哲学3-1 物語と来歴 日本の美と善 国旗と国歌

 皆様、こんにちは。

 朝晩の冷え込みに寒露を実感する今日この頃です。日本人は、季節の移り変わりを最も大切にしてきました。ですから、今日のような寒い日は、「どこかに冬の気配がないかな」と探していたのです。寒くなれば「寒い」というのは肉体を通していますから、全員の感じることです。対して、文化や歴史の蓄積で、同じ寒さでも感じる意味、内容が変わってきます。今回は、そうした文化や歴史の蓄積に目を向けたいと思います。こうしたことに気が付いていく、それが人間らしい、という考え方があります。歳を取る楽しみである、という考え方もあり、面白いなぁ、と感じています。この面白さを少しでも学生の皆さんについたいと思っています。

 それでは第3回目の講義録に入ります。

講義連絡

配布プリント B4 2枚
:『口語訳 古事記』 訳・注釈 三浦 佑之 神代篇 其の一 2 6-9, 其の五 9 0-3
:『世界の国歌』  国歌研究会編  頁と国名の抜粋。12(アメリカ合衆国),20(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国),100(フランス共和国),(中華人民共和国),朝鮮民主主義人民共和国

回覧本
:『世界の国歌』  国歌研究会編 

宿題
:なし

 --講義内容--

 前回、物語が私達の日常生活の基礎を支えていることを確認しました。今回は、物語が基礎となって、それに努力や苦悩が合わさって出来た「来歴」を説明していきます。「来歴」は文化や歴史な国の体質、民族の固有性などと言われます。日本の場合、それが最も現れているのが、国旗「日の丸」と国歌「君が代」です。両者に共通するもの、そしてその中にある物語の部分を読み取って欲しいです。さらに他国と比較してみて、日本の国旗と国歌の欠点や限界なども観えてくるでしょう。今回は国歌しか比較できませんが、国旗でもしてみると面白いと思います。

講演のレジュメがあり、国旗の比較があります。
「講演「日本について考える -国旗と国歌の素晴らしさ- 基本資料」
:http://takagikenziro.blog.fc2.com/blog-entry-327.html

 それではまず、物語と来歴の違いについて説明しましょう。 詳しく知りたい方は、坂本多加雄著『問われる日本人の歴史感覚』を参照ください。

 物語 + 努力や苦悩  = 来歴  

ポイント
 :同じ物語でも民族や時代によって来歴は異なる

例えば、『聖書』の中で禁止されている偶像崇拝
                                     偶像崇拝禁止
 『聖書』 +ユダヤ教の苦悩 =現在のユダヤ教      : △
       +西欧人の苦悩  =現在のローマ・カトリック : OK
       +アラビア人の苦悩=現在のイスラム教     : NO

 仏教  + 日本人       = 禅宗            : NO
      + 日本人       = 浄土宗           : OK

 となります。
 このように物語では禁止されていても、時代や地域や民族の苦悩や努力によって、正反対になることがあります。他には、預言者モーセが同じく神から「神の名を濫(みだ)りに唱えてはならない」とされているのに、ハリウッドの映画を始め、多くの西欧人、特にアメリカ人は「ジーザス!!(イエス!!)」や「ファーザー(父なる神)」を唱えています。物語に反するから、西欧人が悪い、のではない、という点に留意して下さい。物語とはそもそも、それだけでは美や善を生み出すものではないのです。苦悩や努力の結果によって染み出てくるものなのです。私達が哲学で、真・善・美を取り扱う時、それは物語ではなく来歴なのです。

 さて、それではまず、日本人の美と善について、季節を大切にする点について見ていきます。

 --(昨年度の講義録より抜粋)--

―台風と日本の季節感

皆さん、こんにちは、今日もやっていきましょう。今日は少ないですね、台風のせいで。静岡駅から電車でいつもの倍ぐらい掛かりました。昨日はですね、「今日は台風でお休みかなぁ」なんて思いながら、先週の講義を思い出していました。日本の料理は3大料理の1つです。それは食材のこだわりの点で、全ての食材に旬がある、という点です。ちなみに支那料理は料理の下準備の点で、トルコ料理は食材の多さの点で3大料理としました。それから俳句のように季語を入れなければならない。世界で唯一です。これから日本は季節に対して敏感である、というのが判ります。季節を大切にする、これが善いことなんだ、あるいは美である、美味しいとは美しい、味と書きますね。そういう考え方が日本にあることが判ります。これは何故こうなるか? 原因は台風です。
 皆さん分かりますか?
 
