哲学10-1 プラトンの真なる目的とは

 皆様、こんにちは。
冬が始まり3週間目、晩秋の香りが消え、冬の実感が訪れています。朝、玄関のドアを開けると、顔面をかじるような寒さがやってきます。自転車に乗る集団の高校生の元気を分けてもらって、体を動かします。静岡県は冬の日照時間が全国でもトップ3に入りますから、太陽の日差しで背中を押されて、自転車に乗ります。
四季の運行、星の運行を神々の真理と見て、人々の社会の儚(はかな)さを想い測った古代ギリシャの人々の感覚が思い起こされる、冬の朝です。朝起きてカーテンを開けて、お日様が出ていると、「ああ、良かった」とため息とも取れる息を吐きます。
それに反抗したソクラテス、この感覚を乗り越えようとしたプラトン、なんとも凄い人々だと感じます。私もそれを学び、感覚としてはつかめなくとも知識として知りたいですし、学生の皆さんにお話できれば、と努力したいと想っています。今回の講義の予習を振り返ると、私自身の実力不足で20時間以上掛かりました。最も重要な回だからでしょう。本を読み、自分で納得し、バラバラにして、組み立てて、実例を探す、という行為を何度か繰り返しました。その過程の中で、自らの中にストンと落ちるものがありました。私は、学者としてはあまり優秀ではありません。というのも、自らの興味があることばかり追い求めるからです。論文の題を見ると分野がバラバラです。科学哲学者ポパー関係、技術史、文化史「千と千尋の神隠し」、情報「ネット社会のあり様」です。何を求めているか、といえば、自らの中にストンと落ちるものなのです。人生は短い。何時死ぬか判らない、だからしたいことだけをする、と突っ走って来ましたが、なんと40年も生きてしまいました。ますます、残りは少なくなっていますが、少しは人生を平均寿命で考えれば良かったのだろうか、とも実感しています。その中で、今回の講義は私にとって意義深いものとなりました。このような機会を下さり、誠に有り難う御座います。

―講義内容―

 -本日の問題

問1 運動方程式をイデア的存在論と自然的存在論から観て述べて下さい
問2 哲学者が真・善・美を庶民にそのまま伝えたらどうなると思いますか?
問3 皆さんの身の回りにあるイメージ(影)の例を3つ挙げて下さい。
(別のクラスの問3 2つの正義を単語で書きなさい。)
問4 感想

-問題の解答例(高木)

問1 イデア的存在論:イデア 自然的存在論:存在しない(不自然)
問2 殺される(殺された)
問3 自動車、スマートフォン、ダイヤモンド、たばこ、TVゲーム、アニメ
(別のクラス問3 イデアとロゴス)
問4 イデアが理解できた、との感想が多くて安心。予習に20時間以上は掛けすぎか。

 -伝達事項
① 「高木健治郎のブログ」の紹介:学生コメントで希望があったので
② 前々回の宿題レポートの解答例を講義録「哲学8-1」に掲載したこと。例年より平均のレベルが高いこと。
③ ブログを復習に利用して欲しいこと:学生コメントに「難しくなってきた」とあったので

-プラトンの真なる目的とは

 今回が最も大切な講義かもしれません。徐々に難しくなってきている、とのコメントが数名出て来ました。「徐々に哲学が嫌いになっている」とのコメントもありました。それは正常な反応だと想っています。というのも現代日本の捉え方と哲学の捉え方は違うので、違うものを取り入れようとする時、否定的な反応が出てくるのは当たり前だからです。むしろ、哲学の感覚を上手く伝えられているのだと想っています。嬉しく読みました。

真なる目的:新しい観方(思想、世界観)を創り、祖国アテナイを救うこと

 -イデアの理系的説明

人文系の説明では、言葉で説明しているのが殆どですが、学生の皆さんが理系であること、もう1点プラトンは数学という理系的な思考で哲学を打ちたてようとしたことから、理系的な説明をしたいと思います。1つは以下のように比較図で、もう1点、本質を図で、最後に中学校の理科の知識で説明します。西欧哲学の難解さは言葉の複雑さの中に何かを隠したいから、あるいは曖昧にしたいから、という意図からと私は捉えています。そうした哲学(思想)は、不完全なる存在者が完全なる存在への接近という形而上学的欲求に基づくからこそ出てくる矛盾であり、物語としての解釈から離れるものです。この講義では古代ギリシャの哲学を1つの物語として捉え、出来うるならば現在の私達の来歴を相対化できるように、との意図を込めています。ですから、西欧哲学の難解さを裁断して、理系的説明を行っていきます。それではプラトンのイデア的存在論とソクラテス以前の自然的存在論を比較図にしてみます。

―イデア的世界と自然的存在論の比較図

        イデア的存在論           自然的存在論
提唱者     プラトン         ソクラテス以前の哲学者、老子など多数
利用者     一神教の人々        古代ギリシャの多くの人々や日本など
原理      つくる               なる
原理の類比   人間が作る             動物の生殖
正義      イデア               ロゴス
存在の本質   イデア界(神の国)          この世(地上世界)
世界の数    2つ(神の国とこの世)         1つ(この世)
理想国家    哲人王の統治            アテナイ:民主主義
                          スパルタ:専制主義など
国家の主権者  哲学者:真・善・美を理解       民衆や血族による継承など
                          真・善・美の理解に関係なし
国家の運営   不変の理想を追求          成り行き任せ
運営の具体化  不変の正義             話し合い(利害調整)
                          正統性(現状維持)
基準      時代や社会で不変の基準       時代や社会や基準が変化
神と人との関係  神と人は関われぬ         神と人が関われる

