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哲学4-1 日本女性の素晴らしさ

 皆様、こんにちは

 10月27日になりました。中秋の名月から一回りしての満月です。私は中秋の名月よりも少し冷える暗天の満月が好きです。1年で最も美しい月だと感じるほど、麗しかったです。大学より丁度帰宅して自転車を止めて、視線を上げると、満月の周りに白いぼかしが限りなく広がっていました。『古今和歌集』に

秋の月山べさやかに照らせるは落つる紅葉の数を見よとか  

意味:秋の月が皓皓(こうこう)とてらすのは、落ちる紅葉の数を数えなさいといっているつもりでしょうか

 という歌があります(巻第五 秋歌下289)。それほどの明るく、そして白いぼかしは紅葉の赤や茶色を囃し立てていました。千年前のご先祖様が感動し、そして私が感動する。同じく千年後の子孫たちが感動するのでしょうか。そう考えるとさらに趣深く感じ入ります。今回の講義も千年以上前の女性のご先祖様の素晴らしさを知ってもらいます。哲学は二千年以上前の異国である古代ギリシャの賢人を知ってもらうものです。こうした視点を学生の皆さんに持ってもらいたいと願っています。

 それでは4回目の講義を始めます。

配布プリント 
:(後日記入:ミレーの「種を蒔く人」の画像)

回覧本
:石川真理子著 『女性の教養(たしなみ)』 致知出版社
宿題
:なし

  --講義内容--

 前回は、「物語(神話)+努力や苦悩=来歴」を示しました。代表例が、神武天皇の日本建国の詔にある内容が、国旗と国歌の来歴として結びついている点でした。今回は、日本女性の素晴らしさを国史(日本の歴史)から取り上げます。それは、物語で男女の役割の違いが示されていたように、日本では男女で一組、という考え方があります。対して『聖書』では、人は男性を指し、女性はその付属物という物語があるからです。日本の善は男性だけではなく女性が別の側面から互いに支えて初めて成り立つのです。
 古代、中世、近世、近代に分けて幾つかの具体的な例を挙げて説明していきます。
 最後に、何度も繰り返しになりますが、日本人が日本の善をもって他国の善や体制を批判するのは、学問ではないことを付け加えておきます。以下の内容は、今年9月に静岡県袋井市でのミニ講話で使用した資料となります。

 --(講演録より引用)--

「日本の女性の素晴らしさを知ろう」

 皆様、こんにちは。今回は「日本の女性」です。大和撫子として世界で有名ですが、その本当の意味に迫っていきたい、と思います。
まず、前回に述べた推古(すいこ)天皇から、最後に明治期の女性を述べていきます。現在、日本の歴史は敗戦による影響から書きかえられています。まず、日本の歴史(国史)の本質を述べ、古代、中世、近世、近代における女性の素晴らしさを取り上げていきます。

一.日本を創り出した女性 推古(すいこ)天皇 (古代)

世界一永い国家のわけ:皇室が権力を遠ざけて、優秀な人に預けてきたから。

 言い方を換えれば「権威と権力の分離」です。これは、

物語としては、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の天孫降臨時の「国譲り神話」(信仰の自由)
政策としては、仁徳天皇(第十六代)の「民のかまど」(最古の堤防など大規模灌漑と無税)
制度としては、推古天皇(第三十三代)の聖徳太子の摂政政治 

 で結実します。

 前回、「皇室は権力を放棄し、権威だけの存在になっていった歴史」を述べました。日本は皇室の下に皆一緒に暮らすのですが、皇室が権力を放棄する、という世界でも誠に珍しい制度を採っています。藤原の摂関政治から鎌倉、室町、江戸幕府の征夷大将軍の任命、明治政府、現在の日本政府でも天皇陛下の任命に基づいています。逆に、天皇陛下による任命がなく日本全体の権力を握った者は、日本の歴史上存在しません。これに反対しようとしたのが平将門で自ら「新しい天皇=新皇」を名乗ります(第六十二代村上天皇の御代)。僅か2年で打ち取られました。

 この「皇室が権力を放棄する制度」は、推古天皇が始められたのです。御存知、聖徳太子を初めての摂政に任ぜられました。これ以降、日本の歴史は権力者を天皇が命ぜられる制度が、現在まで続きます。ただ、第14代仲哀(ちゅうあい)天皇の摂政が神功(じんぐう)皇后であったとの説もあります。その後、摂政は制度として継続しませんでした。初の女性天皇であらせあれる推古天皇が、思い切った改革をされました。まず、歴史から見ていきましょう。

