スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

エッセイ「皇室が「君子」となった江戸期」

 「富士論語を楽しむ会」の同人誌に掲載した原稿です。

 エッセイ全体で磯田道史先生の御本を参考と致しました。お礼申し上げます。



【歴史】皇室が「君子」となった江戸期  道雪(高木 健治郎)

 江戸期、という安定した時代が皇室への尊敬とその徳を民衆に浸透させていく時代となったことを書いていきたい。
 江戸期以前、皇室は一部の大名や貴族にとっては大切であったが民衆に省みられなかった。京都や奈良を除けば、皇室よりも地元の大名や将軍の末裔などが権威の象徴であった。平和な安定した時代になって、権威の象徴が皇室へとまとまっていき、文化や倫理の源となった。孔子は「仁」を、あるいは「礼楽」を大切にする。「仁」や「礼楽」を備えた君子が道徳を持って国をまとめていく。その理想が形になったのが日本の江戸期なのである。皇室(君子)の影響力が日本の隅々まで行き渡ることとなった。
 近年、特に江戸期についての発見が著しい。今回は磯田道史氏の著作を元にして書いていく。

暴力から理想へ
 江戸期以前の室町時代、応仁の乱などは「私的な暴力集団」が存在するだけの時代であった。強い集団に付き従うだけである。村単位の地侍は数箇所を支配する領主に従い、その領主も数十数百の村を統括する大名に従うのである。大名が弱くなれば領主は従わなくなる。こうした暴力と恐怖の時代は、人々の暴力を押しとどめるために、残虐な処刑が必要になる。武田信玄は一メートルを超える大釜、煎人釜(いりひとがま)で人を煎(い)った。ケチで有名な徳川家康は武田を滅ぼした後、安倍川に転がっていたこの大釜を浜松に運ばせようとした。命ぜられた奉行が運ぶ中、忠義第一で有名な本多作左門(さくざえもん)は、大釜を砕き割った。今川と武田の領地を支配する行政権は、住民の裁判権に基づく。家康の行為は当然であった。住民の裁判権を「仕置(しお)き」と言った。浜松で釜を待っていた家康は激怒した。「切腹か改易か」と噂されたが、家康は本多作左門の言葉を聴き、お咎めなしで感謝をした。本多作左門は

 「釜で煎り殺すような罪人が出る様では天下国家を治めることは出来ない」

 と言った。応仁の乱までの「私的な暴力集団」の統治方法(釜煎りによる恐怖)では、天下国家の安定した統治(法や徳による政治)が出来ない、というのである。武田の土地を入れて五ヶ国の大名になった徳川家康に、本多作左門は天下という先の目標を与えたのである。そして、この暴力による支配から理想による支配への転換が実際に遂行されたのが江戸期なのである。家康は豊臣秀吉のように血縁を基にした支配ではなく、理想による支配を断行した。そのためには、血縁を元にした支配を望む者は息子(結城秀康)といえども容赦しなかった。 
 家康の長男は信長に処刑を強要された。次男秀康は秀吉の養子となったが、英邁剛毅の性格であった。暴力集団による統治の時代には名君である。しかし、彼は理想による支配を理解できなかった。三男秀忠は小心者で戦下手。しかし、理想による支配を理解できた。家康は三男秀忠を後継者に選んだだけでなく、秀康を改易して領地を奪い、死ぬまで決して会わなかった。身内に厳しい姿勢を示して天下に理念による統治を示したのである。これは皇室や宗門(宗教)など他の政策でも一貫している。

カリスマ大名の必要性
 秀康が理念による支配を理解できないのも当然であった。戦国期を生きた人々にとって、為政者が権力をほしいままにして、暴威をふるうのは当たり前であった。大阪夏の陣で豊臣家が滅んだ時に二十三歳であった前田常利は、徳川幕府に次ぐ百二十万石を有していた。彼は徳川家からの嫁(珠姫)を愛した。珠姫もまた常利を一身に愛し十六歳から二十四歳までの九年間に八人の子を産む。ただし、前田家は徳川家に次ぐ百二十万石を有しており、徳川家にとって最大の潜在敵国であった。そこで家康は前田家に珠姫の側近たちを隠密(おんみつ)として送り込み、前田家をスパイさせた。隠密を務めていた珠姫の乳母(うば)の局は珠姫を叱責する。睦まじい姫に
「前田常利は所詮徳川家の家来ではないか。家来とそれでいいのですか!!」
「すっかりのぼせて!!腹立たしい!!」
と一種の精神障害(ヒステリー)のように姫を責めたてた。珠姫は三歳から親元を離れており、親代わりであった乳母の局に責めたて辛かった。産後の肥立(ひだ)ちも悪く亡くなってしまった。これを知った常利は激怒する。乳母の局を四尺(百二十センチ)四方の箱に蛇をつめ全裸で放り込む処刑をしようとした。数千匹の蛇が集められると隠密である乳母の局はそれを察知し京都に逃亡しようとした。捕まり軟禁された乳母の局は処刑の前に懐剣で乳房を刺して自害した。ただ、処刑されたとの異説もある。
 重要なのは、戦国期にあっては大名が私怨を晴らすために百二十万石の行政機関を利用できたという点である。それだけ大名の権能は大きかったのであり、為政者の感情と国家の行政は一体であった。それゆえに、大名にはカリスマ性が要求された。即断即決、英邁剛毅の大名が戦国時代には必要なのであった。現代社会でも今年に入り北朝鮮の第二位の権力者が家族もろとも処刑されたが、行政上の不手際ではなく為政者(独裁者)の感情に基づいている。法による支配や徳(理想)よる支配ではなく暴力による支配が現代社会でも行われている例である。

