高木の哲学的立場Ⅱ 絶対的自己

 私の哲学上の立場を引き続き簡略して書きます。

 絶対的自己、が現在のテーマです。
特に論文等にはしていませんが、20歳の頃から一貫して考え続けてきました。

 絶対的自己とは、自己の中の「私」を追求して現れるであろう、自己です。
 ニーチェの言うように神とのつながりの中で、個性(西欧的自我)が出てきます。同時に、『孝経』の言う先祖からの継続、『古事記』の言う二元原理の結合で日本的自我が出てきます。この2つの自我とのつながりを断った自我を絶対的自我と言います。
 例えば、両親とのつながりの中でしか自分を認め、あるいは存在価値を認められない、という問題が古来あります。あるいは、神の創造したこの世界(土くれよりの創造ですので全てが創造の産物ではなく)との中でしか自分を認め、あるいは価値を認められない、という問題です。
 これを切断し、あるいは抽象化し外延に立つことで生まれる絶対的自我の認識があります。そこには感謝が、歓喜が、生命への尊崇が生まれます。切断によって尚、存立する生命の、自己の強靭性への、知的営みの広がりへの、感謝歓喜尊崇です。南無阿弥陀仏などの言葉です。

 さらに、自我の内在へと踏み込みます。
肉体的自己、精神的自己、統覚的自己、魂的自己に分解されます。肉体的自己は自らの肉体です。脳幹から末端神経、皮膚、筋肉を含める自己です。精神的自己は三大欲求、社会合理的判断等、統覚的自己は自己の客観視、知識学問への統覚による自己です。例えば、デカルトの明晰判明さです。最後に魂的自己は、これらを突破した処に現れるであろう、自己です。知識や学問を踏まえつつ、洒脱した自己を指します。
 精神的自己は自己の生物学的衝動(私の言葉です)と、その洗練によっと生じる理性が織りなすものです。私は西欧的理性は存在しえない、と考えてきました。それはプラトンのニ世界論の盗作とキリスト教神学の要請による幻想と考えています。デカルトの明晰判明さは、ヒュームやカントによる批判を踏まえつつ支持されうると考えています。なぜならば、生物学的衝動やその洗練による理性の総体を、方法的検討することが可能であり、かつ、そこには別の自己が生まれうるからです。
 この生まれうる、という点が絶対的自己では欠かせない要素です。絶対的自己は自らの内に生来与えられているものではなく、後天的獲得しうる自己、という点です。でありながら、自らの内に生来与えられている肉体的自己や精神的自己の生物学的衝動から遠く離れていくことで、獲得しうる自己です。ここまでの説明は、特に禅宗に近似しています。魂的自己に行きつくと、そこでは全世界と自我が一体となるかのような点で一致します。その一体に、は知識や学問の方法的検討を必要としません。むしろ、それらに縛られていると魂的自己に突破できないのです。

 このように絶対的自己は、生来的自己から突破する形で、遠く離れていこうという形でのみ存在しうる自己です。
しかしながら、その絶対的自己は最も生来的自己である肉体的自己に従属しています。それは単に瞬間、という意味においてですが。魂的自己に到達しえたとしても、肉体的自己によって私達は、そこから絶対的に引き戻されます。例えば、睡眠、空腹などによってです。その究極の形が肉体的死です。肉体的死よって、魂的自己は瞬間、打ち壊されてしまうのです。

 私達は、生来与えられている自己の抽象化、過去の他者己による蓄積による飛躍によって、統覚的自己、そして魂的自己に突破することができます。その段階では、肉体的自己などを完全に消し去らなければなりません。
 それであるのにも関わらず、完全に消し去ったはずの肉体的自己からの呼び戻しの瞬間に、見えない糸が現れて地上にたたき落とすのです。この矛盾を、私は絶対的矛盾と勝手に呼んでいます。

 過去の宗教、禅宗では、この絶対的矛盾を明確にし問題とすることはありませんでした。天国や永遠の輪廻転生、あるいはニーチェの永劫回帰などで誤魔化してきたのです。

 しかし、最近年の自然科学の発展によって脳内を含めた肉体的自己の解明が進むに従い、絶対的自己が抱える絶対的矛盾が明らかになってきました。

 この絶対的自己が抱える絶対的矛盾を、現在の私はテーマとして考えています。


付記:絶対的自己と絶対的矛盾は私が勝手に置いたテーマです。誰かがどこかで先に論じているかもしれません。
    絶対的自己と絶対的矛盾は、詩という形で、こっそりとインターネット上のどこかに残しています。
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