講義録1-1 「はじめに 講義の本質と目的 自律の大切さ 」

 皆様、こんにちは。

 平成27年度の「科学技術者の倫理」の講義録を記していきます。
 受講する学生の皆さんを念頭にしていますが、幅広い方々にもお読みいただきたいと思います。文体が「ですます調」ではなく少々乱暴な言い方に、時に強い感情が入りますが、ご容赦頂ければ幸いです。また、文章を校正することはなく、誤字脱字、読みにくい箇所、意味不明の文章が沢山あると思います。この点もご容赦の程をお願致します。

 本年度は、特に「自律する大切さ」を主題にしたいです。昨年度までで講義そのものは固まっています。本年度はそれを深化させるため、「自律する大切さ」を学生の皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

 また、講義録そのものは項目ごとの簡素な表記にしていきます。詳しい内容は、昨年度までの講義録を参照ください。当ブログですと、右側に「科学技術者の倫理(平成26年度)」とあります。念のため、昨年度の第1回の講義録のアドレスを貼っておきます。

「 講義録1-1 「はじめに 講義の全体像と目的 倫理と人の本性 功利的解答と存在論的解答 」
:http://takagikenziro.blog.fc2.com/blog-entry-384.html

 それでは本文に入ります。

講義連絡

配布プリント・回覧本
:なし

宿題
:なし

問1 科学技術者の倫理で思い浮かぶこと
問2

  --講義内容--

  「みなさん、こんにちは」(一礼) 「科学技術者の倫理を担当します高木健治郎です。半期間一緒に頑張っていきましょう」と開始。講義の全体像、成績の付け方を提示する。

-成績の付け方:毎回の講義で出す問を書くプリント4回で40点、3回の宿題レポート30点、学期末テスト30点

 注意点:講義で記入するに当たって:何を記入しても0点としない。4回は15回の内、何れかで、日を公表しない。
 
ー問1 科学技術者の倫理で思い浮かぶこと

 科学技術者の倫理の本質    目的
 「失敗学(失敗の蓄積)」   →  事故防止

 科学技術者の倫理を学ぶと、同じものを観ても異なる見方が出来る、という面白さがあります。例えばこの教室の入り口は2つの扉であった。どうして2つなのか? どうして上部に窓ガラスがあるのか? などの理由が判ります。また、廊下が外側についておらず、内側の廊下の下にはなぜ空間があるのか? などもです。

 では、次に、失敗学です。

ー問2 福島原子力災害で日本は何を学びましたか?
-問3 福島原子力災害で貴方は何を学びましたか?

 近年の最大の失敗は福島原子力災害です。では、何を学んだでしょうか? 現在は一般の見方でしょうから、まず自分で考えた後、実例で技術者倫理の観方を示していきましょう。

○学生に板書してもらいました。

 まず、「日本の原子力全体の」災害ではなく、「福島の」原子力災害です。東北電力の女川(おながわ)発電所は直ぐ近くにありますが、対策が十分だったため、被災者の一時避難所になりました。ですから、「福島の」と「日本の原子力全体の」ではありません。「福島の」になった原因は、100年前の大津波を知っていながら、対策を怠ったことです。技術者倫理は学問ですから、以下の3つに基づいて考えなくてはなりません。

①なるべく多くの事実から出発すること
②反対の意見と比べて公平に判断すること
③自分で自律して考えること

ー孔子の素読

 ③について1つの名文を紹介し、私が先唱し、学生全員に声を出してもらいました。『論語』からです。

「子曰(しのたまわ)く 君子は諸(これ)を己に求む 小人は諸を人に求む」

「孔子先生が仰られた。立派な人は原因や結果を自分自身にないだろうか、と考える。普通の人は原因や結果を他人に押し付ける」 高木訳

 自分が人と話下手なのは、親のせいだろう、小学校の時のいじめだろう、などと色々と考えるのが普通の人です。20歳前後の学生の皆さんはそれで充分です。けれども、そこから一歩踏み出して立派な人間になりたいと思うのなら、原因が自分にないだろうか?と考えてみましょう。高木はまだまだである、という話しを幾つか具体例を挙げて説明しました。

 次に、原子力災害ですが、放射線治療を受けた人、放射線被曝で死亡した人は1人もいません。もちろん関連で亡くなられた方は沢山いらっしゃいます。しかし原子力の放射線で死亡または治療した人はいないのです。これも事実です。放射線で死亡した人は東海村JOC事故で死者2名被爆者600名以上がいます。しかし、マスコミの報道、それに引っ張られる国民は今回の福島原子力災害の方が大きく影響を受けました。マスコミが偏っていること、これは仕方のないことです。学問で大切なのは、①と②なのです。マスコミの偏りについてですが、アメリカや英国の欧米系でもアルジャジーラのようなイスラム系でも偏っています。日本のマスコミを非難するだけでは、知識が深まり事故防止につながりません。私達は前もって「マスコミは片寄っている」を受け止め、

 「マスコミは片寄っている」 → のだから → 「偏りを他の情報と比べてみよう」

 とすることです。今後の講義で実例を挙げながら述べていきます。

○学生の板書に私がそれぞれ批判意見を述べる。

 福島原子力災害から学んだことは多くあります。板書は正解ばかりでした。しかし、1つの正解だけで済むのが倫理ではありません。ですから、反対からの正解を述べました。学んで欲しいのは、

 「あなたの意見は本当にあなたの意見ですか?」

 ということです。マスコミの情報だけに触れていると、いつの間にか「マスコミの情報を伝達するだけの人間」つまり「マスコミの情報が自分の考え」になってしまうのです。それは居酒屋や家族、親族の中での会話なら良いのですが、学問ではありません。そこに気が付くことが大切です。つまり、③です。

ー技術者倫理の欠点

 各人の自主性に任せられているので「強制力が弱い」 → 「法律制定:PL法」(強制力有)

 最後の欠点を述べました。他にもありますが、細かい点はノチノチ。

 以上で技術者倫理の本質と目的です。


ーことばの定義

 次に、語彙の定義にいきます。全ての学問は、語彙と用語をきちんと定義しています。

-(昨年の講義録からの抜粋)-

問4 科学(自然科学 natural science)とは何か?