カリスマ大名から公家大名へ
 戦国期から江戸期になると大名は、こうしたカリスマ性を備え行政機関を動かしていく大名から、家老や奉行に行政を任せる大名に変化していく。『土芥寇讎記(どかいしゅうき)』という幕府が書いた秘密の本が残っている。幕府の官僚が二百数十名の大名の成績表をつけている。その本の中から引用して戦国期から江戸期に変わる例を磯田道史氏が挙げている。
 まず、磯田氏の体験から書き出す。彼の地元岡山の池田藩初代藩主池田光政と二代藩主池田綱政である。光政公は磯田氏の小学校時代の校長が朝の朝礼で名前を挙げるほどの文武両道の名君とされている。対して息子の綱政公は文盲で子供を七十人もつくる女好きの馬鹿殿様と伝えられている。次に、国史上最大の子供を作った綱政公は『土芥寇讎記』でも「生まれつき馬鹿(魯)で理性がない(分別あらわず)」と書いてある。治世についてはぼろ糞に書いてある。
 ただし、磯田氏はここで止まらずに、地元の伝承や『土芥寇讎記』に疑問を持ち、綱政公が実は優れた文人であったことを突き止めた。そこで磯田氏は綱政公が「馬鹿殿様」とされた理由を幾つか挙げる。その一つとして戦国期から江戸期への移行を指摘するのである。先ほどの秀康と秀忠の例と似ている。
 綱政公は西暦千六百三十八年生まれ、戦国の世を知らない。いつ戦があるか分からない戦国時代は質素倹約をして戦に備えるのが重要である。光政公は質素倹約を池田家の伝統とし、実際に戦でも大活躍した。息子の綱政公はこの伝統を捨てて、金ぴか趣味を取り入れた。その一つが姫路城であり、金を大量に使い華美に飾られた姫路城は世界遺産となった。他にも『源氏物語』の主人公に憧れて、和歌を作り、京女を取り寄せ、美しい屏風や扇などの品々を並べた。岡山に突如、京風の雅な世界が出来上がったのである。『源氏物語』の主人公よろしく恋歌を作り、昼となく夜となく女性を抱いた。これにより七十人の子供が生まれてきたのである。戦国期を知る重臣たちは、綱政公を馬鹿殿様と記したのである。しかしながら、綱政公は繊細な心遣いを歌に表せる当代一流の教養人であった。
 
公家化する日本人
 綱政は極端ではあるが、江戸期が平和になり大名は徐々にすることがなくなっていった。そもそも武士は戦闘要員である。過剰な戦闘要員が官僚に転換していくが、如何(いかん)せん戦闘要員の数が多い。過剰な武士はお役目につけないこともよくあり、同じ役職を二人以上で行うこともよくあった。そして藩の行政全体は老中が仕切る形に落ち着いていく。飾りとなった大名は持て余した時間を高貴なもの、美しいものへと注ぎ込んでいく。つまり、大名が京都の宮廷文化に憧れを持つようになり、徐々に大名の公家化が進むのである。この憧れは天皇への憧れへとつながり、江戸期が進むに連れて民衆へ広がっていく。幕末には下級武士や農民までもが天皇への崇敬の念を持つようになる。国学など皇室中心の歴史が民衆に行き渡るのも江戸中期からである。新撰組は農家の出身者達で構成されている。幕末には尊王は農民に命を掛けさせるまで浸透していた。他にも例は数あれども、磯田氏は雛人形という文化面で指摘している。『殿様の通信簿』八十七頁から引用する。

 『庶民までお雛様の美しさに憧れ、「お内裏様とお雛様」という宮廷文化の人形が天下万民に行き渡ったところで、徳川幕府は倒れた。』

平和な時代にすること
 平和な安寧の時代になり、大名のようにすべきことがなくなると人はどうなるのか。①恋愛を含めた人間関係、②芸術や博打を含めた遊興、③特に男性は位階(上下関係や地位)、④位階に関係のないものは宗門(宗教)に人はのめり込む。こうした流れの中で日本は公家化していった。皇室は『源氏物語』のように和歌文化を通して①と②を、位階は朝廷の任命するところであり③を、神道の中心としての④を備えていた。平和な時代になり皇室が庶民に受け入れられるのは当然であろう。他に、②の例は歌舞伎や浄瑠璃、浮世絵などである。④の例はお伊勢参りや富士講が考えられる。

