エッセイ「【主権回復】長谷川先生の御講演で一燈を照らす」

(「富士論語を楽しむ会」の同人誌に投稿した原稿です。
 読みにくい箇所・誤字脱字あると思いますが、目を通して下されば幸いです。以下本文です。)


 毎朝、神社に行って手を合わせている。かみさんも最近、参加するようになった。清々しい朝の空気、光が新芽にこぼれ、七色に輝いているかのような参拝道を一緒に歩いている。子供たちは、駆け回ったり、「だんごむしだよーとーちゃーん」と叫んだりしている。
 六時半に出て、だいたい七時に帰宅する。徒歩五分の道をゆっくり寄り道している。昨日(五月十五日)、家の玄関を開けるか、開けないかの時にかみさんに静かに告げた。

 「今日は、沖縄主権回復の記念日ですから、日の丸を掲げます。」

 突然で驚いただろうけれども、穏やかに、

 「はい」

 と答えてくれた。私は大分ほっとした。

 というのも、この「沖縄主権回復の日」が私の胸でずーっと、もぞもぞ、もぞもぞ、時にチクチクしていたからである。

胸のチクチク
 平日に日の丸を掲げるのは、どうかと思う、という考えが私の中にある。どうかと思う、は歯切れが悪いが、その悪さは私が日本人だからである。空気を読む、という面が確かに私の中にある。そうして胸がもぞもぞした。他方、胸のチクチクしたのは長谷川先生の御講演が原因である。御講演で私が強い印象を持ったのは、

 『沖縄が憲法九条の犠牲になっており、同時に沖縄の人達がまともに考えれば「腸(はらわた)が煮えくり返る」という立場にいる。』

 という点である。憲法九条の第一項(国際紛争における武力行使の放棄)が世界の八割以上の国が持っていること、九条第二項(戦力不保持と交戦権放棄)が世界で唯一ということは知っていた。第二項が「日本を永久に武力占領する目的で作られた」のも江藤淳氏などで知っていた。
 しかし、それを支えるのが沖縄の基地占領と米国が核兵器でソ連を壊滅させる世界戦略である、という点は知らなかったのである。

 だから、沖縄に米軍基地がある。
 だから、沖縄は主権回復が遅れた。
 だから、沖縄は。

 この「だから」は私達が作り出していたのだった。本土の人間は、西暦一九五二年四月二十八日のサンフランシスコ講和条約発効を「主権回復の日」として祝う。そこで米軍基地が沖縄に大幅に移動した。
 同じ日本人、と言いながら沖縄の主権回復は遅れること二十年、一九七二年五月十五日であった。

 本土の人間は、
 「四月二十八日を祝う。」
 しかし、
 沖縄主権回復は、
 「五月十五日」

 「四月二十八日」
 の結果、
 「大量に米兵が沖縄にきた。」

 「沖縄は日本ではないのだろうか。」
 とまともな人なら想うだろう。

 もし、沖縄が先に独立し、静岡県や静岡市に何万人もの米軍が来たとしたら。そして静岡が独立した日を祝わずにいたら、どう感じるだろうか。それでいながら沖縄と静岡は同じ日本だ、と言っていたら。

 胸のチクチクはこうして生まれた。

胸のもぞもぞ
 私の胸がもぞもぞしているのは、日本人の「空気を読め」が私の中にあるからである。平日に日の丸を掲げるのは、ちょっと。そもそも日の丸を掲げるのも、ちょっと、という人もある。が、私は父親が掲げていたのもあり、過去に色々と考えて来たので大分少ない。
 もぞもぞの最大の原因がこうして書いてきて判った。それは普段日の丸を掲げる人でさえ「沖縄の主権回復の日」とは言わないからである。つまり、五月十五日という平日に日の丸を自分の判断で掲げる人も少ないが、「沖縄の本土復帰」ではなく「沖縄の主権回復の日」で掲げる人はもっと少ない、からである。「沖縄の主権回復の日」として掲げる日の丸は、二重の空気を読め、を突破することだったのである。胸がもぞもぞ落ち着かなく、時に恥ずかしい、という感じさえしてくる。私は誰に何を言われても平気です、という傲岸不遜(ごうがんふそん)の態度を取っていても、胸の内ではもぞもぞしていた。

 本年度の五月十五日のNHKニースは、
 「沖縄 本土復帰からきょうで四十三年」

 と報じました。

 「本土復帰」の「復帰」を辞書で調べて見ると、もとの位置・状態に戻ること、とあります。この「もとの位置」というのが問題です。日本本土は「主権回復」と言いながら沖縄だけ「復帰」では、本土が日本の本体であり、沖縄はそれに付随するという意味が透けて見えてきます。日本本土が主権回復ならば、それと同等として扱うならば沖縄も「主権回復」でなければなりません。本土が「復帰」なら沖縄も「復帰」で良いでしょう。しかし、本土と沖縄の主権回復を指す単語が異なるのです。ここに沖縄は本土に付随するという意味が透けて見えているのです。
 細かい言葉遣いと思われるかもしれません。私が学問の端に座っているから五月蠅いのだと思われるかもしれません。しかし、沖縄は「主権回復」で米軍基地が大幅に移転してきた、という歴史的事実があるのです。実態の裏打ちあるわだかまりが、この「主権回復」と「本土復帰」の言葉にはあるのではないか、と想うようになりました。
 以上が、私の胸のもぞもぞの最大の原因だったのです。

