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哲学6-1 アテナイとソクラテスとは

 皆様、こんにちは。

 晩秋の夕暮れが絶景でした。橙色から薄青色までが10色以上、雲の場所ごとにクッキリと主張し合い、そして調和していました。拙い私の文章では殆ど伝えられませんが、こういう絶景の夕日、年に何日しかありません。この景色が見える国土に産まれて、なんともほんのりアリガタイ気持ちになりました。

 それでは第6回に入ります。

 講義連絡

配布プリント B4 3枚
:①第二次ペルシャ戦争地図 ペルシャ帝国全土入り 結果とその評価
 ペロポンネーソス戦争地図 アテネ中心(デロス同盟)とスパルタ中心(ペロポンネーソス同盟) 結果
:②古代ギリシャの海外領土地図 ギリシャ時代の都市とローマ時代に増えた都市の地図
 現代の海岸沿いの城壁囲まれた都市国家の写真 手前の崖、都市国家、海
(以上自作)
:③塩野七生著『ローマ人の物語』(文庫版) 第1巻 162-3,166-7,172-3頁, 第7巻104-5頁

 --講義内容--

 前回は哲学の出発点と問題意識を述べました。今回はその肉付けになります。まず、ソクラテスの問題意識を探るために、簡単に世界史を騎馬民族の侵入から語りました。東は支那、西は欧州が特にその進行を受け、別々の受け止め方になりました。ギリシャ人の性向がそこから観えてきます。次に、当時のアテナイ(アテナ)の状況、さらに、ソクラテスの同時代の人の評価を比較しました。そしてソクラテスが皮肉を言い始めたのは、「神の声が聞こえた」からですが、どうして聞こえたのか、どうして現代の日本限には聞こえないのか?というのを社会科学の観点から分析しました。ソクラテスの真の目的は次回に述べるとして、今回は、色々な視点で哲学の出発点と問題意識に肉付けをしました。

 -ギリシャ人

 ギリシャ人には数々の系統があります。それは騎馬民族に押し出されてきたからです。ギリシャ人も押し出されてきました。都市国家アテナイはイオニア系ギリシャ人です。その後で来たのがドーリア系ギリシャ人、都市国家スパルタを作りました。他にはアカイア系などがあります。そしてギリシャの本土には知識人がおらず、海外領土に都市国家を作りました。これも大枠では騎馬民族に押し出されたからです。その海外領土から本国に戻ったのが、前回出てきたソフィスト(知識人)で、大きな顔をしてのさばっていました。それに乗せられる民衆にソクラテスは怒っていたのです。都市国家であるのは、土地の占有をしなかったからで、海岸沿いにへばりつくように建設し、15m以上の城壁を作ることもありました。ポイントをまとめてみます。

 ギリシャ人の特徴
・何種類かの系統がある
・騎馬民族に押し出されている
・山ばかりなので農業ではなく商業に、そして海運へ
・ギリシャ人の都市国家は同じ系統でも助け合うことが少ない
・直ぐにギリシャ人同士で戦争し、支配されれば反乱する、を繰り返す

 また、配布プリントで塩野七生著『ローマ人の物語』を読み上げ、コメントをつけるなどして、当時のギリシャの状況、自由民と奴隷の割合、アテナイの民主制の政体、スパルタの独裁制の政体などを知ってもらいました。私達が想像するのも及ばないこともありますので、肉づけをしました。さらに知るために、是非とも第1巻を通して読んで欲しいものです。

 さて、それでは昨年度の講義録から引用します。

 --(昨年度の講義録より抜粋)--

 -ソクラテスの危機意識

 まず、配布プリントの地図の説明から行きました。海外領土が騎馬民族から遠い場所にある、というのを確認しました。そしてその海外領土からアテナイへ知識人(ソフィスト)達が民主主義に基づいて、第2次ペルシャ戦争の後、同じギリシャ文化の都市国家同士で争うという愚かさを繰り返していることを説明しました。そしてその横には、まだまだ巨大なペルシャ帝国が健在であったのです。その危機意識の中でソクラテスは「無知の知」や「悪法も法なり」などの行動をしたのです。ソクラテスは、第2次ペルシャ戦争後に生まれ、そしてペロポンネーソス戦争の戦争責任を無理やり押し付けられて死刑になりました。ソクラテスは、戦争をずーっと続けていた時代に生まれ、何とかしたい、という危機意識を持っていたのです。

