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哲学13-2 学生コメント集

 学生が書いた感想などと高木の返信をまとめたものです。

 学生の書いた本文はそのまま、とします。高木が補足する場合は()を付けます。○は学生のコメント、★:は高木のコメントです。考察をつける場合もあります。

 全体の傾向

:デカルトが面白かった
:デカルトは難しい
:方法的懐疑への疑問

 などが多かったです。全体として感想がばらけてきました。

○デカルトが「疑っている私の意識」以外を否定した時、神の人に存在する人間を否定し、結果として神を否定し、自らの意思をも否定することにはならないのか
○なぜ疑っていると言い切れるのかがぎもん(疑問)だった。
○方法的懐疑において「疑う」ということを疑うことはしないのでしょうか?
○明晰判明な意識とは誰にでも内在しているものなのか疑問に思った。

★(まとめて返信します) 
 鋭い、素晴らしい質問です。是非とも講義中に紹介した、デカルト著『方法序説』を読みながら考えてみて下さい。あるいは、小林道夫著『デカルト哲学とその射程』をどうぞ。デカルト哲学の奥深さが分りやすい文章で読めます。素晴らしい本ですよ。私なりの答えは哲学13の講義録に書いてあります。

○デカルトは神の存在を疑わなかったのか、少し疑問に思いました。

★当時のキリスト教化されている西欧知識人は「神を疑う」ことはありえないことでした。それは死刑に直結するからです。デカルトはキリスト教に違反しないか、細心の注意を払っています。とても優れた視点です。

○神という何かが、全てを想像して作った、と言う人もいますが、それでは神はどのように「できたのか」「どこから出現したのか」それをわからないと意味がないのでは?と感じました。

★論理的推論ですね。素晴らしいです。『聖書』の中には当然答えが書いてあります。是非とも読んでみて下さい。日本の『古事記』にも同様に書いてあります。ただ、それを正確に文章で記するのではなく、神の御名に込めているのが日本です。是非とも調べてみて下さい。(神は創られる存在ではないから神なのです)

○なぜ神がこの宇宙を作ったから数学で全て現せるのか?

★良い質問ですね。ただ、視点が逆です。「数学で現せると考えるプラトン主義」で考えたのがデカルト、です。

○数値=化学(科学?)ではないと僕は思うのにみんなはイコールだと思っているのはおかしい。数値=情報である。

★数値=情報と考えていることを排除していませんよ。数値は情報としての価値があり、同時に科学を支える実験データでもあります。もう少し詳しく書いてくれると深めることが出来るのですが。情報と科学の違いなど、お願いします。

○自分は御所に行ったことがないので京都にいったら、かけている部分をみたいなと思いました。

★是非ともどうぞ。日本の思想がよく分かりますので。

○日光東照宮も1本だけ逆さまの柱があり不完全なものは壊れにくいという話を思い出しました。それを詳しく理解できました。

★ほぉー! それは知りませんでした。教えてくれて有り難う御座います。

○哲学の目指す先がよく分からない

★質問でしょうか? それとも疑問でしょうか。哲学の目指す先は次回で少し触れますが、世界平和、人類救済でしょうね。日本人は救済してほしいとは考えていないので、分からないのかもしれませんね。

○暗黙知の日本人が何故近代哲学を理解出来たのかが分からなかった。

★知識として理解するだけなら、日本人の識字率の高さ、翻訳の正確さなどが挙げられるでしょう。現在でも世界トップかトップクラスです。感覚として理解できるのかどうか、それは難しい所です。私は西欧人の感覚はいまだに理解できていません。

○家庭や親族の誰かが死んだ時なぜ年賀状を出さないのかが分からない。別に出していいと思う。

★本来の風習の意義から考えればお盆のお墓参りは、誰か個人が死んだ時にをすれば良いのです。ですから、出しても良いことになります。しかし、心情から考えてみれば理解できます。近しい肉親が死んだ時に新年の喜びをする、というのは相手の感情を傷つけてしまうでしょう、という心情です。ただ、この場合は、相手がお正月は歳神様(死者)が帰ってくるというのを忘れてしまい、単なるお祝いの日である、という本来の風習の意義を忘れてしまっている場合だけです。面白い視点でした。有り難う。

○アリストテレス主義とプラトン主義で今の日本はどちらの考えなのか疑問に思った。

★両主義をどの程度正確に捉えるかによって違ってきます。また、今の日本の範囲や主体とは何かにもよります。答えは単純に出ない質問です。でも、面白い視点なのでそうやって考えてみても良いですね。

○カタカナでローマと書くのと、アルファベットでRomaと書くので違いは何かあるのでしょうか?

★一応、都市ローマ、と古代帝国Romaを分けようと考えてはいました。現在の都市ローマはイタリア国家に所属しますが、古代帝国Romaは、首都を都市ローマから都市コンスタンティノプール(現在のイスタンブール)に移した歴史的事実を正確に認識してほしいので使い分けました。

○生きていてよかったと思える日がないので、生きていて良かったと思えるように過ごしていたいです。

★もし、時間があれば講義後に話しませんか。声を掛けて下さい。あるいはメールでも、ここに私しか見えないコメントでも結構です。

○デカルトの論とかアリストテレス主義とかプラトン主義など、いくつもある中で日本人は昔からあまり思想が変わっていないという事はある意味、奇崎(跡?)なのか?