 それぞれの説明に行きます。原理です。現代の日本では「子供が産まれて親に「なる」」と言います。そして親の属性で呼ぶようになります。配偶者を名前で呼んでいたのに、子供が産まれると母親になり、そのように呼ぶのです。「A子さん」と呼んでいたのに「おかあちゃん」と呼び方を変えます。そして神に最も近い子供を基準にする所が日本の面白い所です。子供が産まれると、私の母親を「おばあちゃん」と呼ぶようになるのです。私の母親なのにも関わらず。対して、アメリカでは「ミスター、タカギ」は周りに関係なく、下の名前で「ケンジロー」と呼ぶでしょう。あるいは、夫婦関係があるなら旦那さんと呼ぶでしょう。西欧が個人主義だ、と言われますが、この「なる」と「つくる」は大いに関係しています。人間は創造神によって創られた、という神と人の「つくる」を基準にした関係だからです。対して日本はご先祖様からつら「なる」ので私が産まれるのです。ですから、つらなりの中で最も下に合わせていくのでしょう。さらに言えば、職を得てサラリーマンに「なる」。町内会の一員に「なる」。などです。「なる」ことで幾つものお役目につき、その中で自己が確立していくのです。人間個人の根本に「なる」があるのが日本ですし、「つくる」があるのが西欧です。どのような職に就こうとも個人の根本は変わらない、と言うのです。「善人に生まれ変わる」ことは西欧では考えられず、「善人は善人で天国、悪人は悪人で地獄」と決まっている、あるいは決められてしまうのです。

 -原理の類比

 原理の類比は前回述べた牛の出産です。牛の出産を昔は、自然に任せていました。牛同士の生殖に任せていたのです。他方、現在は、牛の個体の性質を見て、計画的に出産を管理しています。血統によってどのような牛、例えば肉が多い、乳が沢山出る、を創るかを考えます。そして、獣医が肛門から手を差し入れて強制的に受精(着床)させます。動植物は神によって作られ、人間が統治する存在者であるという思想に基づきます。私は北海道の牧場でその現場を実際に目にして、少し違和感を持ちました。漫画『銀の匙(さじ)』ではそのシーンもありますので、参考にしてみて下さい。神が人をつくる、という発想は古代ギリシャには珍しい発想で、プラトンが旅行中ユダヤ人から影響を受けたのではないか、と言われています。砂漠の厳しい自然の中では、人間が生産管理をしなければ生きていけなかったのかもしれません。日本やギリシャのように植物や動物が豊かで、成り行き任せ、でも文化が育つほどの生産物が取れなかったことの差が、この思想の差になっているのかもしれません。この点は色々な人が説明や解釈を加えていて面白い点でもあります。和辻哲郎氏は風土、農耕と狩猟、放牧などの差などの説です。

―世界の差

 2つの世界がある、というのは「二世界説」と言われます。この点でユダヤ教の神話とそっくりです。また、日本でも閻魔大王の裁判による天国地獄なども「二世界説」の一例です。対して富士山信仰の修験道のように地上から穴を通じてあの世(地獄)にいける、という説もあります。1つの世界の中に天国や地獄やこの世があるのです。映画「千と千尋の神隠し」はこちらの説です。さらに、プラトンは輪廻転生(りんねてんしょう)が見られます。輪廻転生とは、魂が不滅で地獄や天国やこの世に行ったり来たりしているという考え方です。プラトンやインド教(ヒンズー教)、仏教など世界に広く観える考え方です。これに対してキリスト教は、天国に言えばそれで終わり。地獄に行っても終わりです。魂は不滅ですが、行ったり来たりはないのです。現在の私達はどうでしょうか? 死んだら終わりで、この世に戻って来られないのでしょうか? 戻ってくるのでしょうか? それさえもはっきりしていないのが多いのではないでしょうか。

-正義と存在の本質

 来週、アリストテレスの所でも詳しく述べますが、プラトンの特徴の1つは、「この世の正義を追い求める」自然的存在論から、「あの世の正義を追い求める」イデア的存在論に置き換えた点にあります。この世の2つのロゴスとノモスから「2世界説」へと構図をそのまま移し変えた、と見ることが出来ます。もちろん、プラトンの哲学の奥深さを言い表していませんが、構図だけを見ると、この世の2つの区別の対比、をあの世とこの世の対比に置き換えたとなります。これは存在の本質がロゴス=神の世界から、イデア=神の世界への置き換えでも共通しています。ここに何を感じ取るか、はそれぞれでしょうが、単語の意味を押し広げることで新しいものを作り出す、という構図は、2400年以上昔から変わっていないようです。現代日本でも、日常生活にある商店をインターネットの世界の押し広げることで大成功している幾つもの企業があります。何か新しい概念や新しい道具を発見したのではなく、既に与えられていたインターネットという道具を使って、日常生活を押し広げただけなのです。人間社会のあり様、というのはいないのかもしれません。私はインターネット社会の人間のあり様と日常社会の人間のあり様が同じである。むしろ、日常生活の人間のあり様にそぐわないインターネット社会のあり様は淘汰されていくという視点で論文を書きました。論文は「人間のあり様としてのネット社会」です。ブログで以下に掲載しました。

論文「人間のあり様としてのネット社会」
http://takagikenziro.blog.fc2.com/blog-entry-350.html

プラトンの哲学が2000年を超えて現代でも通用し、『古事記』の世界観が現在でも通用していることから類推したからです。
 
-理想国家、国家の主権者、国家の運営

 プラトンはアテナイの再建を目指したのですから、理想の国家像を提出しました。それは哲学者の統治する国家です。『国家』などに書いてありますが、哲学者とは、真・善・美というイデアに触れた人を指します。哲学者による専制主義は、血統や権力闘争による専制主義ではありません。また、真・善・美という理想を持たない、それらに関心のない民衆が主権者になっている民主主義とも異なります。前に述べたようにアレクシス・トクヴィル著『アメリカの民主政治』には現代における衆愚政治が描かれています。彼らは、自らの利益だけを追求し、正義や歴史の流れなどを考えようともしないのです。アメリカだけでなく日本でも同じことがありました。