 -現代のソクラテスなら

 ソクラテスが現在の日本に居たのなら、どういったことを述べたでしょうか。政治的主張をするのはちょっと、という日本人は多いでしょう。まずそのことに怒りを爆発させたでしょう。そして平成26年は大韓民国、あるいは韓(朝鮮)民族否定の本がよく売れているそうです。ネットでもそうした文言をよく見ます。これについてソクラテスは大爆発したでしょう。当時のアテナイの生存を根本から揺るがすペルシャ帝国があるのにも関わらず同じ文化のスパルタと争ったのです。現在の日本が大韓民国と争って得をするのは一体どこの国でしょうか。それに怒ったでしょう。大韓民国の裏には日本の軍事費の2.5倍(公式発表)、実態は4倍以上と言われる中華人民共和国があります。この巨大な帝国(植民地を持つので)が喜ぶに決まっています。そして中華人民共和国と争うならば、それよりももっと大きく、現在の日本の屈辱的な約70年を創り出し、世界最大の帝国が控えています。アメリカです。私達国民はこうした根本問題を理解せず、知ろうともせず、あるいは知ってもスッと流してしまい、大韓民国への軽蔑や反発で溜飲を下げるのです。これは衆愚性と私は考えます。本当に大切なのは日本国が自分たちで自分たちのことを誇りに思い、そして自分たちの国を決める、ということです。そいうことを考えずに、反省せずに、他国を非難して気持ちの良いことだけを続けるのです。これは後にプラトンの「洞窟のイデア」でも取り上げます。さて古代ギリシャのソクラテスに戻りましょう。

-ソクラテスの主張

 ソクラテスに戻りましょう。

主張:国家が精神的統一を失うのを避けたい。
⇒現在の良い方で言えば「愛国者」。国を善くしたい。周りに嫌われてもいいからアテナイを何とかしたい。「公益」のために生きた人。「こんなこと言ったら周りに嫌われるなぁ~」とか「こんなことしたら会社首になるなぁ~」ではないのです。公益通報者保護法がある現代日本でも中々出来ないことです。

人生の後半:仕事を辞めてソフィストと議論を繰り返した
⇒現在なら大学教授だったのに50歳ぐらいで辞めて、年金が貰えるなどの個人の利益を考えず、首相官邸の前で「安倍総理止めろ!」などと言っていたことになります。周りに喧嘩を売っていた。だから問題視されました。

ポイント:建設的な意見を言っていない。
手段としては、「無知の知」です。

―「無知の知」の哲学的意義

外見(口頭):無知です
内面(本質):知識や智慧がある

相手の言っている矛盾を突く、のだからソクラテスは知識や智慧があったのです。犬に対して何かを話していて、犬が人間の言うことの「矛盾を突く」ことがあり得るでしょうか?あり得ません。ですから、相手の矛盾を突く、ということが十分な知識や智慧がある証拠なのです。