問5 技術とは何か?

問6 倫理とは何か?

高木解答 答え方を3つ変えて並べてあります。

問4  「存在論的原理を数学的体系で写像した法則群」   解答は1つしかないもの      人が創れないもの
問5  人工の功利主義的手法                  ある範囲で複数解答があるもの  人が創るもの
問6  社会上の複合定理                     複数回答があるもの         人の定めるもの
 
 時間がなくそれぞれ1人だけとなったが、当を得ている回答が多かった。
私の専攻は科学哲学で、問4の「科学とは何か?」という学問である。どうして国語を一生懸命やっても携帯電話が出来ないのか、どうして自然科学と技術だけなのか?である。この科学哲学からすると、一部違う人々もいるが、科学とは、
 「存在論的原理を数学的体系で写像した法則群」 
となる。噛み砕いていうと、「存在論的原理」とは「物が落ちる」である。「物が落ちる」のを「F=ma」という「数学的体系」で置き換えた(写像した)法則ということである。もっと簡単に言うと、「物が落ちるのをF=ma」と書く、だけである。写像とは、物が落ちるのを他の置き換えも出来る。F=maは太陽系内では通じるが宇宙全体だと不都合も出てくる。そうすると写像の形が変わってくる。さらに言えば、存在論的原理そのものを完璧に書けない、から写像と言っている。どうしても近似的な形になってしまうのである。
 技術とは「人類の幸福に寄与する学問である」と近代学問の父と言われるフランシス・ベーコンは言っている。現代では自然科学と技術の相関が深まっているが、本来は人間の幸福に寄与する学問である。自動車の例ばかりになるが、トヨタのプリウスと日産のスカイライン、どっちが素晴らしいだろうか? どっちも素晴らしいのだ。安全性や人や荷物を運ぶなどの目的をきちんと果たすという「ある範囲の中で正解多数」と言い換えてもよい。これに対して自然科学はF=ma以外の答えもあったが、実験等によって1つに絞られた。つまり、自然科学とは「正解が1つ」という答え方も出来る。

 存在論、という聞きなれない言葉をもう少し訳してみよう。
「なぜ、自然科学はあるのでしょうか?」、言いかえれば「なぜ、F=maはあるのでしょうか?」という問いにどう答えられるだろうか? 他の例だと、地球上の重力定数は9.8m/s・s(メートルパーセカンドの二乗)である。どうして5.0m/s・sではないのだろうか? 月の重力は6分の1だというのに。この問いを存在論的問い、という。
 答えは、「分からない」である。何故なら、そこに自然科学は踏み込む手段がないからである。

「なぜ、技術はあるのでしょうか?」にはどのように答えられるだろうか?
「人間が作ったから」である。トヨタのプリウスも携帯電話も人間のために人間が作ったのである。存在論的問いに答えられるのが技術、答えられないのが自然科学と言い換えても良い。

 では、最後に「倫理とは何か?」である。倫理の「倫」という字は「みんな」の意味で、理は「ルール、基準」の意味、「みんなのルール」が意味になる。物理は「物の理」で「物のルール」=「物質の法則」の意味である。
 この倫理は、「正解多数」が1つの答えとなる。近代の学問では人間は理性をもっているのだから、例えば「人を殺してはいけない」はその理性の基づいてどの社会にも当てはまる、と考えてきた。しかし、ある原始的な生活をする民族に調査にいった人が大変仲良くなり、数年の後調査を終えて帰る晩に村人に殺されてしまった。それは「こんなにも皆と仲良くなった人と別れるのは辛い。だから食べて肉体の中で永遠に皆と一緒に住もう」と考えたのだ。ここには悪意はなく、むしろある規準にそうという意味での合理性がある。さらに、アステカでは優秀な人間だけを選んで心臓をえぐり太陽にささげる儀式を行っていた。優秀であるがゆえに犠牲の価値があるのである。
 さらに言えば、生命の危険がある場合に他人の命を取ることを許されることもあります。緊急避難と言われ刑法37条に規定されています。よく言われるのは、海の上で木につかまっている場合、他の人がつかまると木が沈んでしまう場合、他の人を遠ざけてもOKという例です。
 少し倫理に寄せて述べると、何が危険(法律では「危難」)なのかは、どの場合がそうなのかは、社会の一般常識で判断されますから、社会によって大きく異なります。ヨーロッパやアメリカや日本のように近い基準を持つ国もありますが、そうでない社会の方が多いことも知っておくと、倫理の奥深さが感じられるのではないでしょうか。同時に、文字にされた法律であってもこのようにルールが変化するのですから、倫理はさらに幅が広がります。
 
ー(昨年の講義録からの抜粋終了)-

 以上で終わりです。
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