神武天皇即位紀元(皇紀):日本建国から始まる暦 敗戦前まで使用「紀元」
キリスト教暦      :キリスト誕生から始まる暦 敗戦後は「紀元」になる

第1代  神武天皇:皇紀元年  2674年前 キリスト教暦B.C660年 
第16代 仁徳天皇:皇紀973年 1701年前 キリスト教暦A.D313年
第33代 推古天皇:皇紀1252年 1422年前 キリスト教暦A.D592年

推古天皇の偉業を世界史の中で見ていきましょう。世界の歴史は戦争の歴史です。つまり、民族の生き残りを掛けた戦いの歴史であり、現在もそれが続いています。そのような多民族地域で民族を生き残らせるためには、3つの方法があります。

ア)上下の階層化 :力が強い場合は支配層に、弱い場合は被支配層に入る 
例) 地域で印度、支那、欧米、イスラムなど大多数
イ)専門への特化 :土地や軍隊を持たず教育や金融に特化して生き残る 
例)ギリシャ人、ユダヤ人など少数
ウ)権力の放棄 :権力と権威の分離で一体化、優秀な指導者の輩出 
例)日本のみ

 権力の放棄によって優秀な聖徳太子は、当時、ローマをも凌(しの)ぐ世界最強最大の帝国隋(ずい)から完全なる独立を世界で初めて勝ち取ります。鎌倉時代の元寇(げんこう)の際には、北条時宗という優秀な指導者が日本を守ります。皇室自体は血統で継承されますから、たまたま、凡庸な天皇陛下の時代に外敵の襲来があると日本が滅びてしまったでしょう。新羅(しらぎ)など支那や朝鮮の国家と争いながら国内では物部氏による権力闘争が行われていた時代です。聖徳太子はそういう危機感を乗り越えたのです。「外交関係の安定(遣隋使)」、「才能による人材採用(冠位十二階)」、「法治主義の導入(17条憲法)」などを成立させました。現代の日本を支える制度を導入しました。これが推古天皇の下に行われたのです。男系で女性天皇は西暦6世紀から8世紀に集中しますが、「皇室が権力を放棄する制度」に基づいて優秀な指導者に権力を渡していく時代でもあります。日本国の存続を守った時代であり、その根本制度を創造したのが推古天皇なのです。
 日本が現在のような「皇室は権力を放棄し、権威だけの存在になっていった歴史」を作り出す最初に、女性があったのです。女性の素晴らしさには感謝しきれません。

二.日本の教養の高さを示す女性 紫式部など (中世)

 江戸時代(18世紀末)の江戸の識字率は70%を超えている、という説があります。世界で最も反映していた国家であったフランスやイギリスを見て見ましょう。パリ10%、ロンドン20%でした。70%ですから、当然女性の識字率が高かったのです。証拠として江戸時代と現代日本は、世界で最も印刷物の多い国家が日本という客観的な事実があります。江戸時代、ヨーロッパ諸国は世界を支配しようと覇権を争っていました。その世界で覇権を争ったヨーロッパ諸国全てを合わせたよりも日本一国の方が出版物の量が多かったのです。また現在まで新聞の発行部数世界No1(読売),2(朝日),4(毎日)、6(日経)、9(中日)です。3位はインドの「The Times of India」で5位は中国の「参考消息」です。識字率の高さと共に読書の質の高さが判ります。
それを支えたのが寺子屋でした。寺子屋は男女関わりなく入れました。江戸では女性でも文字を読めないと結婚などに不利であったと言われています。西欧のように女性が文字を読めると結婚に不利ではなかったのです。女性の教養の高さは世界史の中で輝いています。日本は幼少の頃から礼儀正しく、清潔な国家であると戦国時代から現在まで評価されています。幼少時の教育は何と言っても母親の教育が大きいのです。日本女性は日本の美点を創り出してくれているのです。

その原点を探ってみましょう。まず、女性の教養の高さが世界で断トツでした。御存知、紫式部の『源氏物語』は約1000年前の文学です。ヨーロッパで女性が王位を継承できた数少ない英国とスペインです。他国は100年前まで女性が王位に就けませんでした。この英国で女性による長編小説で『源氏物語』に匹敵する作品は、約160年前(西暦1847年)まで待たなければなりません。エミリー・ブロンデ著『嵐が丘』です。他国はさらに遅くなります。