芥川龍之介の『沼地』という小説
 二頁という短い短編『沼地』を芥川龍之介が大正八年に書いています。ソビエト連邦樹立、パリ講和会議、ムッソリーニ結党、ガンジー非暴力運動開始という戦乱の時代でした。世界が混沌とする中、日本では日清日露の勝利後の平和をむさぼる時代でした。
 『沼地』は、ある展覧会会場での主人公の「私」と新聞記者の会話を描いています。「私」は油絵の「沼地」に深く感動し、展覧会で最も秀(ひい)でていると絶賛します。対して、新聞記者は気違(きちが)いが描き、遺言で展覧会に出展した経緯を知っていて、この作品を軽蔑します。「私」はその経緯を知って、さらに「沼地」の「恐ろしい焦燥と不安に焦(さいな)まれている痛ましい芸術家の姿を見出した。」のです。新聞記者は「思うように描けないと云うので、気が違ったらしいですがね。その点だけはまあ買えば買ってやれるのです。」と言います。
 『沼地』は次の言葉で締めくくられます。

 「傑作です。」
 私は記者の顔をまともに見つめながら、昂然(こうぜん)としてこう繰返した。

 「私」は読み手を指すでしょう。同時に新聞記者も読み手を指すのです。私達の中には世間の価値判断や経歴による先入観で決める面があります。さきほどの「空気を読む」はまさにその典型ですし、東京大学出身というだけで何やら素晴らしい、という気持ちになってしまうものです。新聞記者がいなければ私達はまともな社会生活を送れません。
 対して「私」も私達の中にあるものを指しています。そういう世間の価値判断や先入観の愚かさを知っているのです。「私」がいなければ自分自身の無さに虚しさを感じてしまうでしょう。
 芥川は「私」と新聞記者が心の中で常に対立しているのが人間である、と考えたでしょう。他の短編小説「藪(やぶ)の中」を見てもそれが判ります。後年、黒沢明監督が映画『羅生門(らしょうもん)』を撮り、世界最高の映画と絶賛されました。西暦二〇〇九年にも『TAJOMARU』(多襄丸[たじょうまる]は主人公の名前)としてリメイクされました。根底には芥川の捉えた心の対立と矛盾があります。
 芥川は「私」と新聞記者の両者を認め、最後に「私」が新聞記者にはっきり(昂然)と言い返す勇気を、示しました。
 大正時代は現代と通じあっています。戦争の不安が遠ざかり、経済が安定して、損か得かが中心になっていく時代でした。人は世間の価値観に流されやすい時代だったのです。同時に、世界の情勢を見ると、日本が満州の地下資源と広大な平野に魅力を感じていく時代でもありました。芥川はこうした時代の流れを汲みとり『沼地』を書いたのかもしれません。

一燈を照らす
 私の胸がもぞもぞしたのは、「私」と新聞記者がやりとりをしたからでしょう。後で、実際にインターネットで『沼地』を読んでみると同じもぞもぞを感じました。私は「私」の昂然と言い返す勇気をもらいました。
 また、「私」と新聞記者のやり取りは地域、時代を超えた人間普遍の主題でもあります。
 江戸時代後期(西暦千七百七十二年から千八百百五十九年)の教育者佐藤一斎は、『言志四録(げんししろく)』千百三十三条で言っています。

 「一燈を提げて暗夜を行く。 暗夜を憂うること勿(なか)れ、只一燈を頼め。」
 
 「提灯を持って闇夜を歩く。闇夜の暗さを嘆き悲しむことはありません。同じく、世間の愚かさや自分の置かれている厳しい状況を悲しむことはないのです。ただただ、提灯の灯りを頼りにするように、自分自身を正しい行いを積み重ねていくことです。そしてそうやって自分自身の正しい行いを大切にしていきましょう。」 高木訳

 『沼地』と同じように私には読めました。
 平日に国旗を掲げること、沖縄主権回復と言うことなどが私の胸でもぞもぞとしました。一燈を照らすことで、朝の神社のように晴れ渡りました。芥川と佐藤一斎の言葉をより一層胸に刻むことが出来ました。また、長谷川先生の御講演に深く感謝申し上げます。
 日本の大事を祝う国旗、毎年五月十五日に掲げたいと想います。

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★参考書
 佐藤一斎
  『言志四禄』(一)~(四) 講談社学術文庫
 芥川龍之介
  『芥川龍之介全集三』 筑摩書房

 また、『沼地』は以下のHPで無料で読めます。
 「インターネット電子図書館 青空文庫」内、
 「沼地」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/113_15225.html
または、 「芥川 沼地」の検索で一番上に出てきます。
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