-運営の具体化と基準

 例えば日本の小学校では生徒同士のトラブルがあった時に、当人同士の話を聞きます。その上でどうするかを話し合うのが重視されます。それは話し合いという利害調整でしかなく、この世だけで考えているのです。対してイデアは不滅の正義ですから、一方の話しか聴かなくとも、それが客観的事実であれば他方を一方的に裁くことが出来ます。不変の正義に従って行っているからです。日本では建築業界を始め談合(だんごう)が行われてきました。談合とは話し合いです。話し合いによって現状、10社会社があれば順番に仕事を回していくのです。そうやって利害調整をして10社あるという現状維持を図るのです。現在、談合は悪の象徴のように言われますが、全ての人々が富を等しく分けあうという点、社会全体か安定するという点において極めて優れた社会システムでした。現在は競争入札という金銭だけを不変の正義とする社会システムに替ってしまいました。金銭だけであれば小学生の描いた絵が10円、20年のプロが描いた絵が10万円なら小学生の絵が勝つのです。そして市役所や国会議事堂のような場所に小学生の絵が飾られることが起こりうるのです。このようなことは実際には起きないでしょうが、原理的には金銭という不滅の正義がまかり通るのです。質の問題は顧みられず、一方的に裁くことが出来るのです。現代日本を生きる私達と全く異なる判断基準がここにあります。

-神と人との関係

 日本ではオウム真理教の凶悪事件が起こった後、2日ごとに1つの宗教団体が登録されていきました。日本では宗教が嫌いな人が多い、と言われながら宗教に深く関わっています。けれども、日本人は宗教の本質を理解している人は少ないと言わざるを得ません。この場合の宗教とは、単に一神教という意味だけでなく、阿弥陀様などの仏教も含んでいます。その本質とは、「神と人は関われない」という点です。「人間側から働きかけて何かを神様から引き出す」というのは、非宗教的な考え方なのです。これは宗教と宗教団体で述べたように「お守り」や「ご祈祷」を指しています。
キリスト教では「神様は全員に等しく愛を下さっている」が、「人間が愚かなので気がつけない」と考えています。仏教では「全員が仏になる性質を持っている」が「人間が愚かなので気がつけない」と考えています。
そこで、「神の愛に気がつけることで救われる」とキリスト教は言い、「自らの仏を悟ることで解脱できる」と仏教は言います。
どちらも、神に人間が関わることは出来ない、のです。神様から人が引きだすのではなく、「神様(仏様)に気がつく点」が大切なのです。
しかしながら、宗教団体を維持するために「お守り」や「ご祈祷」が出てきてしまうのです。これはどの宗教団体でも出てくる歴史の事実です。

-正義と正統性の違い

 たとえ話を補足します。西欧の法律では「時代や社会を超えること」を目指しています。ですから、暴力を振るった際、「先に手を出した方が悪い」となります。それは「時代や社会を超えること」として扱われています。他方、日本では「当事者の事情」をよくよく考えることが度々見られます。「先に殴ったのは悪いけれども・・・事情があったんだよ」という訳です。それで大分罪が軽くなること、罪がなくなること(不起訴)などもあるのではないでしょうか。それでは成り行き任せ、つまり「時代や社会を超えること」にはならなくなってしまいます。日本では法律がトラブルの2割、あるいは3割しか解決していないという意味の「2割司法」や「3割司法」という言葉がありますが、弁護士の人が自嘲(じちょう)気味に使う、この辺りに原因がありそうです。日本にいる法律家の人々が四苦八苦している点かもしれません。
 正統性や利害調整の方も観てみましょう。正統性は現状維持ですし、利害調整は当事者の気持ちや感情も入ります。そうするとどうなるか。「声が大きい方が勝つ!」ということになります。あるいは「人数が多い方が勝つ!」ということになります。
 中学校がいじめのピークですが、5人が1人をイジメているとします。中心メンバーの2人を除いた3人が「やり過ぎだ」となってイジメられている側に着くとします。すると、2人対4人となり、今後は「イジメたやつ」が少数派になり「無視」や「具体的なイジメ」の対象になることがあります。あるいは、クラス全体から「イジメていたから」と、つまはじきになることがあるのです。これには、正統性や利害調整が現代日本の判断基準が現れています。「無視は良くない」という不滅の正義が、正統性や利害調整によって蔑(ないがし)ろにされている例です。先ほどの「3割司法」と共通しています。ちょっと抽象的な例でしたが、このようなことは、職場やサークルや町内会などで時折あるのではないでしょうか。

―尖閣諸島と現状維持

 尖閣諸島に中華人民共和国が、人民解放軍を主にして漁船(漁政)や航空機などで進出してきています。日本は「国際法上も、現状も日本の領土である」と主張するだけです。これは現状維持を求めているに過ぎません。中国が「防空識別圏」を設定したのはけしからん!とは言いますが、ではそれに対する報復行為を行いません。なぜならば現状維持を求めているだけだからです。
 不滅の正義で考えてみます。すると「挑発行為を国際法違反で、領土を脅かそうとされた」のならば、相応の責任を負わせなければならなくなります。つまり、台湾海峡への自衛隊の派遣、上海への潜水艦の進入、中国船籍の入港禁止などです。アメリカは実際に同じ行動を行っています。しかしながら、徴発された側の日本が何もしていないのです。どうして報復行為をしないのか、と不滅の正義からは導き出されます。
 それであるにも関わらず、日本は民主党政権時代に決めた尖閣諸島漁船衝突事件(本当は領海侵略と器物破損行為)の撮影の記録ビデオを公開していません。国益を優先したある公務員が居たからこそ日本国民はその映像を見ることが出来ましたが、それ以外の映像は公開せれていません。国益優先ならばこのビデオは国民の「知る権利」を最も象徴する内容なのではないでしょうか。現在議論中の「秘密保護法案」の議論で、この点が焦点になっていないのは残念でなりません。北朝鮮による拉致事件解決への歩みが議論の俎上(そじょう)に乗ったことは歓迎しています。
 プラトンの「イデア的存在論」は現代日本を考える時にも、ある未来へ示唆してくれます。

-運動方程式にあるイデア

問1 運動方程式をイデア的存在論と自然的存在論から観て述べて下さい。

補足:運動方程式とは、「力を加えない限り速度は変化しない」や「力を加えると質量に応じて加速する」です。数式で書くと 「F=ma」 Fは力、mは質量、aは加速度です。
中学校の理科で習います。

 重たいものを机の上で横から置くとします。すると、重たければ重いほど加速しない、のです。これが現実世界です。重さが3倍になると速さが3分の1になります。これがイデア的存在論です。上の2つの文には明確な差があります。中学校で習った時、皆さんは2文が同じである、と教えられ理解したのです。