もう1人の中世の女性を取り上げましょう。

太田道灌(どうかん)と関東平野の農家の娘の話をご紹介します。
太田道灌(おおたどうかん)という室町時代(西暦1432~1486)の関東の武将は、江戸城の基礎を作った人です。太田道灌に山吹のお話があります。落語になっているので御存知の方も多いかもしれません。
鷹狩をしていてにわか雨に合い、道灌は農家にいって蓑(みの:カッパのような雨よけ)を借りようとします。すると少女が出てきて山吹の花を一輪出したのです。道灌は山吹の花ではなく蓑を借りたいのだ、と帰ってしまいます。道灌がこの話をすると近臣(部下)は『御拾遺和歌集』(第七十二代白河天皇の御代、西暦1089年完成)の歌を紹介しました。

「七重八重花は咲けども山吹の(実)みのひとつだになきぞかなしき」

意味:山吹の花は、沢山の花弁があるのに実をつけないのが悲しい
農家の小女の意味:蓑(みの)がないのが悲しい、ので申し訳ありません。

みのひとつだになきぞ ⇒実が1つもない ⇒蓑が1つもない と変換したのです。
この歌は太田道灌の四百年以上昔の本です。400年前の本をしっかり読んで変換したのです。

○おもてなしの心

その変換をする理由があります。それは「ありません」というのは相手に申し訳ない、恥ずかしい、から直接言葉にしないためです。このような奥床しさは、日本の心です。現在では東京オリンピックで「お・も・て・な・し」という言葉が少し前に流行りましたが、その根本になる日本の心です。道灌は己の不明を恥じて歌道に精進したそうです。日本女性の奥ゆかしさ、美しい心が1000年を超えて変わっていないのが判ります。
もう1点、同時の首都京都から遠い農家の娘が文字を読めた、ということです。しかも、農家の娘は本をきちんと読み、意味を正確に理解し、武士という支配階級と知識を共有していたのです。
当時、文化の中心は京都、権力も室町という京都でした。その中心から歩いて何日も掛る関東、支配層ではない農民、男性ではない女性が、これだけ立派に文字を読むことが出来たのです。識字率がどれ程に高かったか、が判るでしょう。私(高木)はヨーロッパ史やアジア史などに詳しくないですが、中世に当時の支配層の持つ知識水準を首都から数日離れた場所の、街ではない、女性が持っていて自在に使いこなしていた、という話を聞いたことがありません。日本女性の教養の高さ、同時に奥床(おくゆか)しさに、ただただ感動するだけです。
対して西欧の19世紀の農民を見てみましょう。「落ち穂拾い」や「晩鐘」などが有名なミレーが「種を蒔く人」を出展して賛否両論の渦を巻き起こしました。ミレーは農民の労働の尊さを絵にしただけでしたが、賛否両論から、19世紀の農民の扱われ方が見えてきます。農民は美の対象になることはけしからん、というのです。フランス革命(1789年)で民衆が主役になった150年後でも、農民は美の対象として扱われていなかったのです。日本では道灌のお話が残っているようい、1400年代から、農民も女性も美しい話の主役だったのです。

三.堂々と生きる見事な女性 :戦国時代の女性たち (中世から近世)

次は戦国時代に移ります。戦国時代、ヨーロッパからイエズス会の神父たちが来て、日本を記録しました。世界支配とキリスト教に基づく奴隷化を目指していましたが、日本は無理である、と結論付けています。道徳心が高く清潔で素早い技術習得や独自の文化があるためです。日本は世界の中で特別な国として記録されています。その中で見事に生きる女性について書き出してみます。

○乗り物と服装
「ヨーロッパの女性は横鞍(よこぐら)または腰掛に騎(の)っていく。日本の女性は男性と同じ方法で馬に乗る。」(ルイス・フロイス『日欧文化比較』)

 江戸時代に女性は横鞍や腰掛の騎乗方法になりますが、男性と同じく正面を向いた騎り方でした。この時代の小袖(こそで:和服の元)は幅がゆったりとしていました。そのため馬乗りも可能でしたし、堂々と生きていました。同じくフロイスから引用します。

