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講義録6-1 インフォームド・コンセントとその限界 公平さの重要

 皆様、こんにちは。

 立冬を過ぎて、晩秋の雨から初冬の穏やかさになってきました。世の中の何もかもがさざめいていた、というのが実感できる天気になってきました。スーッと意識が数キロ先まで届くような、そんな錯覚を持つ季節になってきました。

 週末、神奈川県茅ケ崎市に家族5人で行ってきました。新東名を使い3時間、意外と近かったですが、意識の上では中学校2年生に転校しています。中学校の側の畑が20年以上残っていたり、住んでいた低階層アパートが残っていたり、日用品を買っていた富士スーパーが残っていたりしました。逆に、車の便が悪く、線路をまたぐ大きな道路が少ないことなどに驚きました。大きなマンションが幾つも建っていました。変わりはありましたが、鶴嶺神社が変わりなく、1000年の大銀杏も健在でした。神社の近くの公園で息子娘が遊んでいる姿を見て、自分の変わったのを実感しました。もう、あの時の中学生ではないのだ、と。歳を重ねると深まっていく、という諺を実感しました。美味しいお店があり、魚好きの子供達は喜んでくれました。次はかみさんの想いでの地に行きたいです。この講義も、5年後、10年後、学生の皆さんが「ああ、そういえばそんなこと聞いたっけな」と想いだしてくれるような講義にしたいと思っています。

 それでは本文に入ります。

紹介した本
:『ルポ 貧困大国アメリカ』 堤未果 岩波新書〈新赤版〉1112 2008年19版

配付したプリントB4 1枚
:『ルポ 貧困大国アメリカ』 66-69頁
:平成19年度の大先輩の学生レポート :三段論法の書き方の見本として 「事実の具体化」や「事実や論拠の増やし方」などの実例として


 --講義内容--

 今回は、「公衆の福利」の達成のための2つの考え方を見ていきましょう。「インフォームド・コンセント」と「パターナリズム」です。それぞれ「正しい情報を与えられた上での同意」、「父権主義」と訳されますが、私は、「「情報公開と対象者の合意」と「神権主義」と訳したいと思っています。現在の社会では「インフォームド・コンセント」は素晴らしいもの、誰でもが同意可能なもの、と考えられているので、その限界を指摘していきます。そこから、公平さの重要性も出てきます。また、前回の倫理絶対主義と倫理相対主義、「インフォームド・コンセント」と「パターナリズム」を合わせて検討していきます。前半に訳について細かい定義があり、続けて述べていきます。

ーインフォームド・コンセントについて

  現在、「インフォーム・コンセント(情報公開と対象者の同意)は良いことだ」という考え方が社会の中に浸透しています。大学の評価は公開しなければなりませんし、病院評価、企業評価などがこの考え方に沿って公開されています。しかし、それは果たして皆さん自身の考えなのでしょうか。流されていないでしょうか、ということを考えてもらいたいのです。
 結論は、「1つの事実から賛成も反対も出てくる。だから、両方考えないと自分の意見が出てこない」ということです。
 言い換えると「賛成側だけしか考えていない意見はあなた自身の意見ではない(誰かの意見の刷り込みである)」です。

 それでは「公衆の福利」を成し遂げる手段としての「インフォームド・コンセント」を観ていきましょう。

インフォームドコンセントは、そもそも医療の世界から出てきた概念です。

 出発点は古代ギリシャの「ヒポクラテスの誓い」です。患者を中心とする誓いで、江戸時代に日本にも入ってきていました。

 それが明確な形になるのが、①ナチスドイツのユダヤ人虐殺、②アメリカの女性、黒人、学生運動などの権利運動の2点です。
 以下のように定義されています。白浜雅司先生 http://square.umin.ac.jp/masashi/IC.html

 1)適切な情報の開示
 2)情報の患者による理解
 3)患者の自己決定能力(CompetenceとDecision-Making Capacity)
 4)患者の自由意志・自発性
 5)患者による同意

