講義録15-1 倫理の希望

 皆様、こんにちは。

 科学技術者の倫理の最後の講義録になります。大寒が近づいて来ましたが、ホッと一息するような暖かな一日になっています。静岡は冬の日照時間が最も多い県の一つです。暖かな日差しに包まれ、自転車で家を出ます。すると弾けんばかりの輝きの中に漕ぎ出せるのです。今日も一日働くことが出来る、そういう幸せをかみ締めています。
 講義の終わりに、日本の倫理の希望をお話しするのは、そういう心境があるからです。昨年の講義録を削り、倫理の希望に焦点を当てることにしました。学生の皆さんに伝えたいこと、考えて欲しいことは沢山ありますが、最後は希望を語ることにします。『論語』の一節に「過ぎたるは猶(なお)及ばさるが如し」とあります。この言葉で我慢をし、心を涙にして語ります。存外、学生の皆さんのコメントが好くて、心穏やかになりました。有り難う御座います。

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なし


 ――講義内容――

 結論は「私達は、先祖の倫理をきちっと受け継いでおり、今後も大切にしましょう」です。私達日本人は、伝統的な価値観として倫理=「公衆の福利」を守ることを受け継いでいます。普段は忘れられていますが、阪神淡路大震災、東日本大震災などの危機で発揮しました。自信を持ってこれらの伝統を今後も大切にしましょう。
 以上が15回の講義のまとめです。
 もちろん、排他的主張ではありませんし、客観的事実に出発しなければなりません。この点を述べていきます。述べる項目は以下の通りです。

A) 東日本大震災における倫理の希望 「私心<公共心」
B) 「公衆の福利」としての武士道
C) 「公衆の福利」としての民のかまどの物語 世界最大のお墓
D) 「公衆の福利」としての昭和天皇巡幸
E) 国旗国歌に見られる伝統的道徳

それではA)から順に述べていきます。

―東日本大震災における倫理の希望

 学問は客観的事実から発しなければなりません。それは抽象的概念である倫理も同様です。神の善性や唯一神から発しないのです。それでは東日本大震災で日本人が実際に行った具体的な倫理行動を挙げてみましょう。

① 福島原子力災害の事故現場から技術者(東京電力、鹿島建設、東芝などを含めて)が逃げなかった。そして現在も作業員の高い士気で作業が行われている。反原発派の人々も命を掛けようとしてくれた
② 自衛隊が自らの肉体を傷つけながらもご遺体の探索をしてくれた
③ 南三陸町の三浦毅さん、遠藤未希さんなど命を掛けて被害拡大を防いで下さった

① について
 震災後、テレビは何十回も狂ったように福島原発の爆発映像を流し、日本中は絶望の気分に包まれました。しかし、東京電力を始め建設業者、原子炉メーカー、現場の技術者は逃げませんでした。彼らは「俺が日本を救ってやるんだ!」という気概を持ち作業をしてくれたのです。災害復興計画等に非難が出ましたが作業員の方々の怠慢に非難が出ることはありませんでした。これはあまり言われていませんが、逆です。命がけの作業員がこれだけの数存在しうることを意味しています。普段は「仕事は金のため」、「高い給料の方が高級で、いいんだ」という価値観が蔓延しています。しかし、福島原子力災害で作業員の方々はそうしませんでした。連日の狂ったように繰り返される爆発映像を見て、たった1つしかない命が惜しくなるのは当然です。しかし、そうしませんでした。そして、彼らは1人や2人ではありません。現在も作業をして下さっている。何千人何万人の人々でしょうか。皆さんの周りにいらっしゃいませんか? 私も息子の友人のお父さんが、作業に当たられました。一緒にバーベキューをしましたが、偉そうなことは1つも言いません。自慢もしません。話を向けても「ええ、忙しかったですね」とそっけありません。かみさんにいじられながら楽しく笑っていました。なんと凄い人なのでしょう。「仕事だから仕方がない」と言うかもしれません。しかし、現在の西欧由来の法律では「仕事とは対価」なのです。命を掛ける対価は如何ほどでしょうか。こういう考えで働いているのではないのです。危機の時に現れる日本人の伝統的価値観が、明確になったのが東日本大震災なのです。東日本大震災は尊い命を奪いました。それであっても、それだけではなかったのです。

 -反原発派の人々も命を掛けてくれた

 反原発派の人々は、福島原子力災害後、「それ見たことか!原発は停止!!」と声高に叫びました。もちろん、それはそれで正しいことです。他方、京都大学の小出助教などは「私はもう年を取ったし、原発に関わってきたから原発内で作業します」と申し出をしました。私はここにも尊さを見出します。小出助教は東北大学時代から反原発であり、福島原発などができるので東北大学に反原発派がいると困るので京都大学の実験炉に行かされた、と本人が語っていました。それほど筋金入りなのです。私は放射線障害のデータなどに自然科学的根拠が無いと考えていますが、それでも「原発を止めても電気は足りる」というデータを提示しており、そのようになった点などを尊敬しています。これらを踏まえれば、小出教授が我が物顔で傲慢になっても不思議はありません。数十年に渡る不当な扱いや非難等々を払拭する機会だったのですから。けれども、「この命を差し出します」と言われました。「反対派であっても原発に関わったものとして」と言われました。原発作業員と根底で通じ合う日本人の伝統的倫理を教えて頂きました。

② 自衛隊が自らの肉体を傷つけながらもご遺体の探索をしてくれた
 
 2万人を超える行方不明者が出ましたが、現在で身元不明者は約2500名(総務省発表平成26年3月11日)です。この数義は極めて小さいと言わざるを得ません。どうしてこのようになったのかが書いてある本があります。

 青山繫晴著 『死ぬ理由、生きる理由 英霊の渇く島に問う』 268頁 別講義「哲学」でも宿題に引用致しました。お礼申し上げます。

「 その手を見たら、ぼくが会っただけで3人がざっくり切っているのです。包帯も真っ赤です。機材も使わない。それどころか手袋もしない。素手ではがしているからです。
 ぼくは連隊長のとこへ走っていって、「連隊長、どうして機材を使させないのか。手袋ぐらいさせてください」と言いました。なぜなら、当時のがれきはガラスの破片だけでなくて、包丁やナイフがそのままむき出しになっていたのです。
 連隊長がなんと答えたかと言うと、「青山さん、命令しても命令しても、みな素手になるんです」ということです。みなさんどうしてかわかりますか? ぼくもその現場を訪ねてわかりました。あの当時のがれきは、服が絡まっていたのです、がれきというがれきに。いまぼくの着ているような服が。
 女性の花柄のワンピース、男性のスーツも絡まっていました。タンスが流されたからじゃないのです。人間が津波で流されていくうちに、裸にされるのです。自衛官の諸君はあそこに入ってもう一か月経っていました。がれきの下の人はみんな亡くなっています。誰も生きていないのに、裸にされているということがわかっていて、ちょっとでもきれいな体のまま、家族のもとへ戻してあげたいから、自分の手がざっくり切れても素手になって、はがしているのです。」

 なんという尊い行為でしょうか。もう1点、現場でしか見えてこないことがあることも分ります。
 余分かもしれない説明を入れます。
 ご遺体は生きている人間ではありません。ですから、生きている人間を救うことではないのです。それでも、美しい姿でご家族と対面させてあげたい、という一心で自らの肉体を傷つけるのを厭わない。なんと崇高な行為でしょうか。同じことは記憶に新しい御嶽山の噴火時にも起こりました。この行為を実行できるのは自衛隊しかない、と言われもします。大切なのは自衛隊と同じ気持ち「美しい姿でご家族と対面させてあげたい。だから肉体を多少傷つけてもかまわないという気持ち」を私達理解できる、という点にあります。ここに伝統的価値観が現れているのです。倫理とは、特に科学技術者の倫理とは具体的行動です。キリスト教神学(近代哲学)から導き出されるものではありません。お正月に初詣に行く、端午の節句を祝う、お盆に墓参りするなどの行動と同じ具体的行動なのです。この視点を身につけて欲しいです。

③ 南三陸町の三浦毅さん、遠藤未希さんなど命を掛けて被害拡大を防いで下さった

 南三陸町の防災庁舎が保存の方向に行っています。東日本大震災のニュースにびっくりした私は1歳になったばかりの長男とかみさんと一緒に南三陸町に行き、福興市
 で美味しいものを食べ、防災庁舎に手を合わせ、地元の八幡神社にお参りをしました。遠藤未希さんは最後まで「避難して下さい」と呼びかけてくれました。直ぐに結婚が決まっていたのにも関わらず。その後ご遺体で発見されました。私はこの話をテレビで見て、夏の終わりに南三陸町の福興市に合わせて訪問しました。感じたことは別記してあります。1つ思い出を書きます。

福興市公式HP :http://fukkouichi-minamisanriku.jp/

 福興市からタクシーに乗り「防災庁舎に行ってください」というとタクシーの運転手さんは怒り出しました。かみさんと私は反論するでもなくお話を続きを待っていると、「だってね、防災庁舎に行く人はね、全員じゃないけど、これをするんだよ」と言ってピースサインをしました。尊い命を捧げられたその場所に、町民の多くの命を救ったその場所に行った日本人が、観光客気分だったのです。そのことにタクシーの運転手さんは深く傷ついていたのです。私は教えて下さったことに感謝しました。
 私達は東日本大震災から、こうした尊い行為を汚すことをしている事実もきちんと受け止めなければならないと考えます。善いことだけを見つめるのは学問ではありませんから。
防災庁舎に行き、手を合わせ足早にタクシーに乗りました。地元で一番大きな神社を調べており、タクシーの運転手さんの証言と一致したので八幡神社にお参りをしました。こうした大災害の時には神社やお寺を中心として心の復興を果たしてきた歴史があるからです。亡くなられた方々は産土神(うぶすながみ)となってその土地を今後守ってくれる、と伝統的価値観で捉えられています。

―中国人研修生を救った話

 南三陸町以外にも尊い行動がありました。これは私が教えている留学生が学校祭で発表していた内容です。二十名を超える中国人の研修生を受け入れていた工場がありました。ある人が大震災でひとまず安全な場所に避難しました。安心して、はた!と思い出したのです、「私が面倒を見ている中国人は無事逃げられただろうか?!」と。そして研修生達のいる危険な場所に戻り、全員を避難させました。しかし、彼は安全な場所に逃げることは出来なかったのです。大震災だから中国人研修生が亡くなっても誰も文句を言えないでしょう。しかし、その責任を重く見たのです。自らの命よりも尊いものがあることを知っているからこその行動です。此処にも尊い行動がありました。そして同じ尊い行動を幾つも聴くことが出来ました。
 以上から、判るのは、尊い行動を東日本大震災で多く取ったという客観的事実です。そこに私は倫理の希望を観ます。