○歩き方
「ヨーロッパでは夫が前、妻が後になって歩く。日本では夫が後、妻が前を歩く。」
○外出
「ヨーロッパでは妻は夫の許可が無くては、家から外へ出ない。日本の女性は夫に知らせず、好きな所に行く自由をもっている。」
○財産
「ヨーロッパでは財産は夫婦の間で共有である。日本では各人が自分の分を所有している。時には妻が夫に高利で貸付ける。」(例えば、フランスでは1965年まで妻は共有財産の管理権は認められなかった。つまり、結婚すると全て夫の財産になる、の意味)
○離婚
「ヨーロッパでは、妻を離別することは、罪悪である上に、最大の不名誉である。日本では意のままに幾人でも離別する。妻はそのことによって、名誉も失わないし、また結婚もできる。汚れた天性に従って、夫が妻を離別するのがふつうである。日本では、しばしば妻が夫を離別する。」(注:妻の離婚権を認めていた、の意味です。イエズス会を含むカトリックでは死別以外の離婚を認めないので布教の大きな妨げとなりました)

ちなみに、日本における離婚の割合が最も高いのは統計を取り出した明治16年、明治39年~41年で4割前後に達します。その後、離婚率は低下しますが、離婚しても女性は家長制度によって経済レベルを落とさずに済みました。「働かない男、女と何時までも一緒にいるのは子供のためにならず、早く離婚しなさい」という道徳がありました。現在の日本では「離婚すると養ってくれる人がいないので子供のために我慢して離婚しない」という女性は多いのではないでしょうか。
戦国時代は、○乗り物と服装、○歩き方、○外出、○財産、○離婚、など現在の女性とほぼ同じ生き方が出来ていたことが判ります。また、結婚も女性から言い出すことが出来たという記録もあります。堂々と生きる見事な女性たちが日本に居たことが伝わってきます。(菅原正子『日本人の生活文化』参考)

四.世界の一等国を生み出した女性:明治時代の女性(近代)

 西欧列強がほぼ世界を支配する中で、独立した数少ない国であり、最も大きい国でした。そして世界史で始めて西欧列強の最強国ロシア帝国を打ち破り、西欧列強の世界支配を終わらせた国として世界史に記録されています。その原動力はどこにあったのでしょうか。日本人の言葉ではなく、西欧列強の人々の言葉に耳を傾けてみましょう。
スコット南極探検隊の映像記録を残した写真家ポンティングは、明治34年から35年に日本で写真撮影を行っています。その時の回顧録が『英国人写真家の見た明治日本 この世の楽園・日本』として出版されています。この本の「第八章 日本の婦人について」などから引用してみましょう。ちなみに彼の写真は西欧列強で大盛況でした。

「中国やインドを旅行すると、何か月も婦人と会話を交わす機会のないことがある。それは、これらの国では召し使いが全員男で、女性が外国人の生活に関与することは全くないからだ。しかし、日本ではそうではない。これははるかに楽しいことである。日本では婦人たちが大きな力を持っていて、彼女たちの世界は広い分野に及んでいる。家庭は婦人たちの領域であり、宿屋でも同様である。」

 戦国時代と同じく明治時代、女性の社会進出が進んでいたのが判ります。社会進出が世界一進んでいましたが、今後は家庭に目を向けてみましょう。ポンティングの「家庭は婦人たちの領域であり」の言葉を追ってみましょう。

「彼女(注:妻)は独裁者だが、大変利口な独裁者である。彼女は自分が実際に支配しているように見えないところまで支配しているが、それを極めて巧妙に行っているので、夫は自分が手綱を握っていると思っている。そして、可愛らしい妻が実際にはしっかり方向を定めていて、彼女が導くままに従っているのだけなのを知らないのだ。」

 お釈迦様と孫悟空のようです。もちろん、女性がお釈迦様です。現在でも日本では妻のことを「かみさん」と呼びます。では次に「彼女たちの世界」を追ってみましょう。

「過去の日本において、男子と婦人の相対的地位がどうであったにせよ、いろいろな職業で婦人たちが男子と完全に匹敵することが実証されているので、近い未来にはほとんど他の国と同じように、男子と婦人とは同等の立場に立つことになるだろう。」

 この文章を読むと、ポンティングは一見、「敗戦後のフェミニスト(男女同権主義者)」のように見えます。しかし、次の一文を見てみて下さい。女性の賢さが日本を一等国に押し上げた原因とします。

「(日露)戦争のとき日本の婦人たちが、国家のために男子に決してひけとらないほどの重要な奉仕をしたことを、全世界に示すことが出来た時代になったにもかかわらず、日本の婦人たちが選挙権を要求して騒ぐようになるのは、ずっと先のことではあるまいか。
 日本の少女が近代的な教育方法の下で、控え目な態度をいくらか失ったとはいえ、女性としての優雅さと愛嬌まで失うことは決してあり得ないだろう。」