問1の解答

①運動方程式「F=ma」は、イデア的存在論で見ると「イデア(完全なるもの、不滅の存在)」です。

②運動方程式「F=ma」は、自然的存在論で見ると「存在しないもの(不自然)」です。

 以上です。
自然的存在論から観ていきましょう。この世だけ観ていたら「F=ma」は絶対に出てこないものです。存在しないものです。前回のユークリッド幾何学と同じです。皆さんは運動方程式を中学校の時におかしい?と思いませんでしたか。

-不自然な運動方程式

 不自然な理由を挙げていきましょう。

○摩擦なし
○空気なし
○物体に幅がない

○摩擦なし
 中学校の理科の問題で「摩擦なしで考えなさい」と注意書きがなかったでしょうか。しかし、この世の中に「摩擦なし」は存在しません。不自然です。「摩擦なし」ならば、そもそも物を押すことが出来ません。足の裏と床に摩擦があるから、人は物を押せるのです。つまり、人が物を押す場合は「摩擦あり」だから出来るのに、物を押す場合だけ「摩擦なし」とするのです。

○空気なし
 この世に空気がない、のは存在しません。不自然です。しかし、F=maには空気抵抗を考える項目が入って来ていません。宇宙空間でさえも薄くですが、原子が拡散しています。空気抵抗を考えなくても良いほど少ないことと、空気抵抗がないことは一致しません。ですから、現実世界では空気抵抗が無視できるほど小さいか、無視することでしか「F=ma」は成り立たないのです。しかし、中学校の理科の問題では「空気抵抗は無視して良い」と書いてありませんでした。数年前、高木は中学校の理科を教える塾の講師をしていました。
 
○物体に幅がない
 「長さがない」と答えてくれた学生さんがいました。素晴らしいです。「物体に長さがない」のです。ユークリッド幾何学で説明と同じように、物体には長さがないのです。この世に「物体に長さがない」は存在しません。不自然です。
 ではもし「長さがあったら、F=ma」はどうなるでしょうか? F=maは成り立ちません。長さがあると「回転」が生じるからです。回転は物理学では「モーメント(回転偶力)」といいます。公式は「M=FL」です。M:モーメント、F:力、L:長さです。
 例えば皆さんが座る椅子、その椅子をおへそ(ほぼ重心)に寄せて軽く持ちあげて見て下さい。次に腕いっぱい伸ばして、おへそから椅子を話して持ちあげて見て下さい。質量(m)は変わらないのに、持ちあげるための力(F)は余分に掛かることでしょう。これは長さ(L)が増えることで、Mが増えるからです。モーメントの式もイデアですが、F=maは物体の幅を0(ゼロ)としているのです。
 長さがあると向きが出て来ます。ペットボトルを横向きに落とすのと、縦向きに落とすので(どちらを縦にしても)落ち方は変わるでしょう。落ちてから回転して方向が違うのです。しかし、幅がないので落ちてから回転しないのです。

 以上の3点から、「F=ma」はこの世だけを観ていても決して出てこないのです。ですから、日本では運動方程式は結局出て来ませんでした。ニュートンの運動方程式に必要な微分積分を生み出したのは西欧と日本だけですが、西欧は神の世界を追い求めていたから、この世の世界だけを観ていては出てこない運動方程式という原理に行きつきました。対して日本は、世界最高の数学をクイズにして皆で楽しんだのです。神社に数学の問題が奉納されています。歴史の結果は1回の事象であり、プラトンが居たから西欧だけが運動方程式を生み出せた、というのは学術的に問題(因果か近接か)があると考えますが、社会科学の範囲では説得力のある説明です。つまり、

「プラトンの哲学があったから西欧では近代科学が出てきた」

というのです。

―完全なる運動方程式

 ですから、運動方程式はプラトンの言うイデアであり「完全なる存在」です。この世の存在社だけを観ていては決して出てこないのです。プラトンの考え方をすると「完全なる存在」=「F=ma」の不完全な形が、私達の目の前で起こる落下や物を押すことになります。
 私達は中学校の理科で運動方程式を習った時、実はイデア=この世に存在しないものを、「直観」したのです。プラトンはこの「直観」を、ユークリッド幾何学で学びました。そして「直観」を多くした人が哲学者である、と考えたのです。さらに、「直観」とは何か、と言えば、生まれる前にイデアの世界に魂があり、それを想い出すこと、という当時も、現在の日本でも突飛な、面白い考えを発表します。後で詳しく述べます。次に、本質と「2世界説」を図にしてみます。

―哲学の正体:本質と「2世界説」

 上に書いたことを図に書いてみます。

イデアの世界 実際に観えない原理が存在する 例:F=ma     =「本質存在」
(神の世界)  魂の目でみえる世界
       真・善・美・正義などが存在する:時代・社会・人間を超えるもの
 

この世の世界 実際に見えるものしか存在しない 例:空気抵抗   =「現実存在」
       肉体の目でみえる世界
       フュシス、ロゴス、ノモス、正統性、利害調整


注目して欲しいのは、「本質存在」=イデア、と「現実存在」=この世の存在者の区別です。哲学は、「本質存在」が神や理性などに変化したり、「本質存在」が「現実存在」の上に来たり下に来たりしますが、根本は2つの世界がある、それぞれ別の本質がある、とする点を西欧哲学は受け継ぎました。これが哲学の正体なのです。