 私は2)~4)については危険性を指摘しています。それはインフォームド・コンセントの対象者を「公衆」とする、という意見についてです。これは十分必要条件を取り違えた意見だと考えます。

 2)情報の患者

 による理解ですが、情報が理解できない人は「公衆」に入らないのでしょうか。例えば、外国からの旅行者、あるいは在日外国人で日本語の情報を理解できない人、理解したくない人は対象外として良いのでしょうか。最近、日本語、英語、中国語、韓国語の表記を見かけますが、全く意味がないと思います。この方法は切りがありませんし、情報を受け取る時にどこを観たらよいか判断しにくくなり、目の悪い人などを除外してしまうからです。それよりも、こうした人々も「公衆」に入れて考慮することの方が重要です。
 
 3)患者の自己決定能力(CompetenceとDecision-Making Capacity)

 私の義理のおばあちゃんは認知症が多少あります。こうした認知症の人は自己決定能力が充分ではありません。また、禁治産者など法律的にも自己決定能力が充分ではない、とされる人々もいます。こうした人々は「公衆」の対象にならないのでしょうか。もちろん、私は「公衆」の中に入れるべきである、と考えます。ちなみに、日本では本人の自己決定と家族の自己決定は同等に扱われますが、欧米では本人の自己決定が上位にあります。これは本人が植物状態になった場合などに出てきます。脳死による臓器提供などで問題になっていました。

 4)患者の自由意志・自発性

 これも同意することが出来ません。なぜなら、ターミナルケアの講義をしている時に問われていたからです。ホスピスという末期癌患者が人間らしい最期を送る施設がありますが、その体験談を読んだ時でした。2,3日は「ホスピスなんかいるのが嫌だ。私はもっと生きたいんだ」と言うのですが、次の日になると「もう死なせてくれ。生きていても意味はない」と言うのです。本人に認知症等は見受けられません。
 このように時間軸を取った場合、どこで患者の自由意思・自発性を取るか、というのは問われているのです。これを瞬間で取った場合極端なことになりかねません。原発でも事故直後から半年以内の国民の意思を取れば「原発永久追放」が過半数を超えていたでしょう。この瞬間で取った場合、どのようになっていたでしょうか。現在の国民の意思とは大分異なっているのは確かです。昨日の新聞によると自民党は原発再稼働を決めたそうですが、これも国民の意思の変化からでしょうか。

 以上の理由から、1)と5)を取って私は「インフォームド・コンセント」とは「情報公開と対象者の合意」としたいと思います。多くの人がこの点は同意していると考えています。

 ーパターナリズムと倫理絶対主義と倫理相対主義

インフォームドコンセントに踏み込みます。そこで大きく判断が分かれます。

教科書:全ての分野でインフォームドコンセントが行われるべきである。(何故なら、倫理絶対主義だからである)
 VS
高木 :ある分野ではパターナリズムで行われるべきである。(何故なら、倫理相対主義だからである)

 私は基本的にはインフォームドコンセントが行われるべきである、と考えていますが、特定のある分野ではパターナリズムで行われるべきである、と考えています。
 私は倫理相対主義を取っていて、経済や効率や文化などなどと倫理は同じに考える立場です。ですから、ある分野ではインフォームドコンセントよりも、経済や効率が優位になることを認めます。その場合は、インフォームドコンセントよりもパターナリズムを取ることが、「公衆の福利」に適う、と考えます。

