エッセイ「【論語】孔子に関する人名 ~魯と孔門の十哲~」 

 「富士論語を楽しむ会」の同人誌に投稿した原稿です。
 読みにくい箇所・誤字脱字あると思いますが、目を通して下されば幸いです。以下本文です。


 前回の富士論語を楽しむ会を拙宅で開くことが出来、光栄でした。皆様、有り難う御座いました。当日、「登場人物を知りたい」とお申し出があり、ふじの友「六つの翻訳を比べてみよう」を書く時に触れた、人名一覧と孔子関係の地図を配布したいと考えました。ただ、人名一覧の字が小さく少々見にくいため、今回、孔門の弟子を中心に書いていきます。

孔子の祖国「魯(ろ)」の人物

○王家:魯国

★周公旦(しゅうこうたん)
 魯国を頂いた王様。周の前の殷の紂(ちゅう)を滅ぼすのを手伝った。滅ぼしたのは周の武王。その弟。しかし、魯国の統治は息子が行った。

★魯公(ろこう)
 旦の息子。名は伯禽(はくきん)。魯国を統治した。初代王。

★桓公(かんこう)
 十五代王。名は允(いん)。息子の一人が王家を継ぎ、残りの三人が三桓氏と呼ばれるようになる。

★襄公(じょうこう)
 二十三代王。名は午(ご)。三桓氏の季孫氏(行父)に政治を任せる。

★魯公野(ろこうや)
 二十四代王。名は野(や)。六月即位、九月突然死。

★昭公(しょうこう)
 二十五代王。名は稠(ちゅう)。季孫子を討とうとして大敗し、斉で死去。精神の発育が遅れていたという。孔子が昭公を目指し斉に亡命する。

★定公(ていこう)
 二十六代王。名は宋(そう)。孔子五十九歳の時に死去。

★哀公(あいこう)
 二十七代王。名は将(しょう)。呉に攻められ奮戦し和解。その後、斉に敗北。呉と共闘して斉に攻め入り大勝。翌年斉が攻め入り、さらに翌年、孔子が斉へ進軍を勧めるが、実現せず。三年後、三度孔子(七十二歳)に斉へ進軍を勧められるが聞き入れず。十年後(孔子の死後)、晋と共に斉へ進軍。三桓氏の武力討伐を試みるも失敗。国外追放され衛や越を転々とし死去。

○重臣の三桓氏
 孔子が十六歳の時、国軍を私兵化し魯国の実権を握る。季孫氏が最も権力を振るう。

○孟孫氏(仲孫氏)
 晩年の孔子の政治改革に強い抵抗をし、失敗させる。

★孟献子(もうていし)
 名は蔑(べつ)。五代当主。
★孟荘子(もうそうし)
 名は速(そく)。六代当主。
★孟懿子(もういし)
 名は何忌(かき)。九代当主。
★孟武伯(もうぶはく)
 名は彘(てい)。十代当主。

○叔孫氏

★叔孫武叔(しゅくそんぶしゅく)
 名は州仇(しゅうきゅう)。八代当主。

○季孫氏

★季桓子(きかんし)
 名は斯(し)。六代当主。
★季康子(きこうし)
 名は肥(ひ)。七代当主。
△陽貨(ようか)
 名は虎(こ)。季子の家臣。主人の季桓子をとらえて実権を握り、魯国を実質支配する。三桓氏の当主を追放するが、後に敗北し、斉へ追放される(孔子五十二歳)。転々とし晋で仕官。孔子に容貌が似ていたという話しが残る。
★費恵公(ひけいこう)
 名は不明。季孫氏の九代当主、魯から独立して費を建国する。

○孔門の十哲
 特に優れた門人

『仮名論語』先進第十一第三章(一四二頁)を参照ください。また、年齢、国籍は諸説あります。

△徳行(とっこう)

★冉伯牛(ぜんはくぎゅう)
 名は耕(こう)。八歳下。 
★閔子騫(びんしけん)
 名は損(そん)。十六歳下。
★冉雍(ぜんよう)
 名は仲弓(ちゅうきゅう)。三十歳下。
★顔回(がんかい)
 名は子淵(しえん)。三十一歳下。学才・徳行共に最も優れ孔子に愛される。が孔子七十二歳で先に死去。孔子は「天に見捨てられた」と失心する。父顔路(がんろ:七歳下)も孔子に仕える。

△言語

★宰予(さいよ)
 名は子我(しが)。 三十歳下。口先だけで昼寝をしていると孔子に指摘される。孔子七十二歳の時、戦死。
★子貢(しこう)
 姓は端木(たんぼく)。名は賜(し)。三十二歳下。衛の人。弁舌巧みで諸国を巡り、魯と衛の宰相となる。金儲けも上手。孔子の死後三年の喪に服した後も、さらに三年の喪に服した。

△政事(せいじ) 

★子路(しろ)
 姓は仲(ちゅう)。名は由(ゆう)。十歳下。季路とも言う。武勇に優れ孔子によく使え、よく愛された。孔子七十三歳で死去、塩漬けにされたと聞いた孔子は、家中の塩肉を捨てさせた。
★子有(しゆう)
 姓は冉(ぜん)。名は求(きゅう)。冉有、冉求とも言う。三十歳下。学識で季康子に仕えた。活躍により六十八歳の孔子の魯帰国を助けた。

△文學(ぶんがく)

★子夏(しか)
 姓は卜(ぼく)。名は商(しょう)。四十五歳下。晋、あるいは衛の人。礼の形式を重視し、古書に通じていた。『詩経』や『春秋(歴史書)』を後世に伝えたと言われる。
★子遊(しゆう)
 姓は言(げん)。名は偃(えん)。四十六歳下。呉の人。魯に仕えて武城の長官となる。

○十哲以外の優れた門人 

★曽子(そうし)
 名は参(しん)。字は子與(しよ)。四十七歳下。孝行をもって知られる。孔子の死後、儒教教団の後継者的立場にあったとされる。『論語』は曽子の弟子のたちの編纂によるとされる。また、『考経』も同様とされる。

★孟子(もうし)
 名は軻(か)。字は子與(しよ)。百八十歳下。鄒(すう)の人。自ら孔子の後継者を名乗り、性善説と易姓革命説を唱える。後に、孔子に次ぐ聖賢とされた。
 「性善説」:人間には善の四つの元(四端:したん)があり、これを発展させることが出来るという説。
 「易姓革命」:天子の徳が衰えると、天は他の徳の高い人が新たに王朝をひらくという説。

★荀子(じゅんし)
 名は況(きょう)。字は卿(きょう)。二百十三歳下。趙の人。斉に仕え、後に楚に仕えた。善政を施し、教育熱心であった。性悪説を唱えた。また、秦以前の諸子の学を大成した。
 「性悪説」:荀子の性悪説は、環境や欲望に流されやすい傾向が人間に備わっているので、礼楽で訓練することを勧めた。

 以上が孔子の祖国魯と主な弟子達です。引き続きは翌月号にしたいと思います。
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