 それでは去年の講義録から引用していきましょう。

 福島原発事故で見えた最大の希望は、「ごく普通の日本人が、「公衆の福利」=自分の利益よりも公共を優先したこと」です。

 「公衆の福利」は、根本に「私心(ししん=自分の利益、欲望を優先)」<「公共心(こうきょうしん=みんなの利益、欲望を優先)」が必要です。

 高木は、「私心(わたくしごころ)」<「公共心(おおやけとともにあるこころ)」と言い換えています。

 「私心(わたくしごころ)」=自分の肉体だけを守ろうとする、つまり、わたくしの肉体から離れない心
 「公共心(おおやけとともにあるこころ)」=公(おおやけ=全員)と共(とも)に“私が”あるという心

 です。公共心は私を失くしてしまうことでなく、私が多くの人、社会にいる全員と共にあるのを大切にする心のことです。人間は大変弱く、愚かで、無知に安住し、自分の信じたいことしか見ないという性質があります。学問が、その性質を乗り越えていく最良の手段であるのは、前の、講義録15-2で書いた通りです。学問以外のアプローチがあります。それが宗教です。イエスやブッダ、さらには孔子、墨子、荀子などは、この人間の大変弱い性質を何とかしようと格闘してきました。イエスやブッダは、人間の愚かさとして無智を挙げました。孔子や孟子は、四季を移り変わらせる天を認めた上で、素直に受け取る心を育てようとしました。荀子は法という客観的基準を作り公平さを確立して愚かさを乗り越えようとしました。
 詳しくは『世界の名著10 諸子百家』 金谷 治責任編集 中央公論社 38-57P 特に51-53Pを 大学図書館所蔵で「080 C64 10」です。

 何れも人間の大変弱い性質と格闘したのです。その点で、高木はこれらの宗教家(思想家)を尊敬しています。
 格闘の方法はそれぞれですが根本には「私心」<「公共心」があります。これが倫理の根本ですし、そして技術者倫理を考える場合に、大切にする点だと思います。繰り返しますが、「私の欲望や利益を捨てる」のではない、と考えています。

 次に、「私心」<「公共心」を成し遂げる方法が問われます。
 「講義録10-2 国際標準と各国標準」 :http://takagikenziro.blog.fc2.com/blog-entry-151.html
 で述べたように、成し遂げる方法はアメリカやヨーロッパなどと同じ標準に合わせていく=国際標準と、各国それぞれの標準がある=各国標準という2つに大きく分れます。

 高木は、昨年度の「講義録6-1 意図の問題 3つの倫理」http://takagikenziro.blog.fc2.com/blog-entry-122.html
で述べたように、技術者倫理では「本性」ではなく「意図」が大切だと考えます。「本性」は「そもそも心の中でどのような性質を持っているか」であり、「意図」は「他人に分かる形で示されたこと」です。少し引用してみます。

 「意図」の問題に入ります。

 その前に、講義では出来ませんでしたが、そもそも「意図」とは何かを示しておきます。

「意図」は幅広くとっていて、人間の心です。当然、欲望や理性の両方を含み、その他、個人の考え、社会で認められた観念を肯定することなども含みます。特別、誰かの哲学者の意図ではなく、意思や意志などもほぼ含むのが「意図」です。

 ですから、社会全般にも、各個人の行動や心にも適応出来ます。

 その上で「意図」は、他人に分かる形で示されたこと、です。自分の頭の中で考えているだけで、口にも行動にも出なければ「意図」ではありません。

 私は、26歳くらいから突然、詩を書くようになりました。
 色々頭の中で想っていましたが、自分で言うのもなんですが、シャイな性格だったので口に出すことはありませんでした。詩を書いて、インターネット上の載せることは、「意図」です。
 西欧の哲学者は、この「意図」ではなく、人間がそもそも心の中でどのような性質を持っているか、などを問題にします。それは「意志」や「理性」や「本性」の問題です。外に出るかどうかはあまり問題ではありません。しかし、「意図」は外に出たものに限られます。

 「意図」にする理由は、技術者倫理の最終目標が、「初期事故予防と再発防止」という外に出る形、実際の具体的な世界での形を目標としているからです。対して倫理全般で問題になるのは、人間の「意志」や「理性」や「本性」という外の問題ではありません。例えば、

「人間は社会全体に行きわたる倫理を作ること、出来るのか?」

などの問いがあります。技術者倫理では

 「倫理を作った上で、実際に守らせることが出来るのか?」

という問いになります。
技術者倫理が倫理全体と違う点を示しています。具体的に言うと「公衆の福利」は実際に社会生活を安全、安心、経済的に豊かさであり、倫理全体の目標とは違うのです。倫理全体は「唯一神の御心に適った生活をするにはどうしたらいいか?」や「理性と欲望のバランスはどこで取れば良いか」などの目標の設定がされてきました。



 意図は、他人に分かる形で示されたこと、ですから、社会全員に分かる形で示される必要があります。世界中の国で倫理より狭い法律が各国によって異なります。倫理より広いマナーや気遣いも各国によって違います。

 法律と倫理ときづかいとマナーの広さについては、本年度「講義録2-2「倫理の立ち位置」とチャレンジャー事故
 :http://takagikenziro.blog.fc2.com/blog-entry-101.html)

 ですから、倫理が社会全員に分かる形で示される場合も各国で違ってくると考えます。ここで、教科書や西欧哲学や倫理が日本にそのまま通用するという国際標準を支持する考え方とは違ってきます。各国の文化や伝統、受け継がれてきた物語や宗教儀式などが違いますが、どのような形式でもどんな昔の方法でも理解できるとは、高木は考えません。

 では、日本で受け継がれてきた「私心(わたくしごころ)」<「公共心(おおやけとともにあるこころ)」はどのようなものがあるのか、を示す必要が出てきます。

 有名なものは、日本では武士道です。
 信長や秀吉の時代、ヨーロッパの宣教師が日本に来て驚いています。

「清潔でウソをつかず、尊敬の念を知っている。世界で一番の国であり、どうしてキリスト教がないのだろうか?」

 現在の日本も世界中から尊敬されているのは「清潔でウソをつかず、他人や他国への尊敬の念を知っている」という点があります。日本人が日露戦争から大東亜戦争で、アジア・アフリカをヨーロッパ人の酷い支配から脱出させてやったんだぞ!と過去の栄光を自慢して、威張っていないからでしょう。500年経っても変わらない日本人の素晴らしさが受け継がれてきているのです。

 ちなみに、「ヨーロッパでは女が男の前を歩くことはないが、日本では女が男の前を歩き、財産も別々だ」なども驚いています。男女平等などとヨーロッパ人が19世紀になって成し遂げる500年以上前に日本では実質的な男女対等でした。どうして現在のように男女の差別があるのでしょうか。500年前は女性の方が優位だったのに。

 ヨーロッパ人は「どうして日本はキリスト教がないのに倫理を守るのか?」と疑問でした。

 この疑問に答えようと英語で「武士道」を紹介したのが新渡戸稲造です。「Bushido: The Soul of Japan」(『武士道』)は、国際社会=ヨーロッパ社会で大変好評で読まれ、新渡戸は国際連盟事務次長という大変高い地位を占めることになりました。

 日本の中で有名なのは、『葉隠(はがくれ)』です。
昨年度の講義録10-3から引用してみます。:http://takagikenziro.blog.fc2.com/blog-entry-40.html


 武士道は『葉隠』に以下のような言葉があります。

 「武士道とは死ぬことと見つけたり」

 この意味は「武士道は死ぬことだ」=「はらきりすることだ」ではありません。そういう風に残念ながら誤解された時期もありましたが、原文を読むと逆の意味だと分かります。「死ぬ」=「自分の利益を捨てること」です。生きていると、欲が出てきます。「今日は疲れたから学校に行きたくない。さぼりたい」や「まあ誰も見ていないからゴミを捨ててもいいじゃないか。今、この汚いの持っていたくないし」や「ウソをついても人をだましても自分が損をしなければいい」や「国民の安全なんてどうでもいい。自分の出世が脅かされなければ」というのが生きていれば誰でも思う事でしょう。私もこういう思いを持ちます。その中で「死ぬこと=自分の利益を捨てること」を説くのが武士道なのです。
 当時は大名に仕えるのが武士の役目でした。ですから適当に大名にお世辞をいう人がいました。それはお殿様に気に入られて「出世する=自分の利益」を目指す人が平和になったら出てきたのです。それを何とかしたい、という人が老人に聞きながら『葉隠』を書きました。この老人は山本常朝さんは一生懸命命がけでお殿様に仕える大切さを教えてくれます。それは

 「お殿様が正しい時は一生懸命仕えなさい。そしてお殿様も人間だから間違える時がある。その時も命をかけて間違いを指摘しなさい。」

 と言うのです。

 以上が引用です。
 そしてこの本が禁止されたり、読んではいけないと言われたのは敗戦によってでした。この内容がどうしていけないのでしょうか? 日本の強さが「武士道」にある、とアメリカが考えたからです。ちなみに、『葉隠』は、「あくびをばれないようにする方法=おでこをナデナデしなさい」とか「恋愛で悩んだらどうしたらいいか」なども載っている楽しい本です。

 さて、先ほどのお殿様への指摘は、まさに「私心(わたくしごころ)」<「公共心(おおやけとともにあるこころ)」です。

 お殿様の間違った判断で、お百姓さんも他の仲間の武士も困るのならば指摘しましょう、ということです。当然、「わたくしごころ」=自分の利益だけ考えれば損な役はしたくないものです。お殿様の機嫌が悪くなり出世も出来なくなり、下手をすると給料が無くなったり殺されることさえありました。そういう危険を冒したくない、と考えるのは当たり前です。と同時に、社会全員と共に私がいるということを忘れないようにしましょう、と言うのです。忘れないからこそ、間違った時は指摘しましょう、と言えるのです。続けて講義録10-3から引用します。


 福島原発事故の後、日本国民が自主的に募金運動や被災地に行ったりと色々な活動をしました。政府の対応は遅くて批判はされましたが、日本国民の多くは、自分の利益<公衆の福利という行動を行った訳です。テキストが禁止されてきたのにも関わらず、しっかりと伝わっていました。しかも、日本の小学校、中学校、高校では道徳、という時間が殆ど実行されていないのではないでしょうか。私の個人的な体験として道徳教育として、教育勅語や武士道を使って、自分の利益<公衆の福利、を教えてもらいませんでした。道徳の時間はあるのに、他の時間に使ったりつぶれたり、ロングホームルーム(LHR)と変わらない時間でした。アメリカも、フランスも、日本以外の先進国はきちんと教えられるのに、日本だけが教えられない。ですからある教育関係の人は