 ここからは中学の理科の知識で解けます。シベリアは世界で最も寒い地方があります。朝鮮半島の北から寒気がやってきます。赤道付近からは暖気がやってきます。寒気と暖気がぶつかると雨が降ります。寒気が強いと寒くなり、これが冬です。暖気が強いと暖かく、暑くなります。これが夏です。日本はこの押し引きの中で2回の雨の季節が来ます。暖気が日本列島に迫ってくる時期が6月で、梅雨(つゆ)と呼ばれています。旧暦では5月。5月を皐月(さつき)と言い、「五月雨(さみだれ)」という言葉が残っています。反対に、寒気が日本列島に迫ってくる時期が9月から10月。「秋の長雨」などと言われます。この雨の時期に台風がやってきて激しく大量の雨を降らせます。これだけならば、南方のフィリピンなどと変わりありません。むしろフィリピンの方が台風が多くやってきますから、影響を受けています。
 ここで、日本の特徴が出てきます。4月から9月の旧暦の月名は、全て稲に関係するという説が有力です。稲の収穫時期が、丁度、寒気による雨の前線と台風が重なる時期なのです。稲は日本では年に1回しか収穫できません。南方のタイやバングラディッシュなどは年に2,3回収穫できるので、台風で1回収穫できなくとも、被害は軽くなります。しかし、日本では1年間の食料を確保する時期に、最も激しく強い雨が降り、川の氾濫などの2次災害も起きるのです。ですから、日本では生存のために、天気の移り変わり、を大切にしてきたのです。逆の言い方の方がより正確でしょう。
 「台風などの天気の移り変わりに敏感でなかった人々は、食料が収穫できず、生存を脅かされた」
 さらに、稲は南方と支那大陸からそれぞれ3,4種類の稲の原種が入ってきました。ですから、稲は南方の植物で、湖や沼地などに撒いておけば、後は実が生るまで手のかからない植物です。しかし、日本という別の気候と土壌に持ってきたので、田の整地などの灌漑設備が必要になりました。稲は種をそのまま田に植えると収穫量が減るので、種から苗を別の場所で育て、その後田に植えるという作業をします。種をそのまま撒くと寒いので収穫量が減るのです。稲の原種が南方からやってきたことに由来します。このように、稲は収穫時期のみならず、種まき時期、苗を植える田植えの時期などでも天候の変化を気にしなければなりません。それゆえ、日本人は季節の移り変わりに敏感になりました。
 これは、例えば、四季の始まる時期を見てみると良く理解できます。日本で最も気温が高いのは8月の第一週です。第一週か第二週に「秋」が始まります。立秋です。夏の最も暑い時期、つまりピークの時期に、秋が始まる、というのです。100の内、1,2だけでも秋が入り込んできたら「秋」というのです。あの、気が狂いそうになる暑さ、外を歩くと日陰でも汗が止まらない天気の中で、少しでも「秋」があるから、秋、というのです。東アジアからの留学生に聞いてみると驚いていました。日本人も季節以外は、割合が入れ替わった時を変化の時、とします。例えば、それまでの内閣不支持率0%で、内閣支持率が90%とします。内閣支持率が99%になって今後下がることが確実な時に、内閣不支持率が2%と増えてきたとします。この時、入れ替わりが起こった、とするのです。内閣支持率98%、不支持2%でも、今後不支持率が確実に増えるならば、この内閣は終わった、というのです。日本人が季節感についてどれほど、注目しているか、大切にしているか、重要視しているかが判るでしょう。
 文化で観てみましょう。茶道の茶菓子は、1年間に24パターンあります。それは季節によって変化します。ヨーロッパや支那のお菓子は、1年中ずーっと同じ。チョコレートも同じものを出します。しかし、和菓子は中身は一緒でも形を季節に合わせるのです。24パターン以上に変化させる場合もあります。また、その年の季節の変化、「今年は桜が遅い」とか「雪が早く降った」などに合わせることもあります。和服では、桜が満開の時期に、桜の着物を着るのは良いとされません。桜が1分咲き、2分咲きの時に、満開の桜の服を着るのが良しとされるのです。これも季節に敏感であることから来ています。
最初に述べた日本人は全ての食材に「旬」があると考える、というのも、食材の季節を大切にするのを意味しています。日本人は世界で最も、季節感を大切にするのです。私は日本の地理と台風の関係、さらに稲の由来から来ている、と推測しています。
台風で遅れる電車を待ちながら、こんなことを想いました。

これを哲学に置き換えてみましょう。
日本では、生存のための条件から、季節感を大事にしました。つまり、季節感を大切にするのが善である、という価値観に昇華したのです。これまでの、物語、行動、試練で置き換えましょう。この場合の物語は、地理的条件や稲の生育条件などです。こうしたものは、集団の生存の規定をするからです。その上の、人々の努力や苦悩や試練が重なり合っていき、来歴となったのです。つまり、季節感を大切にするのが善である、という日本の来歴は、古くからの日本人の苦悩や試練や努力によって造られたのです。その出発点が台風や日本の地理的環境や稲の生育条件、ということになります。

ー美とは

 つまり、美とは各地域の地理的条件によって形成されるのです。日本の場合は季節感です。そしてそれが、全ての食材に季節感がある、つまり旬がることになります。これは世界唯一です。俳句にも季語を入れないといけない。これも世界唯一でしょう。和菓子が最低24回季節によって変わる。これも世界最多ではないでしょうか。これらの繋がりをみてもらいたいです。同時に、人間が美を創り出すのですから、人間に共通の形式が美で概念化され、各地域を超えた共通点があるとも考えられます。共通点の割合を高く見積もる哲学者(カントなど)もいますし、全くない、という人もいます。以上述べたように私は両方、あると考えています。以上で、美は終了です。

ー日本の善とは

 では、次は善です。善はその社会が善いとしていることです。社会の目標と言ってもいいでしょう。それが込められるのが、国旗と国歌です。敗戦によって国旗と国家はその素晴らしい意味を教えられなくなりましたが、きちんと探れば出てきます。私は静岡市中央図書館に行き、開架の本25冊前後と閉架の本5冊に目を通しました。そこから善が浮かび上がってきました。まず、学生の皆さんに聴いてみました。


問3 国歌「君が代」の歌詞をなるべく漢字で書いてください。
問4 国歌に込められた意味を書いてください。
問5 国旗に込められた意味を書いてください。

 (問1と問2は、後に述べます。講義の順番と前後します。)

 国歌「君が代」の歌詞をきちんと漢字で書けた学生は200名強の中、2名のみでした。私の目が行き届かずきちんとかけていた学生が数名は居たかもしれませんが。書いてみます。

 「 君が代は 千代に八千代に  細石の巌となりて 苔のむすまで」

読み方補足 細石:さざれいし 巌:いわお

 国旗国歌に、私達の目標が込められている、のは言われれば気が付きますが、言われるまで気が付かない、というのが現状である、と学生の皆さんを見ていて感じました。これは毎年のことです。国旗は法律が1999年に成立し、国歌については既に教えなさい、と指導要領の中にありますが、実態は惨憺(さんたん)たる状況です。しかし、私は憂いてはいません。というのも、学生の皆さんに講義の後の感想を聞くと「国旗国歌の意味がきけて良かった。誇りに思う。」という言葉が沢山出てくるからです。言葉としては知らなくとも無意識の、あるいは魂の次元に善が入っているのです。ですから、これを言語化すればいいだけのことです。もちろん、早いことに越したことがないのは言うまでもありません。諸外国では長い国家を何度も歌わせる国もあります。東アジアの学生は国歌を良く歌うようです。私が接した学生の中で最も多いのはミャンマー(ビルマ)で大学では1日1回、小学校等では1日2回、しかも5分と長い歌を歌うのだそうです。日本の国家を歌ってと言われ歌ったら、「短い!!短くて楽でいいな~」と言われました。実感の入った感想でした。さて、それでは国旗と国歌の意味についていきましょう。ここでは日本の目指すべき善に注目していってください。

