エッセイ「【随筆】車から遠かった私 弐」

  「富士論語を楽しむ会」の同人誌に投稿した原稿です。
  以下本文です。


 自動ドアを出て、振り向き、ぺこり。
一礼に「有り難う御座いました。」の気持ちを込めた。
 トボトボと下を向きながら自転車へと向かう。はぁーっと溜息(ためいき)。

「何の溜息だろうか・・・」
「そういえば、家族のために自動車学校に来たのに・・・」
「いつの間にやら、熱中していた。」
「今日で最後・・・実感がないなぁ」

 蒸し暑くなった青空に、自転車を蹴りだした。

 六月七日土曜日、自動車学校の卒業検定の日。二回目で合格して午後には卒業証明書を頂いた。帰り道に呟(つぶや)いた。後は、免許センターで試験を受けるだけで、自動車に乗れる。自動車に乗ってかみさんと子供達を乗せるのが目的だったのに、自動車学校に熱中していたのだった。どうしてそうなったかを自動車学校入校時から卒業時まで振り返ってみたい。

入校時
 一人だけ年齢が倍の学生。四十歳の学生になった私は、ちょっとドキドキしていた。久しぶりの学ぶ喜びを期待した。もう一つ、教え子に合わないか?と。三秒ほど言葉を交わしたのが中国人の留学生だった。後は知り合いに逢わず、気楽な気持ちで勉強が出来た。学生同士の会話も少ない。時間が人それぞれなので、やはり小中高校などとは違った。学校にいる学生も繁忙期(はんぼうき)の三月を過ぎると、授業に十人前後しかいなくなった。最も多い時で八十人を超えると云う。
 
授業
 自動車に関る諸問題を勉強する。もちろん、標識や道路標示、法律や事故の時のこと、自動車の仕組みまで学ぶ。ただ、授業は四百頁の本を一冊暗記するだけで良い。しかも、暗記の必要なページ数は参拾(さんじゅう)頁程度だ。授業数は約三十時間、テストは九割以上で合格。授業を聴けばまったく勉強しなくてもテストで八割はとれるから、二十回以上受けた予備テストで不合格は三回だけだった。先生の教え方が上手だった。大学や高校の先生の中に入っても上手だと感じた。声の高低が一定、教材の使い方が上手だった。大学や高校の先生は自分だけで授業の準備をするから、個人差が大きい。対して自動車学校の先生は全員同じ授業をする(だろう)から、よくよく検討されている。
 私が最も教わったN先生は、授業開始時に「午後は眠くなるけれど頑張って下さい」とか「今日はこれで最後ですから頑張って下さい」とか「今日は天気が好いから遊びに行きたいでしょうが頑張りましょう」とか一言入れてくれる。授業は寝ると出席の判子を貰えない制度なのだけれど、それをきちんと、厳しく注意する先生であった。そのため良い緊張感を持って受けることが出来た。学校の入口にあるインストラクター(教員)のメッセージには「共に学ぶことを大切に」とあった。素晴らしい先生であった。歳は二十代後半であろうか。

そそっかしい運転
 自動車を実際に動かす。最初は運転席に乗るのが恐ろしかった。弐拾年以上前の出来事だから書けるのだが、実は無免許で運転して事故を起こしている。怪我や死亡など人間に害は与えていないが自動車を大破させている。また、無免許で運転していると、楽しくなってしまい、百キロ近く一般道で出したこともあった。事故の反省として私はどうも、自分の能力を過信しやすい性質で、スピード狂である、と結論付けた。
 警察はさすがである。入校時に警察の運転者としての特性を知るためのテストを受けた。そのテストの結果がズバリ的中している。テストの正式な名前は「運転適性検査(K‐2)」で、学科の時間に全員で分析結果を聞いた。最初の二つに私が当てはまった。一つ目、「状況判断力が高い」人は「運転軽視タイプ」になる。「信号機で青まで待てない」や「周りの車の動きを早合点しがち」で事故を起こす、と口頭だけでなくビデオも見た。余程、事故を起こすタイプらしい。
 二つ目、「動作の正確さ」と「動作の速さ」が離れているタイプは「せっかち型」になる。動作は速いが正確でないので、気持ちだけが先行してしまうのである。確かに運転技能実習の時、「もう少し動作に慣れましょう」と何度か言われた。気持ちが先走ると勘に頼るようになるので、再確認、減速を忘れないこと、と同じくビデオで注意された。弐拾年以上前を思い出してみると、事故原因は確かに「せっかち型」だった気がしてきた。多分。
 この分析の後から、再確認と減速を徹底して心掛けた。卒業試験前の見極めの技能実習も、卒業試験の時も「周りをきちんと確認して、減速しているのは素晴らしいです。しかし、実際に免許を取って運転したら、もう少し素早く動けるようにしましょう」とご助言を頂いた。このご助言に、成果が出たことを実感した。

