講義録12-3「常に被爆者を必要とする原発 」

 最後のチャート、「常に被爆者を必要とする原発」です。コメント集は打つつもりです。

 総括原価方式が書けて少しホッとしています。

 プリントは⑫ 『原発事故隠しの本質』 26頁です。

 「(東京電力から始まった事故隠し・虚偽報告スキャンダルを述べた後)事故隠しが、まさに恒常的に行われていて、しかも電力会社の側には「隠した」という認識すらないんですから。・・・「不正は悪かったが、安全上問題はない」と、原子力安全・保安院も東京電力なども言いますが、それこそが安全意識の欠如です。・・・シュラウド(原子炉を囲う部分)から再循環系、そして格納容器とだんだん、より重要なデータ不正が見つかっています」

 データ隠し、事故隠し、虚偽報告が恒常的に反原発側から指摘され続けたことが分かります。この原因を昨年度までの私は

 「国が主導して、その人々が法律を作り、そして管理しているから」

 と書いています。日本の国の中に数々の闇がありますが、身近にある闇は2つあります。1つは原発、もう1つはパチンコです。原発が出た後にパチンコに目が向いたのは、大きな闇という共通点があったからです。その原発とパチンコの共通項目は、「推進側とチェックする側が1つの役所にある」という点です。原発は内閣府に推進側の原子力委員会とチェック側の原子力安全委員会があります。パチンコは管理も監督も警察の生活安全課にあります。もちろん、パチンコは明らかな法律違反です。しかし、もう1つの大きな問題は「推進側とチェックする側が1つの役所にある」ということです。これでは体制的に腐敗していきます。パチンコは20兆円~30兆円の闇ですが、ちなみに世界のTOYOTAは17兆円です、原発はどれほどの闇になるか想像もできません。
 私は原発が闇に隠れてしまったのは、政治的な意図が全体を構成しているからだ、と考えています。原発は全体構造としてデータ隠し、事故隠し、虚偽報告が恒常的に行われるのです。ですから、私は「データ隠しをしたから原発を止めよう」というのは実効的ではないと考えていました。現在も考えています。 「安全な技術を社会的要素でリスクのある状態においておいた」と11-3で述べておいています。

 続きはプリント⑬『獏(ばく)さんの原発なんかいらない』 31頁

 「臨界を止めるために水抜きの作業などを行った労働者は、右(計画外に被曝した人)に言う「被爆者」の大多数より大きな被曝をしていても、たとえ法令に定められた被曝の限度を超えても、被曝を前提として作業をしたのだから「被爆者ではない」のだそうです。その人たちの被曝は「計画被曝」と名づけられています。

 目を疑いたくなるような一文が飛び込んできました。これは

A) 原発を動かす場合に必ず起こる作業で、作業員が被曝します。
B) その被曝は「被曝を前提とした」のだから「被爆者ではない」
C) その被曝は「計画被曝」だそうです。

 A)はこれまで見てきたように原発推進派(原発が高いというデータを集計しないなど)の資源エネルギー庁のグラフで明確に理解できます(32頁)。その量が総被曝量としてシーベルトで示してあります。
 B)は、続けて「原発で働く人にとっては、原発が止まっているときのほうが、検査や修理でよけいに放射線の危険にさらされることになるのです」という一文で実態が書かれています。
 C)は、「計画被曝」の実態が、福島原発事故で明らかになりました。公衆、つまり赤ちゃんも含めた「一般の人々の被曝限度は1ミリシーベルト」と定められています。それが50ミリシーベルトまで男性作業員はOKになり、今回の福島原発事故では100ミリシーベルト、さらには250ミリシーベルトまで伸ばそうとしました。事故だから、250ミリシーベルトだそうです。皆さん驚いたかもしれませんが、こうした基準があること自体、原発は通常運転時に作業員を必ず被曝させている、ということです。道義的な問題がもちろんでてきます。

 「火力発電では作業員の被曝がない」
 「原子力発電では必ず作業員が被曝する」

 どちらを取りますか? ということです。ここで教科書の筆者の「倫理的に正しいことを経済性や効率性よりも優先する」という倫理絶対主義を持ち出すと、原発は全て停止しなければならなくなります。こうなると困るので「二酸化炭素が・・・」、「経済性が・・・」、「地元の利益が・・・」という答えがマスコミによって流布されるのです。私の考える倫理相対主義は、この「経済性が・・・」、「地元の利益が・・・」も倫理と一緒に考えて結論を出しましょう、という考え方です。

 さて、その被曝量の社員と社員外の割合が先ほどの資源エネルギー庁のデータに載っています。70年から98年度までありますが、社員は常に一定幅で5シーベルト程度、社員外はピーク時120シーベルト、98年に80シーベルト程度です。つまり、東京電力や中部電力の社員が5%程度の被曝で、社員外=協力企業(下請、孫請け)が95%以上です。これは、狭い原子炉内で