―国旗と国歌に見る日本の素晴らしさ、の要点

○「君が代」に込められた意味 :民の代表が治める国で、1人1人の違いを認めながら仲良くしていきましょう。

○「日の丸」に込められた意味 :清い心で相手に本心で接して仲良くしましょう。

 これが日本の物語と苦悩や努力から生まれている、という社会背景は前回に述べました。「君が代」と「日の丸」とは日本における善を象徴しています。その善の意味は以上の通りであり、日本全体の善を捉えて、次に古代ギリシャの真・善・美について比較しながら学んで欲しいです。古代ギリシャと日本は同じく2千数百年前に誕生して、別々の民主主義を持った国です。諸要素はありますが、片方は特異化し、片方は権力と権威を分離することで生き残りました。
 また、今回は時代を千年以上下って、デンマークやイングランドなど1千年近い歴史を持つ国家の、国旗と国歌とも比較します。アメリカとも比較しながら、日本が「民を大切にする」や「話し合いを大切にする」という善を持っているのを知ってもらい、その上で、「こうした日本の善は、多民族社会で構成される現在、未来の国際社会の中で通用するのか?」を考えてもらいます。
私達日本人は、「日本人の善」を取り戻すだけで良いのでしょうか? 過去の来歴は物語に過ぎません。そこに現在生きている日本人の直面する苦悩や試練が入っておらず、努力によって新しい来歴を構築していないからです。同時に、「私はどう生きたら良いのだろうか?」や「私とは?」の問いの内在化、と内的確信が得られる、私は考えます。哲学を、あるいは思想を学ぶ意味は此処に尽きると考えます。
以下、出発点として、国旗国歌に見られる日本の善をお話していきます。

―国歌「君が代」の解説

 最初に「君が代」の意味をもう少し噛み砕いて書きます。

「君が代」の意味:
天皇個人を讃えるのではなく、天皇が何代にも渡って世の中を治めるのが素晴らしいです。なぜなら天皇が勅命で権力を貴族に任せるようになって安定してきたからです(君が代は)。そういう安定した世の中が末永く続きますように願います(千代に八千代に)。安定した世の中で、私達は1人1人違うことを認め合い、文化の違う人々とも仲良くするように努力していきましょう(さざれ石の巌となりて)。そうやって清い心を持ちながら新しいものを造って行きましょう(苔のむすまで)

―哲学上の価値
:美の前では権威も権力も関係ない
:話し合いによって合意を求める努力は善である
:人間には善と悪の両面がある

―詳しい解説
―「君が代」に見る皇室と政治権力
:『古今和歌集』では、「我君は、千代に八千代に・・・」でした。我君とは天皇個人のこと、「君が代は」は我君が続く代で、皇室の連続性を指す。『古今和歌集』作成を命じられた醍醐天皇は、「延喜の治」と言われるほど名君であった。醍醐天皇の時代は、天皇から権力が皇族に移った後、貴族に完全に移る時代である。皇室の権威と政治権力が切り離される時代であった。現在の日本も毎年首相が変わる点で政治権力は混乱しているが、皇室の正統性が日本国を混乱から救っている。イラク、エジプト、シリアなど権力と正統性が結びついた国々では、政治権力の混乱が国の混乱になる。フランスではルイ14世をギロチン台に掛けて権力と正統性の関係を変えた。日本では勅命で聖徳太子が初の摂政となり、天皇個人と権力を分離し、その後ゆれ戻しもありながら、藤原氏の摂関政治、平民の平氏政権と皇室と権力は分離していく。鎌倉政権では宮中と権力が分離、明治維新では御誓文(五箇条の御誓文)によって権力は民の代表へと移っていく。日本では全て勅命によって皇室の権威と政治権力が切り離されていくのである。この由来は諸説あるが最も古いものは、日本国を大国主から国譲りされたことによる、という説である。説は物語であり、その後、日本人が長々と努力を現在まで重ね続けた結果、皇室と権力は切り離されている。これは来歴である。以上の来歴からすると、「我君」から「君が代」に変わった理由は、政治権力を手放して安定した世の中を指すからである。

―千代に八千代に
 語彙の意味は「末永く」である。「八」は『古事記』などで良く見られる単語で「沢山の」などの意味がある。「千代に八千代に」は「永く、もっと永く」の意味である。先ほど述べた「皇室が政治権力とはなれて安定化した世の中」が「末永く」である。

―さざれ石の
 さざれ石(細石)とは、細かい無数の石が、川の中で石灰質によって結びついた石である。神宮(伊勢の神宮)を始め多くの神社で見られる。大理石のように変成岩は材質が一定の幅にそろっているが、さざれ石は細かい石が入っており、均一ではない。石灰質はチョークを考えてもらえば判り易いが、弱々しい結びつけである。大理石の耐久性や利便性はないのである。しかし、さざれ石が尊いと考える処に、思想がある。つまり、1つ1つの小さな石は変成石のように均一性を求められない。そのままで良いのである。前文の皇室の代を考えれば、民が皇室を見習って同じようにせずに、そのままで良い、という意味になる。世界の殆どの王政では、王の命令に民が従わなければならない。そこから外れるものは排除される。そうした均一性を尊いとするか、民が皇室と同じようにならなくても良いと尊いとするか、は思想なのである。日本は後者を取った。つまり、高木という教員の考えに学生の考えを似せる必要はないのである。男女があればどちらかを標準する必要がないのである(この事例はこれまでに述べてきた)。どちらも標準なのである。老いも若きも役目こそ違えど対等と考える。東南アジアに進出した日本のある会社の工場長が朝、工場の前を掃く、という話を聞いたことがある。東南アジアでは植民地の歴史が長く上下の観念が強く、工場長が掃除をすると工員に馬鹿にされる、と言う。しかし、日本では「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」の諺通り、工場長が率先して掃除をするのを善しとしている。この根底にあるのは、私達は役目こそ違えと対等と考えているからである。この考え方は、日本の歴史(国史)を眺めるとさらに明らかになるだろう。

―巌となりて
 巌は固くなる、という意味と、元気で、という意味がある。「我君」や「君が代」と同じく西暦800年以降、歌に良く歌われる言葉である。「巌」も同様で、よく使われる言い回しである。『万葉集』(西暦759年)に以下の歌があります。

「春草は 後はうつろふ 巌なす 常盤にいませ 貴き我が君」(市原主)

この場合の「巌なす」は元気に、という意味が強い。貴き我が君は、遠くに離れた父親で、父親の元気を歌っている。高木は「君が代」の「巌」を固くなる=仲良くする、で解釈しているが、元気で、と意味を強く解釈できるかもしれない。すると、「皇室の安定が末永く続きますように。1人1人違うけれどみんな元気で、新しいものを生み出しましょう。」という意味になる。この意味もまた味わい深い。