運転技能実習
 最初の運転技能実習の時には、弐拾年前の運転などすっかり忘れていた。アクセル、ブレーキ、クラッチの位置も忘れ、半クラッチは何だっけ?という状態だった。都合良く忘れてくれて変な癖がなくてむしろ良かった。運転教本を読み、教官が技能教習の最後に教えてくれる助言を運転教本の余った頁に必死で書き込んだ。次の技能教習の前に見返し、二度と繰り返さないように心がけた。
 最初はハンドルを上手に回すことが出来ず、家で一人で参、四日は練習した。半クラッチは中々難しかったが、教習が十時間を超えてくるとコツを掴(つか)んできた。対して、バックする方向変換や縦列(じゅうれつ)駐車は三十回以上行ったが、ほぼ完璧だった。方向変換も縦列駐車も手順と方向変換の位置などが決まっているので暗記すれば出来るからだろう。
 しかし、路上に出て、周りの車の速度が速い中で手早い操作は難しかった。また、周囲の確認は何度してもし過ぎることはない。どこかで見切りをつけないといけない。こういう行動は不向きだった。
 先程述べたように、卒業検定の技能教習の後、教官に「実際に免許を取って運転したら、もう少し素早く動けるようにしましょう」と助言を頂いた。まさにその通りである。
 技能教習で楽しかったのは、AT(オートマ)車の運転と高速教習だった。とにかく、AT車は操作が楽である。ブレーキを掛けないと勝手に進むクリープ現象があるから低速のコントロールが楽だし、なにより半クラッチがない。その分運転に集中できる。現在販売されている日本の車は九十九パーセントがAT車だそうである。高速教習も楽しかった。周囲の確認や交差点での忙しい操作がなく、ゆったりとした気分で運転できた。技能教習も同じく約三十時間だった。






二回の試験
 自動車学校には二つの段階があった。一つが仮免許を取るための段階。自動車学校内を走らせて合格すると、学校外、つまり実際の道路で練習できる仮免許が貰える。
 次の段階は、学校を卒業するための段階。仮免許で実際の道路を走れるようになり、走らせてちゃんと運転できるようになると晴れて卒業するのである。
 第一段階(仮免許)は、技能試験(運転)と学科試験(テスト問題)の両方に合格しないといけない。学科試験は五拾(ごじゅう)題の九割以上で合格。
 学科の試験を受けるためのテストもある。学科と同じ範囲で九割以上合格しないと学科試験を受けられない。効果測定という。これは卒業試験の学科試験にも課されている。学科試験だけ書き出してみると、左のようになる。

① 仮免前の効果測定
 ↓
② 仮免の学科試験
 ↓
③ 卒業試験前の効果測定
 ↓
④ 卒業試験の学科試験
 ↓
 運転免許センターでの学科試験

 全て九割以上合格で次の段階に進める。私は①と③の効果測定に合格した後も、幾つも同じ範囲のテストを受け続けた。それが冒頭に書いた「弐拾回以上受けた予備テストで不合格は参回だけだった。」になる。①で九割以上取れないと次に進めず、結局運転免許を取れない人もいるそうである。ちらり、と何人かのテストの点を見たが、四十点台の人もいた。また、十回以上合格できない人もいた。
 これらのテストは自宅でも受けられるのだが、私は全て自動車学校で受けた。自宅では緊張感をなくしてしまうからである。
 第一段階の仮免の技能試験と学科試験を合わせて合格しないと第二段階に進めない。ただ、卒業試験は技能試験だけなので、卒業の学科試験に合格しなくても卒業は出来る。

試験免除の制度
 私の通っていた自動車学校は、技能試験だけ免除になる学校だったのだ。静岡県内に四十以上自動車学校がある。自動車学校には、技能試験と同時に学科試験の免除される学校もあり、全く免除されない学校もあるそうである。これから自動車学校を考えている人は、「免除される試験が何か?」をきちんと確認した方が良いことが判った。
 私が自動車学校に入る前に、「十日間の集中合宿で自動車免許を取るのが良いかもしれない」と考えたことがあり、人にも勧められた。ただ、その際には「技能や学科が免除されるのか?」ということを考えていなかった。十日間で二十万円の合宿プログラムは実は免除がないかもしれないのである。
 なんにせよ、私は二つの試験に合格し、後は運転免許センターの学科試験と適性試験(視覚など)を合格すれば免許が貰える。もしかしたら技能試験があるかもしれないのだが。