 「もう日本人はどんどん駄目になる。ゆとり教育などしているから日本人は劣化してしまって二流国から三流国に低下する。それが日本の運命だ」

 と道徳が全員にきちんと教えられないことを(私に言わせれば極端に)嘆(なげ)いておられました。
しかし、今回の福島原発以降の日本人の行動は「学校で教えられなくても日本人の心は生きていた」というのを証明しました。現在は「節電」が大きなテーマですが、これは被災地を救いたい、という願いから出発しました。吉村明著『三陸海岸大津波』にあるように震災後は現在よりもひどい有様でした。死体が野犬に食われ、被災地での窃盗で大きな家を建てた人がいたり、暴利をむさぼった商売をした人がいたり、一生狂ったままの人が放置されたりしていました。現在はこの状態よりも格段によい状態です(もちろん人が生活するには十分な環境ではありません)。

 原発の作業員の方々が20代から引退後の60代の人までが士気高くいられたこともその実例です。そしてどうしてか日本のTVや新聞では殆ど流れず、海外のメディアでは流れる自衛隊の人々の姿もその実例です。
 自衛隊の方々は、死体が埋まっている場所はブルドーザーなどの大型重機ではなく、軍手やスコップなどで掘り起こすそうです。それは自衛隊の方々は法律的には死んだら「物」になる死体ではなく、人の心が宿っている「遺体」として扱うからです。ご遺族と対面する時に「なるべく傷のない状態で面会して頂きたい」という心配りから、自らの手が傷ついたり疲れたりするのを引き受けて、軍手やスコップなどで遺体捜索をされるのです。私はこの自衛隊の方々、さらには福島原発事故発生時に最初に現場に入った自衛隊の方々の行動に、「自分の利益<公衆の福利」を観ます。そして広く日本国民が共有していることが最大の希望だと考えています。


 以上で引用終わります。

 日本人が受け継いできた倫理の形、そして現在まで受け継がれていることが見えてきます。この倫理の形を今後も大切にしていきたいものです。
 
 また、福島原発事故以来、日本国政府や歴代の政権、電力会社や原子力安全・保安院、原子力委員会、原子力安全委員会に対する怒りや不満なども、日本人が倫理の形をきちっと持っているから生まれたのではないでしょうか。国会事故調や政府の事故調査委員会などの報告書にも、その倫理の形がきちっと見えている、と高木は考えます。そこに希望もあるのだ、と。その希望を絶やさずに広めていきたい、と考えます。その志の通りの講義が出来たかどうか、良く分りません。学生の皆さんが今後の人生の中で、あるいはこの長たらしい拙(つたな)いブログをお読み下さった読者の皆様のお心の中で答えが出るのでしょう。

 「民のかまど」

 「かまど」とは火で食べ物を煮る装置です。昔は薪(まき)に火をつけてご飯やおかずを作りました。今はガスコンロで、パチンとひねれば料理できます。昔は料理をする時に薪を燃やしますから、当然、煙が出ます。ある時、当時の天皇陛下である仁徳天皇は(昭和天皇の「昭和」は亡くなられた後につく言葉なので、現在の天皇陛下は「今上(きんじょう)陛下」と呼びますが、これは近代以降の習慣です。補足しておきます)、民の家をみていました。夕飯の時間になっても、家から煙が出てきません。不思議に思った天皇陛下は

 「民が貧しいから食べるものが無いからだ」

と気がつかれました。

 「都でそうなのだから全国はもっと貧しいに違いない」

と3年間の税金を取らないことにしました。気候も順調で3年後に「民のかまど」から煙が出るようになりました。そこで、天皇陛下は、

 「私は豊かになった」

 と仰られました。皇后陛下は

 「住んでいる皇居の壁は崩れ、雨漏りもしている。着物もボロボロですし、食事のおかずも3品から1品に減りました。どうして豊かになったのですか?」

 と問われました。天皇陛下は、

 「民が豊かになったのだから、私が豊かになったのだ。」

 とお答えになりました。そこで3年間で豊かになった民が

 「皇居の修理などに税金を取って下さい」

 と申し出ましたが、天皇陛下は「まだです」と仰られ、さらに3年間、合わせて6年間の無税としました。そしてやっと税を戻されたのです。また、民は誰に命令された訳でもないのに皇居の壁の修理や、雨漏りの修理などを行いました。

 以上が「民のかまど」という物語です。

 さらに、仁徳天皇は16代目の天皇陛下ですが、初代の神武天皇から、民のことを「おおみたから」と呼んできたそうです(出典は下に)。ですから、民が宝である、民が豊かになれば嬉しい、という考え方が日本の出発からあったのです。そして現在まで続いてきています。ここに日本人の倫理の出発点があります。

 「民のかまど」は『古事記』に乗っています。『古事記』は平成24年で編纂(へんさん)されて1300年が経ちました。編纂される前は、ギリシャ神話の『ホメロス』などと同じように口伝えで伝えられてきましたから、1000年、2000年くらい前からあったかもしれません。時代は特定できませんが、ずーっと伝えられてきた物語が「民のかまど」なのです。もちろん、他にも「いなばの黒うさぎ」や「山幸彦海幸彦(やまさちひことうみさちひこ)」や「ヤマタノオロチ」や「日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征」などがあります。ちなみに、静岡市近くにある「焼津」や「草薙(くさなぎ)」などは、『古事記』の神話から名づけられました。

 さて、「民のかまど」にみられる考え方を学生の皆さんに聞いてみました。中々答えが出ませんでした。まず、基本的な考え方を抜き出してみましょう。

 王様(おおきみ=天皇陛下)よりも民を大切にする、という考え方です。

 「民を、主人公として大切にする考え方」です。

 「民」を「主」人公として大切にする「考え方(=主義)」です。

 「民」「主」「主義」です。

 つまり、

 民主主義です。

 技術者倫理に引き寄せてみましょう。

 「私心」<「公共心」 =「公衆の福利」:社会全体の幸福、安全、安心、経済性を大切にする

 というのがはっきり判ります。つまり、

○「公衆の福利」=国民全員の幸福や経済性を大切にする=日本の民主主義の出発点=「民のかまど」

 ということが分かります。

 仁徳天皇の御在位は約1600年弱前ですから、1600年の民主主義の伝統が日本にはあることになります。神武天皇の時からの民の呼び名や『古事記』の中に出てくる他の民の扱い方を見ると、時々そうでない時もありますが、日本の民主主義は2672年の伝統があることになります。日本の暦では、平成24年ですが、通算は皇紀2672年です。キリスト教の通算の暦で2012年、次に使われているムスリムのヒジュラ暦で1433年です。ヒジュラ暦は太陰暦なので多少ずれます。この皇紀は、「神武天皇即位紀元」と言われていましたが、敗戦後に使わなくなりました。現在は、「紀元前」といえば、BC=Before Christ=キリスト誕生以前になりました。通算の暦をキリスト教を使いながら、平成という今上陛下の暦を併用しています。これも敗戦の影響でしょう。ただ、それであっても日本人の倫理の出発点はずっと私たちの中に残っているのです。東日本大震災の希望の1面です。それでは、日本人の民主主義とは違う民主主義を見ていきましょう。ヨーロッパには大きく2つの民主主義の源流があり1つがキリスト教、もう1つが古代ギリシャの民主主義です。

 古代ギリシャの民主主義は、5倍以上の奴隷に支えられた市民の上に成り立つ民主主義でした。歴史としては日本よりも古く文字に残されてきた、別の民主主義です。現在、アメリカが教えてくれる民主主義を学校で習いますが、民主主義の原理は「多数決」などではないでしょうか。しかし、日本の伝統的な民主主義は「民を大切にする人がいて、その人の下に全員対等である」という民主主義です。

 ギリシャの民主主義が紆余曲折を経て、西ヨーロッパで復活した、と言われるフランス革命は、250年くらいの伝統があります。その前は「パンがなければケーキを食べればいい」と発言したことで知られるマリーアントワネットのように民衆が飢えていても全く関心が無い、という民主主義なのです。これは古代ギリシャが、奴隷制の上に成り立っているのと共通していますし、現在のフランス、イギリス、アメリカ、ドイツなどの受け継いだ国々に、奴隷同然の階級がいることでも分かります。パリやロンドンでは街の清掃をする人の人種や国籍が殆ど固定されています。それ以上に出世することは絶望的な位難しいのです。この点が同じ民主主義であっても全く別の点です。

 技術者倫理から観てみると、古代ギリシャの民主主義は

 「私心」<「一部の人々のための利益優先」

 を含んでいるのです。この点は決定的な違い、と高木は考えます。もちろん、その後に時代を経て、20世紀になって「社会全体の利益優先」に理論上はなっていきます。しかし、実態は、

・講義録5-2 アメリカの医療とインフォームドコンセント
http://takagikenziro.blog.fc2.com/blog-entry-118.html
・関連エッセイ 「義務」の限界 民主主義と日本の伝統
http://takagikenziro.blog.fc2.com/blog-entry-134.html

 でアメリカとヨーロッパの一部の現状を述べたように厳しいのではないでしょうか。アメリカ合州国(合衆国は見事な誤訳と考えます)内部の医療差別、人種差別、宗教差別など、ヨーロッパ各国にある移民差別、宗教差別、階層差別などは、「一部の人々のための利益」が全体の利益と考えている証左です。

 また、ギリシャの民主主義の伝統が明治時代に伝わってきた時、日本は直ぐに明治天皇陛下を中心とした民主主義国家の体制(民主制)に移行し、奇跡的な大成功をおさめます。隣の朝鮮半島にあった李氏朝鮮やその後の大韓帝国、支那大陸にあった清朝や中華民国は民主制に移行しませんでした。また、21世紀の現在でも、制度は民主制でも、実態は独裁体制である国が世界中に溢れています。数え方に寄りますが、アフリカやアラブの部族的国家な度を含めると半分以上は、独裁体制です。隣国で思い浮かぶのは、北朝鮮、ロシア、中華人民共和国などです。北朝鮮の正式名称は「朝鮮民主主義人民共和国」と言いますが、金一族の独裁体制であることは疑いようがありません。ここは推論ですが、日本の民主主義の方が「公衆の福利」に含まれる範囲が広かったので、フランス革命の民主主義を容易に吸収できたと考えます。対して他の国々は「公衆の福利」に含まれる範囲が狭かったので取り入れることが難しかったのではないでしょうか。現在、世界の多くの国が形だけは民主制を取り入れていますが、その範囲が狭いので、実質的には独裁制に近くなっているのです。

 ヨーロッパに戻りましょう。フランス革命で行われた「人権宣言」には女性が含まれていなかったことは有名ですが、日本では江戸時代、実態として男女対等がありました。武家社会では儒教の浸透で男尊女卑が言われるようになる側面もあります。ただし、儒教も伊藤仁斎のように日本化していったのも見逃せません。
 男女対等ではなく女尊男卑の制度が整ったのも江戸時代です。商家の養子制度では女性の財産権が優位に認められ、伝統芸能を女系で保つなど女性優位がはっきりと見られる分野がありました。これを明治期に来たヨーロッパ人は「世界で一番女性の地位が高いのは日本だ」などと表現しました。しかし、日本では男女対等であって、女性の地位が男性と比較されることさえありませんでした。これは『古事記』を見るとはっきりします。

