エッセイ「【學門】『論語』の三つの訳と子育て」

 「富士論語を楽しむ会」の同人誌に投稿した原稿です。
 読みにくい箇所・誤字脱字あると思いますが、目を通して下されば幸いです。以下本文です。


『致知』という雑誌
 『致知』という雑誌がある。「人間学を学ぶ月刊誌」と副題があり、その通りの内容で、毎号心が洗われている。読者同士で『致知』の内容を話し合う木鶏(もっけい)クラブが全国に約百五十あり、御縁があって「藤枝木鶏クラブ」に通っている。毎月第一土曜日、午後一時半から五時頃まで二十名弱の参加がある。
 平成二十七年(西暦二千十五年)四月号に「教育に懸ける思い」と題し、松浦正人防府(ほうふ)市長と籠池(かごいけ)泰典塚本幼稚園園長の対談が載った。

塚本幼稚園
 塚本幼稚園は、籠池園長の下、十五年前から、「教育勅語」や『論語』の素読を取り入れるようになった。実際の動画を見たけれども、とても幼稚園児とは思われないしっかりとした姿勢、言葉遣い、発音に心を打たれた。
 直ぐに、私は、この幼稚園に子供を入園させたい、と想った。なぜなら、私が幼少の折に受けたい、と感じる教育だったからである。
 『致知』を読み、さらに以下のことを知った。「教育勅語」と『論語』は目指すべき文武両道の一部であり、『大學』の暗唱、マーチング、鼓笛(こてき)、大正琴、日本太鼓、通年スイミング、書道、器械運動(跳び箱や縄跳び)、マラソン、珠算(たまざん、しゅざん)、将棋や剣道の稽古、ラグビーをしている。さらに、伊勢神宮の昇殿参拝などの行事も行っている。
 私の想いは益々強くなった。

孟母三遷の話 
 「孟母三遷(もうぼさんせん)」という故事がある。

 「孟子の母は、孟子が幼い頃に墓場の側に住んでいた。すると孟子が墓守の真似をするようになったので、『ここは住む場所ではない』と商店街(市場)の側に引っ越した。すると、孟子は商人の真似をするようになったので、『ここは住む場所ではない』と、再び、引っ越した。次は、学校の近くとした。すると、孟子は学校で行われる儀式や礼儀正しい行いをするようになったので『ここにしましょう』と言って腰を下ろした。やがて孟子は、儒教を代表する人となった。」

 劉向(りゅうこう 西暦前七十七年から前六年)著『列女伝(れつじょでん:女性の教育のための本)』に書かれたとされる話である。当の本は失われ、現存するのは十七世紀以降の清朝の本である。また、そもそも事実ではなく作り話である、との説がある。
 こうした不明な来歴に関わらず、日本も支那(China)の人々も、「孟母三遷」の話を大切にしてきた。中国人留学生二名に聴くと「この話は必ず習います」とのことだった。子供の教育において住居を含めた環境の大切さを説いた話として語り継がれてきた。
 私はこの話を思い出し、大阪の塚本幼稚園へと気持ちが向いた。

かみさんとの会話
 翌朝、かみさんとご飯時に話題にした。
 私「前に塚本幼稚園に話をしたけれど、おぼえている? 動画を見た?」
 妻「覚えているし、動画もみたよ。」
 私「じゃあ、大阪か関西に職を得て、引っ越すのはどうかな?」
 妻「え?本当に?・・・反対だなぁ。」
 私「どうして?塚本幼稚園は素晴らしいよ。是非とも考えてみたいなぁ。」
 妻「それって、本気度どのくらいでいっている?」
 私「職が見つかるかどうかもあるけれど、二割くらい本気。」

  (…少しやり取りがあった…)

 妻「塚本幼稚園は素晴らしい。けれども、現在の健治郎さんの教育でいいと思う。同時に、塚本幼稚園という全員でする教育にそこまで期待してはいけないと思う。」
 私「!!なるほど!! 言う通り!! 確かにその通りだね。親の教育がまず一番だね。いやー有り難う。そうしよう。」
 深々と頭を下げた。

孔子のことば
 このやり取りの後、言葉を思い出していた。『仮名論語』衛霊公第十五 四十一章の、

 「子曰く 辭(じ:辞)は達するのみ。」

 という言葉です。
 意味は「言葉は伝えることが最も重要である」という意味です。単に「言葉は伝える道具にすぎない」という読み方もあり、「相手に合わせて言葉を使い分けることが大切」という対機説法に読むことも出来ます。
 思い出したのは偶然にも昨晩、息子にこの話をしていたからでしょう。数日前から、
 安岡定子著『親子で楽しむ こども論語塾』 
 を寝る前に一つずつ読み始めました。同じ箇所の訳文を引用します。