 「床にこぼれた放射性廃液をチリトリですくってバケツに入れ、ボロ布でこすって放射能汚染を取り除くといった作業に従事しているのです」33頁

 という一文で実態が理解できます。私たちと何も変わらない日本国民が、常に被曝しなければ原発を動かせないのです。東海村JCO事故の時、放射性物質をバケツで混ぜていたのは、この「社員外」と資源エネルギー庁が書く人々です。10年以上勤めていても1回も放射性物質の危険性を教えてもらわなかったのです。私はこの実態を述べた後、「これで本当に良いのだろうか?危険性も教えられず、しかも被曝している」のですが、と。すると「職業選択の自由があるのだから良いのですよ」という意見をもらい感心しました。

 さらに、続けましょう。放射能被曝で毎年数人から数10人にんが死ぬと言われています。というのは、「計画被曝」の作業をする人が年間5万人いるのだそうです。プリントの続きに

 「ところが政府や電力会社は「日本の原発では放射線被曝が原因で死亡した例は1件もない」と、労働者の訴えをすべて闇に葬ってきました。しかし、91年12月に、福島原発(!!)で働いていた元労働者が慢性骨髄性白血病で死亡したのは放射線を被曝したためと労働災害が認定されて以来、99年10月までにようやく4件の労災が認定されるようになりました。」

 商業用原子炉が稼働して30年間に4件の労働災害です。しかし、その条件は

 「それでもJCO事故の労働者の場合は「計画外」の被曝だからすぐに認定されたのであって、「計画被曝」の場合は、よほど多くの被曝をし、しかも比較的発症数の少ない種類のガンで発病した場合でないと、労災すら認定されません。まして、ガン以外のさまざまな病気の場合には、まったく相手にされないのです。」

 とあり、①珍しいガンでないと駄目、②ガン以外は駄目、という条件が付くのです。これも「絶対安全」を前提にした原発の結果であるのは言うまでもありません。私は地球温暖化というアメリカが殆どのデータを出している点に疑いをもっていますが、それはさておいても、現実に年間20人程度がガンで亡くなり、その他の病気など色々な問題を抱えてしまう原発と、100年後に海水温度が上昇する(私はしないと考えますが)こと、日本が暖かくなること、そして中国やインドの経済発展を止めないと二酸化炭素が確実に増えること、と総合的に考えて、火力発電に直ぐに変える方がよい、と主張していました。

 「常に被爆者を必要とする原発」は、原発推進の資源エネルギー庁のデータ、過去の裁判記録でも立証されています。

 さらに、原発のバックエンドコスト=廃棄物処理(放射性廃棄物や廃炉の最終処分)でも必ず「計画被曝」が起こるのです。原発で事故が起これば必ず現在より酷い放射能汚染が広がります。不幸に現実化してしまいましたが、廃棄物処理でさらに「計画被曝」が進むでしょう。

 プリント⑯ 『私のエネルギー論』 96頁

 「放射性廃棄物や廃炉の最終処分と、それらの将来に渡っての安全管理の費用は何も考慮されていないのだから。いわば、借金をして安く商品を売っているようなもので、本来の経済原則を逸脱しているのは明らかである。その借金は、すべて子孫に先送りしているのだ。なんと子不孝な私たちだろう。」

 「計画被曝」を日本国民の誰かがしなければならない。原発を今すぐ止めても必ずしなければならない。原発を再開すれば、未来の日本国民がそれだけ「計画被曝」をするのである。それは私の子供かもしれないし、孫かもしれない。孫の友達か友達であることは確かではないだろうか。現在5万人の人々が働いているのだから。 さらに、「社員外」の人々は、「公益通報者保護法」では「社員ではない」ので守られません。
 私は倫理相対主義に基づくので、「計画被曝」よりも地球温暖化になる火力発電を選ぶ、と考えた。

 また、プリント⑰ 99頁では、ウランの精錬所や濃縮工場、加工工場などでの排水や排気ガスでガンが多発したので幾つかの工場が閉鎖されたことが書いてある。日本では通常運転時、被曝量が最も大きかったのが福島原発である。ウラン採掘から精錬所、濃縮、加工、輸送、原発運転、廃棄物処理、廃炉、廃棄物管理の全ての段階でも「計画被曝」が出てくる。

 もちろん、学生の皆さんがテストで「原発推進です」と書いても丸をつけた。「公平」が理性の最も基本である、と私は考えるからである。そして、「公平」は徐々に身につけていくからである。その種を学生の皆さんに播(ま)くことが教育の本質と考える。

 女子サッカーの相手はスウェーデン。楽しみ。

 
 

 
 
 

 
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