳しい現状がはっきりします。まず、知っておいて欲しいのは、内部告発者のその後は非常に厳しいという現実です。しかし、それでも内部告発は続いています。その高潔な行為(内心がどうかは具体的に観ていきますが)が尊敬に値する、ということです。私は、赤羽氏は消費者庁の発足を前倒しし、JAS法などの改正に結び付く、国民の食生活の安全に顕著に貢献したのですから、国民栄誉賞を贈るべきである、と考えています。講義では前から主張しています。

 それでは内部告発の立ち位置に行きましょう。会社内の反倫理的行為を発見してもそれが即内部告発となる訳ではないのです。

 ビジネスマナーに沿った高木なりの段階を示します。
会社で反倫理的なことがあった場合の行動

                      :↓ポイントです。
(1) 何もしない
(2) 代替案を考える(人に言わない)
(3) 同じ部署の同僚に相談
(4) 同じ部署の上司に相談         :ビジネスの基本「ホウレンソウ(報告連絡相談の略)」である。
(5) 会社内の会議で発言
(6) 会社の上司の上司に相談        :(4)を経ないとビジネスマナー違反
(7) 会社外の専門家(弁護士や技術者)に相談 :守秘義務あり
(8) 会社外の友人に相談          :守秘義務なし
(9) 会社外の会議などで発言        :公式発言となる
(10) 匿名(とくめい)でリーク(新聞社など) :リスクが高くなる
(11) 実名で内部告発            :解雇の可能性が高くなる
(12) 裁判で訴える             

 このように(1)~(12)までの選択肢の1つが内部告発です。
ですから、反倫理的な行為を発見したから、といって必ず内部告発、という訳にはなりません。次に、(1)~(12)を並べた理由を述べていきます。というのも教科書と真っ向反対の点、(8)より(4)が内部告発に近いのです。

 まず、(1)~(4)は、ビジネスの基本です。というのもビジネスは、特に会社では1人で独立して全ての業務をこなしている訳ではないからです。誰か1人が抜けても次の人が仕事ができるシステムです。誰か1人が失敗しても会社内の全員が、直接には上司がカバーするシステムになっています。ですから、失敗や問題があった場合、上司に報告するビジネス上の義務があります。「ホウレンソウ(報告連絡相談の略)」はそのために必要な行為を指しています。
 学生の皆さんは、(2)まで、(3)までの人がいましたが、それは学生までで許されることです。というのも単位取得失敗した場合、責任を取るのは自分だけです。しかし、会社では仕事の失敗は上司の指導の失敗、にカウントされるからです。この点を考えると(6)も理解できるでしょう。上司の上司に、上司より先に相談することは、「私の上司は無能です」という行動なのです。ですから、上司の顔に泥を塗る行動となり、ビジネスマナーに反した行動になります。ただし、上司に相談して埒(らち)が明かない、例えば「取り合ってくれない。どうにもならない。それで上司が利益を得ているなどの場合」は、上司の上司に相談する必要が出てきますし、ビジネスマナー違反ではなくなります。(5)は一言上司に相談してからの方が良いかもしれません。
 日本では、このビジネスマナーを問わない場所があります。それは仕事が終わった後の食事会、飲み会です。ここでは、半分プライベートとみなされ、ビジネスマナーに関係なく、それを外した話がされます。この場合、(5)や(6)がOKとなります。同時に、日本のビジネスの面白いところは、この食事会、飲み会でビジネスの多くのことが決まっていきます。「仕事は午後5時から」という言葉もありますが、それは、この当たりのことを指しています。

 次に、(7)、(8)です。(7)は相手に守秘義務が課されていますから、他の例で言うと医者です、勝手に患者さんの情報を公開するのは禁止なのです、話すことが出来ます。実際に、弁護士や行政書士などに相談しても、内部告発等をしない場合も結構あるので、相談しても良いでしょう。
 次に(8)ですが、教科書と決定的に違うところです。私は相手に守秘義務を求められないので、会社外の友人に話し、友人が公開した場合、責任を取らされることがあります。近年、会社の情報をSNSで話して首になる例が、アメリカで出てきていますが、これも守秘義務のない人に話すことという意味で(8)に入ると考えます。また、高木の考えでは、(7)までは、社外に漏れた場合、相手の責任の方が重い、と考えるから、

 (8)から 社会的責任、実際に対外的な責任を取らされるケースです。

 (9)からは公式な発言となり社会的追及されるケースが出てきます。このブログは、高木健治郎の名前を使っていて、インターネット上で公式に発言していますから、問題があれば高木は責任を取らなければなりません。それを回避する方法は、偽名や別名を使うなどして、特定されないようにしなければならないでしょう。その責任を回避してきましたが、東日本大震災とその一部の福島原発事故の惨劇を感じて、このブログを始めました。ブログは、大学院入りたてから始めて、もう15年以上が経っています。総記事数も数千となり、ブログ数だけでも10を超えています。このブログが社会的責任を取るべき最初のブログになりました。

 (10)はよくあるケースです。消費者庁が、この後取り上げるミートホープ事件の影響で前倒して作られた、と言われていますが、ここに通報するのも(10)となるでしょう。

 倫理絶対主義では、10)の内部告発を推奨します。ギルベイン・ゴールドのダイアンもそのような感じでした。

 対して、

 倫理相対主義では、7)~9)を推奨します。その際の手段は一番最後に述べます。

 立場によって取りうる手段が異なることを覚えておいて下さい。

問3 SNSやツイッターでの発言はどれに当たるでしょうか?

 --(昨年度の講義録抜粋より引用終了)--

 以上です。
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