偽装:外見と内面の違い

偽って装っている=偽装しているのです。どうして偽装するのか?と言えば、ソフィストが偽装しているからです。それを皮肉っているのです。

ソフィスト

外見(口頭):知識がある
内面(本質):無知です=真・善・美がない

ソフィストも偽装しているのです。ソクラテスと正反対の偽装です。ソクラテスはソフィストが本当は知識がない=真・善・美がない、と主張するために「無知の知」を手段としました。もう少しソフィストが本当の知識がない、を説明しましょう。
現在ならば、インターネットには「知識」が溢れています。Googleが画期的な検索ソフトを開発して、「知識」が簡単に1,2分で集められるようになりました。この知識は、ソクラテスに言わせると無知でしかないのです。真の知識、善の知識、美の知識とは「己のための知識」ではなく、私自身をより善くし、周りを善くし、国家を善くする知識なのです。知識よりも智慧の方が適当な単語かもしれません。ソクラテスに言わせれば、ソフィストは、自分たちの知識を披露するだけで、その行為が聴衆や国家を善くするかどうかを考えていません。ソフィストはアテナイの利益だけを求めて、スパルタの手柄を横取りし、他の都市国家に軍や金を出させ、しかも自分たちの民主制を押し付けたのです。それで本当にギリシャ世界がより善くなっていない、と感じたのでしょう。簡単に言えば、ソフィストの知識は、「公益」のための知識ではないから、真の知識ではないのです。
 ソフィストが知ったかぶりでアテナイを扇動するからアテナイの市民が死んでいくのだ、とも考えたかもしれません。そしてソフィストの扇動を民衆が支持することもソクラテスは告発したかったのでしょう。そこを何とかしたい、その偽装を暴きだしたいのです。
 ですから、社会的に偽装が認められているから、「無知の知」で逆の偽装を提示しているのです。

―「無知の知」の皮肉

 ある学生が「僕知っていますよ。これはあーですよ。こーですよ。」という時に、先生が「へーそうですよ、そんなに知っているんだ」というのが皮肉です。「釈迦に説法」の諺があります。もしその皮肉が学生に伝われば「ああ、知ったかぶりしてしまったな。恥ずかしいからもっと勉強しよう」という教育的効果が出てきます。しかし伝わらなければ益々増長するでしょう。ソクラテスは、このように相手を褒め上げませんでした。ソフィストと民衆が大多数であり、褒め上げれば増長することが判っていたのでしょう。逆をやりました。つまり、「僕知っていますよ。あーですよ。こーですよ。」に対してソクラテスは「へーそうなんだ。でも、そこは矛盾じゃないか! 駄目だ!」と叩きつけたのです。一旦は「へーそうなんだ」と聴いて皮肉った後、自分で相手をへこませたのです。ですから、ソクラテスは嫌われました。嫌味おじさんなのです。ただ、「嫌味」と受け取られている限り、ソフィストや民衆に通じていないのです。
 「皮肉」に教育的効果がある、というはニーチェの言い方ですが、プラトンがソクラテスを教育者と観たのは、ソクラテスの皮肉と愛国がきちんと理解されていたことを意味します。

プラトン著『国家』の中のソクラテスは、「自分だって精一杯努力しているのだが、ただ私にはその能力がないのだから、賢明なあなた方は私に腹を立てるべきではなく、むしろ憐(あわ)れんでくれるべきなのだ」と言っています。相手のトラシュマコスは大声で嘲(あざけ)り笑いながら、ソクラテスの態度をたしなめます。このやり取りをみても、ソクラテスの偽装の真意、皮肉の意味は正確には受け取られていないのが判ります。

―現代日本の偏向報道と「無知の知」の真意

他方、ソクラテスは複雑な言い方をしているのですが、誰も理解してくれない、というのも伝わってきます。現在でいえば、NHKなどのマスコミで嘘や誤報や偏向報道が沢山ありそれが証明されているのにも関わらず、多くの民衆は「NHKが報道したから、と少し疑問を持っても自分で調べようともしない。」のです。外務省が発表した文章、全体の論調と全く違うのにも関わらず、最後の部分だけを報道する場合があります。外務省の発表した文章はインターネットで直ぐに見つけられ、日本語で読めるのに、それすらしない人が多いのです。さらには、マスコミの多くは自分たちの都合の悪いことは報道しない自由を行使して、政府や民間にだけ「報道の自由」を強く求めます。消費税導入に大賛成して、決定されていない内から、「決定しました!」という誤報を流し続けていました。安倍総理が最終決定権があるのに、それを取り上げず、経済界などの権限のない人の意見で「決定しました!」と報道したのは記憶に新しい所です。しかし、国民はそれをただただ信じました。
どうしてしないのか?マスコミ(ソフィスト)の言うことだけを信じて、自分の利益だけしか考えない、というソクラテスの問題意識は現代日本に通じるものがあります。