―苔のむすまで
 苔は生命の誕生を意味する、単語である。「むす」は創造を意味し、『古事記』の冒頭、ただ一柱(神様は柱が数詞)の神が現れ、次に「タカミムスビノカミ」と「カミムスビノカミ」が現れる。両方の神様とも「ムスヒ」の文字が入る。「ムスビ」は「結び」というように結びついて新しいものが誕生するという意味である。おむすび、はとても美味しい。「ヒ」とは霊であり、霊が止まるから「ヒ」「ト」という説がある。男は「ヒ」「コ」、女は「ヒ」「メ」という。この説はさておき、日本の思想では男女の原理が結びついて創造される。男女はそれぞれの原理を指し、男女の原理の結びつきで創造される、という意味である。聖書の思想では神はただ1人で創造される。
 苔に戻ろう。苔は綺麗な流れの中で生まれる。さざれ石が生み出されるのも川の中である。とすると、苔は清い流れが続く、と生命という2つの意味を持つことになる。つまり、苔のむすまで、は、

「清い中で新しいものを造って生きましょう」

という意味になる。

 『古今和歌集』は、醍醐天皇の勅命で撰(えら)ばれた歌集で、和歌文化の隆盛を作り、『源氏物語』に沢山引用されている。和歌文化は皇室によって隆盛を極めた。また、20巻の最初の巻は春の歌であり、夏秋冬が続く。最も多いのは恋の歌で5巻もある。戦争礼賛の歌は巻を持たないのである。日本最初の和歌と同じく、戦争礼賛ではなく四季に移り変わりや家族や恋人を想う歌が主流なのである。日本の平和を愛する心、みんなを大切に思いやる心が和歌文化を作ってきたのである。その最初のきっかけを作ったのが醍醐天皇である。

―芸術の前では権威も権力も関係ない
 『古今和歌集』には1111首ある。その内御製(天皇のお歌)は43首に過ぎない。長文の日記を書くなど文筆家であった醍醐天皇の御製はたった43首である。「君が代」は歌詠み知らずの歌である。本当に名前が判らない歌か名前のない庶民の歌かは判らないが、庶民の歌を国歌としたのである。醍醐天皇、あるいは撰者の紀貫之などの歌ではなく、優れた歌であるとして歌詠み知らずの「君が代」を明治時代に国歌とした。

―民を大切にすることを第一とする
 「君が代」は歌詠み知らずにも関わらず、広く民の間に浸透して歌い継がれた。神事でも仏事でも歌われて宗教を超えていた。結婚などの行事で歌われ、近松門左衛門など浄瑠璃などの文化に取り入れられた。このように民が歌い継いできた経緯を大切にして、国歌としたのである。正統性から考えれば、日本国(大和)を建国した神武天皇の御製、特に建都の御言葉が相応しい。仁徳天皇の大規模土木事業と民のかまどの精神、醍醐天皇の『古今和歌集』の和歌文化の隆盛や国家の再建、明治天皇の国威隆盛もまた、次に相応しい。しかし、民を大切にして「君が代」を国歌としたのである。
 さらに、天皇陛下の誕生日である天長節(現在の天皇誕生日)にも「君が代」を採用した。皇室は民を大切にする、皇室は皇室という態度ではないことが「君が代」の来歴なのである。まず、何よりも民を大切にし、先立って歩み寄るという姿勢を示されたのである。

以上が「君が代」の解説になる。さらに詳しい歴史的経緯や関係する事実は最後に基礎資料を添付する。

では次に英国と米国とフランスの国歌と比較したい。

―英国の国歌
歌詞は以下の通りである。配布プリントより抜粋

題名「神が私たちの女王を守らんことを」

神が私たちの慈悲深い女王を守らんことを
私達の高貴な女王が長く生きんことを
神が女王を守らんことを
彼女に勝利を送れ、
幸福で栄光ある、
長く私たちの上の統治へ、
神が女王を守らんことを!

おお主なる神よ、立ち上がれ、
私たちの敵を追い散らし、
彼らを倒せ!
彼らの悪辣な企みを失敗させ、
彼らの政治を混乱させよ、
あなたの上に私たちの希望を私たちは据える、
神が女王を守らんことを!

・・・後略・・・

○女王礼賛のみ 民は出てこない
○敵を倒すことを賛美している
○神の存在を前提としている

 英国は国旗で聖ジョージを象(かたど)っており、キリスト教を中心とした国であることが判る。そのキリスト教の神が女王を守るように、敵を倒すようにと歌っているのである。国旗はローマ法王が授けた十字の旗であり、倒すべき敵は異教徒を指している。イギリスは複雑な民族が入り乱れており、現在も日本の江戸時代と同じ封建制である。連合王国であるU.Kは、女王礼賛によって統治するという来歴を持っている。これが国歌に見事に現れている。
 英国ではパンクロックが70年前後に出てきた。その背景に女王礼賛の統治体制がある。「セックス・ピストルズ」の「ゴットセーブザクイーン」という有名な曲は、「神は女王を救うが俺たちは救われないんだ」という歌詞である。つまり、何かしら道徳や社会のルールを守ることは女王の利益になるのだ、という論理で無政府主義を主張するのである。ここには、女王が政治権力を握り、英国全体の礼賛を受ける存在者という社会背景があるのである。「君が代」が浄瑠璃等に取り入れられたように、国旗国歌は文化と深い関係がある。

― 米国の国歌

題「星条旗」

おお、あなたは見ることができるか、
夜明けの早い光によって、
あんなにも誇らしく、私たちが黄昏の最後の輝きで
歓呼して迎えたものを?
誰の広い縞と明るい星が(注:星条旗を指す)、危険な戦いを通して、
私たちが見た城壁の向うに、
あんなにも雄々しく翻っていたか?