 パターナリズムは「paternalism」と書きます。「pater」とはパパの意味で一般的に「父権主義」や「家族温情主義」と訳されます。しかし私は、この「pater」はもっと強い意味だと考えています。なぜなら、キリスト教の神様のことを英語では「ファーザー」と言います。また、ローマ・カトリックの説教師のことを「神父」と言い「父」が付きます。そしてファーザーや神父は、私たちの日常生活の善悪、生活習慣の指導から、死後の世界に天国に行けるか地獄になるか、を左右できるのです。つまり、日本の父親(明治時代の大日本帝国憲法下でも家長は家族に対して裁判権を持っていませんでした。実態としてそのようなことはありましたが、全てではなく思い込みがかなりあると思います。余話)よりももっともっと強い存在だと考えるのです。日本人は「死んだ後どうなるか」が不安になるのは死が近づいてからでしょう。 
 しかし、それは無意識のうちに日本人的宗教観に染まっているのです。日本人的宗教観では全員が同じ場所に行きます。今とあまり変わらない世界です。ですから不安にもなりません。さらに、お盆やお彼岸に返ってくるしお正月にも帰ってこれる。だから「死んだ後どうなるか」が不安になりません。世界の7,8割の人は天国に行くかは大きな問題です。それを決定するのがローマ・カトリックでは神父様なのです。 ですから、

 元来の意味からすればパターナリズムは父権主義ではなく、「神権主義」と訳すべきである、と考えます。

 もちろん、パターナリズムは幾つもの強さがあり詳しく段階を分けるべきである、と考えます。

 あるクラスでしか言いませんでしたが、筆者は「日本も欧米もイスラムも同じ倫理である」と思っていますし、そのように論理を組み立てていますし、教員は「日本と欧米とイスラムは同じ場所もあるけれど違う部分もある」という風に組み立てています。これは後の講義で触れます。先ほどのインフォームドコンセントにならって定式化してみましょう。

 「パターナリズム」:「情報公開と説明責任を果たさず、専門家が判断すること」

 「インフォームドコンセント」:「情報公開と説明責任を果たした上で、公衆に同意を得ること」

 となります。

ー問1 倫理絶対主義と倫理相対主義のどちらの立場に賛同しますか?

 ここで問うているのは現在の日本社会では疑いをもたれにくい「インフォームド・コンセント」が全ての分野で実現可能であるか?という問です。そしてこの背景には根深い問題があります。それは「公衆は正しい判断を下せるのか?」という問題です。これはプラトンが提示した民主制の根本問題です。20世紀のマルクス・レーニン主義(共産主義)の敗北は、「民衆は正しい判断を下せない」という結論を示しました。全ての人の財産や権利などを平等にすると人はどうなるか? 結局は働かなくなる、というものです。これを現在の日本で示してみましょう。

 -現代日本社会での「インフォームド・コンセント」と「パターナリズム」

「インフォームド・コンセント」:国民の知る権利、直接民主制、住民投票条例、全ての国防、外交関連情報の公開
 VS
「パターナリズム」:スパイ防止法、議会制民主主義、国防機密を認める

 となります。果たして民衆は正しい判断、公共に即した判断を下せるのでしょうか。下せない、から一部の外国勢力やカリスマ的人物に利用されてきた、というのが人類の歴史ではあります。

 -「パターナリズム」の必要な理由

 次に、それでは先ほど私が、「ある分野ではパターナリズムで行われるべきである」という理由を書いていきます。
 具体的に核開発を見て行きましょう。現在、日本の原子力発電所に外国のスパイ(北朝鮮)が作業員などで入りこんでいます。日本国の公安が示唆していますが、こうした作業員を「スパイだから」と捕まえる法律がありません。実際にスパイ行為を働かないと捕まえられないのです。スパイ防止法が先進国の中で唯一ない日本国では、軍事利用される核開発の情報を、インフォームドコンセントで情報公開し説明責任を果たしたら、「公衆の福利」に反する、と考えます。北朝鮮の原子炉と日本のある原子炉が大変似ていましたが、それも核技術の流出を示す1つの傍証です。北朝鮮の核開発とミサイル技術がイランに渡り、イスラエルとの緊張関係を高め、原油が高くなっています。
 「スパイ防止法がない」という社会背景、核技術が軍事利用と切り離せない点がある原子力発電では、インフォームドコンセントを行うことは正しくない、と考えます。