 日本国の国運を掛けた日露戦争に勝ったのは男子の力だけでなく婦人の力が同じくらいであった、と述べ、その後に、女性に適した役目に徹することを述べています。日本が西欧列強の人種差別植民地主義の中で、人種差別放棄の法案を世界で初めて提出し、植民地を唯一持たなかった国であったのです。このように世界の例外中の例外なのに、世界史で習ったように世界の3大大国として認められた原因が、「婦人(女性)である」とポンティングは述べています。
さらに、ポンティングは、日本女性の優雅さや愛嬌が日本の魅力であり、素晴らしさであると述べています。

「日本の婦人は賢く、強く、自立心があり、しかも優しく、憐(あわ)れみ深く、親切で、言い換えれば、寛容と優しさと慈悲心を備えた救いの女神そのものである。」

 絶賛です。

 先ほどの日本の婦人は救いの女神だ、という一文に「憐み深く」が入っていたのが思い出されます。婦人の抑制した態度には賢さが見られます。女性の素晴らしさは英国人だけでなく日本の男性も褒め称えています。「母親の賢さが日本を強くした」という黒木陸軍大将(日露戦争の第一師団団長)はポンティングに述べています。ポンティングはこの言葉を聞いて「今まで見た日本を思い出した」と記します。黒木大将の言葉です。

「日本の兵隊の挙げた業績について話すときに忘れてはいけないのは、これらの行為を成し遂げたのは決して日本の男子だけではないということです。もし我が国の兵隊がその母親から、義務と名誉のためにはすべてを犠牲にしなければならないという武士道の教育を受けなかったら、今日の成果を挙げることはできなかったでしょう。日本の婦人は非常に優しく、おとなしく、そして謙虚で、これからもつねにそうであって欲しいものだと思います。また、それと同時に大変勇敢であり、我が国の兵隊の勇気は、大部分、小さいときにその母親から受けた教育の賜物(たまもの)です。一国の歴史の上で婦人の果たす役割は大きく、どこの国でも、もし婦人たちが、何にもまして勇敢で優しく謙虚でなければ、真に偉大な国民とは言えません。兵隊と同様に、日本の婦人は国に大きな貢献をしているのです。」
 この黒木大将の言葉のすぐ後にポンティングは言います。

「老将軍の静かな声で、婦人の雄々しさを讃(たた)える言葉を聞いていたとき、私の心の中には日本で見た色々な光景が甦(よみがえ)ってきた。・・・(中略)・・・『日本の婦人は世界一です。皆で乾杯しましょう』。私はラフカディオ・ハーンがこれと同じことを言っているのを再び思い出した。」

 帝国陸軍は世界一の軍隊でした。規律正しく勇猛で、世界を平等と平和に導く戦果を挙げました。そのため日本は世界の一等国になったのです。戦闘が強いだけで理想を持たない国家は一等国として認められません。その原動力に婦人の力が大きかった、とポンティングは述べています。現在まで続く日本の高い評価にも、婦人の力が大きいことが推測されます。英国の実施するホテル業界のアンケートでは「最も礼儀正しい国民No.1」や「最も来て欲しい国民No.1」などに選ばれ続けています。日本の女性は日本の善さの原動力だと思います。

 推古天皇の「権力を放棄する制度」の創造に始まり、教養の高さ、活き活きとした生き方、礼儀正しさや勇敢さなど日本の善さを作りだしてくれた大勢の女性がいたのです。そしてその素晴らしさを私達が受け継いでいるのです。御先祖様に感謝致します。
以上が「日本の女性の素晴らしさ」です。ご拝読有り難う御座いました。

更に詳しく知りたい方に

菅原正子 『日本人の生活文化』:活き活きと生きる女性の姿が見えて来ます
ハーバード・G・ポンティング 『英国人写真家の見た明治日本』:写真が美しいです

 をどうぞ。

 --(以上講演録より引用終了)--

 過去の講演録にはなかった、ミレーの「種を蒔く人」を入れるなどしました。
 日本の来歴に女性が大きな役割を果たしてくれていることを示せたと思います。

 最後に問ですが、

問1 江戸時代末期の江戸の識字率はどのくらい? →70%以上
問2 商家は5人の長男、長女、次男、次女、三男の誰に財産を譲る? → 長女
問3 感想 →各々で「哲学4-2 学生コメント集」に
 
 となりました。

 以上です。
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