・・・中略・・・

そしてあんなにも自慢げに誓ったあの一団はどこか
戦争の荒廃と戦闘の混乱が
故郷も国も私たちにはもはや残さないだろうと!
彼らの血は彼らの不潔な足跡の汚れを洗い流した。
避難所は彼らの雇われ人と奴隷を助けられなかった
敗走の恐怖と墓の暗闇から:
そして星条旗が勝利の中で翻る
自由の土地と勇者の故郷に。

○戦いの歌であり、勝利を礼賛する
○敵を殺害したことを誇る
○傭兵と奴隷が出てくる

 作曲は当時のヨーロッパの流行歌で、その替え歌である。替え歌は色々なバージョンがある。アメリカ合衆国(字義としては合州国)は、約300年前に成立して1度分裂、リンカーンによって再統一された。300年間休むことなく戦い続ける歴史を持つ。その歴史が見事に表現されているのが星条旗なのである。

-フランスの国歌

題:「マルセイユの歌」

立ち上がれ、祖国の子供よ、
栄光の日が来た。
私たちに対して、専制政治の
血染めの旗が掲げられる、
血染めの旗が掲げられる。
聴け、野原で、これらの獰猛な兵士が叫ぶのを。
彼らが私たちの腕の中にまでやってくる
あなたたちの息子たちと配偶者たちの
喉を切るために。

CHORUS:
部隊へ、市民たちよ!
あなたたちの大部隊を形づくれ!
行進しよう、行進しよう!
不潔な血が私たちの溝を潤さんことを。

○敵が出てきて、専制政治とする
○どこにも逃げられないと言う
○敵の血を流させるために軍隊を作ろうと言う

 フランスはルイ14世の打倒を国家の出発点としている。ルイ14世は専制政治であり、フランスの歴史に根ざしている。また、フランスは英国、ドイツ、イタリアなどに囲まれた国で、否応がなく戦争に巻き込まれる土地である。そのためか、防衛戦争という意識が強いのではないだろうか。島国である英国との比較をすると味わい深い。

―日本の来歴と「君が代」

 それでは次に日本の国歌「君が代」に移ります。歴史に注目しながら見ていきましょう。
 聖徳太子から始まり皇室から権力が離れていくという来歴、言い換えると正統性と政治権力を切り離してきた来歴が日本にはあります。それを「我が君」から「君が代」に置き換える処、全ての歌詞の意味、歌い継がれてきた処に見事に表現されています。「君が代」は日本の来歴を見事に現しているのです。
 このような来歴があるので、日本は古代ギリシャ型の民主主義が来た時に直ぐに受け入れ新しい民主主義を創りだせたのです。ヨーロッパ以外のアメリカ大陸、アフリカ大陸、ユーラシア大陸の中で直ぐに民主主義を受け入れて、新しく民主主義を発展させた国は日本だけです。日本人の中で、支那を支配していた清や朝鮮半島の李氏朝鮮などが民主主義にならないから、と言って怒ったり絶望したりした人々がいましたが、それは来歴が違うからである、という認識が欠如していたからです。現在でも、日本の来歴を見て、世界の中心となるべきである、と主張する西欧人、東洋人、日本人がいますが、それは同じ認識の欠如の反動に過ぎません。もう少し具体的に言いましょう。
 民主主義という物語(善なる価値観)は、ヨーロッパが世界にばら撒きました。しかし、物語は来歴ではないのです。その民族が試練や苦悩や努力を繰り返して初めて内在化するのです。朝鮮民主主義人民共和国という国があります。「民主主義」という物語が国名に歌ってあり、選挙も行われています。しかし、その民族が試練や苦悩や努力の末に獲得していないのですから、実態は民主主義ではないのです。日本では「君が代」の来歴によって明示政府の議会制民主主義は有効に作用したのです。ここを分けるものは物語か来歴かの違いです。中華人民共和国も「人民」のための共和国という意味でしょうが、実際は共産党の一党独裁なのです。試練や苦悩や努力の結果、民主主義や共和国になる未来は開かれています。未来永劫変わらない、という前提を持つと日本の来歴は素晴らしく世界の中心となるべきだ、という主張が出てきてしまうのです。これは来歴が未来に獲得できるという前提を見落としているのです。逆に日本も常に来歴を刷新する努力をしていかないと「日の丸」に込められた精神を失っていってしまうでしょう。「常に新しいということは、常に変化しているということである」という諺通りです。

―「君が代」の意味が問うもの

 朝鮮民主主義や中華人民共和国は特別なのではなく、世界の半分以上の国家では民主主義が有効に機能しているとは言えないのが実情でしょう。アフリカやアジアの国々では専制主義が民主主義を上回っています。「君が代」で歌われる民主主義は1人1人違っていいんです、という民主主義です。みんなで話し合って仲良くしましょうね、という民主主義です。「あいつ俺の言うこと聞かないからむかつく。言うこと聞けよ」という考え方ではありません。しかし人間の性(本能、本性)としては、俺に合わせろよ!というのはあります。相手が私の言うことを聞かないと怒る、というのがあります。この辺りは仏教が明確に指摘しています。専制主義は王様の言うことを聞け、聞かないやつは殺すぞ、という考え方です。人間の性に基づく考え方(主義)と言えるでしょう。しかし、皇室はここから離れようとしてきました。敗戦後の日本で「天皇は要らない」とか「皇室はあるだけよかった」などの発言や実際の物理的行動として現れたことがありました。にも関わらず皇室はこれらの人々を非難しようとしません。排除しようとせず、東日本大震災の時に、「この人は皇室に賛成か反対か」で区別しませんでした。皇室から表彰する時でさえ、皇室への賛成反対に関わらず公正に表彰されます。ここには先ほど述べた専制主義が見られません。東日本大震災の時、どのような国籍であれ、文化の背景を持っていても被災者への心を配られました。関東大震災の時に一部の朝鮮籍の日本人が皇太子殿下(昭和天皇)の暗殺計画を立て、関東大震災の混乱に乗じて帝都東京に乗りこんできました。そういう過去の歴史があるのにも関わらず、昭和天皇は大東亜戦争に敗れた後、「罪なき8000万人の民を守れるならば、私は絞首刑になっても構わない」と言われたのです。自分の暗殺計画をした人々でさえ、お心を配られたのです。ここに皇室が2673年以上受け継いできた民主主義(民本主義とも)があります。
 さて、果たしてこの民主主義を中心にして、これからの日本は国際関係の中でやっていけるのでしょうか? 世界の平和に貢献できるのでしょうか? 国歌「君が代」の意味を知ると同時に皆さんに考えてもらいたいのは、まさにこの1点なのです。つまり、私達の現在と未来を考えて欲しいのです。東京オリンピックで国旗と国歌を胸にする時、私達はその答えを持っていたいものです。

―国旗「日の丸」の意味

 「日の丸」は明治時代に国旗に確定し、皆で仲良く、という意味など「君が代」と共通する点が多くあります。「日の丸」には3つの要素があります。3つそれぞれ分けて説明していきましょう。最後につける「基礎資料」から引用し加筆します。