 『聖書』  神様=男 人間=男 女は男性の一部で作られた

 『古事記』 最高の神様=女(天照大神)、最初に出てきた人間=女性 女性と男性はセットで1つ

なのです。詳しくは色々な本に書いてありますが、高木は現在以下を読んでいます。読みやすいのでお薦めです。

『古事記神話入門 -日本人の心の底に眠る秘宝を探る-』 伊藤八郎 光明思想社 1800円(1714円+税)

 このように、民主主義の伝統を古くから持ってきたからこそ、僅かな期間で体制移行もでき、実態もそうなったのです。
 この「民のかまど」を知っていた学生は、249名中2名でした。アメリカが日本を支配した中で、「教えてはいけない」となったのです。しかし、ギリシャで古代ギリシャ神話を教えてはいけないでしょうか? ギリシャはペルシャ、オスマントルコなど支配を日本より長く受けてきました。インドは英国に支配されましたが、古い物語は現在も禁止でしょうか? 独立したのは日本とあまり変わらない時期です。敗戦後の日本人が、私を含めて、これらを見ないようにしてきたからでしょう。敗戦前まで教えられてきた「民のかまど」の話は、小学校でも中学校でも教えられていません。ですから、今後改善できるのですから、そこにも日本の新しい可能性、強くなる日本の可能性がある、と言えるのではないでしょうか。「頑張ろう日本」というフレーズをTVや新聞、街中を行く人のTシャツなどで見るたびに思います。いじめや自殺の問題も根本の1つはここにあると高木は考えています。

 さて、ここで問いを出しました。 

パターン①
 問2 世界で一番大きいお墓はどこの国にありますか?

パターン②
 問2 日本人の倫理の根本は何ですか?

 パターン①の正解は日本です。先ほど出てきた「仁徳天皇のお墓」=「仁徳天皇陵」です。しかし敗戦後に「学術的ではない」などの理由で「大仙陵古墳」などの名称がつけられ混乱を極めています。物語は物語として大切なのです。ギリシャ神話の中にある「アポロン」という太陽の神様が実際にいたかどうか?などが古代ギリシャ神話の値打ちを損ねるでしょうか? そんなことはありません。その神話を信じて、「だから倫理を守ろう」という文化や民族の出発点になる所が大切なのです。

 仁徳天皇陵は、以下のHPの写真を参考にして下さい、土を掘って盛っただけのお墓です。技術も何も要らないのです。多くの人々が感謝の思いで手伝ったのでしょう。現代風の言葉で言えばボランティアです。

堺市 仁徳天皇陵古墳百科:http://www.city.sakai.lg.jp/hakubutu/ninhya.html

 対して、秦の始皇帝のお墓は、民衆を軍事力で集めました。1日でも遅れると、1人でも足りないと連れてきた役人も含めて全員が死刑になりました。ですから、役人も逃げ出しました。逃げる人が沢山になって山賊になりました。秦の始皇帝が死ぬとその山賊の中から次の皇帝、劉邦(りゅうほう)が出てきます。当時は、日本より秦の方が技術が進んでいますし、人口も格段に多かったのです。けれども、お墓の面積は仁徳天皇の方が大きい。それは嫌々やらされるより、感謝の心でやる方が成果が大きい、という一例かもしれません。

 「高き屋にのぼりて見れば煙(けぶり)立つ民のかまどはにぎはひにけり」

 声を出すと意味が分かる、ので是非ともお詠(よ)み下さい。新古今集にある仁徳天皇の御製です。


 以上で「民のかまど」を終わります。

 次に、現在日本にある「民のかまど」の精神を紹介します。

 明治維新を成し遂げられ日本を欧米の侵略の危機から救われた明治天皇は、その御遺徳を日本国民が想い、数十万人が参加して「明治神宮」を作りました。「明治神宮」は後数十年で、人間の手から離れて完全リサイクルが出来るようになるそうです。ですから、全ての落ち葉を土に返すそうです。お正月に日本人が最も参詣する神社である理由が分かるようです。
明治新宮-自然・見どころ:http://www.meijijingu.or.jp/midokoro/index.html
 
 昭和天皇は、敗戦後、アメリカ代表のマッカーサーと会談した時、「私の命よりも苦しんでいる民をいたわって欲しい」と述べられました。そしてその後、昭和天皇は、悲しいことに沖縄県は返還されていなかったので行けませんでしたが、日本全国を御自身で回られて「民の苦しみ」をいたわられたのです。「昭和天皇の御巡幸」は数年に及び、数万キロ、数十万人に逢われました。昭和天皇は、マッカーサーに逢われた時、まず最初に

 「私がどのような責任も負いますし、どのような処分も受けます」
 
 と言われました。そして

 「罪なき8000万人の民をいたわりたい」

 と言われたのです。つまり、陛下御自身としては明確に反対であった戦争であったが責任は私にある、と言われたのです。アメリカ軍を始め多くのヨーロッパの国々は、天皇陛下の御巡幸で、陛下が害されると予想していたようです。しかし、日本国民は全くそのようなことがありませんでした。民衆のデモで倒れたエジプトのムバラク元大統領は、1日4億円以上のお金を貯めて、10兆円以上の私腹を肥やしました。ムバラクがエジプトを回っていたらどうでしょうか? しかも敗戦後です。それは日本国民(もちろん、その後、朝鮮国籍や台湾国籍などに戻ってしまった日本国民も含めて)が「私心」で戦争を始めたことがないことを知っていたからでしょう。

 現在の天皇陛下、今上天皇陛下は、「被災地に赴いて人々と気持ちを分かち合いたい。が復興の邪魔をしないようにもしたい」と大地震発生後、直ぐに言われていたそうです。さらに、被災者に御用邸を解放され、被災者へのプレゼントを御自身で考えられたこと(公式には表明されていません)などとも共通します。そしてビデオでのお見舞いをなさりました。また、やっと日程の調整などが付き、被災者と逢われた時、膝をつき1人1人とお話しされました。「私が偉くてお前は下なんだ」という心持ならば、被災者と同じ視線になることなどありません。残念ながら、菅首相を始めとして閣僚の人々は最初、自分は立ったまま被災者と話をしました。節電が必要になると、自ら進んで東京の皇居を始められました。「国民が苦しんでいる時に分かち合いたい」という「民のかまど」の精神が現在まで脈々と続いているのです。
 高木は大学院時代、ある別の大学院のゼミにご厚意で参加させてもらっていました。その先生は、科学哲学の第一人者で天皇陛下から表彰を受けるため東京の皇居に行きました。行く前は「服装が面倒くさい」とか何とか言っていましたが、陛下にお会いになった後、絶賛されていました。

 「今までそんなに気にしていなかったし、右翼とか左翼とかじゃなくて、凄いんだよ。というのも哲学の深い部分まで理解して質問された。もちろん、レクチャーする人がいるのだろうけれど、凄い勉強力だよ。しかも、他に数人別の哲学分野の先生にも同じだったよ」

 と言っていました。春の園遊会などでも同じようにどのような人が来られるのか、どのような顔なのかも覚えられるのでしょう。それも全員です。お逢いになる1人1人を分け隔てなく尊重され、そのために予習をされている。なんというご努力でしょうか。どれだけご努力されているのでしょうか。怠け者の高木には決してできませんし、通常の日本国民でもこれほどの努力を常に行い続けることは難しいのではないでしょうか。私はこの道に進んでいますが、科学哲学の第一人者の先生をうならせる質問が出来るとは思えません。それが1日に何人も、年間何十人も、お会いになる人は数百人、数千人になるのでしょうか。しかも、その中には、不勉強で「天皇は形だけ」とか「天皇は戦争につながる」などと言う人もいます。繰り返しますが、歴史的事実を踏まえないこのような発言に対して、怒りあらわにし、説教を垂れることなく笑顔で包み込んで来られたのです。何という広いお心でしょうか。それは民を主人公を考えるから出来るのではないでしょうか。

 昨年も、福島原発事故の後も避難所にどのような人がいるのかを事前に出来る限り勉強されていかれるそうです。そのような行為を誰にも誇らずに、70歳を優に越え、入院を繰り返す中でその努力を繰り返されてきました。もう言葉を続けられなくなると感じます。

 別の例に行きましょう。
 
 私は、ある時期、京都大学の哲学サークルに参加していました。その帰り、何気なく御所(京都御所)に行ってみたのです。実は、御所の北東の方角が欠けているのは本当かな?と思って行ってみたのです。本当に欠けていました。これは全てが満ちると後は落ちるだけなので、完璧の1歩手前が最も良い、という思想による、と教えてもらったからです。この御所について後から別の話を聞きました。

 「御所の壁が低いのは民衆に殺される心配が無いからである。日本の天皇は民衆のために生きているから殺される心配が無く、そして実際、歴史上民衆に殺された天皇はいない」

 これは動画でも紹介した青山繁晴氏の動画にあった話です。「ヨーロッパの王様や貴族が大きな城に住むのは民衆に殺される心配があるからだ」とも述べていました。確かに日本でも大名の住む城は堀や塀が高いです。しかし、御所は2人で肩車をすれば中に入れるほどの低さでした。そして貴族や同じ天皇家の中での殺し合いはありましたが、民衆に殺された天皇は歴史上いませんでした。貴族や天皇家の中の殺し合いも、権力を手放した鎌倉以降はなくなっていきます。

 以上が「民のかまど」が現在まで生きている事例です。

 さて、技術者倫理に立ちかえり、講義録を締めたいと思います。

  「自分の利益」<「公衆の利益」 =「公衆の福利」は、日本の伝統的な精神の中にあるのです。

 ですから、技術者倫理で大切な、事故予防や再発防止を目指す時、この日本の伝統的な精神を踏まえることが大切だと考えます。

 倫理は、空理空論で行えるものではないと私は考えます。
 ヨーロッパの倫理をそのまま日本に持ってくることは出来ない、と考えます。倫理はそもそも宗教に根源を持つからです。「人間はどうして存在するか(宗教)」を説明できなくて、「人間はどのように行動すべきか(倫理)」を説明できないと考えるからです。

 ですから、日本人の持っている情緒や無意識の中にある「人間はどうして存在するか」の答えと繋がった「人間はどのように行動すべきか(倫理)」が大切だと考えます。そうでなければ実際には個人的利益の殆どない内部告発などを行えないのです。ヨーロッパの人々はキリスト教的精神があります。日本にも伝統的精神があります。それぞれ尊く、それぞれ素晴らしい点があると考えます。

 現在、伝統的精神が学校教育の中で伝えられていません。しかし、日本人が受け継いでいることを福島原発事故、その後の対応で見ることが出来ました。私はそこを「最大の希望」と表現しました。