―ソクラテスの苦しみ

 この絶望的な状況で、インターネットもない時代、ソクラテスは悩み苦しみぬいたでしょう。しかし、放棄しませんでした。そこから出てきたのは、「誰も支持しない」という政治的な立場でした。安倍総理も、野田総理も、菅総理も、鳩山総理も支持しないのです。全員に駄目だ!と言い続けるのです。真の敵は、誰か?でもなく、どの政治か?でもなく、現在の政治の仕組みそのものなのです。アテナイの人々が持っている考え方そのものなのです。この苦しみは大きく、前に述べたように「強硬病(カタレプシー):体が固まる」で、長い時は24時間、その姿勢を保ち続けたのでした。ソクラテス自身は「鬼神(ダイモーン)の声を聴いている」と言い、キルケゴールという哲学者は「そうして休んでいた」と言います。全てを否定する、無限否定性はそれ程までに苦しかったのでしょう。

ーソクラテスの誤解の原因

 ソクラテスは以上のように、変わった人でした。ですから、誤解も生じやすいのです。当時の人々も同様に誤解しましたそこを問題に出しました。

問1 どうして3人のソクラテス像が違うのでしょうか?
解答例(高木)
問1 それぞれの欲望で誤解したから

-問1 どうして3人のソクラテス像が違うのでしょうか?の解答

 ソクラテスについて、もう少しお話していきます。高校の授業で事実を知っている人もいると思いますが、それは事実を知っているだけであって、哲学「史」です。講義は『反哲学史』を元にして事実を解釈していきます。

 まず、ソクラテスの誕生からです。紀元前、この紀元とは「イエス・キリスト」が基準です。イエスの誕生前で、「Before Christ(キリスト)」でB.Cになっています。キリスト誕生よりもB.C469年―399年で70歳まで行きました。誕生した年は第2次ペルシャ戦争が終結直後であり、同じギリシャの都市国家スパルタなどとのペロポンネーソス戦争が終結した後に死刑になりました。
 ペロポンネーソス戦争は、第2次ペルシャ戦争の後に、アテナイが傲慢になったことが原因でした。アテナイは①勝利による利益を独占し、②各都市国家へ軍と資金の拠出を求め、③民主制を強要したのです。スパルタからすれば第2次ペルシャ戦争の勝利に貢献したにも関わらず利益が少なく、戦争が終結したにも関わらず余分な軍備や資金を取られ、しかも王政(専制政治)という伝統を否定される、という散々な結果になってしまったのです。そこで、アテナイとスパルタに分かれ、同じギリシャ人同士で戦争を始めたのです。さらに、アテナイの市民は、戦争が終結して道徳などが乱れる時期に入っていたのです。このようなアテナイという都市国家を、あるいはアテナイ市民を何とか立て直したい、とソクラテスは考えたのです。

―民主主義は最善なのか?

確かにアテナイは民主制を採用して国力を伸ばし、第2次ペルシャ戦争では指導的な役割を果たすまでになりました。しかし、「本当に民主主義は正しいことなのか?」、「民主主義なら全員に通用するのか?」という問を失っていたのです。「民主制であれば良い」というような妄信に取り付かれていたのです。来歴の箇所で述べたように福沢諭吉の偏頗心(へんばしん)の塊になっていったのです。敗戦前の日本の大正デモクラシーの時代とかぶってきます。この点は次に詳しく述べますが、同じ疑問が民主主義に現在でも投げつけられているため、ソクラテスの疑問、というのは考えるに値するのです。

ソクラテスは約30年間のペロポンネーソス戦争終結の直ぐ後に裁判にかけられて死刑になりました。裁判そのものは、当時のアテナイでも異常な裁判で違法に近い裁判でした。戦争をずっと続けている時代に生まれ、戦争の異常さによって死刑になった生涯でした。