 もう1つ軍事技術の例を挙げます。

 昨年度石原東京都知事が、「尖閣諸島を東京都が購入する」というワシントンでの会見が世間の注目を集めました。マスコミがあまり取り上げませんが皆さん寄付を集めているのを御存知でしょうか。約10日間で

 入金は計3億1459万9779円。件数も2万3402件と、2万件を突破した。

そうです(msn産経ニュース「寄付金3億円を突破 8日時点 1日で9千万円増
2012.5.9 14:14」http://sankei.jp.msn.com/region/news/120509/tky12050915010006-n1.htm

 この会見の中で「アメリカの戦闘機のコクピットは日本製である」と述べています。
とするならば、アメリカの戦闘機が世界中の人々を苦しめているのだから、情報公開をすべきである、と考えた場合、公開すべきでしょうか? 私は、アメリカの戦闘機のコクピットの技術を情報公開すれば、軍事費を毎年20%以上膨張させている中華人民共和国、強硬派に転じた(北方領土発言で)プーチン大統領のロシアなどに囲まれた社会背景を考えると、軍事バランスが崩れます。アメリカが在外米軍を縮小させていく現状を考えると、非常に危険です。尖閣諸島はわが領土である、とはっきりと主張する中国は、沖縄も得ようと発言しています。インフォームドコンセントは軍事技術に関して、私は情報公開をせず、同時に専門家の中で決めるべきであると考えます。
 その分野を認めた上で、重大な問題があった場合、全体を継続するかどうかを、公衆(国民)が選挙で選択すべきである、という民主主義の原則を支持します。

 また、軍事技術ではなく民間技術が中国に流出しています。これが日本国の発展を阻害している、とするならば、諸説あります、軍事技術のみならず民間技術もインフォームドコンセントで情報公開すべき、というに疑問をもたざるを得ません。この点は詳細に検討する必要があるでしょう。

 また、インフォームドコンセントは、「公衆の同意を得る」としています。
 私はこの点に、大いに疑問を感じます。というのも、「公衆の同意を得る」というのならば、それは公衆が、つまり私たちがその問題について知識を吸収する、というのを前提としているからです。しかし、多くの国民が原子力発電所の安全性について、果たして詳しい知識を吸収しているでしょうか?
 
 福島原発事故という最大級の国民の関心を集めました。1年を経っても新聞のトップになることもしばしばあります。マスコミの報じ方は偏っています。しかし、多くの人々が、大飯原発所と福島原発所の技術的違いを理解しているでしょうか? 福島原発所と同じ浜岡原発1号機と反対派が最も危惧する4号機(の燃料プール)の違いを理解してるでしょうか? 原子力発電と火力発電の原理的な違いを理解しているでしょうか?
 最大級の国民の関心を集めて、知識は深まったでしょうか?
 
 20世紀は戦争の世紀でしたが、その根本に共産主義(マルクスレーニン主義)と資本主義の対立がありました。そして挫折したのは共産主義です。その挫折の根本を語るエピソードを聞いたことがあります。

 共産主義とは「皆同じ財産を持つ、共有の財産を持つ」という意味です。

 差別や区別をなくしていくために行うのです。そういう理想に燃えたソ連の若者たちが、農村に行き農民たちに知識を伝え勉強をしてもらおうとします。知識の差や能力の差が結果として現れるのを肯定するのが資本主義、ならば知識の差や能力の差をなくそうとしたのです。しかし、農民たちは、何かご褒美をもらえる時は形の上で勉強したり協力しますが、それがないと協力しません。そしてしまいには農民達に煙たがられ、こう言われます。

 「じゃあ、お前さんたちは、金を持って来てくれ。あるいは工場などを持って来てくれ」

 と。原発誘致の大きなプラスとして挙げてくれた理由、地元の利益優先と同じことを言うのです。ここから共産主義の理想は瓦解していきます。次第に「国家は絶対であるから従え」となり「計画経済が始まる」のです。皆財産も権利も義務も平等、という社会は実際には成り立たない、というのが20世紀の大きな学びの1つだと私は考えています。と同時に行きすぎた資本主義も失敗をする、というのが2007年のサブプライムローン以降の学びの1つではないか、とも思っています。

 さて、戻りましょう。
 外国人参政権、TPP、自民党が出した「憲法改正草案」について勉強しましたか? 「たちあがれ日本」も出しています。日本国にあって最も大切な憲法について勉強して知識を得ていますか? ネット上に公開してあります。最低限の勉強をしているでしょうか?