 福島原発事故後に見えた最大の希望は、普通の日本人がこの「私心」<「公共心」を示したことでした。ごく普通の日本人が「武士道」の「武士道とは死ぬことと見つけたり」を実践した例として、中国人留学生を助けるためにわざわざ戻って亡くなった方など多くの例があります。その中で、南三陸町の遠藤未希さんと上司の三浦毅さんは、「津波が来ています。高台に避難して下さい」と防災放送を最後まで続けられました。最後、というのは自分の身を顧みなかったからです。後に遠藤さんは沖合で発見され、婚約者と家族と対面されました。

 余談になりますが、このお話をブログにどうしても書けませんでした。昨年8月末に南三陸町の防災庁舎にお参りをして、辺りで一番信仰されている八幡神社にお参りをしてきました。このブログに「南三陸町旅行記 自然と心の問題」
http://takagikenziro.blog.fc2.com/blog-entry-76.html
として掲載してあります。お参りしてくるまで、このブログに文字として打つことに心理的な抵抗を感じていました。今も感じていますが手を合わせて書くことにしています。余話を終わります。

 このように普通の日本人が「武士道」という伝統的な精神を受け継いでいます。日本の戦後教育はアメリカ支配という冷戦構造から、この伝統的な精神を学校で教えていません。現在でもこのような精神に対する反発があります。そしてこの反発は政治的な問題と化しています。私は敗戦後60年以上が過ぎ、政治的な問題が徐々に解消されている流れにあると感じています。これは例えば古代の天皇の絶対王政が定着するのに6,70年掛かり、鎌倉政権や徳川政権が定着するのにも6,70年掛かったことを考えると、自然な流れだと考えています。
 そうした政治的な紆余曲折の中でも、「武士道」に見られる伝統的な精神が失われなかった点を重視して考えてみます。その精神は、仁徳天皇の「民のかまど」の話の本質と重なってきます。ですから、技術者倫理を考える時、その出発点として、日本人が伝統的に大切にしてきた考え方を、良く知って今後も大切にしていきましょう、と考えます。

 具体例は、占部賢志著『歴史の「いのち」』の「「ショパンの国ポーランドと大正日本 ●名もなき日本人たちによる孤児救出の物語」 158-169頁を引用します。占部先生の名文を是非ともお読み下さい。拙い本講義録では伝えきれない感動があります。
 ここでのポイントは、「公共心>私心」です。大正時代の日本人が、まさにその具体例となれた高潔さを知って欲しいのです。私達の身の回りにいる普通の日本人が、普段はぐちゃぐちゃしているのにも関わらず、公共心を発揮したことに驚きを覚えると共に、誇りを感じます。そして、これは東日本大震災でも起こりました。私達の身の回りンいいる普通の日本人が高潔な行動を起こしたのです。
 技術者倫理の目的である初期事故予防と再発防止に届くためには、組織的要因や技術的要因を勘案しながら、同時に日本人の伝統的な心を知ることが大切である、と高木は考えています。

 「ショパンの国ポーランドと大正日本 ●名もなき日本人たちによる孤児救出の物語」を要約します。

 阪神・淡路大震災で傷ついた子供達をポーランドの方々は招いてくれました。東日本大震災の時も招いてくれました。それは75年(90年)前の思い出を忘れなかったからです。

 75年前の思い出とは、ポーランドが国土を失い独立運動を続けた人々がシベリアに流刑されていた時に起こりました。ヴェルサイユ条約で独立を回復した後、シベリアの人々はソ連との戦争で母国に帰国出来ませんでした。シベリアからシベリア鉄道を使用して戻れず、食料なく手助け無くバタバタと死んでいく中、国家として独立してないポーランド人を助ける国、人々はありませんでした。なぜなら、国家間の援助ではなく、またポーランド人が弱く手助けをしても見返りが求められないからです。つまり、ポーランド人を助けることは、当時の国益に沿わない行動だったのです。
 しかし、大正日本だけがポーランド人の孤児たちを救います。救済決定から2週間で56名を東京に届け、3年間で計765名を救いました。当時新設されたばかりの看護施設を開放するなど、孤児達に手を差し伸べます。腸チフスは当時も死病で、現在でも年間20万~60万人が亡くなっています。その腸チフスで衰弱した子供の看護に当たった看護婦がついに感染し殉職しています。
 その看護婦は、「今日は労働時間分、働いたから疲れたから帰る」と考えませんでした。目の前で苦しんでいる、見ず知らずの子供に憐れみを感じ、就業時間後、その死病に取りつかれた子供を抱きかかえて一緒にベッドの上で寝たのです。そうやって全身全霊を掛けて苦しむ子供をいつくしみました。朝から晩まで子供のことを考えたのです。

 「給料分働いたから」、「辛く大変な仕事」、「苦しい」という思いは誰にでもあります。しかし、この名もなき看護婦は、「憐れみ」から一切を投げ捨てたのです。「公共心(みなと共にある心)>私心(わたくしごころ)」を示したのです。

 これは1人の行為だけではありませんでした。国益に反する行為であっても高潔な行動をした日本赤十字社と帝国陸軍、他の一般の臣民(国民)が沢山慰問に訪れました。無料で理髪、歯科治療、音楽会、寄贈金申し出などなどです。さらに、子供達は自分の身につけている最も大切なものを孤児達に分け与えたのです。これらは1人2人ではなかった、と書きしるしてあります。

 さらに、日本を代表して皇后陛下(貞名(ていめい)皇后)が日本赤十字社に行啓(ぎょうけい)され、奉迎(ほうげい)する児童と親しく接見し、お言葉をたまわり、いくども頭を愛撫されました。

 天皇皇后両陛下は日本人の正統性を司る御存在ですから、日本人全員の気持ちを代表されています。そしてこの行為は、殉職した看護婦と同様の行為でした。つまり、腸チフスなど死病に掛かる可能性を考慮されずに、孤児の頭をなでられたのです。それは「私の肉体の安全や安心だけを考えていては決してできない行為」なのです。ですから、技術者倫理の高潔さを体現されており、そしてそれは日本人全員の気持ちである、という意味があるのです。

 孤児達は、父となり母となった大正日本と離れがたく祖国への船に乗るのを嫌がったそうです。見送る日本人に孤児達は、国家「君が代」を斉唱しました。君が代の意味を真に理解してくれたのでしょう。君が代の意味に行く前に皇室について書いておきます。

 日本国は、皇室の治(し)らす国です。

治(し)らす:権力者ではなく正統性を現すこと=摂関政治、鎌倉幕府、江戸幕府、明治政府が権力者、その権力機構に正統性を与える存在を意味する。また、知らす=民のことを知る=想いやるの意味もあります。

 ですから、君が代の「君が代は」は、この皇室を戴いている日本の時代は、の意味になります。誤解の非常に多い語句です。皇后陛下がポーランドの孤児達を想いやられ、日本人を体現して慈愛の心を現されたこと、そのものです。

「千代に八千代に」は末永く、

「さざれ石の巌(いわお)となりて」は、1つ1つバラバラの石が石灰分で1つになった石をさざれ石と言いますから、1人1人、あるいは集団によって違うけれども、その違うままで一緒になって=和、堅く一体となり=巌、という意味です。
つまり、女も男も違うのは当たり前、あなたも私も違うのは当たり前、けれども一緒に仲良くしましょう、という意味です。

「苔のむすまで」は、新しい生命がでてくるまで。つまり、バラバラの人々が仲良くすると新しいものが出てくるよ。

 この歌は、1000年以上前の古今和歌集の歌で、誰が詠んだか判らない歌です。明治まで結婚式などお祝いの時に民が歌ってきたので、国歌としたのです。歌詞をもう1回見てみてください。

 結婚して男女は違うけれど仲良くして新しい命を授かりましょう。という意味が込められているのが解るでしょう。

 今日は新しい出発である。前を向いて歩いて行こう!というお祝いの歌だったのです。もちろん、残念ながら敗戦後には学者を始めとして歪曲してしまいました。60年以上続いています。政治的な意図は社会に置いておいて学問としてはきちんとした事実を伝えていく必要があると思います。

 この歌をポーランドの孤児達が、祖国へ出発する船の中で歌ってくれたのです。

 彼らの新しい出発に相応しい歌です。
 75年を経ても高尚なポーランド人は、大正日本人を忘れずに阪神・淡路大震災の時、東日本大震災の時に傷ついた子供達を招いてくれたのです。私達日本人も、このポーランド人の高尚な想いを忘れないようにしたいものです。

「君が代は」: 皇室を戴く国に生きる私達の時代が
「千代に八千代に」:末永く続きますように。

「さざれ石の巌(いわお)となりて」:女も男も違うのは当たり前、あなたも私も違うのは当たり前、けれども一緒に仲良くしましょう
「苔のむすまで」:そして新しい生命がでてくるまで。

 意味を高木が訳します。

「1人1人違うけれど皆で仲良く、今日は新しい出発としましょう。」

 この歌は、1000年以上前の古今和歌集の歌で、誰が詠んだか判らない歌です。明治まで結婚式などお祝いの時に民が歌ってきたので、国歌としたのです。歌詞をもう1回見てみてください。

 結婚して男女は違うけれど仲良くして新しい命を授かりましょう。という意味が込められているのが解るでしょう。

 さらに、他国の国歌と比較してみましょう。(株)ワニマガジン社刊 『世界の国歌』を抜粋し補足を入れました。

☆英国

 神が私達の慈悲深い女王を守らんことを願う
 神が高貴な女王を長生きさせることを願う
 神が女王をお守り下ることを願う
 女王に勝利を送れ、幸福で栄光を与え
 末永く私達の上の統治へ、神が女王を守らんことを願う!
 おお主なる神よ、立ちあがれ私達の敵を追い散らし、彼らを倒せ!
 彼らの悪辣(あくらつ)な企みを失敗させ、彼らの政治を混乱させたまえ!
 あなたの上に私達の希望を私達は据(す)える 神が女王を守らんことを!

