スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

国語ゼミ「なぜ、勉強をするのか?」講演記録

 静岡市内にある国語教室で、「なぜ、勉強をするのか?」の講演を行いました。

 配布プリントと講演の記録を残しておきます。

日時 平成27年5月27日 午後8時から午後9時35分
場所:国語教室2階
参加人数:12名
配布プリント2枚
形式:学生の発表、解説、音読、質疑と感想

 ○配布プリント :[ ]に対する高木の考えは後述します。

平成27年5月27日
「なぜ、勉強をするのか?」

①「なぜ、勉強をするのか?」を自分の言葉で書いてみましょう。
[                   ]

 どの点で考えるのか、が大切です。
②学問は「全員共通の事実」を見つめます。では、勉強をする全員共通の事実とは?
[                   ]
高木の考え:(学生さんに記入させました)

 哲学の観点から勉強を考えてみます。ではまず、哲学から行きましょう。
②哲学は「人間の根本」を見つめます。では、「人間の根本」とは? 2点どうぞ
[                   ]
[                   ]
高木の考え:(学生さんに記入させました)

③「人間の根本」から考えると、学問はどうなるでしょうか?
[                   ]
高木の考え:(学生さんに記入させました)

④思想家、哲学者を1人挙げて、その人の「人間の根本」から学問の考えを書いて下さい。
(知っていれば)
[                   ]
高木の考え:(学生さんに記入させました)

---(プリント裏面)---

孟子(もうし):

孔子の『論語』を「民衆の重視」や「仁(親愛の心)」の根拠を与えて発展させる。性善説。
西暦紀元前370年前後の生まれ、支那(China:中国)の魯国付近の生まれ。
有名な話は「孟母三遷(もうぼさんせん)」と「孟母断機」
 
「孟母三遷」
孟子が幼少のころ、墓場で遊んでいた。すると、墓掘りや埋葬の真似をするので母親は、「子供を育てる環境ではない」と、商店街の側に引っ越した。すると、孟子はお金のやり取りの真似をするので、「ここも、子供を育てる環境ではない」と学校の側に移った。今度は、礼儀正しい言葉遣いや行動をするようになり、「ここが善い」と住まいを決めた。

「孟母断機(だんき)」
青年になった孟子が立派な先生を求めて留学していたが、嫌なことがあって故郷の実家に帰ってきた。ちょうど、機織(はたおり)をしていた母が孟子を見かけると、黙って機織の縦糸を刀で切ってしまった(織りかけなので何日もかかる仕事を放棄してしまった、の意味)。孟子は久しぶりに会った母親の行動に驚いて聞いた。すると、母は「おまえが途中で勉強をやめるのは、この織りかけの布を切るのと同じだ。途中で投げ出してはならない。」と言い切った。その後、穏やかに母は語りかけ、孟子は勉強に戻り、大学者となった。

次に、孟子の有名な文章を読んでみましょう。

「人は誰でも、他人の悲しみを思いやる心を持っています。昔の立派な王様は、他人の悲しみを思いやる心を持つだけでなく、実際に民衆を思いやる心を基準にして政治を行った。このように他人の悲しみを思いやる心を持ち、実際の政治に活かせれば、昔の立派な王様のように世の中を平和と安定に導くことが出来ます。
 では、どうして「人は誰でも、他人の悲しみを思いやる心を持っています」と言えるのでしょうか。例えば、よちよち歩きの幼児が井戸に手を掛けて落ちようとしているとします。それを見た人は誰でも、驚きあわてて、幼児を心配するでしょう。幼児を助けて両親からお礼を言われたい、とか、「あの人は幼児を救った偉い人だ」と言われたい、とはその瞬間は思わないでしょう。同じく、見捨てたら「非情な人だ」とも考えないでしょう。お礼や偉い、非情などの周りからの評価よりも先に、「他人の悲しみを思いやる心」があるのです。ですから、人間ならば誰でも「他人の悲しみを思いやる心を持っています」と言えるのです。
 同様に、「恥ずかしいという感覚」も、「譲り合い助け合いたいという感覚」も、「善いことは善い、悪いことは悪いという感覚」も、人間ならば誰でも持っているものです。
 「恥ずかしいという感覚」は、「人として守るべき正しい道(義)」の出発点です。
 「譲り合い助け合いたいという感覚」は、「礼儀正しさを大切にすること(礼)」の出発点です。