 「言葉は、詩でも文章でも自分の気持ちや考えを正しくわかりやすく、人に伝えることが、いちばんの目的なのです。すぐれた言葉を身につけることは、すぐれた人になるために、ぜひとも必要なことですね。」

 先ほどの対機説法の大切さと同時に自己修養の大切さも説かれています。素晴らしい訳文です。読み返してみてなるほど、と感じました。さらに、同じ箇所の二つの訳文を並べてみます。

 「言葉や文章は十分意志が通じさえすればよいのだ。」 『仮名論語』二百四十四頁

 「外交辞令は、意味が通じればよいのだ。」 『世界の名著 孔子 孟子』 三百十九頁

 後者には注がついており、「小国だった魯国は大国に利害をはっきり伝える必要性を説いた。なぜなら、当時の外交官は自らの博学を誇示するため故事を多用し、空虚な言葉が多かったから」とあります。歴史的背景に忠実な訳文なのが判ります。
 同時に、先の解説を読むと『仮名論語』の訳文が孔子の意図に忠実なのが伝わってきます。さらに、『親子で楽しむ こども論語塾』は、対機説法と自己修養の意図を込めているのが伝わってきます。

孔子のことばと日常会話
 三つの訳文を並べて比べると、『親子で楽しむ こども論語塾』が、先ほどのかみさんとのやり取りにしっくりとくるのが判ります。塚本幼稚園に入れたい私は子供の自己修養を考えていました。さらに、かみさんの助言には「親の」自己修養が入っていました。この自己修養の点で、安岡定子先生の本がしっくりきたのです。
 つまり、かみさんの言葉には、私の自己修養と子供の自己修養があったのです。安岡定子先生の訳文のお陰で、孔子の言葉が日常会話に結び付きました。
 一歩踏み込んで考えてみます。自己修養、歴史的背景、孔子の意図、とそれぞれに忠実な三つの訳文があります。同時に三つの訳文が成り立ち、且、名訳なのです。これは『論語』の持つ奥深さから来ているのでしょう。
 また、逆に考えることも出来ます。
 『論語』の奥深さを味わうためには、日常生活で、その言葉を常に考え続けていくことが必要である、ということです。『論語』は、プラトンのように理想世界の話ではなく、『聖書』のように神の世界という現在存在しない世界の話ではないのです。ですから、私達の活きているこの世界の日常生活で考えやすいのです。

温故知新の解釈
 さらに、有名な故事「温故知新」を三者の訳文で比べてみます。

 白文
 「子曰、温故而知新、可以為師矣。」

 『仮名論語』
 「古いことを尋ねてそこから新しいことを知る者は、人の指導者となることができる。」

 『世界の名著 孔子 孟子』
 「煮つめてとっておいたスープを、もう一度飲むように、過去の伝統を、もう一度考え直して新しい意味をしる、そんなことができる人にしてはじめて他人の師となることができるのだ。」

 『親子で楽しむ こども論語塾』
 「昔のできごとや、昔の人の考えをよく知り、それを毎日の過ごし方に役立てましょう。昔と今、古いものと新しいもの、それぞれによい所がありますね。よい先生とは、その両方がよくわかっている人をいいます。」

 比べてみると違いが見えてきます。
 『仮名論語』では、先生ではなく指導者(政治家)という孔子の生涯の目標に沿って、正確に訳しています。孔子の意図を正確に訳しています。
 『世界の名著 孔子 孟子』は先生とは何か、物知りではない、という意味が出ています。「温」を「たずねる」とは朱子(しゅし:西暦十三世紀)の新注なので、漢の鄭玄(ていげん:西暦三世紀)の冷たいものを温めなおす、という意味で取っています。こちらも漢字の原義を大切にした訳文です。歴史的背景を訳文に組み入れています。
 『親子で楽しむ こども論語塾』は、「毎日の過ごし方に役立てましょう」の言葉通り、自己修養の面から訳されています。「物知りでは先生になれない。自問自答して日常生活で考えていきましょう」という孔子の大意を取っています。この点で日常生活に活かしやすいように訳されています。もちろん、他の二つの訳文も日常生活で役立てられるのは言うまでもありません。
 それぞれが特徴ある名訳であると改めて感じました。
 
 最後に自らに視点を返します。私が塚本幼稚園のやり取りの中で、想い出したのが、『親子で楽しむ こども論語塾』でした。逆説的に観れば、私は自己修養を大切にしている種類の人間なのかもしれません。
 今後も、日常生活のこのような機会を大切にしていきたいです。

参考図書
○伊與田覺著 『現代訳 仮名論語 拡大版』 論語普及会
○貝塚茂樹責任編集 『世界の名著3 孔子 孟子』 中央公論社
○安岡定子著 『こども論語塾』 明治書院
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