―哲学の正体と日本人の思想

 哲学の正体を日本人に置き換えてみましょう。日本の古代では「神様は山である」としてきました。古い神社では山そのものが御神体です。神道では神様に対して人間が関わることが出来ます。地鎮祭やお祈りなどで神主さんが「音を出して呼び出す」というのは、その実例です。そして「なんとなく神様がいるのを感じる」などの言葉も、日本では自然に語られます。しかし、「2世界説」からすると「神様が何となく感じられる」とは「神はこの世の存在者である」という解釈になります。これではプラトンの言うイデア的存在論ではないのです。日本人の来歴の中で、プラトンのいう「2世界説」=哲学の正体が大多数になったことは1度としてありません。高木の周りでもキリスト教徒を名乗る人、キリスト教に個人的に帰依しているという人がいましたが、この点において、キリスト教的な、あるいは哲学の正体を理解した、と実感させられた人が殆どいなかったのは言うまでもありません。「『新約聖書』の言葉は素晴らしい」、「神の愛を信じる」、「キリストは実在して原罪を背負って下さった」という言葉は聴いたことはあります。山本七平氏はこの辺りを比喩的に「日本教キリスト派」と言いました。詳しく述べたいことはありますが、日本の思想と哲学の正体とは根本的に相いれないことと、イデアの世界を提出したプラトンの特異性をきちんと認識して欲しいです。
 さらに、プラトンの考えを身近に感じてもらうために、ある例え話を説明していきましょう。最後にイデアと魂の不滅を説明していきます。

―洞窟の例え話

 講義で疑問に想ったり、先生の意見が違うと考えたり、自分の意見が出てきた際は、是非とも本を読んでみて下さい。それが大学での勉強(研究)です。大学での勉強は自分の意見を肯定すること、つまり自分を肯定することです。今回のプラトンのお話もとっても示唆に富む面白いお話です。

『国家』 第7巻 

 洞窟(どうくつ)の例え話

 図(黒板には図を描きました。話は分かりやすくしてあります。)

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――|壁
        洞窟出口 ……    火     A-(模型)  壁   縛られた人々   影|壁
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――|壁

 図説明
・左手奥には洞窟出口がありますが、右手奥からは距離が離れて見えません。
・火は洞窟内を煌々(こうこう)と明るく照らします。
・Aは人か悪魔など諸説ありますが、模型を持っています。
・壁は普通の壁。模型などが置かれています。
・縛られた人々は、私達を指します。生まれながらに縛られていて、縛られていることさえ気がつきません。縛られて右の奥の影を見ています。
・影は、明るい火で照らされた模型の影です。私達はその影を見ています。

 Aにいるのが悪魔である、という説もありますが、悪魔の存在は西洋にしかないこと、古代ギリシャの神話には特段登場しないことから違うと考えます。また怪物の説もありますが、洞窟の例え話全体の意図からして違うと判断しました。Aにいるのはソフィストです。ソフィスト(知識人)と考えてお話を進めていきます。

―現代日本の洞窟

 ソフィストは、模型を動かして声を操りながら火を右手奥の壁に影を作り出します。その影を私達人間が見ているのです。
ソフィストは知識がありますが、自分のことや人間世界の利益しか考えていない人々です。ソクラテスは「自分のための知識は本当の知識(智慧)ではない」と言いました。ですから、影を動かして、縛られた私達を意のままに動かすのです。現代に置き換えてみましょう。
ソフィストは自動車の模型を持っています。TVや新聞などで「自動車を買えぇぇぇ~! 自動車を買えぇぇぇ~! 異性にもてないぞ! 家族で自動車で出かけるのがいいぞぉぉぉ!」と模型を動かします。縛られた私達は何も考えないので「自動車って格好いい!買わないといけないな。異性にもてないな。家族を大切にしていないな」と思い込みます。私達は影を見て「ああぁぁああああ」と自分自身を振り返らずに行動するのです。
同じことがタバコやダイヤモンドの例で後述しますが、自動車の例で進めましょう。

大学生の皆さんは時給800円くらいでしょう。ちょっと高めに時給1000円にしてみます。すると、100万円の自動車を買うと税金や駐車場代やガソリン代などを入れると1日平均2000円~2500円掛かります。つまり、自動車を買うと自動車のために1日2時間から2時間半のバイトをしなければならないのです。タクシーは贅沢ではなく、自動車を保有する方がよっぽどお金が掛かるのです。ソフィストは知識がありますから気がついてしまうのです。しかし、彼らはそのことを自分の利益(ノモス)だけにしか使いません。
しかし、イメージ(影)で判断します。私達は「異性にもてたい。家族を大切に」などの、原価計算などをせずに購入します。あるいは原価計算というお金だけで判断してしまいます。「私自身は本当に自動車がないと生活できないのだろうか?」と静かに考えないのです。現在は、携帯電話、スマートフォンなども同様ではないでしょうか。「自動車を買えぇぇぇ!」と知識のある人々に操られ、縛られているのではないでしょうか。2400年前にプラトンが現代の日本を風刺しているのです。面白い例え話です。大東亜戦争(太平洋戦争)の時、日本が悪いことをした、あるいは日本だけが悪いことをした、というイメージだけで事実をきちんと見ずに判断していないでしょうか? 「宣戦布告なしに真珠湾攻撃をしたから日本は悪い」という人は、その前にアメリカが宣戦布告なしに戦闘を仕掛けてきたこと、武器を敵国に提供したこと(これだけで当時はアメリカからの宣戦布告になります)、貿易の禁止、ハルノートなどを行っていました。少なくとも国際法上、アメリカから宣戦布告があったのです。それを受けての真珠湾攻撃です。もちろん、戦争に負けた日本ではこうした歴史的事実は教えられていません。ただ、この講義は政治学、国際政治学ではなく哲学の講義ですから、こうした事実の是非ではなく、プラトンの洞窟の例え話の真意を考えてもらいたいのです。つまり

「多くの人間は、イメージ(影)だけを見て、自分が縛られているのにさえ気がつかない」

のです。では、次に、イメージから抜けだす人を見ていきましょう。

―洞窟から抜け出す人

 たまに、イメージ(影)の可笑しさに気がつく人が出てきます。そうすると反対側を見てしまう人が出てきます。その原因を探りに行くと火が見えてきます。火はそれまで影しか見ていなかった人々には強烈で、再び火の反対側、つまり影の方を向く人が殆どです。影の方を向きながら模型を動かす人がソフィストです。ソフィストは火の眩(まぶ)しさには耐えられませんが、自分の利益だけを追求するのです。自分が縛られているのに気がついた人が全てソフィストになる訳ではありません。ここが人間の面白い、なんとも愛くるしい所なのですが、再び縛られていた席に座る人々が出てきます。それもしたり顔でこう言います。