★奇跡ですよ。それは西欧人も驚いています。現代のギリシャ人はキリスト教徒です。古代ギリシャ人の宗教や哲学を捨ててしまっています。伝統も途絶えています。しかし、日本だけが2千5百年以上続く思想を保ち続け、現在もそれを大切にしているのです。講義で学んだことを自らの反省にする、素晴らしいコメントです。嬉しいです。

○左右対称な女子が好きなので、日本人としての感覚が少しズレているのだろうか。

★ズレていて良いんですよ。個人の感覚はズレていて全く問題ありません。

○1回1回死ぬのは魂なのか。魂が1回1回死ぬとしても、なぜ記憶は残るのか、肉体が記憶しているのから?

★魂は永久に不滅です。ですから死にません。無くなるのは肉体です。魂に記憶は付随しますが、新しい肉体を得る前に魂が忘却の川(レテ)に浸かり、記憶を忘れてしまうのです。プラトン著『国家』第10巻をどうぞ。

○全てを否定する事は本当にできない事なのだろうか

★単語の使用範囲の曖昧さや個々人の理解度の差を無視するなどするならば、出来ます。「懐疑論」をキーワードにして幾つかの本を読んでみて下さい。とっても哲学上優れた視点です。そしてデカルトがどうして「懐疑論」を取らなかったのかも考えてみて下さい。

○全てを否定したら何も結論はでないのではないですか? 結局デカルトは最後に肯定しているから全否定ではないのですか?

★デカルトは全否定ではないです。「ルールを決めて疑ってみて、疑わしいものは否定する」ということをしたのです。その結論が「われ思う故にわれあり」です。前提条件と結論を正確に理解して下さい。ただ、前半の問から察するに別の事を聞きたいような気がします。前半の問は、この記事の冒頭にある沢山のコメントへの返信を見て下さい。

○問2はどこへいったのでしょうか。

★前の講義で問2を出しました。時間の関係で割愛したので、問2は失踪してしまったのでしょう(笑)

○デカルトがどんな考え方をしたら、方法的懐疑なんてものを考えつくのか?と思った。

★自分もデカルトになろう、という気概を読み取りました。『反哲学史』に前後関係が書いてあります。参考にしてみて下さい。

○数学を疑っていたはずなのに自分を疑うことができなくなったら一足飛びで数学で全てを表せるというのがよくわからなかった。

★私も同様の疑問を持っていました。幾つかの本に書いてありますが、デカルトは「疑いたかった」のではなく「神を証明したかった」のである、ということです。「方法的懐疑」はキリスト教の神と数学を結びつけるための方便に過ぎない、という解釈があります。結果としてはそのようになったと思います。ただ、それによって学問は大いに進歩しました。これは現代の数学でも同じことが起きている、とは講義で述べた通りです。鋭い視点でした。

○哲学をきいていると自分がしらないことをいろいろ(色々)しることができ無知であることがしれるし、不快にならなくて面白い。
①楽しいと感じるのはワクワクすることだと分りましたが、ワクワクできないことがある場合はどうなのか
②無宗教とはいったい(一体)どういうことを言うのか?
③自分の本心は理解できるのか、また理解するにはどうすれば良いか?

★沢山の質問有り難う。それぞれ答えていきます。
①ワクワクできない場合は、「利」で考えると良いと思います。「これをしないと生きていけない」とか「お金を儲けて美味しいものを食べよう」とかです。人は殆ど利か義によって動くからです。ワクワクとは己の心が大いなるものと結びつくから起こるのであって、それは本質上、義です。
②無宗教とは、「おおもとの考え=宗教」がないことを指します。つまり、目の前の利益だけで動く人です。1人にすればお金を盗み、罪に問われないならば人を殺し、犯し、放火をする人のことです。「人を殺してはいけない」という「おおもとの考え」があるのならば、〇○くんは宗教を持っている、ということです。もう少し具体的に言えば「人は先祖(神)から産まれる」から悪いことをしてはいけないよ、です。
③本心の一部は理解できる、と考えています。その範囲を広げていくには、数々の経験をすることです。特に自分にとって嫌な行為、例えば高校時代の勉強、を長く続けることで自分の得手不得手が見えてきます。なぜ、あのように教科書を暗記するだけの勉強をするのか、なぜ、意味がないと思われる行為をするのか、を通して自分が見えてくるでしょう。40歳くらいになると高校時代の勉強が意味がない、というのは高校生の狭い視野で見ているから、と判るのですが。勉強以外で良く言われるのが掃除などです。私は現在毎日、家の便器を拭いています。汚い便器を毎日拭いていると気が付くことがあります。
 沢山質問有り難う御座いました。

 以上です。


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