 他の特徴を挙げてみます。
○信念:語られた言葉だけが真に生きた言葉で、書かれた言葉は死んだ言葉である。
として1冊も本を書き残しませんでした。プラトンの著作の中に理想的な人物として登場します。仏陀やキリストも同じく著書を残していません。孔子の弟子が書いたと言われています。
○当初から問題視されていた人物です。
○人生の後半は仕事をせずに、神殿の横を通った時に神の声が聞こえてきて、ソフィストと論争を繰り広げ続けました。
○自己の個人的権利を主張し、民主政治が衆愚政治に化し、国家が精神的な統一を失う、と考えた。
 
―同じ時代の3人の証言 
どうして違うのか? どういう人物であるかの解釈は後に述べます。

○アリストパネス(大喜劇作家 前445-385) :40代のソクラテスに対して
 「金を払えば正邪に関係なく、議論に勝つ術を教えてくれる人物」
 かなり世知に長けた、ずるい印象を与える証言です。

○クセノフォン(軍人 前430-354):晩年のソクラテスに対して
 「謹厳実直。快楽の度を越してはならないという人物」
 当たり前のことを言う説教好きなジジイという印象を与える証言です。

○プラトン(哲学者 前427-347):後半のソクラテスに対して
 「理想的な人物。辛辣(しんらつ)な皮肉と思いやりと思慮深さのある人物」
 理想的な教育者という人間の完成者という印象を与える証言です。

 アリストパネスはズルイ賢い人物と見ていますし、クセノフォンは真面目すぎる人物と見ていて正反対です。2人の像と正反対なのはプラトンの像で、理想的な人間として描いています。どうしてこのように3人の印象が違うのでしょうか。

―問1 どうして3人のソクラテス像が違うのでしょうか?

 先週の学生コメントで最初に問を出さずに、その都度出して欲しいと3人の意見がありましたので、今回からそのようにしていきます。皆さんも、これからたった1人では生きていけないのですから、人の評価や判断は必要になります。日本的なニートでさえ、親との間接的な関係の中で生きているのです。人が独りで全ての食料を生産し、衣服や家を作るのでなければ、こうした他人の評価や判断は必要になります。その評価が分かれた場合、どのように考えるかが大切になります。なぜ、3人の像はバラバラに違うのでしょうか?

解答例
① 一人一人の観点が違うから   →個人の判断
② それぞれの職業が違うから   →社会的地位
③ 関係の深さが違うら      →人間関係

がありました。それぞれ説得力があり的を射ています。高木が古代ギリシャのソクラテスの証言から解釈したのは、以下の観点からです。青山繫晴さんから聴いた言葉です。

「他人を誤解する時、当人の欲望が現れている」

 アリストパネスは劇作家です。人をあっと言わせたり、感動させたりすることでお金を得ています。ですから、常に「人をあっと言わせたい」や「感動させたい」と欲望していることになります。そして日常生活でも人を見る時も、その欲望で見ていると考えるのです。つまり、「その人の評価する言葉には、その人の欲望(日々考えていること)が現れている」ということです。こうなるとアリストテレスの評価は、アリストテレス自身の評価そのものではなく、評価する人の欲望が含まれていることになります。クセノフォンならばクセノフォンが普段考えていることが、評価に現れていることになります。話の内容は、当人がその人が欲していることである。そうなると、評価を受けるソクラテスではなく、クセノフォンを動かしたい時には、クセノフォンの評価をそのまま与えるとクセノフォンが喜ぶことになる、と言うのです。少し回りくどい言い方をしたでしょうか。

―他人を動かすために

 クセノフォンはソクラテスを「真面目な人」と評価しました。ならば、クセノフォンを喜ばせたい時には「クセノフォンは真面目だね」と言えば、クセノフォンを喜ばせられる、ということです。クセノフォンは軍人だから、常に真面目なことを考えてきたのです。そうしないと軍人では成功しません。プラトンはソクラテスを、理想的な人物と評価しました。プラトンは理想的な人物になりたい、あるいは理想的な人物を常に求めている、というのです。実際にプラトンは、政治は理想的な人物(哲学者)が王様(哲人王)になって国家を支配すべきだ、と考えました。シチリア島で2回の政治改革に取り組みました(2回とも大失敗)。
 人間はその人の心が読めませんから、行動だけが判る訳ですから、誤解が生じるのです。その誤解の方法に当人の欲望が隠れているというのです。

 ―ソクラテスの聞こえた声は何?