「今までそうだったから、ここが居心地が良いよ。小難しいことは知らない。考えたくない。」

 皆さんの周りにもいないでしょうか? チャレンジする面白さ、命を燃えつくす感動や体験に触れながらも、「でも、もういいや。やるの大変だし、みんなと一緒でいい。」という人々です。みんなと一緒でいい、と目を閉ざす人々です。目覚めないのではなく、目覚めても再び眠る人々です。

 対して、火の眩しさに耐えながら奥底、洞窟の入口に向かう人もいるのです。彼らは、眩しさに耐え、火を通り過ぎて、出口(洞窟の入口)を目指します。すると、火とは比べ物にならないくらいの光が目に入ってきます。丁度、高速道路のトンネルを抜けて、真夏の快晴に目がチカチカくらむのと同じです。その光にも耐える人が洞窟の外の世界、つまりこの世界の本当の姿を見られる人です。洞窟の外の世界には、本物のお日様、本物の緑、本物の自動車があります。洞窟の中で模型を使って映し出された自動車の影ではなく、本物の自動車です。それを見た時の感動は言葉に表せないほど素晴らしいものでしょう。

―洞窟の外を見た人=哲学者

少しの知識があり、火やお日様の眩しさに耐えられた人が洞窟の外を見られる人です。少しの知識とは、前回説明したように中学校の図形程度です。後で中学校の理科の知識で説明します。後は、何もいらないのです。本物の世界の姿を見ている人が哲学者です。哲学者になるのに、特別な才能や地位や名誉、性別、文化などは必要ない、とプラトンは考えました。
 本物を見た人は哲学者ですが、「ああ、今まで見ていた現実は影でしかなかった」ことを完全に悟ります。ソフィストは模型を動かしていますが、模型の自動車も本物の自動車には及びません。「本物でないことに気が付いていない」点では、縛られた人とソフィストは同じなのです。
 本物を見た人は、ソフィストのように自分の利益の誘惑に負けなかった人ですから、「本物の素晴らしさ」をソフィストや縛られている大勢の人々に教えてあげたくなります。伝えようとする、とプラトンは書いています。そうしたら本物を見た人はどうなるでしょうか?

問2 哲学者が真・善・美を庶民にそのまま伝えたらどうなると思いますか?

 ダイヤモンドの例で具体的に説明してみましょう。
 日本でも世界でも敗戦前にはダイヤモンドよりも真珠が3倍から10倍も高かったのです。
「真珠」、「真」=「本当の」、「珠」=「宝石」、つまり「真珠」=「本当の宝石」という意味の名前なのです。その美しさや温かみ、優雅さなどによって、古来より真珠は本当の宝石の意味でした。しかし、敗戦後にTVのCMやハリウッド映画などを通して「ダイヤモンドは永遠の輝き」、「ダイヤモンドを結婚指輪に」というイメージ(影)が流され続けました。それによってダイヤモンドは、アメリカについで日本が大量購入するようになったのです。
 ソフィストのように知識で迫ってみましょう。物質には硬度がありますが、他にも壊れにくさ(靭性:じんせい)や、熱に対する強さ(熱的安定性)、引っ張られる強さ(引張(ひっぱり))などがあります。

 「ハンマーでダイヤモンドを叩くと簡単に壊れます」
 「木造家屋の火事でダイヤモンドは黒くなります」

 ハンマーで瞬間的に強い力が掛かると、ダイヤモンドは壊れます。これは壊れにくさ=靭性が関係します。木造家屋の火事は1200度程度になりますが、ダイヤモンドは700度で酸化しだします。酸素がなければ1700度まで耐えます。700度は3m隣の家が燃えると840度になりますから、木造家屋が燃えなくともダイヤモンドは永遠の輝きは、消えうせるのです。つまり、ダイヤモンドは叩いたり、燃やしたりすると直ぐに壊れてしまう性質なのです。ダイヤモンドの硬度とは、変形しにくい性質(モース強度など)です。これが化学的な知識から観るダイヤモンドです。『理科年表』などで確認して見て下さい。
 しかし、現代の日本人の多くは、「ダイヤモンドは永遠の輝き」や「ダイヤモンドを結婚指輪に」というイメージ(影)を見て、購入します。どうでしょうか、現代の日本人は縛られているのにさえ気がつかない人々、知識を利用しないソフィストでもない人々ではないでしょうか。 
 ダイヤモンドは、ユダヤ系のデビアスが市場を牛耳っています。ダイヤモンドが注目された理由が資源地の偏りと硬度などです。旧ソ連や南アフリカなどでしか採掘できず、これらの国々は専制国家で供給のコントロールがしやすかったのです。さらに、「ダイヤモンドを結婚指輪に」とすれば、少々お金に困っても「結婚指輪」という感情から借金の方にしにくい、と考えたのです。ダイヤモンドよりも自動車、サファイア、家などを売ると考えたのです。そうやって需要と供給をコントロールしやすい商品がダイヤモンドでした。
 さらに、ダイヤモンドの鑑定をヨーロッパの小国で一括して行い(大国だと政治に影響を受けるので)、鑑定書を発行して権威付けをします。これでさらに供給と価格をコントロールしました。ダイヤモンド程、格付けが細かくしっかりしている宝石はありません。そしてイメージ(影)を通して、縛られたことに気がつかない人々にバンバン買わせるのです。
 この話を聞いて、「え!?」と驚く人もこのブログを見て出てくるでしょう。そして知識を得てソフィストの立場に立つ人も出てくるでしょう。つまり「そうか、ならダイヤモンドでなくてもいい。それはイメージ戦略に過ぎないんだ。」ということです。さらに一歩踏み込んでダイヤモンドの模型に替わる模型(売れる商品)を探す人も出てくるかもしれません。現在、TVショッピングやインターネット販売などイメージ戦略を上手にして売られている商品の多いこと、多いこと。その裏にはダイヤモンドと同じイメージ戦略で売りまくろうとする人々が沢山いるのです。ただし、全てが該当するという主張ではありません、念のため。

―縛られていた椅子に戻ろうとする人

 先ほど、気がついても、もう1度縛られた椅子に戻ろうとする人がいる、と述べました。ダイヤモンドの例で考えてみましょう。例えば、私がある人Bさんにこれと同じ話を、もう少し客観的事実を示した上で(皆さんはご自身で調べてみて下さい)、説明したとしましょう。そしてBさんは十分に理解したとしましょう。そのBさんが結婚する時、結婚指輪を買わない、でしょうか? 買うでしょう。人間社会(日本)には「周りに合わせる」というのがあります。「周りに合わせる」ことが良いんだ、客観的事実より世界の真実よりも「周りに合わせるのが良いのだ」という人々がいます。こうした人々は、Bさんと同じく十分に理解しても結婚指輪を買うのです。皆さんは同じような体験をしたことはないでしょうか?

