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エッセイ「【學問】伊藤仁斎と深さに学ぶ」

 「富士論語を楽しむ会」の同人誌に投稿した原稿です。
 読みにくい箇所・誤字脱字あると思いますが、目を通して下されば幸いです。以下本文です。

 孔子の『論語』は二千年以上、地域を超えて学び続けて来られました。ですから、『論語』の捉え方が様々あります。その代表者は、孟子、朱子、王陽明、伊藤仁斎です。それぞれが新しい領域を切り開き、後世に影響を与えました。伊藤仁斎の深さは、『論語』の原点に立ち返りつつも、公平さと批判を融合させ、深めた所にあると考えています。伊藤仁斎の説話などを入れながら、その深さを探っていきます。

孟子、朱子、王陽明の特徴
 仁斎に入る前に、三人の特徴を簡潔に述べておきます。
 
 孟子は、孔子死後、衰退した儒教に、「民衆重視」と「仁の根源(四端の心)」の視点を入れました。
 「民衆重視」とは、為政者個人の反省に力点が置かれていた儒教を、為政者が政治を行う場合に考える視点を提供したのです。孔子の政治的未熟さは克服され、実際に政治と結びつくきっかけとなりました。
 また「仁の根源(四端の心)」では、個人の反省に「生まれつき仁となるべき性質が全員に与えられている」とし、儒教の仁の根拠を示しました。より説得性が増し、具体的に考えられるようになったのです。

 朱子は孔子より十六世紀も後に生まれ、西暦十二世紀、宋(そう)の官僚でした。
 「教科書の選定」と「仏教との融合で宇宙論」を儒教に入れました。
 「教科書の選定」とは、孔子以前の五冊の本、五経(あるいは、六経)よりも、『論語』、『孟子』、『大学』、『中庸』という孔子以後の本を大切にしたことを指します。教科書を孔子前から孔子後に差し替え、膨大な注釈を付けて教科書として整えました。それゆえ、科挙(かきょ)という官僚選抜試験の教科書になり、儒教は政治や人生訓から、公教育へと広がっていきました。
 「仏教との融合で宇宙論」とは、孔子死後千年以上過ぎ、雑多で互いに矛盾していた儒教を、仏教の「人間の善は本来全員に与えられ、そして宇宙を貫くもの」という視点で一本化したことを指します。これにより儒教は、物質世界の奥底も考えられるようになったのです。自然科学の法則や宇宙論などへ領域が広がっていきました。

 王陽明は朱子よりさらに三世紀後の十五世紀、明の官僚であり軍人でした。
 「判断重視による実践」を儒教に入れました。
 というのは、朱子学が「仏教との融合で宇宙論」という壮大な規模になり、さらに人間の善を極めなければ、具体的な実践が出来ないと考えたからです。権威的な学問になった儒教を「判断重視による実践」を入れることで、民衆の日常生活の指針として考えられるようになったのです。
 以上が仁斎以前の三名の特徴になります。

伊藤仁斎の特徴
 次に伊藤仁斎の特徴に入ります。
 「客観的な視点」と「仁の普遍化」の視点を儒教に入れました。
 「客観的な視点」とは学問に必須の条件です。客観的事実から出発しないのでは学問とは言えません。同様に自分の考えを相手の言い分を聞かずに押し付けるだけでも学問とは言えないのです。

 事実から出発
 自説の公平な扱い

 を伊藤仁斎は儒教に導入したのです。それゆえ、儒教は普遍性を獲得していきます。

①事実から出発
 「①事実から出発」とは、朱子の批判を通して出てきます。朱子は仏教を批判して導入し「精神と物質(性即理説)」という孔子の『論語』にはない説明をしました。この点を、仁斎は学問に基づいて検討したのです。
 伊藤仁斎は朱子学の本をぼろぼろに腐るまで(爛敗)さわり、昼夜口に出し、心を奪われるように学びました。仁斎は朱子学の真髄を獲得していくと一人の友人以外とは絶交し、〝ひきこもり〟になってしまうのです。朱子学は自分の向上を求めるので、やればやるほど世間とは離れて行ってしまうのです。朱子は、人間全員が備わっている善を極め、宇宙全体に広げていくことを目標とします。しかし、目の前の現実はそうはいきません。本来善になりえる人間が欲望に動かされ、お世辞を言い、悪いことを反省もしません。それは許し難いことなのです。ですから、朱子学に染まっていくと、世間が厭になってきます。
 仁斎はもう一度、『論語』に眼を通します。

 「天地ですら天変地異を起こすでしょう。人間も過ちをおかすのが当然なのです。君子も同じく常に完全、完璧ではないのです。」

 という言葉を残しています。朱子学の完全、完璧を求める道は、孔子の『論語』にはない、と発見するのです。これは王陽明の「判断重視による実践」ではなく、山崎闇斎の実証的方法を取り入れて学問を重視した結果です。この実証的方法は、荻生徂徠、本居宣長へと受け継がれていきます。

 そして仁斎は、仏教のように本来の善が人間の中にある、というのではなく、人と人の間に善がある、という置き換えをします。ここが「客観的な視点」を生み出します。『仮名論語』から引用してみます。

 「子曰く、聖と仁との若(ごと)きは、則(すなわ)ち吾豈(われあに)敢えてせんや。抑々(そもそも)之を爲(まな)んで厭わず、人を誨(おし)えて倦(う)まずとは則ち謂(い)うべきのみ。」
 述而第七 三十三章