考察:まず、全知全能のキリスト教の神への願い、という点に留意して欲しいです。国歌の前提として神が存在しているのです。次に、この国歌の意味は女王礼賛、エリザベス女王万歳!です。日本の国歌の中には皇室の権力を肯定する言葉はありませんでしたが、イギリスの国歌は女王の権力の肯定そのものです。さらに敵を倒せ!という敵を前提としています。日本のように「仲良くしましょう」ではないのです。以下の①~③は日本の国歌にはありません。
 要点は、①キリスト教の神の肯定 ②女王万歳と権力の肯定 ③敵を攻撃


☆アメリカ

 おお、あなたは見ることが出来るだろうか、夜明けの日によって、
 あんなにも誇らしく、私達が黄昏の最後の輝きで歓呼して迎えたもの(星条旗)を?
 広い縞(しま)と明るい星(星条旗)が、危険な戦いを通して、私達が見る城壁の向こうに、
 あんなにも雄々しく翻(ひるがえ)っていたの(を見ることができるだろう)か?
 (中略)
 彼ら(敵)の血は彼らの不潔な足跡の汚れを洗い流した。
 避難所は彼らの雇われ人と奴隷を助けられなかった。

考察:戦いに勝ったぞ!という歌です。星条旗万歳!そして敵をやっつけました。の意味です。(中略)の後の2行は「敵をやっつけたぞ、ざまあみろ!」の意味です。さらに重要なのは、白人は奴隷と傭兵を助ける必要がある、という意味です。つまり、国歌の中で奴隷制を認める発言をしているのです。どうしてこの国家は、人権侵害などで廃棄しないのでしょうか? 日本のように「時代に合わない」とか差別を助長するとか述べている人々はどのように解釈するのでしょうか。アメリカ礼賛の人々は、この国歌の意味を知らないのでしょうか。要点です。
 ①戦争で勝利! ②星条旗万歳! ③奴隷制が書かれている

☆フランス

 立ち上がれ、祖国の子供よ、栄光の日が来た。
 私達に対して、専制政治の血染めの旗が掲げられる。血染めの旗が掲げられる。
 聴け! 野原で! 獰猛な兵士達が叫ぶのを!
 彼ら(敵)が私達の腕の中までやってくる
 私達の息子達と配偶者達の喉を切るために

 部隊へ進め、市民達よ! あなたたちの大部隊を形づくれ!
 行進だ! 行進だ! 不潔な血が私達の溝(みぞ)を潤(うるお)さんことを!

考察:ここでも戦争をするぞ!というのが国歌で歌われている。フランスは対外的に戦争が下手だったせいか、やや国内戦争的である。そして敵は専制政治=王制などとしている点は時代が感じられる。最後の「不潔な血が私達の溝を潤さんことを」はアメリカ国歌の「彼らの血は彼らの不潔な足跡の汚れを洗い流した」に共通する点がある。敵の血を沢山流すことを喜ぶという点である。
 ①戦争での勝利! ②国民の戦争参加呼びかけ ③敵を殺すことを喜ぶ

 イングランドが約1000年、アメリカは約150年(あるいは300年弱)、フランス約140年(王制打倒から約220年)の全てが戦争によって樹立された政権である。それゆえ、国家にとって戦争の鼓舞、礼賛が必要であった。日本は建国2673年、建国時に戦争は行われていない、という奇跡がある。しかも、国歌は民がお祝いの時に歌い続けてきた歌を採用する、という極めて異例な事例なのである。戦争賛美がない国家も珍しい。最後に中華人民共和国を見てみよう。

☆中華人民共和国

 立ち上がれ! 奴隷になりたくない人々よ!
 われたの血と肉でもって築こう、われらの新しい長城を!
 中華民族は、最大の危機に直面し、一人一人が最後の雄たけびをあげる時だ。
 起て! 起て! 起て! われら皆の心を1つにして、
 敵の砲火をついて前進しよう! 敵の砲火をついて前進しよう! 前へ! 前へ! 前へ!

考察:「奴隷になりたくない人々よ」とは同時の支那人が西欧諸国に奴隷化させられていたことを伺わせる。欧米の国家には「奴隷になりたくない人々よ」との台詞はない。細かい点だが建国当時がしのばれる。戦争で戦おう!という鼓舞の歌であることは言うまでもない。この点は欧米と共通する。また、国歌は中華民族のための歌である。満州民族や朝鮮民族などが入るのかどうかは疑問を持った。この点は民族という視点での切り取であり、民族主義の肯定の視線が読み取れる。
 ①奴隷からの脱出 ②戦争での鼓舞 ③民族主義の肯定視点

 以上が各国の国家の意味です。他の国家の意味をお知りになりたい方は、(株)ワニマガジン社刊 『世界の国歌』をどうぞ。講義では、オーストラリア連邦の国家も説明しました。


 国旗の意味

 国旗「日の丸(日章旗)」の意味を探って行きます。その前に歴史的事実を。「日の丸」が国旗になったのは、国歌と同じく明治時代です。源平合戦で那須与一が「日の丸」の描いてあった扇を弓で射たのは有名ですが、いつから使われていたのかは不明です。また、皇室の旗は平安時代には金と銀の日輪でした。長く使われてきた「日の丸」ですが、意味は国歌と同じく幾つかの説明が併存します。

 まず、「日の丸」は天照大御神を象徴すると言われます。これは単に太陽である=「日の丸」である、という意味だけでは捉えられない意味があります。

 1つは天照大御神が、日本人の皇祖(こうそ)であるからです。つまり、日本人は元を辿(たど)れば同じだよ、という意識を意味づけている点です。よく「話し合えば理解できるよ」というのは日本人だけだ、と言われます。その意識を形成した物語が込められています。
 もう1つは、天照大御神が「白地に赤」で表記されている点です。世界を見渡せば太陽は、黄色や白で表記されることも多いのです。教え子のネパール人に直接聞きました。また、太陽を光を付けて表すことも多々あるのです。実際、お祝いの時に使う「旭日旗(きょくじつき)」は、太陽から光が出ています。漁師さんが大漁の時などに使います。こうして観ると、国旗の意味を考えるには、以下の3点が重要になってきます。

①白地の意味
②赤の意味
③丸の意味

①白地の意味
 白は清き心、あるいは晴れの心を現すと言われます。お正月の時など、お祝いごとや大切な晴れの行事に白を使うのを想い浮かべてください。晴れ晴れとした澄み渡る心を意味しているのです。

②赤の意味
 赤は、明(あか)き心を意味すると考えます。『古事記』に、天照大御神と須佐之男命の「うけひ(受日)」の場面が出て来ます。須佐之男命が姉の天照大御神に「私は穢(けが)れた心がありませんよ」と示すために、新しい神を産んで示す「うけひ」をしたのです。その後で、「清き明(あか)き心」がある、との記述が出て来ます。つまり、
 赤とは、心の底から穢れ無き心を意味するのではないでしょうか。

③丸の意味
 丸、とは「角が立たない」という言葉がある通り、皆で違う点を強調して喧嘩をしない、という意味でしょう。これは聖徳太子に「和(やわらぎ)を以って貴しとなす」の意味に通じます。「丸く収める」という言葉もありました。英語やフランス語では「丸く収める」に「to bring a matter to an amicable settlement」と言うそうですが〈Weblio英和対訳辞書〉、これでは③丸の意味にはなりません。丸の形が平和を意味する、という前提がないのです。

 ①~③をまとめて見ると国旗の意味は

 「心の底から澄み切った真心で仲良くしましょう」

 という意味になります。
 私達が話し合いをする時、「相手の善意に期待する」というのは、国旗と国歌に込められた御先祖様の想いを素直に受け取っているからではないでしょうか。

 現在の日本が国際関係で根本的に躓(つまづ)くのは、「相手の善意に期待する」から、と言うのはよく言われる所です。御先祖様もさぞ苦労されたことでしょうが、それをも乗り越えて現在の日本があるのでしょう。この「相手の善意に期待する」が高潔な日本人の行動の原点にあることは、これまで述べてきた通りです。

最後は、「技術者倫理を成し遂げるために」のテーマに取り組みます。

 答えは、「日本の伝統文化を知り、誇りを持つこと」です。

 
 それでは、日本の伝統文化を「公衆の福利」=「公共心>私心」から切り取ってみていきます。すると、「公衆の福利」は皇室の伝統の中に見事に結実していることは判ります。

①民を「おおみたから(元元)」と呼び、大切にされた :「公衆の福利」の思想の出発点:神武天皇即位建都の詔

②「民のかまど」で民を大切にする政策を実行された :「公衆の福利」の行動の出発点:仁徳天皇の政策と御製

 ①と②はその後皇室の伝統の中で脈々と具体的行動として、思想として発揮されていきます。日本の伝統文化の中に「公衆の福利」が流れているのです。これらが民の中に行き渡り、ポーランドとの親交、トルコやロシア、支那や朝鮮などとの民の親交になっていきました。また、東日本大震災の日本国民の高潔な行動につながったのです。日本には誇るべき伝統があります。敗戦後で教えなくなったとはいえ、是非とも知っておいて欲しいのです。
 それでは、次に、①、②から続きを時系列で並べ直してみましょう。勉強不足で少しだけですが。

①神武天皇:民を「おおみたから(元元)」と呼び、大切にされた →日本の民主主義の思想の出発点
  ↓
②仁徳天皇:「民のかまど」で民を大切にする政策を実行された →日本の民主主義の行動の出発点(世界最大の墓となる)
  ↓
③(京都の)御所:肩車で乗り越えられる低い壁でも民衆に害されたことが1度もない →日本の民主主義の成果
  ↓
④権力と権威の分離 :藤原氏の摂関政治や鎌倉室町江戸などの幕府との権力との分離 →皇室の正統性(権威)へ
  ↓
⑤明治天皇:民が「議会の合議で決める制度」を支持された →(五箇条の)御誓文の「万機公論に決すべし」
  ↓
⑥明治神宮:仁徳天皇の御陵と同じく民の奉仕活動で作られる →皇室と民との結びつきの強さ
  ↓
⑦昭和天皇:大東亜戦争終結にご聖断が下る →民の苦しみを想い慣例を乗り越えられる (昭和天皇は日米開戦反対であった)
  ↓
⑧昭和天皇:自らのことではなく民の苦しみを取り計らわれるようにと →「おおたから」の思想である:マッカーサーとの最初の会談で
  ↓
⑨昭和天皇:民の苦しみを共にするため全国を回られる(巡幸:じゅんこう) →「民のかまど」の行動である:数万キロ数年も返還前の沖縄県以外全て :GHQは国民が天皇陛下を害されると考えていたが一切なく、万歳三唱であった。
  ↓
⑩今上陛下:民の苦しみを共にするため東北を回られる(巡幸) →「民のかまど」の行動である:平成25年7月22日には「住居制限区域」に入られました

 『葉隠』や『武士道』や二宮尊徳などにも結実します。

 ほんの少しだけですが、是非とも知っておいて欲しいのです。客観的事実を知り、その上で皆さんがどのように考えられるか、は自由です。客観的事実を知らせずに、嘘のレッテルを貼りイメージ操作を受けている現在の日本の状況では、学問を大切にしていない、と考えます。
 ただし、「二酸化炭素による地球温暖化説」や「原子力発電の経済性」や「自動車事故防止」などの技術と社会背景の関係の実例を挙げた時に述べたように、イメージ操作は何処でも何時でもありうることなのです。ですから、学問の意義を大切にしていきたいです。


 それでは、箇条書きを膨らませて書いて行きます。「民のかまど」は講義録15-3の繰り返しになります。

 日本人が受け継いできた倫理の形の出発点は、「民のかまど」という物語です。

 「民のかまど」

 「かまど」とは火で食べ物を煮る装置です。昔は薪(まき)に火をつけてご飯やおかずを作りました。今はガスコンロで、パチンとひねれば料理できます。昔は料理をする時に薪を燃やしますから、当然、煙が出ます。ある時、当時の天皇陛下である仁徳天皇は(昭和天皇の「昭和」は亡くなられた後につく言葉なので、現在の天皇陛下は「今上(きんじょう)陛下」と呼びますが、これは近代以降の習慣です。補足しておきます)、民の家をみていました。夕飯の時間になっても、家から煙が出てきません。不思議に思った天皇陛下は