 「十分に客観的事実もある。論理と合理性もきちんと通っている。しかし、その人は理解しているのに「世間体」を気にしてしない」

 それなのに「世の中色々な考えがあるんだよ」とか「世の中裏も表もあるんだよ」とか、反論にもならないことをいう人々さえいます。こういう人々は、本物を見た人が「本物の世界の感動や真実の姿を伝える」としたら、どう対応するでしょうか? これが問2が問うていることです。
 また、もし皆さんが、Bさんの態度に接した時どうしますか?

 これは講義中に問題にはしませんでしたが、生き方を考える際の重要な分岐点になります。「あきらめる」、「近い人だけには説得する」、「強引にやって後で感謝される」、「気持を十分に伝えて合理ではなく感情で動かす」、「陰で馬鹿にしながら利用する」、「他人に助けてもらい動かす」、「1度駄目だと思ったらもう言わない」、「最初から人間には期待しない」などがあるでしょう。哲学が「より善く生きること」と関わる、とシラバス(講義案内)に書きましたが、こういう点なのです。

―問2の解答 哲学者に死を

学生の皆さんの解答は、順当でした。「無視される」、「半分信じられて半分信じられない」、「相手にされないし、時には排除される」です。それではプラトンの言葉を見てみましょう。藤原令夫訳『国家(下)』 100頁

「そして人々(縛られた人々)は彼(本物を見た人)について、あの男は上(洞窟の外の方)へ登って行ったために、目をすっかりだめにして帰ってきたのだと言い、上へ登っていくことなどということは、試みるだけの値打さえもない、と言うのではないだろうか。こうして彼らは、囚人を解放して(本物が見られる)上の方へ連れて行こうと企てる者に対して、もしこれを何とかして手のうちに捕えて殺すことができるならば、殺してしまうのではないだろうか?」
「ええ、きっとそうすることでしょう」

洞窟の例え話をしている人が話し相手に長々と話し、相手が相槌(あいづち)を打ちました。本の注釈にもありますが、「捕えて殺された人」は哲学者です。そしてそれはソクラテスを指しています。ソクラテスは現在のアテナイの頽廃(たいはい)の原因を鋭く指摘して、結局理解されず、ソクラテスのような行動は嫌われて、最後には無実の罪で死刑を宣告されました。私が模型を操(あやつ)るAをソフィストとする理由でもあります。
 私がダイヤモンドの例え話を友人にするとしたら、私自身が彼(女性も含む)と仲が悪くなる、あるいは嫌がらせをされる危険を含んでいるのを覚悟した上でしなければなりません。洞窟の例え話は、このような人間の機微(きび)も含まれた面白い例え話なのです。
 日本を代表する心理学者河合隼雄氏は、この人間の機微を上手に言い表しています。

 「真実は劇薬、嘘は常備薬」

 つまり、哲学者の見た真実は、他人に伝える時には劇薬になるというのです。劇薬は病気の時などには劇的な効果を表しますが、通常の時には、その強さから好まれません。対して嘘は、常備薬、つまり、常に用意しておくもの、常にそのように心がけるものというのです。職場で似合わない服を着ている人に向かって「それは似合わないよ」という真実の言葉は、相手が通常の時には、その強さから好まれない、ということです。対して、「今日はいつもと違いますね」とか「いつもと違うけれど私は良いと思います」などの嘘(に近い言葉)は、人間関係を潤滑にするために常備しておくもの、と河合氏は言うのです。言い得て妙です。私も学者の社会の端っこの端っこにいますが、一般の社会と何ら変わりません。学問を大切にする、論理や合理を中心に考える世界でさえ、「真実は劇薬、嘘は常備薬」なのです。もちろん、学問そのものは、論理や合理を中心にしています。
 大学のニュース版に「ダイヤモンド史上最高額83億円!」と貼ってありました。あるいはタバコも「健康に良い」などと偽造データが出ていました。ハリウッドの西部劇などでタバコを吸ってイメージ戦略していました。たばこが極めて強い健康被害を起こすことをしっていながらタバコ会社が隠していました。内部告発によって明らかになっていきました。1960年代を境にして「健康に悪い」ことが出てきました。他方、現在も「タバコは格好いい。格好いい男のものだ!」というイメージ(影)で吸い始める人々がいるのです。私もダイヤモンドの例えやタバコの例えをしていると、この業界から嫌がらせされるかもしれません。プラトンは嫌がらせされるのが人間世界の常であることを理解していたのです。何ともいい本です。

―現代日本にある影

問3  皆さんの身の回りにあるイメージ(影)の例を3つ挙げて下さい。
解答例 自動車、スマートフォン、ダイヤモンド、たばこ、TVゲーム、アニメ

 解答例は沢山あります。大衆消費社会が成熟してくると、商品が溢れ、商品そのものの差がなくなり、イメージ(影)で売ることが必要になってくるからです。ですから、影かどうかの判断基準は、「本当にないと困るかどうか」です。スマートフォンは購入代も含めて月に1万円前後掛ける価値があるのでしょうか? 常にメールや電話がつながる状態にある必要があるのでしょうか? この場合の「必要」とは「1万円以上の利益を出しているか」とすると判りやすいです。つまり、あなたがスマートフォンを持つことで1万円以上の利益を自分が得ているでしょうか。費用が1万円なら利益が1万円以上あれば必要、というのは経済の初歩です。費用対効果です。「今はスマホぐらいみんな持っているよ」という世間様、TVのCMなどで「スマホはいいぞぉぉぉ!!!」と言われて「ほしい」と思っていないでしょうか? (今まで高木は携帯電話を持ったことがありません)