ポナペ島の体験
 では日本以外の場所で③の位階について考えてみたい。というのも③は日本では大名以外にあまり発達しなかったからである。大学院時代、私はミクロネシア連邦というオーストラリアとの間にある人口四万人程の南の島に調査研究で行った。南の島ではバナナなどの南国フルーツが豊かで魚も浅瀬が沢山あり少し労働すれば容易に取れる。生存のための労働が日本よりもずっと価値が低いのである。言い換えれば平和な安寧の時代が続いてきた島なのである。そのミクロネシア連邦の首都があるポナペ島には四つの村がありそれぞれに生き神様(酋長)がいる。彼を頂点として位階が五十以上も分かれている。男性はこの位が一つでも上がることに一喜一憂している。財産は女性相続であるから、男性はより位階に執着するのかもしれない。ちなみに、私があった生き神様は六十歳前後のおじいちゃんで、小学校の時に習ったという日本の唱歌(しょうか)を歌ってくれた。少し不思議であったが、彼は島の公式行事では大統領より上の席に座るという。
 では女性は、と言うと恋愛を含めた人間関係に一喜一憂している。財産は女性相続であるから、母親さえ確定していれば財産上の争いはなくなる。日本のように男性相続の場合、父親の実子であるかどうかは財産相続の場合大きな問題になる。そうなると不貞や不倫行為は相続権への破壊行為となり悪とされる。しかし、女性相続ならば母親さえ確定していれば良いから不貞や不倫行為は悪としなくなる。ポナペ島では、結婚している女性と性行為をすることは悪ではない。むしろ、結婚していようとも言い寄ってくる男性を拒絶することを悪と考える。拒絶は恋愛を含めた人間関係を破壊する可能性を持っているからである。
 研修旅行中にこうした話を聞いて、私は財産の相続から以上のように考えると指導教官に受け入れられた。話は変るが、私は島に滞在中にある少女との結婚を勧められた。小学校低学年の少女が想いを寄せてきてくれたが、驚くのは母親や現地の人々は歓迎してくれたことである。同じように、研究旅行に同行した女子学生が現地の男性に夜這(よば)いを掛けられた。その際、現地の男性は「どうして拒否するのか?」という不思議そうに訴えた。現地の男性は未婚であり女子学生も未婚であったが、性行為を拒絶しない、否定的に観ないという相違点が察せられた。統計的に観てみると、ポナペ島では不貞や不倫などが悪とされないから、女性の出生率は九人前後である。五十年前は十二、三人であったというから驚異的である。同じく平和で安定した江戸時代の日本人の出生率の倍以上ある。
 以上のように平和に安寧の時代には幾つかのことに人々はのめり込んでいく。江戸期が五十年を過ぎると、平和を享受する時代になっていく。その時代は元禄(げんろく)と呼ばれ、文化が華やいで日本の独自性が出てくる。
 その時代になって、美しいもの、高貴なものを求める力が強く働き、皇室が日本全体に浸透していった。建国以来徳を積み重ねてきた皇室の歴史が理解されると共に、日本人の道徳心も高潔なものへと移り変わっていく。まさに、皇室が「君子」となっていくのである。磯田氏は高い道徳心を得ていく江戸期を以下のように表現している。『無私の日本人』七十七頁より

 「江戸期の庶民は、
 ―親切、やさしさ
 ということでは、この地上のあらゆる文明が経験したことがないほどの美しさをみせた。」

 絶賛である。皇室の「仁」が民に行き渡った時代が江戸時代であった。

 現代日本は江戸時代に続いて平和で安定した時代になっている。今後、皇室を中心とする精神性がもう一度、庶民の中に行き渡るのではないか、とも密かに期待している。江戸期のように思想や文化の面で何か出てこないか、わくわくしながら世の中を見て生きたい。

参考書
磯田道史著 『殿様の通信簿』 新潮文庫
      『江戸の備忘録』 文春文庫
      『無私の日本人』 文藝春秋
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

    名前:高木健治郎

書いたもの(平成29年度)
哲学(平成28年度)
科学技術者の倫理(平成28年度)
書いたもの(平成28年)
科学技術者の倫理(平成27年度)
哲学(平成27年度)
書いたもの(平成27年)
哲学(平成26年度)
「科学技術者の倫理(平成26年度)
講義録「哲学」
書いたもの(平成26年)
書いたもの(平成25年)
論文(高木健治郎の)
講義録「科学技術者の倫理」(平成25年度)
高木ゼミ『銃・病原菌・鉄』
高木ゼミ全6回『ぼくらの祖国』
教養講座6回分(平成24年度)   講義録21~
講義録「科学技術者の倫理」(平成24年度)     講義録1~15
最新記事
講義録「科学技術者の倫理」(平成23年度)
石上国語教室で行われた講演のレジュメです。哲学が足りなかったのが、福島原発事故の原因の1つではないか、と考えています。

「哲学のススメ2」レジュメ

最新コメント
カテゴリ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。