自民党案:http://www.jimin.jp/policy/policy_topics/116666.html
たちあがれ日本案:http://www.tachiagare.jp/data/pdf/newsrelease_120425.pdf

 私は、インフォームドコンセントの「公衆の同意を得る」という時、知識の習得も含意していると考えます。専門家ではない公衆は、全ての分野について知識の習得し判断(同意、拒否)をする必要が無い、と考えます。再三述べていますが私が最も大切としているのは、「当たり前の日常生活」です。日本国政府や専門家などの究極の目標だと考えています。国民にこうした重たい義務を課していくのは適当ではないと考え、重大な問題が起こった場合、そして専門家で修正できない場合に判断(同意、拒否)すべきであると考えています。
 
 以上の理由で、私は、インフォームドコンセントの有効性を認めつつ、全ての分野でインフォームドコンセントが必要ない、ある分野ではパターナリズムでよい、と考えています。ただし、パターナリズムの分野が行き詰った時、全体を国民の判断に仰ぐ必要がある(もちろん衆愚性にさらされますが)、と考えます。

 -「インフォームド・コンセント」そのものが持つ原理的限界 特にその社会背景に注目して

 次は、インフォームドコンセントとパターナリズムの境にある「アメリカの医療」について述べて行きます。
 具体例としては、医療の世界で最もインフォームド・コンセントが進んでいるアメリカの医療を取り上げます。

 さて、私は、医療の分野はインフォームドコンセントとパターナリズムの丁度せめぎ合っている、つまり境目の分野だと考えています。その理由は、最初にプリントを読みあげた『ルポ 貧困大国アメリカ』の手術費のデータに関係しています。数々のデータでアメリカの医療費は日本の医療費の10倍前後でした。もちろんそうではない分野も無くはないですが、全体として高額なのは否定出来ません。盲腸だけを取り出してみます。

  盲腸の手術代 
日本 6万4200円+入院費=10万弱
NY           =243万円(日本の24倍!!)
ボストン        =169万円(日本の16倍!!)

 どうしてこのように同じ手術で高くなるのか。

原因A)人間が1人1人違うから 
原因B)インフォームドコンセントが世界で一番進んでいるから

 と高木は考えます。医療界では有名な話だそうですが、東大の名誉教授が誤診率を20%(17%前後)と発表して、会場から「えー」という声を受けました。それは

一般の人は「そんなに多いのか?!」の「えー」であり、
医療関係者は「そんなに少ないのか?!」の「えー」であったそうです

 (昨年教え子の留学生に話したら低くて「えー」という人が実際にいました)。日本では医療ミスはない、という前提できましたから、医療ミスで亡くなられても表立ったことはありませんでした。これはパターナリズムです。しかし現在はインフォームドコンセントが進み、医療ミスが報道されるようになってきました。これは私たちの個人からすれば嬉しい傾向です。両親や友人の死への疑念が消えないというマイナスを解消してくれます。
 しかしながら、物事には裏表があります。一方的に良い、ということは無いと私は考えています。だから公平さが大切である、と考えています(筆者のように善だからいい、訳ではありません)。さらにお医者さんになりたてのインターンの人は誤診率が60%~70%くらいだそうです。ということは半分以上は間違うのです。「お腹がちくちく痛いです」と言っても私が言うのと他の人が言うのでは内容が異なってしまうからですし、そもそも人間が1人1人違うからです。ここからチャート式にしてみましょう。