 ソクラテスは「鬼神の声が聞こえた」と言っています。これがソクラテスが変人になった理由です。ではソクラテスの聞こえた考えとは何でしょうか。古代はソクラテスに限らず、ヘブライ神話に登場する預言者モーセ、預言者イエス、他に、釈迦、預言者ムハンマドなど人ならざる声が聞こえていました。ムハンマドは神の声が五月蠅くてしょうがない、と言っています。ギリシャ神話でもアポロン(神)が聞こえてきて、それで戦争を開始するなどがありました。古代になればなるほど、神様などの声が聞こえてきたのです。では、どうして皆さんは神様の声が聞こえないのでしょうか? どうしてソクラテスには神の声が聞こえたのでしょうか?

問2 何故、ソクラテスは神殿の横で神の声が聞こえたのか?
解答例(高木)
問2 ソクラテスは祖国を何とかしたいと言う欲望をずっと抱えてきたから

 ー神の声が聞こえる、という2500年前の理由 

 欲望というのは本人の頭の中に渦巻くものです。これを2つの共通性によって文字に残すことになります。2つの共通性は内在(心の中の声に出さない言葉)と外在(声に出して発する言葉)があります。内在で聞こえた言葉を外在にする際には、当時の社会背景が特に強く関係してきます。釈迦やイエスのいた時代の社会背景は「神が存在する」という前提でした。当時の日本も同様です。ですから、心の中の言葉(内在)を他人に聴こえる、理解できる形(外在)に直す時に、「神の声」という言葉に置き換わるのです。
 現代では、「神は居るのか?」という社会背景ですから、内在の言葉は、「アイディアが降りてきた」や「ひらめいた」という言葉に置き換わります。例えば職人さんが一心に道具を良いものにしようと欲望し続けるとします。するとある時「手が勝手に動いた」とか「ひらいめいた」といって新しい工夫やよりより物を作ることが出来る、ことがあるでしょう。これは現代の社会背景からすれば理解できる言葉です。しかし、2500年前なら「神が助けてくれた」とか「神の御恵みがあった」という当時の人々が理解できる言葉に置き換えられていたのではないでしょうか。結論をまとめます。

○一心に欲望する   → 「神の声が聞こえた」 :2500年前の言葉の変換
              →「アイディアが降りてきた」「ひらめいた」:現代の言葉の変換

 となるのです。重要なのは「ソクラテスが神の声が聞こえた」といった後、職も名誉も投げ捨てて一心不乱に祖国のためにその身を捧げたことです。これはそれ以前にソクラテスがずっと考え続けて何とかしたいと欲望していたことが推測されます。もし、たまたま聞こえてきたのなら「気の迷い」と切り捨てたことでしょう。そういうことは現代でもあることです。そしてそれゆえに、ソクラテスの愛国故に、彼は裁判でも民衆に真実を告げました。そして逃げられたのに死刑になったのです。具体的に述べる前に、他の解釈を示しておきます。

ーなぜ、現代の人々は神の声が聞こえないのか?

 神学上、キリスト教では2000年以上聞こえていません。それ以前は10人以上が確実に神様の声が聞こえていたのです。イスラム教ではムハンマドが最後の預言者と言っており、1500年以上聞こえていないことになります。一神教上の大きな論争がある問題の1つです。答えは大きく分けて2つあるでしょう。宿題でも出しましたが、「神様の声が聞こえる」という自然科学(物質科学)からすればあり得ない、という現象を、社会が受け入れている、とう点です。毎週日曜日休むのは神様が休んだからです。イエスは神の声が聞こえたから特別な人間なのです。そのお祭りが行われています。この偽装は、ソフィストの偽装そっくりではないでしょうか。「神は信じない」と自然科学的なことを言いながら、「神を信じる」から出てきた日曜日に休むのです。「どうしてですか?」に答えられない思想家、哲学者がいたら、それはソクラテスの批判したソフィスト(知識人)に過ぎないのでしょう。私達の生き方に哲学が関わる、というのはこの辺りのことを言うのでしょうか。