 「民が貧しいから食べるものが無いからだ」

と気がつかれました。

 「都でそうなのだから全国はもっと貧しいに違いない」

と3年間の税金を取らないことにしました。気候も順調で3年後に「民のかまど」から煙が出るようになりました。そこで、天皇陛下は、

 「私は豊かになった」

 と仰られました。皇后陛下は

 「住んでいる皇居の壁は崩れ、雨漏りもしている。着物もボロボロですし、食事のおかずも3品から1品に減りました。どうして豊かになったのですか?」

 と問われました。天皇陛下は、

 「民が豊かになったのだから、私が豊かになったのだ。」

 とお答えになりました。そこで3年間で豊かになった民が

 「皇居の修理などに税金を取って下さい」

 と申し出ましたが、天皇陛下は「まだです」と仰られ、さらに3年間、合わせて6年間の無税としました。そしてやっと税を戻されたのです。また、民は誰に命令された訳でもないのに皇居の壁の修理や、雨漏りの修理などを行いました。

 以上が「民のかまど」という物語です。

 さらに、仁徳天皇は16代目の天皇陛下ですが、初代の神武天皇から、民のことを「おおみたから」と呼んできたそうです(出典は下に)。ですから、民が宝である、民が豊かになれば嬉しい、という考え方が日本の出発からあったのです。そして現在まで続いてきています。ここに日本人の倫理の出発点があります。

 「民のかまど」は『古事記』に乗っています。『古事記』は平成24年で編纂(へんさん)されて1300年が経ちました。編纂される前は、ギリシャ神話の『ホメロス』などと同じように口伝えで伝えられてきましたから、1000年、2000年くらい前からあったかもしれません。時代は特定できませんが、ずーっと伝えられてきた物語が「民のかまど」なのです。もちろん、他にも「いなばの黒うさぎ」や「山幸彦海幸彦(やまさちひことうみさちひこ)」や「ヤマタノオロチ」や「日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征」などがあります。ちなみに、静岡市近くにある「焼津」や「草薙(くさなぎ)」などは、『古事記』の神話から名づけられました。

 さて、「民のかまど」にみられる考え方を学生の皆さんに聞いてみました。中々答えが出ませんでした。まず、基本的な考え方を抜き出してみましょう。

 王様(おおきみ=天皇陛下)よりも民を大切にする、という考え方です。

 「民を、主人公として大切にする考え方」です。

 「民」を「主」人公として大切にする「考え方(=主義)」です。

 「民」「主」「主義」です。

 つまり、

 民主主義です。

 技術者倫理に引き寄せてみましょう。

 「私心」<「公共心」 =「公衆の福利」:社会全体の幸福、安全、安心、経済性を大切にする

 というのがはっきり判ります。つまり、

○「公衆の福利」=国民全員の幸福や経済性を大切にする=日本の民主主義の出発点=「民のかまど」

 ということが分かります。

 仁徳天皇の御在位は約1600年弱前ですから、1600年の民主主義の伝統が日本にはあることになります。神武天皇の時からの民の呼び名や『古事記』の中に出てくる他の民の扱い方を見ると、時々そうでない時もありますが、日本の民主主義は2672年の伝統があることになります。日本の暦では、平成24年ですが、通算は皇紀2672年です。キリスト教の通算の暦で2012年、次に使われているムスリムのヒジュラ暦で1433年です。ヒジュラ暦は太陰暦なので多少ずれます。この皇紀は、「神武天皇即位紀元」と言われていましたが、敗戦後に使わなくなりました。現在は、「紀元前」といえば、BC=Before Christ=キリスト誕生以前になりました。通算の暦をキリスト教を使いながら、平成という今上陛下の暦を併用しています。これも敗戦の影響でしょう。ただ、それであっても日本人の倫理の出発点はずっと私たちの中に残っているのです。東日本大震災の希望の1面です。それでは、日本人の民主主義とは違う民主主義を見ていきましょう。ヨーロッパには大きく2つの民主主義の源流があり1つがキリスト教、もう1つが古代ギリシャの民主主義です。

 古代ギリシャの民主主義は、5倍以上の奴隷に支えられた市民の上に成り立つ民主主義でした。歴史としては日本よりも古く文字に残されてきた、別の民主主義です。現在、アメリカが教えてくれる民主主義を学校で習いますが、民主主義の原理は「多数決」などではないでしょうか。しかし、日本の伝統的な民主主義は「民を大切にする人がいて、その人の下に全員対等である」という民主主義です。

 ギリシャの民主主義が紆余曲折を経て、西ヨーロッパで復活した、と言われるフランス革命は、250年くらいの伝統があります。その前は「パンがなければケーキを食べればいい」と発言したことで知られるマリーアントワネットのように民衆が飢えていても全く関心が無い、という民主主義なのです。これは古代ギリシャが、奴隷制の上に成り立っているのと共通していますし、現在のフランス、イギリス、アメリカ、ドイツなどの受け継いだ国々に、奴隷同然の階級がいることでも分かります。パリやロンドンでは街の清掃をする人の人種や国籍が殆ど固定されています。それ以上に出世することは絶望的な位難しいのです。この点が同じ民主主義であっても全く別の点です。

 技術者倫理から観てみると、古代ギリシャの民主主義は

 「私心」<「一部の人々のための利益優先」

 を含んでいるのです。この点は決定的な違い、と高木は考えます。もちろん、その後に時代を経て、20世紀になって「社会全体の利益優先」に理論上はなっていきます。しかし、実態は、

・講義録5-2 アメリカの医療とインフォームドコンセント
http://takagikenziro.blog.fc2.com/blog-entry-118.html
・関連エッセイ 「義務」の限界 民主主義と日本の伝統
http://takagikenziro.blog.fc2.com/blog-entry-134.html

 でアメリカとヨーロッパの一部の現状を述べたように厳しいのではないでしょうか。アメリカ合州国(合衆国は見事な誤訳と考えます)内部の医療差別、人種差別、宗教差別など、ヨーロッパ各国にある移民差別、宗教差別、階層差別などは、「一部の人々のための利益」が全体の利益と考えている証左です。

 また、ギリシャの民主主義の伝統が明治時代に伝わってきた時、日本は直ぐに明治天皇陛下を中心とした民主主義国家の体制(民主制)に移行し、奇跡的な大成功をおさめます。隣の朝鮮半島にあった李氏朝鮮やその後の大韓帝国、支那大陸にあった清朝や中華民国は民主制に移行しませんでした。また、21世紀の現在でも、制度は民主制でも、実態は独裁体制である国が世界中に溢れています。数え方に寄りますが、アフリカやアラブの部族的国家な度を含めると半分以上は、独裁体制です。隣国で思い浮かぶのは、北朝鮮、ロシア、中華人民共和国などです。北朝鮮の正式名称は「朝鮮民主主義人民共和国」と言いますが、金一族の独裁体制であることは疑いようがありません。ここは推論ですが、日本の民主主義の方が「公衆の福利」に含まれる範囲が広かったので、フランス革命の民主主義を容易に吸収できたと考えます。対して他の国々は「公衆の福利」に含まれる範囲が狭かったので取り入れることが難しかったのではないでしょうか。現在、世界の多くの国が形だけは民主制を取り入れていますが、その範囲が狭いので、実質的には独裁制に近くなっているのです。

 ヨーロッパに戻りましょう。フランス革命で行われた「人権宣言」には女性が含まれていなかったことは有名ですが、日本では江戸時代、実態として男女対等がありました。武家社会では儒教の浸透で男尊女卑が言われるようになる側面もあります。ただし、儒教も伊藤仁斎のように日本化していったのも見逃せません。
 男女対等ではなく女尊男卑の制度が整ったのも江戸時代です。商家の養子制度では女性の財産権が優位に認められ、伝統芸能を女系で保つなど女性優位がはっきりと見られる分野がありました。これを明治期に来たヨーロッパ人は「世界で一番女性の地位が高いのは日本だ」などと表現しました。しかし、日本では男女対等であって、女性の地位が男性と比較されることさえありませんでした。これは『古事記』を見るとはっきりします。

 『聖書』  神様=男 人間=男 女は男性の一部で作られた

 『古事記』 最高の神様=女(天照大神)、最初に出てきた人間=女性 女性と男性はセットで1つ

なのです。男女対等の民主主義の伝統を古くから持ってきたからこそ、僅かな期間で体制移行もでき、実態もそうなったのです。

 この「民のかまど」を知っていた学生は、249名中2名でした。アメリカが日本を支配した中で、「教えてはいけない」となったのです。しかし、ギリシャで古代ギリシャ神話を教えてはいけないでしょうか? ギリシャはペルシャ、オスマントルコなど支配を日本より長く受けてきました。インドは英国に支配されましたが、古い物語は現在も禁止でしょうか? 独立したのは日本とあまり変わらない時期です。インドネシアなどと同じく、日本はインド独立のために戦って数万人の兵士が亡くなっています。詳しく知りたい方は「インド独立の英雄チャンドラ・ボース」を調べてみて下さい。ガンジーより有名です。
 敗戦後の日本人が、私を含めて、これらを見ないようにしてきたからでしょう。敗戦前まで教えられてきた「民のかまど」の話は、小学校でも中学校でも教えられていません。ですから、今後改善できるのですから、そこにも日本の新しい可能性、強くなる日本の可能性がある、と言えるのではないでしょうか。「頑張ろう日本」というフレーズをTVや新聞、街中を行く人のTシャツなどで見るたびに思います。いじめや自殺の問題も根本の1つはここにあると高木は考えています。

 さて、ここで問いを出しました。 

パターン①
 問2 世界で一番大きいお墓はどこの国にありますか?

パターン②
 問2 日本人の倫理の根本は何ですか?