人間は1人1人違う
 ↓
誤った判断は20~70%で無くせない
 ↓
医者は必ずミスをする
 ↓
インフォームドコンセントでミスが分かる
 ↓
ミスで訴えられる
 ↓
訴えられた場合に備えて保険に入る
 ↓
保険代金が掛かる
 ↓
保険代金は患者が払う
 ↓
医療費高騰、特に手術などミスが分かる場合

 人間は製造物のように殆ど同じに造られていません。だからミスが起こるのです。情報公開すればミスが分かるのは当然です。人間の値段は数千万から数億ですから保険に入りますし、その掛け金も莫大です。何故なら名医でも20%の誤診率なのですから。1日5人見れば1人間違えるのですから、掛け金は最低で数百万、上は億を超えると言います。例えば2000万円にしましょう、すると1日10万円の掛け金を患者さんからとらなければならない。1日10人なら1人1万円です。
 インフォームドコンセントを完全に導入することで、保険代金のために1人1万円ぐらい上がってしまうのです。

 『ルポ 貧困大国アメリカ』では「保険会社が病院を支配しているから中流階級を貧困層に落とし、貧困層から医療を受ける権利を奪っている」と批判します。

 高木は「インフォームドコンセントを導入することで保険代金が上がり、それがアメリカの医療を狂わせた」と考えます。

 具体的な例に行きます。
 実際に妹がアメリカに留学していまして、留学生会館で留学生が倒れた場に居合わせた話をしました。周りの皆はその留学生の側に立ってオロオロしている。日本国出身の妹は「どうして救急車を呼ばないの?」と何気なく聞きました。すると周りから「え?!」という反応をもらったそうです。日本では横に座っている人が倒れたら救急車を呼びます。教室でも学生の皆さんに

 「横の人が突然倒れて痙攣(けいれん)しだしたらどうする?」

 と聞きました。

 アメリカでは救急車を呼ぶとまず、

 「社会保険の番号(ソーシャルID)は何番ですか?」

 と聞かれます。

 「患者さんの場所はどこですか? 患者さんはどんな症状ですか?」

 とは聞かれないのです。他には貯金額などを聞かれるケースもあるようです(昨年の留学生たちは良く知っていました)。今、まさに目の前で人が苦しんで死にそうなのに、だから救急車を呼んだのに、「ソーシャルID」や「貯金額」を聞いてくるのです。なぜでしょうか? 
 アメリカ人が人間としての良心や良識がない、からではありません。むしろ良心や良識を発揮するアメリカ人は多いです。しかし、アメリカの医療の現状がそれを阻(はば)みます。
 救急車に乗れば1万円を超えます。医者に問診「どこが痛いですか~?」などを聞かれて3万円、薬が大量に出ますから2~4万円などで、1回乗ると7万円前後かかると言われます。学生のみなさんは、あるいは普通の人は5~7万円、ポンと出せるでしょうか? ちなみにアメリカのバイトの最低賃金は500円、日本では800円くらいです。また、労働ビザがない人が沢山いますが、彼らは300円です。1日8時間、20日働くと、1か月4万8千円の収入です。これでは救急車に乗ることはできません。ですから、「無料で救急車に全員が乗れる」というのは世界の中でも大変恵まれたことなのです。

 さらに、病院を保険会社が独占します。ですから、医者に「何人診なさい」や「何万円分薬を売りなさい」などの「ノルマ」が課されます。看護婦さんも同様ですし、これが出来ない医者は職を失います。日本では医者が失業する、というのは想像しにくいですが、アメリカでは普通にある話だそうです(『ルポ貧困大国アメリカ』をご参照ください)。ですから、患者さんの話をしっかり聞いたり、この人は病状が重いからもう少し丁寧に診たい、というのではなく、この人の病気は金になるかならないか、で診なさい、という圧力が掛かるのです。医者だけではありません。