---(プリント2枚目)---

 「善悪の判断の感覚」は、「物事を判断し理解すること(智)」の出発点になります。
 「他人の悲しみを思いやる感覚(惻隠:そくいん)」、「恥ずかしいという感覚(羞恥:しゅうち)」、「譲り合い助け合いたいという感覚(謙遜:けんそん)」、「善悪の判断の感覚(是非)」は、四つの大切な感覚です。この四つの感覚は、二本の手、二本の脚が人間に生まれつき備わっているのと同じです。
 しかし、四つの感覚(四端)は自分で育てていかなければならないのです。「恥ずかしいという感覚」を「人として守るべき正しい道(義)」に育てていかなければならないのです。そうしない人は、自分の肉体を使わない人と同じで、自分の能力を傷つけているのです。 放っておけば、「善悪の判断の感覚」はきちんと形にならないのです。
 もし、四つの感覚(四端)を仁、義、礼、智に育てていければ、平和と安定に貢献できる立派な人になれます。しかしもし、四つの感覚(四端)を育てずに放っておけば、自分の両親とも仲良くできないでしょう。当然、友人や恋人、学校の仲間とも上手くいかず、仕事や様々なことに手がつかなくなるでしょう。
 重要なのは「人は誰でも与えられている、他人の悲しみを思いやる心を育てていくこと」なのです。」

 『孟子』 公孫丑章句(こうそんちゅうしょうく) 上 第六章 高木意訳

書く下し文

孟子曰(いわ)く、人皆、人に忍(しの)びざるの心あり。先王、人に忍びざるの心ありて、斯(すなわ)ち人に忍びざるの政(まつりごと)あり。人に忍びざるの心を以(もって)て、人に忍びざるの政を行わば、天下を治むること、これを掌上(しょうじょう)に運(めぐ)らすべし。人皆、人に忍びざるの心ありと謂(い)う所以(ゆえん)の者は、今、人乍(にわか)に孺子(じゅし)の将(まさ)に井(せい)に入らんとするを見れば、皆怵惕(じゅってき)・惻隠(そくいん)の心あり。交わりを孺子の父母に内(い)るる所以にも非(あら)ざるなり。誉(ほま)れを郷党・朋友に要(もと)むる所以にも非ざるなり。その聲(こえ)を惡(にく)んで然(しか)るに非ざるなり。是によりてこれを観れば、惻隠の心無きは、人に非ざるなり。羞惡(しゅうお)の心無きは、人に非ざるなり。辭讓(じじょう)の心無きは、人に非ざるなり。是非の心無きは、人に非ざるなり。
惻隠の心は、仁の端(たん)なり。羞惡の心は、義の端なり。辭讓の心は、礼の端なり。是非の心は、智の端なり。人の是の四端(したん)あるは、猶(なお)その四體(したい)あるがごときなり。是の四端ありて、而(しか)して自ら能(あた)わずと謂う者は、自ら賊(そこ)なう者なり。その君(きみ)を能わずと謂う者は、その君を賊なう者なり。凡(およ)そ我に四端ある者、皆擴(ひろ)めてこれを充(みた)すことを知らん。火の始めて然(も)え、泉の始めて達するが若(ごと)し。苟(いや)しくも能くこれを充さば、以て四海(しかい)を保(やす)んずるに足るも、苟しくもこれを充さざれば、以て父母に事(つか)うるにも足らず、と。

高木健治郎記

---(高木の解答)---

①「なぜ、勉強をするのか?」を自分の言葉で書いてみましょう。
[  人は努力によって能力を向上させ、精神と知力を獲得し、完成へと近づけるから    ]

 どの点で考えるのか、が大切です。
②学問は「全員共通の事実」を見つめます。では、勉強をする全員共通の事実とは?
[  結果がスポーツや芸術などに較べて公平に客観的にでること。また、人類の叡智に触れること       ]

 哲学の観点から勉強を考えてみます。ではまず、哲学から行きましょう。
②哲学は「人間の根本」を見つめます。では、「人間の根本」とは? 2点どうぞ
(人間の根本とは、全員に客観的に共通する点である、と補足しました。)
[  自分の意志に関わりなく、生を与えられたこと        ]
[  自分の意志に関わりのある死が定められたこと       ]

③「人間の根本」から考えると、学問はどうなるでしょうか?
[  自己を公平に客観的に知る上で、最も適した手段の1つ。また、自己を研磨していく手段の1つ       ]

④思想家、哲学者を1人挙げて、その人の「人間の根本」から学問の考えを書いて下さい。
(知っていれば)
[   孔子:人は善を目指して進むことが学問である        ]
[   孟子:人は善の萌芽を与えられており、育てることが大切である   ]