―赤色の意味

・赤:真心(まごころ:心の底からの善意)。正々堂々とした想い
赤=天照大御神と素戔嗚尊(すさのおのみこと)の受日(うけひ:受霊)の時、「心の底からの真剣な想い」を「清明心(きよきあかきこころ)」と表現している。受日では、「素戔嗚尊が心の底から善意であるかどうか」を試す。つまり、「清明心(きよきあかきこころ)」=「真心(まごころ)」を意味する。前に述べたように、漢字は日本語(やまとことば)が出来て数千年後にやってくる。音を表現するために漢字を最初は利用したのである。であるから「赤(あか)い」と「明(あか)い」は、『古事記』の時代には共通している。心の底からの善意を「赤(あか)い」、「明(あか)い」とするのは、「赤裸々(せきらら)」や「赤子(あかご)」が挙げられる。裸と心の底から、というのが共通していて「本心を」という「赤裸々」を使う。「赤子」は泣くと赤いから、という説もあるが、『古事記』の世界観に照らし合わせてみれば、死者の国(神の国)から産まれてきたばかりの存在者が赤子なのである。死者の国で亡くなると聖者の国に産まれるのである。京都の祇園祭で神の代理を幼児(御稚児)がするのは、より神に近いと考えるためである。対してローマ・カトリックでは幼児は神の理性から遠い存在で神の代理である神父(教皇なども)は男性の成人しかなれない。幼児の扱いが世界観によって異なるのである。神に近い、つまり汚れなき心を持った存在者であるから、赤子、というのである。
他にも、ありのままの心を「赤心(せきしん)」と言う。諸外国の太陽は「白」や「黄色」が多い。太陽を赤と表現するのは、実はこうした世界観が背景にある。朝日と夕日だけが赤く、残りの殆どの時間、太陽は、白、あるいは黄色なのである。むしろ、日本人が朝日と夕日を拝むのは太陽が赤いから、かもしれない。

・白:清潔な心。はっきりとした想い。
 白は穢(けが)れなきを意味する。穢れは邪(よこしま)な心と汚れた状態を指す。これも伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉の国=「穢れ繁(しげ)き国」から帰って後で、禊(みそぎ)をしたことに由来する。神社の入口にある水で手と口を清めること、葬式の前後に玄関で塩をまくことなどに残っている。また、お正月や結婚式などのお祝いの席で、白を使用するのも同じ意味である。ここから、神聖や純潔になる。「し」には指示性のある単語が多く、「しるし」「しるす」「しる」「しらす(治らす:後で出てきます)」など明確さを表す語である。単語では皮を削っただけの無垢(むく)な木を「白木(しらき)」という。
 
・○(まる)の形:みんな仲良く。「和を以て貴しと為す」の心
 次に、○の形の意味も。○には「角がない」。つまり丸は「角が立たない」=「みんなが仲良くする」という意味が込められている。これは次に述べる他の国旗を比べてみるとよく分かる。例えば、ネパールでは太陽は○ではなく、とげとげが出ている形である。確かに目で見ると太陽から光のとげとげが出ている。日本人は太陽を○と書くが、それは文化による思い込みである。ちなみに、太陽の色は「黄色や白」が多い。考えてみれば、太陽は朝日と夕日以外は白や黄色である。なぜ、日本人は「赤い太陽」を描いたのか。ここには思想的な意味が込められている。
日本の影響を強く受け親日的な台湾の国旗も12本のとげとげが○の外にある。「角が立たない」とは聖徳太子の「和(やわらぎ)を以て貴しと為す」の思想そのものである。「人はそれぞれ違いが当然であるが、その上で理屈に拘りすぎずに柔軟に対応することを大切にする」という思想である。「話せば分かる」というのは日本人らしい発想である。国歌にも共通する日本の心である。世界では「真心を尽くして話せば分かる」では利用されるだけで大失敗してしまう。特に日露戦争以後の日本の失敗の本質がここにある。日本人は○に「和」の精神を込めたのである。

 以上の点をまとめと、「日の丸」は以下の意味になる。

○「日の丸」に込められた意味 :清い心で相手に本心で接して仲良くしましょう。

―国旗「日の丸」が問うもの

 以上の意味を今後も日本人は持ち続けていくのが良いのでしょうか? 伝え続けていくのが良いのでしょうか? また、日本国内では良くとも、国際連合(UN:連合国)が中央集権と警察能力と司法能力をほぼ持たない国際関係の中では有効に作用するのでしょうか? 平成25年現在の日本の大きな問題の根本がここにあります。国家犯罪である北朝鮮による拉致事件、ロシア(旧ソ連)による北方領土の不法占拠と当時の日本人虐殺、拉致などの行為、大韓民国による竹島の不法占拠と当時の日本人虐殺などの行為、中華人民共和国による尖閣諸島への不法侵入やサイバー攻撃や宣伝工作などの行為です。これらの諸問題は「清い心で相手に本心で接して仲良くしましょう」の態度で取り組む問題なのでしょうか。駆け引きや手段を選びながら、根本の所ではどうするのが良いのでしょうか。現在の日本国の外交はこの根本の点が定まっていないのではないでしょうか。国旗とはそもそも対外的に自国を表すために作られたものです。ですから、対外的にどのように自国を考えるか、の良いきっかけとなります。
 国旗「日の丸」意味を知ると同時に皆さんに考えてもらいたいのは、この1点なのです。

 以上が、「日の丸」と「君が代」から観る「日本の善とは何か」です。単に「そういう意味があったのか」という知識習得で終わるのではなく、現在どう生きていくのか、未来に何をしたいのか、まで繋げてもらいたいものです。


ー神話と国

 長いですが、国旗国歌の善が終わりました。次に、では、こうした神話の基づく善を持つ国と持たない国があります。その違いを見ていきましょう。

問1 信仰の自由は何時から日本にありますか?
問2 アメリカ、中華人民共和国、フランス、ブラジル、イギリス、印度(インド)は、以下のどこに分類されますか?