 公衆にとって問題なのは、高額な医療費が掛かる、公平な医療が行われていないなど、「公衆の福利」に反する結果を生み出していることなのです。「公衆の福利」を実現しようとしてインフォームドコンセントを導入した結果、「公衆の福利」に反する結果を生み出しているのです。もちろん、同じ結果であっても「公衆の福利」に適っているという考え方もあります。

 ちなみに、サプリメントが流行っていますが、アメリカから来ました。それは、医者にかかると高額なお金が掛かるから、それなら薬ではなく健康を保つものを飲もう、としたからです。アメリカの食事は、貧しければ貧しいほど、ハンバーガーやハンバーグやグラタンなどの高カロリーでビタミン、ミネラルの殆どない食事になります。ジャンクフードとは「ジャンク=ゴミ」の「フード=飯」の意味であり、捨てるものを食べさせているのです。だから安く済みます。ビタミンがないのでお腹が一杯でも空腹感があり、肥満になります。

 「貧しい人ほど肥満」

という現状がアメリカ人の現状です。60%以上の人が「太り気味以上」です。こうした現状で、足りないビタミンやミネラルを補給する必要性が出て来ました。ですから、サプリメントが大流行なのです。しかし、日本では日本食、ご飯、味噌汁(ミネラルの宝庫)、魚、お茶、みかんを食べればサプリメントは必要ないのです。アメリカでは1%の人が90%のお金を持っています。残りの99%が10%のお金を分け合っています。ですから、若者は貧乏で新品の服が買えず古着を着ます。それが日本に来ると「古着は格好いい」となります。ちなみに、女性の黒服が格好いい、というのはヨーロッパで強盗や誘拐が多発した時に流行ったものです。それが日本に来ると「モード」などと言って「黒い服はおしゃれ」になるのですから、面白いですね。そしてこのような導入の仕方を日本は昔からやってきています。この点に着目すると中々楽しいです。

 問2 日本ではインフォームドコンセントをさらに進めるべきですか?

 という問いを出しました。インフォームドコンセントを善とするならばさらに進めるべきです。対して、高木は現在の状況で十分だと考えています。以下補足した具体例です。

 私の個人的な体験です。先ほどの高校の物理教師だった時代、あるクラスで昼休みに数名とバスケットを週に1,2回していました。その中でバスケットをさらにしたいという人が出てきて、私の所属するチームは社会人のみのチームだったので他のチームで練習をした人がいました。ストレッチをしておくように、と言ったのですがどうも腰を痛めてしまったのです。彼がある整形外科に2カ月通いましたが一向に良くならず、相談に来ました。そこで私は、セカンドオピニオンという他のお医者さんの意見を聞く制度が出来たことを教えて、カルテやレントゲンをもらって他の医者を受信することを勧めました。彼は高校生でしたから中々出来なかったので「先生一緒にきてよ~」というので一緒にいきました。医院では最初戸惑っていましたが(多分少ないのでしょう。確認していました)、無事頂き他の名医と他の先生の教えてもらった医者にいきました。「先生、1回だけだけど2カ月通ったよりいい感じ。治りそう!」と言っていました。嬉しいことでした。彼はその後普通に歩けるようになりました。これもインフォームドコンセントが進んだ結果です。けれども、現在より先に進める必要があるのか、私には疑いがもたれてならないのです。

 また、解答方法をしめした。論理性=言葉のつながり、ですから、解答は2方法しかありません。他の答え方、例えば「インフォームドコンセントはいいです」とか「日本の医療は素晴らしい」とか「アメリカは酷い国だ」というのは解答として論理的に間違いです。解答方法は

「だから、~なのでインフォームドコンセントを進めるべきです」 か 
「だから、~なのでインフォームドコンセントを進めるべきではない」

 しかありません。「インフォームドコンセントを進めるべきか?」につながらないと論理的ではないのです。答えを教員がしめしました。

     肯定
事実:「医療は人々のためにある」
論拠:「医療のインフォームドコンセントは人々を幸せにすると私は考える」
結論:「だから、人々を幸せにするので、インフォームドコンセントを進めるべきである」