 ○講演まとめ

―講演について

 「なぜ、勉強をするのか?」を高校生に向けて講演をしました。2年前に同じテーマで話をしていましたが、内容は殆ど全て入れ替わりました。2年前の内容は過去の記事にしてありますので、興味がある方はご覧ください。
 この2年間で内容が変わってこと、は私が勉強をしてきたからです。1ヶ月前にお話をいただき、その点に気がつきました。そしてこの2年間の私の変化を、講話の根底に据えようと考えました。
 中学生、高校生は勉強に苦しむ時期です。同時に、勉強によって自分の変化が見え難い時期でもあります。この点も考慮しました。

―講演の感想

 講演の翌日に本記事を書いています(掲載は日が経ちました)。昨晩の講演では充実した時が流れた、と感じています。学生の皆さんが私語なく一生懸命考え、挙手を求めると積極的に半数以上が挙げてくれました。また、他の学生の意見を真剣に書き留める姿も見られました。普段、教室で顔だけは知っている、名前だけは知っている学生が、こんなに真剣な姿をするのか、と感動しました。この感動は教師の深い喜びの1つです。十分に準備をして行ってよかった、と感じました。また、最後の感想では、講話の内容が十分に伝わってないのではないか、という気持になりもしました。しかしながら、私の目指す講話は、大人になり、意識しない判断力に力添えしたい、というのを目指しています。教えてもらった先生の名前も忘れてしまったが、目の前で苦しんでいる人や災害で困っている人や死にかけている人への対応、結婚を迷っている時、就職先を考える時、そういう時の判断の一助となれば、と思っています。そういう手応えが少しだけあったように感じ、想っています。

―プリントと講演進行

 最初に司会の方にご紹介頂きました。直前に配布したプリントの①を学生の皆さんに考えてもらいました。8分程度の後、全員に氏名と①の答えを発表してもらいました。学生10名、先生2名全員の発表後、②を考えてもらいました。②は挙手を求め9名の発表となりました。次に高木の考えを述べました。
 ②の次も「②」と繰り返しでしたので、「②’」とし、全員の発表後、高木の発表としました。③は挙手を求め、6名発表となりました。最後の④は書いた人がいなかったので、もう1枚のプリントで「孟母三遷」と「孟母断機」の話を読んでもらいました。
 私が訳文を起こした「公孫丑(こうそんちゅう)章句 上 第六章」を読み、全員で書き下し文を声を出して読みました。哲学と孟子の共通点の解説を行い、終了。質疑に入りましたが1名だけで、全員に感想を求めました。
 午後9時半を過ぎており、当のブログのご紹介を下さり、また、後日の質問の受付と教えで頂き、終わりとなりました。

-講演後感想
 
 国語教室の諸先生方の熱意、学生の皆さんの真剣さに心を打たれました。清廉な感情と心地よい疲労を感じながら、夜に自転車を漕ぎ出しました。日々、みじめで惨憺(さんたん)たる気持ちになりますが、今回のような体験が私を支えてくれています。多くの方々が日々の、みじめさを感じているかもしれませんが、「己だけ」とは思わないで頂きたい、という想いがありました。思春期で性愛と学問と社会的責任などで苦しんでいる学生の皆さんに、今回の「なぜ、勉強をするのか?」で伝えたかったのです。直接の文言ではありませんでしたが、生と死という人間の存在形式を見つめることで感じてもらいたかったのです。これは森信三著『修身教授録』で教えてもらいました。
 次回は議論を、というお話を直ぐに下さったので、森信三著『修身教授録』を提案しました。今回の講演の元になった本を取り上げ、今回の話をさらに深めていきたいという気持ちです。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール
哲学(平成28年度)
科学技術者の倫理(平成28年度)
書いたもの(平成28年)
科学技術者の倫理(平成27年度)
哲学(平成27年度)
書いたもの(平成27年)
哲学(平成26年度)
「科学技術者の倫理(平成26年度)
講義録「哲学」
書いたもの(平成26年)
書いたもの(平成25年)
論文(高木健治郎の)
講義録「科学技術者の倫理」(平成25年度)
高木ゼミ『銃・病原菌・鉄』
高木ゼミ全6回『ぼくらの祖国』
教養講座6回分(平成24年度)   講義録21~
講義録「科学技術者の倫理」(平成24年度)     講義録1~15
最新記事
講義録「科学技術者の倫理」(平成23年度)
石上国語教室で行われた講演のレジュメです。哲学が足りなかったのが、福島原発事故の原因の1つではないか、と考えています。

「哲学のススメ2」レジュメ

最新コメント
カテゴリ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。