A) 神話と現在の日常がつながっている国 :日本
B) 神話を自主的に捨てた国
C) 神話を新しいものに取り換えた国
D) 神話を捨てさせられたままの国

 正解から行きます。

問1 2674年以前
問2 A) 印度
   B) 中華人民共和国
   C) アメリカ、フランス、イギリス
   D)  ブラジル

ー日本における信仰の自由

 日本における信仰の自由は『古事記』に書いてあります。神話時代からです。先に補足しておきます。神話だから事実ではない、そして価値はない、という論を述べる人が敗戦後出てきました。アメリカによって日本の美徳を破壊するための論です。その人々を責める気はありません。強いものに巻かれる、それはありえることです。しかし、学問はそうした時代性に限らないのが魅力です。神話が価値がない、というのならば神が出てくる神話に基づいてイスラムがあり、キリスト教圏があるのです。アメリカ大統領は聖書に手を置いて宣誓します。価値がない、と言えるでしょうか? 見てきたようにイギリスなどの多くの国歌で神を歌っています。価値はないでしょうか? 日本にだけ通じる理屈は、イデオロギーとして政治利用としての意味はありますが、学問としての意味は十分ではありません。カントの道徳律をお読み頂きたいです。
 さて、そこで信仰の自由ですが、配布したプリントを読みました。講義では冒頭に行いました。

 大国主(オホクニヌシ)の国譲り神話です。

 簡単に説明します。イザナキとイザナミが創り出した地上世界を力によって統一したのが大国主です。イザナキとイザナミの正統な後継者である天照大御神は、地上の支配権を譲りなさい、と大国主に使者を送ります。2度の失敗の後、さらに使者を送り、きちっとした手順を踏んで国を譲らせます。いきなり、大国主を殺さず、さらに失敗させられてもさらに使者を送るところが、現在の日本の外交にも通じるものを感じさせます。さて、国を譲った大国主は、「譲ったのだから大きな社を建てて下さい」と取引をします。この建物が近年発掘され、高さ24㍍という想像を絶するものでした。古代には96メートルもあった、というのですから、驚きです。

古代出雲歴史博物館HP  中段から下あたりです。
http://admin.blog.fc2.com/control.php?mode=editor&process=load&eno=395
 
 神話上の話が実際に建築されていたのですから、びっくりです。

 国譲りをした後、出雲大社では大国主を祭っています。正統な支配者である天照大御神を祭っている訳ではないです。つまり、この国譲り神話は、皇室の神である天照大御神以外の神を祭って善い、という話として捉えることが出来るのです。それは言うまでもなく、信仰の自由を認める神話と言えます。この後、八幡神社では外国から来た渡来系の神を祭っていますし、そもそも、1つの神社の幾つもの神様を祭っても良いのです。日本人が「この神社の祭る神様を気にしない、のはどの神様を祭って善い」という信仰の自由があるからなのです。

 さて、ここで善を抜き出してみましょう。

○信仰の自由は善いこと
○衝突が起こった場合はまず話し合いで

ー『聖書』の善

 日本だけの善ではなく、『聖書』の善を見ていきまそう。アダムとエバの創世記の次に出エジプト記があります。ここではモーゼ(モーセ)が神の命令によって、奴隷であったエジプトからカナンの地(現在のイスラエル)に行こうとします。すると、エジプトは奴隷が逃げ出したので追ってきます。その時に神は奇跡を起こされ、海を開き、民を渡らせ、海を閉じて追うエジプト兵を殺しました。カナンの地についたモーゼ、はそこにいる民を虐殺しました。というのも、そこに居た民はユダヤの神を信じていなかったからです。異教徒は殺して善いのです。

ー日本の善で『聖書』の善を判断してはならない

 ここで補足を入れます。実際講義中3回は述べたことです。日本の善から見て、この『聖書』の善=異教徒は殺す、を裁いてはなりません。同時に日本の善が尊いと考えるのは自由ですが、それを全ての人で尊いと強要してもならないのです。それは1つには民主主義の原則(相手の主張する権利を自分の主張する権利と同等に認める)であり、もう1つは信仰の自由を認める日本の善に反するからです。学生皆さんの感想で、私の講義への違和感をとなえる意見が2名しかいませんでした。3回述べたことが功を奏したのか、学生の皆さんが賢明であったからでしょう。元に戻ります。

 モーゼの異教徒虐殺の行為は、その後も続きます。そもそも一神教は「他の神を認めない」ということで成り立っている宗教です。世界最古の一神教はエジプトの太陽神信仰です。その太陽神信仰に影響を受けてユダヤ教が出来たと言われていますが、キリスト教イスラム教へと伝搬し、現在では世界の約7割の人が一神教です。この人々の持っている善を知ることが、何よりも平和への第一歩です。もちろんその平和とは常に弱肉強食のヒリヒリとした緊張感に溢れているのは言うまでもありません。敗戦後の「平和と言えば平和になる」という平和ではありません。
 
ーイギリスなどの国歌と『聖書』

 イギリスの国歌を想いだしてみて下さい。一神教の神が出てきていました。キリスト教の神話が国歌に現れているのです。そして敵を殺せ、支配せよ、という言葉が出てきました。これは『聖書』のモーゼの行いそのままです。モーゼの位置にイギリス女王がついて欲しい、という願いなのです。この意味で、『聖書』はイギリスに定着しています。次にそれぞれの国と神話の関係に行きましょう。

ー神話と国

 簡単に解説していきましょう。

A) 神話と現在の日常がつながっている国 :日本と印度
B) 神話を自主的に捨てた国         :中華人民共和国
C) 神話を新しいものに取り換えた国    :アメリカ、イギリス、フランス
D) 神話を捨てさせられたままの国     :ブラジル

ーA)神話と現在の日常がつながっている国 :日本と印度の印度です。
 印度には有名なのはカースト制度があります。この制度は現在法律で禁止されていますが、実態は現存します。このカースト制度の根本に神話があります。それは「善い行いをすればお金持ちの家に生まれるし、悪い行いをすれば貧乏な家に生まれる」というものです。つまり、お金持ちの家に生まれたのは、生まれる前に善いことを積み重ねた結果である、というのです。これも自然科学的根拠の一切ない神話です。あるいは前に説明した「六道(りくどう)」の場合もあります。いずれにせよ、神話によってカースト制度という現在の日常につながっている国が印度です。これが仏教以前から続いているのですから、日本と同等程度の古さがあります。どちらが古いかは判別できないのは言うまでもありません。

-B)の中華人民共和国ですが、これは漢民族という方が正確かもしれません。古代支那にも神話がありました。

白川静著 『中国の神話』 中央公論社

 という本があり失われた神話の復興をしようとしています。しかし、長い歴史を経て神話を捨ててきました。詳しくは拙論をお読みください。

エッセイ「【學問】『論語』の人々の住む場所とは ―はたして日本は人の住む場所なのか― 」
http://takagikenziro.blog.fc2.com/blog-entry-381.html

 孔子や司馬遷の影響で、支那は人間を世界の中心としました。人間がいない場所を野蛮と言い、その外を四海(しかい)と言ったのです。詳しくは拙論に譲りますが、人間が中心になると、人間は暴力や利益だけが強くなってきます。人間の基準は義と利です。義の根拠となるものは神話ですから、神話が無くなれば義が弱くなります。残るのは利だけです。例えば子供が「お菓子買って―」と騒いでいる、とします。