卒業試験
 卒業試験までは順調に進んだ。一回だけ腹痛で熱を出して技能実習の日を変えてもらう以外、①、②、③までは順調に進んだ。③は一回で九十七点をたたき出した程だったし、運転技能の見極めでも太鼓判を押して貰った。
 しかし、卒業試験の前々日、熱が出た。汗がダラダラでてきた。子供の熱が移ったのかもしれない。しょうが湯や薬などで体調を強引に戻して前日に頭の中がグルグルしなくなった。そこで、迷いに迷ったが家で安静にせずに自動車学校に模擬試験を受けに行った。そこから体調が悪化してしまった。翌日の試験当日、朝八時四十分集合。教室に入って席に着き、目を閉じるとグルグルしていた。
 試験は通常、弐、参人の受験者が交代で運転する。私は最初であった。最初に登場し、一回左折して次の信号機、停止線の直前で信号が黄色になった。私はブレーキを踏むか迷ってブレーキに足をかけると、試験官はブレーキを踏んだ。これで一発不合格になった。
 当の試験官が「交差点の黄色信号は難しい。だからゆっくりブレーキを踏んでオーバーしてもバックすれば良いですよ。減点はしませんよ」という事前の説明をしていた。だから、停止線を越えてもゆっくりブレーキを踏んでも大丈夫だと思っていた。さらに、黄色に変わって一秒程度でブレーキを踏んだのだから、進んでも良いと考えていた。実際に同じタイミングで次の試験では何の減点もなかった。卒業試験の合格者の一番のランプが灯(とも)らない時はショックだった。その後の説明で試験官に原因を全て尋(たず)ねた。
 怒りはあった。納得もいかなかった。他の減点は駐車時にバックギア(R)に入れないなどしかなかった。怒りで当日は頭がカッカしていた。教習所の最後のアンケートで書いてやろうか!とさえ考えていた。そういえば、その教官は「最後のアンケートで説明と違うと書かないで下さいね」と予防線を張っていた。常習者なのかもしれない。

かみさん、神様
 しかし、頭の片隅には、他の声もあった。「そうじゃないだろう」という声があった。帰宅する自転車でかみさんを思い出した。「ここまで順調に来ているのが怖いくらい。落ちてもまた受ければ良いんだよ。」という出がけの何気ない一言だった。救われた。怒りと落ち込みの中で帰宅すると、同じ言葉を言ってくれた。涙が出そうになった。「試験官と合う合わないもあるよね。」とも。有り難い。この言葉で冷静になれた。
 冷静になって「そうじゃないだろう」の声がはっきり聞こえてきた。
 「自動車を運転するのは家族を安全に乗せるため。免許を早く取るのが目的じゃない。試験に落ちたことを家族の安全につなげられるかどうかが重要」
 二週間後の卒業試験に向けて一回目の技能試験を受け合格を貰い、学科試験を四回受けて全て合格を貰った。そして無事卒業試験合格。
 もし、この卒業試験に落第していたら、再び弐週間後の試験になる。すると、六月二十一日になってしまう。第三子の出産予定日が六月十三日で過ぎてしまうのである。何としても受かりたかった。技能や学科は申し分ない。落ちるとしたら私自身の心が問題である。緊張で失敗する時だけである。とはいえ、緊張はものすごかった。技能試験の合格発表の時など、かみさんに告白する時くらい緊張した。心臓が飛び出そうだった。この十年で最も緊張した時間の一つだった。
 技能試験の順番は二番目の運転者。一番目の人が運転している時、後部座席座っていた。私は「二回目の技能試験の点数ではなく、家族を安全に運べる運転をしよう。」とだけ考えた。すると、不思議なことに、スーッと体の力が抜けて、緊張感も取れていった。もちろん、全てを達観したような無我の境地に入った訳ではないが大分気持ちが楽になった。
 そういえば一回目の試験の時は、試験官の咳払いや視線、後部座席の人の動きなどが気になっていた。試験官がメモをすると気になって仕方がなかった。振り返ると、運転の集中できていなかったのだ。それは熱のせいでもあるし、自分自身の集中力のなさでもあった。試験官を逆恨みしてしまったことが実感できた。三番目の人の運転で再び後部座席に座って、一回目の試験官に心の中でお詫びした。

卒業試験から学んだこと
 私が卒業試験から学んだことは、今述べた「運転に集中する」と「体調が悪い時に運転しない」の他にもう一つある。「~するだろう運転はしない」である。
 三番目に運転している人は、ひどい運転だった。駐停車車両があり荷物の積み下ろしをしている横を通って行く時、歩行者と三十センチの距離で二十キロ以上の速度を出していた。歩行者不保護で一発不合格になってもおかしくなかった。他にも進路変更の確認を何度も怠り、方向指示器も何度も正確ではなかった。試験終了後、彼は「絶対不合格だよ。年寄りと女の試験官は合わない。トイレに行きたくて運転に集中できなかった」と私に話してくれた。私も不合格かもしれない、と思っていたが、合格であった。明らかに私の一回目の運転よりも酷かった。
 しかし、一回目と二回目の試験官を責めるつもりはない。大切なのは彼のような技量でも実際の運転が可能、という点である。彼よりも酷い運転を実際の道路ではよく見かける。交差点で歩行者や自転車が止まっているのに進む自動車はしょっちゅうである。相手が自分の思い通りの運転、あるいは法律通りに「~するだろう運転はしない」のが重要なのである。それを学んだ。
 私の目標は家族を安全に運ぶ運転である。出来れば周りの人々、同じ国民の安全にも寄与する運転をしたいと願っている。
 まだまだ運転技量は未熟であるが、自動車教習所に約二カ月学んで最も心に残ったのは「家族を大切にする」であった。午後二時の晴れやかな青空へと自転車を蹴りだすと、早くかみさんに「合格」を伝えたくなった。
 
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