 「聖人とか仁者とかには、私は及びもつかないことだ。ただ私は、その境地を目指して学び、あきることはない。」
 『仮名論語』 九十五頁

 「人の外に道はなく、道を外れては人はない」

 と仁斎は言います。「君子に仁があり臣下に仁がない」のではなく、「君子と臣下の共同の関係に仁がある」というのです。「人は独りでは仁に到ることはできない」というのが朱子への批判であり、仁斎の特徴です。「完璧な人格者になった君子が、小人に仁を授ける」と考える朱子学。対して仁斎は「遠くにある仁の完成を目指して、ちょっとだけ先に行っているのが先生。後に続いているのが小人」と考えるのです。ちょっとだけ先に行っているけれども、独りでは君子も小人も道を歩いて行けいない、とも考えています。
 同時に、朱子学のように宇宙を貫く原理ではなく、日常生活のごく当たり前の生活の中に人間を探し、仁を探しました。朱子学との比較は次号に譲り、「日常生活の中の仁」を見ていきます。

 「日常生活の中の仁」を痛烈に批判したのが、朱子学を正確に理解しようとした山崎闇斎(あんさい)の学派でした。ちなみに、山崎闇斎、伊藤仁斎ともに互いを名指しで批判してはいません。
 面白いことに、闇斎の塾と仁斎の塾は京都堀川の対岸にありました。闇斎の塾生は仁斎のやり方を

 「うば嬶(かか)の挨拶のように柔和なぼけぼけした(学問)」

 と口汚く罵っています。おばさん達の世間話のようにぼけーっとしている学問、というのです。実際、仁斎の塾では、塾生が順番に発表して、解釈を話し合います。そして実際の行動をお互いに品評しあっていました。六十を過ぎてからは講義方式に近づいたようです。
 しかしながら、仁斎は闇斎学派の批判に一切やり返すことはありませんでした。仁斎は、闇斎学派の考え方も認めていたのでしょう。先ほど述べたように、仁斎は人と人の間に善がある、と主張していました。山崎闇斎自身も同じで、塾生には厳しく接していましたが、仁斎へ名指しでの批判は行っていないのです。私には二人の学恩を感じられてなりません。

②自説の公平な扱い
 仁斎は京都の皇室、貴族や文化人と交際し、連句の会を開くなど上流階級に属していましたが、「大納言以上の人品と威容を備えている」と評される程、優れた人格の持ち主でした。それゆえでしょう、仁斎は自説を他者に強要する方法をとりませんでした。「人と人の間に仁がある」と言い、共同研究を主催していました。
 思想上では朱子学を根本から批判した仁斎でしたが、『論語』等を読み解く注に朱子学が入ることを否定しませんでした。むしろ、『論語』の注の半分は、朱子の注をそのまま使ったのです。さらに、『論語』の読み方さえ、朱子学を通してもかまわない、としたのです。
 自説の出発点となった反対の説を受け入れるという態度は、現代の学問に通じる態度です。
 また、朱子や王陽明の学問にはなかった学問的態度を持っています。それは、常に他者の視線を入れていくという態度です。「研鑽と知識を備えた人物だけが真理へと到達できる」という仏教や朱子学の態度では、独善に陥る可能性が高いのです。それゆえ、常に自らの誤る可能性を考え、他者の視線を入れていくのです。
 仁斎自身が、過去に朱子学の独善に嵌り〝ひきこもり〟を脱したことが想い出されます。
 以上が伊藤仁斎の特徴です。私は仁斎の態度が、現代の学問に通じていると感じます。同じ点を科学の反証可能性を主張するカール・ポパーにも感じます。

まとめ
 伊藤仁斎の「古義学」は、朱子学の新解釈ではなく、孔子自身の「古い」学問の意「義」を「学」びましょう、という意味です。しかしながら、朱子学も仁斎の学問も同じである、という態度なのです。
 次に仁斎の主張を聴いてみましょう。『論語』を自らの心を通して読むことによって、『論語』の前半の十章と後半の十章の時代が異なり、後半は後になって編纂されたと指摘します。また、朱子学で四書に数えられた『大学』が孔子の作ではないことを指摘します。『論語』等と内容が矛盾しているというのです。
 伊藤仁斎は実証的な方法を取りながらも、テキストの内容の矛盾や、前後関係などに踏み込みました。同時にそうした自らの説の正統性を主張して他説を排除しませんでした。他説と自説を同時に知りながら、テキストを深く読もうとしたのです。こうした点で、伊藤仁斎は『論語』の真髄を具体的な学問の方法として提示しました。
 伊藤仁斎から荻生徂徠、本居宣長、賀茂真淵と日本の学問は深まっていきます。仁斎の具体的に示した学問の普遍性が、日本の学問に大きく寄与したと推察しています。
 次回は、仁斎をさらに詳しく述べていきたいと思います。

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★参考書
 伊與田覺 『現代訳 仮名論語』 論語普及会
 石田良一 『伊藤仁斎』 吉川弘文館
 子安宣邦 『伊藤仁斎の世界』 ぺりかん社
 土田健次郎 「伊藤仁斎の生き方に学ぶ」  『致知六月号』(通巻四百七十九号) 致知出版社
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