 「お菓子をいっつも買ってあげると我儘になるから駄目よ」というのが義
 「お菓子を我慢出来たらもっと大きいお菓子買ってあげる」というのが利

です。子供なら良いですか、大人になればどうでしょう。相手に自分の言うことを聴かせる際に、義(社会の善いことやルール)を守らないといけないよ、と言った場合「どうしてだよ!」と言われれば言葉に詰まります。この際に神話を持ち出すのです。つまり、「そんなこと言ってご先祖様に恥ずかしいよ」(日本)、「そんなことを言うと神がお許しにならない」(欧米)です。これがないのです。現在の中国人が偉い人に弱い、金持ちに弱いというのはこういう人間中心だからでしょう。古くなりますが上海万博でパビリオンに1時間も並ぶ列に偉そうな人が一番前に横入りをしても中国人が文句を言わないのに驚いた、という声を聴いたことがあります。これも1つの典型例ではないでしょうか。繰り返しますが、これに日本人の善を押し付けてはなりません。

ーC) 神話を新しいものに取り換えた国    :アメリカ、イギリス、フランス です。

 ストーンヘッジはご存知でしょうか。ロンドンから西に約200キロにある巨石遺跡です。こうした遺跡はヨーロッパ中にあります。キリスト教は実は10世紀頃からヨーロッパの主要な宗教になっていきます。民衆にも浸透していくのです。そのことによって石や森などを崇拝していた宗教を完全に棄て去ってしまいました。そもそもゲルマン人やフランク人などドイツやフランスなどの祖先は石や森を神として崇拝していたのです。日本人が富士山を信仰の対象としたり、お地蔵さんを拝んだりしていたのと同じです。しかし、それを全て棄て去ろうとしました。そうした神話を持っていたのですが、完全にキリスト教の神話に置き換えてしまいました。これには印刷技術の発展によって聖書の普及が欠かせませんから、さらに神話の交代は近代に近くなります。興味深いことに現在に至ってもキリスト教に基づかないお祭りがヨーロッパ中に見られます。まだまだ、完全に交代していないのかもしれません。

ー神話を新しいものに取り換えた国の特徴

 完全に交代したと思っても神話の力は強く、無意識にあります。ですから、常に「新しい神話が正しいのだ!」と言い聞かせなければなりません。アメリカの大統領は『聖書』に手を置いて宣誓します。議会や選挙の際には神父や牧師が出てきて最初に一言述べます。「神に愛されますように」と確認作業をする、と私は解釈しています。他にもいろいろな場面で確認作業があります。ハリウッドの映画もその1つではないか、と思えるほど、『聖書』に基づく話、設定、悪魔、天使などが出てきます。日本では『古事記』や『日本書紀』に手を置いて宣誓するでしょうか。ずっと神話が続いているのですから、わざわざ確認する必要がないのです。確認すれば違和感を感じます。それは慇懃無礼(いんぎんぶれい)という行為に当たるからでしょう。

-D) 神話を捨てさせられたままの国     :ブラジルです。

 日本は敗戦によって漢字を捨てられそうになり、最終的に日本語を英語にしようという政策を取られました。神話は戦争につながると排除されました。しかし、国語(日本語)は変わらず、神話も魂の次元で生きています。しかし、言葉を変えられ神話を捨てさせられた国がブラジルです。ブラジルは公用語はポルトガル語です。現在のブラジル人はポルトガルが来る前の言葉を話すことが出来ません。そして理解できません。ですから、口伝いで人から人へと語り継がれてきた神話を完全に失ってしまいました。文字で残っていないというのもあります。日本は口伝いで伝えられてきた古い神話を、漢字を使って1300年前に編纂しました。これで神話は何時でも読むことが出来るのです。ブラジルのみならず南米やアフリカの多くの国々は欧米の言葉を共通語としており、自分たちの神話と断絶しています。そこに『聖書』の神話を入れようとするのが欧米のやり方です。しかし、そこに入っていけない面もあります。この点は理由をもっと考えてみたいと思っていますが。
 では、神話を捨てさせられたままの国の特徴は何でしょうか。記憶に新しいワールドカップサッカーがブラジルで開催されました。日韓のワールドカップでも驚いた人がいるのですが、ブラジル人のサッカーにかける熱い思いです。宿泊先がなくチケットが無くても日本に来る、という無謀さを覚えている人もいるでしょう。彼らにとって神話に替わるものがサッカーなのではないか、と考えています。ブラジルのサッカーでは、ペレを、アルゼンチンはマラドーナを個人崇拝しています。ペレは複雑な家庭を作り、子供に冷たい面もありますが、人気は衰えません。マラドーナも麻薬や問題発言などありますが、個人崇拝は止みません。政治家よりも若いサッカー選手の方が影響力が大きいというのです。これらは神話の持つ国民の統合としての役割をサッカーが担っている証左と私は考えます。ブラジルワールドカップの時、金持ちだけが儲ける、もっと社会の福利厚生や貧困に対策を、というデモが続きました。しかし、ブラジルが勝ち続けるとそれも収束しました。そこに国民の統合としての役割が発揮されたからでしょう。福利厚生や貧困の現状は何も変わらないのですから、心理面の変化があったことが判ります。そしてブラジルのエースが怪我をさせられると「当該選手は暗殺され、ブラジルから出れない」などとニースが報じるほどでした。これは単にサッカー選手が人気があるだけではなく、もっと高位の存在者として扱われていることの証です。日本では本田や香川が怪我をさせられた場合、ニース番組などで「相手選手は暗殺され、日本から出れない」と報じれば、違和感を感じるはずです。それは日本では高位の存在者が他にいるからです。言うまでもなく神話から脈々と続く皇室です。これ以上は畏れ多くて書くことが出来ません。

 さて、以上が神話から各国を眺めてみた結果です。それぞれの国で善の在り方が異なるのが示せたのではないでしょうか。そして善の在り方を神話が規定しているのが理解できたのではないでしょうか。

 --(以上、昨年の講義録より抜粋終了)--

 本年度特に力を入れて説明したのは、日本人が日本人の物語や来歴を見て「日本は凄い」と考えているのは、学問ではない、という点です。それは公平さに欠ける態度です。その点を留意してほしいものです。

 また、『古事記』を引用した配布プリントでは、日本人がお土産に食べ物を買ってくる理由、男が左で女が右、外では男が上で内では女が上の理由、信仰の自由が出来た理由、奴隷制度がない理由などの根拠となる文章を読み上げながら説明しました。

 以上です。
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