『神々の沈黙 意識の誕生と文明の勃興』 シュリアン・ジェインズ著 柴田裕之訳 紀伊國屋書店 3,200円 

3000年前までは人類は「意識」がなかった、という説が書いてあります。本の帯には「20世紀最大の議論を呼んだ話題作」とありますが、反響が大きかったのは確かです。もう少し優しく置き換えてみましょう。
昔は、「正常な意識」がなかったため、精神病という区分がなかったのです。ですから、周りの人がその人の言うことに合理性があると認めたら、神の声になる、と考えられます。統合失調症や分裂症など色々な区分がありますが、それらの境界は実に曖昧です。また、精神病と言いながらその定義も曖昧です。ある心療内科の先生の本には「社会活動に不適合があるかないか」と書いてありました。原因として2つ出てきます。
① 精神病の人々を特別視しなかったから。あるいは精神病院などで排除しなくなったから

 もう1点。神の声が聞こえた、と判断するのは大勢の人々です。キリスト教では教団が出来、神かどうかの判定をキリスト教団が行います。すると現在の教義と異なる神の声が聞こえた場合、「それは神の声ではない」と排除することになります。つまり、イエス・キリスト以降、ムハンマド以降預言者が出てこないのは、「預言者と認めないから」ということが言えます。日本では敗戦後、「私は天皇である」と言いだした日本人が数十人いました。それは天皇陛下への補完(権威の復活、自己の正当化の復活など)として解釈されています。当然、これらの人々は皇室の系統からも認められていません。

② 教団の都合が悪いから

―ソクラテスに神の声が聞こえた理由

 「ソクラテスは神殿横で神の声を聞いた」ことで「無知の知」を始める訳です。これを先ほどの「欲望による誤解」の立場から解釈してみましょう。すると、ソクラテスが神の声を聞いた、というのは「少年の頃からアテナイのために何かをしたいと考えてきて、それが声なき声として積み重なって、最後、心の中で神の声として聴こえた」となるのです。つまり、ソクラテスが聴いた神の声は、ソクラテスの欲望、である、と解されるのです。誤解して聴こえてきた、という説明の仕方は、1つの説明の仕方に過ぎません。これと同じことを孔子が言っています。

―ソクラテスの声と孔子の共通点

孔子の「習いこれ性となる」は、書経の「習い性となる」や孔子の「性相近し、習相遠し」から出た言葉で、「習慣(=習い)が、その人の性格(性)になる」という意味です。つまり、習慣が才能よりも大切である、という考え方です。ソクラテスに当てはめてみると、ソクラテスが神の声が聞こえる性質、性格になったのは、常に国家を何とかしたいと習慣的に考えていたから」でしょう。古代ギリシャやローマなどにも同じような諺があり、日本では道元が、毎日の作業(作務)や座禅という行動を重視した点にも見て取れます。こうして書き出してみると先ほどの学生の皆さんの答えが素晴らしかったと思いだされます。
さて、では現代に戻しましょう。講義中に話す人がいます。何度注意しても話す人は、話さないと落ち着かない性質になってしまうでしょう。ゲームやスマートフォンなども同じです。これらは太古から変わらない人間の性質なのでしょうか。
「ああ、学校に行きたくないなぁ」と思って学校に来ている人は、何事も嫌がる性格になってしまう、という考え方です。行動から正していきましょう、という考え方です。

 --(以上、昨年度の講義録より抜粋終了)--

 「性相近し、習相遠し」を、3回大声を出しました。私が先唱し、学生の皆さんが声を出しました。覚えて置いてくれると嬉しいな、と想いながら。

 以上です。
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