 TVゲームを挙げましょう。先ほどの携帯とは異なり高木はTVゲームが大好きです。小学校2年生の時にファミコンが出て以来、ゲームと離れた生活をしたことがありません。
 TVゲームを一生懸命やってみても、この世界の真実は見えてきません。所詮、TV画面やパソコンの画面に映し出された影に過ぎません。影のルールを作っているのは、プログラマという人間です。ですから、この世界の真実は見えて来ないですし、それを見て「感動だ!」とか「楽しい!」とか言っても、寝言のようなものです。目を開かないでイメージで夢を見て寝言を言っているのです。この世界の真実を見るには起きて目を開かなければなりません。
 プラトンは、2400年後の未来を、現在の日本社会を予測したのでしょうか? 驚くばかりです。『国家』には面白い話は沢山ありますが、第10巻の以下のことで終わりにします。

―誰が哲学者になれるか?

 では、この世界の真実を見る哲学者になる人はどんな人でしょうか? プラトンは以下のように考えました。そのために、「魂の不滅」を使いましたが、西欧は「魂の不滅」を神学から信じてしまいました。 プラトンは、先ほど述べたように「哲学者になるには特別な地位、権力、文化、人種などは必要ない」と言っています。しかし、哲学者になれる人となれない人がいます。図で以下のように書きます。

 神の世界 :イデアだけの世界 =魂だけの世界、魂でないといけない世界
 ↓ ↑
裁判所(広場あり):忘却の川がある。水を飲むとイデアを忘れる。
:生まれ変わりを決める。
 ↓ ↑
 この世  :人間の世界 イデアと物質(質料)が結び付いた世界

 プラトンは、2つの世界を考えました(「2世界説」)。この世で死ぬとその行為に応じて10倍の罪や善行では10倍の報いが与えられます。そしてイデアの世界に行き、生活した後、また裁判所に戻り籤を引いて順番を決めて生まれ変わる先を選びます。次に忘却の川の水を飲まなければならず、「思慮によって自制することができない者たちは、決められた量よりもたくさん飲んだ。」とあります。この世に誕生した時にイデアを多く知っている者とそうでない者の差を説明したかったのでしょう。つまり、以下のことが言えます。

A) 魂は不滅である (肉体は死滅する)
B) 輪廻転生する (肉体は死滅する)
C) イデアは不滅である (この世の物は滅びる)
D) 想いだすことがイデアを知ることである (イデアは学べない。学ばない)

 それぞれの説明を簡単にします。A) 魂は不滅である、は特段プラトンに限ったことではありません。日本でも閻魔大王(えんまだいおう)という裁判官の1人が有名で、同じ構図の話があります。これは中央アジアに起源があると言われていますし、現在でもインド教(ヒンズー教)でも輪廻転生を基にしてカースト制度が現存しています。B)もA)と同じです。仏教はA)とB)を乗り越えようとして出来た宗教です。
 プラトンの特徴は、C) にあります。永遠不滅、時代や社会などに左右されない形(イデア)が存在すると考え、都市国家アテナイを改善しようとしました。自然的存在論では「成り行き任せ」だったからです。確固たる目標を目指したのです。そのような目標がつかめるかどうかは別にして、永遠不滅のイデアを求める志向は、近代哲学の基礎、近代科学を生み出す1つの原動力になりました。

―学ぶこと=想いだすこと=想起(そうき:アナムネーシス)

 プラトンはC) からD)想いだすことがイデアを学ぶことである、を引き出しました。つまり、プラトンでは学びとは想いだすこと=想起なのです。以下のようにまとめてみます。

「私達は生まれる前に神の国にいて、既に素晴らしいイデアを知っている。けれども、忘却の川で水を飲んだために忘れしまっているだけである。だから、ゆっくりと心を落ち着けて想いだせば、大切なことは判るのだ」

 ピュタゴラス学団は宗教集団の側面があり宗教儀式を行っていたようですが、この言葉も一見すると宗教の勧誘のセリフと近いものがあります。「あなたの中に全てありますよ」というのです。例えば仏教の「全ての存在者に仏の性質(仏性)がある」というセリフと通じるものがあります。ここで想いだして欲しいのは、プラトンは国家の再建のためのセリフだという点です。つまり、「学ぶこと=想いだすこと」とは手段に過ぎず、宗教の勧誘のように悟りの境地という目的ではなかったのです。

―哲学者とはイデアを想いだした人

 ユークリッド幾何学や運動方程式で述べたように、プラトンは「知っているが想いだしていないだけ」という例を多数出しています。『国家』以外にも『メノン』では4角形の面積の話を持ち出します。「知っているが想いだしただけ」という例を出すのは、つまり、哲学者=徳を備え、真・善・美を知る人=統治者=「自分の心を向かい合った人」を言いたかったからなのです。その意味で、哲学者には誰でもなれるのです。現代の日本の哲学者のイメージのように「小難しい顔をして、沢山の知識を知っている人、常に思考している人」が哲学者ではないのです。少なくともプラトンの言葉を大胆に置き換えるなら、

 「哲学者=自分の心の声に素直な人」

 なのです。ソクラテスを哲学者として念頭にしていたのですから、他に「正しいことを断固として行える勇気のある人」も付け加えられるのではないでしょうか。何やら特別な意味を込めていないのは明らかです。また、プラトンが「誰でも哲学者になれる」と言っていたのも伝わってくるのではないでしょうか。
 「魂の不滅」は一見聞くと、ぎょっとしますが、「哲学者=自分の心の声に素直な人」だから、皆さん自分の欲や利益に惑わされずに、自分の心と向かい合いましょう、という主張のための手段なのです。何度も述べてきたように西欧哲学は、「魂の不滅」をキリスト教の神と結び付けてきたのです。もちろん、それは来歴であり批判めいた意味を込めてはいません。他方、日本にはそのような来歴がないのです。
 プラトンの真なる目的とは、でしたが、プラトンの面白さ、幅広さが少しでも伝えられたのなら幸いです。

 以上で終わります。

 
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