     否定
事実:「医療は人々のためにある」
論拠:「医療のインフォームドコンセントは人々を不幸せにすると私は考える」
結論:「だから、人々を不幸せにするので、インフォームドコンセントを進めるべきである」

 どうでしょうか。
肯定の「幸せ」とは「知る権利が守られる」、「医療の発展」、「安心」などでしょう。
否定の「不幸せ」とは「医療費高騰」、「加入差別」、「質の低下」などでしょう。
 ただし、「幸福とは何か?」は聞かれていませんから、この解答で良いのです。引っかかる人はそこに引っ掛かります。

 さて、講義として最も大切なポイントを示しましょう。

 「肯定も否定も同じ事実から出発している」

 「同じ事実から出発して肯定も否定も出来る」

と言い直しても良いでしょう。つまり、「論理的には同じ事実から肯定も否定も引き出せる」ということです。これが最も大切なポイントです。

 福島原発事故がありました。この事実から「だから、原発は今度も推進すべきだ」も「だから、原発は今度も推進すべきでない」も論理的に成立します。ですから、原発賛成派の人が「どうしてこの事実を見ないんだ!」と原発停止派の人を避難することは論理的ではありません。同時に「こんなに客観的事実があるのだから原発推進なんて信じられない!」というのも論理的ではありません。その段階で留まっている段階と実は、技術的な議論が出来ないのです。そもそも建設的な議論ができません。それは論理的ではなく、感情や政治性やある特定の価値判断があるのに、それ以外を認めないからです。反対からみれば、自分は原発推進(あるいは停止)、という価値判断をしているのに、公平で中立で論理的だ、と言っていることになります。

 そして、肯定的立論も出来、否定的立論も出来た後に、初めて「自分の考えが持てる」のです。
 片方の立場しか認めない、というのは実はある特定の価値判断に支配されているのでしかないのです。そういうのは学問とは言えないのです。

 福島原発事故前は、原発を肯定だけから見ていました。

 「原発は安全」、「原発は地球環境問題に役立つ」、「原発は安い」、「原発は地域のためになる」、「原発がないとエネルギーが足りなくなり」

 しかし、それはあなた自身で考えた「結果」ですか? 
 「誰かの意見をそのまま受け入れただけ」ではないでしょうか?

 同じことが福島原発事故後、にも当てはまります。今は原発を否定だけから見ています。

 「原発は危険」、「もう1度福島原発事故を起こしたらどうするんだ」、「原発は最終処分も入れると高い」、「原発は地域のためにならない」、「原発がなくても関西電力以外は殆ど足りている」

 しかし、それはあなた自身で考えた「結果」ですか? 
 「誰かの意見をそのまま受け入れただけ」ではないでしょうか?

 
 この講義で最も大切にするのは「公平さ」です。
 「公平さ」とは、肯定的立論も否定的立論も立てた上で判断する、ということです。

 ですから、宿題で「原発の良い所」を探してきてもらいました。「東電は悪だ!」という偏った報道にも共通点を感じています。

 もう少し視点を広げ、人生で考えてみましょう。

 皆さんが、自分の人生を生きていく時に、自分の足で立って判断する時にきっと役に立つと私は考えています。

・好きな人と結婚する時に、良いことばかりで判断して良いのですか?

・会社に就職することは、本当に良いことなのですか? それは「誰かの意見をそのまま受け入れただけ」ではないですか?

・大学に進学して本当に良かったですか? 振り返ってみると良いことだけ、でもなく、悪いことだけでもないのではないですか?

・あなたの友人は、素晴らしい点があるから、自分にとって有益だから、友達なのですか?


 自分の心の声を聞くために、肯定と否定の両方を見ていってほしいと思っています。

 最後に、金言を1つ

 「友人になるコツは、弱点を許し受け入れることです」
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