 パターン①の正解は日本です。先ほど出てきた「仁徳天皇のお墓」=「仁徳天皇陵」です。しかし敗戦後に「学術的ではない」などの理由で「大仙陵古墳」などの名称がつけられ混乱を極めています。物語は物語として大切なのです。ギリシャ神話の中にある「アポロン」という太陽の神様が実際にいたかどうか?などが古代ギリシャ神話の値打ちを損ねるでしょうか? そんなことはありません。その神話を信じて、「だから倫理を守ろう」という文化や民族の出発点になる所が大切なのです。

 仁徳天皇陵は、以下のHPの写真を参考にして下さい、土を掘って盛っただけのお墓です。技術も何も要らないのです。多くの人々が感謝の思いで手伝ったのでしょう。現代風の言葉で言えばボランティアです。

堺市 仁徳天皇陵古墳百科:http://www.city.sakai.lg.jp/hakubutu/ninhya.html

 対して、秦の始皇帝のお墓は、民衆を軍事力で集めました。1日でも遅れると、1人でも足りないと連れてきた役人も含めて全員が死刑になりました。ですから、役人も逃げ出しました。逃げる人が沢山になって山賊になりました。秦の始皇帝が死ぬとその山賊の中から次の皇帝、劉邦(りゅうほう)が出てきます。当時は、日本より秦の方が技術が進んでいますし、人口も格段に多かったのです。けれども、お墓の面積は仁徳天皇の方が大きい。それは嫌々やらされるより、感謝の心でやる方が成果が大きい、という一例かもしれません。

 「高き屋にのぼりて見れば煙(けぶり)立つ民のかまどはにぎはひにけり」

 声を出すと意味が分かる、ので是非ともお詠(よ)み下さい。新古今集にある仁徳天皇の御製です。「君が代」は同じ新古今集にあります。御製を国歌にしなかったことに民主主義の深さを高木は感じます。


 以上で「民のかまど」を終わります。

 次に、現在日本にある「民のかまど」の精神を紹介します。

 明治維新を成し遂げられ日本を欧米の侵略の危機から救われた明治天皇は、その御遺徳を日本国民が想い、数十万人が参加して「明治神宮」を作りました。「明治神宮」は後数十年で、人間の手から離れて完全リサイクルが出来るようになるそうです。ですから、全ての落ち葉を土に返すそうです。お正月に日本人が最も参詣する神社である理由が分かるようです。
明治新宮-自然・見どころ:http://www.meijijingu.or.jp/midokoro/index.html
 
 昭和天皇は、敗戦後、アメリカ代表のマッカーサーと会談した時、「私の命よりも苦しんでいる民をいたわって欲しい」と述べられました。そしてその後、昭和天皇は、悲しいことに沖縄県は返還されていなかったので行けませんでしたが、日本全国を御自身で回られて「民の苦しみ」をいたわられたのです。「昭和天皇の御巡幸」は数年に及び、数万キロ、数十万人に逢われました。昭和天皇は、マッカーサーに逢われた時、まず最初に

 「私がどのような責任も負いますし、どのような処分も受けます」
 
 と言われました。そして

 「罪なき8000万人の民をいたわりたい」

 と言われたのです。つまり、陛下御自身としては明確に反対であった戦争であったが責任は私にある、と言われたのです。アメリカ軍を始め多くのヨーロッパの国々は、天皇陛下の御巡幸で、陛下が害されると予想していたようです。しかし、日本国民は全くそのようなことがありませんでした。民衆のデモで倒れたエジプトのムバラク元大統領は、1日4億円以上のお金を貯めて、10兆円以上の私腹を肥やしました。ムバラクがエジプトを回っていたらどうでしょうか? しかも敗戦後です。それは日本国民(もちろん、その後、朝鮮国籍や台湾国籍などに戻ってしまった日本国民も含めて)が「私心」で戦争を始めたことがないことを知っていたからでしょう。

 現在の天皇陛下、今上天皇陛下は、「被災地に赴いて人々と気持ちを分かち合いたい。が復興の邪魔をしないようにもしたい」と大地震発生後、直ぐに言われていたそうです。さらに、被災者に御用邸を解放され、被災者へのプレゼントを御自身で考えられたこと(公式には表明されていません)などとも共通します。そしてビデオでのお見舞いをなさりました。また、やっと日程の調整などが付き、被災者と逢われた時、膝をつき1人1人とお話しされました。「私が偉くてお前は下なんだ」という心持ならば、被災者と同じ視線になることなどありません。残念ながら、菅首相を始めとして閣僚の人々は最初、自分は立ったまま被災者と話をしました。節電が必要になると、自ら進んで東京の皇居を始められました。「国民が苦しんでいる時に分かち合いたい」という「民のかまど」の精神が現在まで脈々と続いているのです。
 高木は大学院時代、ある別の大学院のゼミにご厚意で参加させてもらっていました。その先生は、科学哲学の第一人者で天皇陛下から表彰を受けるため東京の皇居に行きました。行く前は「服装が面倒くさい」とか何とか言っていましたが、陛下にお会いになった後、絶賛されていました。

 「今までそんなに気にしていなかったし、右翼とか左翼とかじゃなくて、凄いんだよ。というのも哲学の深い部分まで理解して質問された。もちろん、レクチャーする人がいるのだろうけれど、凄い勉強力だよ。しかも、他に数人別の哲学分野の先生にも同じだったよ」

 と言っていました。春の園遊会などでも同じようにどのような人が来られるのか、どのような顔なのかも覚えられるのでしょう。それも全員です。お逢いになる1人1人を分け隔てなく尊重され、そのために予習をされている。なんというご努力でしょうか。どれだけご努力されているのでしょうか。怠け者の高木には決してできませんし、通常の日本国民でもこれほどの努力を常に行い続けることは難しいのではないでしょうか。私はこの道に進んでいますが、科学哲学の第一人者の先生をうならせる質問が出来るとは思えません。それが1日に何人も、年間何十人も、お会いになる人は数百人、数千人になるのでしょうか。しかも、その中には、不勉強で「天皇は形だけ」とか「天皇は戦争につながる」などと言う人もいます。繰り返しますが、歴史的事実を踏まえないこのような発言に対して、怒りあらわにし、説教を垂れることなく笑顔で包み込んで来られたのです。何という広いお心でしょうか。それは民を主人公を考えるから出来るのではないでしょうか。

 昨年も、福島原発事故の後も避難所にどのような人がいるのかを事前に出来る限り勉強されていかれるそうです。そのような行為を誰にも誇らずに、70歳を優に越え、入院を繰り返す中でその努力を繰り返されてきました。もう言葉を続けられなくなると感じます。

 別の例に行きましょう。
 
 私は、ある時期、京都大学の哲学サークルに参加していました。その帰り、何気なく御所(京都御所)に行ってみたのです。実は、御所の北東の方角が欠けているのは本当かな?と思って行ってみたのです。本当に欠けていました。これは全てが満ちると後は落ちるだけなので、完璧の1歩手前が最も良い、という思想による、と教えてもらったからです。この御所について後から別の話を聞きました。

 「御所の壁が低いのは民衆に殺される心配が無いからである。日本の天皇は民衆のために生きているから殺される心配が無く、そして実際、歴史上民衆に殺された天皇はいない」

 これは動画でも紹介した青山繁晴氏の動画にあった話です。「ヨーロッパの王様や貴族が大きな城に住むのは民衆に殺される心配があるからだ」とも述べていました。確かに日本でも大名の住む城は堀や塀が高いです。しかし、御所は2人で肩車をすれば中に入れるほどの低さでした。そして貴族や同じ天皇家の中での殺し合いはありましたが、民衆に殺された天皇は歴史上いませんでした。貴族や天皇家の中の殺し合いも、権力を手放した鎌倉以降はなくなっていきます。

 以上が「民のかまど」が現在まで生きている事例です。

 さて、技術者倫理に立ちかえり、講義録を締めたいと思います。

  「自分の利益」<「公衆の利益」 =「公衆の福利」は、日本の伝統的な精神の中にあるのです。

 ですから、技術者倫理で大切な、事故予防や再発防止を目指す時、この日本の伝統的な精神を踏まえることが大切だと考えます。

 倫理は、空理空論で行えるものではないと私は考えます。
 ヨーロッパの倫理をそのまま日本に持ってくることは出来ない、と考えます。倫理はそもそも宗教に根源を持つからです。「人間はどうして存在するか(宗教)」を説明できなくて、「人間はどのように行動すべきか(倫理)」を説明できないと考えるからです。

 ですから、日本人の持っている情緒や無意識の中にある「人間はどうして存在するか」の答えと繋がった「人間はどのように行動すべきか(倫理)」が大切だと考えます。そうでなければ実際には個人的利益の殆どない内部告発などを行えないのです。ヨーロッパの人々はキリスト教的精神があります。日本にも伝統的精神があります。それぞれ尊く、それぞれ素晴らしい点があると考えます。

 現在、伝統的精神が学校教育の中で伝えられていません。しかし、日本人が受け継いでいることを福島原発事故、その後の対応で見ることが出来ました。私はそこを「最大の希望」と表現しました。

 福島原発事故後に見えた最大の希望は、普通の日本人がこの「私心」<「公共心」を示したことでした。ごく普通の日本人が「武士道」の「武士道とは死ぬことと見つけたり」を実践した例として、中国人留学生を助けるためにわざわざ戻って亡くなった方など多くの例があります。その中で、南三陸町の遠藤未希さんと上司の三浦毅さんは、「津波が来ています。高台に避難して下さい」と防災放送を最後まで続けられました。最後、というのは自分の身を顧みなかったからです。後に遠藤さんは沖合で発見され、婚約者と家族と対面されました。

 余談になりますが、このお話をブログにどうしても書けませんでした。昨年8月末に南三陸町の防災庁舎にお参りをして、辺りで一番信仰されている八幡神社にお参りをしてきました。このブログに「南三陸町旅行記 自然と心の問題」
http://takagikenziro.blog.fc2.com/blog-entry-76.html
として掲載してあります。お参りしてくるまで、このブログに文字として打つことに心理的な抵抗を感じていました。今も感じていますが手を合わせて書くことにしています。余話を終わります。

 このように普通の日本人が「武士道」という伝統的な精神を受け継いでいます。日本の戦後教育はアメリカ支配という冷戦構造から、この伝統的な精神を学校で教えていません。現在でもこのような精神に対する反発があります。そしてこの反発は政治的な問題と化しています。私は敗戦後60年以上が過ぎ、政治的な問題が徐々に解消されている流れにあると感じています。これは例えば古代の天皇の絶対王政が定着するのに6,70年掛かり、鎌倉政権や徳川政権が定着するのにも6,70年掛かったことを考えると、自然な流れだと考えています。
 そうした政治的な紆余曲折の中でも、「武士道」に見られる伝統的な精神が失われなかった点を重視して考えてみます。その精神は、仁徳天皇の「民のかまど」の話の本質と重なってきます。ですから、技術者倫理を考える時、その出発点として、日本人が伝統的に大切にしてきた考え方を、良く知って今後も大切にしていきましょう、と考えます。

 問3 講義全体で一番印象に残ったこと
 問4 感想

 を出しました。

 ー技術者倫理の希望ー

 技術者倫理では技術は社会背景と相補的関係であることを述べてきました。そしてより具体的な事故防止を検討する学問です。私達の社会では今後も事故が起こることでしょう。初期防止、再発防止のために、私達は伝統的道徳をきちんと学習する必要があります。学生の皆さんが伝統的道徳を知った時、日本に誇りを持った、日本を大切にしたいと思った、という反応でした。ここに技術者倫理の希望がある、と感じました。

 以上で終わります。ご拝読に感謝いたします。

 
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